新たな「抵抗としての無反省」をめざして


北田暁大(あきひろ)

(わら)う日本の「ナショナリズム」

NHKブックス(日本放送出版協会)、2005年



3.「反省」をやめようという時代
―― 第二章・第三章をめぐって ――


「抵抗としての無反省」の出発

 そろそろ連合赤軍事件の部分を離れて、次の時代――第二章の「抵抗としての無反省」時代へと移ることにしよう。

 この時代の鍵となる人物は糸井重里である。

 連合赤軍の「総括」では、「反省」しようとしたら「どこまで反省しても反省が終わらない」という泥沼にはまり、身体感覚による判断が場を支配して、サディスティックな殺人に発展してしまった。北田さんはこれを異常現象と見るのではなく、60年代の時代精神が行き着いた終着点と位置づけている。

 その限界から先へ進むためにはどうすればいいか?

 「反省」をやめてしまえばいいのだ。

 連合赤軍的な「反省」――つまり「総括」は、いちおう(革命運動を行う)人間の主体性の確立という名目のもとに推進されていた。ところが、「主体」を確立するための基準を探しているうちに連合赤軍の人たちはどんどん泥沼にはまってしまったのだ。

 その泥沼の「総括」を回避するには「反省」の道筋を閉ざしてしまえばいい。それが可能だという信念を持ち、その思想を実践したのが「もと過激派」の糸井重里だと北田さんは言う。このやり方を北田さんは「抵抗としての無反省」と呼んでいる。何への「抵抗」かといえば、「主体的であること」の押しつけに対する抵抗だ。


「コピーライターの思想」

 糸井重里はことばはことばだけで自立しているという信念を持っていた。ことばは人間の何かを表現するものではない。人間の何かを表現しても別にかまわないけれど、それがことばの本質でも本来の機能でもない。そうやってことばと――もっと広く言えばメディアと――人間の生活とか一人ひとりの経歴とかの関係を切断しておけば、ことばを使った「反省」が人間を抹殺するところまで行くことはない。「主体的になれ」とだれかが強要してきたところで、「ことばは人間を主体的にするようにはもともとできていない」という理屈で回路を切断しておけば、ことばのやりとりを利用した身体的虐待への道を塞ぐことができる。こういう考えかたを北田さんは「コピーライターの思想」と呼んでいる。

 この「コピーライターの思想」は、糸井重里が広告を活動の場として使うことで世のなかに広まって行く。雑誌『ビックリハウス』の読者参加型の企画「ヘンタイよいこ新聞」を通じて、糸井重里と同じような感じかた・考えかたをする多くの読者たちが一つの共同体を作り上げていったのだ。その感覚は、『ビックリハウス』の出版にかかわっていた西武百貨店グループの広告にも採用される。西武百貨店やそのグループ企業のPARCOの何を宣伝するというのでもない。インパクトのある映像を見せ、また、インパクトのあるキャッチコピーをぼんと目立たせておいて、それにただ「PARCO」の名まえを添える。それをPARCOの宣伝にする。そういう広告の方法が1980年代初頭の日本に広まって行った。

 これは私たちにとってはそれほど違和感のない方法だ。私たちが(ここで勝手に「私たち」の仲間に巻きこまれるのがイヤなひともいる……かな?)何かのアニメ番組を見たり、アニメのDVDを買ったりするときに、どの作品にするかを決めるのは、物語とか表現法の画期的さとかではなく、端的にだれが監督してだれが作画してどんな萌えキャラが登場して何という声優が声を当てているかだろう。内容がそんなにおもしろくなくても自分の好きな萌えキャラや自分の好きな声優が出れば毎週見てしまうのが人情である。それは必ずしもオタクの萌え人にだけ見られる現象ではない(と……思うんだけど……)

 何がどうすぐれているかの説明よりも、萌えキャラとかインパクトのあるキャッチコピーとかと並べてその番組名なり企業名なりへと消費者をいざなうほうが広告としては有効なのだ。そして広告の本質もおそらくそこにある。論理的な説明は広告にはならないとは言わないけれど、少なくともキャッチコピーや斬新な映像や萌えキャラと同列のものにしか過ぎない。

 もしかすると、中国文化大革命の学生たちや連合赤軍の「革命戦士」たちと同じ世代の人たちはこういう考えかたに抵抗感があるかも知れない。しかしすくなくとも私たちはすなおにそう感じている。


「アイロニー」という方法

 ここで糸井重里の「抵抗としての無反省」は「アイロニー」という方法へとつながって行く。

 なお、北田さんの本では、糸井重里とPARCOの話のあいだに津村喬の話がはさまっている。「抵抗としての無反省」は糸井重里一人のものではないのだということを示し、「抵抗としての無反省」では共通しながら糸井とは別の方向へ行った津村を出すことで、「抵抗としての無反省」運動の広がりみたいなものを示したいという意図なのだろう。しかし、この津村の話で糸井重里とPARCOの話が中断されてしまい、そのあとの「アイロニー」の話でまた糸井とPARCOの話に戻るので、読んでいて議論の筋道が追いにくい。津村の話は、その後には『なんとなく、クリスタル』の意味をみごとに捉えそこねた言論人として出てくるだけで、あとはほとんど出てこない。『なんとなく、クリスタル』を語るうえで失敗例として津村を登場させる必然性もあまりない――というより津村の話が出てくるためにかえってわかりにくくなっているというのが私の印象だ。津村さんには悪いけど、この本には津村の話は強いて盛りこむ必要はなかったかも知れない。ただ、私のここでの考察についてだけ言えば、ここに津村の話が入っていることでいろいろな考えを順調に進めることができた。ここの津村の話はたいせつな「補助線」になったのだ。

 「アイロニー」とは何かというと、簡単にいうと「皮肉」のことだけれど、この本では日本語の「皮肉」にあたることばとして「アイロニー」と「シニシズム」を使い分けている。この区別が正直に言ってよく理解できないのだけど、いちおう、「アイロニー」というのはそれぞれの場での態度のことで、それが構造に組みこまれて何に対しても「アイロニー」で臨まなければいけないようになってしまう状況を「シニシズム」と呼んでいるようだ。

 で、その態度としての「アイロニー」をもう少し突きつめて考えると、それは、「アイロニー」を向けられる相手(皮肉を言われているその対象)に対して自分はどんな立場にも立つことができるのだということを見せつけてその優位を思い知らせるというやり方だ――なんて書いてもわからないよなぁ。「メタ」とかいうギョーカイ用語を使わずに説明しようとしてるんだけど……。


「きみは播磨拳児のように頭がいい」

 この本で引用されている例で言うと、たとえば、あまりぱっとしない容貌の人に「きれいな顔だね」と皮肉を言ったとする(109〜113ページ)。これがなぜ皮肉として効果があるのか? 少なくとも、率直に「きたない顔だね」と言うよりどうして相手を効果的に傷つけられるのか? 「きたない顔」というのはなんか表現としてイヤなので、「かわいい」か「かわいくない」かで説明しよう――などと言っている私はいま『スクールランブル』の単行本の4巻を引っぱり出してきて読んでいる(18ページとか参照……しなくていいです)。

 あんまりかわいくない人のことを「かわいくないね」と言っても、言った本人はその「かわいくない」人と同じ「かわいい‐かわいくない」の序列のなかに置かれてしまう。だから、もしかすると「あなたがかわいすぎるだけだよ」と言い返されてしまうかも知れない。少なくとも、「あなたはかわいくない」と言った当人が、その「かわいくない」人との比較でしか「かわいい」ことを主張できないという、あまり好ましくない状況に置かれることを覚悟しなければならない。

 しかし、あんまりかわいくない人に「あなたはかわいいわね」と皮肉で言えば、「こんなにかわいい自分は、あなたをかわいいと言えるぐらいかわいくない人間を装うことだってできるんですよ」というレベルの違いを見せつけてやることができる。すごくかわいい人からぜんぜんかわいくない人まであらゆるかわいさを装えるという一つ上のレベルからものを言ってやることができるのだ。これに対して、あんまりかわいくない人が「あんたのほうがずっとかわいい」と言い返したところで、勝負にならない。言い返された相手はほんとうにかわいいのだから、それはあくまで「下のレベル」でのもの言いとしてしか受け取ってもらえない。皮肉を言った当人の立つ「一つ上のレベル」(この「一つ上のレベル」がメタのレベルである)にはどうやっても及びつかないのだ。こうやって「レベルの差を感じさせる」のがアイロニーの方法だ。

 別の差を感じさせる効果もある。「あんたって周防美琴みたいに胸が大きいね」とか「あなたは沢近愛理のような美人だね」とか言っても、周防美琴沢近愛理というのがだれか知らない人はまるでわからないだろう(ちなみに北田さんの本文では「君はまるでシド・バレットのように繊細な人間だ」なのだが……だれ、それ? ともかくこういうときにはてなダイアリーキーワード機能は便利だ)。相手が知らないことを知っているという点で相手より上に立ち、相手を見下す。これもアイロニーの方法である。ただし、この方法を濫用すると「あいつはスクランのキャラでしかものが考えられないのか」という軽蔑を買って返り討ちに遭う可能性があるので、私のようなオタクはくれぐれも注意しなければならない。

 つまり――スクランとか周防美琴とか沢近愛理とかから話を戻すと――、相手と同じレベルでの争いを引き受けるのではなく、レベルの違いを見せつけるというのがアイロニーの方法の基本ということになる。


横並びを肯定するための「アイロニー」

 では「抵抗としての無反省」の「コピーライターの思想」はどうしてアイロニーにつながるのだろう?

 それは、「コピーライターの思想」が、ことばの自立性を信じることで、「ものごとを表現することば」より一つ上のレベルの「ことば使い」を展開できるからだ。

 世のなかに流れていることばは、「あるものごとと、それを表現することば」という関係で(思想ギョーカイの用語でいえば「シニフィアンとシニフィエの関係」で)、ものごとに固く縛りつけられている。しかし、「コピーライター」が自在に操ることばはものごととの関係を断ち切ったことばだ。

 だから、たとえば、あんまりぱっとしない容貌の人が無愛想な顔で立っている写真の横に「かわいい人」というキャッチコピーをくっつけても、広告や宣伝としてインパクトがあれば「コピーライター」としてはそれでいいのだ。広告を見た人が「こんなのかわいくないじゃん」とか言ったところで、その人はその広告に関心を持った時点で「コピーライター」の術中にはまっているのである。逆に、すごくかわいい人の写真に「かわいくない」ということばを添えてもいい。かわいくない人をかわいいと表現しても、わかいい人をかわいくないと表現しても、その表現の受け手にインパクトを与えられたらそれでいい。「コピーライター」はそういう意味で「一つ上のレベル」に立っている(と書くとコピーライターはひどく安易な職業のように思えるかも知れないが、現役のコピーライターの人の話を又聞きしたところによると、その「インパクトを与える表現」を見つけ出すのがすごく難しいらしい。まあそうでなければ「一つ上のレベル」には立てんわな)

 しかし、糸井重里のばあい、そのアイロニーは自分の優位だけを誇示する方法にはなっていない。糸井重里の「抵抗としての無反省」は消費社会的な横並び意識を積極的に肯定するものだったと北田さんは言う(113〜115ページ)(ここの論理が私には理解しにくい。ここで北田さんは上野千鶴子の文章を引用して議論しているのだけれど、やっぱりここは「自分のことば」で書いていただいたほうがわかりやすかったと思う)


その限界

 「あるものごとと、それを表現することば」の(シニフィアンとシニフィエの)関係が固定された世界に縛りつけられたまま、「ことば」で自分の持ち上げたいものごとの優位をムキになって証明しようとするやり方が1960年代的なやり方だったと北田さんは整理する。連合赤軍の人たちは、自分の主体性を確立するためのことばを本気になって探し求め、それを見つけられず、挙げ句の果てに、自分が身体的な共感でものごとを判断するようになっているのにも気づかず、殺人へと駆り立てられていった。それがその1960年代的な「あるものごとと、それを表現することば」の関係を疑わなかった考えかたの到達点だった。

 それへの抵抗としての「無反省」の「コピーライターの思想」では、ものごとのほうには関係なく、ことばだけが表現を変えられる。「コピーライターの思想」はコピーライターという職業を絶対化する思想ではない。『ビックリハウス』の投稿ページのように、だれでも「コピーライター」になれるのだ。どんなにつまらないもの、くだらないものについても、人目をひくコピーをくっつけてやるだけでそれを目立たせることができる。だから、大衆消費社会のいろんなものごと(大量生産、大量販売)も、コピーひとつで目立つものになれるという点で平等である。上も下もない。キャッチコピーを――あるいはもっと広くキャッチコピーを流すメディアを――「ひとつ上のレベル」に置いていることで、あらゆるものは横並びの地位を獲得することができる。糸井の戦略はそういうものとして理解できる。

 これは「主体性」の押しつけに対しては有効な「抵抗」かも知れない。ことばしだいであれもこれも「主体」になるのなら、「主体性」を探せと命じること自体が無意味になってしまうからだ。

 しかし、それが「横並び」の平等性の擁護として役立つのは、「主体性」を探し出せという(北田さんの言う)1960年代的な考えに対する「抵抗」という立場でだ。アイロニーの方法は必ずしも「横並び」を擁護するように働くとは限らない。それでは、その「1960年代的なものへの抵抗」という根を失ったアイロニーはどうなっていくのか? それがその次の章以降のテーマになる。

 なお、この章の「コピーライター」のあり方はいくぶん単純化されているように思う。たとえばその企業の活動と無関係な内容のキャッチコピーで目を引けば十分という広告の打ち出しかたはPARCOだからできたことであり、最初から無名の企業がやっても必ず成功するかというと、それは難しいだろう。『ビックリハウス』の投稿ページでだれもが「コピーライター」になれたとしても、それが社会全体に持った影響はそんなに大きくはなかった。糸井重里とPARCOの広告は、1960年代の社会での連合赤軍のように、「その極端な例」と捉えておいたほうがいいだろうと思う。


アイロニーは「もっと上」をめざす

 第三章は田中康夫と『元気が出るテレビ!!』の時代としての1980年代論だ。1960年代の連合赤軍時代が「遠い時代」になり、その時代との関連が急速に意識されなくなった時期である。

 北田さんは、その1980年代の始まりを彩る田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の立場を「抵抗としての 無反省」と呼ぶ。「主体性を確立せよ」という要求に対して、糸井重里のように正面切って「そんな要求は無効だ」と証明してみせるのではない。「主体性を確立せよ」という要求を「まあそんなことを言うひともいるよね、でも私にとってはどうでもいいことだよ」(「主体性を持って選択せよ!」という言いかたに対して、「主体性を持って選択はするけど、それってそんなに力入れて主張するものじゃないんじゃない」とやり過ごす)とやり過ごしてしまう。それが『なんとなく、クリスタル』の方法だと北田さんは言う。

 『なんとなく、クリスタル』の新しさは「NOTES」にあると北田さんは言う。

 「NOTES」は「本文」に出てくるブランド品や店の名まえを解説した「註」である。この「註」で、田中康夫は、本編の登場人物を貶したり、『なんとなく、クリスタル』のブランド品志向を非難する評論家にあらかじめ反論を加えたりしている。つまり「NOTES」の著者は、登場人物はもとより、読者や評論家より「上のレベル」(メタのレベル)に立っているのだ。

 この本に引用されている『なんとなく、クリスタル』のページで、青山にあった輸入レコード店パイド・パイパー・ハウスの名を久しぶりに見た。私もときどき行ったことのある店だったので懐かしかった。また、この本が出てしばらくしてから、私が通っていた学校で、だれか(たぶん他の学校の生徒)が書いた小説に、みんなでしょーもない註をつけながら回覧するというのがはやったことがある(たとえば小説の本文に「りんご」ということばが出てくると、本文の流れとは関係なく「りんごの皮を薄くきれいにむくのって難しいですよね」とかいう「註」を書く。そんな調子でその小説の最後まで「註」を書いたら次の人に回す)。私は『なんとなく、クリスタル』は読んだことがなかったので、なんでそういうのがはやるのかわからなかったが、あれって「『なんとなく、クリスタル』ごっこ」だったのだな。

 糸井重里の「コピーライターの思想」のばあい、「上のレベル」を導入することよって、その「コピーライター」のいる「上のレベル」の存在の下に消費社会の横並びを肯定するという方向性があった。そのことによって「主体性」を求めさせる強迫的な要求を無効にしてしまったのだ。しかし田中康夫のばあいは違う。「NOTES」を導入することで、この小説の作者は、物語の登場人物のレベルも、読者のレベルも、さらにその小説を評論する人のレベルも超えた「もっと上のレベル」(北田さんのことばで言えば「メタを否定するメタ」)から発言することが可能になっている。


「ギョーカイ」の登場

 『なんとなく、クリスタル』のあと、「ギョーカイ」(テレビ番組や情報の送り手側。通俗化され、やや戯画化され、単純化された「業界」ということだろう)という存在がその「もっと上のレベル」として設定されるようになってくる。これまで小説なり広告なりの背後にあって、表には姿を見せなかった「ギョーカイ」という存在が表に出てくることになったのだ。

 この「ギョーカイ」の登場とともに、『なんとなく、クリスタル』ではまだ残っていた「主体性を押しつけられることへの抵抗」という要素がついに姿を消してしまう。「抵抗としての 無反省」がただの「無反省」になってしまったのだ(この「ただの無反省」がどうして「無反省という反省」になるのかが私にはもうひとつよくわからない。「主体性」確立のための「反省」の強要に対する「抵抗」として出てきた「アイロニー」がいつの間にか「反省」の本流に居すわってしまったということなんだと思うのだけど)

 そういう時代を代表するのが、川崎徹の広告と『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』だと北田さんは位置づける。

 糸井重里の広告は「あるものごとと、それを表現することば」という関係自体をはぐらかし、わざと「宣伝しなければならないものごと」とは無関係なキャッチコピーをぶつけることで、かえって「宣伝しなければならないものごと」を印象づけるというものだった。それは、その方法で「キャッチコピーのつけかたしだいでどんな商品でも主役になれる」ということを示唆するものだった。アイロニーの「人を見下す」という要素を、「キャッチコピーのアイロニーの下に置かれたら何でも同じじゃないですか」という横並びの肯定につなげたのだ。

 しかし川崎徹の広告はそうではないと北田さんは言う。「広告らしくない広告」を目指すことで、それまでの広告も、その広告で宣伝されていた商品も(ことばは悪いが)見下せるような地位を獲得しようとする。

 そんな社会で人と対等でいようとしたら、みんなでアイロニーを駆使しあって、みんなで「もっと上のレベル」を目指さなければならない。みんなが「もっと上のレベル」を目指すことが社会の仕組みに組みこまれてしまったのだ。それが「抵抗」の跡形も失った「無反省」があたりまえに時代の社会のあり方だ。北田さんはそれを大澤真幸さんの言いかたを使って「消費社会的シニシズム」と呼んでいる。

 その「もっと上のレベル」(「メタを否定するメタ」)として設定された「ギョーカイ」の存在をあからさまにさらけ出したのがこの時代のテレビだ。その代表が『元気が出るテレビ!!』だと北田さんは言う。どんなに目立たないもの、どんなに寂れている地方、どんなにイメージのパッとしない組織でも、この番組が盛り上げれば必ず盛り上がる。「テレビ番組はすべてヤラセである」ということを正面から認め、その「ヤラセ」の流れを視聴者にさらけ出して見せることでエンターテインメントとして成立させる。

 この番組の視聴者は「ギョーカイ」の人とともに笑い、ツッコミを入れ、感動する。1980年代のテレビ番組は全体としてそういう方向へと変わっていった。そこでは「ギョーカイ」と視聴者の区別はあいまいになる。視聴者は、番組の受け手であると同時に、自分の立場を「ギョーカイ」と同じ高みに置いて、番組のなかで展開されているものごとを見下ろすことができる。立場を自在に変えられる「ひとつ上のレベル」に自分を置くというのは「アイロニー」の方法だ。そのアイロニーの方法が、「テレビを見る」というだれもが日常的にやっていることにごく普通に入りこんでしまった。ここからも、この時代の社会が「消費社会的シニシズム」(みんなが「もっと上のレベル」を目指すことが社会の仕組みに組みこまれてしまったような状態)に覆われていることがわかる――と北田さんは言う。


「ベタ回帰」がどうして「ゾンビ」になる?

 さて、ここまではまだ理解できるのだが、この次に俵万智の『サラダ記念日』が出てくるところから私にはどうも十分に理解できなくなる。

 まず、1987年の『サラダ記念日』ブームについて、北田さんは「ベタ回帰」と位置づける。「ベタ」というのは、アイロニーの図式で、自在に位置を変えられる「ひとつ上のレベル」(「メタ」)から見下される「下のレベル」のことだ(「メタ」、「ベタ」ともうひとつ「ネタ」ということばとともに韻を踏んでいる。それでわかりやすくなっているかどうかは、よくわからないけど)

 なぜ『サラダ記念日』の短歌が「ベタ回帰」なのか。川崎徹の広告などに見られる方法では、「ことば遊び」的なやり方は自分が「上のレベル」にいることを証明する方法だった。それは「消費社会的シニシズム」の登場より前の糸井重里の方法からしてそうだった。

 ところが、『サラダ記念日』のことば遊びに満ちた短歌は何のアイロニーも含んでいない。それはただ短歌でうたわれたごく普通の日常生活みたいなものを表現しているだけで、「上のレベルを目指さなければ!!」という姿勢はどこにもうかがえない。アイロニーの実質が抜けて、アイロニーの形式だけが残ったのだ。

 ここまでは、異論がないわけではないけど、まあいちおうはわかる。

 さて、北田さんは、その『サラダ記念日』の方法を「形式主義」として捉え、それを連合赤軍とくっつけて論じる。

 連合赤軍では、どんなに「反省」しても「反省」が終わらず、「主体性」を持つための取っかかりなんかどこにも見いだせないのに、それでも「主体性を持て」という「形式」だけが暴走して、凄惨な殺しに発展した。それに対して、『サラダ記念日』では、最初からアイロニーなんかやる気がないのに、アイロニーの「形式」だけが駆使されている。だから、森と同じように、『サラダ記念日』時代の人たちも(「俵万智も」とは言っていないけど)「ゾンビ」になってしまうというのだけど……。

 なんか飛躍がないかな?

 私にはあるような気がするんだけど。


「必死」さのない「ゾンビ」?

 森が「ゾンビ」であったのは、「総括」というのをやり遂げるのは死んでも不可能という場にあって、その場にいた連合赤軍のメンバーにもらい泣きされることで身体的な共感を引き出し、それを足がかりに「総括をやり遂げた」とみんなに認めさせたからである。死んでも不可能なことをやり遂げたのだから精神としてはいちど死んでいるのだけど、身体は前のまま保持しているということで「ゾンビ」というたとえがあてはまったのだ。

 ところが、『サラダ記念日』時代の「ゾンビ」のどこにそういう「精神は死んで身体は生き残っている」という状態があるのだろう?

 議論の流れを見ると、それまでの「上のレベルを目指さなければ!!」という思いに駆られてがんばってアイロニーをやってきたのがここで死んだ「精神」なのだろう。だが、「革命」をやるために「主体」を目指すことを強いられるのと、消費社会でほかの消費者と対等に生きるために「アイロニー」的な姿勢を強いられるのとはずいぶん違う気がする。

 「革命」をやるために「主体」であろうとするのはいわば必死な行いで、だからそれを突きつめればほんとうに死んでも終わらない凄惨な過程になった。しかもそれは一部の「前衛」がやればいいことで、社会のみんながやることではなかった。だからこそ、自分たちは世界に先駆けて世界のために革命を起こすのだというエリート意識が生まれ、それにともなって「主体的にならねば!」という切迫した思いも極限まで高まって行ったのだ。

 しかし、消費社会では「アイロニーをやろう、アイロニーをするぞ、いやとっくにアイロニーをしていなければならなかったんだ!!」と迫られていなくても、日々、テレビを見て笑っていればその過程はクリアできていた。またテレビを見なくったって殺されることはなかった。

 その「必死」さがやっぱり違うと思うんだけどなぁ。


「身体」の生々しさの違いとか

 まあ「精神」のほうはそれでいいとしよう。しかし、「精神」が失われても以前と変わらず残された「身体」というのはどこにあるのだ?

 いちおうここの「1980年代後半的ゾンビ」の話でも「身体」ということばは出てくる。しかし、連合赤軍の森についての説明で「身体」についての説明が具体的だったのに対して、ここでは「身体」ということばはぽつんと出てきて説明のないまま消えてしまう。それがこの「ゾンビ」ということばを最後まで唐突に感じさせる原因になっている。たぶん、「精神」が失われても「身体」に染みついた惰性や習慣のようなものとして「アイロニー」(一つ上のレベルから見下すこと)をやらざるを得ないという状態を表現するために「身体」ということばを使っているのだろうけど、それは森の「身体」性を説明していた部分の生々しさからはほど遠い。

 北田さんは、この部分で、浅田彰や島田雅彦の発言や書いていることを引用しながら議論を展開しているのだけれど、そのためにかんじんの北田さんの議論の道筋がたどりにくくなっている(とくに島田雅彦が出てくる必然性がよくわからない。たしかにその時代の大学生との討論での「すれ違い」はおもしろかったけど)。引用に頼って北田さんの議論の展開の「詰め」がかえって甘くなっているように感じるのだ。

 もうひとつ感じたこと――さっき「異論がないわけではないけど」と書いたその「異論」――を書いておく。

 広告のばあい、「伝えたいものごとを表現するのが広告だ」という原則があった。だから、「伝えたいものごととは無関係なことばをぶつけることで伝えたいものごとを印象づける」という「ことば遊び」的なアイロニーの方法が時代を特徴づけるものとして議論できた。ところが、短歌というのはもともとことば遊び的な要素のある表現方式である。少なくとも広告に較べれば、ことば遊びの要素は短歌には最初からある程度は組みこまれていたのだ(たしかに近代短歌になってそういう要素は減らされてきたのかも知れないけど)。だから、いかにはやったからと言って、糸井重里の広告‐川崎徹の広告‐俵万智の短歌とまさに「ベタ」につづけてしまう方法が正しいかどうか。この点も私には疑問だ。


「動物化したオタク」対「スノッブ化したゾンビ」

 ここで北田さんが「1980年代後半的ゾンビ」の行動として描いているのは、東浩紀さんが「データベース消費」と名づけているのと同じ現象である。

 そのときどきで「萌える」対象を膨大なデータベース(猫耳データベース、メイド服データベース、眼鏡っ子データベース、病弱少女データベース……などをひとつに合わせた巨大萌え要素データベース)から引っぱってきてその組み合わせで萌えキャラを作り上げ、やはり物語要素のデータベースからいろんな要素を引っぱってきて物語を作り上げ、そのキャラに萌え、物語に泣く。それが東さんの言う「データベース消費」である(東さんの議論ではどうしてデータベース消費で「泣く」のかの説明が弱かった印象がある)

 東さんの「動物化するオタク」と違うのは、北田さんの「1980年代後半的ゾンビ」たちはそのデータベースから引っぱってきた要素をアイロニーの方法で組み立てると見る点だろう。「ギョーカイ」を目指すわけではなくても、「もっと上のレベル」を目指すという「形式」だけが残っていて、この「データベース的ゾンビ」たちはそれに従わなければならないからだ。

 この違いは、東さんと北田さんが同じようにヘーゲル学者のコジェーヴの議論に依拠しながら、1980年代後半〜1990年代の人間をどの類型にあてはめるかという点に違いがあることから起こっている。

 コジェーヴの議論とは、人間とは自分の生きる環境を否定しつつ進歩して生きてきたという見かたに基づくもので、そこから逸脱して自分の環境を否定しようともせず安住してしまう生きかたを「動物」とし、逆に否定する必要のないものをムダに否定することに懸命になる――否定する必要のないものを否定しても少しも進歩はしない――生きかたを「スノッブ」とした。東さんは1990年代以後の人間を「動物」化したとみなし、北田さんは1980年代後半の「ゾンビ」を「スノッブ」と見なす。だから、環境に疑問を持たない「動物化したオタク」と、アイロニーを用いる必要はないのにアイロニーの方法で「データ」を延々と加工しつづけなければならない「スノッブ的なゾンビ」という対立が生まれるのだ。

 どっちに同意できるかというと、どちらにもそれぞれ違和感があるのだけど、「データベース」みたいな話を出してくるのなら「動物化」論(何の疑問も持たずに環境から引っぱってきたものを享受する)に行くほうが自然だと思う。どうして北田さんの議論がここでどうして「スノッブ化」(否定する必要のないものをむやみに否定してみせる)につながるのかが私には理解できない。「動物化」ならば、「データベース」(北田さんが引用している浅田彰のことばだと「情報バンク」)から引っぱってきてそれを楽しむだけだから何の説明もいらないけど、「スノッブ」ならいちどそれを否定しなければならないわけで、「どうして否定するのか?」の説明が必要になるからだ。1980年代の社会のアイロニーの方法が形式として呪縛しているからだ――というのがいちおうの説明だけど、この「形式主義」の強調はこの「スノッブ化するゾンビ」の議論を正当化するために出てきているように読める。もう少し傍証が必要だったのではないか。

 北田さんは263ページの註釈(終章(5))で東さんの「動物化」論と北田さん自身の「スノッブ化」論では内容の違いはなく、たんなる「呼称の違い」としているけれども……やっぱり内容も違うんじゃないかな? 東さんが北田さん(と笠井潔さんと大澤真幸さん……東さんと笠井さんとの衝突はそれ以前の段階で起こっているような気もするけど)を「メタゲームのその端的な欠如状態に、メタゲームを存在させない、という高度なメタゲームを読み込んでしまう」(東さんのブログ「渦状言論」の2005年3月14日『嗤う日本の「ナショナリズム」』の項目)と批判しているのはこの点だろうと思う。ちなみに東さんのこの批評に出てくる秋元康論は(ごくかんたんにしか展開されていないが)なかなか興味深い。ただ、『あずきちゃん』はともかく、『りりか』は、少なくともアニメに関しては実質的に何人かの「クリエイター」の共同作業で作られた作品なので、秋元康が「要」の位置にいた企画と直接に比較するのには不適当だと思う。


ここまでの「総括」

 ここまで書いたように、第三章は最後のほうがよくわからないのだけれど、いちおう北田さんの議論の流れは理解できた。

 糸井重里にはあった「主体性を強いられることへの抵抗」が1960年代を離れることで風化して消えてしまい、「抵抗」であったはずの「無反省」と、その方法としてのアイロニーが自立する。テレビや広告を通じて社会全体に「アイロニー的でなければならない」というあり方が植えつけられ、社会の仕組み自体にアイロニーの方法が組みこまれてしまう。その形式は、アイロニー的である必要も感じず、アイロニー的であることを目指しもしない人びとにまで及んだ。その結果、アイロニー的であることをまったく目指さない『サラダ記念日』にまでアイロニーの方法が組みこまれてしまった。アイロニー的であることなど目指さないのにアイロニー的な形式には忠実に従う1980年代後半の消費社会の人びとも、「主体性」など確立できっこないのにその確立のために「総括」をつづけた1960年代の連合赤軍の人びとと同じように「ゾンビ」になってしまったのだ。

 だいたいそういう流れである(と私は思う)

 第四章では、「消費社会のゾンビ」の時代が「2ちゃんねる時代」へと変化していく過程が描かれる。



―― つづく ――


第1回:「サルにはできない「反省」の歴史」
第2回(前回):「連合赤軍事件をめぐる「さらなる総括」 」

第4回(次回):「「泣きつつ嗤う」時代への「抵抗としての無反省」」
第5回:「感動とアイロニーの共存をもう少し考える」
第6回(完):「「日本のナショナリズム」について少しだけ」