夢の城

清瀬 六朗


「桜の里」篇のあとがき

 連載途中の「あとがき」というのも何かへんな気はしますが、これまでの連載全40回分のうち29回もえんえんとつづいた「桜の里」というタイトルの章がようやく終わったということもありますし、昨年、連載を開始してから一年が経ったということもあるので、いちおう何か書いてみたいと思います。


 前書き「初めてお読みくださる方へ」にも書いたとおり、この『夢の城』は約10年前に書いていた「小説」を手直しして掲載しているものです。

 ……そのはずでした

 しかし、それは「何をなすべきか(二)」までで、「桜の里」篇に入って以降はぜんぶ新たに書いた部分です。

 最初の原稿にはこの「桜の里」の物語はありませんでした。今回、発表するのに際して、この物語を加えようと思ったのには、いくつか理由があります。

 約10年前に書いた原稿では、現在の「何をなすべきか(二)」の章で借金の取り立ての話が決まったあと、次の章ではもう借金の取り立てが終わっていることになっていました。それがちょっともの足りなかった。借金の取り立てを決めるときには主人公の藤野の美那が深く関わっています。ところが、次の章では、その取り立てはもう終わってしまっていて、主人公は何をしたかわからないというのでは、ちょっときまりが悪いんじゃないか。もうちょっと言うと、借金の取り立てを急げと威勢よく言っておきながら、自分では何をしたかわからないのでは、この子がいやな主人公になってしまうんじゃないか。そういう心配をしたのですね。

 また、せっかく出てきたさわの活躍場面がほとんどないのも気にかかりました。さととさわとみやの三人娘のなかで、さとはいちおう池原弦三郎とのデートの仲介を美那に頼むエピソードがありますし(あとでデートの話も出てくるし)、みやは栄養状態のよくない時代なのにけっこう肉づきがいいということで印象に残るかも知れないけれど――少なくとも作者の印象には残っているのです――、さわはどうも目立っていない。どんな子なのかもわからない。このあたりでさわが出てくる話というのがあったほうがいいんじゃないか。

 最初のエピソードに出てきて志穂にこてんぱんにやっつけられて姿を消していた長野雅一郎のことも気になりました。10年前の原稿でも長野雅一郎はずっと後ろのエピソードで柿原家の関係者の一人として再登場することにはなっていたのです。しかし「ずっと後ろ」まで登場しないでいると忘れられるだろう。私はこのおじさんはけっこう好きだから、それは寂しい。また、個人的な感情は別としても、それではどうして雅一郎が柿原家の関係者になったのかがよくわからない。だったら、このあたりで、いちど、雅一郎の物語も描いておくべきなんじゃないか。

 牧野郷というところがどういうところなのかを、早い段階で描いておきたいという気もちもありました。この物語のなかで数年前に起こったことになっている「牧野の乱」関係者のうち、浅梨治繁は藤野の美那や池原弦三郎の師匠として出てきますし、港の若君の桧山桃丸もわりと早く登場しています。しかし、牧野家のことは、ときどき話題に出てくるだけであまりきちんと描かれていませんでした。でも、「牧野の乱」事件は物語に深く関わってくるできごとでもあるので、牧野一族と牧野郷についてはちゃんと描いておくべきだろうと思ったわけです。

 さらに、この後の展開を考えたとき、何人か子どもが出てきてほしいなという願いもありました。「この後の展開」というより、藤野屋にいるのが薫と美那だけでは寂しすぎない?――という気がしたのです。

 そんなことで:

 藤野の美那がさわといっしょに牧野郷に借金取り立てに行き、広沢家の子どもたちと知り合う。そこに長野雅一郎もやってきて、美那と再会する。美那たちは寄合で村人と論争し、借金の一部分を返済するという妥協に達する。その妥協に不満な長野雅一郎らは隠し備蓄米に放火して計画を妨害しようとする。しかし、その現場を広沢家の子どもたちに見られていた。事実がばれるのを恐れた雅一郎らは子どもたちを殺そうとし、それを止めようとした藤野の美那や村人たちと、雨のなか乱戦になる。事件が解決し、広沢家の子どもたちは、表面上は人質として、実際には食うに困っている村の「口減らし」策として、町へ連れて行かれる。

という話を考えました。これで4〜5回のエピソードを書けばいい。そして、その借金取り立て問題が終わったあとの話につなげればいいと考えていたのです。

 そうすれば、2月に連載を再開して、「桜の里」篇が終わるのが3月の終わりごろになります。物語のなかで桜が咲く場面で、関東地方以西・以南ではほんとうに桜が咲くことになる。これはなかなか気もちいいのではないか――そんなことも考えました。

 しかし、物語のなかで桜が満開になるのは、じっさいに桜が咲いてから半年近く経った後のことになってしまいました。

 ちなみに、この牧野郷の物語はごく最初は「貧乏物語」というタイトルを考えていました。『何をなすべきか』につづいて『貧乏物語』で、ネタのわかる人は……いまではごく少数だろうなぁ……。


 こんなに長くなってしまった理由は、もともと「4〜5回分のエピソード」として構想した内容が長すぎたということがあります。市場町や浅梨屋敷を舞台にしているかぎり、主人公のうちわの人間しか出てこないわけですから、舞台や人間関係についての説明はあまり必要ありません。しかし、よその土地に行くとなると、その土地の説明でけっこう手間と紙幅(じっさいにはディスプレイ上でスクロールしなければならない縦の長さ)を使ってしまうのですね。

 けれども、もっと大きな理由は、際限なく登場人物を増やしてしまったことでしょう。

 とくに、中原克富(かつとみ)範大(のりひろ)の親子の登場はけっこう大きな誤算でした。

 最初に克富を出したのは、雅一郎が牧野郷に行くことになった状況説明のために過ぎませんでした。ところが、出てきてみるとけっこうこれが興味深い人物だったのです。こんな父親に溺愛されたら息子も性格歪むわな〜――と思って範大の登場場面を書いていると、これがまたやっぱり興味深い人物だとわかってきました。で、この二人の話を書いていると、立岡拓実(ひろざね)とか坂口のはるとかの周辺人物を出さなければならなくなってきた。克富と範大の二人は、出てくるのが遅かったわりにすぐに退場してしまいますが、作者としてはけっこう気に入っている、興味深い登場人物なのです。

 また、最初はただ中橋渉江(しょうこう)のメッセンジャー役でしかなかったはずの安総尼(あんそうに)も、書いてみるとやっぱりおもしろそうな人物でした。このひとのおもしろさはまだ十分に表現できていないと感じているので、これから先、登場する場面があればまたいろいろと描いてみたいと思います。

 現代の話だったらメイド服のコスプレとかするのかな〜。ちっともおもしろくなさそうな顔してメイド服着て、あいかわらず哲学的な思考にふけってるんだろうな。でも、猫耳は似合わないと思うんですけどね〜。

 ……う〜む、これは萌え小説の読み過ぎですね。


 もう何年か前のことだと思いますが、雑誌のインタビューで、経済小説か何かを書いた小説家の先生が「なるべく登場人物は減らすこと」と話しているのを読んだことがあります。それが小説の書きかたとして正しい方法なのなら、私はその正しい方法の正反対を実行したことになります。

 でも、少なくともこの物語については、登場人物の数を抑えることは断念しました。そのかわり、名まえつきで出てきた人物については、それがどんな人なのかできるだけちゃんと描き、その人物がこの物語でどういう結末を迎えるかもきちんと書こう、そうすることで作者の登場人物に対する義務を果たすことにしよう。「あれ、これだれだっけ?」と混乱するかも知れない読者各位には、各話に登場人物表をつけることで対応しよう。そういう方針を採ることにしたのです。

 少なくとも、この物語については、「作者が登場人物を作った」という感覚が私にはあまり持てません。人物は最初からこの物語のなかにいて、作者にできるのは、物語を書くときにその人物を登場させるかどうかの選択だけだ――そういう感覚が、この物語を書いている私の実感です。人物の性格も、どういう行動をとるかも、私がコントロールしているわけではない。出てきた時点で、この人物はこういう性格でこういう状況ではこんなことをやるとすでに決まっている。私はそれを追っていくだけだ。そんなふうに感じているのですね。

 私のそういう実感は、客観的に言うならば、私が物語作者として未熟なことの証明にしかならないでしょう。

 あるいは、ほんとうは、そうやって物語のなかにいるはずの人物をできるだけ多く深く知ったうえで、書く段階では人物の数を減らすのが、物語の書き手としてすべきことなのかも知れません。私はその努力をしていない。それだけのことかも知れません。

 けれども率直に言うといまの私にはそれができない。だれを登場させてだれを落とすかの判断が自分でつかないのです。

 だったら、物語を語っていく途中で出会った人物は、片端から登場させよう。ただし、登場させた人物は、できるだけ不実な扱いをせず、それぞれの人物のここでの物語の結末まできちんとつき合っていこうといまは心に決めています。

 ということで、次の章以降も際限なく新しい登場人物が出てきますので、どうかよろしくお願いします。


 この『夢の城』に借金取り立てのエピソードがあるのは、もとはといえば、10年前に最初の物語を書いたときに私が「徳政令」というものについて誤解していたことによります。徳政令というのは支配者が年貢を免除する命令だと思っていたのですね。徳政令が「強制的・全面的債権放棄令」だとわかって、説明に四苦八苦するうちに、こんな話ができてしまっていたのです(どういうプロセスだったかはいまでは思い出せません)

 また、高校の日本史で、鎌倉時代〜室町時代に武士が荘園領主の権益を徐々に奪っていくという話がありました。半済(はんぜい)(現地の武士が荘園領主と年貢を折半する)とか下地中分(したじちゅうぶん)(現地の武士が荘園領主とのあいだで土地を分割する)とか守護請(しゅごうけ)とかいう制度が出てきたわけです(最近もこういうの教えるのかしら?)。この『夢の城』の舞台の玉井三郡で行われているのは、このうち、守護(守護代)が年貢集めを請け負うという「守護請」です。

 ところで、この守護請の制度について、守護(または守護代)はどうやって年貢を集めていたのか、という疑問がありました。江戸時代には制度が整っていたのでかんたんに集められたかも知れませんが、荘園領主とか在地領主とかの権限が入り乱れていたはずの中世で、守護という地方官がそんな整然とした税金集めの組織を持っていたとはあまり思えません。では、どうやって税金を集めていたのか?

 もしかすると、文献や研究論文を調べればその実態はよくわかったのかも知れません。しかし、それは専門家の仕事として、私は徴税から税の中央への輸送までを金融業者に丸投げしていたらどうだろうと考えてみました。そしてそれをこの物語の基本設定にしてしまったわけです。

 そういう設定と、徳政令についての誤解をあとからごまかすための策が合わさって、ここの借金取り立てのエピソードは成り立っています。やたらと説明がごちゃごちゃしているのはそういう苦闘の痕跡だと思って許してくださいませ。


 それにしても、これを書いた10年前には「債権放棄」なんて話が日本経済の重大問題になるとは思ってもみませんでした。

 いまから考えると、この物語の原稿を書いた当時もバブル崩壊後の不況時代だったわけですが、その「不況」の深刻感は現在ほど濃くなかったように思います。バブルではしゃぎすぎたからちょっとその反動が来ているんだ――ぐらいに感じていました。そのころのほうが町にも活気があったように思います。個人商店があちこちに店を開いていて、瓦葺きの平屋や二階建ての個人住宅兼店舗が町のなかで普通に見られた。街を歩いていて彩りがありました。それから10年間、この原稿がハードディスクのなかで眠りについているあいだに、小商店は店を閉じ、瓦葺きの家はつぎつぎに4階建てぐらいのぷちビルに姿を変えていっている。それで色調の乏しいすごく味気ない町並みになった気がします。

 もっとも、そのかわり、インターネットの世界のなかでは、私たちは、そこで失った以上の豊かな世界を手に入れたのかも知れないわけで、失われたものだけを嘆いてもしようがないとは思いますけどね。10年前の状況では、この『夢の城』(当時は少し違ったタイトルでしたが)も発表のしようがなかったわけだし。

 ともかく、10年前にこの借金取り立ての話を書いたときには「昔の話」だった徳政の話が、現在ではほんとうに「現在の話」になってしまっています。債権放棄が決まるのを恐れて、地方の中小金融業者が必死で取り立てに走り回る(「貸し剥がし」っていうのがこれですか?)――なんて、いまでもありそうな話じゃないかと思うのですが。

 いっそのこと「産業再生機構」を設置する話でも作りましょうか?

 ……いや、冗談ですけど。


 「桜の里」篇を書いてしまったために、もう10年前の原稿を手直しして載せるだけの連載には戻れなくなってしまいました。たぶん、大筋でその10年前の構想に添い、昔の原稿も利用しながら、新たに物語を書いていくしかないのでしょう。それも、10年前の原稿より格段に多い登場人物に対して、それぞれの物語を最後まで書ききるという義務を背負って。

 できるだけがんばりたいと思いますので、これからもよろしくお願いします――と、読者各位とともに、登場人物各位にも申し上げたいと思います。