Sidi Larbi Cherkaoui はベルギーのダンス・カンパニー Les Ballets C de la B の中心メンバーとして2000年から作品制作を始た振付家 / ダンサー。 2008年に Sadler's Walls のアソシエイト・アーティストに就任し、初めて手がけた作品がこの Sutra 『空间』だ。 巧夫 (カンフー。日本の少林寺拳法ではない) で知られる中国河南省の禅寺 嵩山少林寺の僧侶を子供1人を含む21名フィーチャーし その演武を舞台作品化ものとして当時話題になり [The Guardian のレビュー]、 それ以来一度生で観てみたいと思っていた作品だった。 初来日の Akram Khan との Zero Degrees [レビュー] など Cherkaoui の作品を観たことはあったが、 この規模の作品を観るのは初めて。その点でも、観るのを楽しみにしていた。
最も興味を引いたのは、Cherkaoui とのコラボレーションを続けている Gormley による舞台美術。 半ば抽象化された人間像のような立体作品で知られる Gormley だが、ここでは抽象的。 厚さ15mm程の合板でできた60cm×60cm×180cm程の長面が1つ開いた棺桶様の箱20台と、同サイズの金属製の箱1台を使い、 それをパフォーマー自ら動かして様々な形に並べながら、パフォーマンスを繰り広げた。 並べられた棺やチェスの駒のように、舞台前面にそびえる城壁のように、舞台奥の棚のように、開いた花のように、瓦礫の山のように、その姿が変わっていく。 それも、舞台下手に箱のミニチュアがあり、Cherkaoui や子供の僧侶がミニチュアを動かし並べ直すと、 それに合わせるかのように大きな箱も動かされ並べ直される、という演出が作品を通してされていた。 例えば、子供がミニチュアをドミノ倒しにすると、その後にパフォーマーが入った箱もドミノ倒されていくという。
このような、ミニチュアを動かすとそれに操られるかのように人や物が動くという演出は、マイムでよくあるものだ。 カンパニー・デラシネラ の – それ以前の 水と油 のときから – 作品の一部でお約束のようにこのような演出が使われる。 そもそも、パフォーマー自ら箱を動かしながら様々な形態、空間を作りだして演じていくという所からして、 水と油 『移動の法則』 [レビュー] の後半、 白壁を動かしながらのパフォーマンスを思い出させられた。 簡単な道具とパフォーマー自身の動きで空間を作りそれを動かすことにより空間を変化させつつ演じていくというのは、 例えば Simon McBurney / Complicité の演出でも見られるものであり [レビュー]、これもマイムでよく見られるものだ。 Sutra の20台の木箱の使い方には、例えば、コンテンポラリー・サーカス Vaivén Circo: Do Not Disturb [レビュー] での様々に組み合わせて使われた弧状の箱4つ、ちょうど直前に観た Camille Boitel / Compagnie L'Immédiat: L'homme de Hus [レビュー] で大量に使われていた木製のテーブル脚様のもの、など、 コンテンポラリー・サーカスとの共通点を見ることもできるだろう。
Sutra の功夫の演武以外の部分は、コンテンポラリー・ダンスというよりも、 London International Mime Festival 等にプログラムされそうなコンテンポラリー・サーカス/マイムの作品のよう。 そんなことを思いながら終演後に公演パンフレットに目を通していて、 演出アシスタントのうち Ali Ben Lotfi Thabet と Damien Fournier の2人は フランスの国立サーカス学校 CNAC (Centre national des arts du cirque) 出身だと知り、納得することしきり。
そんなコンテンポラリー・サーカス的に感じられたパフォーマーと箱によるパフォーマンスを楽しんだが、 もちろん、迫力満点の功夫の演武も堪能した。 フロアを走りながら、箱の高さを使いながら、並んで順に技を繰り出していくのも良いが、 中盤の杖を使った殺陣のような乱闘の場面、ラストの功夫演武の群舞は、圧倒的だった。 演出アシスタントの一人、工藤 聡 は格闘映画の俳優・監督で知られる 千葉 真一 が設立したアクション俳優の事務所 JAC (Japan Action Club) 出身とのこと。 功夫演武の舞台作品化には格闘映画の演出のノウハウも生かされているのだろう。
音楽は生演奏。 Zero Degrees の時と同様、 舞台後方の半透明な白い幕の裏側で、時に照明でその姿を浮かび上がらせつつの演奏だった。 功夫演武だが中国をイメージさせるような楽器や音階は用いず、 piano や violin の音色に percussion (drum set を組んでいた) リズムもあって室内楽的な jazz rock。 抽象度高い舞台美術と合わせて、功夫演武を異国趣味的なものではなく動きの強さ面白さとして引き出していた。 Zero Degrees の時はセリフもあって伴奏的に感じられたが、 Sutra では生演奏ならではの功夫演武と音楽の一体感。 音楽が録音だったら、演武と関係なく背景にダラダラと流れるBGMのようになってしまっていただろう、と。
ミニマルな箱が作りだす多様な形態、強烈な功夫演武と、それと一体となった音楽という、 パフォーマー、舞台美術、音楽が一体となって動くような舞台を堪能した1時間余りだった。
一点残念だったのは、会場のオーチャードホールは客席が平坦で舞台を真横から見るような形になること。 奥行き方向が見辛く、舞台上の配置が判りづらいというだけでなく、 箱を並べて台のように使うと奥行き方向の並べ方や上面の様子がまるで判らないという。 オーチャードホールはダンス公演向きではないと以前から感じているのだが、今回改めて実感。