国立映画アーカイブの上映企画 『発掘された映画たち2022』で、 以下の2つの上映を観ました。
一番の目当ては、近年フィルム発見された 円谷 英二 の最初期の仕事として話題の『かぐや姫』。 日本の初期のアニメーション「オモチャ箱シリーズ」と制作スタッフが重なっており、 メインタイトルにアニメーションが使われているということで、ここでの上映になったようです。 確かに、後の特撮につながるのだろうと思われる、模型を使っての撮影や、スクリーンプロセスによる合成などが伺えました。 しかし、藤山 一郎 をフィーチャーしているように、トーキー最初期の音楽映画、というかミュージカル映画で、そこが面白く感じました。 といっても、オペレッタ風だったりモダンな西洋風の音楽ではなく、 宮城 道雄 の音楽は邦楽ベースながらパーカッシヴで、時に反復を強調したコーラスを使ったり。 伝承の物語ということもあり、 宮城 聰 / 静岡県舞台芸術センター (SPAC) の舞台 [鑑賞メモ] と共通するものを感じてしまいました。
去年の『生誕120年 円谷英二展』 [鑑賞メモ] に合わせての 『かぐや姫』上映会の チケットが瞬殺で観れなかったので、こうして観られてよかったです。
メインの日本の初期アニメーションも、素朴ながら興味深く観ましたが、 本来あったはずのトーキーの部分が残っていたら、もしくは、伴奏付きの上映だったら、と思ってしまいました。
清水 宏 が『蜂の巣の子供たち』 (蜂の巣映画, 1948) に続いて撮った戦後2本目の映画です。 峠の行くバスの乗客たちを描いた『有がたうさん』 (松竹蒲田, 1936) [鑑賞メモ] はもちろん、 日守 新一 が『按摩と女』 (松竹大船, 1938) [鑑賞メモ] の時と同じ名前「福市」と服装の按摩役で出てきますし、 女性の車掌が主要な役で故障したバスを押す場面がある所などは 『暁の合唱』 (松竹大船, 1941) [鑑賞メモ] を思わせる、実に 清水 宏 らしい映画でした。
『有がたうさん』のバスは淡々と進みますが、『明日は日本晴れ』のバスは途中で故障して止まってしまいます。 そして、救援のバスを待つ間の客のやりとりを通して、 ––パニック映画のような極限状況を通してではなく、むしろ、少々長閑な雰囲気の中で象徴的な風景も巧みに使って–– 乗客のたちの抱えた戦中の傷を浮かび上がらせていきます。 両親を失い田舎に引き取られたものの都会が忘れられない戦災孤児、 従軍中の無理な命令で片足を失った傷痍軍人、戦死した部下の墓参りのために日本各地を巡っている元隊長、 按摩も満州事変で目を失った傷夷軍人だったことが明かされます。
主役のバス運転手と、彼に好意を寄せる女性車掌 (サチ)、謎の都会の女性 (ワカさん) の 三角関係もさりげなく、しかしメロドラマチックに描かれます。 運転手とワカさんはかつて恋仲だったものの、 戦中の貧しさのためワカさんは恋人を捨てて軍人の妾となって東京に出たということ、 戦後は水商売 (ダンサー) で生活しており死んだ子を墓に納骨するために帰っていたことが、明かされます。 ワカさんは、一旦は一緒に東京に行こうと運転手に言うものの、サチの気持ちを知って身を引きます (『有りがたうさん』の黒襟の酌婦のように)。
『有がたうさん』の否が応でも淡々と進むバスは山の向こうへ売られていく娘の運命を思わせるものがありましたが、 『明日は日本晴れ』の故障で立ち往生して進まないバスは戦争で「故障して立ち往生」してしまった乗客たちの人生のメタファーのよう。 救援のバスを待つ運転手の言う「もう戦争のことは忘れましょう」は、「故障して立ち往生」した状況から抜け出そうと自分に言い聞かせているようにも感じられました。 こんな形で『有りがたうさん』を様々な戦争の傷を抱えた人々の話としてアップデートした、しみじみ良い映画でした。
震災前の常設館誕生から20世紀後半の名画座・アート劇場劇場までを辿る小展示です。 メジャーの映画館、伝説的なアート系ミニシアターだけでなく、その中間ともいえるチネチッタのような老舗の個性的な映画館なども取り上げていました。 中学生になって自分が映画をよく観るようになった頃、メジャーな映画は、 大抵、築地の東劇か日比谷の映画街で観ていたのですが、戦前には確立されていたことを改めて認識しました。 戦間期の日本映画をそれなりによく観ていますが、これらの映画がどういう場で観られていたのか、あまり意識してなかったな、と気付かされた展覧会でした。