神保町シアターの特集 『生誕百五年記念――清水宏と小津安二郎』が始まったので、 さっそく、この2本を観てきました。 どちらも観たことがある映画でしたが、やっぱり映画館の大画面で楽しみたいので。
あらすじ: 九州出身の 小宮山 信子 は新任の女学校教師として九州から上京し、 芸者の置屋をしている親戚のお佳さんの家に下宿する。 女学校では国語教師の予定が、体育教師をすることになる。 芸者見習い チャー子 が弁当を女学校に届けに行ったことをきっかけに、 置屋に下宿していることを女学校に知られ、置屋を出て舎監として寮に住み込むことになる。 女学校の先生たちは、女学校を支える有力者 細川 の娘 穎子 の勝手な振舞に手を焼きつつ、注意し叱ることができないでいた。 穎子の寮でのいたずらやピックニックでの失踪などに信子も振り回されるが、手加減せずに穎子と向かい合う。 寮の女学生たちも信子を慕うようになり、勝手な穎子に反感を示すようになる。 孤立した穎子はガス自殺を図るが、無事に救出される。 女学校の先生たちは不祥事として信子に責任を取らせようとするが、 穎子の父 細川は依怙贔屓せずに接した信子に感謝したのだった。
女性版『坊ちゃん』とも言われる 獅子 文六 の小説の映画化です。 少々単純で曲がった事が嫌いな 信子 の性格付は、確かに『坊ちゃん』と似ています。 穎子 との関係が物語の主軸になっていますが、 九州訛りが抜けずに生徒にも揶揄われ校長にも注意される話や、 穎子のいたずらと感違いして寮の侵入した泥棒を退治する話など、 細かいエピソードをユーモアも込めて丁寧に積み重ねていく所が楽しい映画です。 もちろん、戦前に撮られた女学校を舞台とした学園物ということで、戦前の女学校の様子を垣間見る興味深さもあります。
女学校は校舎はもちろん寮もとてもモダンな建物。 そんなモダンな室内をシンメトリーや幾何的な構図を強調するように撮影していますし、 女学生の体操する様子をローアングルや下から見上げるようなアングルで捉えたり、 そんな画面はまさに、新興写真 [鑑賞メモ] の映画版。 野外ロケでの画面も美しく、上方から俯瞰するような引いた画面と、ローアングル気味で女学生を捉えた画面を交える、 ピクニックで失踪した穎子さんを皆で探す場面など、この映画の中でも最も美しい場面でしょう。 この美しい画面に女学生たちの「えいこさーん」という呼び声が重なるのも良いです。 テンポ良く畳み掛けるように話を進めるのではなく、 少しゆったりとしたテンポで間合いを多く取って情感を描いていく所が、さすが 清水 宏 でしょうか。
あらすじ: 「めくら」の徳市は伊豆の温泉場を巡る按摩。 感が鋭く健脚な徳市は、旅歩きの「めあき」を追い抜くことを「道楽」としていた。 そんな 徳市 がやってきた山中の鄙びた温泉場に、馬車に揺られて、謎めいた東京の女 (三沢) や、男の子を連れた男 (大村) が乗り合わせてやってきた。 宿に着いた女は按摩を頼み、それ以来、徳市を指名するようになる。 徳市は女が何かに追われて怯えていると勘付いた。 そんな女が泊まった 鯨屋 で窃盗が発生する。 男が連れていた甥の 研一 と遊んであげた事がきっかけで、男と女は知り合い、男はお礼に女を夕食に誘う。 女が男が泊まる鉋屋を訪れたとき、今度は、鉋屋で窃盗が発生する。 男は少しずつ三沢に好意を抱きはじめ、宿泊の予定を伸ばす。 しかし、はぐらかし続ける女を諦め、帰ることを甥から女に告げさせ、甥と東京へ帰る。 男が帰ることを知って女は馬車乗り場に駆け付けるが、男が乗った既に馬車は山中を走り去っっていた。 再び温泉場で盗難が発生し、警察は温泉場を封鎖した。 女を犯人と疑っていた徳市は女を逃そうと手引きをした。 一時的に隠れた路地で温泉場で続発した窃盗の犯人と決めつけ徳市は女を諭すが、 それは徳市の勘違いだと女は言い、自分は妾であり執拗に追いかける旦那から逃げていると明かす。 そして、女もまた温泉場を去っていった。
温泉宿を舞台にそこに集まる温泉客、按摩や宿の人々を描いた映画で、 グランドホテル形式ともいえますが、モダンなホテルではなく、伊豆山中の温泉宿を舞台とすることで、 グランドホテル形式とは思えないような日本的な情緒を感じさせる映画です。 物語に謎の女を中心としたミステリ的な要素も無いわけじゃないですが、 むしろ、ゆったりとした間合いの多いテンポで、温泉場での些細なエピソードをユーモアも含め情緒豊かに描いていきます。 近世から変わらない日本家屋の温泉宿の雰囲気を生かす一方、 東京からハイキングに来ている大学生や女学生のグループ、そして、鉄道駅からのアクセスである馬車など、モダンな要素の取り入れ方も絶妙。
そしてそんな情緒ある温泉を背景に、 東京の女らしいモダンな洋装も温泉での浴衣姿も似合う 高峰 三枝子 を、美しくとらえていきます。 そして、彼女をめぐる二人の男、徳市と男。 しかし三角関係という程ではなく、徳市については、女は徳市へは風変わりと興味を持っているだけで、徳市の一方的な好意。 むしろ、男との関係は、お互い仄かな好意を抱いているのに、男は甥連れという引け目もあってか積極的になりきれず、 女も謎めいた答えでぐらかして、諦めに終わってしまうという。 そんな諦めに終わる仄かな好意の描写が、情緒的な温泉場の雰囲気に合っています。 夜の温泉場の橋で二人が「銀座なんかでばったり出会っても知らん顔でしょうね」「そんなことありませんわ。……でも、わたし、東京には帰らないかもしれませんの」なんていう いかにも松竹メロドラマにありそうな会話 [関連する鑑賞メモ] で好きです。 しかし、何と言っても、二人の別れの場面、 女へ帰りを告げに行かせた甥を馬車脇で待つ男、 そして駆け付けるも間に合わずに去っていく男が乗った馬車を目で追う女、 そして、雨の中、和傘をさして寂しげに川辺を歩く女という一連の場面をほとんどセリフを用いず描くところは、 この映画の中でも最も情緒的で美しくもメロドラマチック。 今まで観た戦前の日本映画の中で、最も美しい映画です。
というわけで、この2本で、戦前松竹時代の 高峰 三枝子 の美しさを堪能しました。 戦前の映画女優で最も好きなのは 桑野 通子 ですが [関連する鑑賞メモ]、 桑野はその勝気なキャラクタが良いのでスチルでは魅力が半減する一方、高峰はスチルで絵になる美しさ、という違いを感じます。 網羅的には観ていませんが、戦前の 高峰 三枝子 映画Top 5を選んでみました。
『暖流』や『花は僞らず』のような、気品ある令嬢の役は 高峰 三枝子 のハマり役ですね。 令嬢役といえば 島津 保次郎 『婚約三羽烏』 (松竹大船, 1937) [鑑賞メモ] にも美しさが炸裂する場面がありますが、これは出番少ないということで選外。 令嬢役ではなく庶民的な町娘を演じた 大庭 秀雄 『むすめ』 (松竹大船, 1943) [鑑賞メモ] も意外な良さがありますが、 高峰 三枝子 の美しさを堪能する映画とは違います。 「歌う映画女優」という点では『純情二重唱』 (松竹大船, 1939) も重要な作品だとは思いますが、自分の好みからは外れるかしらん、と。