第一次大戦前後の1910年代から1930年代にかけての、 フランス・パリ、ドイツ、オーストリア・ウィーンと日本のモダンを巡る動向を、 アヴァンギャルドなモダニズムから装飾的なファッションやデザインの流行に近い動向まで、 その交流を含めて多面的に取り上げたデザイン展です。 一部 Musée des Arts Décoratifs (パリ装飾美術館) のものがありましたが、 ほぼ、国内の美術館等のコレクションで構成された展覧会です。
ウィーン工房 (Wiener Werkstätte) やドイツ工作連盟 (Deutscher Werkbund)、バウハウス (Bauhaus) などが有名ですが、その同時代のフランスの動向を丁寧に取り上げていました。 世紀末のアール・ヌーヴォー (Art Nouveau) より後、1920年代のアール・デコ (Art Deco) や UAM (Union des Artistes Modernes) に至る動向が、 特に、ウィーン工房とも関係付けられて紹介されていました。
鍵となる一人は服飾デザイナー Paul Poiret で、 それも、この展覧会ではウィーン工房を手本とした Poiret の工房 Atelier Martine やその教育機関 Ecolé Martine に焦点を当てていました。 もう一人は後に UAM 設立に関わり会長となる建築家 Robert Mallet-Stevens で、 UAM 以前、1910年代から1920年代にかけての建築や室内装飾のデザインの仕事などに焦点を当てていました。 他にも、建築、室内装飾、店舗デザインや家具のデザインのキーマンとして、Mallet-Stevens と協働した Francis Jourdain と彼の工房 Les Ateliers Modernes、 アルメニア生れながらウィーン育ちで1921年にパリへ移住し Art Deco 展では Sonia Delaunay と Jardin d'Eau et de Lumiere を手がける Gabriel Guévrékian などが取り上げられていました。 そして、Mallet-Stevens がセットデザインを手がけ、Atelier Martine の家具と Paul Poiret の衣裳が使われた Marcel L'Herbier の映画 L'Inhumaine 『人でなしの女』 (1924) [鑑賞メモ] が、 このような動きの象徴的な協働として上映されていました。
ウィーンやドイツでの動向でも、1920年代のウィーン工房で活躍した女性作家たちや、 Bauhaus がデッサウ (Dessau) に移る際に陶芸工房の作家が籍を移したハレ (Halle) の Burg Giebichenstein Kunsthochschule など、 見落としがちが動きをきちっと拾っていました。 同時代の日本の動向として、斎藤 佳三 の服飾デザインや 森谷 延雄 の家具デザインが「日本における生活改善運動」として紹介されていました。 展覧会全体に対する割合からすると、少々、参考展示的な印象も受けましたが。
この頃のデザインは好みということもあって、 ウィーン工房 [関連する鑑賞メモ1]、 Bauhaus [関連する鑑賞メモ1, 2]、 UAM関連 [関連する鑑賞メモ1, 2] や アール・デコ [関連する鑑賞メモ1] など、それなりに展覧会を観てきています。 この展覧会は国内の美術館等のコレクションがベースということでさほど期待はしていなかったのですが、 切口の良さもあって見応えのある展覧会でした。