2005年5月にあった タイフェスティバル、アフリカンフェスタに関する発言です。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。
去年、タイ・フード・フェスティバルへ行ったとき、 いったい東京近辺のどこにこれだけのタイ人がいるのだろうと、思ったものでした。 ステージ前に行ったら周囲はみんなタイ人になってしまいましたし。 何万人ものタイ人が代々木公園に来ていたように思います。 そんなことを思い出したので、東京近辺にタイ人街がないか検索してみました。 しかし、2ちゃんねるのスレッドとか、 アングラっぽいサイトばかりひっかかりますね。 それらの情報によると、横浜伊勢佐木町の若葉町界隈にタイ人街があるようです (出没!アド街ック天国の 横浜伊勢佐木町の回の20位)。 タイ料理店や食材店が集まっているようです。 知っていたら、野毛大道芸に行ったついでに寄ってみたのに〜。痛恨。 あと、横浜(伊勢佐木町周辺)のエスニックレストラン・食材店 というページを発見。福富町のコリアンタウンは気付いていたけど、 タイだけでなくフィリピンやベトナムの名前が見えるあたり 東南アジア系の人達のコミュニティがありそうな感じですね。 中華料理店もそれなりにあるみたいだし、観光地化した中華街より面白そうです。 いわゆる「風俗店」が多いというあたり、歌舞伎町〜大久保みたいな感じなのかしらん。
北は闇市の面影を残す野毛、西には旧赤線地帯の黄金町、 伊勢佐木町の向こう少し行くとドヤ街の寿町。 思えばディープな場所だよなぁ、あの界隈って……。 みなとみらい線が開通してジェントリフィケーションが進む海側と大違いです。
ところで、『sociologbook』に、 噂の大阪の中国朝市のレポート 「うまいもんが増えればそれでよい」 (2005/05/01) が!! いいなぁ〜。 去年、『デイリーポータルZ』 の 「コネタ010: 潜入! 中国朝市in大阪」 (2004/7/15) で読んで以来気になっていた所です。ちなみに、 「中国あれこれ No.45: 大阪の中国人朝市」 (『中国政府入札情報』, 2004/9/21) によると、もともと中国残留孤児の2世、3世が始めたのがきっかけだと言われているようです。 それが在日中国人も集めるようになった、というのも興味深いです。ふむふむ。 東京近辺にもこういう市は無いかしらん。
東京の新興のチャイナタウンといえば、先日、 池袋西口の北側へ友人に連れられて行ってきました。 ロサ会館にそれなりに行っていた1990年代前半くらいまでは、 このあたりは風俗店が多いエリアで中国系の店の記憶は無いのですが、 いつのまにか中国系の料理店/食材店/雑貨店が増えてました。 それも、観光地化したチャイナタウンのようなものではなく、 もっと生活感ある感じです。四川料理の知音食堂へ行ったのですが、 店員も客も周囲から聞こえる言葉は中国語らしき言葉ばかり。 それに高級料理ではなく家庭料理を出す店らしく、非常に安かったです。 中国系だけではなく他のアジア系の料理店/食材店の集積度もかなり上がっていて、 「歌舞伎町〜大久保」化が進行しています。 「池袋西口 エスニックマップ」 (『いけぶくろねっと』, 2005/1) なんていう地図も作られていますが、この地図よりもっと集積しているようにも思います。 検索したら、「池袋西・北口はプチチャイナタウン」とか 「池袋西口エスニック通り(仮称)」という livedoor グルメのページも発見。ふむふむ。
僕も「うまいもんが増えればそれでよい」と思いますが、 多様な音楽や踊りが楽しめる店や祭りとかが増えるともっといいな、と思います。
どうも、きしさん。昨日の発言へのレスポンスですが。 大阪はそんなにいろんな人はいませんか。 って、とりあえず在日タイ人について検索してみたら、 『サーミーWEB』 「都道府県別在日タイ人数(過去4年の傾向)」や、 「在日タイ人に関する統計」 という平成12年 (2000年) 時点の人口と人口比のランキングを見付けました。 関東甲信の都県が上位を占めていて、関西は少なめですね。 南関東よりそれを取り巻く北関東甲信、特に茨城に多いのが興味深いです。ふむふむ。 しかし、2003年末の時点で、在日タイ人の人口が40,000人にも達していない、 というのは、とても意外でした。 タイ・フード・フェスティバルで見た実感として、 来場しているタイ人だけで数万人いると思っていたからです。 2004年のタイ・フード・フェスティバルの来場者数は2日間で20万以上 (『在京タイ王国大使館 ニュースレター』 2004年 Vol.5) です。そのうち1割がタイ人で2日とも来場したとしても1万人はいたことになります。 ステージ前とか自分の周囲が全員タイ人ということもありますし、 1割というのは少なめの見積りだと思うのですが……。うーむ (多くは語らない)。
あと、大阪でも秋に天王寺公園で タイ・フード・フェスティバルをやっているようですね (『タイ王国大阪総領事館 プレスリリース』, 2004/08/26)。
サスキア・サッセン (Saskia Sassen) ですか。 グローバル・シティのデュアル・シティ化というか。 って、キーワードを聞き齧った程度なので、これを機会に読んでみようかと思います。 デイヴ・トンプソン 『2トーン・ストーリー ― スペシャルズ〜炎に包まれたポスト・パンク・ジェネレーション』 (シンコーミュージック, ISBN4-401-61922-6, 2005; Dave Thompson, Wheels Out Of Gear: 2 Tone, The Specials And A World In Flame, 2004) を半月ほど前に読んでいたわけですが、 この本の舞台となったイギリスの大都市のインナー・シティも そういう場所だったんだろうなぁ、と思ったりしていました。 ま、この本に書かれているほどには、日本はまだ殺伐としてないように思いますが……。
天気が心配でしたが、昼過ぎちょっと遅目に家を出て代々木公園へ。 タイ・フード・フェスティバル 改め タイ・フェスティバル に行ってきました。 名前から「フード」が取れたといっても、 既に食べ物に限らないフェスティバルになっていたわけで、去年と変わらず。 人出も変わらず、凄い混雑でした。 PP な友人他と無事合流して、 15時から20時まで5時間近く、野外ステージ席後方に陣どり、タイ人の人々に囲まれて、 開放的な野外で踊りや音楽を観ながらタイ料理を楽しむことができました。 良い天気とは言い難いものの、代々木公園にいる間は雨に降られることも無かったですし。 去年に続いて、 今年もステージの様子を写した画像を フォトログに載せておきました。
まずは、 The Rose Garden の Thai Village Cultural Show の 伝統的な音楽と踊りに ムエタイ (Muey Thai) を観ました。 観光っぽいといえばそうでしたが、飲食しながらまったり楽しむには良かったように思います。
というのも、続く カラバオ (Carabao) の盛り上がりが凄く、飲食する余裕が無かったからでした。 カラバオはタイでは人気があるバンドだという程度の予備知識しか無かったのですが、 ここまでの人気だとは思わなかったです。 始めはタイ語で歌う hard rock だなーとか思って聴いていましたが、 次第に演歌のような歌が増えて リコーダーや笙のような民族楽器もフィーチャーするようになり、 それにつれて席の上に立って踊ったり声を上げたり声を合わせて歌ったりと、 観客もおおいに盛り上がりっていました。 野外ステージの客席のほとんどはタイ人なわけですがまさに総立ちでした。 通訳もほとんど出ずMCも歌詞も判らないので、 どうしてこのタイミングで盛り上がるのか判らないということも少なく無かったのですが、 この盛り上がりはちょっと感動的ですらありました。 結局、予定より長く演奏していました。
ステージ最後の女性歌手 ラーンナー・カムミン (Lanna Commins) は、声調なのかこぶしなのか判断しかねるのですがそんな癖がちょっと入った アメリカ風ポップスのタイ版という印象を受けました。 盛り上がりはカラバオには負けてましたが、 一部アイドル的な盛り上がりを見せていました。 日本の観客向けに「スキヤキ」というか「上を向いて歩こう」を歌いましたが、 客からのレスポンスが無くてちょっと滑ったところはあったかも。 野外ステージの客席は日本人よりタイ人の方がずっと多いですしね……。
そんなわけで、一緒に盛り上がるには正直に言ってちょっと距離感はありますが、 タイ人に囲まれていい感じのアウェー感覚を楽しめました。 野外の解放感もいいし、こういうフェスティバルはやっぱり楽しいですね。 こんだけ集客できるのだから、 年に1度と言わず春秋とかそういう頻度でやって欲しいようにも思います。 というか、タイだけでなくもっといろいろな国がこういうフェスティバルを開いてくれれば楽しいのに、と思います。
ステージが終わった後は、代々木公園を出て、渋谷のブリティッシュ・バブで呑み直し。 パブで呑んでいる間に雨が通過してくれていてラッキーでした。
土曜は午前中には家を出て昼前に日比谷公園へ。 アフリカン・フェスタ 2005 へ行ってきました。去年より各国料理の屋台ブースが幾分薄めな印象。 毎年最強のお馴染ガーナカレー屋台に客が集中して、大変なことになってました。 一方、音楽関係は去年より格段に充実していて、とても楽しめました。 去年に続いて、 今年も写真をフォトログに載せておきました。
昼前に会場入りしたのは、開会式での 武田 ヒロユキ 率いる djembe 隊パフォーマンスに友人が参加するので、そこから観るため。 東京近辺で djembe を習っている人の過半が参加したのではないかという 総勢40人以上によるパフォーマンスは、さすがに音圧が違います。
その後、djembe な友人と合流してスーダン (Sudan) 料理とエチオピア (Sudan) 料理な昼食。 スーダン料理のオクラを使ったスープが一番美味しかったかしらん。 ガンボ風といえばそうですが、酢の酸味が効いているし。 その後、メインステージからサテライトステージに流れて 在日ガーナ (Ghana) 人の Osuman Orlando Bingle & Alheri のライブを観たり。
で、メインステージに戻って、エチオピア (Ethiopia) の 音楽 & ダンスのグループ The Cultural Troope のライブを観ました。 舞台下手に竪琴のような撥弦楽器 (krar ?)、 舞台上手にケマンチェのような擦弦楽器 (mesinqo ?)、 舞台中央に打楽器というアンサンブル。 歌手は男性と女性と両方。 女性2人男性2人による踊りは肩と胸の震わせ方に特徴のあるものでした。 リズムは8分の6拍子のものが多かったです。 女性の声を震わせるような叫び声やメリスマ入った歌い方、ミニマルな反復を感じさせる展開は、 北アフリカのベルベル (Berber) の音楽とも似ているものでした。 手拍子とか擦弦楽器の使い方はアラブ (Arab) っぽい印象も受けました。 あと、デス声の男性のコーラスが気になりました。 このちょっと北アフリカのトランス音楽に似たところもある音楽は、かなり良かったです。 ちなみに、The Cultural Troope を率いる Mulatu Astaqé (or Astake) というのは Ethio Jazz & Musique Instrumentale 1969-1974 (Ethiopiques Volume 04, Buda, 829642, 1998, CD) に収録されているミュージシャンですね。 このCDは持っておらず Astaqé は今回初めて聴いたのですが、 楽器の編成からして今回のライブでの演奏は Ethiopiques のCDでの演奏とは違いそうです。 家にあるエチオピアの音楽のCDをいくつか発掘して聴いた中では、 Betsat Sayoum & Abbebe Fekade, Urban Azmaris Of Ethiopia (Long Distance, 122166, 1995, CD) が最も近かったです。関連して検索していて、 Azmaris Poets from Addis Abeba (Zaman Production) というウェブページを見付けました。 このページの写真に載っている衣裳やドラムは舞台のものととても似ています。 このウェブページやCDからして、どうやら、舞台でやっていたのは Azmaris の音楽と踊りということのようです。 Azmaris はエチオピアにおける Griot のような吟遊詩人だそうです。 krar (a type of lyre with six chords -"the devil's instrument") と messinqo (a monochord viola played with a bow) が使われるともあります。 accordion が使われるときもあるとか。そういうのも観てみたかったようにも思います。
こういうライブを聴いてしまうと、この Buda レーベルの Ethiopiques シリーズを買い揃えてしまいたくなります。 しかし、既に19タイトルもリリースされているし、買ってもいつ聴くんだという……。
続いて、メインステージで Bembeya Jazz National や Africando への参加で知られる ギニア (Guinea) の Sekouba Bambino Diabate のライブを観ました。 バンドは舞台下手に 弾弦楽器 ngoni がいて、 舞台上手で electric bass と balafon、 conga を2人のミュージシャンが適宜持ち替えて演奏していました。 Bambino のは中央で曲によっては acoustic guitar を弾きながら歌うのですが、 Griot らしいマイクが要らないと思うほど高く通る声が気持ちよかったです。 舞台前に座る大使館関係者を讃えていると思われる歌を即興で歌ったり、 それに応じて西アフリカ系と思われる観客が祝儀のお札を Bambino に渡したり、 舞台に上がって踊りだしたり、と、周囲の盛り上がりも楽しいパフォーマンスでした。 Bambino の義兄にあたるというオスマン・サンコン (Ousman Youra Sankhon) が応援に駆けつけていました。 あまりMCしませんでしたが、何を歌っていたのかとかどうしてお札を渡すのかとか 日本語での解説を入れてもらえたら嬉しかったなぁと思ったりしました。
Mulatu Astaqé 率いる The Cultural Troupe に Sekouba Bambino Diabate と 今年のアフリカン・フェスタは大物といっていいミュージシャンが来ていたわけですが、 これは、愛知万博のために来日しているからのようです。 このクラスのミュージシャンが毎年アフリカン・フェスタに来てくれれば嬉しいのですが……。
野外の解放感ある空間で、屋台料理を食べながら、音楽や踊りを楽しむというのは、 やっぱりいいものです。 タイ、アフリカといわず、もっといろいろな国がこういうフェスティバルを開いてくれたら、と思います。
wab さん、土曜はとても楽しかったですね。天気も良く、野外フェス日和でしたし。 djembe 隊に参加した 友人の話では、 アンゴラ (Angola) の舞踊団 Kilandukilo も良かったとのこと。 途中で駒場〜下北沢に行くなんて半端なことをせずに、 最後まで日比谷公園にいればよかったです……。
フードコーナーの屋台の数は去年とたいして変わらなかったように思うのですが、 メニューが微妙に見劣りしたような印象を受けました。 東京近辺にあるアフリカ料理店が出している屋台と 大使館関係者がやっていると思われる屋台があるわけですが、 今年は後者が元気無かったような印象を受けました。 去年もガーナカレーは人気ありましたが、あそこまで一人勝ちではなかったですし。
Mulatu Astaqé に関する情報ありがとうございます。 Astaqé はステージ脇にいて演奏はしていなかったのですね。 エチオピア各地の民謡を取り上げていたということですが、 途中でダンサーが衣裳を何回も替えていたのも、 曲に合わせてその土地の衣裳を着るためだったのでしょうね。 ところで、エチオピア (Ethiopia) を日本語で紹介するホームページ 『エチオピアベット』 というサイトを見付けたのですが、ここはかなり参考になりました (wab さんにとっては御存じのことが多いかもしれませんが……)。 「音楽」 のページの「民俗音楽」の所に書かれているような音楽や踊りが The Cultural Troope の音楽と踊りのベースになっていたように思われます。 アズマリ (azmari(s)) というのはそのダンサー兼歌手のことで、そういう音楽を楽しむ店 (酒場) を アズマリベット (azmari bet) といい、 特に観光化されたものというわけではなくて一般に普通に楽しまれているものなんですね。 Astaqé がそれをどこまで弄っていたのかは判断しかねますが。 日比谷の舞台で使われていた マシンコ (messinqo)、ケペロ (kebro)、クラール (krar) も 楽器のページに出ています。 ダンスのページによると、 日比谷での舞台の前半に特に特徴的だった肩から胸を揺するような踊りは ウスクスタ (eskista) というようです。
土曜は昼過ぎちょっと遅く代々木公園へ。 スリランカ・フェスティバル 2005 に行ってきました。 去年から始まったのですが終わった後に気付いたので、行くのは今年が初めて。 料理や各種雑貨の屋台にステージでのショー、という感じで、 5月のタイ・フェスティバル (関連発言) の スリランカ版といったところでしょうか。といっても、規模や賑わいは及びません。 ステージのショーに大物ミュージシャンが来るわけでもありません。 屋台の美味しさもタイの方が上に感じられました。 しかし、ゆったりのんびりできるというのはいいかも。 予報に反して天気にも恵まれ、屋台の料理や酒を飲み喰いしながら、 チャンナ・ウプリ (Channa Upuli) 舞踊団 の美しい女性ダンサーたちの麗しい踊りや ドラムの伴奏によるスリリングなファイアー・ダンスなど、 充分楽しめました (フォトログ)。 インドネシアにもダンドゥッドのような腰振りダンスがあるのに、 今回の舞台ではあまり腰振り的な要素が無かったのが興味深かったです。 音楽は南インド音楽に似たところもあったように感じました。なるほど〜。 日曜もやってますのでフェスティバル好きな方は是非どうぞ。