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1980s US Indies について

2006年3月頃の1980年代の US の独立系レーベルに関する一連の発言の抜粋です。 古い発言ほど上になっています。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 リンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。

[1574] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Mar 16 0:43:04 2006

火曜の夜は、増田さん送別会。 呑みながら楽しい会話を楽しむことができました。といっても、 ちょうど対面の席になった某MH氏 (あえて名を伏せる) との 「およそ人類の進歩に寄与しないような音楽オタク話」 (by MH氏。音楽といっても主に jazz の話ですが) で、 周囲をおもいっきりドン引きさせてしまいました。 もっと軽妙な会話を楽しめるようでなければいけないですね。しくしく。 って、それが出来れは今の自分のようにはなってない、 という話はありますが。

で、最近?D界隈を賑わしたという「Pixies はオシャレ」論争 (すいません、この話はほとんどフォローできていなくて、 参照すべき先が判りません。ここでの話のとは関係ないので、リンクは省略。) の話を契機に、 「人類の発展に全く貢献しないような楽しい音楽昔話大会」 (by MH氏) というか、 1980年代半ばにおける US indies の受容の話になったわけですが、 呑み話の常としていろいろアレな所もあったので、 事実関係を確認しつつ、ここでフォロー。

1985〜6年というのは主要な UK indies による US indies (label/band) の紹介が 本格化した時期でした。その先駆けの一つが、 1983年から始まる Rough Trade による Slash (1981年設立のロサンジェルス (Los Angels, CA) のレーベル) のライセンス・リリース (The Dream Syndicate, Violent Femmes, Los Lobos, etc) と言えるのではないかと思います。そして、この一連のライセンスリリースを中心に 日本で編集したコンピレーションが、1985年にリリースされた Various Artists, George Washington & The Cherry Tree (Rough Trade / 徳間 Japan, 25RTL-3006, 1985, LP) です (5年余前になりますが関連発言)。

一方、1985年に Blast FirstMute のサブレーベルとして 設立されました (BBC Radio 1 による解説記事 "Label Of The Month: Blast First" (2004/07/21) が参考になります)。 ニューヨーク (New York, NY) のバンド Sonic Youth のレコードが UKで入手困難であることを不満に感じていた Doublevision の Paul Smith による設立で、第一弾は Sonic Youth, Bad Moon Rising (Homestead, HMS016 / Blast First, BFFP1, 1985, LP) でした。 その後、Blast First は Homestead (1983年に NY で設立された独立系配給会社 Dutch East India のレーベル) や SST (1978年設立のロサンジェルスのレーベル。SST については Dave Lang, "The SST Records Story" (Perfect Sound Forever, 1998/7) が参考になります) からリリースされるような US のバンドを UK で積極的にリリースするレーベルとなります。 火曜の呑みの席で Blast First 設立は1980年代半ばだと言ったら、 もっと後だと言われてしまいましたが、やはり、この時期でした。

そして、4AD も 1986年にボストン (Boston, MA) のバンド Throwing Music と契約し、 Throwing Muses (4AD, CAD607, 1986, LP) をリリースします。 少し遅れて同郷のバンド PixiesCome On Pilgrim (4AD, MAD709, 1987, MLP) でこれに続きました。

このように Rough Trade, Mute, 4AD といった 1980年前後設立のレーベルの役割がシフトする中で、 それに代わるように浮上した UK indies シーンが、NME C86 界隈だった、と。 5年前に書いたときには Rough Trade にしか触れませんでしたし、 Mute / Blast First や 4AD の契約等の形態は Rough Trade の場合とは異なりますが、 少なくとも当時の自分は、Throwing Muses や Pixies の 4AD からのリリースを このような文脈で捉えていました。 このような1980年前後設立の UK indies の変化をきっかけに 自分は US indies を受容したわけですが、 当時の自分は音楽雑誌をほとんど読んでいなかったので、 日本における一般的な US indies の受容かどうかは判りませんが……。 あと、当時 Pixies を聴くことがオシャレだったかどうかも知りません。

ここまでで挙がったロサンジェルスの SST や Slash、ニューヨークの Homestead と同世代の punk 以降第一世代の US indies としては、 サンフランシスコ (San Francisco, CA) の Alternative Tentacles (1979年設立)、 シカゴ (Chicago, IL) の Touch And Go (1979年設立)、 ミネアポリス (Minneapolis, MN) の Twin/Tone (1978年設立)、 ワシントンDC (Washington DC) の Dischord (1980年設立)、 アセンズ (Athens, GA) の DB Recs (1978年設立) (DB Recs については、 "Carnival Of Sorts: The Athens Music Scene, Then And Now" (Georgia Music Hall of Fame) が参考になります) が挙げられるように思います。レーベルの色は必ずしも一緒ではないですが。 (しかし、Homestead も SST や Touch And Go と同じく1970年代末くらいからあると思い込んでいましたが、 調べてみたら1983年設立。これは意外でした。 そういう点では、Homestead は第一世代と第二世代の中間に位置するレーベル と言った方が適切かもしれません。)

そして、これに続く第二世代の US indies として、 1990年前後に隆盛する US indie pop / alt rock の先駆ともいえる オリンピア (Olympia, WA) の K (1982年設立。しかし、実質的な活動は1984〜5年頃から)、 シアトル (Seattle, WA) の Sub Pop (ファンジンは1980年創刊。レーベルとしての活動は1986年から)、 アーリントン (Arlington, VA) の TeenBeat (1985年設立) といったレーベルが挙げられます。 そして、これらが US における NME C86 の対応物とも言えるように思います。 そして、US indies 第三世代は、1990年前後のブームの中で沢山設立された レーベル (Mammoth, Kill Rock Stars, Simple Machine, Parasol, ....) と 言えるでしょう。 第三世代の多くは第二世代のフォロワーだったように思いますが、そんな中で、 ニューヨークの Matador (1989年設立) や シカゴの Drag City (1989年設立) が、 indie pop / alt rock を受けつつも、 USにおいて1990年半ばの post-rock への道を付けたように思います。

なんて書いていたら、Postpunk ML の 最初期に連載(?)していた「USインディー講座」のことを思い出してしまいました。 もう15年前のことか……(遠い目)。 というか、この3月の頭で Postpunk ML は15周年だったのですよね。 そういえば、15周年イベントをするという話もあったような……。

[1580] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 19 10:57:04 2006

ところで、火曜晩の呑みの席で、 1985年頃の UK indies による US indies の紹介のをした時に、 Various Artists, George Washington & The Cherry Tree (Rough Trade / 徳間 Japan, 25RTL-3006, 1985, LP) と Mute 傘下の Blast First レーベル設立を、同じ文脈に乗る出来事として話したら、 少々意外に思われたような反応がありました。 確かに、George Washington & The Cherry Tree は 「US におけるネオアコ」的な内容とも言えますし、 一方、当時の Blast First 界隈の音は「ジャンク」とも言われていましたし、 そういう面だけ見ると正反対に感じるのかもしれません。 しかし、その文脈はそんなに遠いものではなかったように思っています。 当時の自分もそう感じていました。そういった話について、ちょっとフォローアップ。

George Washington & The Cherry Tree は 1980年代前半にロサンジェルス (LA; Los Angeles, CA, USA) から出てきた Paisley Underground のバンドを中心に編纂されていました。 この Paisley Underground について、 Steve Wynn (ex-The Dream Syndicate) へのインタビューを基にした記事 John L. Micek, "Tell Me When It's Over: The Paisley Underground Reconsidered" (PopMatters, 2002/4/30) という記事があります。その記事の中に、こんな下りがあります。

Paisley Underground を構成したバンドたちは、 初期のアメリカのアンダーグランドと その後10年続くモダンなオルナタティヴ・ロックやオルタナ・カントリー (alt.country) の間を直接的にリンクさせている。
The bands that made up the Paisley Underground provide a direct link between the early American underground and the modern alternative rock and alt.country that was to follow a decade later.

例えば、Salvation Army 〜 Three O'Clock (Michael Quercio) や The Long Ryders をリリースしていた Frontier (1980年設立) にしても、 The Dream Syndicate をリリースしていた Slash (1981年設立) にしても、 underground LA punk のレーベルでした。 Frontier といえば Circle Jerks、Slash といえば X や The Germs という感じで、 Paisley Underground 直前はジャンクと言っていいような LA punk を メインにリリースしていたのです。 こういった当時の LA シーンについては、Frontier レーベルのサイトに載っている "The Frontier Saga" も、お薦めです。 そういう背景からしても、Blast First 界隈と Paisley Underground 界隈は、 そんな遠いものではなかったと思っています。

当時の自分について言えば、最初にレコードを買い揃えようと決めたバンドが Depeche Mode、Joy Division / New Order、Cocteau Twins、The Smiths、Everything But The Girl だった (関連発言) くらいで、 自分には音楽のスタイルに対する拘りはあまり無く、 むしろ、多様なスタイルが混在並立していることも「インディーズ」の面白さだと思って楽しんでいました。 そして、1985年頃に出会った Paisley Underground 界隈と Blast First 界隈との違いも、 むしろ「インディーズ」らしいと思っていました。 当時の自分が George Washington & The Cherry Tree のリリースと Mute 傘下の Blast First レーベル設立を同じ文脈に乗る出来事して感じたのは、 そういった自分の音楽の聴き方もあるかもしれません。

話が逸れますが、alt.country のカタカナ表記を今まで知らなかったので 検索してみたのですが、どうやら「オルタナ・カントリー」が一般的のようですね。 なるほどー、そのまま「オルト」とカタカナ化せずに、 意味をふまえて置き換えてるんですね。 けど、alt.culture は「オルタカルチャー」なんだなぁ。ふむ。

[1594] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Mar 30 23:36:38 2006

Michael Azerrad, Our Band Could Be Your Life: Scenes from the American Indie Underground, 1981-1991 (Little Brown, 2001, hardcover / Back Bay Books, ISBN0-316-78753-1, 2002, paperback) という、1980s の US indies に関する本を、先日入手して、読んでいます。 5年ほど前に出た本ですが、遅れ馳せながら。 1980年代の US indie 受容の話 (関連発言 1, 2) を書いていて、 漠然とした自分の記憶ばかりに頼って書くのも良くないな、と思って。 まだ、どんな枠組で書かれていて、どこにどんなことが書いてありそうか、 序章を中心にざっと斜め読みしている段階ですが、 興味深い本ですし、目を通した範囲で紹介。 自分への備忘録も兼ねて。

この本は、1980s の US indie rock/pop のグループのメンバーやレーベルの主宰者へのインタビュー、 当時のファンジンや一般の新聞記事を基に辿る、1980s US indies 史の本です。 Simon Reynolds が Rip It Up And Start Again: Post-Punk 1978-1984 (Faber & Faber, ISBN0-571-21569-6, 2005) (関連発言) で採ったようなジャンル批評的な記述―― レーベルや街、スタイル等でまとめられるシーン毎の記述ではなく、 伝記のようにある特定のグループに焦点を当てて章が立てられ記述されています。 アーティスト中心の歴史観とも言えます。

章が立てられているのは次の13グループです: Black Flag, The Minutemen, Mission Of Burma, Minor Threat, Hüsker Dü, The Replacements, Sonic Youth, The Butthole Surfers, Big Black, Dinosaur Jr., Fugazi, Mudhoney, Beat Happening。 このバンドの選択は pop 的、もしくは folk 〜 alt country 的なバンドが少く、 rock 的なイデオムの強い punk rock 〜 alt rock 的なバンドに 偏っているようにも感じます。実際、著者もこう書いています (p.4、引用者訳)。

この本は1981-1991のアメリカのインディー・ムーヴメントの完全な歴史というわけではない。この本では、特に SST、Dischord、Touch & Go と SubPop に注意を払っているが、革命を起こしたレーベルはこれらのレーベルだけというには程遠い。他にも、Slash、Taang!、Frontier、Posh Boy、Coyote、Alternative Tentacles、Dangerhouse、Bar/None、Pitch-A-Tent、Wax Trax など数え切れないレーベルがあった。それら全てについて書くのは不可能だ。

この本の扱っている1981-1991年という期間のうち、終りの1991年というのは、 Nirvana が Nevermind をリリースした年です。 つまり、もはや "underground" ではなくなった年を意味しています。 一方、先日ここ談話室に書いたように、 punk 以降の US indies の第一世代というのは1978年頃から設立され始めているので、 1981年という始まりの年については、少々半端な印象を受けます。 この1981年について、著者はこう述べています (p.4、引用者訳)。

Nevermind の10年前、Sonic Youth が結成され、Minutemen と The Replacements がファースト・アルバムをリリースし、Hüsker Dü がファースト・シングルをリリース、Henry Rollins が Black Flag に参加し、Mission Of Burma と Minor Threat がファースト・シングルをリリース、R.E.M. が画期的なデビューシングル "Radio Free Europe"/"Sitting Still" を Hib-Tone Records からリリースした。そして、アメリカのアンダーグラウンド文化において非常に大きな不満の標的となった Ronald Regan の第一期の任期が始まった。アメリカの現在のアンダーグラウンド・ロックにとって将来的に大きな影響力を与える出来事があったのが1981年だった。しかし、その時に何が始まったのか理解されるまでに何年もかかった。

Nevermind の10年前という区切りの良さもあるような気もしますが、 この本の章立てにも反映されているように、1981年という時代区分設定は、 著者のアーティスト中心の歴史観の反映のようにも思います。 もちろん、Regan 政権成立という社会的な背景の変化も、 時代を区分するのに重要な出来事でしょう。

著者の Azerrad は、Nirvana / Kurt Cobain の伝記本 Come As You Are: The Story of Nirvana (Main Street Books / Virgin, 1993) の著者です。この Nirvana 伝記本は、 『病んだ魂 ―― ニルヴァーナ・ヒストリー』 (ロッキングオン, ISBN4947599294, 1994) として邦訳も出ています。

Our Band Could Be Your Life のような伝記的というかミュージシャン中心の歴史記述よりも、 Reynolds の Rip It Up And Start Again のようなジャンル批評的な面を持つ歴史記述の方が、 正直に言えば僕は好みです。 しかし、以前に Nirvana 伝記本 Come As You Are を書いているように、 これがこの著者の得意とするスタイルなのかもしれません。 また、そういった全体の枠組は別として、 インタビューに基づく記述が多く当事者の証言という点で、 個々のエピソードは興味深く読めそうに思います。 今のところ、事実関係の正確さについては判断しかねますが。

この本がカヴァーしきれていない所も少くないので、 補完するようなもう一つの 1980s US indies 史、 特に folk 的というか、alt country に繋がるような US indies の系譜を記述している本も読みたいように思います。 もしそういう本でお薦めのものを御存じでしたら、是非教えてください。 あと枝葉末節ですが、 Our Band Could Be Your Life では "The Minutemen" で表記が統一されていますが、 彼らのレコードのクレジットは通常 "The" が付いていない "Minutemen" なので、 どうも違和感を覚えます……。

Simon Reynolds, Rip It Up And Start Again も日本語訳が早く出ないかなぁと常々思っている一冊ですが、この、 Michael Azerrad, Our Band Could Be Your Life も日本語訳が出たらいいのに、と思います。 断片的なロックレコードガイドのような本を乱発するくらいなら、 こういう歴史本をもっとちゃんと翻訳して紹介すればいいのに、 とも思ってしまいます。 (ま、売れないので出ないのでしょうが……。)

[1760] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Oct 15 23:55:29 2006

積観DVD消化中、ということで、まずは、 1980年代前半の US indie シーンから出てきた rock グループ R.E.M. の indie というか I.R.S. 時代の映像アンソロジー When The Light Is Mine: The Best Of The I.R.S. Years 1982-1987 Video Collection (I.R.S. / Capitol, 09463-69944-9-9, 2006, DVD(NTSC))。 Succumbs (I.R.S. / A&M, VC61710, 1987, VHS) 完全収録。 つまり、半分ほどは既に観たことある映像でしたが、 R.E.M. といったら断然 I.R.S. 時代が最高、 と思っている自分にとってはとても嬉しいDVD化でした。 特に、"Fall On Me" は名曲ですし、そのビデオも大好きですし、 これがやっとDVDになったか、と、感慨深いです。 あと、"Finest Worksong" のビデオはこれで初めて観ましたが、 これも Russian Avant-Garde のパロディみたいで、悪くなかったです。 しかし、"Left Of Reckoning" をはじめ、 低予算 D.I.Y. 的実験映画風の映像が多いので、 しかし、当時のファン以外、メジャーになってからのファンに対しても 楽しめるのかどうか微妙なところかしらん……。

もちろん、併せて、音楽のみのアンソロジー And I Feel Fine: The Best Of The I.R.S. Years 1982-1987 (I.R.S. / Capitol, 09463-75284-2-6, 2006, 2CD) も入手。目当ては bunus CD のレア音源集ですが、やはり重箱の隅感は否めません。 1枚目のベスト盤も曲順が制作年代順ではないことに聴いていて違和感を覚えます。 正直、R.E.M. の入門なら、この2枚組より、 当時のベスト盤 Eponymous (I.R.S., 1988) と レア音源集 Dead Letter Office (I.R.S., 1987) から入ることを薦めます。 うーむ。ベスト盤 & レア音源商法にひっかかった気分。

これに関連して、勢いで、 Athens, GA Inside Out (Tony Gayton (dir.), 1987; Music Video Distributors, DR-1139, 2003, DVD(NTSC)) を観ました。 当時、この映画の存在は知っていましたが、観たのは初めて。 The B-52'sR.E.M. の登場によって当時注目を集めていた 1980年代前半のジョージア州の大学町アセンズ (Athens, GA, USA) の インデペンデントな音楽シーンを捉えたドキュメンタリです。 アセンズの indie rock シーンは1990年代に入って完全に失速してしまい、 そういうシーンがあったことすら忘れ去られつつあるように感じることもありますが、 このシーンについては、 "Athens Music History" @ Georgia Music Hall of Fame がよくまとまっています。 R.E.M. がメジャー移籍する前の1987年に制作されただけあって、 現在進行形的に当時の雰囲気が捉えられているような感じがとても興味深く、 そして楽しめました。 フィーチャーされているのは、以下のミュージシャンや関連するアーティストです。

R.E.M., B-52's, B-B-Que Killers, Time Toy, Jim Herbert, Flat Duo Jets, John Seawright, Howard Finster, Dreams So Real, Love Tractor, John D. Ruth, Kilkenny Cats, Squalls, Pylon

冒頭から、post-punk pop な B-52's、alt/indie rock な R.E.M.、hardcore な B-B-Que Killers と続くあたりが、いい感じです。 D.I.Y.的なインデペンデントという枠組の中で、 様々なグループやスタイルが競争したり排他するのではなく共存し、 多様性を保ったシーンが形成されていた、という雰囲気が感じられるのが、とても好感。 もちろん、音楽シーンの背景にあるアセンズの街の雰囲気も伺われるのも、映像ならでは。 あと、Howard Finster と John D. Ruth という2人の地元の folk/outsider art のアーティスト (Outsider Art: Journeys: United States @ Tate Britain) が出てくるのも興味深いです。 映画の中で、Finster は Flat Duo Jets の Dexter Romweber とセッションしています。

個人的には、当時の Pylon の動く映像が観られただけでもとても嬉しかったです。 メジャーな R.E.M. や B-52's も好きですし、 Love Tracter だって1990年代だったら Tortoise や Trans Am のようなグループにも 比されたんじゃないかと思うくらい良いグループだと思いますが、 やっぱりアセンズのグループの中では僕にとっては Pylon がベスト。 エッジの効いた guitar に、ダンサブルなビート、そして、 抽象的な歌詞をキツい感じの声で歌う女性歌手 Vanessa Briscoe-Hay の歌唱は、 まさに post-punk 流儀です。もっと評価されていいと思うんですが……。 しかし、現在の Vanessa の体形はいったい……。

[1786] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Nov 23 3:00:09 2006

渋谷の映画ミニシアター シアターN『USハードコア・フィルム・フェス』 という 1980s US indies / hardcore のグループのドキュメンタリー映画の特集上映をやっています (11/24まで)。 22日の晩はその企画として上映されている 『ミニットメン:ウィ・ジャム・エコノ』 (We Jam Econo: The Story Of The Minutemen, 2005) を観てきました。実は夏頃に We Jam Econo: The Story Of The Minutemen (Plexifilm, 028, 2006, 2DVD(NTSC/0)) を入手済なのですが、積観のまま今に至ってしまったという……。 音楽のドキュメンタリーですし、これを機会に大きな音で観ておこうと。 シアターNは、水曜は1000円で観られますし。 いきつけのジャズ喫茶に寄ったついでにという感じで行かれますし。

The Minutemen はロサンジェルス (Los Angeles, CA, USA) 近郊の町サン・ペドロ (San Pedro) 出身の D. Boon (guitar)、Mike Watt (bass)、George Hurley (drums) の3人組です。 1980年にロサンジェルスの独立系レーベル SST レーベルからデビューし、 1985年に D. Boon の交通事故死によりその活動を終えました。 Watt と Hurley はその後も US indie/alternative シーンで活動を続けています。

The Minutemen は1980年代半ばに US indies を聴きだした頃から好きだったグループ (関連発言) で、実はそれなりに思入れがあったりします。最も好きな作品は、やっぱり Double Nickels On The Dime (SST, SST028, 1983, 2LP / SSTCD028, ?, CD)。

構成は、現在の Mike Watt へのインタビュー映像 (今のソファーでCDのジャケットを見ながら、 及び、サンペドロの縁の場所を Watt の運転する車で巡りながら) と 当時の (おそらく1984年末頃。R.E.M.とのツアー直前) の3人揃ってのインタビュー映像を軸に、 The Minutemen の結成前から D. Boon の死までの歴史を辿るというもの。 1980s US indies を中心した錚々たる面子のインタビューも 証言集という感じでフィーチャーされていますが、 一番の見どころはやはり当時のライブ映像。 テレビとほとんど無縁の underground indie のグループだけに、 3人揃ってのインタビュー映像はもちろん、ここまでライブ映像が残っていたというのも感心。 もちろん、ライブ映像というか動く彼らを見るのは初めてでしたが、 太った D. Boon はここまでステージを跳ね回る人だったのか、と驚きました。 観客にツバをはきかけられたり、アンプのプラグを抜かれたり、といった、 観客とのトラブルの様子の映像も映画に使われているのが面白いです。

Michael Azerrad, Our Band Could Be Your Life: Scenes from the American Indie Underground, 1981-1991 (Little Brown, 2001, hardcover / Back Bay Books, ISBN0-316-78753-1, 2002, paperback) を半年ほど前に読んだばかり (関連発言) ということもあり、 その The Minutemen の章に書かれていて印象に残っていたエピソードと重なる所も少くないと思いつつ観ていました。 UK の punk 〜 post punk のグループの中では Wire と The Pop Group の影響を受けたこと、 Hüsker Dü の2枚組アルバム Zen Arcade (1983) への対抗心で 2枚組48曲入りの Double Nickels On The Dime (1983) を作ったこと、 R.E.M. と回った1985年の全米ツアーの最後に R.E.M. と一緒に Television, "See No Evil" をジャムったこと、 そのとき Mike Watt は普段の bass でなく Peter Buck (R.E.M.) の Rickenbacker を弾いたこと、 そしてそれが Mike Watt の D. Boon との最後の演奏になってしまったこと、 D. Boon の交通事故死の直前にロック評論家でもあった作家の Richard Meltzer と一緒に録音する話があり10の詩を受け取っていたこと、などですが。

むしろ、映画を観て印象に残ったのは、 プア・ホワイトというか労働者階級のグラスルーツなDIYそのもの、といった彼らの姿でした。 現代美術作家 Raymond Pettibon (関連レビュー) や作家/ロック評論家 Richard Meltzer と交流があったし、 当時の US punk / hardcore の中でも特に抽象的かつ政治的につコンシャスな歌詞を歌っていたので、 少しはアーティーな雰囲気やバックグラウンドもあったのではないかと想像していたので、意外でした。 Raymond Pettibon (SSTレーベル主宰の Greg Ginn (Big Black) の弟) に勧められて、 Dada や Futurism の本を読んだり John Coltrane を聴くようになった、 と映画の中で Mike Watt は言っていました。

あと、jazz/improv シーンもそれなりにフォローしている者にとっては、 Nels Cline (Mike Watt のグループ The Crew Of The Flying Saucer 〜 Banyan に参加している) が出てきたり、Vinny Golia の名前が出てきたり、というのも気になりました。 やっぱり、LA の underground jazz シーンもそう遠くはなかったのかなと。