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読書メモ: 岡田 暁生 『オペラの運命 —— 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』

[2480] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Aug 31 1:13:14 2009

『西洋音楽史 —— 「クラシック」の黄昏』 (中公新書 1816. ISBN4-12-101816-8. 2005-10-25) を以前に読んだとき、 当然、この本の存在にも気付いていました。 その時は、特にオペラについて読むことはないか、と、読まず仕舞。 最近になって、Barenboim/Chéreau の Alban Berg: Wozzeck や Boulez/Chéreau の Leoš Janáček: From The House Of The Dead (Z Mrtvého Domu)DVDで観て、少々オペラに興味をひかれたので、 今さらながら遡って手に取ってみました。 期待通り興味深く読めたので、読書メモ。

岡田 暁生 『オペラの運命 —— 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』
中公新書 1585. ISBN4-12-101585-1. 2001-04-25.

作品だけではなく上演と受容の形態を通して 「徹頭徹尾十九世紀的な現象」という歴史上の産物としてのオペラを描いた本です。 十九世紀ヨーロッパの社会状況と関連付けて描かれており、 オペラを通して描く十九世紀ヨーロッパ文化史としても読める本です。 このような所は『西洋音楽史』と同様です。

この7月にDVDで Wozzeck観る前まで、 なんとなく退屈そうという印象がオペラにはあり、それでオペラを敬遠していました。 しかし、その理由とおぼしきものをこの本を読んで自覚できたのが、収穫の一つでした。 第一章第3節「オペラの三つの根本性格」によると、 オペラは、バロック時代 (17世紀) の宮廷文化にルーツを持つ 浪費性、儀礼性、予定調和性という性格を持っていると。 そして、その文化史的前提を知らずして、オペラに馴染むのは難しい、と指摘しています。 オペラが持つこのような性格にはオペラ文化成立経緯から歴史的必然があると、 この本は示しています。

実は、観る前は、Alban Berg 作とはいえ Wozzeck も 所詮はオペラだろう、なんて思っていました。 しかし、この本では、Wozzeck を 「もはやオペラとは言えないオペラ」を代表する作品として扱っています。 また、この本のLD・DVDの手引きのページでは、Boulez/Chéreau の Richard Wagner: Der Ring Des Nibelungen を「前衛演出のワグナー」として推薦しています。 しかし、入院中に観る DVD として Patrice Chéreau 演出のものを選んだ時点では、 Chéreau が Boulez と組んでの前衛演出で知られている演出家だとは知らず、 選んだ理由も単に在庫ありで確実に入院前に届きそうだからだったのでした。 そこで、よりによって Chéreau 演出のものを引いてしまうとは、我ながら引きが強いというか……。 「こんなオペラもあったのか」と思うのも、ある意味、当然かもしれません。

興味深く読めたもう一点は、第三章の19世紀前半パリのグランド・オペラの下り。 特に、最大限の「ビジュアル効果」を得るために「ハイテク装置」駆使した 映画・テレビの先駆だったことや、 当時流行したパノラマ館のグランド・オペラへの影響の話。 また、Richard Wagner のオペラの話では、 光を駆使した舞台を手がけた Adolphe Appia も登場します。 このような話は、去年読んだ ヴォルフガング・シヴェルブシュ (Wolfgang Schivelbusch) の本2冊、 『闇をひらく光 —— 19世紀における照明の歴史』 (法政大学出版局, 1988; Zur Geschichte der künstlichen Helligkeit im 19. Jahrhundert, 1983) [読書メモ] と 『光と影のドラマトゥルギー —— 20世紀における電気照明の登場』 (法政大学出版局, 1997; Licht Schein Und Wahn: Auftritte der elektrischen Beleuchtung im 20. Jahrhundert, 1992) [読書メモ] での舞台照明や映画に関する話を、 照明技術ではなくオペラ文化の観点から読むような面白さがありました。

『オペラの運命』では、「ポスト・ワグナー時代の三つのオペラ潮流」として、 「偉大な記念碑を崇拝する神殿」「聖遺物を保存する博物館」「過去の伝統を解体する実験場」 を挙げています。これは、ニーチェ『反時代的考察』における歴史の3つのありよう、 「記念碑」としての歴史、「骨董品」としての歴史、「批判対象」としての歴史 に倣った言い方とのこと。 そして、最初の「偉大な記念碑を崇拝する神殿」としてのオペラは、 「しょせんロマン派音楽最後の徒花であって、第一次世界大戦を境に一九二〇年代には消滅することになる」と。 また、一九二〇年代以降、娯楽産業としてのオペラは映画に取って代わられると。

続く新書『西洋音楽史』では、20世紀後半は 前衛音楽、巨匠の名演、ポピュラー音楽の三つの道の並走であると述べていましたが、 三つのオペラ潮流はその原型とも言えるものでしょう。 前衛音楽は「過去の伝統を解体する実験場」、 巨匠の名演は「聖遺物を保存する博物館」に対応しています。 一方、ポピュラー音楽は、「偉大な記念碑を崇拝する神殿」というよりも「映画」に対応します。 『オペラの運命』では「偉大な記念碑を崇拝する神殿」と「映画」は特に関係付けられていませんが、 「「市民に夢と感動を与える音楽」という美学」という ロマン派についての『西洋音楽史』の言い回しを拝借すれば、 メインストリームの (ハリウッド等で制作される商業的な) 映画は 「市民に夢と感動を与える視覚芸術」としてのオペラの継承者であると言えるでしょうし。 今年の頭に観た Seven Ages Of Rock [レビュー] での特に “Studium Rock” あたりの描写を思い出しつつ、 「夢と感動を与える」ポピュラー音楽や映画というのは 「偉大な記念碑を崇拝する神殿」のなれの果てと言えるかもしれないなあ、と、 思ったりもしました。 もちろん、この三つの流れというのは、 ポピュラー音楽や映画の内部でも見られるものです。 ジャンル展開を考察するときに、何かと使えそうな切り口です。

もちろん、こういう本を読んでいると、具体的に作品を観たくなります。 バロック・オペラ、オペラ・ブッファ、グランド・オペラや国民オペラについても、 時間が許せばこの本で挙げられている作品を観るのも悪くはないかな、とは思います。 しかし、積極的に観てみたいと思ったのは、 この本ではほとんど蛇足的な部分になってしまいますが、やはり、第一次大戦以降、 大戦間期の時事オペラ (Zeitoper) や前衛的なオペラでした。 時事オペラなどは大戦間期の徒花かもしれませんが、 徒花的な面も含めてその時代のモダニズムに興味がありますし。 Paul Hindemith: Neues vom Tage (『今日のニュース』, 1929) や Ernst Krenek: Jonny Spielt Auf (『ジョニーは演奏する』, 1926)、 あと、シュールな異化オペラとして Kurt Weill: Die Dreigroschenoper (『三文オペラ』, 1928) と並んで挙げられている Ferruccio Busoni: Arlecchino (『アルレッキーノ』, 1917) や Igor Stravinsky: Oedipus Rex (『エディプス王』, 1927)。 あと、Dmitri Shostakovich: The Nose (Нос) (『鼻』, 1930)。

ちなみに、Stravinsky: Oedipus Rex は 1992年の Seiji Ozawa/Julie Taymor による日本・松本公演がDVD化されていますね (Philips Classics, 074 3077, 2005, DVD)。 Shostakovich: The Nose は 新書が出た2000年にはLDがリリースされていたようですが、DVDにはなっていない模様。残念。 Weill: Die Dreigroschenper は Nina Hagen をフィーチャーした Ensemble Modern による録音 (RCA Victor Red Seal, 74321-66133-2, 1999, 2CD) を持っているのですが、正直、音だけで聴き通すのは辛い物があります。 もし映像も収録されていたならDVD化してくれないかなあ、と、思っているのですが。 やはり、オペラはCDでではなく、ちゃんと演出された (演奏会形式ではない) 公演か、 せめてそれを収録したDVDで観たいものです。

『オペラの運命』の1920年代以降の記述を読んでいて、 Decca レーベルが Entartete Musik (頽廃音楽) シリーズを 1990年代後半にリリースしていたことを思い出しました。 Nazis によって禁じられた Modernism な classical music のシリーズです。 Ernst Krenek: Jonny Spielt Auf などの、時事オペラが少なからず含まれていましたし。 「オペラの行き詰まり状況を端的に象徴する作曲家」として挙げられている Erich Wolfgang Korngold のオペラ Das Wunder der Heliane (『ヘリアーネの奇跡』, 1927) もありました。 当時は、深入りせずにサンプラー盤 Entartete Musik: Meisterwerke Einer Verlorenen Epoche (Decca, 473 691-2, 2002, 2CD) で済ませてしまったのですが、 今から思えば、ちゃんと買い揃えておけばよかったかな、と。 サンプラー盤にしても、実は、ジャケット買いしたようなものですが。 Lulu だー、その時代らしいなあ、と。 そう、Lulu といえば、Alban Berg のオペラではなく、 Louise Brooks 主演の映画 Die Buechse der Pandora (『パンドラの箱』, G. W. Pabst (dir.), 1929) ですよね、普通は。 しかし、この映画と比較して Berg のオペラを観れば、 映画化できないものとして Berg が何を考えていたのか判るかもしれない、と、 思ったりもしました。