羊通信 1998.4.10〜8.24


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■ワガ認識ノ原点ハ その2・・・   98/8/24


100人の人間がいます。そこには100名分の人生があります。
でも、それぞれ個人の人生を100名分集めても100人の人間がいる社会や世界の歴史にはなりません。
<人生>と<歴史>は違うし、<個人>と<社会・世界>も違う。
じゃー、100人の人間がいるところから100名分の人生を引いたら何が残るのか?
100人の社会・世界から100名分の人生を捨象しても残るもの。
それが社会や世界のタネじゃないでしょか? 共同幻想だったり共同性のシステムだったりするもの。

これが吉本隆明氏やマルクスやエンゲルスの主張する共同性だと思います。岸田秀氏が言う共同(幻想)性は個人の心に生じる観念のことで、その点から何を語ってもそれは心理学の範疇からは一歩も外へは出ないですね。それは共同性とは違う。

吉本氏やマルクスの共同(幻想)性は個人(幻想)性を捨象しても残る部分。
別の表現をすれば“歴史から人生を取り除いた残りの部分”です。

この部分だけを取り上げれば“システム”であり“構造”になるもの。文学チックに表現すれば、この“残るもの”はバタイユのように「過剰」な部分でもあるでしょー。ヘーゲルなら、この部分を因果律にして“論理”とするのではないでしょかあ。

もちろんマルクスはこの“過剰”を“余剰”と命名して、マテリアルにそれが人間の行為(生きている実践)から生まれてくる契機を理論化しちゃいました。スゴイ!
それが『資本論』なんですね。


  歴史−人生=共同性

  共同性≧システム


問題はなぜ“残るもの”があるのか?
であり、
“残るもの”とは何か?
です。



それは<モノを媒介にした人間関係>として社会を捉えるマルクスでは、<モノ>を生みだす人間の行為から必然的に生まれる<モノ以外のモノ>として考えられてます。

<モノ以外のモノ>だってえ?
この二重性がポイントでしょか?



■ワガ認識ノ原点ハ その1・・・   98/8/18


とゆーことで…


  国破れて、山河あり
  城春にして、草木深し



字が違うかもしれませんが、まあ、これです。杜甫。
ボクの認識の原点。
中学校の時、国語の時間にこの詩を読んで、ぶっ飛びました。
おおー、これだあ。
これこそお、真理だあ…。


「国破れて、山河あり」ってマテリアルな認識の原点ですね。
国がどーなろーが、経済がハチャメチャだろーが、大陸間道弾ミサイルが飛び交おうが、ターミネータがウロウロしよーが、「山河」はある。
このマテリアルな事実。
あたりまえだけど、ただ一つ、信頼できる、自然の姿。
自然の別名、マテリアルによるTPO。
そして、自然へのアプローチがそのまま自身に戻ってくる正直さ。
これは人間そのものが自然だから、自然の一環である人間とその自然の弁証法的統一態がナントカカントカなんでしょーが、そんなこたあ、ともかく、人間も自然であり、自然が人間に回帰することで人間が生きているとゆー事実。

そーゆーマテリアルな認識がクールに、ホットな人間の文化とかまで生んでいる事実が、もう、感動です。存在の感動、ってか。(笑)


で、また、なんてゆーか、「破れて」るのに「破れて」ないフリする人間のダメさ。
まあ、これが文化の原点なんだけど、同時に最も政治的な、ポリティカルな認識の始まるところでもありますね。
もちろん、文化や政治の(真偽を含めた)すべてを見切るコトができるのは、
ただ、このマテリアルなものの見方、シンプルな事実認識だけです。
裸の王様を何気なく見破るコトができるものの見方。
マテリアルな認識だけが、文化や政治を見破っていくんですね。
草木たる自然が、破れてないフリだのなんだのをコケにしつつ、さらなる自然の自然成長へ向かっていくのが、キット、この世なんでしょー。



■98の方が売れる!ってもう遅い!・・・   98/8/16


98ってゆーのは98です。Windows 98のことじゃなくて、NECのPC-98のこと!
え〜つまりい、9821とか9801とゆー型番でえ、日本語ROM内蔵でえ、BASICもROMで内蔵してるあの国民機のことです。ふ〜、こーゆー説明しなきゃ、すでに98がどんなもんであるかは読み人知らずだ〜れも知らずになりつつある98年のキビシイ夏ですね、今日は。

で、場所はアキハバラ。馴染みのお店で。
「98って、どー? まだ売れてんの? 製造してんの?」
「ああ、旧98の方が売れたね。NECは。今でも企業とか98ファンから引きがありますよん。」
そんで、別の店。
「古い98でね、Windows対応じゃないやつ。外見はヤニで真っ黒。中古価格で5千円なんだけど、10万円で売ってくれって言う人がいるんだよね」
「筐体のデキが違うでしょ。持つと重いし。」
「初代9821のA-MATEまでってゆーか、XーMATEでも、まあ群馬工場で製造してる分までは、もう手放せないね。あんなイイ機械は2度と手に入らないよ」
「業務用やサーバーなんか、なんでここまで、ってゆー安定設計になってるし」
「史上最強の98にサーバータイプはオススメ」
「それが数万円だからねえ、まったく」


最近Macの売上げが伸びてる。IBM互換機が世界の90%を占めるなか孤軍奮闘の甲斐あって、今やそのオリジンぶりで逆に注目株ってな感じかな。
はたして98にもそーゆー日は来るのであろーか?
国民機と言われたDOSでの日本語対応能力は確かに素晴らしかった。
真似した旧IBM型は全滅。オリジナルな日本語マシンとして残った98とその互換路線を採用したEPSONの98互換機。これまた丈夫で安くて去年最後の生産を行なった後伝説のマシンになった次第。
うーん、テクノロジー至上主義あるいは合理主義を標榜するハイパーモダニストには、オブジェとしての98以外は今後の98の姿は予想できませんねえ。

システムのシンボルは実効化(実効支配化)が進むとともに反比例して消滅する…
とゆー社会認識におけるわがテーゼはここでも有効でっす。
98が実効するものとして提出した数々のテクノロジー(事実上IBMなどのPCトレンドと表裏をなすが)は、実効するとともに98とゆーシンボルのシンボル性を失効させていったのは当然の理。
シンボルとそれに象徴される文化はテクノロジーに解消されていくのが歴史だもんね。

まあ、受注生産かなんかでもいいから98が残るといいなあ、と思ってます。
おーい、DOS使いはもうこの世にいないのかあ?



■知能指数と偏差値・・・   98/8/12


どこかで宮台真司氏が“自転車乗れないのはバカ”とか言ってたよーな気がします。
ところであの中田選手は知能指数のなかでも空間認識力が非常に高いとか。
それが刻々と変化し続けるサッカーの全体の流れと動きの中で絶妙な自己確認と動作を生んでるよーです。動態認識ってゆーのかな?

ところで自転車に乗れないろんぱあミッフィーちゃんは偏差値が高いですが、宮台氏説からするとバカです。そー言ったら、当人は知能指数は低いのだア、とあっけらかんとしています。どの程度ローレベルなのかは教えてくれません。
しかし、新発見、真理への道、求道の答え、探究の結果か…。知能指数と偏差値は全然関係がないことは証明されましたあ。バンザーイ (^^;)

ケロッとしたろんぱあはケロッグなんぞをもぐもぐしてますが。
しあわせなヤツだなあ。



■名曲喫茶『ジュピター』・・・   98/8/7


以前担当してた雑誌でやったのが特集「ハルキワールド」。

春樹ワールドに出て来そうな喫茶店やポイントを紹介しつつ山田美保子さんやサエキけんぞうさんなんかにもコメントをもらったり、あの高橋丁未子さんにインタビューしたり楽しい仕事でした。
で、楽しい仕事につきものなのがハプニング。
取材の時にちゃんとあった名曲喫茶「ジュピター」が、ありません。掲載誌を送ったのに返送されてきます。返送されること2回。電話も通じない。

なんだあ、お店は閉めちゃったのかあ。蝋管の蓄音機や、新聞紙を捏ねて作った漆喰の壁が羊男の記憶なんかを宿してそーな魅力の空間だったのにい。あやしいエジプトの石盤なんかもあったしなあ…。取材後2ヶ月で消えちゃうとこなんかも、やっぱ、ドーナツ的だけどさあ。
なんて、勝手に思って6年。

そして、その6年目の夏。

国立の大通りを散歩してると…ある、ある、名曲喫茶の看板が、ある。
とゆーことは、一応確認のため何度か歩いた住宅街と大通りのマトリクスは、ちょうど名曲喫茶のあるポイントだけ抜けてたことになります。トーダイモトクラシ (^^;)
うはははははは

で、本日、掲載誌を持って名曲喫茶「ジュピター」へ。
お客さんが「ワーグナーかけてよー」とかオーダーしてるのを階下に聴きつつ、経済本と資料をチェック。アイスコーヒーとチョコケーキを頬張りつつ、やけに馴染んでしまう空間に「コレって羊的世界だよなあ」などとボンヤリ思いつつ(ボンヤリしてなきゃダメですよ)、帰りがけに「あのー、6年前に取材したもんですけど」とか言って掲載誌を手渡しチョットお話してきました。誌面を飾るキレイな「ジュピター」の写真に店主であるご婦人も嬉しそう。

「全然変わってないでしょ」
「そーですねえ」

変わらないものは、どこか懐かしいもんです。

誌面には吉祥寺の「FUNKY」や鎌倉の「ミルクホール」の写真も。
これで今はもうない国立の「ラッパ」が入ってたら、サイコーてゆーかリアルってゆーか。
ボクには、ですけど。
もちろん春樹さんご本人がやっていた国分寺の「ジャックと豆の木」なんて想像するだけでもリアルな感じがしちゃいます。

「FUNKY」の系列でケーキ工場でもある「レモンドロップス」じゃ、よく打合せとかしますが。
お気に入りの喫茶店やケーキ屋さんがいつまでもありますよーに、と。



■レイトカマー、無頼派・・・   98/7/30


とゆーわけで29日午後、無頼派の作家とダッチアイスコーヒーを飲みながら3時間ほどおしゃべり。
昭和の初めにファッションを論じ、太宰より激しくモダニズムを生きた(つまり死んだ)あるコラムニストの物語を執筆中の邑氏です。

福生の米軍ハウスから生じたロックなシーンから多摩川のつげ義春的情景まで、東京ローカルでありながら世代や世相のカルチャーになっていったたくさんのモノゴト。リアルタイムで生きてきた世代と、今も息づくそんなシーンに触れることが出来る現在。無頼派作品はそんなところで書かれてます。

中央線沿線の23区部分がサブカルの生産と消費の場所なら、中央線沿線の多摩区部分は明治以来のカルチャーのバックボーンだし出生地。ハイカラに先取りの気風は、迫りくる経済とポリティカルな暴力の前に自らモダンの死を演じることで世相を道連れにしようとしたんでしょーか。そしてファイティングに活路を見い出そうとしたマルクスボーイとアナーキストたち。

そんなシーンを物語ったのは安吾であり太宰。
そー、無頼派ですよね。

今、現在、いろいろな人々が、自分の生き方の中に無頼派を見い出そうとしたら、その時、その姿は、まったりした人たちにはどーゆー風に見えるんでしょー?
その見え方に大きな意味がある、とゆーことこそ、東京の虚構性を生きていくイデオロギーなんでしょーが、キット。



■批評空間よりミーハーで・・・   98/7/28


 >To:TYO_SKY@tokyo.104.net
 >どういう方だか存じませんが、わたくし個人としては、ニューアカノリ全開の文章を
 >久々に読めてサイコ―に楽しいです。批評空間よりもミーハーで、クイックジャパン
 >よりもオシャレ。最高な文章です。



メエ〜



■ああっ、無能の人、てゆーか・・・   98/7/28


月曜日の深夜12チャンネル・テレビ東京で0:45からやってるのが“つげ義春ワールド”。つげ義春のマンガをほぼ忠実にドラマに仕立ててます。
昨晩観たのは『無能の人』。前半なんですが、もうロケの場所がマンガそのままとゆーか、サイクリングコースそのままとゆーか、多摩川縁なんですね。府中辺りの。わー、この夏はまだサイクリングに行ってないなあ、などと思いながら、多摩川の景色を堪能させていただきましたん。


サラリーマン編集者だった頃、仕事がキツイ雑誌のチームに配属された時に黙ってプレゼントされたのがつげ義春のマンガ本『無能の人』。その意味するところは何であるのか? とゆー疑問は今もってボクの人生に深い味わいを与えてくれているのであります。コホッ (笑)


多摩川縁をサイクリングしながら川沿いに下って、たいていターンするのが調布の辺り。『無能の人』の舞台のちょっと下流くらいで、つげ義春さんの自宅近く? 去年はウサギなんぞを見かけた辺りでしょーか。調布方面へ曲がれば“IHOP(インターナショナル・ハウス・オブ・パンケーキ)”なんかもあったりする武蔵野です。モグモグ



■ああっ、出版、てゆーか・・・   98/7/21


そーゆーことで、知人の個展を見た帰り、これまた知合いの出版社員にバッタリ会いました。
通りを見下ろす喫茶店で情報交換と単行本関係のプレ打合せ。
去年からマイナスに転じた出版業界の売上げと原因などを分析。
うんまあ、取り次ぎがねえ、まったく。
返本がどこからのものかマークされれば業界も変わるでしょーが。
梱包の封も切らないで返本するのもザラ。
かつて大手だった出版社の社長によると、踏んだりして靴の跡をつけて「扱ったように見せて」返本されるんで困った、との話もあります。
出版社と書店の両方からマージン取るし、この巨大な取り次ぎの官僚みたいな体質とゴーマンさをどーすりゃいんでしょ、まったくとゆーことですね。
インターネットを利用して着々と手を打ちつつある書店の頼もしいコト。

書店から買いとったことにして店頭や平台でプレゼンすりゃベストセラーになっちまう書籍の世界つーもんもサビシイけど、書店での売上げを見て書評本のセレクトしてる書評欄もヤラセ資本主義の片棒担ぎですねん。そんで、モロに「文化」とやらもヤラセていくんでしゅねえ、シクシク。その程度のもんを論じて何が面白いんだろーか、つーても、それがポストモダン状況なワケですね。ボクはただのモダンでいいです。
ノロマなモダンね。



■ああっ、お稲荷さんはなしね・・・   98/7/21


6月7日からボクの緻密な人生を約束してくれているハズの「ナンデモ帳」とゆーメモ帳の厳密な記録によると国立のお団子屋なりこまのメニュー「天せいろ弁当」900円には「お稲荷さん」はついてないことが判明。ここに謹んで訂正させていただきます。m(__)m

なお、厳密でタイムリーかつリアルな記録を誇る(予定)のナンデモ帳によると、なりこまの野菜天(かき揚げ?)の内容物はニンジン・ポテト・タマネギの3種。このうちポテトはそれ自体フライドポテト風の細切りとなっており特に美味とのこと。客には品の良いお爺さんなども目立ち、何故か通りに面した窓に背を向けてソバからみたらし団子、白玉あんみつなど次々に注文する姿は微笑ましいとのこと。お婆さんや嫁にゃ内緒だよ、てな感じが水上勉からつげ義春までの日本情緒しててナイスの声もあるそーな。

いきなり、今度はかき氷に挑戦だい、と思うのである、なりこまで、ね。



■ああっ、広末だあ・・・   98/7/15


とゆっても、どっかで広末ちゃんに会えたワケではありません。(^o^)
さくら銀行のCMで広末ちゃんが登場する銀行前の景色と、彼女が坂を上ってくるシーンにヤケに見覚えがあると思ったら、そうなんです。そう。

撮影場所のさくら銀行はよく本を買う書店の隣でした。
この書店の前じゃ、山口百恵さんともすれ違ったけど、うんまあ、美人ん〜でした。
国立の駅前です。南口ね。一橋大学の方。

広末ちゃんが上ってくる坂は、国立と国分寺の間にある住宅街の丘になってる辺り。
えー、かの、“たまらん坂”(RCサクセションのアレです。どーゆー字か忘れた)の北側にある坂です。

時々散歩しながら通りますが、国分寺の方から来た場合(坂を下りる)、夕方だと西日を背にした街並みを正面に眺めながら『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の光景を思い出し?、国分寺の方へ行く場合(坂を上る)で午前中だとヤケに清々しい気分になるトコです。CMでは広末ちゃんが坂を上ってきますが、まあ、丘の上の大きなお家のお嬢さんてな感じの設定なんでしょーか。

撮影隊は「なりこま」のお団子なんぞを広末ちゃんにオヤツでださなかったんだろーか。あはは
「なりこま」は100年の歴史を誇るお団子屋で、山口瞳氏のお気に入りだったとこです。国立の駅から行くと一橋大学よりもっと先にあります。900円でざるソバと海老天1個、野菜天2個、から揚げ1個、卵巻き1個、干瓢巻き2個、お稲荷さん2個、季節の和菓子、えー、あとまだなんかあったよーな、…が出てくるお店です。(^o^)



■人にウケる?・・・   98/7/10


  君イ、他人にウケようとかしてない?
  他人にウケるかどうか気にしてるレベルで表現できる?


知り合いが、ある文芸誌の編集者に言われたお言葉が以上。
これと同じニュアンスは浅田彰氏がどっかで述べてました。

まあ、いきなり「ウケようとかしてない?」って言われちゃうと、あうッ、っとか思っちゃいますが、まあ、人にウケる表現なんて広告の世界でコピーライターがやってることなんで、珍しくはないでしょーが。

審査員にウケよーとする文芸賞だけじゃなく、仲間にウケよーとする日頃の言葉や話しの内容まで、お互いに媚び媚びである、とも言えるかもしれませんねえ。
それがコミュニケーションスキルだったりすると、やっぱ、今後、文化とかゆーものは、ますますパピプペポな感じがします。

もちろん、共同体やそれをめぐる論議なんてパッパラピリピリですね。“朝ナマ”レベルが本質そのものだったりするのは珍しくありましぇんでしゅきっとお。


さあてえ、夕飯の冷し中華を作ろ。



■ガンバレ学長公選制!・・・   98/7/5


えーと、この間、つっても何日位前だったか忘れちゃったんだけど。
東京の国立市のメインストリートをブラブラ散歩してたら、一橋大学の構内に「阿部謹也」の名がペイントされた立て看板を発見。はあ、阿部教授は今も一橋の学長だったかなあ…。何やら看板のコピーがトーソー風だったんで、ちと注目。「官僚学長は退陣せよ」とか何とか書いてありました。

具体的な文面を憶えてましぇんが、国立大学で唯一学長の公選をやってる一橋大学で文部省官僚のシンパ教授が学長選挙に出ているか、学長に任ぜられたかしたんでしょーか。それに反対する講演会の講師が阿部謹也教授なんですね。

以前ある大学で阿部教授の講義を受けてた時ずっと感じてたのは、あーインテリってこーゆー人のことゆーんだろーなー、ってことです。

「私は法則でモノゴトを見ない」「事象の積み重ねを重視する」と教授は自らのポリシーを繰り返してました。「法則」ってゆーのは唯物史観で、「事象の積み重ね」ってゆーのは教授本人が得意だった調査や研究のこと。ドイツの大学で古ゲルマン語による古文書を解読しつつ、フーコーのよーに「人権」の起源を具体的な記述として発見したり、世界に2名しかいない古ゲルマン語の解読者としてドイツへの招致を打診されていた教授は、それでも日本へ戻ってきたんですね。実践のため、実行(実効)のために。

栗本慎一郎の自由大学での講義なんて面白くってインパクトも大。訓詁学者や単なるアカデミシャンではない阿部謹也教授のそーゆー魅力はインテリの一つの典型てな感じ。一橋大学を見て「大学は建物じゃない」とクールに言い放ったシュンペーターは同様に「実験室には血がつきものだ」とウエーバーをウイーンのカフェでクールに論破し、レーニン革命へのシンパシーを明らかにしたとか。ショックだったのはウエーバー。大切な山高帽を忘れて退席するほど激怒。その後、社会経済への発言と研究を止めて沈黙しちゃったんですね。復活した時にウエーバーが専門にしていたのが音楽社会学。

阿部謹也教授の静かにとつとつと語る控え目なスタイルに秘めた反骨の精神は強靭そーです。

所沢高校の生徒の自主的決定を共産党のせいと言い、エイズ問題のオルグは共産党だからイカンというよーなパッパラ保守やよしりんファシストたちは、きっと阿部教授のことをアカとゆーでしょー。あの立て看板や阿部教授の行動を見たら。(笑)

それがどーしたんだろーか。どっか、都合が悪いんでしょかねえ。反共ガキンチョどもにとって。だいいち、アカのどこが悪いのかあ?

ボクにはわかりません。


メエメエ



■東京の虚構性こそがリアルだ!?・・・   98/6/30


だから、リアルだあ


雑誌は時代や社会に対してリアルだからやってる、てゆーのが中森明夫さん。
文学ってゆーワクの中で、でも、リアルを追究する村上春樹さん。
現実に帰れ!ってゆー庵野さん。


みんなリアルを直視(=正直)しようとする人の表現はリアルに向かって一直線。


ボディピアスやタトゥが身体にとってのリアルだなんてゆー偽のマテリアリズムに惑わされることのないリアリスト。

そーやって、最大最高のリアル、東京幻想をターゲットにウダウダしてるんですね、ココは。ワハハハ

今日も、ハッピイ・・・
お水がオイシイ。



■岩井さん庵野さんはエライか!?・・・   98/6/30


岩井俊二さんと庵野秀明さんの対談『マジック・ランチャー』を読んで、
あ、この人たち、ホンモノのクリエーターだ、と思いました。
アートとか自己表現とかを気取る自称芸術家なんてゆーマユツバくんじゃなくて。
クリエーターです、クリエーター。


 庵野
    ものを作らせてくれるのは締切りだけですよ。

 岩井
    そう

 庵野
    締切りがなかったら、何もできない。



ウン、ウン、まったく!
この一言で、ホンモノかどーかわかってしまう、そんな気分までしちゃうんですね。
現場にいると。

以前、角川春樹氏に聞いたら、『天と地と』の音楽も、小室哲哉さんに一晩で作ってもらったとか。
えー、なんかスタジオに閉じこめて、締切りは今日だア、と迫ったとか何とか。
アハハハッ
リアルです、リアル。



■ピクつく右足はエライか?・・・   98/6/15


昨日は、もう、9:30からコーフンの日本列島。
関東地方の視聴率は67%を超える勢いとか。
うーこれが投票率だったら、もう、国会解散、国家解体、税金未納、年金バイバイ、振り返らない成田空港、とうへんぼくは意味不明ってな感じです。(^^;)


対アルゼンチン戦。
大人に絡みつくチビッ子チームてな感じのところもありましたが、まあ、グーッド。
ディフェンスまでカバーする中田、攻撃にタマを送る中西。いつもの敏捷な川口。
それぞれガンバってくれました。
岡田監督のクールなとこがまたいいです。

でもね、お子さまなトコは、直さないと。

パスは戦略で、ドリブルは戦術だい。
繋がらないパスと、安全圏でのドリブルなんて、つまんない。
練習見てるんじゃないんだらなあ…。
パスが届いたとこにいなかったり、ディフェンスへのバックに後れたり。
あれで中田がいなかったらどーなったんでしょ。
マークされて動けない城と山口。
でもいちばんマークがキツい中田は動いてたよね。

両サイドをピンポンするパスと、サイドからゴール前への突っ込み。
それを構成するチャンスと位置の自覚にちょいとお子さまな日本でした。

絶好のチャンスをみる度にピクッ。ピク、ピクッとするのが右足。
フロアに寝そべってTVを観戦してたら、ココッだあ、とゆーチャンスシーンで右足がピクつきます。

おおー、おーりゃー、うりゃー、があー
そーか、そーだったあ。

かつてセンターバックからストレートにクリアボールをゴール前に叩きこんだ右足くん。
エーン、またサッカーやりたいヨー

まあ、腰痛以後、単なるジジイですんで、無理なんですけどお。


今日もイングランド戦観よーっと。



■超整理法先生はエライ!・・・   98/6/14


数日前、浅田彰氏が野口教授の研究を評価している発言を発見。

あの超整理法の野口教授です。

野口教授が日経新聞だかに「1940年体制」について書いてたのは何年前だったか。
ボクはスクラップを取っておいたんだけど、間もなくアクセス不能状態。新聞はゴミの山風で作業場のエントロピーは法則どおりに増大。ワームやカビも増大する始末で今もって整理と掃除はデイリーかつ最大の課題で、もう、ホントに…。

しかし、まあ、その後、教授の指摘は、まとめられた論文として著作になったので購入。
現在の日本の状況を生んだテクノロジカルでマテリアルな手法を検証するスタンスとその成果は、最良のインテリジェンスを思わせてくれるもんです。

ある意味でテクニカルタームのお遊びてなイメージが強かったニューアカだのポストモダン。その代表者である浅田彰氏の確かな評価に感心したのは、これで2度目だったよーな気がします。

マテリアルにモノゴトを見るスゴサって、スゴイよ、ホント。



■やっぱ気になるのは油そば・・・   98/6/14


誘惑に負けたのは10日前。ウフッ
用事も済んで、早く作業場まで戻ろうと足早に駆け抜けた新宿の、とある通路で見かけたのが「汁なしらーめん」の文字。
ええー、汁なしい?
つーことは、汁がないラーメンなんだなあ。
当り前かあ。
汁がない、汁がない…。うーん、油そばもラーメン課・汁がない属だよなあ。
もしかして、油そばの同類別種なんだろーか?
こーゆー時こそ「野生の思考」は目覚め、その知的好奇心は瞬時にターゲットに向かって身体を爆走させるものなのであります。
ラーメンボールを投げつけたり…。

ゲ〜ット!



■まあ、気になるのはナエちゃうとかあ・・・   98/6/2


クロネコ・ヤマトのたっきゅうび〜んのナエちゃんも消えました。
今やメディアは「ナエちゃんなしジョータイ」ですう。

裕木奈江ってそんなに女の子にキラわれてんのかなあ。
ボクの知ってる女の子はみーんな奈江ちゃんがキライなんですねえ。
こまったあ

裕木奈江初主演映画のLDでも買って飾っておきたくなっちまうですう。

消え行くものは保存しませう。



■そうだ、そうだったあ。なしなしなーし・・・   98/6/2


昨日は忘れちゃいましたが、
単に、

  金力なーし
  気力なーし
  体力なーし
  目的なーし
  時間なーし

てなことをダラりんこと何か書こうと思ったんですね。
だけど、明日がある、
という限りなき日常を生きるジョータイですわな。

ウップウ

夏日に行脚はhardでしゅ…

メエメエ



■すべてはなしなしなーし・・・   98/6/1


寝ころがってると振込の通知書がきました。そうそう、まともな代理店だと使用した広告コピーを再利用すると、ちゃんとリピートの使用料を払ってくれます。(^o^)

無愛想な日々を過ごしてるんだけど、発注や打診の電話がきます。
「もしもし、某官庁のライターやりませんかあ?」
で、楽しくて儲かりゃやるよん、とか言って電話を置きます。わがままだなあ
どうもいろんな官庁が流行に乗りおくれまいとCDROMなんかせっせと作り出してるみたいですねえ。
以前は某コンピュータ関連大手企業のCDROM制作費が600万円だったりしました。ウチのスタッフでデジタル系だとそんなのをやってた人もいます。
本屋でアラーキーの出てる本をチラッと眺めてたら、知合いがADやデザインをやってるのを発見。おおー、メジャーやしアートやなあ、と感心。
みなさん、ガンバっておられます。



「道ですれ違う人とかあ、みんな頑張ってるなって思って、すごいなって思うんですよ」
と、ソイツは吉祥寺の喫茶店で言いました。いつも打合せに使ってる喫茶店です。

「そりゃ、いいじゃん。他人を肯定できるのはいいコトじゃんか」

「そーなんすかあ」
「そんで、オレはどうなんだアとか思ったりする」
「オレはダメだなあ、とか思う」

「アアア、そー思っちゃうことそのものがダメなんじゃないの」
「…と言っちゃうとジジイの説教になるからなあ」
「でも他人を肯定するのはいいでしょ」
「否定形より肯定形」
「他人から学ぶことっていっぱいあるしさあ」

「オレ、この前生まれたばっかの自分の子供が死んじゃっても悲しくないよーな気もしますよ」

「あのさあ、前にTVのドキュメントで見たんだけど、人が死ぬまでの看護や家庭の模様やるの」
「4家族かな5家族な、死ぬその瞬間まで映してたよ」
「で、誰も泣かないんだよね。悲しくない」
「本物を見た気がしたけどなあ」
「リアルで、ドキュメントつー感じ」
「悲しくなんかないんだよ、ホントは」
「感情の問題じゃなくて、リアルとして」
「知合いが8人くたばってるけど、悲しいの、ないもんね」
「ただ、現実ってこう、みたいなのがよくわかった」
「あと、疑問ね。コイツやアイツが死んじゃったことへの疑問」
「なんでー? てな感じ」
「そんだけ、学べるし、経験にもなる」
「どんなことも、まず、自分で吸収する糧になるんじゃないの」
「それでいいんだと思うけどなあ。ドライでもなんでも。他に他人から学ぶことあるかなあ」
「人がサクセスしてもくたばっても、まず何かそこから知ることできると思うけどなあ」
「悲しいとか、否定形の感情はあんまり持たないしね」
「お涙頂戴や、悲哀でごまかしてたら、何も得られないだろーし」
「同じクラブで3人くたばって」
「大好きな子もくたばった」
「コンサート会場で4人で出会って、もう2人は死んでる」
「一方でクラブから超メジャーなミュージシャンが2人出てるし、そーゆーのはウレシイしね」
「現実とか、リアルなんて、そんなもんじゃん」
「悲しいとか悲劇とかなんてなくて、イエイエイ、ワオオーって生きてくんだよ、みんな」
「寝てばっかの人もいるけど」
「まったり風でも可」
「ケケケ」



あれれ、何書こうとしたんだかわかんなくなっちまいやした。
夜中に間違い電話すんなよーなあ



■すべてはマテリアル・・・   98/5/30


ラリッてもクルっても見えるもんてなーんだ?
暗くなっても見えるんですねえ、コレが。
まあ、眠ってて観るのは夢ですが、それも同じ類ですね。
選挙カーの上でカラオケよろしくガナッてるオジサンなんかにもイッパイ見えてるでしょー。フハハッ
もちろん恋愛中の人にも見えます。アバタもエクボちゃん状態ですからね!
有名な“裸の王様”なんかの物語じゃ、子供がそれを見破るとこがポイントになってるほど重要なもんです。

そーです、それは、“幻想”でーす。
誰でも観てますね、幻想。ムヅカシクは“観念“だったり“思念”だったり、まあ、イロイロな言い方があるでしょーが、ここではカンタンに幻想つーことで。

幻想と、妄想は紙一重。
ガイキチとセイジョーもアッチとコッチくらいの違い。
ま、ガイキチは(論)理性以外は失っちゃってるワケでしゅが。それは別の機会に、と。


生物は外部の環境=TPOからいろいろな刺激と情報を受けて生きてます。
その外部環境との接点が感覚器ですね。
感覚器で受けた刺激は判断されて情報になります。
判断は感覚器の末端でも途中の神経でも行なわれて、最終的な判断が脳で行なわれます。

どーして脳の判断が最終的な判断なのかとゆーと、そのあと情報を記憶して保存するので仮に最終的に判断しておくんですね。そーやって記憶した膨大な情報で脳内世界や脳内イメージを作っていきます。ここで見るのが幻想。
正確には脳内世界で描かれる幻想は、感覚器を通じて知覚されるTPOの情報と絶えず相互にフィードバックされ修正されつつ描かれます。
蓄積された記憶とTPOの情報の2つを照らし合わせながら、さらに判断していきます。

このTPOの情報の源はすべてマテリアルなもの。
ここがポイントですよん。
感覚器が受けとる刺激はみーんな物質的なものです。 光も、音も、温度も、圧力も、味も、臭いも、マテリアルなもの。
感覚器が対象とするモノゴトはすべて物質としての属性を持っているもので、客観化できるものです。それらを対象として考察するのが“科学”でしょ。

で、このマテリアル(科学の対象となるもの)な情報と、脳内に生じてる脳内世界やイメージとのギャップが、いわゆる幻想です。妄想はマテリアルな情報を無視したもので、これはチト別の問題。幻想とはあくまでマテリアルとイメージとのギャップに生成するものです。
大切なのはここ。
だから幻想はマテリアルな情報無しには成立しないんですね。それから妄想でさえ、マテリアルな情報との無関係さによって妄想なんであって、妄想を妄想たらしめてるのもマテリアルな情報との関係によってですもんね。ガイキチさえマテリアルに規定されてるんですねえ。グッハハハ


経済が商品の分析から入り(マルクス)、文学が言葉の分析から入る(小林秀雄)ように、思考や認識は感覚から入るのがベストじゃないでしょか。マテリアルに分析できるものから、ですね。

で、テクノロジーはいろいろなマテリアルを大衆・パンピーにとってドライブ可能にします。これがPOPの原点でしょー。



■「芸術系製造業」社長の面影・・・   98/5/13


すでにシーラカンス化がはじまったともウワサされる旧テクノロジカルPC98のオプションを求めてエレクトロニクスベガス・アキバをさまよっていて見かけたのが気になる暗い顔の人。それはとってもクラ〜イ顔なんだけどチョットアメリカのB級ホラー映画のガイコツみたいでチャームでもあるのでした。(^^ゞ
な、な、なんだあ、コイツあ。どっかで見たことあるぞ。うーん、けっこう強烈な印象で。えーと、知合いのライターだったかなあ。ちがうなあ…。

オタクとゲーマー、そして、PentiumPRO/1Mbチップの値段が\30万→\7万→\12.5万と数日で激変するアキバプライスに東証の株価暴落や円安より危機感を覚えるキワメテ正常なピープル。そんな雑踏に消えていくヤセたB級ガイコツ氏を左目で見送って電車へ急ぎます。だってえ、日に3回もダイビングがある中央線に乗るんで、なんかあ、気が急くんですねえ。ダイブはともかく、ダイヤが乱れませんよーに。繰り返しますが、ダイブのジャマはしません。JRさえ無事動いてりゃいいんですよん。ダイブはご自由に!

で、あのチャーミーなガイコツ氏は…。
あああ、ガイコツ→そーしき→木魚ってな連想は関係ないけど思い出したあ、「パチモク」の社長だあ…。

そーです、明和電機の土佐正道社長でした。
わははは

完結した「魚器」シリーズに代わるギアのパーツでも買いに来たんでしょかね。



■高級油ソバ『上海バン麺』の登場・・・   98/5/13


北京へ行ってペコペコのお腹を満たそうとすると目抜き通りにある2つの料理店が目につくそーな。それは北京飯店と王府井。
で、ボクが行ったのは国分寺の王府井でーす。ヘヘヘ
久しぶりにヒスイメン(翡翠麺)を食べよーと思って国分寺の駅ビルへ。生姜のサッパリ味とほうれん草を練りこんだ翡翠色の麺はへきるちゃんを思い出すほど清々しいイメージ。ウフ
しかし、席についてから季節の新メニューを発見。暑くなってきたので冷麺(冷し中華)もいいかなっと思って見ると、冷麺の種類が減っています。ムムッ
松の実や焼豚がいっぱい入ったお気に入りの冷麺アイテムがありましぇん。
代りにあるのが「上海バン麺」とゆー新参アイテムの姿。「温かい」とか書いてるなあ。見た目は冷麺風なんだが温かいと…。汁はないよーだし…。おおお、こりゃ、油そばや煮込みソバと呼ばれる本場中国のラーメン共通の特徴じゃありませんかあ。とうとう王府井もモノホン煮込みソバ路線へ突入したのかあ。カックイイ!
で、早速バン麺を注文。
ウウウ、ウマイイイイ…



■『紅い花』やってるなあ、NHK・・・   98/5/2


NHKつけたら『紅い花』やってましたあ。名作ドラマ劇場とかなんとか。つげ義春のタイトル作品じゃなくて、オムニバスってゆーか、そんな感じです。初回放映の時観たんだけど、何年前だったか…。音声だけカセットにとってあったなあ。



■ユーロで、見ーろ・・・   98/5/2


ヨーロッパ単一通貨のユーロちゃんの登場で国民国家の基盤がホーカイします。
正確には「崩壊」でしゅね。
いやあ、計画的にやるんだから解消かなあ。国家解消、てな感じ。
甲斐性だったりもするほど粋なヨーロッパです。ウフ


国家ってーゆーのは

 政治的なエリア
 経済的なエリア
 言語的なエリア

を持ってて、この3つが上手にオーバーラップするのが理想的な国民国家だったり近代国家だったりします。

政治的なエリアってゆーのはカンタンで、誰でも知ってる国家の領土や、その領土上で施行される法律の範囲内のこと。シンプルで常識的です。

でも、国際経済とゆーコトバが出て来た頃からクローズアップされてるのが経済的なエリア。日々ますます世界中の経済的関係は複雑に絡み合いつつあり、どこがどこの経済的なエリアに属するのか分からなくなっちゃうこともあります。例えばアメリカのMicrosoftのWindows NTは優れたOSですが開発はイスラエルだったりとか、それを載せるPCサーバーはアメリカ南部にある北部資本の会社の台湾系企業の工場だったりします。(^^;)
貿易したり原料を仕入れたり商品を売ったり工場をつくったりしてる外国との関係から、資金だけが流通してる国や、流通してる資金の所属する国つまりお金の国籍となってる国など、だんだん直接的にはどの外国?ってな感じだったり、分かりにくくなってる問題でもあります。互いに入り組んで複雑な関係になりつつあるんで、経済的なエリアとゆーのはムヅカシイですねえ。まあ、それでもカンタンに考えれば、そこで通用するお金は何か?とゆーこと。そして世界でいちばん通用するエリアが広いのがドルなんですねえ。ドルはアメリカ産の貨幣。アメリカ国籍の通貨です。

ユーゴ紛争をはじめ民族紛争が多いですが、これは言語的なエリアと政治経済的なエリアの不整合が原因ですね。まあ言語=民族とゆー観点から考えると。
その典型的な例がユダヤ人を巡る問題なんか。ユダヤ人てな生物学的な人種は地球上どこにもいません。ありゃユダヤ教を信じる人のこと、ユダヤ教の言葉であるヘブライ語を尊ぶ人のことであって、肌の色や目の色や、身長や体型といった形態上の人間の特徴は全然関係ないんですね。白人がエライとかアーリア人が優秀だとか主張するナチスやファシズムといった何らかの形態に基いた(極限は遺伝子とか)主張とは正反対の人間に関する判断がユダヤ人の定義でもあります。自由の根源を問う問題でーす、こりゃ。

で、まあ、経済的なエリアは経済的な権力圏・影響力の範囲なんですが、これがいろんなことの原因だったり原動力になってたりします。
ドル圏はドルが人気のある範囲でドルを発行しているアメリカの影響力のあるエリアとゆーこと。ビッグバンでコンビニでもドルで買い物できるとすれば、そこはアメリカの影響下にあるわけです。ウチの作業場のPCワークステーションのチップを買ったお店はドル立てで買い物できるのでアメリカの影響下にあるわけです。秋葉原ですけどー。まあ、秋葉原って政治的には日本のエリアだけど、ドルで買い物出来るコトに限っては経済的にアメリカだったりするわけです。こーゆー風に政治的なエリアを超カンタンに超えていくのが経済的なエリアだったり経済的な影響だったりするんですねえ。経済は政治を左右しているとゆー当り前の科学にすぎましぇん。

それでえ、ヨーロッパは通貨をユーロに統一することによって、ヨーロッパ全体という大きなエリアを文字どおり一つのエリアとして結束させ確立して行きます。目標は拡大ヨーロッパ20数ヵ国で、その経済力は日本の2倍位あります。まあ、ローマ帝国の政庁があった各都市、モスクワやベルリン、パリ、ロンドンなどを含むエリアを統一ヨーロッパとしてまとめるなら、日本はもちろん超大国アメリカも、超じゃなくなります。おまけにヨーロッパには経済以外に文化という歴史があります。これも、スゴイ。

まあ、この歴史と互角の文化と歴史を持ってるのは、日本の特徴でもありましょーが。



■イラナイ、メーデー?・・・   98/5/1


行革に反対してる連合とか労働組合なんかいらないけど、それが支援する民主党や管直人もいらないですねえ。(-_-)zzz

もちろん大蔵省主計局に指一本触れられない自民党もいりましぇん。ムニャムニャ

中小企業への経済波及効果を狙ったプロジェクトの都市博をつぶして、その後臨海副都心にあわてて企業を呼ぼうとしてる2度手間、ムダ遣いを反省しない青島知事も、それを選んだマヌケなセンスの非政治ブリっ子都民も、み〜んな、いりませ〜ん。ウップウ

今日は、すがすがしい東京日和にチーズケーキが美味しいぞオ、っと。



■98がマック的、じゃない末期的…・・・   98/4/18


すべてはテクノロジーに規定されている、とゆーマテリアルでクールな認識にシンパシーを感じる98派のみなさん、コンニチハ。…うんな、奇特なヒトはいないでしょかネ〜

企業に98が多いのは簡単な理由です。マシンの信頼度が高いのとメンテナンスがしっかりしていること。まあ、これはIBMもそう。
個人ベースで98に人気があったのはWindows 95以前で、ソフトの豊富さがいちばん大きな理由でしょー。Windows 31でも98関係はソフトの量でDOS/V系(IBM互換機系など)を圧倒してましたもんね。あの一太郎も事実上98とともに人気を得たワープロだし。その一太郎がとうとう世界でトップのシェアを誇るMicrosoftのWORDに追撃されて国内トップの座を譲りそーですが、盛者必衰ってなことでしょか。シクシク
一太郎のFEPのATOKはMacファンからの評価も高いですが、やっぱシェアは低下するんかなあ。最近NXでもATOK専用キーボードを出したらしいですが。

で、去年の末に登場したのがその98NX。ISAバスがなくてDOS/Vも載らないとゆーつまりIBM互換機じゃない、てな売込みだったんだけどISAバスを隠しててDOS/Vも動くよーです。なーんだあ、正真正銘のIBM互換機じゃねーかあ、と。そーらしいです。ハハハ
まあ、それ以前から企業で人気の高いNECの5800はIBMが自らテストして互換性があることを表明したくらいのIBM互換機だし、4800はジュラシックパークを制作したんで注目されたシリコングラフィックスのワークステーションより画像処理が速いとゆーモンスターでもあります。スゴイぞー、コレ

ところで、今、internetを楽しんでる人やPCでワープロなんかを使ってる人の多くはあの歴史に残る世界的な事件だったWindows 95ブームからのユーザー。アメリカじゃその前のWindows 31を使ってる人や、DOSそのままで使われてる数もそーとーあるよーですね。
で、日本でもそんな感じはチョットあります。
DOSを使うPCやコンピュータ系の仕事だけじゃなく、データベースを構築したりLANやVANへの対応でもDOSを使ったり、それからDOSで文章を書いたり、てな感じでDOSの活躍の場がいろいろあるんですね。企業からDOSやUNIXでシステムを作ってくれとゆー依頼は多いとか。簡単で軽くて速いんだから、当然といえば当然で、特にテクノロジー的にはベストですね。ユーザーフレンドリーなビジュアルシェルよりも、安定性や合理的であることを基準にしたテクノロジカルな判断でDOSやUNIXに落ち着くのは必然のゴール。フリーズするMacやメモリーリークがあるWindowsで代替するにはリスクが大きいし。その辺、Windows NTはある程度はクリアしてくれるでしょーが。

そんなワケかどんなワケか、98にもDOS再評価のトレンドがあります。これはノートPCやモバイルの影響もあって、12インチを超える液晶がメインになったけどA4サイズだってテキストを書くにはチトきびしいですもんね。PDAになればなおさらでしょ。そこでDOSが登場します。メモリーも少なくて済むしPDAのエディターなんかにピッタリ。Windows 95だってノートPCの画面でならDOS窓でエディターなどいくつかのツールが活躍します。A4やB5サイズのノートPCの画面でDOSのエディターやデータベース、ファイラーを使う快適さは布教して歩きたいほど。(^o^)
それに、素早く使うにはマウスなんかいらないし、とゆー世界です。実際、DTPやデザイナーでもデキル人はあんまりマウス使わないしい。

そしてクローズアップされるのが豊富なDOSのアプリとヘビューデューティなプロ使用に耐える98系のマシンてなとこ。まあ、Pentium2以降もわざわざDOSマシンをラインナップした98は、やっぱ、究極のテクノロジカルPCなんです、きっと、絶対。
それとともに98の本体もパーツも投げ売り、ジャンク扱いになってるのも確か。定価150万円とか80万円とかした企業用のサーバーが新品で8万円だったり、PentiumPRO搭載マシンが10万円だったりします。中古市場で名機のMATE-Aは3〜8万円前後の値段がついてますが、その新品がナゼか1万6000円だったりします。定価は40万円くらいだったハズ。ついつい買っちゃいましたあ、1万6000円の。(^^;)

大変なのがパーツやオプションですねえ。探しまわらないとどんどん無くってきます。仕事用に設定するにはある程度カスタマイズしなきゃならいし、MATE-A関係のパーツ探すのに苦労しちゃいます。2万円のSCSIボードが980円だったりするんで、何が何だかわからなくなりつつ秋葉原に詳しくなっちゃう今日この頃。単にオタクへの求道ってな感じもしますがねえ。



■ああ、忘れてたあ。・・・   98/4/10


3月31日には冷房が必要だったココ熱帯性作業場は、数日後には暖房が必要だったりして、とってもプリミティブです。生命力がいります。弱いヤツあ生きてけない。そんな訳で、三本矢あるいは毛利元就風のシッポをつけたワームとゆーか虫とハエトリグモなんか以外は見当たらないんですね、ココには。ゴキブリもいないもんね。 以前はナウシカの地下室みたいにワケのわからない植物なんかも転がってました。そー、あの“コロがってる草のかたまり”みたいなやつだとか、西部劇に出てくるアレです。風を演出してくれるストーミーでストイックな雑草。そこに”インドア・レゲエ”とかいって転がってるヒトもいるわけで、そんな風に夜が明けたりするのがクリエーターの生活かもしれませんが、そりゃーいつまでもやってることじゃありませんよねえ。作業場なんてどこもそんなもんでしょーが。徹夜ができるのは20代まで。シクシク。30代で漢方に詳しくなって、40代で持病アリになって、50代でガンとかゆートレンドつーか王道があるのかもしれませんけど。これで腰痛があったりすると、もう、なんです。カナシイ。アメリカの言葉に「広告マンは10年寿命が短い」とゆーのがあるんですが、そーやってまでデケーツラした大企業のために仕事してなんになるんでしょーねえ。とも思いますう。で、ビタミン剤飲んで、中国漢方の抗ガン剤個人輸入したりして、それでヒト1人命拾いさせたりしてココ半年が過ぎましたあ。ついでにページ2万5千円以下どころか3万円以下は人生と健康のためにやらないもんねえ、などと生意気なポリシーを貫くべくページ4万円だった企画とコピーの仕事のあがりをながめつつ、コレでもうヤーメタとか言ってる今日この頃です。でも明日のこたあ考えてないんだよなあ。けけけ