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日本のアフガン難民問題最新情報(2002年1月15日〜)


 
このページでは、刻々と移り変わる在日アフガニスタン難民問題の最新情報をお届けします。
 <2002年1月15日以前の「最新情報」はここから>
  

 
2002年3月11日 
 
世界教会協議会(WCC)・アジア・キリスト教協議会(CCA)
の調査団が在日アフガニスタン難民の実態調査のために来日、
法務省と交渉を実現
  
 アフガニスタン・ターリバーン前政権の迫害を逃れて来日し、日本で強制退去の命令を受けて無期限収容にさらされてきたアフガニスタン難民たちは、合計30人以上にのぼります。3月1日、東京地方裁判所民事第三部の画期的決定により、このうち7名が収容の執行停止処分を受けて身柄を解放され、また、体調を崩していた一名が3月7日に収容所から仮放免されましたが、いまだに十数名の人が収容されています。また、西日本で新たに難民申請を不認定とされた挙げ句に逮捕された人もおり、アフガニスタン難民の問題は深刻さを増しています。 
 そんな中、キリスト教の世界教会協議会(WCC)の国際問題担当幹事クレメント=ジョン氏、アジア・キリスト教協議会(CCA)の総幹事アン=ジェウオン氏が来日し、在日アフガニスタン難民に対する収容と迫害の実態調査を行いました。調査団は、先日身柄を解放された難民数人から聞き取り調査を行うとともに、法務省入国管理局に対しても調査を行い、難民の収容などについて問いただしました。また、市民との交流の場として、3月11日午後4時より衆議院第一議員会館で市民集会「在日アフガニスタン難民はいまーWCC/CCA調査団を迎えて」を開催、WCC・CCAとして声明を発表しました。 
  
<のらりくらりと逃げる法務省> 
  
 集会では、法務省への調査でWCC・CCA調査団の通訳を務めた土井香苗弁護士から、法務省入国管理局が調査団の追及に対してどのように答弁したか細かく報告がありました。法務省は、いつものようにのらりくらりで形式的合法性に逃げる答弁をくり返し、調査団メンバーをあきれさせたようです。例えば…… 
   
○アフガン難民は収容所で期限を定めない収容に直面し、それが難民たちをますます精神的に追い込んでいます。これについて調査団が聞いたところ、法務省は…… 
「収容が終わるのは、彼らを国に『送還する日』と決まっている。だから、期限を定めない収容ではない」。 
  
○出入国管理法には「特別放免」という制度があり、送還が不可能な場合は収容所から放免する、と書かれています(第52条6項)。アフガニスタンは現在、送還が不可能であり、これにあたるのではないかと調査団が聞いたところ、法務省は…… 
「特別放免は極めて特殊で例外的な制度なので、慎重に考えなければならない。原則として、彼らは送還可能になるまで収容するつもりである」。 
  
○収容所には、刑事犯罪を犯した人もそうでない人も同じ部屋に入れられています。これについて「犯罪を犯していない人を犯罪者扱いしているのではないか」と調査団が聞いたところ、法務省は…… 
「彼らを刑事手続きに問うたわけではなく、犯罪者として扱っているつもりはない」。 
  
 法務省の役人たちが自己完結した形式的合法性に逃げれば逃げるほど、外国からの調査団の目には、日本の入管制度が奇異に映ります。調査団の団員たちには、法務省の役人たちは、「NO(ニェット)」を連発する一昔前のソ連の官僚のように見えたことでしょう。 
  
<多くの議員も参加した市民集会>  
  
 衆議院第一議員会館で開かれた市民集会には、社民党や民主党から、多くの国会議員さんや議員秘書さんが参加していました。一部のアフガン難民たちの解放により、問題は一見、鎮静化したかのように見えていますが、短期的な状況に惑わされることなく、問題の本質を見据えてことにあたっている議員さんたちもたくさんいるようです。 
 集会の後段の議員さんたちのアピールでは、社民党が調査団を編成して牛久収容所(東日本入国管、理センター)を視察したこと、民主党が入管法と難民に関する議員プロジェクトチームを発足させ、千葉景子・参議院議員が座長に就任したことなどについての説明もありました。問題の根源は、法務省の「難民鎖国」政策を許すもととなっている「出入国管理および難民認定法」にあります。難民政策を国際水準まで引き上げるためには、立法府を舞台にした努力が必要です。国会議員と共同しての入管・難民制度の研究と政策立案が重要です。 
 集会には、議員さんをあわせて約80人の市民が参加しました。WCC・CCA調査団の来日は、在日アフガン人難民問題が国際問題として注目を集めるきっかけになる可能性があります。アフガン人難民の身柄解放・難民認定に向けて、国際的な関心を集めていきたいと思います。 
   
在日アフガニスタン難民の現状に関するWCC・CCA声明(日本語訳)
 
   

  
2002年3月11日
 
今度は東京地裁民事第二部が
クルド人難民への不認定処分を取り消す画期的決定
〜司法の果敢な挑戦により岐路に立つ入管・難民行政〜
  
 3月1日、東京地方裁判所の民事第三部(藤山雅行裁判長)が、アフガニスタン難民7名の退去強制令書による収容を違法として収容の執行停止を決定するという画期的な決定を行いましたが、今度は3月8日、東京地方裁判所のもう一つの行政部である民事第二部(市村陽典裁判長)が、トルコ国籍のクルド人男性に対する難民不認定処分を取り消す判決を出しました。 
 東京地裁の判決は、この男性が以前からクルド人の民族運動に参加していることから、トルコ共和国政府による迫害を受ける恐れを十分に理由のあるものとして持つ難民に該当するとした上、法務大臣による難民不認定決定は誤りであるとしてこれを取り消したものです。難民認定手続の不備ではなく、「不認定」という結論自体が誤りであり、原告が難民であることを認定して不認定取り消しの判決を出したのは、これが二回目であり、この判決は極めて画期的なものです。  
 また、日本にはトルコでクルド人の民族運動に参加していたクルド人たちが多く難民申請を行っていますが、今まで行政手続きで難民認定を認められた人は1人もいません。日本の難民認定・不認定は、実際には法務省・外務省など関連省庁の幹部級が集まる委員会で全員一致で決められるといわれており、クルド人に対する徹底した難民不認定政策は、難民の人権よりも、親米政策をとり中近東における米国の拠点の一つともいわれるトルコ政府との政治的な関係を優先させる日本の歪んだ難民政策を率直に反映したものであると言われていました。この判決は、そうした日本政府の難民政策に対する、司法からの厳しい批判を内包するものでもあります。 
 この判決は、東京地裁民事第三部だけでなく、民事第二部も、日本の劣悪な入管・難民行政に見て見ぬふりができなくなっているということを示したものです。司法の果敢な挑戦を受け、法務省にも自己の入管・難民行政の問題点を率直に見直すべきときが来ています。 
  
クルド難民弁護団による声明
 
本判決関連記事
 
 
 

  
2002年3月5日
 
東京地裁民事第三部、またも画期的判断
  
退去強制令書による収容の執行を停止
アフガン人難民申請者7名、牛久収容所から
即時解放される
  
 2002年3月1日、アフガン人難民申請者7名の退去強制令書による収容の執行停止申立を審理していた東京地方裁判所民事第三部(藤山雅行裁判長)は、これら7名の収容の執行を停止する画期的な決定を行い、7名はその場で牛久収容所から解放されました。7名の中には、長期にわたる収容で体調を崩していた人々や、来日の段階で空港で拘束され、これまで収容所以外に「日本の土」を踏んだことのない人々も含まれています。 
 東京地裁民事第三部による7名の解放の決定は、彼らを日本の入国管理体制による迫害から救出したという点に加え、その内容においても、高く評価されるべき点が数多く含まれています。 
 とくに高く評価できる点は、現在のアフガン情勢に照らして、7名が難民としての要件を満たしていることを認めている点です。この決定では、アフガニスタンのハザラ人たちが、人種的・宗教的(シーア派イスラーム)な理由により、ターリバーン政権の存立していた時点では難民条約にいう難民に該当していたことを認めた上、現暫定政権においても民族間・軍閥間の争闘戦が続いていること、ハザラ人は現暫定政権を構成する主要民族であるタジク人からも迫害されてきたことに照らして、人種・宗教により迫害を受ける十分に理由のある恐れを払拭できない状況であることをはっきりと認めています。 
 また、ブローカーの手を借りて入国したから「就労目的」だとする国側の主張に対しても、日本がアフガン人への門戸を閉ざしている現状において、第三者の手を借りて入国したことをもって「就労目的」と決めつけることはできない、との趣旨で、はっきりと国側の主張を否定しています。 
 このように、民事第三部の決定は極めて画期的なものです。日本の司法にも正義が厳然と存在し続けていることを祝福したいと思います。 
 また、この決定までには、アフガン弁護団や支援者たちによる、様々な努力の積み重ねがありました。この決定は、弁護団を初めとする、アフガン難民申請者たちを支援する多くの関係者の努力によって、みんなでかちとったものであるということができます。 
 牛久収容所を始め、各収容施設には、まだ十数名のアフガン難民申請者たちが収容されています。また、この決定について、法務省が東京高裁に対して「即時抗告」を行う可能性もあります。気をゆるめることはできません。司法の場でのたたかいに、今後も注目していきたいと思います。 
  
7名の身柄解放決定に関する新聞記事
 
 


 
 
2002年2月22日
 
国連難民高等弁務官事務所、アフガン難民の強制収容に懸念と声明
 
 法務省によるアフガン難民の強制収容が継続し、難民申請者の健康が脅かされていることについて、
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本・勧告事務所は強い懸念を表明するプレス・リリースを発表しました。
 
 
2002年2月15日 (22日続報)
 
 
無期限収容で悪化する在日アフガン人難民申請者たちの健康状態
〜ストレス性障害、慢性疾患の悪化、自殺未遂など相次ぐ〜
  
 1月21-22日に開催された「アフガン復興閣僚級会合」は、その後一部NGOの排除問題が思わぬ展開を見せ、田中外相と外務次官の更迭にまで発展しました。その一方、日本政府のアフガンへの関与におけるもう一つの大問題である「在日アフガン難民問題」は、外相更迭などの問題の陰に隠れて社会的注目を失いつつあります。 
 しかし、彼らの収容は、期限を定めないままにいまだに続いています。2001年10月3日に拘束・収容された9名を含め、収容されているのは全国で30名前後。最も長期間収容されているのは、成田空港で庇護を求めた段階で上陸防止施設に連行され、牛久に直送された人で、現在(2002年2月15日)までに230日前後もの長きにわたって収容されています。 
 アフガン人難民申請者のほとんどは、アフガニスタンのターリバーン前政権によって計画的な虐殺・迫害にさらされたモンゴル系でシーア派イスラームを信仰するハザラ人であり、そもそも彼らはターリバーン前政権の迫害によって精神的に深い傷を負っており、また、彼らは日本に来るにあたって収容などされるとは想像していませんでした。予想外の収容が彼らに与えた衝撃は極めて大きく、さらにそれが無期限に継続されるにおよんで、彼らの多くがストレス障害、慢性疾患の悪化などに苦しむようになっています。 
 昨日、牛久収容所に収容されていた若いアフガン人難民が、自らの手と背中を傷つけ、自殺未遂を図るという事件が起こりました(→共同通信配信記事参照)。この事件は、牛久収容所に収容されているアフガン難民の状況が、以前にも増して深刻になっていることを示しています。牛久収容所当局は、ストレス性の障害や慢性疾患に苦しんでいるアフガン難民をただちに仮放免(釈放)すべきです。 
 
<続報> 
「ここは毎日死ぬが、一回だけ死んだ方がよくはないだろうか」
 
 法務省は、アフガン難民申請者の牛久収容所への無期限収容をいまだに継続しています。彼らの身体的・精神的苦痛は極限に達しています。 
 2月13日に自殺未遂に及んだ若いアフガン人難民は、15日にも再度自殺未遂。弁護士に対して「ここは毎日死ぬが、一回だけ死んだ方がよくはないだろうか」と語りました。また、慢性疾患を抱えた難民申請者の病状が悪化しており、吐血した人もいます。しかし収容所は適切な治療を行っていません。詳細は、アフガニスタン難民弁護団の報告書(氏名は匿名としました)をご覧下さい。 
 アフガン難民申請者の即時仮放免と適切な医療措置の実施が、今こそ必要とされています。 
 
アフガニスタン難民弁護団の報告書
  
共同通信2月14日配信記事「収容中にまた自殺未遂 アフガン難民申請者」
 
 
 
 
2002年2月15日
 
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ルード・ルベルス高等弁務官が
日本の難民政策を厳しく批判
  
 2002年1月21-22日のアフガン復興閣僚級会合に参加した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のルード・ルベルスRuud Lubbers 高等弁務官が週刊誌「サンデー毎日」のインタビューにこたえ、日本の難民政策を厳しく批判しました。非常に貴重なインタビューですので、ここに再録します。(出典:サンデー毎日2002年2月10日号) 
 ルード・ルベルス氏は、アフガン復興閣僚級会合で共同議長を務めた緒方貞子氏の後任としてUNHCR高等弁務官に就任。それ以前には、1994年までオランダの首相を12年間にわたって務め、ヨーロッパの難民政策に深い認識を持つ人物です。 
  
−UNHCRに対する日本政府の財政的支援について。 
●我々(UNHCR)が行う難民生活への支援、母国への帰還の支援、こうした活動全てに財源は必要だ。日本はUNHCRの年間活動費用の12.5%を負担しており、財源で大変重要な役割を担っている。 
  
−日本政府の難民受け入れについて。 
●一方で、難民の受け入れについて言えば、残念ながら十分に役割を果たしていない。閉鎖的な政策をとっていると感じる。今回の会議は大きなお金の話になる。それは重要ですが、でも、より大事なのは難民の人々をどう守るかだ。 
  
−日本政府がとっているアフガン難民申請者の無期限収容政策について。 
●全くだめだ。これは一番の悲劇だ。彼らは二度、被害者となった。一度は自分の祖国で迫害され、そして保護を求めた国(日本)でまた迫害される。これは構成ではない。本国に帰れない人をなぜさらなる恐怖にさらすのか。もっと人間的で文化的にならなくてはならない。 
  
−なぜ日本は難民に門戸を閉ざすのかについて。 
●(日本政府の「島国だから申請者が少ない」という弁明について)島国ということより、これまで難民を受け入れてこなかった歴史や伝統の方が要因だと思う。もし、島国であることが要因であるなら、オーストラリアもアメリカも島国※1。それなのに難民を多数受け入れている。決して地理的要因だけではない。例えれば、日本はお金持ちの家。誰かがドアを叩くと『お金を上げるからどっかへ行って、自分で何とかして』と追い返す。 
 でも、伝統はいつまでもそのままではなく、変えられる。日本も難民に門戸を開き、新しい日本に変わることができるはずだ。 
  
−「経済難民」への対処について。 
●公正なシステムの確立が必要。しかし、本当に困っている難民がいることは確かだ。アメリカは毎年、多数の難民※2を受け入れている。日本も米国の受け入れ人数の半分くらいは受け入れるべきだろう。他国が難民と認定した人は難民だから、それを受け入れてもいいんじゃないか。 
  
  • ※1 アメリカは数多くの難民が生み出されるアジア・アフリカから太平洋・大西洋で隔てられている。そのことを比喩的に述べている。
  • ※2 原文では、「アメリカは年間9万人の難民を受け入れている。日本も3万〜4万人の難民を受け入れるべきだろう」となっているが、数値が正確でないので上記のように修正した。実際に、米国が2000年に受け入れた難民の数は二万四千人。米国と日本の人口比はおよそ2対1なので、米国並みの受け入れをめざすとすれば、日本は一万二千人の難民を受け入れるべきということになる。
 
  
2002年1月30日 
 
  
2001年1月から11月まで
アフガン人の難民申請が認められたのはわずかに1件のみ
〜北川れん子衆議院議員の質問主意書への政府答弁書で収容実態が明らかに〜
  
 在日アフガン難民申請者に対する政府の処遇の実態を明らかにするために、社民党の北川れん子衆議院議員が2001年12月6日に提出した質問主意書に対する政府答弁書が、2002年1月22日に送付されました。 
 北川議員の質問主意書は、難民申請を行ったアフガン人の数、収容されている人の数、アフガン人の近年の入国実績など計16点にわたって問うたもので、政府の答弁書もこれにあわせて、アフガン人の難民認定や収容の実態がある程度分かるものになっています。なお、政府は統計処理の都合上、全て2001年11月30日現在の数値を公表しています。 
  
<難民申請者77人のうち、認定者はわずかに1人>  
  
 まず難民申請の状況についてみてみましょう。2001年は、ターリバーン政権がアフガニスタンの中央部山岳地帯を占めるハザラ人の故郷、ハザラジャートの全域をほぼ制圧した年であり、ハザラジャートの各村落で大規模な虐殺が起こった年です。また、98年の北部マザーリー・シャリーフ制圧以降、ターリバーンが加えた虐殺や迫害により多くのハザラ人が難民化しました。こうした背景もあり、公表された数字によると、77名の人が日本に渡航し、難民申請を行っています。 
 ターリバーン政権の、同時期の世界にほぼ類を見ないと思われる激しい迫害から逃れて日本に渡ってきたハザラ人を中心とするアフガン人に対する日本政府の扱いは、これまた過酷です。77名のうち47人が未決のままとなっており、27人に対して判断が行われましたが、このうち26人が不認定となりました。難民として認定されたのはわずかに1人だけ(現在のところ3.7%)です。26人のうち、25人が異議の申し出を行い、このうち2人が最終的に不認定の裁決を受けています。 
 この数字を国際的に比較してみましょう。アフガン情勢が深刻な状況を迎えていたものの、2001年に比べれば深刻さの度合いが必ずしも高いとは言えなかった1999年、カナダでは448件のアフガン人の難民申請ケースが処理されました。このうち認定されたのは92%の414件、不認定となったのはわずかに9件(2%)に過ぎませんでした。アフガン人の認定率は、同時期に激烈な内戦が展開されていたコンゴ民主共和国(62%)や、正当な政府が存在しない状況が続いていたソマリア(76%)と比較しても著しく高くなっています。これと比較すれば、日本政府がアフガンでの迫害の実態について適切に評価していないこと、日本の難民認定が国際的に通用しないものであることは明らかです。 
  
表1 難民認定申請が未決の状態にあるアフガン人の総数(2001年11月30日現在) 
 
項目 人数
難民認定申請中の人 52人
不認定処分への異議申し出中の人 26人
合計 78人
  
表2 2001年におけるアフガン人の難民申請とその処分 
   (2001年1月1日〜11月30日)  
  
項目 人数
1 難民申請を行った人  77人
2  1のうち未決状態にある人 47人
3  1のうち申請を取り下げた人 3人
  1のうち認定・不認定の判断が下された人 27人 
5   4のうち認定になった人 1人
   4のうち不認定になった人 26人
7    6のうち異議申出を行った人 25人
  
  
<全国で収容されているのは23人(11月30日現在)> 
  
 一方、この答弁書で、2001年11月30日現在のアフガン人の強制収容の実態についても明らかになりました。 
 この日現在で、アフガン人は牛久収容所(東日本入国管理センター)に15人、茨木収容所(西日本入国管理センター)に4人、東京入国管理局収容場(東京都北区)に4名が収容されていたということです。 
 この日現在牛久に送られていた人の多くは、成田空港で難民であることを主張したものの受け入れられず、上陸防止施設から牛久収容所に移送されたアフガン人たちです。彼らの中には、すでに収容が200日を越えている人もいます。 
 これに現在の実態を加味してみましょう。東京入管収容場に収容されていた4名とは、10月3日に収容された4名のことです。彼らは12月に退去強制令書の発付をうけて牛久に移され、またこのとき東京地裁民事第三部の決定で身柄を解放されていた5名は12月21日に再収監され、12月27日に退去強制令書の発付をうけて牛久に移されましたから、1月30日現在では、牛久には少なくとも24名の収容者がいることになります。その後も、大阪などで新たな収容が伝えられており、現在アフガニスタンの難民申請者で収容されている人は、この数字よりも多くなることは確実です。 
  
(表3)収容施設に収容されているアフガン人の数(2001年11月30日現在) 
  
収容施設 収容人数
入国者収容所東日本入国管理センター 15人
入国者収容所西日本入国管理センター 4人
東京入国管理局 4人
  
  
<過去4ヶ年の難民認定実績も劣悪>  
  
 この質問主意書では、1998年1月1日から2001年11月30日までのアフガン人の難民認定実績も問うています。1998年は、ターリバーン政権がマザーリー・シャリーフを陥落させ、6000人とも言われるハザラ人を虐殺した時期であり、ハザラ人に対して厳しい迫害があったことは明らかです。 
 ところが、時期を4年間に拡大しても、難民認定を受けた人の数はわずかに6名、逆に不認定処分を受けた人は76人にのぼります(そのうち、異議申し出においても不認定になった人は25人、異議申し出の裁決が行われていない人は28人です)。 
 アフガニスタンにおけるハザラ人など民族的・宗教的少数派に対する、ターリバーン政権の迫害の実態は極めて明白なものであり、この難民認定の実態は到底納得できるものではありません。 
  
(表4)過去4年間に難民認定申請を行ったアフガン人とその処分 
    (1998年1月1日〜2001年11月30日) 
  
項目 人数
 難民認定申請を行ったアフガン人 149人
  1のうち難民認定された人 6人
  1のうち不認定となった人 76人
4   3のうち異議申出を行い却下された人 25人 
5   3のうち異議申し出を行わなかった人 17人
  1のうち処分がおりていない人 60人
  1のうち申請を取り下げた人 7人
  
 北川衆院議員の質問主意書に対する政府側の答弁書は、日本政府がアフガン難民申請者に対して劣悪な処遇を行っていること、難民条約の締結国としての責務をはたしてこなかったことを明らかにするものとなっています。 
 日本政府は、アフガニスタンにおける迫害の実態を正しく認識し、民族的・宗教的迫害を受けているアフガン人難民申請者たちを、難民として認定すべきです。ターリバーン政権は崩壊しましたが、現暫定政権も93〜96年の内戦期にハザラ人を集中的に攻撃してきたタジク人勢力であるラッバーニー・マスード派(イスラーム協会:Jamiyat-i Islami)を基盤にしています。ハザラ人の難民申請を認めてこなかったことで、結果的にターリバーン政権の人権侵害や虐殺行為を見逃してきた日本政府は、今こそ悔い改め、ラッバーニー・マスード派がハザラ人に対して行った虐殺・迫害行為の実態を把握し、現暫定政権による将来的な迫害の可能性を認識して、ハザラ人たちを難民として認定すべきです。
  
 
  

 
2002年1月22日
 
アフガン難民の即時収容停止を求め
品川駅前で「HELP!日本のアフガン難民も」直訴キャンペーン
  
   1月21日〜22日、アフガン暫定行政機構、世界59ヶ国の代表団と主要な国際支援組織の出席により、アフガン復興閣僚級会議が開催されました。会議では、日本側が会議に向けて作っていた支援枠組みの中に位置づけられていた主要なNGOが、外務省によって突然参加を拒否されるなど、日本政府の対応に大きな混乱が見られました。在日アフガン難民の問題については、会議では全く議論にのぼりませんでした。 
 会議が始まった21日、会議畳のホテルに最も近いJR品川駅高輪口で、実行委員会の主催により「HELP!日本のアフガン難民も」キャンペーンとして、駅頭パフォーマンスおよび記者会見が行われました。 
 記者会見には、国内主要各紙を始め、内外の多くのマスメディアが参加。 
 記者会見の司会にあたった「ピースボート」共同代表の中原大弐さんは、まず会議からのNGOの排除について「NGOは非政府組織であり、政府と頭から一致しなければならないというのはおかしい」と政府の認識を質し、外務省が、会議への参加に当たって一方的にNGOを選別するのは民主主義の原則に反していると批判。アフガニスタン復興会議に対しては、現在も続いている米軍による空爆を即時停止すること、平和憲法の原則を持つ日本にできることは、平和的・人道的な支援であり、その出発点は在日アフガニスタン難民の収容や迫害をやめることであると主張しました。 
 次に発言にたった「アフガニスタン難民弁護団」の土井香苗さんと、弁護団長の大貫憲介さんも、在日アフガン難民の収容の問題性を指摘し、彼らを難民として認めるよう日本政府に強く要請しました。 
 この行動は、閣僚会議への直訴キャンペーンとして行われました。牛久収容所に収容されているアフガン難民からのメッセージが「直訴状」として用意されていました。この直訴状について、閣僚会議の準備に当たった外務省中東第二課が責任を持って品川駅頭に取りに来るようにと、記者会見の場から電話をかけましたが、外務省には責任をもって対処できる人がおらず、直訴状の受け渡しは後日ということになりました。 
 キャンペーンの後には、近くの公共施設で「在日アフガン難民の視点から復興支援を考える緊急交流集会」がもたれ、東京で支援に当たっている児玉晃一弁護士・土井香苗弁護士、および大阪で支援に当たっている「カトリック大阪国際協力委員会」の岩田賢司さんから、在日アフガン難民救援の現状と課題についての報告を受けました。 
 「戦争は終わった」「これからは復興だ」というメッセージが支配的な現状の中で、在日アフガン難民の存在はかき消されがちです。しかし、今回の「キャンペーン」は、多くの人々の努力により、こうした主流のメッセージに対抗する市民の声を、具体的な、有効な形で社会にアピールすることができたと思います。今後も、具体的に力になっていくような行動を展開していくことで、在日アフガン難民に対する日本政府の非人道的な政策をストップさせて行きたいと考えます。 

  

<「キャンペーン」に対するメディア報道>
  
  
<参考になるサイト>

CHANCE!(平和を作る人々のネットワーク) 
 在日アフガニスタン難民に関するコーナーも設置されています。とてもわかりやすく素敵なサイトです。 

ピースボート 
 1月21日の「HELP!日本のアフガン難民も」キャンペーンを中心となって企画している「ピースボート」のサイトです。 行動のプレスリリースはこちら。 
  

<このサイトの「復興会議」情報>

○足許のアフガン難民の受け入れこそアフガン復興支援の第一歩 
〜アフガン復興支援閣僚級会合(1月21日〜22日:東京)に向けて〜 
 復興会議に向けた本サイトの立場表明です。 

日本のハザラ人によるボン会議への声明 
 西日本在住のハザラ人難民が書いた、現在進行中のアフガン和平プロセスと暫定政権作りへの提言です。 
 

  
 


 
2002年1月18日
 
HELP!日本のアフガン難民も
〜1月21日〜22日アフガニスタン復興閣僚級会合へのキャンペーン〜
  
 2002年1月21日〜22日の2日間、東京都港区内のホテルで、「アフガニスタン復興閣僚級会合」(東京会議)が開催されます。 
 この会合は、合計60の国家と国際組織の代表が集まり、アフガニスタンの復興について討議するというものです。アフガニスタン「復興支援」の枠組みは、11月以降、米、EU、日本、サウディ・アラビアの4ヶ国が運営グループとなって推し進めてきましたが、「東京会議」は一つの集約点となるものです。 
 日本政府は、アフガニスタン「復興」に向けて今後2年半で4〜5億ドルの拠出をすると見られていますが、足もとでは、来日したアフガニスタン難民を強制収容するなどの非人道的な行為を続けています。もし日本が真摯にアフガニスタン「復興」に取り組むというならば、まず国内のアフガニスタン難民への迫害をやめ、彼らを難民として認定するか、帰国できる条件が整うまで適切な庇護を与えるべきです。 
 現在、この復興会議に向けて、「HELP!日本のアフガン難民も」の声を上げていこうというアクションが予定されています。ぜひともキャンペーンにご参加下さい! 
   
(1)「HELP!日本のアフガン難民も」直訴キャンペーン
  
 1月21日当日、「アフガニスタン復興閣僚級会合」に出席する各国首脳や代表団に、日本で収容されているアフガニスタン難民たちの声を届けるため、「HELP!日本のアフガン難民も 直訴キャンペーン」を行います。 
  • <日  時>1月21日(月)正午12:00
  • <集合場所>品川駅前ショッピングセンターウィング高輪前集合
  • <行動要旨>付近のホテルで開催されている「閣僚級会合」に対して、日本政府のアフガニスタン難民への迫害の実態を訴えていこうという行動です。
  • <詳  細>ここから
(2)“Give Peace a Chance ”ピース・ウォーク  step.9
〜身近なとこからはじめてみよう〜
   
 9月11日の米国同時多発テロをきっかけに、継続して「Give Peace a Chance」の声をあげているグループ「チャンス!」が1月20日に「ピースウォークstep.9」を予定しています。(※アフガニスタン復興会議に向けたメッセージだけでなく、米国同時多発テロに始まる一連の事態に対して「平和にチャンスを!」という声を上げていこうというイベントです) 
  • <日  時>1月20日13時30分集合(16時終了)
  • <集合場所>代々木公園 ケヤキ並木 渋谷公会堂側に集合(場所:JR渋谷駅より徒歩10分、公園通りを上がりきった先のけやき並木を入ってすぐ)
  • <経  路>公園通り〜渋谷駅〜明治通り〜ラフォーレ前〜表参道〜代々木公園
  • <主  催>CHANCE!(平和を創る人々のネットワーク)♪ All we are saying is Give Peace a Chance....♪

  • <詳  細>ここから
 
 2002年1月15日
  
足許のアフガン難民の受け入れこそ
アフガン復興支援の第一歩
  
 アフガン復興支援閣僚級会合(1月21日〜22日:東京)に向けて
  
<国際的な枠組み整備が先行する「アフガン復興」プロセス> 

 2002年1月21日と22日の2日間、アフガニスタン復興に向けた関係諸国および関係機関による閣僚級会議(東京会議)が、東京都内で開かれます。 
 20年間にわたる戦乱と、米国による「報復戦争」で痛めつけられたアフガニスタンを「復興」するプロセスは、以下のプロセスで進んでいます。 

(1)ターリバーン政権の崩壊後、アフガニスタンを統治する暫定政権の形成。ドイツのボンで開催された会議では、ハミド・カルザイ(パシュトゥン人、王党派)を首班とし、その中核をタジク人勢力イスラーム協会(Jamiat-i Islami)、とくに故マスード将軍麾下のパンジシール渓谷出身者が担う暫定政権が成立した。 

(2)アフガニスタンの崩壊した社会資源を再建するための国際的な援助体制作り。これについては、昨年11月21日にワシントンで開催された閣僚級会議で、運営グループ steering Group として米国、EU、日本、サウディ・アラビアが選出され、1月21-22日の閣僚級会議を担うことになった。また、この会議に向けて世界銀行、国連開発計画(UNDP)、アジア開発銀行(ADB)が資金拠出の具体的プログラムを作成する。 

 アフガンをめぐる国際的な枠組みの整備は、東京会議に向けて急ピッチで進んでいますが、一方で暫定政権の枠組みは今のところ、パシュトゥン人に一定の配慮をしながら、その実、タジク人勢力を中核にするもので、ハザラ人やウズベク人、その他の少数民族も含めた真の民族和解を体現するものにはなっていません。また、イスラーム協会などを始めとするムジャヒディーン各派やターリバーン政権による虐殺や迫害行為の真相究明や国際的な司法手続きなどについても、現状ではまったく空白の状態です。 

<民族和解プロセスを導入し、内戦と分断の歴史を断ち切ろう> 

 アフガニスタンは、各民族・各勢力によって分断支配され、それを超大国や周辺諸国が自国の利益確保のために操作する、という状況が続いてきました。こうした状況を断ち切り、アフガニスタンの民衆の利益を最優先する民族和解プロセスが遂行されない限り、同じ歴史がくり返されることになります。とくに、こうしたプロセスがないところに大量の復興資金が流れ込めば、その資金をめぐる諸勢力の争闘戦となり、1993年の親ソ政権崩壊後のような内戦状態が発生する危険性がますます高くなります。 
 このように、アフガニスタン復興プロセスはいまだ始まったばかりであり、非常に不安定です。にもかかわらず、各国に逃れたアフガニスタン難民を帰還させようとする動きが、もう始まっています。これはきわめて不適切です。民族和解プロセスが決まっていない中では、多くの難民にとって、難民条約にいう「十分に理由のある迫害の恐れ」はなくなっていません。とくに、アフガニスタン第三の民族でありながら、パシュトゥン・タジクの二大民族による厳しい迫害を受けてきたハザラ人にとって、現暫定政権はいつでも迫害の主体に変わりうる危険性を持っています。アフガニスタンの民族和解プロセスが本格化し、またこれまでの各種の民族的迫害行為に対する国際的な司法手続きが軌道に乗るまで、彼らの不安は消えることはありません。 

<日本はまず足下の難民への迫害をやめよ> 

 日本は「東京会議」で、アフガン復興のための大量の資金拠出を約束するものと思われます。しかし、日本はその足下で、在日アフガン人難民に退去強制の命令を出し、強制収容を行うなどの迫害を行っています。アフガニスタンを自国の利益のために振り回してきたこれまでの国際社会の悪習を断ち切り、真にアフガン人のための復興をめざす新たなパラダイムを作ることをめざすのであれば、まず日本が、足下のアフガニスタン難民への迫害をやめて彼らを解放し、彼らが安心して帰国できるような状況を作り出すための、真の民族和解のプロセスの導入を提唱すべきです。 
 本ホームページでは、東京会議に向けて、声を大にして「足許のアフガン難民の受け入れこそアフガン復興支援の第一歩」というメッセージを広げていきたいと考えています。 
  

○関連資料
 
  
 


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