夢の城

― 登場人物 ―


何をなすべきか(一)
― 上 ―

主要登場人物

藤野(ふじの)美那(みな)
 玉井の市場町に住む少女。十六歳(数え年、他の登場人物も同じ)。事情があって、市場の老舗の葛餅屋「藤野屋」に預けられ、育てられている。浅梨治繁の門下で唯一の女弟子でもある。船頭植山平五郎が安濃社に詣でるのに案内役で付き添い、三郡守護代の春野越後守定範に遭遇した。
小森健嘉(たけよし)式部大夫(しきぶだゆう)
 評定衆(ひょうじょうしゅう)筆頭。春野越後守(えちごのかみ)定範(さだのり)が守護代に就任して以来、ずっと家臣のまとめ役となって定範を支えてきた。弦三郎に浅梨屋敷の内情を内偵させるかわりに、その生活を支えてやっている。
池原弦三郎(げんざぶろう)
 若い武士。若くはあるけれど、玉井三郡の一つ竹井郡の池原郷の名主である。この物語の始まる前の年、村が出水で大きな被害を受けたため、年貢その他の減免などの陳情のために玉井の町に出てきて、小森健嘉に働きかけている。浅梨治繁(あさりはるしげ)に弟子入りしているのは、小森健嘉に浅梨屋敷に不穏な動きがないかどうかを内偵して報告するためである。しかし、弟子入りしたとたんに勝ち気な姉弟子の藤野の美那に殴りつけられる(しかも助けてやったにもかかわらず...)という災難に遭遇する。[あばれ馬]
駒鳥屋のあざみ
 美那の隣の商家 駒鳥屋 の一人娘。美那と同い年らしく、仲がよい。市場の娘たちとも広くつき合っている。美那といっしょに平五郎の案内役を務めた。
植山平五郎
 唐国(明)の天津に本拠を置く商人の持ち船「千歳丸」の船頭(船長)。桧山桃丸の客として港に滞在しており、桃丸の勧めで安濃社を訪れて宮司や定範と話を交わしていた。
藤野屋の(かおる)
 藤野の美那の養い親で、母親代わりである。一人で葛餅の店 藤野屋 を経営している。暴れ者の美那も薫に意見されることを恐れており、また、その容姿や育ちの良さにはコンプレックスを抱いているようでもある。
浅梨治繁(あさりはるしげ)左兵衛尉(さひょうえのじょう)
 藤野の美那の剣術の師。幕府の管領(かんれい)家の血筋につながり、玉井春野家初代の正興が京都から下ってきたときから仕えていた臣下である。定範には仕えずに、屋敷町のはずれの屋敷で町の者たちや春野家に仕官していない武士たち(つまりは浪人)に武芸を教えている。
桧山桃丸(ひやまももまる)、「桧山の若殿」
 港の近くに屋敷を持ち、事実上、港の監督を担当している名主。「桃丸」は幼名だが、元服後の現在もその幼名のほうで通している。頬の紅い、あどけなさの残る表情の美少年だが、美那より少し歳上のようだ。薫と昔から知り合いで、美那のことを気にかけている。定範が安濃社に参詣するのを知って、薫にそのことを伝えに来ていた。[安濃詣で(三)]
さと(おさと)
 市場町の宿屋で働く娘。あざみの友だちらしい。弦三郎を殴ったというので、橋桁を落として美那を溝に叩きこんだことがある。その件にはあざみもかかわっていた。[安濃詣で(一)下]
鍋屋の隆文(たかふみ)
 市場の鍋屋で働いている。浅梨治繁の現在の弟子のなかでは一番上である。
銭屋の元資(もとすけ)
 父が世親寺の僧で金貸しを営んでおり、その代行というかたちで、市場で金貸しを営んでいる。浅梨治繁の弟子。

話題としてのみ登場する人物

春野定範(さだのり)越後守(えちごのかみ)
 現在の三郡守護代。玉井春野家初代 春野正興の次男。巣山の柴山氏の支援を受けて自分の甥にあたる正稔(まさとし)の地位を奪い、守護代の地位を奪ったこと、凶作つづきなのに効果のある対策をとれないことなどから、評判は必ずしもよくない。本人は温厚そうな初老の男なのだが……。
柿原忠佑(ただすけ)大和守(やまとのかみ)、入道
 定範の正妻の父にあたり、大きな権勢を誇っている。竹井郡柿原郷の名主で、自分の下に柿原郷の金貸しを組織して手広く米銭の貸し付けを営んでいる。定範と同様に城下の衆からは嫌われている。忠佑のほうでも玉井の城下や市場の人びとによい感情は持っていないようだ。
野嶋(のじま)当四郎(とうしろう)
 市場の博奕(ばくち)打ち。家は竹井郡野嶋郷の名主で、池原弦三郎の従弟にあたる。野嶋の家からは帰ってくるように催促されているが、従う気配は見せない。弦三郎は市場ではこの当四郎の家に仮住まいしている。
中原村の地侍(じざむらい)
 玉井郡で町に隣接する中原村の零細地主 兼 武士。店で使う水を汲みに行った美那に言いがかりをつけたが、居あわせた榎谷(えのきだに)の志穂に撃退された[春の朝]。当人はずっと登場していないのにしつこく「話題としてのみ登場」する。
春野正興(まさおき)民部大輔(みんぶのたいゆう)
 玉井春野家の初代。京都に住む貴族で、玉井三郡を領地としていたが、三郡が混乱して年貢が上がってこなくなったため自ら三郡にやってきて混乱を収拾し、京都在住の守護から守護代の地位を得た。定範の父にあたる。菫の花を愛した。安濃社に菫畑があるのはそのためだという。