土曜は昼前には静岡入り。 ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016 の会期最後の週末の公演を観てきました。まずは最初の2本を。
Sawsan Bou Khaled はレバノン・ベイルートを拠点に活動する俳優で、 昨年の ふじのくに⇄せかい演劇祭 で Page 7 『ベイルートでゴドーを待ちながら』 [鑑賞メモ] を演じた Issam Bou Khaled の妹。 思春期の女性の眠れない夜の悪夢を、可愛らしいくかつちょっとグロテスクに舞台化。 ディテールに違いはあるが、TACT/FESTIVAL 2015で観た Claire Ruffin: L'Imsomnante 『眠れない…』 [鑑賞メモ] と共通するテーマで、私的なようで一般的な題材。 身体的な動きで展開していくのではなく、オブジェや映像を用いてちょっとグロテスクに内面に入っていく所が演劇的に感じられた。 敷布の毛虫に食べられる場面で、敷布の毛虫の面にキューピー人形がたくさん付けられていた。 このイメージなども、初期の「怒りの時代」の Niki de Saint-Phalle [鑑賞メモ] や、 Annette Messager [鑑賞メモ] などの、女性の現代美術作家に連なるよう。 新鮮さは無かったけれども、レバノン出身というバックグラウンドを感じさせない内容は逆に興味深かったし、 フェスティバルのラインナップ中の小品として楽しめた。
Wajdi Mouawad はレバノン・ベイルート出身ながら、内戦による亡命で、フランス経由でカナダ・ケベック州を拠点に活動する俳優/演出家。 2016年にパリの Théâtre National de la Colline の芸術監督に就任するなど、フランス語圏で活躍している。 Seuls は2008年の Festival d'Avignon で上演された作品で、 Robert Lepage: The Far Side Of The Moon [鑑賞メモ] へのオマージュという面もある作品だった。 中盤過ぎまでは、ローテクな Robert Lepage とでもいうような自伝的一人芝居が続く。 のだが、終盤になって、脳内出血で昏睡状態になったのは父ではなくて、 自分が昏睡状態の中でそのような「夢」を観ていたという所で、演出スタイルが一転。 録音された他人のセリフは流されるものの、 セリフを使わずペンキをブチまけてぐちゃぐちゃになってのアクションペインティング的なパフォーマンスをひたすら繰り広げた。 このような演出スタイルが一転してめちゃくちゃになる作品というと、 FESTIVAL/TOKYO 2015 で観た Angélica Liddell / Atra Bilis Teatro: All the Sky Above the Earth (Wendy’s Syndrome) [鑑賞メモ] も連想させられたのだが、 Seuls の場合は、そうなる直前の昏睡した父親に向けられた長い独白も効果的で、 その時に使われた音楽もあって、ぐちゃぐちゃのパフォーマンスですら感傷的に感じられた。 たしかに、ぐちゃぐちゃのパフォーマンスは長く感じたけれども、そんな演出の巧さもあって、 All the Sky Above the Earth (Wendy’s Syndrome) と違って、演出スタイルの落差も楽しめた舞台だった。