カナダ・ケベック州出身の Robert Lepage が2015年に制作した一人芝居。 Lepage というと、映像やライティングを駆使したトリッキーな演出を期待するし、実際にその面も楽しんだ。 しかし、この作品では、労働者階級という自分の出自に関する個人史とケベック近現代史を絡めた語りが心に染み入った。
始まりは、La Nuit de la poésie de 1970 の40周年を記念した 2010年の La Nuit de la poésie で、 1970年に朗読された詩 Michèle Lalonde: “Speak White” [YouTube] の暗唱朗読することとなったが、 何故か覚えられない、という話。 そこから、半ば脱線するかのように自分が子供の頃の記憶の話となる — タイトルも子供に住んでいた家の住所から取られている。 そして、タクシードライバーだった父親をはじめとする家族や、住んでいた集合住宅の住人たちのエピソード、 さらに、1970年にケベックで起きたオクトーバー・クライシスなど、カナダ・ケベック州の近現代史の話へと広がっていく。 論理的に筋道立てられているわけではないが、話が飛びまくるという印象は受けなかった。 何か明確な結論や主張が伴っているわけではないし、 抑制されたユーモアはあるけれども面白おかしく脚色したりはしていなかったが、 淡々とした語りの上手さに引き込まれた。 セリフは英語とフランス語を交え日本語字幕での上演だったが、字幕であることなど忘れる程だった。
そして、広げられた話は、 Michèle Lalonde: “Speak White” の激しい暗唱朗読、そして、 その直後で最後の場面となる、祖母の死に涙する父の姿の回想で、ぐっと収束する。 子供の頃の記憶 — 労働者階級の生活やオクトーバー・クライシスに関するものなど — を関連付けることによって “Speak White” を記憶したんだと気づかされる一方、 “Speak White” は La Nuit de la poésie に出席するような名士たちのためのものではなく — Lepage の 887 を観に来るような人たちのためのものでもなく、 Lepage の父親のような政治的主張等はごくごく穏当で寡黙で勤勉に働く平凡な労働者のような人々のためにあるのだとも気付かされるという。
もちろん、映像投影を駆使して 子供の頃に住んでいた集合住宅のミニチュアを回転させたり扉状のものを開いたりすることで 現在住んでいる家の室内など様々に変化させたり、 小型カメラでミニチュアを撮影した映像をライブで投影するとこで異なる視点を挿入したり。 そういう Lepage らしい演出も楽しんだのも確か。 しかし、演出のトリッキーさの印象が残らないほど、語りに引き込まれた作品だった。
思えば、初めて観た Robert Lepage の舞台 The Far Side of the Moon 『月の向こう側』も、 米ソ冷戦と宇宙開発競争という大きな歴史と兄弟の不和と和解という私的な話を重ね合わせて語る一人芝居。 Lepage のそのような語りを作る巧さに改めて気づかされた。 それ以来 Lepage 作品の来日公演をそれなりに観てきたが、トリッキーな演出を楽しみつつも、 The Far Side of the Moon に比べて物足りなく感じていたのも確か。 887 を観て The Far Side of the Moon を観たときの感動を思い出した。 いや、それ以上のものがあったかもしれない。