2年前の Panorama [レビュー] は新作というより過去の作品からのベスト場面集という感が強かった Cie DCA - Philippe Decouflé が、新作らしい新作 (といっても最新ではなく2014年の作品だが) を携えて来日した。 新作 Contact はミュージカル。 ミュージシャンの袖で生演奏はもちろん、ミュージシャンもパフォーマンスに絡むし、パフォーマー自ら歌い楽器を演奏する場面も満載。 Goethe の長編戯曲 Faust を踏まえていたが、 その物語を演目を繋ぐために使うというのではなく、 Faust、Mephistopheles、Margarete というキャラクター設定を利用する程度。 大きな物語を描くというより細かい演目をつないでいく演出も、 ミュージカルというより、バラエティというかカバレットのよう。 様々なアイデアが次々と湧いてくるような、歌あり踊りありのハイレベルなエンタテインメント・ショー仕立ての舞台を堪能した。
舞台は閉じられた幕の前での寄席芸のようなやりとりで始まる。 続く幕を少しだけ開けての戦間期アメリカのショーダンス風のダンスが始まったあたりまでは、 正直言えば退屈な作品になるのではないかという不安も覚えた。 しかし、幕が大きく開き、舞台中央に立てられた高さ1.5mほどの箱の内外で、 男女がエロティックなコントーションやアクロバットを思わせる動きをし始めた所で、ぐっと引き込まれた。 Decouflé が好んで使う方法ではあるが、 その手足の動きをカメラで捉え、少しずつディレイを加えつつ幾つも複製してその背後して投影することで、 万華鏡のように幻惑的な映像に覆われるよう。 そしてそのような視覚的な演出がパタパタと畳まれるように収束し、 幕を閉じた寄席芸的な世界に戻り、女性パフォーマーもインチキ臭い姿消しマジックで退場した。 まるで寄席芸のいんちき臭いマジックから束の間の幻影が登場したかのような演出だ。
この後も、次々とアイデアが盛り込まれた芸が登場していく。 それらの繋ぎも、舞台の奥行き舞台装置の立体感も殺すような万華鏡のような映像を駆使した幻惑的な演出、 群舞もミニマルなダンスも生きる舞台装置で奥行きを利用したダンス的な演出、 そして、幕前の寄席芸的な演出を、 自在にシームレスに往き来するようだった。 左右に開く幕が斜めに切られていただけでなく、 その後の舞台を額縁するような装置も水平や垂直が避けられたひしゃげていた。 こういった作りも、映像を使わない時は奥行き感を狂わされるようであり、 そこに映像が投影される時は万華鏡的なモザイク感が強調されるようだった。
この作品は Pina Bausch へのオマージュでもあり、タイトルは Kontakthof [鑑賞メモ] から採られているという。 Pina Bausch を意識してか、Decouflé の舞台作品らしからぬ群舞が多く使われていた。 一列になって進むようなダンスや、横に手をつないでのダンスなどに、Pina Bausch っぽさを感じたのは確か。 ただ、それだけではなく、 ミュージカル West Side Story のオマージュと思われる場面もあれば、 Nosfell をロックスター仕立てにしたロック・オペラ/ミュージカルを思わせる場面、 Viotette Wanty がポップスター風 (Madonna を意識したのだろうか) に歌い踊る1980年代のMTVやコンサートを思わせる歌とダンスの場面もあった。 美男美女からキュートだったりファニーだったりするキャラクターまで服装も統一感無く個性的なダンサーたちが 様々なタイプの歌と踊りを展開してくれた。
もちろん、Decouflé の作品の楽しみはサーカス的なエアリアル・ダンス。 この作品ではあまり出番が無く、フロアでのダンスとの組み合わせもあって、さほど目立っていなかったけれども。 この作品では先にループが付けてある伸縮するロープを使っていた。 前半にあった女性2人のデュオも良かったけれども、 フィナーレ直前のエアリアルとフロアでのダンスの女性2人のデュオが、 届きそうで届かない距離感で組み合わされた動きと、背景に投影された万華鏡的な映像もあって、とてもロマンチックに美しかった。
音楽を担当したのは、フランスの alt rock の文脈で活動する Nosfell (voice, guitar, etc) と、 Nosfell のアルバムには必ずのように参加している Pierre le Bourgeois (cello, electronics, etc)。 歌は Klokovetz と名付けられた誰にも理解できない人造語 (Magma の Kopaïa を連想させる) も使われており、 意味がある言葉が使われる時も言葉遊びが多め。 ダンス向けの音楽ということで、le Bourgeois が cello を loop で回したり、と、 ダンサーに flute や piano を演奏させたりと、ロック的なイデオムから外れる時も少なくなかったが、 1990年代半ば以降の post-rock / electronica 的なものではなく、それ以前の rock 的なイデオムを強く感じた。 そんな音楽も、この作品にロック・オペラや1980年代のMTVを連想させる少々レトロな印象を加えていた。