ふじのくに⇄せかい演劇祭 2024 のプログラムで、これらの舞台を観ました。
Thomas Ostermeier 率いる Schaubühne Berlin [関連する鑑賞メモ] の6年ぶり来日は、 Антон Чехов: «Чайка» 『かもめ』 (初演1896) の新演出でした。 舞台上に仮設客席を組んでの上演ということで、観客を巻き込むイマーシヴな演出もあるかと予想していたのですが、そういう方向性ではありませんでした。 小さなステージを客席で囲むことで俳優までの距離感を近付けつつ、 舞台美術や映像での演出も最低限に、俳優の身振りとセリフでみっちりみせる会話劇でした。
2年前にNational Theatre Live で観た Jamie Lloyd 演出 [鑑賞メモ] が劇中劇のある第1幕をほぼ省略するものだったこともあり、 劇中劇のあたりまでは違和感の方が大きかったのですが、次第に登場人物の造形がはっきり掴め、劇中世界に入りこめました。 Jamie Lloyd の演出は Nina と Kostya (Konstantin) の関係に焦点が当たっていたように思うのですが、 今回の Ostermeier の演出では特に、Nina と Trigorin の関係が丁寧に描かれ、この2人の間にも愛があったんだと感じられました。 第1幕の若気の至りのような実験的な劇中劇が上演されたことで、Kostya も母のコンプレックスというより若さの空回りという面が際立ち、 最後の Nina との再会の場面には、紆余曲折を経ての Nina と Kostya の成熟を感じました。
脇役の登場人物の造形もはっきりとしていて、特に、印象に残ったのは、田舎のゴスっ娘 Maša (Marja)。 Nina もいかにも田舎育ちらしく造形されていたのですが、都会的な文化に憧れ、地元の人たちの中で孤立と鬱屈を感じつつも、積極性で対称的な2人が良いコントラストになっていました。 もちろん、この2人の対比となる地元の人々である Maša の両親や Maša が結婚することになる教師 (Medvedenko) の造形も、 単に野暮ったいというより、地に足をつけて生きているという納得感のあるものでした。
1990年代の Shoegazer の代表的なバンド Slowdive の Rachel Goswell が最近、インタビューで「若い頃は村でただ一人のゴスだった」のような話をしているのですが (“The Only Goth In The Village: Rachel Goswell's Favourite Albums”, The Quietus, August 16th, 2023.)、 今回の舞台の Maša にそんな Rachel の言葉を思い出しました。
会話劇の苦手感を払拭できたというほどではなく、パイプ椅子で3時間は辛いものがありましたが、 近い距離で登場人物の造形もはっきり演じられたこともあってか、それぞれの登場人物が身近に感じられました。 抽象度高めの Jamie Lloyd の演出では捉え損ねていて、そういう事だったのか、そういう人物だったのか、という気付きが多かった今回の上演でした。
近年恒例になっているSPACの駿府城公園での野外公演ですが、今年は新作、 岡倉 天心がアメリカ・ボストンにて英語で書いた三幕物のオペラ台本 The White Fox (1913) に基づくものです。 安倍晴明出生説話でもある説話『葛の葉』 (『信太妻』とも) に基づくもの。 白狐 コルハ は悪右衛門に狩られ殺されそうになった所を安倍保名に救われます。 その後、悪右衛門に相愛の姫 葛の葉 を攫われ打ち負かされて傷心の保名に対し、 コルハ は 葛の葉 の姿になり、救われた恩に報いるため彼に寄り添いますが、やがて愛となり、子 (安倍晴明) をもうけます。 しかし、葛の葉 が生きていて再会が叶わなければ出家する覚悟と コルハ が知ると、保名と葛の葉のためにコルハは身を引きます。 動物報恩譚、異類婚姻譚の物語ですが、保名をはさんでコルハと葛の葉が三角関係を成し、 コルハが身を引くことで秩序が維持されるという、実にメロドラマ的な物語でもあります。 特に時代などを翻案することなく、ク・ナウカ以来の語り手と動き手を分離した様式的な演出で、そんな自己犠牲と別れの悲しみを美しく描き切っていて、ラストは思わず涙しました。
駿府城公園の特設会場では、 2016年の『イナバとナバホの白兎』[鑑賞メモ]、 2019年の『マダム・ボルジア』 [鑑賞メモ]、 2022年の『ギルガメッシュ叙事詩』 [鑑賞メモ]、 2023年の『天守物語』 [鑑賞メモ] と観ていますが、 今まで観た中では最も好みでした。 しかし、中央中段と悪い席でなかったにも関わらず、音響の調整の問題か、発声の問題か、 語り手やコロスの声の通りが悪く、聞いていてもうわ滑るというか、響くものがありませんでした。 そんなこともあり、物語も視覚的にも好みでしたが、物足りなさが残りました。