SPAC-静岡県舞台芸術センターの ふじのくに⇄せかい演劇祭 改め SHIZUOKAせかい演劇祭 2025 の前半で、これらの舞台を観ました。
Tiago Rodrigues はポルトガル出身ながら1997年にベルギーの tg STAN [鑑賞メモ] で活動を始め、 2003年に Madga Bizarro と設立したカンパニー Mundo Perfeit で評価を得、 2015-2021年はリスボンの Teatro Nacional D. Maria II の芸術監督、 2022年からは Festival d'Avignon の芸術監督に就任しています。 といっても、その評価や作風に関する予備知識は殆どなく、2023年の Festival d'Avignon での話題作という程度の関心で観ました。
人道支援団体で有る赤十字国際委員会や 国境なき医師団の一員として 紛争地や被災地で医療・人道援助に従事する人々との対話に基づく一種のドキュメンタリー演劇 (インタビューによるとドキュメンタリー演劇ではなく「記録に基づく演劇」という自認) です。 紛争の現場での壮絶なエピソードも含まれますが、その現場での現実というよりも、従事者の語りを通して、葛藤や矛盾も含みつつも取り組まれる医療・人道援助を描くかのような作品でした。
インタビューから特徴的な一言や、ある程度まとまった長短様々なエピソードを切り出し、 それを4人の俳優が観客向けて語っていきます。 それぞれのエピソードの並べ方は、ある一定の結論に向けて収束するようなものではなく、 かといって、エピソード間の矛盾や相違を際立たせるものでもなく。 「不可能」での極限的状況下の壮絶な体験やそこでの葛藤から、「可能」で感じる孤独、同僚の不正に対する憤りなど、 多様な状況で起伏を作るように緩く関係付けられていました。
対話の内容は抽象化、匿名化されていて、人名はもちろん、紛争地・被災地は「不可能」、人道支援団体の拠点となる先進国は「可能」、人道支援団体は「組織」とされています。 といっても、欧州の公共劇場の主な客層に対して想定できそうな、 人道支援に特段の関心があるほどでなくとも普段BBCのような公共放送局の国際ニュースを眺めている程度の前提知識があれば、 話のディテールから、どちらの組織での話か (例えば、遺体を収容しようとする住民が意味も組織もわからないが攻撃されないからとマークを使用していたというエピソードは、明らかに赤十字国際員会)、 「不可能」がどこか (例えば、50万人が人質になっているという言葉はガザ地区を暗に示していた)、 容易に推測できるエピソードも少なくありませんでした。 その上であえて「不可能」や「組織」と使うことで、個別具体的な問題としてではなくある程度普遍性を持った問題として提示しようとしているように、 また、英雄化・悪魔化を避けるために非属人化する意図を示しているように、感じられました。
人道支援活動の実際を垣間見るという点で興味深く、 また、身の危険に直面しつつつ限られた手段しか無い中での活動という壮絶なエピソードに心を打たれましたが、 そのようなエピソードがリアリスティックに演じられるのではなく、 手動で少しずつ変えられるテント様の美術、立ち位置や照明、drums と electronics の生演奏の音によるニュアンスが添えられる語りでそれが示されます。 美術や音楽のアブストラクトさはもちろん、落ち着いた色合いながら綺麗な色で無柄のミニマリスティックなシャツとパンツの衣装、様式的というほどではないもの抑制的な演技で配置を取りつつ時に歩きながらの語りなど、適度に抽象化された演出が美しい舞台でした。
2010年前後、Rimini Protokoll [鑑賞メモ] や Rabih Mroué [鑑賞メモ] を好んで観ていたものの、 最近はドキュメンタリー演劇、レエクチャーパフォーマンスの類を観てもピンと来なくなっていたこともあり、 実は今回の公演もさほど期待していませんでした。 久々に良いドキュメンタリー演劇 (作者はそうではないという自認のようですが) を観ることができました。
10余年前に Rimini Protokoll や Rabih Mroué を観ていた頃は、 東京国際芸術祭〜FESTIVAL/TOKYOがドキュメンタリー演劇に積極的な一方、 SPACのふじのくに⇄せかい演劇祭は Milo Rau [鑑賞メモ] などありましたが、 むしろドラマの力を信じた作品の揃いが良く、ディレクションが対照的だと感じていました。 SHIZUOKAせかい演劇祭に名が改たまっただけでなく、このような作品がフィーチャーされることになった事にも、時代の変化を感じます。
カメルーン出身でフランスを拠点に活動する Merlin Nyakam によるソロダンスです。 SPAC-ENFANTS [鑑賞メモ] を通してSPACとは縁深いダンサー・振付家です。 2024年の演劇祭で グランシップ交流ホール で上演した作品の、野外劇場「有度」へ舞台を移しての再演です。 ダンサーならではの立ち振る舞いの良さはありましたが、音楽等に合わせたダンスの身体性の強度で見せるというより、 儀式のように蝋燭の火の光、半球状に割られた瓢箪などを舞台上に配置してそれを変えていくような、空間を振り付けるかのようなパフォーマンスでした。 そんなこともあり、日が落ちて次第に闇に包まれてゆく野外劇場「有度」の美しさを堪能できました。
といっても、前半は少々掴みに欠け、客弄りをする所などは半ばホームグラウンドである静岡での内輪ノリの感も否めませんでした。 そんなこともあって、終わり近くに観客を使って身体に描かせて始めた時は意図が掴めず冷ややかに観ていたのですが、 その後、自身で顔を真っ白にして踊り出すと、一転、アフリカの伝統的なフェイス&ボディペイントのようになり、 その激しい踊りと合わせ、なるほどそう転換するのか、と。 そんな最後に向けた転換が良かったので、観終わった後の印象が良くなりました。
アフリカのコンテンポラリーダンスを観る機会が少なくその多様性がわかっていないために共通点を見出してしまっただけのようにも思うのですが、 去年観た Germaine Acogny のソロ Homage to the Ancestors [鑑賞メモ] も儀式のような作品だったことを思い出しました。