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読書メモ & ポストパンクの歌詞について (2004/12〜)

2004/12以降の関連する一連の読書メモとそれに関連する発言、 特にポストパンクの歌詞についての抜粋です。 順番は古いものほど上になっています。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。

- 若林, 東京, Sun Dec 26 21:51:37 2004

久し振りの読書メモ。半分、自分への備忘録ですが。

一年前に読んだ 『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界』 (ちくま新書432, ISBN4-480-06132-0, 2003) が面白かったので、新しく出た新書 仲正 昌樹 『お金に「正しさ」はあるのか』 (ちくま新書500, ISBN4-480-06200-9, 2004) を読みました。 主に近代以降の小説を「貨幣」「経済」の観点から読む、という所が特に面白かった〜。

ツッコミ所満載過ぎて忘れていましたが、 12月12日にあった『第2回府中ビエンナーレ ― 来るべき世界に』 @ 府中市美術館 のシンポジウム (関連発言 1, 2) で増山 麗奈 が「エロ」と「戦争」の話をしていたときに、 「ふつー、政治、経済、性の三題話だろ。で、経済は?」と心の中でツッコミ入れていたことを、 この本を読んでいて思いだしました。 僕のチェックが甘いだけなのかもしれないですが、 作品の中で社会的な題材を扱う日本のアート作品というと、 9.11テロとかイラク戦争とか政治的暴力のテーマを扱ったものはそれなりに観た記憶があるのですが、 貧困とか経済較差拡大などの経済的な問題となると ここ10年近くの日本のデフレとそれに伴う失業増大や経済較差拡大など まるで無かったかの如くのようになるように思います。 『第2回府中ビエンナーレ ― 来るべき世界に』で取り上げられた 「社会的」作品もそうだったわけです。 僕が思い出せる経済的問題を扱った作品というと、素朴な地域通貨を扱った作品とか、 段ボール・ハウスを取り上げた作品とか、その程度です。 こういうアートにおける経済の不在って、 実は、ロマン主義の延長なのかもしれないなぁ、と、 『お金に「正しさ」はあるのか』の「「不在の貨幣」を軸にした文学作品群」 (p.124-) あたりを読んでいて思ったりもしました。

経済の問題がきちんとした位置を占める作品といえば、 アートの文脈でなければ、演劇における ゴキブリコンビナート の一連の作品 (レビュー 1, 2) をまず思いだします。 それにしても、演劇の中でも異端扱いされていたわけで……。 そういえば、例えば、The Smiths (1980年代の UK の indie rock バンド) のような 若年失業者や NEET の心情を歌ったバンド (関連発言) がそれなりにポピュラリティを獲得した、なんて話は日本では聞かないですね。

ちなみに、政治、経済、性の三題話いう発想を 僕は The Smiths に教わったのでした。 "The Queen Is Dead" (in The Queen Is Dead, 1986) の歌詞の中に、 "We can go for a walk where it's quiet and dry / and we can talk about precious things / like love and law and poverty" (引用者強調) という一節があります。 この「愛」と「法律」と「貧困」を併置する所が 高校を卒業したばかりの自分にとって新鮮でカッコよく感じられたのです。 当時、歌詞を一字一句噛みしめるように聴いていた Billy Bragg や The Smiths の Morrissey の歌う歌詞とはなるほどそういうことだった (政治、経済、性が織り成す問題を題材にしていた) のかと、 この一節を聴いて思ったのでした。 もちろん、こういう三題話は The Smiths や Billy Bragg に限らず広くあると思います。 しかし、Gang Of Four、Au Pairs、Delta 5 といった post-punk のバンドが 反ラブソング的な観点からかなり意識的にやっていたと思われる所があって (「ポストパンク・ラヴ・ソングを歌うデルタ・ファイヴ」, グリール・マーカス 『ロックの「新しい波」』, 晶文社, 1984; Greil Marcus, Real Life Rock, 1978-1984)、 1980年前後の post-punk から1980年代半ばくらいまでの UK indie rock における 歌詞テーマの主要な系譜になっているとも思います。 Gang Of Four, The Peel Sessions Album (Strange Fruit, SFRCD107, 1990, CD) のライナーノーツに、 "Their subject was the roots and origins of the assumptions and received ideas which constitute 'common-sense' notions of politics, economics and sexuality;" とあるのですが、この politics, economics and sexuality というのは、 The Smiths の言う love and law and poverty に対応しています。 Billy Bragg, "Valentine's Day Is Over" (in Workers Playtime, 1988) での Love と Brutality and Economy というのもそうです。

政治、経済、性の三題話を持ちだして Gang Of Four 等に 話を(無理矢理)繋げましたが、 実は、仲正 昌樹 『お金に「正しさ」はあるのか』を読んでいて 僕がたびたび連想したのは、Gang Of Four の歌詞でした。 例えば、第四章冒頭にある全体の要約的な一節 (p.170) の

これまでいくつかの文学作品に即して見てきたように、 近代の主要メディアである「貨幣」は”我々”が生きている「世界」を縁取り、 ”我々”の「現実」感覚を規定すると同時に、 ”我々”が無意識に抱いている「欲望」をファンタスマゴリー的に拡張し、 (貨幣の呪縛から解放された)「ユートピア」を夢見させる。 「貨幣」は”我々”をこの二つの相異なった方向へ引き裂き、 「現実(身体)」と「理想(精神)」の乖離を際立たせる。 しかし時としてその逆に、この二つの領域を結びつけるような働きもする。

というくだりを読んだとき、僕の頭の中では Gang Of Four, "We Live As We Dream, Alone" (in Songs Of The Free, 1982) の "We live as we dream, alone / Everybody is in too many pieces / No-man's-land surrounds me! / With no money we'll all go crazy" といったフレーズが流れていました。 貨幣と不可分な「学問の自由」に関する記述を読みながら、 経済的な破綻と結婚/同棲生活の破綻を「独立/自立」の問題として歌った "Independence" (in Hard, 1983) を思い出したり。 この本で扱われている問題のいくつかは Gang Of Four を通して学んでいたものかもしれない、とか思ってしまいました。 実際は、聴きはじめた中学高校時代にそんなことが理解できたわけはなく、 単に Andy Gill のギターがカッコいい〜、というレベルでした。 大学時代にグリール・マーカスの本を副読本に聴くようになって そういう問題を意識するようになったように思います。 といっても、深く考えることはほとんど無かったですが……。 それに、30代後半の今 Gang Of Four に出合っていたら 「歌にされなくても判っているよ」とか思う程度だったかもしれません。

と、本の感想から脱線してイタい自分語りになってしまった感もありますが、 たまにはこういう発言があってもいいかな、ということで。

- 若林, 東京, Sun Dec 26 23:09:28 2004

仲正 昌樹 『お金に「正しさ」はあるのか』の読書メモ というか自分語りを書いていて、 書き残しておきたくなったので、ついでに。

post-punk 期の歌の中で僕の好きなものに Gang Of Four, "I Love A Man In Uniform" (in Songs Of The Free, 1982) と Robert Wyatt, "Shipbuilding" (in Nothing Can Stop Us, 1982) が があります。この2曲は、歌詞中に直接的な言及は無いものの、 フォークランド戦争にまつわる状況を歌っているとされているものです (正確には、"I Love A Man In Uniform" は弱干先にリリースされたので、 フォークランド戦争を意識して作られた曲ではありません)。 "I Love A Man In Uniform" は、兵役に志願する失業中の (もしくはそれに近い) 若者についての歌ですが、「自信を取りもどすために迷彩服を着るんだ」 「女の子は軍服を着た人が好き」といった歌詞が 性と暴力の社会機構の諷刺劇のような面白さがあります。 一方、"Shipbuilding" は、失業中の造船労働者、(志願兵として) 戦場に赴く息子、 造船所の再開にあたって起きた事件、そして、 軍艦を作ることになることを知りながらやはり造船所で働こうと決断すること、 などを淡々を綴った歌で、その淡々とした所が好きな歌です。 この2つの歌に共通するのは、失業や貧困の問題も伺わせる内容であること、 特に、志願兵 (英国は志願兵制) とはいえ 戦場に赴くのは失業等で社会的弱者の立場になった若者だということです。 イラク戦争のニュースを読んでいると、そんな歌が心をよぎることがあります。

よくチェックしているウェブサイトに 『暗いニュースリンク』 があります。ちょうどクリスマス前、そのサイトにイラク戦争に関する 「「安上がりな戦争」byボブ・ハーバート」 という記事が載りました。その記事の

イラクからの帰還が迫っていた兵士達は、帰郷を阻む命令から来る精神的ショックにしばしば耐えねばならない。「あんなに大勢の成人男性が泣いているのを見たのは初めてだよ」元歩兵小隊リーダーで、兵士と退役兵支援団体「Operation Truth(真実作戦)」を設立したポール・リエコフ氏は話している。

のくだりを読んでいて僕が思い出したのは "Shipbuilding" でした。この歌の歌詞のように "Dad they're going to take me to task / but I'll back by Christmas" と家族に言ってイラクに来ている兵士も、帰郷できずに泣いた兵士たちの中いるんだろうなぁ、と。 しかし、クリスマスになっても帰れないということだけが "Shipbuilding" を思い出ださせたわけではありません。 全ての兵士がそうではないとは思いますが、ニュース記事が伝える 兵士たちや人質の標的となっている「民間人」の経済的背景に、 "Shipbuilding" を思わせるところがあるのです。 そんなわけで、それに関する記事も紹介しておきたいと思います。 まず、兵士については、 「「ブッシュのアメリカを継ぐ若者達」byナオミ・クライン」を。

自由貿易は米国雇用市場を砂時計に変えた。多くの仕事は底に向かい、上にもかなりの仕事はあるが、中間層にはほとんど何もない。同時に、底から頂点を目指すのはとても困難になっている。大学の授業料は1990年以来50%も上昇しているからだ。

そこで米軍の登場である。陸軍はアメリカで拡大しつつある階級格差に架ける橋の役割を担っている。軍隊勤務と引き換えに大学の授業料が負担されるのだ。自由貿易徴兵システム(the Nafta draft)とでも呼ぶべきかもしれない。

「民間人」については 「トーマス・ハミル氏と故郷の人々」を。

トーマス・ハミル氏は、経済的に行き詰っているミシシッピ州の酪農家で、大金を稼いで家族を食わせるために、生活を立て直すために、9月からイラクに行っていた。

"Shipbuilding" だけでなく、 「もみの木」 ("Tannenbaum") と同じメロディを持つ "Red Flag" も収録されているし、 Robert Wyatt, Nothing Can Stop Us (Rough Trade, ROUGH35, 1982, LP) は、この時期に聴くととってもハマるアルバムです……。

- 若林, 東京, Fri Dec 31 18:47:29 2004

仲正 昌樹 『お金に「正しさ」はあるのか』 (ちくま新書500, ISBN4-480-06200-9, 2004) 関連した12月26日の2つの発言 (これこれ) に関して他のサイトに反応があったので、ここで紹介。 Tigerlily Scribble2004/12/26 と、 働くおじさん2004/12/27 です。

Tigerlily 2004/12/26 経由で知った インサイター@NY 2004/12/24 に、 The Smiths, "You've Got Everything Now" (in The Smiths, 1984) を指して 「これは20年早かったニートのテーマ・ソングだ」とあるわけですが、 The Smiths は20年早かったわけではないと思います。 以前の発言で NEET 研究でも知られる 宮本 みち子『若者が《社会的弱者》に転落する』 (洋泉社 新書y, Y720, ISBN4-89691-678-6, 2002) という本を紹介したわけですが、この本は現在の日本で起きているような 「若者が《社会的弱者》に転落」していくという問題が 20年前に欧米で起きていたことを指摘しています。 そのことを踏まえると、The Smiths が20年早かったのではなく、 20年前のイギリスが「若者が《社会的弱者》に転落」していくという状況だったからこそ The Smiths はそういう歌を歌っていたと考えた方が良いかと思います。 "NEET" の心情を歌った "You've Got Everything Now" だけでなく、 失業保険で食う若者の焦燥感を歌った "Still Ill"、 貧困ゆえうまくいなかくなった同棲(結婚)を歌った "Jeane" など、 The Smiths の歌詞には《社会的弱者》に転落していく若者の心情を歌ったものが かなりあります。

The Smiths だけでなく当時日本で「ネオアコ」と呼ばれたようなバンドの多くが、 英国において《社会的弱者》に転落していく若者の心情を歌っていたように思います。 例えば、Aztec Camera の初期の名曲 "Walk Out To Winter" (in High Land, Hard Rain, 1983) はこう歌っています。

You burn in the breadline in ribbons and all / So walk to winter, you won't be late she'll always wait / This generation they'll walk to the wall / But I'm not angry, get your gear, get out of here and ...
君は生活保護を受ける列の中で怒ってる / だから冬に向かって歩きだそう、遅くはないよ、彼女は待ってる / 僕達の世代は、壁に向かって歩いているようなものだろう / けど僕は怒ったりしない、ギアを入れてここから抜け出すんだ (引用者訳)

"Walk Out To Winter" は、 失業等で生活保護の列 (breadline) に並ばざるを得なくなった「僕達の世代」、 つまり、《社会的弱者》に転落しはじめた若者たちに、頑張ろうと呼びかける歌なのです。

《社会的弱者》に転落していく若者を歌った歌といえば、 The Smiths と交流も深かった Billy Bragg"To Have And To Have Not" (Life's A Riot With Spy Vs Spy, 1983) は今なら題を「勝ち組と負け組」と訳すのがピッタリの内容の歌です。

Up in the morning and out to school / Mother says there'll be no work next year / Qualifications once the Golden Rule / And now just pieces of paper
朝起きて学校へ行く / 来年は仕事が無いと母がいう / かつて卒業証書は万能だった / 今やただの紙切だ (引用者訳)

とこの歌の冒頭で、卒業はしたけれど職が無いという状況を歌っています。 さらに、途中、こんな一節もあります。

The factories are closing and the army's full / I don't know what I'm going to do / But I've come to see in the Land of the Free / There's only a future for the Chosen Few
工場は閉鎖となり、軍隊には志願者がいっぱい / 僕はこれから何をすればいいのかわからない / 僕は「自由な人々の天地」に来てしまった / そこでは選ばれた僅かな人にしか未来が無い (引用者訳)

工場が閉鎖され軍隊には志願者がいっぱい、というのは、先日紹介した Gang Of Four, "I Love A Man In Uniform" (in Songs Of The Free, 1982) と Robert Wyatt, "Shipbuilding" (in Nothing Can Stop Us, 1982) とも共通する内容です。 ちなみに、歌詞中の "the Land of the Free" は Gang Of Four のアルバムタイトル "Songs Of The Free" とも対応しますが、 当時の Thatcher 政権の新自由主義的な政策を指していると考えていいかと思います。

このように、1980年代前半のイギリスには、主流のポップスではないものの、 《社会的弱者》に転落していく若者についての歌がそれなりにあって、 ある程度のポピュラリティも獲得していたように思います (少なくとも、こうして何曲か具体的に例示できるくらいはあるわけです)。 そういうことを歌うことがよいことだとは必ずしも思っていませんし、 社会的な実効性についても本当に《社会的弱者》に転落してしまった若者たちに メッセージが届いたかどうかはかなり怪しいところがあるとは思います。 しかし、そういう題材を取り上げることがカッコいいことと見なされていたから、 それなりの数の歌が作られたのだろうと思います。

日本におけるこの手の歌の不在について 働くおじさん2004/12/27 に、

良い悪いの問題というより、そっちのがカッコいいと思うんだけど。でもその「カッコよさ」がもうありえないものなのかもしれない。んなこたないか。

とあって、僕も大筋で同じような印象を日本のアートやポップにおける表現に受けています。 ただ、「カッコよさ」がありえないのではなく、 単純に不況や失業についてカッコよく語る語彙が無いだけではないかとも思うときがあります。 もしくは、今カッコよく語ろうとすると、新自由主義的なシバキ主義な語彙ばかりとか。 いや、おまえにハートブレイク☆オーバードライブ2004/12/29 とか読んでいると、 やはり、そういう「カッコよさ」はもうありえないものなのかもしれません。 「そんなこと歌っている時間があったらバイトする」という感じで。

- 若林, 東京, Tue Dec 28 1:34:16 2004
We don't torture / We're a civilised nation / We're avoiding any confrontation / We don't torture
我々は拷問なんかしない / 我々の国は文明国だ / 我々はあらゆる対立を避けようとしている / 我々は拷問なんかしない (引用者訳)

というのは、1979年に Birmingham, UK から出てきた post-punk バンド Au Pairs の歌 "Armagh" (in Playing With A Different Sex, 1981) の冒頭の、そして、歌の中で繰り返される一節です。 タイトルのアーマー (Armagh) というのは北アイルランドの地名。 IRA (Ireland Republic Army) のテロで有名な北アイルランド紛争ですが、 この歌が発表された当時、 1974年に成立した Prevention of Terrorism Act (テロ予防法) によって テロリストの予備軍や協力者とされた人々が捕虜や政治犯の扱いではなく一般の犯罪者として ロング・ケッシュ (Long Kesh) やアーマーにある刑務所に収監されていました。 そんなアーマー刑務所で起きたことを、Au Pairs は 鋭い guitar のカッティングと funk のビートに乗せて 非常な辛辣な口調でこのように歌っていきます。

Alleged crimes withheld information / She gets no sanitation / Dries her shit on her cell wall / Feeling cold and sick / She gets a couple of valium / Now she's relaxed for the next interrogation / Naked spreadeagled on her back / It's a better position for internal examination / It's a better position for giving information
訴状が公開されない嫌疑をかけられた犯罪 / 彼女にはトイレを与えられない / 独房の壁に糞便を塗りたくる / 寒くて具合が悪くなる / 精神安定剤を何錠か与えられる / これで次の取り調べまで平静を保つ / 素っ裸にされてあおむけで大股開きさせられる / それが内診するのによりよい姿勢 / それが情報提供するのによりよい姿勢 (引用者訳)

ちなみに、この歌で歌われているアーマー刑務所で起きた出来事は、 Ireland's OWN というサイトの "Women Freedom Fighters: The Women Hunger Strikers of Armagh Prison" に、写真入りで丁寧にまとめられています。 性的暴力同然の取り調べについては "Strip Searches of Women" の節に書かれていますし、 独房の壁に糞便を塗りたくる抗議行動についても "The Dirty Protest" で 独房の写真入りで紹介されています。

少々脱線しますが、やはり同時期の post-punk のバンド Gang Of Four の デビューアルバム Entertainment! (EMI, 1980) のオープニング曲 "Ether" で 「ロング・ケッシュに収監され (locked in Long Kesh) / Hブロックでの拷問 (H-block torture)」と歌われる ロング・ケッシュ刑務所のHブロックの写真も上で紹介した "Women Freedom Fighters: The Women Hunger Strikers of Armagh Prison" の "Criminalisation" の節の所に載っています。

こんなふうに Au Pairs が "Armagh" で歌った 20余年前の北アイルランドで「テロ予防法」の下で起きたことも、 今やすっかり忘れられているのではないかと思います。 そんなことについて、"Armagh" はこうも歌っています。

American hostages in Iran / Heard daily on the news / Forget about Vietnam / You can ignore the 32 / There are 32 women in Armagh jail / Political prisoners here at home / The British state's got nothing to lose / It's a subject better left alone
イランのアメリカ大使館の人質 / そのニュースを毎日耳にする / ベトナムのことを忘れるくらいだから / あの32人のことなど無視することができる / アーマー刑務所には32人の女性がいる / 「政治犯」がここを住いにしている / イギリスにとって失うものは何もない / そのまま放っておいた方がいいこと

この歌詞に従えば、ベトナムはもちろん、 「テロ防止法」下のロング・ケッシュ刑務所やアーマー刑務所を忘れることができるのだから、 「テロとの戦い」下のアブグレイブ刑務所やグアンタナモ刑務所のことなど無視できる、 ということなのかもしれません。 そんなことを、 「米ワシントンポスト紙社説:ブッシュ政権は「戦争犯罪」を犯した」 (『暗いニュースリンク』 2004/12/27) を読みながら思ったのでした。Au Pairs, "Armagh" を聴きながら……。

♪ We don't torture / We're a civilised nation / We're avoiding any confrontation / We don't torture ……。

- 若林, 東京, Sun Jan 9 21:11:06 2005

今さらながら読みました、 五十嵐 太郎 『過防備都市』 (中公新書ラクレ 140, ISBN4-12-150140-3, 2004)。 1990年代後半から進む都市・建築におけるセキュリティ強化の動きを 多くの具体的な事例を挙げながら論じている本です。 事例が多く興味深く読めたということもあったのですが、 最近考えていることと繋がる点がいろいろあったので、備忘録代わりの読書メモ。

『過防備都市』を読んでいて僕が思い出したのは、 ローレンス・レッシグ 『CODE ― インターネットの合法・違法・プライバシー』 (Lawrence Lessig, Code And Other Laws Of Cyberspace, 1999; 翔泳社, ISBN4-88135-993-2, 2001) の 第七章「なにがなにを規制するか」で論じられる社会を制約する四つの制約条件 ― 法、社会の規範、市場、アーキテクチャ でした。 『CODE』でいう「アーキテクチャ」は「建築」ではなく「そのあり方、その設計、そのつくられ方」を意味しているわけですが、 『過防備都市』はまさに、都市空間が「アーキテクチャ」によって規制をかけられていく様を描いています。 話題が四つの制約条件の一つ「アーキテクチャ」に偏っているとはいえ、 『CODE』の副題に倣って『過防備都市』も 「都市空間の合法・違法・プライバシー」という副題が付けられるように思います。

『過防備都市』の中に 「ポスト近代的なハイテク管理と前近代的な自警団の管理は、 いずれも他者への信頼に基づく近代社会の機能不全を示す」 (「分解された市民社会」 p.103) というような議論が出て来るのですが、 これを、Lessig の四つの規制要因に読みかえると、 建築や街路に設置された構造物や監視カメラを用いた「ハイテク管理」とは 「アーキテクチャ」による規制のことであり、 「自警団による管理」とは地域コミュニティ規範という「社会の規範」による規制であり、 「他者への信頼に基づく近代社会」というのは法治国家のことであることからして 「法」による規制といえると思います。 そして、『過防備都市』が描いているのは、 都市空間における規制が「法」から「アーキテクチャ」によるものへ移行しはじめているという状況です。 そして、「アーキテクチャ」による規制ができない貧困層は「社会の規範」による規制に頼ろうとしている、という。 むしろ、「アーキテクチャ」による規制がポスト近代的とも限らないので、 前近代的/ポスト近代的という話を持ちださずにこう整理した方が良いでしょう。

すると、都市空間における「市場」による規制とは? と思うわけですが。 『過防備都市』の「分解された市民社会」の節の中で 過防備の理由である犯罪多発の背景として「ファスト風土」を挙げています。 この「ファスト風土」的なライフスタイルというのは、 まさに市場による規制を受けたものだと思います。 そう考えると、三浦 展 『ファスト風土化する日本 ― 郊外化とその病理』 (洋泉社新書y Y760, ISBN4-89691-847-9, 2004) は都市空間において 「市場」による規制が卓越する (ファスト風土化する) ことにより 「社会の規範」「法」による規制が無効化していく (違法行為=犯罪が増える) という状況を描いている、と読めるかもしれません。 (ここはちょっと思い付きに過ぎるか……。)

ところで、先日、「《社会的弱者》に転落する」若者についての歌の をしたとき、 おまえにハートブレイク☆オーバードライブ「20年後の10代と尾崎を聴く!〜「15の夜」「卒業」「シェリー」はどう響くのか?」 (2004/12/29) に軽く言及したわけですが、その後、展開があって 「“反抗”という自己形成過程が失効したのはなぜか」 で、 「学校という権力(暴力)装置が相対的におとなしくなった」という + 駝  鳥 + だ ち ょ う +2005/01/04 での 議論が紹介されています。その後の 追記で 「管理教育というのはすっかり死語になっていたというのは勘違いだったようだ」 という話も書いているので実際のところはどうなのか判断しかねますが。 ちなみに、『過防備都市』では3章「要塞化する学校」で 犯罪から生徒を守るという理由から管理とセキュリティが強化されていく学校を描いています。 その「警察化する学校」という節では「だが、中学校以上になると、子どもは犠牲者というよりも、ストリートに頻発する犯罪の予備軍としてみなされる。」と書かれています。

聴いたこともないのに 尾崎 豊 の歌について語るのもアレですが、 尾崎 豊 の歌における「反抗」というのは、 「盗んだバイク」とか「この支配からの卒業」という歌詞からして、 「法」「社会の規範」による規制 (がもたらす抑圧) に対するもの だったのではないかと思います。 そして、『過防備都市』や『ファスト風土化する日本』が描くような 「アーキテクチャ」と「市場」による規制が卓越していく日本社会において、 ゆとり教育が管理教育という「法」「社会の規範」による規制を 階層間学習意欲格差や落ちこぼれ層の低所得化という「市場」による規制に 置き換えていく中で、 尾崎 豊 の歌う「法」「社会の規範」による規制への抵抗が 無効化していったのではないかとも思います。

- 若林, 東京, Mon Jan 10 22:42:06 2005

昨晩書いた 五十嵐 太郎 『過防備都市』 (中公新書ラクレ 140, ISBN4-12-150140-3, 2004) の読書メモですが、さっそく、 増田さんの 『ロック少年リハビリ日記』「四規制力説と尾崎的反抗の無力化」 というレスポンスがありました。ということで、ここでも紹介。

「法・社会規範・市場・アーキテクチャの四つの支配的な規制力が現在の社会の中で相互作用している」という説を 白田 秀彰四規制力説と呼んでいるのですね。なるほど、この用語は便利そうです。

四規制力のうち「法」「社会規範」が上部構造、 「市場」「アーキテクチャ」が下部構造に大別されるというのは、 なるほどそうですね。「上部構造の相対的自律性」って ルイ・アルチュセール (Louis Althusser) でしたっけ。えっと、参考になりそうな気がするので、 ここ クリップ。 ちゃんと勉強してないのでマトモなコメントは返せませんが、 ちゃんとしたキーワードを示してもらえると今後の further readings の参考になって とても助かります。ありがとうございます。

[1170] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 13 2:23:40 2005

東京都現代美術館 (MOT)『MOTアニュアル2005 ― 愛と孤独、そして笑い』 を観てきました。MOTアニュアル観るの久し振りです。 ひょっとして、1999年の『ひそやかなラディカリズム』ぶりだったりして……。 しかし、1997年頃を思い出すような企画でした。あの頃は青かったなぁ……というか。 久々にこういう企画も良いと思うのですが、 2005年の今、これでいいのかという気にもなってしまいます。 去年末にこの談話室に書いたことではありますが、 こういう企画における経済の不在が気になったので、 レビューとして書き残しておくことにしました。

で、この展覧会で抜け落ちてしまっている部分を補完するのにお薦めな本が、 樋口美雄・太田清・家計経済研究所 (編) 『女性たちの平成不況 ― デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 (日本経済新聞社, ISBN4-532-35091-3, 2004)。本の内容については、 大竹 文雄書評 あたりをお読み下さい。 実は半年ほど前に気になって入手したものの積読のまま埋もれてたのですが、 去年末に「性・政治・経済の三題話」とか「経済の不在」とか 自分で言ってしまった手前もあって、 発掘して読んでいたり……。 女性たちはもっと怒らねばならない! と読んでいて言いたくなるのも判らないではないです。 しかし、展覧会の企画もあって MOT のミュージアムショップにはジェンダー論の本が いろいろ置いてあったりするわけですが、 『女性たちの平成不況』のような本は置かれてないんですよねぇ……。

[1171] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Mar 13 18:50:32 2005

樋口美雄・太田清・家計経済研究所 (編) 『女性たちの平成不況 ― デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 (日本経済新聞社, ISBN4-532-35091-3, 2004) について、昨晩言いそびれたことを。

第2章「均等法世代とバブル崩解後世代の就業比較」は、女性の就業環境について、 「均等法等の女性就業の制度改善効果よりも、平成不況による非正規社員の増加の効果の方が大きい」 (大竹 文雄 による書評) と指摘しています。 これを先日の四規制力の話で読み替えれば 女性の就業環境は「市場の規制が法の規制を卓越している」状況であることを 示していると思います。

そんな市場の規制が卓越する現状において、 女性を縛る法や社会規範を問い直すような (尾崎的反抗のような) 従来のアートにおけるフェミニスティックなアプローチ (『MOTアニュアル2005 ― 愛と孤独、そして笑い』 もその域を出ていなかったと思います) は、 無力化されつつあるのではないかと、僕は感じています。 女性を規制する法や社会規範の問い直しが不要となったとは思いませんが、 経済の問題抜きに、現在の女性をとりまく環境の「重み」を 支えうる作品や企画になるとは思えないのです。

[1202] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Mar 31 23:53:40 2005

"Why Pamper Life’s Complexities? - A Symposium on The Smiths" というシンポジウムが、2005年4月8,9日に Manchester Metropolitan University (マンチェスター・メトロポリタン大学)Manchester Institute for Popular Culture (マンチェスター・ポピュラー文化研究所) で開催されるそうです (大学による告知シンポジウムのプログラム)。 日本からの発表者がいる! とプログラムをチェックしたら、どうやら留学生のようですね。うむ。 "Class, Politics and the Kitchen Sink" のセッションと "Sex, Gender, Identity" のセッションが気になりますが、 この2つを並行セッションにしますか……。 って、さすがに、マンチェスターには行けません。 東京近辺での開催なら覗いてみるのもいいかなと思いますが。 プロシーディングスだけでも、どっかから入手できないかしらん。

ちなみに、このシンポジウムのことを知ったのは、yomoyomo さんの 『YAMDAS現更新履歴』「ザ・スミスが学会の題材に」 (2005/3/31) で。 「嶋田丈裕さんがものすごくためになる文章を書いていた」なんて恐縮です……。 "Why Pamper Life’s Complexities? - A Symposium on The Smiths" のシンポジウムだと、"Class, Politics and the Kitchen Sink" のセッションの Paulo Oliveira, "The Smiths and Working Class Realist Aesthetics" あたりがちょっと関係しそうかしらん。 その去年末の発言では The Smiths については 歌詞に具体的に触れずに「"NEET" の心情を歌った "You've Got Everything Now" だけでなく、失業保険で食う若者の焦燥感を歌った "Still Ill"、貧困ゆえうまくいなかくなった同棲(結婚)を歌った "Jeane" など、The Smiths の歌詞には《社会的弱者》に転落していく若者の心情を歌ったものがかなりあります」 っていう程度で済ましてましたし。

The Smiths は高校から大学にかけて (1984-1990)、 ほぼリアルタイムで歌詞を一字一句噛みしめるように聴いていたこともあって、 いろいろ思い入れがあるのですが、そんな彼等の歌の中で僕が最も好きなのは、 《社会的弱者》に転落していく若者の心情を歌った "Still Ill" や "Jeane" のような歌でした。 yomoyomo さんに話を振られたことですし、 "Still Ill" がどんな歌詞なのかもう少し具体的に話したいと思います。 というのも、昔、Postpunk ML で The Smiths の話をしていて、この "Still Ill" を 「だって仕事なんかよりもっといい事があるじゃないか」 のような歌だと捉えている人がいてちょっとガッカリしたことがあったので。 そのときのメールを発掘。1997年2月のことか……。 "Still Ill" (Words: Morrissey) の歌詞 (引用者対訳) はこんなものです。

I decree today that life is simply taking and not giving / England is mine and it owe me a living / Ask me why, and I'll spit in your eye / Ask me why, and I'll spit in your eye / But we cannot cling to the old dreams any more / No, we cannot cling to those dreams
Does the body rule the mind or does the mind rule the body? / I dunno...
Under the iron bridge we kissed / and although I ended up with sore lips / it just wasn't like the old days any more / No, it wasn't like those days / Am I still ill?
Does the body rule the mind or does the mind rule the body? / I dunno...
Ask me why, and I'll die / Ask me why, and I'll die / And if you must go to work tomorrow and if I were you I wouldn't bother / for there're brighter sides to life / and I should know because I've seen them but not very often...
Under the iron bridge we kissed / and although I ended up with sore lips / it just wasn't like the old days any more / No, it wasn't like those days / Am I still ill?
今日、僕は宣言しよう、人生なんて単にテイクするだけでギヴなんて無い / イングランドは僕の物、その生死は僕にかかっている / どうしてか訳を尋ねてくれ、そしたら君の顔に唾をはきかけてやる / どうしてか訳を尋ねてくれ、そしたら君の顔に唾をはきかけてやる / けど、僕たちはもう昔の夢にしがみついてなんてられないんだ / けど、僕たちはもうあんな夢にしがみついてなんてられないんだ
体が心を支配するのか、心が体を支配するのか / 僕にはわからない
鉄橋の下で僕たちはキスをした / それは触れるも痛々しいものになってしまったけれど / もう昔の日々のようなわけにはいかないんだ / もうあんな日々のようなわけにはいかないんだ / それでも僕がおかしいんだろうか
どうしてか訳を尋ねてくれ、そしたら死んでやる / どうしてか訳を尋ねてくれ、そしたら死んでやる / もし君が明日、働きにいかなくてはならないとしても、/ 僕が君だったら、気にしないだろう。 / だって、人生いいこともあるというからね / といっても僕はよく知らないけど、だってあまりそんな経験ないから
鉄橋の下で僕たちはキスをした / それは触れるも痛々しいものになってしまったけれど / もう昔の日々のようなわけにはいかないんだ / もうあんな日々のようなわけにはいかないんだ / それでも僕がおかしいんだろうか

僕がこんな歌詞から頭に浮かぶ光景は以下のような感じのものです。 これは、1997年の Postpunk ML での "Still Ill" の歌詞に関するやりとりの中で、 対訳だけでは判りづらいところもあるので、 どういう状況を歌っているのか判りやすいように書いてみたものです。 もちろん歌詞に無い部分を補っているので歌詞に完全に忠実なものではないですし、 僕の解釈もかなり含まれていますが、 歌詞にでてくることはほぼ全て反映させているつもりです。

人間関係はギヴ・アンド・テイクだというが、僕の生活ではテイクばかり。働くこともできずに失業保険で暮らしている。イギリスの未来は僕のような若者にかかってるというが、実際は逆で、僕がイギリスのお世話になっている。
なんでこんなことになっちゃったんだろう? 僕に理由を尋ねられても困るが。これは僕のせいなのだろうか? 人生投げだしたい気分だ。
ある日、学校時代からの彼女を、僕は久々にデートに誘い出した。僕は失業中で時間を持て余してるけれど、彼女は仕事が忙しいらしく、誘ってもいつも断られていた。
日が暮れた川辺は暗くひとけはない。少し離れて街の明かりが見える。僕は言った。
「今晩、僕のところに泊っていかない?」
かつてはよく彼女は僕の家に来ていた。しかし、今の彼女は僕につれなかった。
「ごめんなさい。私は明日仕事あるの。今日は帰るわ。」
「どうせ、僕は暇さ。けど、もし君が明日働かなくちゃいけないとしても、もし僕が君なら、気にしないけどね。」
「そんなつもりじゃなくって…。人生、苦あれば楽ありっていうじゃない。じきにあなたも仕事みつかるわよ。」
「そうかな。今までろくなことなかったけどね。」
会話も途切れたまま鉄橋の下にさしかかったとき、僕達はキスをした。けれども、それは触れる唇も痛々しいものになってしまった。そして、そのキスで僕は気付いた。かつて僕達が見た夢は、もう、かないっこないものになってしまったんだと。今の僕達の仲は、もう、失業と関係なかった昔の仲とは違うんだと。それでもまだ僕は彼女が欲しかった。
けど、これは僕のせいなのだろうか?

1997年にこれを書いたときは、 このままでは日本もこうなりそうだなぁと思う程度でした。 しかし、今になって久々に読み返すと、まるで現在の日本の現実のことのようです。 日本がこういう社会状況になっても、 こういう歌詞を歌うミュージシャンが出てきて それなりに支持される気配はあまり無いわけですが……。

仲俣 暁生 さんが『陸這記』「ギアの外れた車輪〜スペシャルズと2トーン・レーベルの時代」 (2005/03/28) で、 「左翼の崩壊、新自由主義と極右ナショナリズムの台頭、人種差別、ゲイ差別、失業、そしてなにより、若者が未来への希望を失った時代。これはまったくどこかで見たことがある風景じゃないか。イギリスの70年代末を知ることは、日本のいまを知ることでもある」 と書いてます。むしろ、1970年代末だけではなく1980年代前半まで含め、 日本の現在であるかのような風景が UK Post-Punk の音楽の向うに見えるようにも思います。 それだけに、新刊 Simon Reynolds, Rip It Up And Start Again: Post-Punk 1978-1984 (Faber & Faber, ISBN0-571-21569-6, 2005) が楽しみだったりします。

[1208] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 3 20:10:04 2005

"Why Pamper Life’s Complexities? - A Symposium on The Smiths" に関する先日の発言に対して、他のサイトでレスポンスがあったので、ここでも軽く紹介。

『easy to laugh {The Smiths/Morrissey Unofficial Fan Site}』「[Memo] Why Pamper Life's Complexities」 (2005/04/01) で、 「スミス、大学のシンポジウムで研究対象に」 (『BARKS』, 2005/03/30) というニュース記事と一緒に。『BARKS』の記事は、 『Yahoo! Music Japan』 の記事より詳細です。

『Tigerlily Scribble』2005/04/02のエントリ からもさりげなくリンクされています。 Morrissey の新シングルは "There Is a Light That Never Goes Out" ですか。 この曲はよくカバーもされてますし、スタンダードナンバーの趣も。 うーん、The Smiths の歌を使ったミュージカル Some Girls Are Biggers Than Others @ Lyric Hammersmith (2005/06/30-07/23) ですか。ハコの名前からひょっとして歌詞ネタ専門の劇場かとも思ったのですが、 他のプログラムを見ると、そうではなさそうです。音楽のライブもやってるようです。 写真だけ見ている限り、確かにアーティな感じかも。ちょっと気になります。