羊通信 2001.11.1〜12.31

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羊通信ドーナツ版

TYO & SKYDOMO羊通信羊通信パラパラ版ネタちょー(ネタ募集中)


■『動物化するポストモダン』?・・・   2001/12/31


そーいえば例によって発売日に買ったのが『動物化するポストモダン』空間認識の変容のコトが書いてあるのかと思ったんだけどハズレてたん。
オタクがフツーである現在のために世界観の再構築を目指してるみたいだね。
『不過視なものの世界』で提起されたり言及してた貴重なトコは封印されちゃうのかも。
でも消費者が決定権を持っているコトを否定していたのはいつの間にか全面撤回されてるんで、そこはOKかな。
それどころか消費者がどう受容するかが最重要ポイントだと主張されてるんで。まあ、ってな感じ。


遅れ過ぎてるけど、その冗長性こそが現在をモロに反映してるワケでいいサンプルでもあるね。

A・ルフェーブルでも読んでればもっと軌道修整は早く出来たかも。
でもルフェーブルに触れてるのが『構造と力』だけっつーのはサビシイくてキビシイ現実だわ。
それだって重要なトコはハズしててパンサル栗本寄りの解釈だしさ。

50・60年代にオートマトンから構造主義までぶった斬ってたルフェーブルのスルドサはイカすもんね。
まあ本当のスゴさはインテリジェンスが昼寝より価値がないことを明言してるとこだけど。
そこを評価したのが吉本さんだけっつーのが、もー、なんか....さ。



■「永遠の音楽少年・TK」にかこつけてっと・・・   2001/12/25


NHK衛星第2でやってたのが『小室哲哉・永遠の音楽少年』。
観ちゃいました2時間。
うーん、相変わらずマーク・パンサーで、KEIKOっすね。
やっぱglobeいいでっす。
華原の朋ちゃんが出ないのが残念でしゅう。


そーいえばglobeがKEIKOをフューチャーした時に、
グループがそのボーカルをフューチャーするとは!いよいよTKも終わりだな....
みたいなコトを書いてTKをオチョクってる音楽ライターがいてワラえたんだけど。
ユニットの意味を知らないってゆーより、憎けりゃ何でもケチをつけられるとゆー見本でしょーね。
そーゆーヤツがプロのライターなんで困るつーか、
まあ、アタマの弱いヤツはホンローされるんだか洗脳されるんだかだわん。
で、ウチには関係ないやあ。

でもその手の迷惑は多いねえ。
ユーミンをヤンエグの音楽だと批評したつもりになってるデンパがいるとかさ。
数100万枚売れるヤンエグの音楽って何だ? 数100万人のヤンエグがいるとかあ?
社会の階級や階層の基本的な知識がないのはヨシとして、
それがもっともらしく論じられちゃうコッケイさもヨシとして、
単に自分がキライなものを矮小なテメーの知見を総動員して否定しよーとするキティが多すぎるってことがブッキー、ね。
それがサブカル論議の総体だからなあ。

田中康夫さんが胸につけてるヤッシーのことをバカだブキミだフザケテルとケチつけたキモイ同類項が、
そのヤッシーが身障者が作ったものだと知ったら急に態度が変わったのもコッケイ。

ハグボックスもさあ、自閉症者が自分で考案して作ったもんなんだけどねえ。
斎藤環さんをキチクのよーに罵倒してた人間も、その理由を明かさなかったりする。
ホントは自分が相手にされなかっただけなのは件の本にも書いてあるけどね。
ガイキチが多いんでメールでレスなんかしないんだよ。そんだけ。

あああ、グチが多いつーかあ。



■別々に生きるヤスオとヤスコ・・・   2001/12/24


『ドラマ・安寿子の靴』を観ました。
正確には2回目、かなっと。
大鶴義丹のデビュー作だと思われ、
泉リリセちゃんの演技がもー涙もん。元気でキュート。

NHKアーカイブス・スペシャルで過去の放映番組から面白いドラマやドキュメントをやってるんだけどさ。
『夢の島少女』とか、もー、感激イッパイもんがイッパイでオカワリもーイッパイな感じい。


安寿と厨子王の物語の現代版であるこの『ドラマ・安寿子の靴』って、
ボクにとっては批評っぽいものを書いた初めての作品でもあるです。
ギャラをともなって書いたお初もんは『地獄の黙示録』だけどさ。



■マスードの本・・・   2001/12/22


誰も見向きもしなかったアフガンやイスラム関係の本が売れて、書店ではコーナーなんかができてたりします。
まあ、タリバン政権が崩壊してアルカイダも壊滅したよーなもんなんで書店のコーナーの消滅もまもないでしょーが。ケロケロ


アフガンへ行ってた日本のジャーナリストって意外に多かったりしてオドロキながら目指すのはアノ本。だけ。
データベースまで入れれば100万冊ほどあるデカイ書店のアフガン&イスラムコーナーでも真っ先に無くなった本。
それがあの長倉さんの本、『マスードの戦い』でっす。


で、突然ろんぱあと一緒に玉川上水散歩を決行。
西武線鷹の台駅を降りて駅前の書店へ直行。
長倉さんのアフガンやマスードの写真展がいく度か開かれた書店。
もち、ありましたん『マスードの戦い』。マスードの写真集もあったね。
でも、どっかのおジイさんが『マスードの戦い』を手に取って読みはじめ。
あう、その一冊しか残ってないのにい。
隣で写真集の方を眺めながら、横目でおジイさんの様子をジロジロ。
よーやく本を手放したおジイさんに感謝しつつ、本をポシェットに入れて玉川上水へ。
ルンルン
よかったあ?よかったあ?
とはしゃぐろんぱあのアタマの中は、
あとはゴハンのことだけでイッパイ風なのはいつものコトなんで、
さっさと散歩をしました。

オワリ



■ホテルぜーい・・・   2001/12/19


東京都がホテル税を決定である。
宿泊代1万円とか1万5000円とか以上の場合だけ税がかかるのである。
それも100円とか200円とか、そんな感じ。

人が何をどーゆー風に表現しようが自由なのと同じで、
人が何をどーゆー風に批評しようが自由なのである。
んが、批評した場合は批評した方のスタンスだの理解力だの何だの、
批評に収斂していくすべての能力がバレバレになる。
そして、批評された方には批評仕返す権利が自動的に生成する。

まあ、現況がヒサンでコッケイでバカらしいのは、
この批評・反批評のレスの応酬にしか応答可能性が見出せていないキチやろー
がいることだけじゃなく、
この批評・反批評すら成立しないレベルの私小説の乱立が
表現やカルチャーだと思われているコトなんだけど、さ。


まあ、それでホテル税を批判したバカな知事は単なるバカだけじゃなく、
それがバカだと思われないカッペ認識が同時に小泉の改革に対する抵抗勢力
であり与党であるとゆーことなんだよね。
カッペとスクエアな官僚の低レベル合作首都機能移転なんか、その代表だしい。


ダイオキシン報道で風評被害だとヒスッたカッペが
ダイオキシンの検査会社まで訴えたりする状況って
どー考えてもバカをとおりこして被害妄想ガイキチに過ぎないことなんかもね。
ま、政治的には低レベルファシズムつーことだろーが、
そもそもそのファクターは対幻想的なところにあって、
それが草の根のファシズムを準備するんだね。
そーゆーのを射程してはじめて思想やイデオロギーの価値があると思ったりするワケさ。
それ以外は私小説でしかないし、それに批評性があると思ってるキチ状況はもーそこいらじゅー、でしょ。
専門用語の表出を離れたデリダの戦略や、超えるべき対象を自己消去しちゃうラカンのスゴサって、ま、スンゴイかな。
どーでもいいけど。


で、東京のホテル税は東京へ行かなければならない地方の人間を排除するもんだ、とか、
地方の人間から税をとって東京の収入にするのはけしからん、とか。
まあ、5大都市圏の税収を奪って交付税にして使い込んできたカッペの既得権者が、
やがてその利得を失うかもしれないとビビってる姿は中間層がファシズムを生成するとゆー
優れたスターリン主義論やファシズム論の中核的なファクターそのまんまだしい。
埴谷さんでも吉本さんでも読んでみーや。柿澤さんでもOK。もちろん宮台さんはシュゴイのよん。

既得権を失うヒガイモーソーとそれを増幅する不安感をベースにしたバカさ加減と、
まあ全部ひっくるめて単なるトンでもくんでしかないカッペの低レベル認識力のゴリ押しは
バカな分に比例して強度があるんでバカにしちゃいけないよっとか内心思ってるんだけど、
事実、そーゆーカッペが全部会の長を占めているトンでも政党が与党だとゆーのは、
モノホンのファシズムのリアルな姿だね。
盗聴法も成立しちゃったしい。


個人情報保護法なんてどーなるんでしょー。
そーゆー責任てひろゆきにもある、ってな認識は、
これから全面展開しよーかな、っと。
2ちゃんねるはサンクチャリでなくちゃだわん。
どーよ?



■心的現象論落書き・・・   2001/12/18


心的現象論のオリジンであり原点は、純粋な関係意識=対幻想を時点ゼロとして定立させ、
そこから生成していく感動を動因に認識が遠隔対称化することを理論化したこと。
この時の感動の力価とベクトルをグレード化し、各感覚器官からのインプットを変数として、
総合認識=観念とその自己言及性を係数に心的現象を追究していく....そーゆースタンスには、
ラカンの三界論などを超えた可能性があるワケです。
人間の各人が持っている象徴界認識の疎形が心身の形成段階のある錯合の結果として把握されるならば、
その溯行的分析が象徴界認識をはじめとした全認識の再構築の可能性として保障されるでしょー。



こーゆー風にクール?に書いてったらいいかなあと思いつつ、
持続力ゼロなんで、時点ゼロ作戦へカムバックして、
毎日赤ちゃんな日々を送ってましゅー。

バブバブ



■サブカル・オタクな復習・・・   2001/12/12


▲サブカル・オタクへのスタンス

羊通信は何が目的なの? とゆー質問もあるオメデタイ今日この頃。
読めばわかりますが羊通信はハイカルじゃありません。オタクでもサブカルでもないしい、っと。

シロウトが独り言を一方的に発信してるワケで、まあ、そーゆーもんです。OK?

すくなくとも日本(の生活や文化)を語るのに外国語のタームを振り回すほどオメデたくはないワケです。
日本分析をテッテーするには日本語を内破させるまで論じることが前提だからさ。
ましてや日本語での主張をわからないとゆーレベルは論外。浅田さんの吉本批判とかね。
論外でも一つだけ役に立つのは「ナゼわからないのか」とゆー問いを発する時ですね。
サンプルとしてある程度の使用価値があるワケ。その程度のニューアカだしい。
で、そんだけ。でも、けっこうコレがラジカルな解になるんだよん。
もちろん視覚情報は言語レベルを何らかの意味で超えている....とか思ってるよーなレベルの
サブカル論とかは問題外で〜す。つーか、使えないしい。



▲サブカルん日本

で、日本だとどーなのか?

田中康夫さんや大塚英志さんとゆースルドイ人たちに何気で指摘されてるのがこの問題ですね。

田中さんは日本が宗教=メインカルチャーがないことによって色香が豊かなサブカルだらけであることを
よーく知っているワケです。サブカルがセクシャルな話題をテーマにしてるケースが多いのは、そーゆーこと。
どーゆーことかってゆーと対幻想は共同幻想と逆立ちして遠隔対称化しているとゆーこと、ね。

『なんとなくクリスタル』の「宗教のない日本人てスケベなんですよね」とゆー注釈なんて、
厚さ以外は何の意味も役にも立たないナントカ全集とかよりアリガタイ指摘でしょ。
「日本て、全部サブカルじゃん」とダイレクトに指摘する大塚さんも、見事。
そしてクールな社会システム論をこなしながら、「日本的過ぎる」と橋爪さんにジャッジされちゃう宮台さんの
日本ぶり、サブカルぶり、オタクぶり。
日本は全面サブカルであり、すべてのコトバは私小説なんですよん。


問題はそーいったコトバから普遍性や共同性をもったコトバをどーやって紡ぎだしているかっつーことですね。
私小説や個人の趣味の問題でしかないのに他者をジャッジするコトバ、批評的なコトバ、
その批評性を振り回してるだけの閉塞した論議など、そーゆー問題が集約されてるのがサブカルとその論議です。
そーゆー表出の仕方にしか応答可能性を見い出すことができないサブカル論議のサムさ....みたいなもんですね。
オモロイのは。
ホントは、どーだっていいけどね、そんなの。



■「代入される空間性」とかあ・・・   2001/12/5


残念ながらつーか当然ながら、<共同性>とゆーものはそれ自体として存在し得ないつーか、
それ自体の存在を確認する術を人間は持っていない〜みたい。
粘菌みたいに融合してデカイ単一細胞になるワケじゃーないしいー。
まあ、マテリアルに同じ流行にとびついて観念の安定性をむさぼるのも、
ボルボックスや粘菌並なワケつーことよん。別に悪いコトじゃない、てかな。

そんなワケで共同性は、いつも、幻想性としてしか存在し得ない。
つーか、幻想そのものか。

で、とりあえず、自己観念の中の自己コントロール出来ない部分を共同性として認知するのは、
なかなか納得のいく機序でしょ。
だから共同性とは<常に既に><矛盾>であるし、<ゲーデル的決定不能性>そのものを根拠にしてるのねん。

決定不能とゆー根拠そのものが補償するのは、常にどこかへ向かってエクスプロイットしていくザマか。
常にリーチングしてる志向性つーか、そーゆーワケ、だなあ。



で、共同性そのものは幻想性でしかないので、その代同物をいつも保持してるワケです。
もちろんその代同物が空間性を仮想して何らかの知覚対象化するのが
あらゆる幻想のタネだったりそのものだったりします。もちろんこの知覚対象化は疑似的に、つーこと。



      共同性の代同物として、
      対象に<投射>された自己妄想から知覚が遠隔化される。

      このことによって成立する観念は
      知覚的属性を持たず、
      しかも自由な想像力もない。
      単に共同観念(の代同物)として、
      何らかが代入される空間性として存在する。




想像力が足りないとか、オメデタかったりすると、
代入するものはセコくなる。デムパさんの特徴のひとつはアタマが悪いことだしい。
足りない人タリンちゃんは、とりあえず自己イメージを代入するコトしかできない。
だから神様って擬人化されたタイプが多いんだね。
ついでに、アタマが不自由な分だけ代入されたものの属性は自由で万能でっす。
これが神が全知全能である理由なのよん。

神とか宗教って始末するのがカンタン過ぎ。
問題はそれ以上にカンタンに生成しちゃうコトでしょか。
きゃはは



甲州地方じゃただの丸い石が拝む対象になってるらしいけど、
「ただの丸い石」つーとこが、いいですねえ。
ついでに拝む理由も無かったよーな気がしたけど。どーだったか。
まあ「代入される空間性」を象徴した典型的なサンプルかもん。



■石原知事と斎藤環・・・   2001/11/28


MXTVで対談してたなあ。
別に興味ないんで観なかったけど。
MXTVってケッコウ大穴TVだったりする気がしたりしまするけれどもアンタはどー?

NHKのドキュメントとか、ドキュメントだけはまっとーなのをやる4チャンネルとか。
まあドキュメント十八番の6チャンとか。
オモシロイTVってホントに減ったね。



■ワタシはアナタを治すことはできない・・・   2001/11/21




     ワタシはアナタを治すことはできない。

     治せるのは、一生をかけても1、2名だけ。




この2つのコトバは同じよーな立場の人のセリフ。
それぞれ精神分析の第一人者や現場からの貴重なコトバです。


前のコトバは品川の斎藤クリニックの斎藤さんのコトバ。
TVのドキュメントで見たもの。

後のは、あのフロイトのコトバ。
精神分析の立役者フロイトは精神分析で「一生かけても1、2名」しか治せないと言明してるんですね。
そこには自説を誇張し正当化する姿勢が全くなく、クールな事実認定があるだけ。
自分の治癒実績を一生懸命宣伝するよーな資本主義的姿勢もありません。
実に、クール。「面々にはからえ」と言い放った親鸞と同じスタンスです。
フロイトも親鸞も、クールです。


「一生をかけても1、2名だけ」というフロイトのコトバには
関係意識=対幻想にすべてを収斂させたフロイト心理学だけではなく、
瘉しの可能性がリアルに社会的なシステムに含まれているコトが示されてます。
一夫一妻制とか親子関係とゆー1対1の関係とゆーことで。
ここから社会化(資本主義化)への動因として抽出されたのが
DG(ドゥルーズ・ガタリ)が援用したエディプスコンプレックスなのは御存知のとおり、です。
そしてエディプスコンプレックスよりラジカルに、
関係意識=対幻想そのものからあらゆる意識が生成するコトを解き明かしたのが
吉本の心的現象論ですね。



斎藤クリニックでは「ワタシはアナタを治すことはできない」ことを認知してもらってから
患者?の通院?をOKします。
そこには「自分を治すのは自分自身」とゆークールな認識があります。当然だけどね。

クリニックではいくつかカリキュラムがあるよーですが、
要は患者が自分自身を知るコトを目指した内容のよー。
ドキュメントでやったのは患者が自分の思ってるコトを吐露するとゆーもの。
精神疾患のほとんどは家族関係とくに母子関係の歪みがベースにあるので、
多くの患者が家族とのことをブチまけだしたりするよーです。



ある女の子が叫び出します。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、姿勢を崩して前かがみになりながら、
決意したように声をだします。

   「お母さんを殺したい!」


先生は表情も態度もクールなまま。冷たい突き放した感じすらします。

   「アナタがそー思うなら、そーなさい」
   「それは、アナタの自由」
   「そのかわり、そーしたアナタには、社会や周囲から、
   そーゆーことをしたアナタとゆー扱いを受けるでしょー」
   「ワタシは、アナタを、助けない」
   「ワタシは、アナタに、関係ないから」
   「アナタは、アナタの問題を、自分で処理しなけりゃイケない」
   「それだけ」
   「それだけ、です」


もちろん患者は快復していきます。
快復とゆーより、新たな成長じゃないかと思うけどね。

100%の自己言及=セルフリファレンシャルは、
宗教や洗脳や他人に惑わらせられない、
シャンとした人格形成をさせてくれるワケでっす。



■ZONEの意味!・・・   2001/11/20



     「汚い」

     「騒がしい」

     「憶えてない」

     「二度と行きたくない」

     「私に合ってない」


とゆーのは渋谷の感想。
誰のかってゆーと、はじめて渋谷へ行ったZONEの、だよん。
何日か前にTVで見たんだけど。
これで合点がいったワケです、ZONEに興味を持った羊くんの志向性&指向性の、意味つーか、なんつーか、だね。

これがSPEEDだったらワイワイ騒いでハシャグんじゃないのかな。渋谷だ、渋谷っ、てな。
そーいえばそーゆーTV番組があったね前に。hiroが道玄坂で回転寿司食ってたりしてさ。

つーワケで、ZONEは渋谷系じゃない。
じゃーなんだあ?
それにー、じゃー、渋谷系って何でしょ?
....てか。

タネあかしはまたねえ。



■『動物化するポストモダン』? 空間認識の変容でしょ?・・・   2001/11/18


納品した後たいてい欲求不満なんで、困るんであるでるよるえーてるよーでる。。。。コワレた。

東さんの新刊本が講談社現代新書で11月20日刊行。
『動物化するポストモダン  オタクから見た日本社会』とゆーらしいですが。
これを書評しよーとして締切りの関係で間に合わず。
別の書籍を選んで納品したテキストの方は書き足らずなどなどで気分が悪いいい。

ところで『動物化するポストモダン』って、スーパーフラット関係でゆーと、
空間認識の変遷てな感じでオタクのモノゴトの見え方の変化でも書いてんのかな?

浅田さんが『逃走論』で「ひよわなナルシス」と呼んだ存在はオタクにもひっきーにもあてはまりそーですが。
『動物化するポストモダン』で対象にしてるオタクちゃんも、そんなもんでしょか。
東さんのここしばらく主張からすると、期待と予測どおりに問題を提起してきてるんで、
だったら、心的現象論とかが参考になるねっと思ってるんだけど。
まあ、実際に、モロにそーなんだよなあ。きゃはは
1年前のだけど、こんなん役に立つよ、理解に、ちゃうかい?



■センチなナルシスの限界・・・   2001/11/14


▲センチなナルシス

<単独者><敗北者>とゆー概念をもっともらしく設定しながら、
前者にはナルシシズムを後者にはセンチメンタルを感じさせるのがフーコーとストロース、
それぞれの主張ですね。
ほぼ最高のサンプルを提示してくれることを認めつつ、その最もラジカルなところで
自己正当化の言説でしかないこれらのテキストに、それ以上のものは感じないし、
見い出すこともできません。単に、それだけ。
いまココで必要なのはいまココのサンプルだしね。

日本の現在のサンプルがすべてに優先するのはトーゼンでしょ。
最低限日本語で考えないとね、日本のサンプルを日本語で。

外国語のタームに酔ってる徒に、日本分析は無理。
なにより自己分析が無理。
自己言及・自己分析・自己反省のないヤツは、それまで、でしょ。

独り善がりな単独者も、野生を敗北者と見下すセンスも、いらないしい。



▲テメーの限界、テメーの危機

欧米諸科学の限界や危機を主張するヴィットゲンシュタインやフッサールの、
その主張の仕方や内容そのものが限界に達した危機的なもの自体でしかない事実には、
笑っちまうだけです。もちろん2度目の笑い、ね。
日本語で構築された世界はアレほど単純じゃねーよ。おわり。
必要なのは気づかせてあげること、かな。



▲なーるほどお

今までもらったメールや手紙でホントに感心したものが2つあります。

ひとつは手紙で「テメーは水族館行って、タコでも見てろ!」とゆーものでしたん。
羊くんはホントに感動しちゃって、先日も水族館へ行ってタコを観てきました。
でも、手紙の文字がタコっぽかったのがチョット不気味なの。

メールでは羊通信の主張を否定神学だ、とゆーもの。
へえ、それでえ? てな感想しかないんですが。
自分は否定神学ではないとゆーその人の読解力はけっこう鋭くて
ココをほぼ全面的に読解してる唯一の人かもしれません。うーん、感謝してるぜえ!
デリダの研究者さんらしいですけどね。

なお、「自分は否定神学ではない」という立場は静態的な定点とてはあり得ませーん。

ただ単に「自分は否定神学ではない」立場であろーとし続ける運動そのものが
否定神学ではない立場を仮構してくれるだけですよん。
そのトランスなスタンスだけが、ポイント。

それは東京とゆー幻想と同じです。
ドーナツの魅力を生成してる穴と同じい、なの。
それにレスポンスするのが東京ビョーつーこと。



そーいえば鳥取のオヤジがカッペさらしてんがな。
テメーは大都市圏から政府が取り上げた税金収入の交付税でデブデブしてんのにねえ。
カブールを恨むカッペタリバン並だーね、ホントに。



■カブール解放・・・   2001/11/13


そんでもって、もー、カブールを解放でやんす。
5年ぶりとか。
ガンバッタネ、北部同盟。
マスードの写真を掲げて進攻する彼らを迎えるカブール市民にも5年ぶりの笑顔。


タリバンの統制がハゲシク厳しかったのがカブールやヘラート。
都市を目の敵にしていたタリバンは田舎では取締が甘くて、
近代化の空間である都市でこそコンプレックスと怯えをバネに
宗教的暴力を振るってたよーです。

特にカブール大学をでた人間などインテリ階層を取り締まっていたその姿勢は
ポルポト派などと同じよーなもの。まあ宗教は科学的認識は認めないワケですね。

タリバン統制下で命をかけて英語を教え、読書を奨め、化粧をし、女性の解放と
近代化の将来を夢見ていたのがRAWA。アフガニスタン女性革命連合でしたん。
RAWAの活動家はカブール大学を出た女性が多く、共産党を創立した女性らとともに
その存在はアフガン近代化のバロメーターでもあるワケです。
勝手に推測するとRAWAの活動をアンダーグランドで支えたか、あるいは連携した組織に
「大地の母」があるんじゃないかな。それは、ナジブラ大統領の前任者のカルマル元大統領が
指導する組織で、左翼政権崩壊後地下に潜って活動していたもの。タリバンが必死に追いかけていたものの、
どーやら無事だったのではないかと。まあパルチャム派の系統かもしれないけど。
少なくないカブール市民から密かなバックアップがあったかもしれないし。


そーいえば、はじめてタリバンとゆーものを知ったのは、5年前の写真週刊誌。

クレーンで吊り下げられたナジブラ元大統領を銃だの剣だので突っついてる写真でした。
ナジブラの口には侮辱のための札束がくわえさせられていて、
隣にはナジブラの弟もぶら下がってました。
笑いながら見物し、その死体を仕上げた本人でもあるのがタリバンでした。


カブール大学で牛とゆーあだ名の左翼闘士だったナジブラは、
学生当時から神学科の急進派にとっては大敵の無神論者。
神学科の教授には後に大統領になるラバニがいて、その教え子は原理主義急進派のヘクマチアル。
ラバニはマスードとともにイスラム協会を、ヘクマチアルはイスラム党を作って、共産党のナジブラを含めて
3つ巴の闘争を繰り返したのがザヒル・シャーの近代化路線以降のアフガン、特にカブールを舞台とした
ベーシックな状況でしょー。

やがて北部のカブールとは昔から対立する南部のカンダハル周辺の神学校と、
パキスタンの難民キャンプで生まれ故郷としてのアフガンを知らない純粋宗教者の若者が
タリバンとして登場するワケですね。仕掛けたのはパキスタン、そしてアメリカ。

ナジブラは同じパシュトン人のタリバンに期待してマスードの支配下からタリバン側へ投降。
即刻無神論者としてサッカー競技場で吊るされたワケです。ナンマイダア〜


アフガンに平和はくるでしょーか。
そして近代化はどーなるんでしょーか。

カメラマンの長倉さんはまたまたアフガンに舞い戻る?とゆー感じでアフガンへ。
いつも散歩する玉川上水そばの本屋さんでアフガンの写真展をやってたことに気がついた日は、
もーギャラリーが終わった後。でも、マスードの写真集の強烈な印象は記憶に染みついてます。
ジャヒル・シャーの時代にオリエント・アジアでいちばんキレイな風景と、ロシア、イギリスを自力で
しりぞけ続けたアフガンが外国ではいちばんの日本好きの国であるコトなど、
その魅力と興味はつきません。

「男は銃を持って生まれて来る」とゆーコトバがあるアフガン。
それを生む母も強そうです。



■北部同盟あっけない勝利・・・   2001/11/11


2時間でマザリシャリフを制圧した北部同盟が、
ぬあんと、もー、
あの大仏さんの残骸がコロがってるバーミャンを解放。
あと1日でヘラートも制圧とか。
そしたら、
いきなりアメリカが北部同盟のカブール占領を認めないとか言い出したのが笑えましゅ。
その超大国のデカイ態度がテロルを引き起こしてるのに無自覚なところが救えないねえ。
ハンバーグの食い過ぎじゃねーかいねえ。



■片づけえええ・・・   2001/11/10


散らかってるのを片づけられないのは典型的なウツよ、とゆー香山リカちゃんのゆーとーりに重症のウツなんですが、
利益にならない仕事や役に立たないコミュニケーションを遮断してるヒッキーでもあるんで、
まったくマイペースの仕事と生活をしつつ、時々突然やってくる発注にたじろぎながら、
今日もハムトーストを食べましたあ。
おわり


ところで、
リニューアルしたばかりのルミネの食品フロアでお買い物してる高橋恵子さんは美しかった、です。
今日のお菜は何じゃろ。
この街はあ、時々美人がいっぱい歩いてるんよ。
ハラルフードの近所じゃイスラム教徒もけっこういるしい。
国立で見かける百恵さんもキレイだしい。
金魚のピンボールもカワイイしいいい。。。。



■ZONEが70万枚の大ヒット・・・   2001/11/8




予想どおりとゆーか、期待どおりに、


       ZONEが大ヒット!!!



とうとうZONEが「secret base/君がくれたもの」で70万枚の大ヒット....。
まあ、これは「うたばん」でのネタでもあるけど、ちゃんと新聞記事の方でも
10月の末日で55万枚だったかなあ、とにかく、大ヒット。
まともな音楽評論では「波乗りジョニー」以来のヒットかもの推測もあったね。



ここでのチェキラッは的を得てたワケだけど(的を得ない批評ゴッコなんて私小説以外の意味はないでしょ)、
「予想どおり」とゆー言い方はイヤラシくもあって、
ホントは、
「期待どおり」とゆー風に言うべきなのかもね。
とゆーか、そー望みたいところ、よん。



ところでえ....
「予想どおり」とゆーのは批評的で指示決定的なスタンス。
「期待どおり」とゆーなら肯定的な自己表出、でしょ。

<東京>とか<ドーナツ>とかの魅力は、
批評的なスタンスを自己決定化するために、
<運動>として行使してるトコね。

それが<生きる>とゆーこと。
もちろん<終わりなき日常>を、さ。

<終わる>のはマテリアルに還元される時だから。



     死は、それゆえ心的時間性の無機的自然の時間性への同化であり、
     同時に心的空間性の突然の切断であると解される。

                                  『心的現象論序説』