■バブバブ・リーチング・・・ 2001/9/15
で、赤ちゃんはリーチングする。
手を伸ばしてバタバタするじゃん。
目的はただ一つなんだよ。
自分をアフォードしてくれるものを手さぐりして探してるワケ。
そして実をゆーと、
このリーチングは胎盤にくっついてる時から
シワシワのジーちゃんバーちゃんになるまで続くんだね。
もちろん観念の運動として自己意識が起動しはじめた頃から活発化するのは
象徴界のリーチング。つまり指示決定を探すこと。
この時、指示決定や象徴界を消失したらどーするか。
リーチングしても何の手がかりも無かったら、どーする?
答えはカンタン。
どーもしないよ。
想像界だけでリーチングするんだ。
マウスでアイコンをクリックすりゃ起動出来るなんつーバカの論理モデルが実態化したよーな作業をするんじゃなくて。
自ら言語を編み出し、手を使ってキーボードにキャラクター入力する。
勝負をかけられるのは想像力と思考能力を駆使した想像界でのリーチングとファイトだけ。
そのぼう大な結果は、世界そのものの情報量としてアーカイブされてきた。
それがK,Marxが本源的蓄積と呼んだ全人類の全世界史的な<データ>だ。
それを自分のものにする=内化するには、
まず、それにアプローチしていくという<関係>が前提にあるでしょ。
<関係>のポイントはいくつかあって、
ひとつはデータを感受するための感性のシステムである<知覚>。
ひとつはアプローチする<力>としての<労働>。
<データ>に感覚器の<知覚>でプラグインして、
想像力と思考で<力>をコントロールしながらアプローチする。
ポイントは<コントロール>ね。
自己コントロールするワケ。
想像界の最重要ポイントは自己コントロール....
つまり自己言及することなんだよね。
自己コントロールされてない知覚のプラグインなんて、
単なるヤクで飛んでるだけの世界。
ヤク関係がなんのカルチャーも生めない理由もそこにあるね。
それは自己コントロールゆえの認識ではないから。
単なるジャンクつーこと。たいていは何の強度もなくフラットでしかないアレね。
そして自己コントロールされてないもーひとつの状態がビョーキ。
つまりガイキチね。自己コントロールできないゆえの異常さと、
自己コントロール外で指示決定されてしまうとゆーハズれ方。
このハズれ方を斎藤環さんなんかはカワイイと指摘するけど、
まあ現実にはどーなんでしょか?
メイワクだよねえ、どー考えたってさあ。
■祈りの姿・・・ 2001/9/15
右の手が左の手を守り、
左の手が右の手を支え....
なんとゆー美しい姿なんでしょー。
宗教を超え、国を超え、
大人も、子供も、お年寄りも。
この同じ姿で、祈ります。
手を合わせ、ヒザをそろえ、
その両の手に顔を向け....
これから訪れる一瞬に希望を、
過ぎ去る一時に感謝を。
やがて支え合う手に、人の手を。
広がる輪に、新たな世界を。
『Sheep Paper Book/伝道の書』より
とゆーことでさ、お祈りする時に両手を併せるのは世界共通なんだね。
宗教や年齢や性別を超えて。
理由はカンタン過ぎるんですが、
『2001年宇宙の旅』のラストシーンみたいなもん。
受胎から全宇宙を分節化して自らの析出を自演する人間が神そのものである一時ね。
原生的疎外という基本的な外化から分周のニュアンスを含みながら進行展開するのが成長というもの。
マテリアルな発達派生をバイオフィードバックしながら摸索するのが自らのスタイル。
初々しいリーチングとその初源のスタイルが忘れらることのない証しこそが、祈りの姿勢。
赤ちゃんのよーにならなければ天国へ入ることはできません....とゆーマタイ伝13章は、正しいワケよ。
■マスード・・・ 2001/9/12
アメリカがボコボコにやられちゃって、とうとう戦争も終わりなき日常やねんとか思ってたら、
カブールがミサイル攻撃されたとゆーアフガニスタン関係のニュースもあって、なんかコントン気味。
カブール攻撃の犯行声明が「ノーザン・アライアンス」から出されていて、
「ノーザン・アライアンス?」とゆーキャスターやコメンテーターの戸惑いが笑えた。
いや、笑っちゃいけないんだよね。ターム振り回してわかった気になってるサブカル論議がサブイよーに、
タームがわからないマスメディアもヒサン過ぎるなあ、とゆーことですかいね。
「ノーザン・アライアンス」つまり「北部同盟」といえば、2〜3日前に自爆テロで暗殺されたマスードが指導者でしょ。
指導者をテロ攻撃された北部同盟が反撃するのは当り前。
それにしてもニュース番組のキャスターやアナウンサーが基本的な用語や事実関係を知らないのは、
まあ、まるで私小説100%でしかないのに批評的見聞ゴッコで論議してるつもりのサブカルやねん、てな感じ。
ダメなもんて、ダメなんだね、やっぱ。
■長野のイタトマとか・・・ 2001/9/12
この台風と暴風雨で唯一全面的に止まった新幹線が長野新幹線。
一日滞在を伸ばして、よーやくちょっと空の明るくなった長野駅で新幹線のキップを買ってると、
お疲れのようですが。。。。ときたのがNHK。
あああ、自然なレスポンスで応じたら、そりゃいつもインタビューしてる方だからって長々と話すなよ....
とどっからか突っ込まれちゃいました。まあ、カメラ目線はさけたんだからいいじゃん、とかワケのわからない
言い訳しちゃいました。
で、長野ならイタトマか。
時間つぶしに入ったイタリアントマトは東京ではもう見られない?デフォルトスタイルのままのイタトマ。
多摩地区だと八王子駅前のイタトマと聖跡桜ヶ丘のイタトマと、どっちが本店だ? てな話になったりする
ケーキ屋さんですが、まあ田中康夫ちゃんも認めてるよーにイタメシ普及に一役かったお店でもあるでしょー。
長野のイタトマはケーキのクルミやスポンジの卵がGOOD。
松本とか長野とかさ、ゴハンがどこでも美味しいんだよねえ。
同じ中央線沿線でも東京へ入るとヒサン。
特に多摩川をわたって立川より東京寄りになると、もーダメですね。
もちろん理由はカンタンでお店の不動産負担が大きいために食材の原価を押えてるんでマズイわけ。
そーいえばラディンを庇護するタリバンもそれへ暗黙の了解を与えてるサウジも、目的はただ一つ。
経済的利害なんでね。だから石油関係や産油国関係の株価は上がるでしょー。きゃははは
イタトマの味からNYの貿易センタービル自爆テロまで、理由はマテリアルな実効力つまり経済ですわん。
なんか異議ある?
■ZONEが4位か・・・ 2001/9/4
CDランキングでZONEが4位。
ソニーはちゃんとした戦略練ってんのかなあ。
インディーズレベルでプロモを任してるんじゃ、どーかな。
インディーズやローカルがイケないんじゃなくて、
普遍化するって何だか解ってるか? てなことなんだよ。
地方のライバルは地方。
インディーのライバルはインディー。
対立物は等価だからねえ。
何を目指して止揚させたいのか、が問題なんだよ。
たとえば、小室はテクノロジカルな<世界視線>を目指して、到達して、ゆえに自らの限界も最初から表明してたワケじゃん。
そーゆー風に、止揚するレベルが最初から把握できてるのは、スゲーわけさ。
問題は、世界視線とゆー指示決定を、どーやってオーディエンスに自己確定させていくか。
小室は大衆各々の自己確定のバラエティに対応できない。
つーか、自己確定へのバイアスである大衆の物語性への洞察がちょっと足りない。
まあ、つんくみたいに自己確定へダイレクトな効果ばかり狙ってると音楽的には残らないけどね。
大塚英志さん風の考察をすれば、小室はテクノロジカルに<ジュリー>になれたんだけど、
ユーミンが持っているよーな普遍性にチト欠けるとゆーか、さ。
小室の大ヒットと人気低下は、コンスタティブとパフォーマティブのシーソーだとゆー大ワクに言及できないのが
サブカル批評のヒサンだね。カルスタって何やってんの?
うんで、
近田春夫さんだったらどー批評すんのかな。
小沼純一さんだったら、まあ、アイロニカルに肯定すんだろーケドさ。ZONEを。
■料理、建築、ストーカー・・・ 2001/9/3
日本で初めて「ストーカー」というコトバと実態をルポした岩下久美子さんが亡くなった。
武田徹さんや宮台真司さんからの評価も高かったのが彼女のワーク。
彼女の初の記名コラムを頼んだ時に、裏を取るための取材をどれほどこなしたか説明してくれた
熱気が、その後のどの仕事にも満ちていた。
TVのAD経験者でもあるが、エンピツを削りながら文を書くのが何よりも最高の一時だというコメントを
もらった時も、すでに48時間に迫る徹夜の直後。
料理から始まり、建築、ストーカー、独身女性の生き方とフィールドを広げつつ、ブレのない仕事を
続けたのはいつでも強固な視点を確保していた岩下さんらしい。
アクロス編集長だった立澤さんなどマーケットに強い人間が関わった日経トレンディの企画や創刊には
彼女も参加していた。トラッドなスーツを着た編集者がちゃんと朝から仕事をしている堅い編集物が好きだという
彼女が、その堅い月刊総合誌でジュリアナのお立ち台ルポを書いた時には何だからウレシクなってしまったのを覚えている。
「甘味食べ歩き」の銀座散歩が実現できなかったのが残念。
ご冥福をお祈りする。
■カメと再会す・・・ 2001/9/1
江戸時代よりの風物、放し亀のカメさんと再会しました。
確認出来たのは2匹。
日なたぼっこしてて、元気そーだったなあ。
長生きしろよお。
■ZONE?!とかいろいろ・・・ 2001/8/31
MステーションにZONEが初出場とか。
何日か前にチャートの10位に入ってたね。
8月いっぱいのプロモで計画通りに矢井田やB’Zと並ばせて、いよいよってなワケかいな。
道産子ミュージシャンとして何番目かのブレイクを目指してるらしいけど、どーなるんでしょ。
ティセラのCFに使ってた「GOOD DAYS」のあのノリと、ガールズバンドらしくない
スゴミみたいなもんもあって、
期待があるんだけどさ。前回の曲のプロモを見た時には?な感じもしちゃったしなあ。
インディーズ最高のCD売上げを誇ったZONEは、もともとSPEEDに対抗させようとして育まれた存在でも
あるらしいけどね。決定的に違う面があって、それなりにOKよ。
ところで、SPEEDが既に過去のものとして思われちゃってるのは、まあ、事実。
そこには声色の問題もあるよーな気もするね。
ホルマント構造の極致はノイズなんだけど、それは極論すればホルマント構造はノイズから生成する母体の音を
峻別する際の最大の特徴だから、てなコトになったりする。
ちなみにノイズとゆーと、ビッグマフを通した声でノイジイなつーかノイズそのものみたいな声がガナってる
「21世紀の精神異常者」をCFで使っちゃうトヨタもスゴイが、やっぱ、そーゆーことをヘーキでやっちゃう
キンクリってスゴイかったね。
最近だと、ノイズよりフィルター効果。ここんとこ、ユーミン以来、ボイスフィルターでうねってるのも目立ちますが、
もともとボコーダーでフィルター効果を遊んでたハンコックの衝撃はないし、使い方の自制も無い曲があって笑えます。
で、そーだ、まあ、さんざん騒がれたSPEEDが過去完了形に扱われちゃうのもスゴイなと。
現象はどーでもいいんだけど、その理由ね、ワケ。
ホルマント構造の顕著なユーミンのプロモとSPEEDのプロモを比べてると著しい差がありまーす。
それは新曲発表のインターバルですね。
ホルマントな特徴ビシバシの声って、よーするに人間の脳幹にとっては詔(みことのり)なワケだからさ。
まあ、お巫女さんからおみくじ買ってひくのも1年に一回でいいと思うしい、、、てなところかな。
2〜3ヵ月ごとにホルマントな声=母声をいくら違うメロディでも浴びせられるよーに聴かされるのはツライかもね。
母声は大事だけど、忘れるべきものだしね。正確には無限大へ向けて母声への距離は遠隔化されるべきものだから。
ハッキリ言ってさあ、若いけどどこかオバさん声でもあるヒロちゃんエリちゃんの声って、忘却されるンだよね。
つーか、記憶の彼方に遠隔化されやすい感じ。
そんで、全員がリードボーカルをとれるZONEの声はいかにも女の子。
対象化されてる間はフォーカスされる声ですねえ。
プロモーション次第でしょーが、SPEEDと比べるのと新鮮な、ZONE。
きゃはは
■吠えるイエメン産・・・ 2001/8/30
シバの女王も飼っていたとゆーウソのあるイエメン産の怪獣。
そーとードーモーなんだけど、3回も吠えられちゃいました。
どっかで噛まれてケガした写真がアップされてたなあ。
噛まれるのも時間の問題か。。。。
■まったくロンギヌスめが!・・・ 2001/8/28
指示決定とか自己確定とか構成同一性とか分裂病とか神経症とかイロイロいってきましたが。ウチのコンセプトは独り言
ってなコトをイイコトにわかりにくいコトもたくさんあると思います。質問のメールにちゃんと応答してなかったり解答で
きなかったりもするのでチョット反省の毎日なんですが、今日はカンタンな説明をしてみよーかと思います。まあ、思うだ
けえ....かもしれないけどさ。
指示決定とか自己確定とかは、もともと吉本隆明さんの言語論のタームです。シニフィアンやシニフィエとゆー言葉より
使い勝手がいいので、それこそ勝手に使ってるワケですね。
<意味するもの>とか<意味されるもの>なんつーのは西欧哲学的な大ワクなもんで、分析するにはいいかもしれません
が、意味のワケやナゼ意味なのかといった表現者・表出者である主体そのものに即して考えるにはあまり役に立たないので
使いません。バイバイ欧米ターム!ってな感じです。
コトバだろーが叫びだろーが、大切なのはその発した人・表現者にとってはどーなのか、とゆーこと。そして、それを受
けとる人・受容者にとってはどーなの? ってゆーことだもんね。
ここでやりたいのはアンタやワタシのリアルな分析であって、論理モデルや理念型でのフィギアゴッコはイラないからで
す。イラないの。わっかりますかあ? 言語と言語が指示するものを探ったところで言語を発した人の心を探ったことには
ならないでしょー。しかもパロールじゃなくてラングだとかロゴスだとかじゃあね、なおさら。その証拠に言語学は<独り言>
について何の考察もできてません。ベンヤミンみたいなマルキストはちゃーあんと独り言について分析してるのにね。でも、
独り言について分析や考察が出来ないのって、個人について分析や考察が出来ないのに等しいんではないかいね。
言語学って場所を捨象することを前提にしてるみたいで、これが言語(ラング・ロゴス)の人=ロンギヌスがイエス
(という個人)に止どめの槍を刺して以来の、思考が言葉に封じ込められている欧米の歴史的必然だか帰結なんだか?かも
しれません。この欧米的自閉症的?状態にバイバイするのもココの目的ですう。まあ、バスク語とかは違うけどね。バスクと
日本だけにある尊敬語は対象を物化し遠隔化するとゆー観念作用の最たるもんだから....。
脱キリストをマテリアルにとらえたマルクスが同時に非欧米語に可能性を見い出していたのはニーチェとも共通するスタ
ンス。その点、浅田さんは基本的な観点はバツグンです。ただし、欧米系と比して、とゆー限定つきで。(^^;)
まあ、言語によって思想が変わることに可能性を見い出した柄谷さんなんかも、ある種言語という場所的限定=TPOを
超えた認識のヒントに気がついたともいえるかもしれません。リービ英雄さんの方が柄谷さんより日本語が上手のは何故?なん
て考えるとさらに複雑ですがん。(^^;)
■どーする心的現象論序説・・・ 2001/8/25
で、夢の分析以外のパートはほぼメモ作りを終えた『心的現象論序説』なんですが。
いちばん知りたかった、どーやって個体が共同性への認識に至るか、とゆートコが7月17日にケリがついたので次の展開を考えてます。
まあ、バラバラにはこのWEBでずっーとテーマにしてる「ガイキチとは何ぞや」てな感じのコメントで
心的現象論的な批評分析風独り言は書きなぐってるんで、ワカる人にはワカッテルあれですね、あれ。
ウレシイレスポンスとしてはラカンやデリダの研究者が心的現象論への興味を示しはじめてるコトがあります。
たぶんアカデミズムではアンタッチャブルとされ、ひそかに読んでる輩からは表面的にはシカトされてる心的現象論ですが。
浅田さんの読解不能告白に明らかなよーに自分のアタマを再検討するコトが要求される本でもあるので、
自分の能力を直視できる人、自己言及し自己コントロールできる人にはロンギヌスの槍のよーに、
デキない人には自殺のキッカケにもなるよーな、そんな本です。
吉本さんの全集には吉本思想を読んで自殺した大学生の、前日からしたためた遺書代わりの論文?
が掲載されてたりするけどね。
宮台さんの本を読んで自殺した少年がいるよーに、
それらはみんなそいつ自身の自己責任だから、そーゆーこと。で、そんだけ。
そーいえば、自殺未遂があるコトやその回数を自負としてほのめかしたり、覚悟があると豪語してた人がいたりなんかして、
このガキはあ、と一喝したいなあーと思ってたら、もーいなくなってたりするんで、日常は大切ですねえ。(一部自覚的意味不明有)
そんでえ一部で、若き才能が逝ったとか事故死とか言われてるある作家ライターの事故がありましたが、
あれは自死でしょー。彼の事故を自死とジャッジするヤツがいないほど彼は孤独だったのか、というーとこに驚きを憶えたりします。
訳知り顔の周辺のレスポンスがキモイでっす。
うんで、
ハイデガーから現象学までが木っ端微塵になり、古いと思われているフロイトの可能性がフォーカスされ、
マルクス的な思索の展開が諮られれば、ここまで到達するのか、とゆーのが心的現象論の世界。
角川で文庫化する時に坂本龍一さんが危険だあと嘆いたのは実感としてもわかります。
ガイキチをインスパイアするから、さ。
それほどの本です。
■モノレール散歩・・・ 2001/8/22
モノレールに乗って、バブルの象徴だった多摩ニュータウン方面へ散歩。
多摩動物園へ行く客もいないのか閑散としたモノレールが、ステキですう。
バブリー神殿の代表、その名も多摩パルテノンを眺めつつ京王線に乗り換えて大型のアウトレットがある南大沢へ。
ココはデッカーイ都立大学の校舎が駅の目の前にあって、大学が20以上も散らばる周辺地域の中でも中心的な場所。
アウトレットにはオープンテラスのメシ屋があったりしていいトコですねえ。
ココから三浦半島までの山並?や丘陵地帯は武蔵野台地とか武蔵野丘陵として一つながりのもの。
ミルプラトーみいたいな景色?でいいですね。
メシ屋の先にはペット屋さんと園芸店があって、ここで緑を楽しんで、ペット用のランプなんか買っちゃいました。
ヤンママとガキに水槽を突かれてビックリしてひっくり返っているカブトエビを見るとなんとなくひっくり返りたい気分。
まだまだキャビアは穫れそうにない小さなチョウザメが泳ぎ回っているのを見ると元気なんでルンルンな気分でもあります。
ああ、まったく人間に感情移入しないとゆー修業を積みつつ生き物に感情移入するんかなあ、と感心したりしつつ。
斎藤環さんの新著『若者のすべて』を読んでる最中っすね、今。
時間無さ過ぎで、かつ、やる気無さ過ぎ。
■父子相伝とかさあ・・・ 2001/8/18
幼なじみの親友であるキルヒアイスと死別したラインハルトは、
そのことで、よーやく大人になったんですね。
ま、もーちょっと一般化?すると死(体)を発見しに行くスタンドバイミーみたく、ね。
友だち同士でイロイロあって、同世代の死体を見っけて、と。
そして、大人としてのラインハルトは自らが権力者であるコトを自覚して、
臣下に自らに挑むコトを求めるワケです。「オレを狙え」ってな感じで。
うーん、見事な覚悟ですが、覚悟の字の通りの悟った世界観の獲得でもあります。
ゴッドファーザーのあの覚悟でもあるしい。ラオウの覚悟でもあるね。
まあ、管理職になる覚悟もコレです、コレ。あとは引退すんだしさあ。ご隠居、いいなあ。
友との死別を受け容れることで、ラインハルトは自らの生を自覚し、
さらに、よりよく生きる為に、後継に倒されるコトを望む、
つまり、自分より強い後継を望むとゆー父子相伝の典型てな感じの、
あの欧米的な父性の最高のカタチを自らの範にするワケです。
良い子どもとは、親を超えよーとする子どもで、
良い親とは、子どもに超えられるコトを望む親ですね。
もちろん物語とはしては劇的に表現されます。
子どもは親殺しを望み、
親は子どもに殺されるコトを望むとか、さ。
ダースベーダーだったり、ゴッドファーザーだったり....するんだね。
『エミール』や『銀河英雄伝説』はそーゆーコトを教えてくれます。
まあ、“詩人は石ころとも話す”ワケで。
どんな微細なコトからも豊饒な内容を読み取るのが優れた感性とゆーもの。
たとえば理論書から理論しか読み取れないのは感性無さ過ぎですが、
理論さえ読み取れなかったらビョーキだしい。
読み取り方のパターンやクセから隠しよーのない病識が発見できるしね。
読み取れるものより、読み取れないものをフォーカスしてくと、
イロイロわかります。
その人の否定性や非決定性を追究すんのね。
カンタンにゆーと、その人が読み取れないものや、ビビッて無意識に回避してるもの、ね。
写真にたとえると、
写真に映ってるものじゃなくて、写真に映ってないもの。
それはカメラマンのアングルそのものだったりします。
そのもの....ね。
■日銀とゆー指示表出系ガイキチ・・・ 2001/8/15
14日だっけか、日銀の量的緩和の決定って。
まあ、日銀にある円の預金総量を5兆円から6兆円へ増やすとか。
20%増てなことかいね。
早い話が通貨総量を増やすワケで、マルコン(マルクス・コンプレックス)で正常な思考が出来ないマスゾエなんとかとゆー
ヒスな政治家の当選の時の主張みたいにインフレターゲットを設定しろとゆー調整インフレ論などにも応えるかたちの
日銀の主体性のない決定....とゆーかむしろアタマがないとゆー方が適切か、てな感想ですね。
どーしよーもないなあ、こりゃ。
その証拠に決定当日の14日にグーンと上がった日経平均は翌日にはグーンと下がって、日銀決定の効果はオワリっ
つーことですねん。わずか1日やん。ホントは効果が終わっただけじゃなく、マスゾエや野村総研や、はたまた
経済理論どーりに経済が動くと思ってる指示表出絶対視系ガイキチたちのオワリなんですが。
ホント、マジに、終わってほしいです。
自民党の金融政策担当者だって民主党の政策担当だって
インフレターゲット論が「実態」を知らない「学者」の言い分か、「何の政策も無いことの証し」でしかいないことは見切ってる
のが投票日当日の深夜番組の見所でしたがん。マスゾエがキレてたね。「こんなレベルの低い論議はやりたくない」だって。
まるでとにかく自分の出番が欲しい、自己を正当化したい、オレを認めてえ、などなどのよがり声が無限ループしてる
サブカル論議みたいでイタくて苦しかった、あの姿っ。
....それに比べて、
浅田さんにモーゼンと批判を浴びせてシカトされてる山形さんだけど、なかなか問題提議&提起のセンスはいいもんです。
『山形道場』でクルーグマンのアメリカ・デリダ派などに対する批判を引用したりして元気で。だって、当たってるからさあ。
あれは独創性はないけど目端の利く院生が、
自分の頭のよさを誇示するのに好都合だからはやったんだ
....とか。これは「脱構築文芸批評」に対するクルーグマンの批判なんだけど。
日本の経済不況に対して消費税の廃止や切り下げといったマトモなジャッジをできるクルーグマンは、
同じよーな判断をしてる共産党やロンドン・フィナンシャル・タイムズなどと同じでイケてるんだよねえ。
今や長期金利と短期金利が同期するとゆー歴史上初めての現象を経験してしまって以降の日々を過ごしてるワケなんでさ。
ジョージ・ソロスがマネーゲームから撤退した意味も解らない輩がなんで政策の影響力を行使したり、はたまた
もっともらしく語ったりするか、わかりません。たった一つ分かるのは自己発現のため、とか? おお、じゃ、サブカル論者と
同じじゃん。とゆーことで話しはオワリだ。よかったあ。オワッタあ。
私小説的には....
サンシャイン60の水族館でやってるマダガスカル展でダンゴムシがいないのが残念だったなあ。
多摩ニュータウンのアウトレットでアウトレット用の商品が並んでるのも残念だしイ。なんでアウトレット専用に商品を作る
ワケえ? バカ? ズル? ノー無しはやがて客なしになりまっせ。
....てなワケ。文句ある?
■淡水フグは熱帯魚・・・ 2001/8/8
吉祥寺の街で、戦後の闇市がそのまま商店街になってるよーな面影の一画にあるのがペット屋さん。
ラーメン屋さんやイスが何個かあるだけの飲屋さんもありますが、淡水のフグやかわいいスッポンなんかも売ってる
ペット屋さんは隠れた定番です。ヒッキーもここでワニなんか見たことあるんじゃないかな。
かつてガラナが飲めた喫茶店はもーありませんが、その頃からいたのがこのフグ。
金魚鉢に入れて飼おうとノコノコやって来たんですが、アマゾン産で熱帯魚なんだと。
ヒーターとか入れて水温管理しなきゃならないんですねえ。
とゆーことで、同居する前に別れ話が先行しちゃったフグちゃん、さよーなら。
そんじゃー、やっぱりい、アラビア半島だのマダガスカル島だのの原始怪獣でも飼おうかなと思ってます。
タンザニアやケニアの怪獣もいいかもなあ....。
■サブカルな復習・・・ 2001/8/6
文化人類学や民俗学が面白かったのも宮台さんのワークがオモシロイのも同じ理由だね。
現場への直接調査や口承伝承へのサンプリングとゆーよーなフィールドワークのいいトコが活かされてるでしょ。
そこで価値があるのは標本化されたモノじゃなく、テキスト化されたものでもないからさ。
標本化もテキスト化も標本化・テキスト化する時点のマテリアルとテクノロジーに制限されちゃいます。
それだけならいいけど、そこに大きな陥穽があるでしょ。
大前提として「コレを標本にしよう」「コレを編纂しよう」という恣意性によるジャッジの後だからね、標本化やテキスト化は。
特にテキストの編纂は文字というメディアを行使できる階級が編纂というフィルターによって都合の悪いものを除外し、
占有支配しているマテリアルやテクノロジーを使ってテキスト化し編纂するワケ。
出来上がったモノは支配階級が認めたものが大部分。古代になればなるほどそーでしょ。
このことをエンゲルスは
自らの歴史を書けない民族は消滅する
....とかクールに言い放ってる。
まあ、世界最大の帝国であり最先進国であるイギリスの工場の息子らしいスタンスでございますが。
自らが使う英語やドイツ語を念頭において歴史を著述出来る言語が立派なんだと主張してるワケですね。
でも歴史を著述するってのは支配階級がするコトなんだよね、たいていは。
少数民族のグルジア人であるスターリンがこのエンゲルスの言葉に反発するのも無理はないね。
そもそも文字なんて全世界の言語の5%くらいしかないしさ。
多くの民族の物語は言い伝えられてきてるよね。
コレに、口承伝承じゃアバウトでしょ、てな批判は当たらないんだ。
人間が民族が違っても時代が違っても同じ身体を持ち同じような動作をする限り、口承伝承は有効なんだよね。
そして感性とか感情とかを伝えるコトができるのも口承であり身体の振る舞いであるからなんだ。
身体と口述の同期は意味を同定できる可能性が圧倒的に高くなる。
だから口承伝承の基本型は歌なんだよね。
そして絶対に間違いなく認識できる母声を原点としたホルマント構造をベースに口承伝承は続いてきてるワケでしょ。
テキストでは感性や感情は伝わらない。伝えられるのは感性や感情の指示表出。
受け取るサイドの人間が感性や感情を表現者と同じように自己確定できる可能性なんて、どんなもんだろ。
エクリチュールの生成とともに郵便的不安も顕在化してるワケね。
ここでもキーポイントは受け手。
つまり、消費者つーこと。
まあ、吉幾三問題に関して「何が問題を起さないでいてくれるのか?」とゆー疑問も解答も提出できない
サブカルからアカデミンちゃんまで、ダメでしょ。ダメえ。
アレをディスコミュニケーションや郵便的不安だとしていつまでも反芻したって、牛にさえなれないもんね。
なれるのはバカでしょ?
■オタクな復習・・・ 2001/8/4
とゆーことでオタクのイデオロギーはなんぞやとゆーと、やっぱイデオローグはオタキングかいな、と。
まあ、どーゆー主張を見ても党派性と階級闘争でしかないのはトーゼンなんですが、この前提は浅田さんが好きな
「社会的諸関係の総和」としての人間とその関係を分析するならOK。
でーもお、マテリアルな存在としては<個>である個体としての人間はさあ、個体の分析がないとー、
わかんないんだけどなあー。
....と、常日頃から思いつつ、常日頃考えてるコトをヒツコクリピートしよーかな、っと。
もー、次の展開を考えないとなーと思いつつ、今日もジーパン屋と園芸店とDIYとディスカウントへとGOな気分。。。
●オタキングはモダン
オタキングによるポストモダン分析である『ぼくたちの洗脳社会』は正当な現状分析ですが、
その理論展開はモダンでしかなく、決定論的であり、「非決定的な側面」を決定的に欠いたものです。
それは、いくつかの伝統的価値が「楽しいコト」スタンダードに代わったという指摘に過ぎません。
つまり「楽しいコト」がスタンダードになった世の中で「楽しいコト」を消費しているのが現在だ、
という何のヘンテツもないモダンな主張なんですね。ちょっと、マヌケ、そして、けっこうダサイ、
そーゆーワケです。
●ハンパな理由
さらに不思議なのは「楽しいコト」の中身が問われていないコトです。つまり内容がハンパ。
でも、実をいうと、ここが最重要ポイントなんですね。ナゼなら、考えてみると、「楽しいコト」の中身を
問うコトができていないのは実をゆーと無理のないコトなもんで。そーゆー意味でも『ぼくたちの洗脳社会』は
無理のないコトしか書いてない本ともいえます。
「楽しいコト」は各人それぞれなので、カンタンにその中身を問うコトができません。
問うコトができても答えはバラバラです....というコトが基本にあるワケですね。
そして、さらに、「楽しいコト」の中身が問えないだけではなく、中身を問えないコトが「楽しいコト」になっているか、
「楽しいコト」と見なされているコトがもともと楽しくも何ともないコトなのか....。
ココにホントに重要なポイントも見えてきます。
●「楽しいコト」はウケる!
「楽しいコト」は多くの人にウケます。そしてウレます。だから「楽しいコト」は立派な商品になります。
とゆーか、「楽しいコト」を商品にして売りまくっているのが資本主義ですよね。たとえば美味しい食べ物を売る....
これはあたりまえの経済活動です。資本主義はこーゆーあたりまえのコトをやってます。それが資本主義の強さでしょー。
そして、「楽しいコト」は各人それぞれなんで、各人それぞれに向けてイロイロなモノゴトを商品として提供するワケです。
そーゆー多品種少量生産の高度資本主義と消費社会はモダンの典型でもあります。各人の好みにあわせてさまざまな
商品のアイテムを提供し、消費者は豊富な商品から自分の好みを探して自分の世界やマイブームを作って生きていく....
この生産と消費の無限?の対応関係のベースにあるものを明かしたのがオタキングの『ぼくたちの洗脳社会』でした。
でも、そこには大きな欠落があるワケです。
●非「楽しいコト」は?
「楽しいコト」という肯定性によって資本主義が決定されていく、とゆーのは正当で妥当な分析ですが、
それは世界の半分でしかないでしょー。残りの半分とは<非「楽しいコト」>という否定性による決定性が左右する
世界があるじゃないか、とゆーことです。そーゆー面も含めたジャッジがサブカルの一部にはあり、また、資本主義
そのものにも否定性そのものを立派な経済活動に組み込んでいくハイパーさがあります。<非「楽しいコト」>つまり
「楽しくないコト」も立派な商品になるとゆーワケです。
●資本主義としての宗教
その代表的なもんの一つが宗教ですね。
経済とか資本主義はモノゴトを媒介にした人間関係や社会システムを意味していますが、宗教もそーいった
経済やシステムの一側面に過ぎません。
ただ宗教は宗教そのものが「モノゴト」を「媒介」にしているコトや社会システムの一部分でしかないコトを
絶対に認めていません。この絶対性こそがそのまま宗教の絶対性になっています。自己の存在基盤
(の物質性、マテリアル)を一切認めないことによって存在しているとゆー不思議な自己矛盾こそ宗教の不思議さであり
矛盾そのものなんですね。
そして宗教の魅力もそこにあります。人間は飛べないから飛ぼうと希望するよーに、ね。
マテリアルな在り方に対する100%の否定性こそが観念そのものだから。宗教がある種観念そのもの心そのもののよーに
錯悟されるのはそーゆーワケです。でもホントは....。
●非決定性によるインテグレート
肯定性による決定性と、否定性による決定性といった各人各様の各TPOによる決定性=重層的決定(アルチュセール)の
インテグレートがそれこそ決定的だと思われてますが、実をゆーと決定性による本源的蓄積以外に非決定性による
インテグレートも深ーく考えてみる必要があります。小泉内閣の90%を超える人気だって他に選択肢がないよっ、てな
非決定性ゆえに成り立つ数値だしね。たとえば宮台真司さんはこーゆー観点を駆使できるワケです。
アタマは、モット、使いましょー。世の中、ケッコー、カンタンなんだから。
カムイ伝がマルクス的だとゆーのはバカだ、とかオタキングは指摘します。でもそれは表現がメタフォアであることを
否定していて、その辺がオタキングの限界をよーく現していますねえ。そこにコンプレックも見えます。新人類世代で
C調になれなかった人間のルサンチマンで、竹熊さんがどっかで指摘してるみたいにこれって結構多いんだよね。
そして、ヒサン。AORに対するパンクをはじめユーミンや小室に対する反発とかいろいろあるでしょ。現代のこれらの
ルサンチマンの特徴は惨めでチョット病識も垣間見えるケースが多いことでしょーか。
■パキラ、3300円?・・・ 2001/8/4
オーイ、府中で、抱えたらギックリ腰まっしぐら風のパキラが3300円なんですう。
ちなみに実際に買ったのは分倍河原の駅前で580円のやつ。
ベンジャミンが3000円とかもあったなあ。
馴染みの茶店が無くなってたなあ。
八王子の店もなくなったしい。
街が変わるのはトーゼンなんだけどお、
イイお店がなくなるのは、残念無念アーメン。。。。
■カメのシンクロ・・・ 2001/8/1
ボーッとしてるんでえ、今日だったのかあ、昨日だったのかあ、一昨日だったのかあ。
井之頭公園の池でえ、カメが4、5匹づつう、輪になってえ、シンクロしてるのをお、見ましたあ。
輪はいくつもあってえ、オシリを日焼けさせてるおじさんがいてえ、涼んでるカモがいてえ、
まったりした感じの白昼夢風でしたん。
おわり
三鷹台の駅のヨコにあるディスカウントのフード屋さんでえ、「ブラック・ジンジャー」つーのを売ってましたあ。
68円だったか、何円だったかあ。
飲んだコトある人、感想ちょーだいねえ。
ブラック・ジンジャー。。。。
つづけ
おわりにい、三越の飲茶でいただいたチャイは美味しかったなあ、と。
はじめにい、ひさしぶりでのぞいたペット屋のフグは可愛いかったなあ、と。
淡水フグはいらんかねえ。淡水フグ。。。。
つづく

