半年近くぶりになってしまいましたが、読書メモ。
中国のイスラム教徒 回族 の女性の現代中国での生き方を描いた本です。 描き方は統計的というよりもオーラルヒストリー。 中国北西部の農村においてイスラーム女学 (女性向けのイスラーム学校) が果たしている役割に焦点を当てています。 経済的は貧困層が多く、民族的・宗教的にマイノリティであり、それに加えて女性という周縁的な立場にある回族イスラーム教徒女性にとって、 イスラーム女学はセーフティネットであり職業訓練校でありアイデンティティを確認する場所だと、この本は述べています。 そんなイスラーム・フェミニズムの一例を知ることができ、興味深く読めました。
実は、この読書メモ、去年の10〜12月の頃に書いたものなのですが、 なぜか談話室に投稿するのを忘れたままになっていたのでした。 また読書メモを再開しようかと思って、原稿用のテキスト・ファイルを開いて、 未投稿の読書メモが2本あることに気付いたという……。 偶然ですが、今回の読書メモは今日、国際女性デーに相応しいかな、と。
読書メモ。去年末から今年頭にかけて読んだ本ですが。
「音楽する」こととはどういうことかについての本。 著者はこの「音楽する」を、「どんな立場からであれ音楽的なパフォーマンスに参加することであり、これは演奏することも聴くことも,リハーサルも練習もパフォーマンスのための素材を提供すること(つまり作曲)も、ダンスも含まれる」とプレリュード (序章) で定義しています。 さらに、チケットのもぎり、ローディーたち、会場の掃除夫のする事ですら含まれる、とまで主張しています。 以下、クラッシック音楽におけるシンフォニー・コンサートを例に、本は展開します。
第一章「聴くための場所」ではコンサート・ホールの建築、 第二章から第六章ではコンサートという制度やコンサートでの約束事、 第七、八章ではシンフォニー音楽という形式、のそれぞれにイデオロギー性 —— 近代産業社会の中産階級の価値観の反映とでもいうか —— を読み解くという形で、 本は展開します。ここは、いかにもありそうな議論。 前半は、この本ならではの切り口が見えずに釈然とせず、読み進める感がありました。
結局のことろ、建築や上演の制度や約束事、そこで演奏されるレパートリー等を含めた総体を 価値観を表現する儀礼的行為「ミュージッキング」として括ってみせたことが、 この本のポイントなのでしょう。 それが明確に明かされる第八章の後に置かれた「インタリュード3」で、 やっと腑に落ちた感じがありました。
この本を読んですぐに何か変えなくては —— (例えば、このサイトでの作品単位になりがちな音楽に関する文章の書き方を変える、とか —— というようなことは無いように思いますが、 例えば、『ライブハウスの敷居の高さ』 (Togetter, 2012-03-11) のような話を読んだときに、見え方が変わったのを実感。 ライブハウス側で一方的に改善しなくてはいけないという問題でも、 無い敷居を客側が勝手にあるものとしているという問題でもなく、 ミュージッキングの違いの問題だ、 と、根深さが判るという意味で。そういう意味でお薦めの本です。
余談ですが、『ライブハウスの敷居の高さ』について言えば、 togetter されているツイートの中でも同じようなものと言及されていますが、 隠れ家的レストラン (or カフェ、吞み屋) のような文脈ではあまり問題にされていないように思われる事が、 このような音楽の文脈で問題にされるのは、何が違うのか、という事の方が気にかかったり。
読書メモ。かなり前の本ですが、この3月に読んで、最近直接会った人に薦めまくっている、この本を。
時代は15世紀後半。1453年にコンスタンティノープル (現イスタンブール) を陥落させ 東ローマ帝国を滅亡させたオスマン帝国は、続いてバルカン半島を征服。 東アルプスの現在のオーストリア〜スロベニア国境界隈も攻撃に晒されました。 メフメット二世の死 (1481年) により攻撃が止んだ後、 イスラム教徒のオスマン軍によって涜されたキリスト教会を聖別するために、 所轄のアクイレイア総大司教管区は司教ピエトロ・カルロを全権代表とする使節を派遣。 この本の著者パオロ・サントニーノは総大司教管区庁の書記官 (世俗の法律家) で、 この使節に随行員兼秘書として参加しました。 この本は元々この使節の公式報告書としてラテン語で書かれ、 その後、印刷等をされることなくヴァチカン図書館に長年眠っていたものが20世紀に入って発見されたものとのこと。 長年眠っていた理由が、日本語訳者のあとがきで、こう述べられています。
この旅日記は普及することなく、書かれて間もなくヴァチカン図書館にお蔵入りとなってしまったようである。 謹厳に行われるべき司教巡察の旅日記でありながら、宗教行事の記述はそこそこに、食べた料理を書きつらねたり、美女にどういう手順で身体を洗ってもらったかを記したり、貴婦人の服装をまじまじとみつめては蘊蓄を傾けたりしているのだから、これではあの時代の価値基準からしてボツになるのは当たり前なのである。
このように料理や女性の記述が確かに多いのですが、行った先々で見聞きしたものを 豊かな知識と好奇心をもって書き記しているところが、この本の魅力です。
司教の使節ということで、各地で盛大な料理でもてなされているのですが、 サントニーノはかなりのグルメで料理にも精通していたようで、多くの宴で コースの料理を最初からデザートまで順に食材と調理法を記しています。これがとても面白いのです。 川魚料理が多かったり、キャベツの上にベーコンと自家製のソーセージが輪を描くように載せたものが 頻繁に出てくるあたり、アルプスという土地柄を感じさせます。 おそらく味付けは現在とかなり違うと思いますが、クネーデルやトリッパなど、今でも馴染みのある料理も出てきますし。 あと、ワインの記述は、単に赤白や鮮度 (酸っぱくなっている等の記述もある) だけではなく、 「ワインは三種、銀杯に入れて供された。最初がすばらしくうまいマルヴァジア、それからフリアウル、食後には甘くて舌にまろやかなレボリオであった。」(1485年10月6日) と、産地や種類まで記しているのです。こんな中世から、ワインを銘柄で飲みわけていたとは! しかし、宴の主役はあくまで司教で、サントニーノは随行員に過ぎません。 美味しそうな料理を司教が食べてしまう様子を 「司教さまはこれをわれわれみなの分まで平らげてしまわれた」 (1485-10-23) なんて書き残していたりして、様子が目に浮かぶようで笑ってしまいました。
女性の記述のハイライトの一つは、日本語訳者も挙げている、 泊めてもらったお城の美しいご令嬢に身体を洗ってもらったという話 (1485年10月27日)。 これについては「サントニーノははじめご辞退申しあげたのであるが、そのような成り行きになってしまって、承諾の告白をしたのである」と、少々困惑している感じもあります。 良い思いをさせてもらったからではなく、 「この国の習慣を知らない者なら、この育ちのよい奥方をあばずれに思うであろうし、自分のうら若き美貌の妻を、他所の男の世話に湯殿へ差し向ける主人は、軽率、愚かなやつだと笑うかもしれない。しかし、この国のしきたりを考慮すると、主人や奥方の行いはすべて最高の徳と誉れに帰すると解釈すべきなのである。これは客に対する古来からの習慣に従ったもので、客が特別な愛と名誉をもって迎えられていると感じるためだとだれもが言う。」 と、アルプス地方に残る古い習慣だから、サントニーノはこれを記しているわけです。
サントニーノの女性に関する記述で、他に印象に残ったのは1487年5月17日に出てくるオメリア夫人。 サントニーノはこの女性がとても —— おそらくこの報告書中に出てくる女性の中で一番 —— 気に入ってしまったようで、他にもまして丁寧な記述をしています。 にもかかわらず、夕食後にダンスが始まりサントニーノは騎士殿にさんざんオメリアさまと踊るように要請されたにもかかわらず固辞し続け、最後には 「しかし書記官の職務の体面もあるので、さっきと同様かようなことに不調法だからという口実で堅くご辞退申すと、貴婦人ははっきり顔に出して不快を示された。恥をかかされたとお感じになったのです。」という。 そんな場面も目に浮かぶようで、とても可笑しかったです。 また、このオメリアさまはペットとしてイノシシを飼っているという話も出て来て、犬のようにしつけられた様子を感心して描いているのも興味深く思いました。
こんな女性に関するエピソードからも伺えるとも思いますが、 サントニーノは、美味しい料理や美しい女性を素晴らしい、素晴らしいと書き連ねているのですが、 決して豪勢な料理を振る舞われたり美しい貴婦人に歓待されることを当然とは思ってはいません。 確かに、ワインが酸っぱくなっていたり、肉が腐っていたり、料理が口に合わなかったり、 寝床で南京虫に悩まされたり、というエピソードも多く書かれていますが、 それを旅の苦労として愚痴ることはあれ、 泊めてくれた城や宿の主人の不手際として責めるような記述は一切ありません。たとえば、 「ワインは白も赤もあったのに、初めのはたいへん酸っぱく、次のは酢と腐敗の匂いがしたのだ。これでは両方とも食欲をそいでしまう。あのツンときてむかつくような味は水で割っても消えないし、やわらぎもしない代物なのである。そんなときにただひとつ打つ手といえば、われわれみなが、中でもとくに並により冷静な者は、その席を立つことだったのである」 (1486年9月19日) という感じで、宴を台無しにしないようやり過ごしているのです。 そんな感じで、嫌みだったり傲慢だったりするところが無く、 素直に美味しい料理に喜び、美しい貴婦人を褒め上げているように感じられるところも、 この本が楽しく読めた一因のように思います。
料理や女性だけでなく様々な出来事の記述がかなり具体的に描かれているだけに、 15世紀末の東アルプス地方を司教の随行団の一因として一緒に旅行しているような 気分になりながら楽しめた本でした。
しかし、この日本語訳が出たのも、もう四半世紀前になってしまうのですね。 こんな面白い本が絶版のまま埋もれているのはもったいないです。 是非、ちくま学芸文庫あたりで文庫化して欲しいものです。
追記:復刊ドットコムへのリクエスト、 始まってます。興味持ってくださった方は、ぜひ、投票下さい。
読書メモ。
一二五〇年のシャンパーニュ伯領のトロワ [Troyes] (現在のフランス・シャンパーニュ=アルデンヌ地方 [Champagne-Ardenne, FR] にある) を取り上げ、そこでの都市住民の生活の様々な面を描いた本です。 物語的な記述ではないけれども、生活のディティールが多く描かれています。 当時開催されていた シャンパーニュの大市 [Les Foires de Champagne] については ウォーラーステイン『近代世界システム』等の本で興味を持ったのですが、いまいちピンとこないので、 こういう本で当時のヨーロッパ世界のイメージを掴んだ方がいいかな、と。 シャンパーニュの大市 と ゴシック建築やノートルダム学派の音楽が同時代、 ということに気付かされたのが最大の収穫。 中世演劇に関する章もあって、それについても、もう少し他の本を読み進めてみたいなあ、と思ったり。
ヨーロッパ中世物が続きましたが、偶然。 実は、去年の10〜12月の頃に書いたものの投稿し忘れていたもの、その2です。
読書メモ。
この本が扱っているのはロシア帝国下とオスマン帝国下の間で東西分割されていた19世紀半ばからソ連崩壊後に至るまで。 日本語で書かれたアルメニアに関する本というと、 アルメニアに一方的に肩入れするような思い入れ強過ぎるものが多いという印象があったのですが、 この本そんなことはありません。 ロシア帝国内とオスマン帝国内では民族主義運動に違いがあったことなど、 アルメニア人内での立場の相違・多様性がわかったのが、良かったところでしょうか。
この本も19世紀以降、独立戦争以降からEU加盟後の経済危機に至るまでを扱っています。 やはり、ギリシャ内の立場の相違・多様性を描いているところが良いですね。 政治的な分裂の記述も容赦ない感じなのですが、 第6章「国境の外のギリシャ人」と一章を割いて、 ポンドス、アメリカ移民、キプロスについて記述しているのも良いです。 特にポンドス人については 興味あるものの、 特に近現代については日本語での情報が少なかったので、参考になりました。
ところで、この本を読んだ後に気付いたのですが、 この著者は去年4月から今年1月にかけて白水社のサイトに 『ギリシャの風』 という連載をしていました。 こちらは軽いエッセーですが、この本を読んだ後だったからか、 こういう人が書いた本なのかと思いつつ楽しく読むことができました。
しかし、こういう本を続けて読むと、トルコの近現代史もちゃんと知っておかなくては、と。 とっかかかりとなるブックレットや新書くらいのレベルのもので、良いものがあればいいのですが。 やはり、新井 政美 『トルコ近現代史』 (みすず書房, 2001) しか無いのでしょうか……。 もしお薦めの本をご存知の方がいらしたら、是非教えて下さい。
久しぶりの読書メモ。
大学での舞踊史の教科書を想定して編集された劇場舞踊史の本。 20世紀以降のダンスに連なる動きについて断片的に知っている程度だったので、 大きな流れを把握するのにとても勉強になりました。 2部構成で、第1部がバレエ、第2部がダンス (20世紀以降のモダンダンスからの系譜) となっています。 約300頁と短期間でざっと読み通せる程度にコンパクトにまとめてありますし。 もっと詳しく知りたいときはそちらを当たることもできるよう、 参考文献が充実していているのも良。手元に置いとくと重宝しそうです。
バレエについてはかなり疎かったので、第1部は勉強になりました。 ロマンチック・バレエとクラシック・バレエをかなり混同していることに気付かされたり(汗)。 というか、19世紀以前というかモダニズムより前になると いきなりあやふやになるのは、我ながらいかがなものかと。 最近のバレエはコンテンポラリー・ダンスとの接点も大きいだけに、 第6章「現代のバレエ」での「バレエ振付家の系譜」のまとめは、なるほどそうだったのか、と。
第2部のダンスについては断片的に知ることは少なくなかったのですが、 それがどう影響を与えあって展開していったのかという「歴史」として捉えることができるようになった気がしました。 Isadora Duncan に始まる20世紀前半アメリカのモダンダンス、 そして1960s以降のアメリカのポストモダンダンス、 リトミックや Duncan の受容からタンツテアターへ展開した20世紀ドイツのダンス、 Mai 68以降のフランスのヌーヴェルダンス、 そして、これらの流れも受けつつ1990年代以降世界的に発生・拡散したコンテンポラリーダンス、と。
しかし、この教科書は「欧米」が対象で、 日本についてはコンテンポラリーダンスの章の中で触れられるのみだったのも少々残念。 並行して読めるような日本舞台舞踊史の教科書があれば、読んでみたいものです。
ところで、これを読んでいて、1998年にNHK教育の『知への旅』枠で放送された 20世紀のバレエ・ダンスの歴史を扱ったヨーロッパ共同制作TVドキュメンタリー 『ダンスの世紀』 (全5回) を観たことを思い出しました。 当時、ほとんど知識の無いままぼんやりと観て、今や内容をほとんど忘れてしまったのですが、 こういう本を副読本に見ていたらもっと身になったんだろうなあ、と。 そういう点で、改めて見てみたいドキュメンタリーなのですが、DVDになっていないのでしょうか。 欧米でリリースされた英語版、英字幕版でも構わないのですが、 原題もしくは英題がわからず探しあぐねているという……。 YouTube を検索したら、バレエ関連の第1回、第2回が このあたりで みつかりましたが……。
はじめまして、池川さん。情報ありがとうございました。とても参考になります。 英語のタイトルと制作著作者 (authors) がわかったおかげで、かなり調べがつきました。 原題 (フランス語/ロシア語)、英題と邦題や主要な書誌情報など、わかった事は以下のとおり。 (後々検索しやすいように書いておきます。)
欧米のライブラリーにVHSやDVDで所蔵されていたりするようですが、 現状では一般に流通している物はないみたいですね。 といっても、インターネットへアップロードされている動画を全編分見付けてしまいました: серия 1, серия 2, серия 3, серия 4, серия 5。 しかし、ロシア語版 (字幕はフランス語) なので、ちょっと厳しいですね……。
こうしてみると、『ダンスの世紀』と『バレエとダンスの歴史』 (平凡社, 2012) の20世紀分は、 章立てもかなり共通しているように思います。 バレエ、モダンダンス〜ポストモダンダンス、ドイツのダンス、みたいな形で、系譜をまとめている所とか。 これがオーソドックスな20世紀のバレエ・ダンス史、というところでしょうか。 やっぱり、『バレエとダンスの歴史』に合わせて観る映像資料として、『ダンスの世紀』はちょうど良さそうですね。
『バレエとダンスの歴史』を読んでいて、 「19世紀以前というかモダニズムより前になるといきなりあやふやになる」と感じたわけですが、 20世紀については『ダンスの世紀』を観ていたことが生きていたのかな、なんて思ったりもしました。
しかし、1992年の時点で共同制作の中にロシア (この時点ではまだソ連か) が入っているというのも凄いです。 こういうTVドキュメンタリーの企画が成立したのも、ペレストロイカ/東欧革命のおかげだったんだろうなあ、と、感慨深いものが。
二ヶ月ほど前に読んだ本ですが、読書メモ。
1992年の「ソ連崩壊」以降のロシアの文化についての小論集。 文学、美術、音楽のようなものから、地域やエスニシティのアイデンティティまで、 多様な内容を全八章それぞれに4~5編、全36項目、30人で執筆しています。 ソ連崩壊後のロシア文化の主要なトレンドを描くのではなく、 その多様性をそのままに提示するような本です。 圧倒的な公式の文化とアンダーグラウンド、というのではなく、 こういう多様性が現れているのも、ある意味、普通の国になったんだろうなあ、と思ったり。
扱うテーマが多様過ぎで、36項目の中には話についていかれないものもありましたが、 概して興味深く読めました。 音楽、美術、建築、演劇のようにもともと興味がある分野はもちろんですが、 ソ連崩壊後のソルジェニーツィンの変化や、 中古日本車の「右ハンドル」を通して見るロシア極東地方のアイデンティティの話なども、 そんなことがあったのかと興味を引かれました。
一項目約10頁とコンパクトにまとめられているので、 通勤途上や週末の移動時間のような細切れの時間を使って読むのに丁度良かったです。 項目に興味を持ったらさらに読み進められるよう、参考文献が充実しているのも、助かります。
読書メモ。
第一次世界大戦によるヨーロッパ社会の変化を、戦前のバレエ・リュスのスキャンダル、 大戦中の最初のクリスマスに行われた「敵兵との交歓」、その後そのような事が行われなくなった戦線、 戦後のリンドバーグ大西洋単独横断飛行への熱狂的騒ぎ、レマルク『西部戦線異常なし』のベストセラー現象、 そして、ヒトラーのナチス政権とった象徴的な出来事を通して描いた本です。
一見関係なさそうな特徴的な出来事をいくつか焦点を絞って大胆に取り出し、それを巧みにつなぎあわせて、 時代の雰囲気の変化としてモダン・エイジの成立を描いています。 新旧の価値観対立によるヨーロッパ内戦としての第一次世界大戦、というか。 500頁近いボリュームですが、その勢いで一気に読まされてしまいました。
もちろん、この話は西部戦線側の話であって、 東部戦線~ロシア革命や中東戦線~トルコ革命はまた別の話になるのかな、とも思いますが。
実は20年近く前、翻訳が出て暫くした頃に一度読んだはずなのですが、ほとんど忘れていました。 読み直して、こんなに面白い本だったかと。 この20年近くの間に、登場する固有名詞の関連知識にそれなりに蓄積ができたおかげかな、とも思いました。
この本を再読しようと思ったのは、去年、シリーズ 『レクチャー 第一次世界大戦』 (人文書院) を読んで思い出したから。結局、読書メモを書きそびれてますが、このシリーズもお薦めです。
吉村 貴之 『アルメニア近現代史』 (ユーラシアブックレット / 東洋書店, 2009) と 村田 奈々子 『物語 近現代ギリシャの歴史』 (中公新書, 2012) を 読んだ勢いで、 続いて読んだこの本について読書メモ。
18世紀末、オスマン帝国・セリム三世の「二ザーム・ジェディード (新体制)」以降、 現在の第三共和制に至るトルコの近現代の歴史を描いた本です。 19世紀半ばの改革タンズィマート、1908年の青年トルコ人革命、第一次大戦後の独立戦争など 学校教科書レベルのことしか知らなかったので、勉強になりました。 19世紀の時点では近代化という面ではエジプトの方が先行していた面もあったのだなあ、とか。
この本を手に取った一番の理由は、直前に読んだアルメニアとギリシャの近現代史の補完ですが、 もう一つ、トルコにおいて文化・芸術の分野での近代化がどう進んだのかについて興味もありました。 この本は主に政治体制的な面から歴史を描いているわけですが、 文化・芸術についての記述も若干ながらありました。というわけで、 この本で出て来た文学や音楽などの記述ついて備忘録的に。
最初に出てくるのは、セリム三世の「二ザーム・ジェディード (新体制)」期 (1789-1807) の音楽の話。 セリム三世は、「セリム三世音派」という一群の音楽家を生むほどの音楽愛好家・作曲家だったそう。 西洋音楽の五線譜との違いに関心を持ち、 それまで楽譜を持たなかったオスマン音楽のための独自の楽譜の考案を命じたけれども、 作られた楽譜は全く無視されることになったという。 このエピソードは、ユダヤ教徒やキリスト教徒には早々に印刷所を作ることを認めながら、 ムスリムには18世紀前半の「チューリップ時代」まで印刷所を認めなかった、という話にも通じます。
近代的な文化・芸術の話が増えるのは、やはりタンズィマートの時代 (1839-1876)。 スルタンのアブデュルメジトは 「宮殿に仕える女たちには、トルコ風の歌や楽器と並んで西洋音楽を学ばせ、小さなバレー団も作らせた。また西洋の演奏家たちの指揮下に宮廷オーケストラを作り、宮廷の並びには小さな劇場も作らせていた。」とのこと。 ちょうどヨーロッパはロマン主義の時代ですから、宮殿で踊られていたのはロマンチック・バレエだったのでしょうか?
宮廷の外でも、タンズィマートの時代は「新オスマン人運動」が展開されていました。 この運動の核になったのがこの時期に発行部数を大きく伸ばした新聞というメディア。 中でも、1860年創刊の『諸情勢の翻訳者』と1862年創刊の『世論の叙述』という2つの新聞を 創刊したイブラヒム・シナースィはパリ留学の経験があり、 新聞創刊の直前はラシーヌ、ラ・フォンテーヌやフェヌロン (17世紀フランス文学でしょうか) の翻訳を公刊していたとのこと。 またシナースィは「ドルマバフチェ宮殿の劇場で上演すべきトルコ語の戯曲執筆を求められ、オスマン人による最初の戯曲と見なされる喜劇『詩人の結婚』を『諸情勢の翻訳者』に連載した。」とのこと。 どんな戯曲だったのか、ちょっと気になりますね。 ラシーヌを翻訳紹介していたということは、アレクサンドランのトルコ版とか?
タンズィマートの後、一旦、専制政治の時代になるのですが、 1908年の青年トルコ人革命の後の第二次立憲政治の時代 (1908-1918) になります。 「また、この時代には西洋音楽の教育の導入も本格的に導入され始めていた。一九〇八年の革命直後に作られたオスマン音楽学校では、記憶に頼る伝統的な稽古と並んで、楽譜やソルフェージュが教授された。また、一九一七年に設立され、後のイスタンブル市立コンセルヴァトワールへ連なる旋律学校でも、西洋音楽部と古典音楽部との二本立てで教育が行われた。」 とのこと。楽譜が本格的に導入されたのはこの頃とのこと。 日本で東京音楽学校 (東京芸術大学音楽学部の前身) が設立されたのが1890年ですから、 トルコでは西洋音楽の制度的な受容は遅かったのだなあ、と。
オスマン帝国の第二次立憲政治は第一次世界大戦の敗戦で崩壊。 戦後の独立戦争を経てトルコ共和国が成立し、 ムスタファ・ケマルの指導の下、共和人民党の一党支配の時代 (1923-1945) となります。 「一九二六年一〇月から、公共の場におけるムスタファ・ケマルの銅像または肖像の刑事が始められ、それはケマルへの個人崇拝が顕著になるにしたがって増加してゆく。」と。 ヨーロッパで権威主義体制が広まるのは大恐慌 (1929) 以降ですから、それに先行していたのだなあ、とも。
この時代に、トルコ語にラテン文字を採用する「文字革命」 (1928) などが行われているわけですが、 「一九三三年には、一日五回の礼拝をモスクから信徒に呼びかけるアザーンがトルコ語化され、コンセルヴァトワールによって作曲された旋律に乗せて、各モスクから流されることになっていた。ベートーヴェンの交響曲を音楽の最高到達点とみなし、オスマン時代に宮廷や神秘主義教団の修行場を中心に発展した古典音楽を「後進的」と断罪する立場が強調され、トルコの「国民文化の精髄」であるアナトリアの民謡に、西洋文明の精華である和声を付けることが勧められたのであった。」 とのこと。コンセルヴァトワールで作曲された旋律によるトルコ語のアザーン! これは聴いてみたい。
この本で文化・芸術に関する記述があったのは、ここまで。第二次世界大戦後の文化・芸術の動向の記述は見当たりませんでした。
ちなみに、この本における音楽に関する記述は、 ジェム・ベハール 『トルコ音楽にみる伝統と近代』 (新井 政美=訳; 東海大学出版会, 1994) に基づくもののようです。音楽に関する記述が目立ったのは、この本のおかげかもしれません。 美術やデザイン、建築に関する動向、例えば、西洋絵画の受容やオスマン美術の変化、 オスマン帝国第二憲政時代や戦間期一党支配体制で用いられたポスターのデザイン様式とか、 共和国政府の政府機関の建物に採用された建築様式とか、そういう記述もあったら嬉しかったのですが。 『トルコ音楽にみる伝統と近代』に相当するような良い文献が、美術や建築の分野には無かったということなのかもしれません。うーむ。
あと、オスマン帝国第二憲政時代から戦間期の共和国初期にかけてであれば、 SP盤による録音が残っており、その音源のアンソロジーCDもリリースされています (例えば、Traditional Crossroads の Archival Remasters)。 これらの録音された音楽とこの本 (もしくは『トルコ音楽にみる伝統と近代』) で記述されている音楽の関係も気になりました。 ま、それは、今後読み/聴き進めるにあっての、自分向けの課題ということで。 まずは『トルコ音楽にみる伝統と近代』からでしょうか……。