「キケン、キタナイ、キツイの3Kミュージカル」で知られる劇団 ゴキブリコンビナート が銀座の画廊で展覧会を開催した。 といっても、単なるインスタレーションでも、 インスタレーション中に身体をその延長として置くような アート的なパフォーマンスでもなく、 約30分ごとに入れ換えをし寸劇を繰り広げるという演劇的なもの。 小さなギャラリーと約30分という空間時間に ゴキブリコンビナートな演劇空間を圧縮したようで、楽しめた。
人一人がやっと歩ける程度の導入道を蝋燭の灯りで進むと、 全裸泥まみれのパフォーマー達が「屈辱が足りない」と叫びながら 頭上から通路を塞ぎ、蝋燭を奪い消す。 そして、彼らに誘導されながら 足場が悪い暗闇の中を手探り足探りで、真っ暗な小部屋に付く。 薄暗い照明がつくと、 皮が付いたままの丸太で組まれた掘建小屋に畳を敷いたような じっとり湿った四畳半部屋とでもいった空間で、 観客はその部屋の3辺の壁にへばりつくように立たされている。 もう1辺には風呂桶や役者の出入り場所も兼ねた足場など。 そして、その非常に狭い空間で、 いつものゴキブリコンビナートのような寸劇が繰り広げられた。
その寸劇は観客を巻き込むもので、 特に、車椅子に座らせられた客は、それなりに演ずることも求められるものだった。 壁際に立たされた客も、どろどろの役者に掴みかかられたりしても、逃げ場は無い。 いやが応でもどろどろぐちゃぐちゃなパフォーマンスに巻き込まれる。 そう、この逃げ場の無さ感が、この作品の良さだ。 そして、この物理的というか演劇空間的な意味での逃げ場の無さは、 ゴキブリコンビナートが題材にしてきている社会最低辺における 社会的な逃げ場の無さのメタファーのようで、表現的にも必然性が感じられ、 良かったように思う。
ミュージカルというくらいで、彼らの作品のウリの一つはその歌。 今回は『水はなんでも知っている』をネタに観客に「水にありがとう」と歌わせた。 観客として歌わされたおかげで、いつも以上に その単純なフレーズのくり返しが頭にこびり付いてしまった。
話としては、糖尿病で全身が腫れ上がり手足を失った男とその妻と妻の愛人の話なのだが、 肉欲的な愛憎劇から、日本版土着SF的な世界へ突入していく。 今回は貧困や差別については直接的に扱うことは無かったのが、少々ひっかかった。 それは上演時間の短さによるものだろうか。 それとも、一般社会で格差や貧困が普通に語られるようになってからは、 あえて避けるようになったのだろうか。
実は、彼らの作品を観るのは 『ファミリーミュージカル♪ゲノム夢の島』 (麻布 Die Pratze, 2003) (レビュー) 以来で、実に4年ぶり。その間、良くも悪くも作風が変わっておらず、凄いと思う。 彼らが扱っている題材自体は Georg Büchner, Woyzeck と共通する所が多く、 洗練の方向に向かってもおかしくないと思うのだが、そう展開する気配すらないのだ。 彼らの作品で最も好きなのは、やはり、1999年の2作 『粘膜ひくひくゲルディスコ』 (フジタヴァンテ, 1999) (レビュー) と 『ロワゾ・ブル―譫妄編』 (中野ひかり座, 1999) (レビュー) だと思うし、 新鮮に観られたというわけではないが、 演劇的空間を体感する要素がとても強い表現なので、 こうしてたまに生で観るのも良いと思った。
ちなみに、過去のレビュー: 『粘膜ひくひくゲルディスコ』 (1999)、 『ロワゾ・ブル―譫妄編』 (1999)、 『好き・好き・ハロウィーン』 (1999)、 『腑恥屠魔屠沙羅唾記念日』 (2000)、 『Death Musical―死期』 (2000)、 『報復ファンタジア』 (2001)、 『暗黒生徒会』 (2002)、 『粘膜ひくひくゲルディスコ ver.2』 (2002)、 『ファミリーミュージカル♪ゲノム夢の島』 (2003)。