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Review: 澁谷 實 (dir.) 『母と子』 (映画); 野村 浩将 (dir.) 『絹代の初戀』 (映画); 島津 保次郎 (dir.) 『私の兄さん』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2016/02/15
『母と子』
1938 / 松竹大船 / 白黒 / 88 min.
監督: 澁谷 實.
田中 絹代 (知栄子), 吉川 満子 (おりん), 佐分利 信 (寺尾), 河村 黎吉 (工藤), 徳大寺 伸 (孝吉), 水戸 光子 (しげ子), etc

あらすじ: 会社の専務 工藤 の妾 おりんは娘 知栄子 と二人で暮らしている。 老いて病がちな おりん の所へ工藤は行こうとしないが、単に忙しいからと おりん は考えている。 しかし、知栄子 は おりん が工藤に疎まれていることに気づいている。 知栄子 の兄 孝吉は工藤の会社で働いているが、妾の子という自分の出自から、私生活は荒んでいる。 工藤は おりん を厄介払いするため、保養地に家を与え、部下で孝吉の同僚である 工藤 に 知栄子 との縁談をもちかける。 両親を亡くして下宿住まいの 工藤 は、結婚の約束をしたも同然の下宿近くの食堂の娘 しげ子 のことを伏せて、出世のために縁談に乗る。 工藤は おりん に対して母のように接し、知栄子もやぶさかではない。 しかし、知栄子は、工藤の下宿を訪れた際にしげ子と出会い、工藤としげ子と仲を知ってしまう。 そのことを知った工藤は しげ子 と絶縁し、知栄子へ弁解に訪れる。 しかし、知恵子は工藤に出世のために執着していると指摘し拒絶する。 そんなやりとりの最中におりんは死んでしまう。 そして、工藤はその知らせに動ずることなく、仕事をするのだった。

タイトル通り、重役の妾 (吉川 満子) とその子 (田中 絹代) が物語の中心にいる映画ですが、 その重役の会社に勤めている男(佐分利 信)が、娘との縁談の話が出るや、 出世のためにその話に乗って、結婚の約束をしたも同然の下宿近くの食堂の娘(水戸光子)を捨てる、という所がツボにはまりました。

清水 宏 『家庭日記』 (松竹大船, 1938) でも婿養子になるために恋仲の女を捨てた男を演じていましたが [鑑賞メモ]、 このような役は当時の 佐分利 信 のはまり役です。 ピケティ『21世紀の資本』 (Thomas Piketty: Le Capital au XXIe siècle, 2013) は、 20世紀初頭ベルエポック期まで資産格差が労働所得だけで埋められる水準を大幅に上回る社会だったことを、 データで示すだけでなく、 バルザック 『ゴリオ爺さん』 (Honoré de Balzac: Le Père Goriot, 1835) の「ヴォートランの説教」を引きつつ描いています。 つまり、努力しても、資産家の(養)子には敵わない社会だった、と。 『母と子』や『家庭日記』で 佐分利 信 が演じる男のエピソード(出世のために金持ちの婿になる)も、 まさにこのような資産の格差がある社会ならではの話です。

ちなみに、『21世紀の資本』よると、この資本所有集中は第一次大戦から第二次世界大戦の間に崩壊して、不労所得生活者が没落したとのこと。 第一次世界大戦で戦場にならなかった日本の事情は少々違うかもしれませんが、 日本においても戦後ではなく1938年から1945年にかけて急激に所得格差が縮まっています (図9-3 大陸ヨーロッパと日本での所得格差 1910-2010年)。

戦前戦中の松竹メロドラマ映画においても、1930s前半サイレント期の作品、 例えば、島津 保次郎 『麗人』 (松竹蒲田, 1930) [鑑賞メモ] や 清水 宏 『七つの海』 (松竹蒲田, 1931) [鑑賞メモ] では、 資産家の没落は復讐の結果のような形で描かれていました。 しかし、1940年前後になると、吉村 公三郎 『暖流』 (松竹大船, 1939) [鑑賞メモ] や 小津 安二郎 『戸田家の兄妹』 (松竹大船, 1941) [鑑賞メモ] のように、 復讐されるような悪行が描かれることなく、むしろ物語の背景的な設定として資産家の没落が描かれるようになります。

以前に 清水 宏 『銀河』 (松竹蒲田, 1931) を観たときも、『暖流』と比較しつつ 「恋愛が成就しない理由も、克服し難い階級対立というより、生活様式の違いや本人の階級意識による躊躇。 これが1930年前後から1930年代後半の社会の雰囲気の変化なのでしょうか。」 [鑑賞メモ] と書いたのですが、なるほど、このような格差の変化があったのかと、『21世紀の資本』を読んで気付かされました。 というか、『21世紀の資本』を読みながら、ピケティが『ゴリオ爺さん』から引いている描写を 戦前の松竹メロドラマ映画でのエピソードに置き換えてみることで、理解が深まったようにも感じました。

そして、『暖流』や 大庭 秀雄 『花は僞らず』 (松竹大船, 1941) [鑑賞メモ] において、 資産家の娘に惹かれつつも最終的にそれを選ばない男を演じるのも、佐分利 信 です。 『母と子』や『家庭日記』と対称的とも言えますが、 いずれも貧しい出自ながら強い出世欲のある青年という役どころ (『ゴリオ爺さん』でいうならラスティニャック (Eugène de Rastignac) か)。 松竹三羽烏の中で、こういう役が似合うのは、やはり 佐分利 信 です。 上原 謙 はむしろ資産家のお坊ちゃん、佐野 周二 は強い出世欲を感じさせない庶民的な青年 という役がはまっています。 戦前の松竹三羽烏の中で 佐分利 信 が最も魅力的に感じるのは、 格差は残るものの資産家が没落し始めた社会において野心的な青年のアンビバレントな2つの選択肢を演じていた所だと、 『母と子』での 佐分利 信 を見ていて気付きました。

『絹代の初戀』
1940 / 松竹大船 / 白黒 / 82 min.
監督: 野村 浩将.
河村 黎吉 (父 三好), 田中 絹代 (姉 絹代), 河野 敏子 (妹 光代), 佐分利 信 (昌一郎), 坪内 美子 (房江), etc.

あらすじ: 絹代 と 光代 の姉妹はホテルマンの父と3人暮らし。 しっかり者の 絹代 は母代わりとなって父と妹を面倒見、家の煎餅屋を切り盛りしているが、男に縁が無い生活をしている。 お転婆な 光代 は株屋で事務員として働いている。 老いた父は朦朧が始まり、仕事で失敗して、ホテルを馘になり、隠居することになる。 光代 の勤める会社の社長の若旦那 昌一郎 は、家業を継がされようとしているが、仕事に身が入らない。 あるとき、昌一郎 は職場で弁当を食べている 光代 を見初める。 昌一郎 は 光代 に話かけるが、光代は遠慮のないずけずけとした対応をする。 そして、昌一郎 はそんな 光代 にますます惹かれるようになる。 昌一郎 は馴染みの芸者 房江と歌舞伎を観ようとするが、すっぽかされる。 歌舞伎を観ようとするが売切で困っている 絹代 たちに特に名乗らず券を与える。 絹代 はそんな 昌一郎 に一目惚れしてしまう。 その後、昌一郎 は 光代 に自分のことをどう思うか訊くが、 光代は「一番いけないのは、やっぱり、ご自分の一生を賭けたお仕事の無いことだと思います」と率直に答える。 しかし、その率直な対応を見て、昌一郎 は 光代 への求婚を決意する。 絹代 は 光代 の縁談の相手が、一目惚れの相手だと気づくが、それを圧して、 光代を立派な花嫁として送り出すことを決意するのだった。

観る前は、1940年と言ったら 田中 絹代 ももう初恋という歳じゃあるまいし、と思っていましたが、 ちゃんと年相応の役でした。 主演の 田中 絹代 も好演していましたが、 お転婆で若旦那へも率直な物言いをする 光代 役の 河野 敏子 (後に 井川 邦子 へ改名) が魅力的な映画でした。 やはり 昌一郎 が結婚することになっても、忍んで耐える馴染みの芸者 房江 を演じる 坪内 美子 も、 メロドラマ的な要素を盛り上げていました。

佐分利 信 の相変わらずな朴念仁な男っぷりも堪能。 ここでは株屋の御曹司という役だったので、恋愛不器用な理系男子ではなく、単に女にデリカシーの無い男でしたが。 絹代姉妹の父親役が 河村 黎吉 で、 大庭 秀雄 『むすめ』 (松竹大船, 1943) や 五所 平之助 『伊豆の娘たち』 (松竹大船, 1945) [鑑賞メモ] のように、 娘の恋をめちゃくちゃにするのかとハラハラし観ていました。 結局、ちょっと耄碌しはじめたのではなく、もともと粗忽だったんじゃないかとは思うものの、いいお父さん役。 こういう役も似合っているなあ、と。

『私の兄さん』
1934 / 私の兄さん / 白黒 / 69 min.
監督: 島津 保次郎.
林 長二郎 (文雄), 河村 黎吉 (重太), 田中 絹代 (須磨子), etc.

重太と文雄は腹違いの兄弟。 重太は家業のタクシー会社を継いでいるが、文雄 は自らの不出来を後ろめたく感じつつ、 家にほとんど帰らず与太者暮らしをしている。 ある日、文雄が酔い潰れ、連れられて帰ってくる。 翌晩、病みがちな母に会って行けと兄は言うが、こんなヤクザな姿では会えないと弟は答える。 そんな所に、二人の男性客が現れ、文雄が車を運転することにする。 代々木まで送り届けると、文雄は二人に家の前で待っているように言われる。 文雄が待っていると、洋装のお嬢さん (須磨子) が逃げ出してきて、助けを求められる。 文雄は事情も聞かず須磨子を乗せて走り出すが、行き先を訊くも、甲州街道をどこまでも行けと言われ、八王子の多摩川の橋のたもとまで行く。 そこから宛てもなく戻りつつ、男に追われている事情を須磨子に訊くと、継母の弟との結婚を強いられて家出したと。 文雄は与太者仲間のアパートに須磨子を預けて、一旦、会社に戻る。 会社で待ち受けていた男二人と喧嘩となるが、文雄は八王子まで行ったとだけしか言わない。 文雄はアパートに戻ると、家に戻って縁談を断るよう、須磨子を説得する。 須磨子は文雄のタクシーに乗って家に帰る。 そして、文雄はこの件を機会に改心して、真面目に働くようになる。 それからしばらくして、須磨子がタクシー会社に現れ、文雄を運転手に指名して、八王子まで走らせる。 須磨子は、縁談話は案外簡単にかたがついたと告げ、八王子から先に車を走らせるのだった。

田中 絹代 が演じる家出して追われているお嬢さんは、ちょっと高飛車でわがままな感じ。 そんなお嬢さんを行きがかりで助ける運転手 (林 長二郎、後に 長谷川 一夫 へ改名) は、与太者といってもむしろ気の弱そうな男。 そんな二人の間の恋愛映画というより、それに至る以前の微妙なやりとりが微笑ましくも可愛らしい映画でした。 夜の永代橋でタクシーが客を拾うというオープニングも、 当時、震災復興事業の第一号で「帝都東京の門」とも言われたアーチ鉄橋ということで、いかにもモダンな設定。 銀座などの繁華街は登場しないものの、田中 絹代 が演じるのは洋装のお嬢さんですし、 甲州街道を送電線の鉄塔が見える河原のある八王子まで車で走らせるなど、ディテールはモダン。 当時はおしゃれな映画だったのでしょうか。

一方、物語は少々物足りなさも。 文雄の場合は実母、須磨子の場合は継母、という違いはあるものの、 母が後妻であるために上手くいっていないというのが二人の共通点で、 二人の逃避行を通して和解の契機を得るというのが、もう一つのテーマですが、 そちらの説得力はいまいちに感じられました。

文雄 の自称が「私」だったので、「私の兄さん」というのは 重太 のこと。 しかし、あくまで 文雄 と 須磨子 の映画なので、『私の兄さん』という題は腑に落ちません。 自称が「私」と、文雄は今の感覚からすると女性的な言葉使いなのですが、 島津 保次郎 『浅草の灯』 (松竹大船, 1937) [鑑賞メモ] でも ペラゴロの画学生 ボカ長 も女性的な言葉使いだったことを思い出しました。 当時、ある文化的背景を持つ男性はこういう言葉使いをしていた、ということなのでしょうか。