2023年に亡くなった 坂本 龍一 が生前に遺した東京都現代美術館のための構想に基づく展覧会です。
いわゆる回顧展ではなく、資料展示はありましたが20世紀のミュージシャンとしての活動を紹介するものではなく、
21世紀に入ってからの 高谷 史郎 (Dumb Type) [鑑賞メモ] や 真鍋 大度 (Rhizomatiks) [鑑賞メモ]
といった作家とのコラボレーションによる大型のインスタレーション作品を集めた展覧会でした。
半数近くを占めた 高谷 史郎 とのコラボレーション作品は、映像の断面を横に引き伸すようなプロジェクションや薄く張った水面を使ったインスタレーションなど、
今まで観たこともある作風の作品の変奏で、よくも悪くも予想を裏切らないもの。
舞台作品『Time』 [鑑賞メモ] に基づくインスタレーションもありましたが、
舞台を観た時も感じたのですが、スタイリッシュなかっこよさがあり、
よく言えば映像に寄り添う音なのですが、少々説明的で感傷的に感じてしまう所がありました。
そんな中で、坂本 龍一+Zakkubalan 《async-volume》 (2017) は、 坂本のニューヨークのスタジオ、リビングや庭などの日常を切り取った断片的な映像のループを 24台のiPhone / iPad で上映した作品で、 いわゆる「液晶絵画」[鑑賞メモ] 的な作品なのですが、 その題材やサイズ感が、大仰な絵画というよりさりげない素描や小版の版画を見るよう。 「液晶絵画」でもこれができたか、と。
屋外のサンクン・ガーデンでは 坂本 龍一+中谷 芙二子+高谷 史郎 《LIFE-WELL TOKYO》霧の彫刻 #47662。
久々に 中谷 芙二子 の霧の彫刻 [鑑賞メモ] を楽しみました。
が、昼で 高谷 史郎 の光の演出もわからず、坂本 龍一 の音も印象に残らず、少々物足りなさも残りました。
1月の手術入院に年度末繁忙期が重なり、行くのが会期末近くになってしまいました。 チケット購入に1時間余 (オンラインチケット購入済みだったのでこれは回避)、入場に1時間余という長い待ち行列でした。 混雑は覚悟していたのですが、大型インスタレーション作品中心だったこともあり、会場内の混雑はさほど苦ではなく、期待以上に作品と向かい合えました。
東京都現代美術館のアニュアルの現代アートの展覧会 [昨年度の鑑賞メモ] ですが、
今年は作家を4人に絞っていましたが、作風はそれぞれ大きく異なり、4人の個展をそれぞれ観るようでした。
大連の海岸と東京湾の映像とそこを舞台としたフィクション小説の朗読からなる 清水 裕貴 のスタイリッシュなインスタレーションにも引かれましたが、
普段は無いものとしてあえて意識に入れないような無機質な工事現場の仮囲いやブルーシート、捨てられて空のペットボトルを
作品として前景化するような 臼井 良平 の殺風景なインスタレーションが最も印象に残りました。
女性作家7人の展示の「竹林之七妍」[鑑賞メモ は若干の展示替えをしつつ継続。
福島 秀子 の舞台美術・衣装デザインの展示 [鑑賞メモ] が出て来なかったのは残念ですが、平面作品を多く観られました。
他にも、Olafur Eliasson, イケムラケイコ, Mark Mandersなどを楽しみました。
坂本 龍一 展の観客が『MOTアニュアル』や『MOTコレクション』へも多少は流れてるだろうと予想しましたが、さにあらず、 こちらの展示室はいつも通り、大行列混雑が嘘幻のように閑散としていました。 おかげでゆっくり作品と向かい合いながら混雑疲れを癒すことができました。