TFJ's Sidewalk Cafe > 談話室 (Conversation Room) > 抜粋アーカイヴ
- 弦巻, 東京, Tue Sep 10 23:33:24 2002

『InterCommunication』 No. 42 (2002 Autumn) の特集は、 『グローバリゼーションとメディア・カルチャー』。 やっぱり、最も気になるのは音楽の話題ということで、 「ETHNOGRAPHY OF GLOBALISATION: GLOBALED POP DISC GUIDE」 (pp.83--98) を読んでみたんですが…。 こういう紹介の仕方、1990年前後のワールド・ミュージックのときと何が違うの? これじゃたいして変わらないじゃない…、と思ってしまいました。 ま、流行り廃りはあるけど、グローバリゼーション云々に関して言えば10年前と基本的な状況に変化は無い、ってことのようにも思います。 最近、中東欧の音楽をフォローしていることもあって、 このコーナーの中で特に期待したのは、長嶺 修 「周辺としてのヨーロッパ」

「ケルト」や「地中海」をキーワードに、分断された諸地域を括り直すような構想や、 地方の音楽がそのまま他の地方やマイノリティ、異なる文化圏の音楽と結び合わされる試みもさまざまに登場してきた。

というのは判るのですが、音楽のネットワークのようなことを伝えるのに、 個々のレコードの紹介という形式はもはや限界があるようにも感じてしまいました。 例えば、「ケルト」であれば Festival InterCeltique de Lorient とか、 「地中海」であれば Mediterraneennes de Ceret とか、そんなフェスティヴァルのプログラムを紹介する方が、 どういうふうに結び合わされているのが具体的に見えてくるようにも思ってしまいました。 ま、確かにCD/レコードが最も容易に接することができるものなのも確かですし、 限られた紙面という制約があるのも確かなのですが。

で、ヨーロッパにおけるトランス・リージョナルな音楽交流の動きの中で、注目すべきものの一つに、 TamizdatCreative Music Of East Europe のような中東欧のインデペンデントな音楽のネットワークがあると思います。 もちろん、その特徴として、folk / roots な音楽的要素について多文化混交的な活動が見られる、ということもあります。 しかし、それだけでなく、free jazz / improv. や avant rock、electronica といった 「実験的・前衛的」な指向を持つ音楽とも併存・混交しているということが、際立った特徴になっていると思います。 これは、SKIFRing Ring のようなフェスティヴァルにも顕著に現れていると思います。 僕が「中東欧の音楽」で紹介してきているのも、 まさにそのような傾向を持つ音楽のつもりです。

そして、そのような傾向は中東欧以外の欧州各地でも顕著になってきていると思います。 特に、Norway をはじめとする北欧の音楽シーンも、かなり先鋭的にその傾向を示してきているように思います。 The Wire の次号 (Issue 224, Octorber 2002) の付録CDとして、 Fjord Focus という Norway の音楽の編集盤が予定されているのですが。 このCDに収録が予定されている音源を提供している Rune Grammofon, Sofa, Smalltown Supersound, Jazzland といったレーベルが紹介している音楽など、その典型だと思います (ー)。 汎北欧的に見れば、NorthSideDigelius で紹介されるような音楽も、 例えば、以前に紹介した Farmers Market や、 Maria KalaniemiKommo Pohjonen のように 多文化的で実験的・前衛的な傾向のものも目に付くようになってきているように思います。 先日紹介した Faroe Islands の Tutl レーベルの音楽も、同様の傾向を持っていると思います。

このような傾向を持つ音楽は欧州から多く出てきているように思いますが、 欧州外に目を向ければ、先日紹介したような BrazilArgentine の音楽にも同様の傾向があると思います。

このような傾向は、例えば、roots / folk 〜 world music 系の e-zine Roots World の界隈でも見ることができます。 Roots World で扱ってきた従来の world music に比べて実験的・前衛的な傾向のより強い音楽が、 独立した e-zine Hollow Ear紹介されるようになっていますし。 Roots World のCDショップ CD Roots にも この手の音楽CDを集めた "Outside / Beyond the Roots" と題したコーナーが設けられました。

従来の world music はイデオロギー的に folk もしくは pop な傾向が強く、 特に jazz / improv. や avant-rock のようなイデオロギー的に art 的な傾向の強い音楽とは、 接点がほとんど無かったように思います。 確かに、world music ブーム以前から jazz の文脈では folk / roots 的な音楽との混交の試みもあったわけですが、 これらは、world music から除外されて jazz の文脈に閉じ込められていたように思います。 それが、ここに来て接点を持ち始め、新しい傾向の音楽を作り始めているように思います。 この実験的・前衛的な指向を持つ free jazz / improv. や avant rock、electronica といった音楽と 多文化的な folk / roots な音楽の併存と混交というのが、 従来の world music とは異なるここ数年の興味深い傾向だと僕は思っています。 僕が中東欧の音楽をそれなりに追いかけ続けているのも、 ここで述べているような傾向が顕著に見られるから、ということもあります。

そして、2000年前後から顕著になったこの傾向の背景、 少なくともそれが顕著に感じられるようになった理由も気になっています。 まだ自分でも十分に捉えきれていませんが。 1990年代の「脱ロック」界隈 (狭義の post-rock だけでなく electronica や improv. なんかも含む) は、 イデオロギー的に実験主義、形式主義的な傾向が強かったと思うのですが、1990年代末にはその動きも行き詰まってしまったように思います (関連する2000年冒頭の発言)。 最近の folk / roots 的な音楽の傾向には、1990年代のセミ・ポピュラーな音楽が持っていた傾向に対する反動という面もあるように感じています。 その後に生じた社会批評的な志向とグローバル化に対する問題意識が結びついて、ローカルな folk / roots 的な表現にも目が向くようになったのかもしれません。 そして、東欧革命後に急激な自由市場化・グローバル化の波に見舞われたことや、 1990年前後の world music ブームを体験しておらずイデオロギー的に未分化だったことが、 中東欧でこのような傾向が顕著に現れている理由のようにも思います。 もちろん、1990年代の英米でのセミ・ポピュラーな音楽の実験的な傾向が、 タイムラグを伴って周縁的な音楽シーンに波及してきた、という面もあると思います。 ま、ここらは多分に思い付きで言っているところもありますが…。

で、『InterCommunication』 No. 42 (2002 Autumn) の 「ETHNOGRAPHY OF GLOBALISATION: GLOBALED POP DISC GUIDE」は、内容的にはそういった傾向を十分に捉えられていないと思います。 しかし、『InterCommunication』のような雑誌がこういうディスクガイドを載せるということ自体が、 実験的・前衛的要素と folk / roots 的要素の併存・混交という最近の傾向を反映しているのかしらん、と思うところもあります。

さて、長くなったので、一旦、発言を切ります。

- 弦巻, 東京, Tue Sep 10 23:34:45 2002

前の発言の続き、というか、 最近の音楽に見られる実験的・前衛的要素と folk / roots 的要素の併存・混交に関係する話の続きですが。 David Byrne (ex-Talking Heads) のレーベル Luaka Bop が今年の9月17日にリリースを予定している2枚の編集盤の 報道向け資料を見つけてしまいました。をを。 これがとても興味深いので、リリース前に (買って聴く前に) 紹介してしまいます。 (リリースしてすぐ買う、ってことも無いように思いますし。)

1枚は、Cuisine Non-Stop: Introduction To The French Nouvelle Generation と題されたもので、 France の "Neo-Realist" と括れるような新世代の音楽の編集盤です。 "Neo-Realist" という言葉は初耳ですが、 収録されたミュージシャンで、 この編集盤のだいたいの傾向は掴めるように思います。 収録された曲を必ずしも持っているわけじゃないですが、 Lo'JoTete RaidesLouise AttaqueArthur HIgnatusDuPain、Les Pires といったミュージシャンのレコードは持ってますし。 この中でレヴューしているのは DuPain、 あと、Ignatus がかすってるという感じですが。 収録されていないミュージシャンでも、 L'Attirail (レヴュー)、 Burgess (レヴュー)、 Dit Terzi (レヴュー)、 Femmouzes T. (レヴュー)、 Bumcello (紹介しそびれていますが DuPain の新譜 Camina (2002) の制作をしていた) といったミュージシャンたちも、この範疇に入れて良いように思います。 Denez Prigent (レヴュー) となると、 French というよりも Celtic になってしまうのかしらん…。 そして、これらのミュージシャンたちの活動は、 ライナーノーツにも書かれているように、 文化のグローバル化 (むしろ英米化) に対するオルタナティヴ、という面もあると思います。 ただ、それ自体は1970年代から言われていることです。 また、このライナーノーツでは "Neo-Realist" のシーンを punk 以降と広く捉えてもいます。 "Neo-Realist" 自体は、最近の傾向とも言い切れないところがあります。 ただ、「このジャンルも、自身の過去の歴史の重みから自由になり始めている」とも書かれていますし、 最近はリアリズムというにはもっと実験的・形式主義的な試みが増えているようにも、僕も思います。 punk 以降の rock / pop という文脈からズレるとはいえ、 1990年代の Silex レーベルで行われてきた free jazz / improv. と folk / roots の混交の試みというものあったわけですが、 そのようなシーンとも接近してきているように思います (例1, 2)。 そして、このような France の音楽の傾向は、 中東欧や北欧に見られるような実験的・前衛的な指向を持つ free jazz / improv. や avant rock、electronica といった音楽と多文化的な folk / roots な音楽の併存と混交の傾向の、 France における対応物と言えると僕は思っています。

さて、もう1枚は、 The Only Blip Hop Record You Will Ever Need Vol. 1 と題されたもので、 IDM (intelligent dance music; post-Artifitial Intelligence の techno / electronica) 界隈の編集盤です。 Luaka Bop は world music の傾向が強かっただけに、 こんな編集盤をリリースする (それもシリーズ化する) というのは、かなり意外です。 収録されたミュージシャンを見ても、 Mouse On Mars (ー), To Rococo Rot & I-Sound (ヴュー), Pole (ー) Tarwater (ヴュー), Dr. Rockit (レヴュー123456789) といったところが並び、目新しいわけではありません。 Maria Daulne (Zap Mama) らの human beatboxing による Autechre のカヴァーを収録しているあたりは、Luaka Bop らしいと思いますが。 しかし、ここで面白いのは、David Byrne によるライナーノーツ " Machines of Joy (I Have Seen The Future, And It Is Squiggly)" でしょう。 ここで、Byrne は「この編集盤で示そうとしている Blip Hop というものは、20世紀の終わりに北部ヨーロッパにおいて最初に作られた、音楽の一形態である」と宣言しています。 後に続く、北部ヨーロッパ (いわゆる北欧ではない) の厳しい気象条件と、それに規定される生活習慣や人々の性格、みたいな話は、正直に言って多分に胡散臭く感じますが。 それでも、従来の地理的な文脈から切り離された普遍的な表現とみなされがちな IDM 〜 electronica 的な表現を、 北部ヨーロッパ発のローカルな表現として捉え直している、というのが新鮮でした。 Luaka Bop からのリリースというのも、このような地域発のローカルな表現としての electronica、という視点があってこそなのだと思います。

実験的・前衛的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots な音楽の併存と混交の傾向のようなものを捉えるとき、 多文化的な folk / roots の要素を「普遍的」な表現である実験的・前衛的な音楽要素が束ねている、みたいなイメージで捉えがちのように思います。 しかし、このような、David Byrne の "Blip Hop" の提示を見ていると、 free jazz / improv. や avant rock、electronica といった表現も、 実験的・前衛的な表現ではなくローカルな表現の一種とみなし、 他の folk / roots 的な要素と同様な表現として並行して共存・混交している、 という見方もできるように思います。

1990年前後の Luaka Bop を始めた頃の David Byrne のプロジェクトは、 音楽に対する視野がとても狭かった当時の僕にとって、いろいろな発見がある興味深いものでした。 しかし、Cuisine Non-Stop: Introduction To The French Nouvelle GenerationThe Only Blip Hop Record You Will Ever Need Vol. 1 にしても、 先日言及した Beleza Tropical 2: Novo! Mais! Melhor! (Luaka Bop, 49025-2, 1998, CD) にしても、 自分にとっては、もはや音的には目新しさは無くなってしまったなぁ、とつくづく思います。 (自分が聴く音楽の範囲はたいして広がってないようにも思うんですが…。) だからといって、もはや David Byrne に教えてもらうまでもない、と感じているわけではありません。 ここで述べたように、編集盤のディレクションにしても、自分が漠然と持っているような問題意識と重なるところが多く、 僕にとって、David Byrne はまだまだ気になる存在です。

- 弦巻, 東京, Fri Sep 13 23:28:03 2002

ちなみに、実験的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots の音楽の併置・混交の文脈で、 古楽といわれて、僕がまず連想するのは、 ex-JMT の Stefan F. Winter のレーベル Winter & Winter の活動です。 古楽から西洋古典、現代音楽、そして jazz や improv.、さらに folk / roots 的な音楽がカタログの中で併置されているだけでなく、 Uri Caine Ensemble, The Goldberg Variations (Winter & Winter, 910 054-2, 2000, 2CD) や、 Various Artists, Orient-Express (Winter & Winter, 910 066, 2001, CD) のように、プロジェクト的に組み合わされたセッションも行われていますし。 そして、Winter & Winter のアプローチの原点というかお手本となったものとして、 ECM レーベルの活動、 特に The Hilliard Ensemble の活動があると思います。 そして、この ECM や Winter & Winter の界隈の動きは、 9/10の晩に挙げた 実験的・前衛的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots な音楽が併存・混交している 中東欧や北欧のインデペンデントな音楽のネットワークとも、明らかに繋がっています。 例えば、Orient-Express で中心的な役割を担っている Stian Carstensen (Farmars Market) は、 北欧と中東欧の両方のシーンにコネクションを持って活動しています (関係するレヴュー 1, 2, 3, 4)。

ところで、Winter & Winter レーベルにおける、クラシカルな (古楽や西洋古典の) 音楽へのアプローチの仕方は、 普遍的でアカデミックな音楽表現としてでなく、欧州ローカルの音楽表現として、 他の非アカデミックな folk / roots 的な音楽と対等に扱っているという感じなのが、面白いです。 例えば、先に挙げた Orient-Express (これもレヴューしそこねているなぁ) は「1905年6月の Paris から Istanbul への音楽紀行」という企画盤なのですが、 Paris の musette 風な演奏や、Balkan の gypsy 音楽風の演奏に混じって、 Johann Strauss の Pizzicato PolkaAn Der Schoenen Blauen Donau のような曲が演奏されるとき、 それらの曲も、Austria のローカルな音楽に聴こえてしまう、そんな面白さがあります。 そういう意味では、9月10日の晩に述べた、 David Byrne がある種の electronica の音楽を北部ヨーロッパ発のローカルな表現として捉え直した、 というアプローチと共通する感もあって、とても興味深く感じます。

Winter & Winter のようなインデペンデントなものでなく、メジャーでの動きとしては、 Warner Classical 傘下のレーベル Erato が傘下に作った world music のレーベル Detour が、 従来の world music よりクラシカル寄 りのアプローチしているのかなぁ、と思うところがありましたが。 ちゃんとフォローしてません…。ケルトの聖歌をネタにした Hector Zazou, Lights In The Dark (Detour / Erato, 1998, CD) の印象が強いからかもしれませんが…。

- 弦巻, 東京, Tue Sep 17 23:30:28 2002

実験的・前衛的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots 的な音楽の併置・混交に関する話ですが、 9/10の晩の発言で、北欧、特に Norway での動きを示す例として The Wire の次号 (Issue 224, Octorber 2002) の付録CD Fjord Focus を紹介したわけですが。 実は、このCDは、London における Norway 発の音楽のフェスティヴァル Fertiliser Festival とのタイアップの企画です。このフェスティヴァルのサイト、あったんですね。 サイトのポームページにある Norway の最近の状況の説明の以下のようなテキストからも、どういう音楽の併置・混交が見られるのか判るのではないかと思います (強調は引用者による)。

Over the past five years Norway has been hot-housing a wealth of new talent, talent that has influenced its dance music, jazz, hip hop and even folk scene.

そして、この、とほぼ同じような組み合わせを 中東欧の独立系レーベルの配給を手掛ける Tamizdat の紙版カタログ (February 2002 版) のテキストに見ることができます。そこには以下のように書かれています。

Tamizdat Distribution has created a recognized niche as suppliers of top-notch independent electronica, jazz and avant-garde, punk and hardcore, hip hop and global beats from area once part of the "Soviet Bloc."

微妙に組合せの要素は違うけれども、同様の併置の他の例として、 The Wire, Issue 212 (October 2001) の付録CD Exploratory Music from Portugal のタイアップ元であった、London における Portugal 発の音楽のフェスティヴァル Atlantic Waves Festival を挙げることができると思います (関連する過去の発言)。 サイトのホームページにある説明にも次のように書かれています (強調は引用者による)。

it again features distinguished artists performing a breathtaking variety of music from contemporary fado to experimental electronica, cutting-edge jazz to urban folk and upfront dancefloor house, not forgetting Portuguese eighteenth-century love songs.

ちなみに、fado というのは、Portugal の伝統的な大衆歌謡です。 そして、例えば2001年にフィーチャーされた Maria Joao の界隈を見れば、 例えば、Brazil の YBrazil? レーベル界隈にも繋がってますし (関連する過去の発言)、 それは、例えば、最初に挙げた Norway のシーンとも繋がっているように思います (例えば、Gilberto Gil, O Sol De Oslo (Act, ACT5019-2, 1998, CD) の面子や、 こういうライヴの共演とか)。

ま、地域発の音楽を実験的・前衛的な要素と多文化的な folk / roots 的要素を併置・混交してプレゼンテーションするのが流行してるだけなのかもしれないですが。 地域毎にそれぞれバラバラというわけでなく、シーンを形成しているというほど密ではないけれども、広範囲 (地理的に) の緩やかなネットワークが形成されているようにも、感じています。 個々の音楽については必ずしも面白いものばかりじゃないけれど、このようなネットワークは、面白い音楽が出てくる基盤となっている感もあって、僕はとても気になっています。

- 弦巻, 東京, Mon Sep 23 23:36:26 2002

さて、実験的・前衛的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots 的な音楽の併置・混交についてですが、 古楽については疎かったですし、竹内さんのコメントは、僕にとって情報に当たる手がかりにもなってますし、考えを整理するきっかけにもなってます。 ただ、実際の音や古楽での文脈をよく知らないこともあって、実は話がスレ違っているのではないか、という不安もあったりしますが…。 というわけで、ちょっと話を整理したいと思います。

古楽についてはとりあえずおいておくとして、jazz / improv. の文脈で、folk / roots 的な音楽の要素を取り入れたり、現代音楽界隈と協働すること自体は、free jazz 以降の1960〜70年代から顕著なことだったと思います。 ECM 以外の例を挙げれば、MPS のこの手の録音は Jazz meets the world というシリーズの4巻のCD再発などで伺うことができますし。 ENJA にもその手の録音はそれなりにあります。

一方、1980年代後半に興った world music も、雑食的な多文化の混交が特徴だったわけです。 しかし、folk / roots 的な音楽の要素として jazz / improv. 界隈が主に選んだのが大衆的に聴かれていないが欧米の直接的な影響が見られない「正統性」のある音楽 (例えば、日本のものなら、雅楽や能楽) だったのに対して、 world music が主に相手にしたのはむしろ正統性が低く欧米的な要素すら雑食的に取り入れているような大衆的な音楽 (例えば、日本のものなら、河内音頭) でした。 これは、Simon Raynolds, "Independents Day: Post-Punk 1979-1981" に出てくる 「Scritti Politti の Green Gartside が、London Musicians Collective (Evan Parker や Derek Bailey のいた free improv. の拠点) を「形式主義」 (アートのためのアート) だと断罪していた」 というエピソードなどとも並行しているところがあると思います。 world music はこのような post-punk の雰囲気の中から出てきているところがあったわけで、1970年代までの jazz / improv. 界隈の試み (イデオロギー的には "art") の延長として world music (イデオロギー的には "pop") が出てきたわけでは無かったのです。 むしろ、それまで "art" 指向の folk / roots 的な要素へのアプローチを、オリエンタリズム的なものとして批判的に捉えていた面もあったように思います。 だから、それ以前の jazz / improv. 界隈での folk / roots 的な試みの多くは world music から除外され、あくまで jazz / improv. の文脈の音楽として見なされていたと思います。 逆から見た場合も、jazz / improv. 界隈も、world music をエンタテインメントとしてほとんど相手にしてなかったように思います。 そして、このような区別は1990年代半ば過ぎまである程度明確にあったように思います。

しかし、1990年代の後半くらいから、この区別が少しずつ変質してきたように思うのです。 僕が言っている最近の実験的・前衛的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots 的な音楽の併置・混交の動きというのは、そういう部分です。 1990年前後の world music を対比として想定した部分が大きかったために「実験的・前衛的な指向」の部分を強調しましたが、 それ以前の jazz / improv. 文脈からのアプローチに比べると、そういう指向は相対化されていると思います。 例えば、以前の発言で挙げたような CD Roots の中の "Outside / Beyond the Roots" は、world music が今まで除外してきた "art" 的な指向の強い音楽にも視線を向けはじめている証だと思います。 別の例を挙げれば、比較的 "art" 指向の (jazz / improv. の流れの強い) Ring Ring Festival ですら、2001年のトリに world music の文脈で見出されて評価された Taraf De Haidouks を持ってきたりするわけです。

で、竹内さんの言う古楽の動きというのが、今僕の言った状況のどこに位置付けられるのか、僕には掴めていません。 特に、「中世テクノとかグレゴリアンジャズとかの最近の混交」については、それがどういう背景から出てきてどういう層に受容されているのか見えてないので、なんとも言えないです。 しかし、ECM や Winter & Winter の作品に限って言えば、Winter & Winter の作品ですら、world music 界隈に比べたらまだまだ "art" 指向が強いと思います。 大筋で1970年代の jazz / improv. のアプローチの延長として捉えられるように思います。 ただ、そういった作品も、Jazzland レーベルの作品などと関係付けられて、world music や techno / house などとも併置されうる状況になっている、と思います。 そして、それが僕が10年前と変わったなぁ、と感じていることです。 けど、日本ではまだまだこの区別が明確、というか隔たりが大きいと感じることが多くて…。

- 弦巻, 東京, Thu Oct 17 0:16:42 2002

一週間以上間が空いてしましましたが、 実験的・前衛的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots 的な音楽の併置・混交へのコメント、 ありがとうございます、河二さん。 本とかに当り直してからコメントしようかとも思っていたのですが。 週末もなかなか時間も取れず、これから11月上旬までこんな状態が続きそうですし。関連する最初の発言も消えてしまいましたし。 そんなわけで、あまりたいしたことは言えませんが、今考えていることを徒然なるままに (と、言い訳はこのくらいにして…)。

えっと、僕の話は Simon Frith の議論から大きく踏み外してしまっている感もあるんですが…。 もともとはポピュラー音楽における価値判断の言説に関する議論で、認識論 / 唯物論 で分けるなら前者の話ですから。 けど、例えばフェスティバルのディレクションとかレーベルの A & R みたいな話って、価値判断という面と、実践という面が絡み合っている、と思っています。 で、そこで、ここらをちゃんと整理できないまま、話を広げてしまっているところもあったり…。 Frith の「アート/フォーク/ポップ」の言説に関する議論は、 ま、Howard S. Becker の "art worlds" と、Pierre Bourdieu の "cultural capital" の2つのモデルに基づいています。 といっても、Art Worlds って読んでいないどころか、概要も知らないんですけど…。 それなりに、美術・デザインの分野とかにも使えると、類推ベースで使っていたところもありましたし。 河二さんの整理は大筋で妥当だと思いますし、こういう風に整理してもらえると自分でもとても参考になります。 ま、このような「アート/フォーク/ポップ」の分節は、ファイン・アートだけでなく商業的なデザインや伝統的な工芸まで大きくまとめて見るべきではないか、と僕は思ってます。 というのは、ファイン・アート自体が、多分に、そういった造形物の中からイデオロギー的・制度的に分節されたものだと思っているからです。 (って、Becker の3つの "art worlds" の指す内容を知らずに言っているので、ハズしているかもしれないですが…。) だから、河二さんの議論は局所的なものに感じられます。しかし、確かに、局所的に見た中でもそういう分節は見取れるようにも思います(それは、例えば、商業デザインの文脈で局所的に見ても言えると思います。

それから、このような「アート/フォーク/ポップ」の分節と、Levi-Strauss の「料理の三角形」の類似の指摘は興味深かったです。人間の認識の基本的構造か!?と。 しかし、この3軸で十分というわけではないようにも思っていたりします。 例えば、自分の理解が悪いだけかもしれないですが、機能主義 (ポピュラー音楽なら「踊れる音楽が良い音楽」みたいな価値判断) って、この三分節だとどうも座りが悪く感じるんですよね。 機能主義はポピュラー音楽の分野ではもう一軸加えるべきほど支配的な価値判断じゃない、ということもあると思いますが、ファイン・アート+商業デザイン+伝統工芸で考えると、無視できないように感じるとこもあります。

で、実験的・前衛的な指向を持つ音楽と多文化的な folk / roots 的な音楽の併置・混交は、こういうイデオロギー的な分節が機能しなくなった兆候か、という点ですが。 確かに、world music 以前の folk-influenced jazz / improv. と world music のジャンルの分節が脱構築されていっている感を僕は興味深く面白く思っているところがあります。 しかし、それは、単にジャンルにおけるイデオロギーと実践の乖離の調整と、それに伴うジャンルの組替え、とでもいうべき経過的な出来事に過ぎないようにも感じています。

河二さんは「ポストロック」の話を挙げていますが、1990年代のブームとしての post-rock って、僕にとっては多分に1980年代の post-punk の焼き直しの面があったと思っています (関係するレヴュー)。 ジャンル脱構築の動きも数年もたてば新たなジャンルを形成して保守化して終わる、というのが、今までの僕の音楽趣味履歴からの経験的な実感です (関連する)。 「アート/フォーク/ポップ」のイデオロギー的な分節にしても、人が音楽に対して価値判断を下し続ける限り、その評価軸の選択肢として残り続けると思っています。

インタヴュー記事で直接的な言及があってのことではなく、様々なCDを音楽雑誌 The Wire の記事を追っていての印象レベルでの話ですが。 以前にも指摘したように、1990年代の「脱ロック」界隈 (狭義の post-rock だけでなく electronica や improv. なんかも含む) は、イデオロギー的に実験主義、形式主義的な傾向が強かったと思うのですが、1990年代末にはその動きも行き詰まってしまったように思います (関連する発言)。 最近の folk / roots 的な傾向は、Matthew Herbert に見られるようなパフォーマンス性や社会批判性の復活などとも並行していて、1990年代のセミ・ポピュラーな音楽が持っていた傾向に対する反動という面もあると思っています。

一方、world music の側から見れば、この変化の原因に、ある程度シーンが成熟したことがあるように思います。 特に、当初は独立系レーベル・ベースだった world music にメジャー資本が参入し、欧米市場向けに商業的に制作するようになったことが大きいと思います。 world music が "pop" 指向といっても、それ以前の folk-influenced jazz / improv. との対比でだったわけですし。 欧米市場の登場とメジャー資本の登場で、この "pop" 指向が分化・変質したように思います。 現在も world music の大半は独立系レーベルが制作するものなわけですが、その中には、メジャー予備軍みたいなものもありますし、比較的伝統的なスタイルの音楽もあります。 もちろん、特にメジャーも指向せず、伝統的なスタイルにも拘わらない音楽もあるわけで、 それが、world music 以前の folk-influenced jazz / improv. と一緒に括られるようになって、改めて一つのシーンを形成しようとしているように思います (僕が指摘しているのはこの部分です)。 で、もうしばらくすると、商業的に制作される "world music" との対比で、"avant-roots" みたいな名前のジャンルになるんじゃないかと思っていたりもして…。