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シネマファシスト 連載第3回3月号 吉田喜重14年ぶりの新作『鏡の女たち』。 この映画は2つの言語によって構成されている。それは不在と不易。2つの否定語である。川瀬愛の夫は死者であり、川瀬夏来のアメリカの恋人は、彼女の父同様に実体が無く、尾上正子の父も死者である。わずかに存在している郷田恭平のすでに死者であるかのような面構えと、光岡吾郎の職務を放棄したような態度は、やがて来る存在の消滅のみを予感させる。愛・正子・夏来と、台詞にもあるように男の存在抜きには有り得なかった実体が、秋から初冬へかけてのわずか一ヶ月の、この映画において、激しく男の不在のみを見せつける。林田直子、彼女もまた不在の男のみを追う職務であり、ついにはアメリカへと、夏来と入れ替わるように旅立つ。正子には記憶も過去の写真も無い。なぜこの映画は不在のみを見せつけるのか。2時間09分の映画において、空白のスクリーンは存在しない。常に何かが映っている。かって吉田喜重の師、小津安二郎が妻の不在、娘の不在を映してきたように。吉田喜重は男の不在を映す。それは『秋津温泉』における不在の芥川比呂志(長門裕之)を想起させる。あらためてなぜ吉田喜重の映画にあって男は不在なのか。 『嵐ヶ丘』から14年、14年間の氏にとっての映画の不在。『戒厳令』から『人間の約束』までの不在の13年、この2つが吉田喜重を不在の活写へと向かわせるのか。あるいは氏にとって69年の人生において、映画とはそもそも何ら実体の無い、自身にとっても掌握しがたい空であるのか。 吉田喜重は69年の今までの人生において、20本の劇映画を残している。そして21本目の『鏡の女たち』においても、彼は変節することが無い。かって事の真偽はともかくとして、小津は、映画監督を称して豆腐屋のようなものだ、豆腐しか作れないと言ったが、吉田も己に合わせて、おのれの映画をのみつくりつづけてきたように思う。しかし時代はデビュー作より42年、表層は変貌した。そうであることで今吉田の映画が際立つ。映画とはまずフォルムであることを主張する吉田の映画が、現代において際立つ。 謎と脚光、『鏡の女たち』をそう呼びかえることも可能である。 |
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『鏡の女たち』より![]() | ||
市井義久(映画宣伝プロデューサー) 1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。 キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。 1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。 2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。 2001年 3月24日『火垂』 6月16日『天国からきた男たち』 7月7日『姉のいた夏、いない夏』 11月3日『赤い橋の下のぬるい水』 ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。 |
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