猫の独りごと

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(2005年)




2006年がよい年でありますように

 まず、お詫びである。このページは、8月26日に更新し、9月4日に更新するという予告を出したまま、延々と今日まで更新が停止していた。しかも、このページが更新されていないときにははてなダイアリーを見ていただきたいとお願いしていたのだが、そのはてなダイアリーも更新できない日がつづいて、「市民」権(30日以内に日記を書いていること……だっけ?)を維持するのがやっとで、ネット上で行方不明状態がつづいていた。

 ご心配をおかけしました。申しわけありませんでした m(__)m 。

 なぜこうなったかというと、ひとえに、「本業」の仕事が忙しすぎて、ホームページの更新を行っている時間がとれなかったからである。昨年度(2004年度)末に職場の予定表が回ってきたときには、今年度(2005年度)は仕事が比較的少ないことになっていたので、油断していた。そうすると、今年度に入ってから次々にいろんな仕事が回って来、しかも人員配置の都合とかで昨年度まで負担の軽かった仕事がめちゃくちゃに負担の重い仕事に化けたりして、ついに9月にパンクしてしまった。以後、現在にいたるというわけだ。

 たしかに、尾道にも行ったし、日立電鉄の廃線跡にも行ったし、花巻の即売会TRIPにも参加したし、冬コミで発売になる『WWF No.31』にもバカ長い原稿を書いている(WWFのブースは30日 東地区 モ-49a)し、『かみちゅ!』本もいま作っているところだ(30日 東地区 モ-40b「アトリエそなちね」に委託の予定……完成すれば)から、ぜんぜん時間がなかったわけでもない。私より忙しい人は世間にいくらでもいる。けれども、逆にいうと、それ以上の同人活動・「オタク」活動をする時間はほとんど取れなかった。夜の1時とか2時とかまでは普通に仕事していたので、深夜アニメを見る時間は取れたけどね。

 そういう場に身を置いて学ぶことはたしかにいろいろとあった。それをこれから自分の考えに活かしていければとは思っている。でも、2005年は、私にとって、そんなに悪い年でもなかったけれど、もう一度繰り返せと言われれば、言下にお断りしたい一年ではあった。で、私のことはともかくとして:

 みなさんにとって、2006年がよい年でありますように!

2005年12月28日

新鉄道開業

 はてなダイアリーにも書いたとおり、『かみちゅ!』のDVDを買った後、秋葉原の隣駅の新御徒町からつくばエクスプレスに乗ってきた。

 この線は計画段階では「常磐新線」と呼ばれていたと思う。ジェイアール常磐線の混雑があまりに激しいので、その混雑緩和のために計画されたと聞いた。たしかに、1990年代中ごろの常磐線のラッシュはすさまじかった。常磐線各駅停車では朝の7時ごろにすでにラッシュの混雑が始まっていた。ところが、その線がつくばエクスプレスとして開通した時期には、人口の都心回帰などで常磐線の混雑が緩和され(ほんとうかどうかはラッシュ時の常磐線の東京近郊電車に乗っていないのでよく知らないけど)、かえって常磐線はつくばエクスプレス線開通による乗客減少への対応を迫られているという。

 「採算の取れる鉄道」を実現するのはけっこう難しい。多摩都市モノレールは、多摩地区にはそれまで十分になかった南北方向の交通機関としてまことにありがたい存在だ。そのことは多くの人が認めるだろう。それでも経営的には苦戦している。前に宇都宮浄人『路面電車ルネッサンス』の評でも触れたとおり、鉄道が地域に存在することのもたらす収支は、鉄道会社自体の経営状態だけでは評価できないものなのだ。

 つくばエクスプレスはどうなのだろう? 開業日の電車は、東京近郊に関してはたしかに混んでいた。だが、鉄道ファンや沿線の人たちの「記念乗車」が一段落したあと、どれぐらいの乗客がこの線を利用するだろう? 「計画時の見込みが甘すぎた」と後で言わなければならないような事態にならないことを期待している。たしかに便利な鉄道なんだから。

2005年8月26日

ボランタリーな組織の官僚化

 義理で参加しているものも含めて、いくつかのボランタリー(自発的)な組織(広い意味での「非営利団体」だろうか)にかかわっている。それで気づいたのが、ボランタリーな組織の事務部門や執行部の発想はかえって官僚化しやすいのではないかということだ。もちろん例外もある。でも、ボランタリーな組織の事務部門は、一般のメンバーの利便を第一に考えようとしないことが多いように感じる。事務の仕組みが事務処理に都合がいいように組み立てられ、わかりやすさや便利さが後回しにされているように感じるのだ。一般のメンバーも、その組織に自発的に参加しているのだから、サービスを受けるだけの「お客さん」ではないという理屈がすぐに持ち出される。

 十分な報酬もなしに煩雑な事務を担当しているのだから、これ以上負担をかけないでくれという気もちはわかる。私だってその事務を担当する側にいたことがあるのだから。だが、一般メンバーが事務手続きのわずらわしさに嫌気がさしてその組織から抜けてしまったり、事務部門への不満から積極的に活動する気をなくしてしまったりしたら、それはやっぱり事務担当者の責任だろう。

 作業の手順を洗い直し、必要のない手順を省けば、事務部門の作業は楽になる。その手順に合わせる手間が省けるぶん、一般メンバーも組織の活動に参加しやすくなるはずだ。また、めったに利用しない情報を集めるのをやめるだけでも、情報を管理するわずらわしさはずいぶん減る。

 事務を担当する側が、自分たちはいつも最善の手順で仕事をしていると思いこんで、手順や作業内容の改善を怠ると、組織はすぐに官僚化する。

2005年8月19日

神様について

 最近、「神様」について考えることが多い。そのきっかけは何かというと、その大部分は、「普通の中学生」の女の子がいきなり神様になってしまうアニメ『かみちゅ!』だったりする(『ぺとぺとさん』は私の家では見られないのです)

 大ざっぱな言いかたなのは承知のうえで言うと、神については二つの見かた――というか信じかたがあると思う。

 一つは、神は法則のようなものであって、理屈に沿った合理的なことしか行わないはずだという信じかただ。この信じかたに従えば、人間が一定のしかたで祈りを捧げると、それに応えて願望を叶えてくれることになる。もし願望が叶わなかったとすると、お祈りのしかたをまちがっているか、そもそもそれが叶えられるはずのない願望であったかのどちらかだ。たしかに神は人間から見ると不合理なことを行ったりもする。しかし、それは人間の知恵が及ばないためで、神の立場からはあくまで合理的なことしか行っていない。

 もう一つは、神とは何をするかわからない不気味な存在だという信じかただ。古代ギリシアの神話では、人間は神様の気まぐれや派閥闘争に巻きこまれてひどい目に遭わされたりする。人間の知恵が及ばないから神の「思し召し」が理解できないというのではない。『かみちゅ!』の第1話に出てきたように、もともと神の力というのは、神様自身にすら理解できない「不気味なもの」なのかも知れないと思う。

 「神様は必ず合理的に判断して合理的に動く」という考えは、人間社会にものごとの法則性が理解されてから出てきたものだろう。「何をするかわからない不気味な神様」というほうが、人間の「神様」への感じかたとしては根源的なものだと思うが、どうだろう?

2005年8月12日

東京を歩く

 今回もまた更新が遅れたことについてのお詫びから始めなければいけない。7月22日にはWWFさんの同人誌への原稿執筆も終わっている予定だったのだが、それが一週間以上も延びた。例によって仕事が順調に行かず、それで原稿が書けなくなったということもある。けれども、それとは別に、同人誌の原稿でもここのホームページ用の原稿でも、以前よりも書くのに労力と時間がかかるようになってしまった。原稿を書くのに必要な集中力がなかなか高まらない。それを高めようとしているうちに時間が過ぎ、時間切れになってしまう。次はまた集中力を高めるところから始めなければならない。だからなかなか原稿が書けない。歳と気候とか体調とかだけの理由なのだろうか? それだけではないかも知れない。ともかく、「いま原稿が書けたら明日はどんなに辛くなってもいい」という勢いで徹夜するような蛮勇はいまでは持てなくなった。

 さて、今回のWWFさんの特集への原稿を書くために、梅雨明け前後の東京を歩いてみた。野田真外さんの『東京静脈』(六本木ヒルズのオープニングイベントで上映された)に描かれていた日本橋川と神田川の川岸を歩いてたどるという試みを始めた。ただ、折からの暑さにあてられ、また時間が足りなくなったこともあって、原稿執筆までにはその半分ほどしか歩けなかった。そのためもあって、今回の『WWF No.30』に寄稿した原稿は考えを進める途中の中間報告になった。

 押井映画に出てくる東京は「夜の東京」であることも多い。だからほんとうなら夜に歩かないといけないのかも知れないが――あまり治安もよくないらしいし、それにこちらが不審者だと思われても困るしなぁ。それはそうと、押井守作品の「時間」(というより時刻)論もまた採り上げてみたいテーマではある。

2005年8月1日

「辞めてやる!」の効用

 今回も更新が遅れた。まずそのことをお詫びする。

 その上で言いわけである。まあ、先週の週末に全力で遊んでしまったとか、この週末に仕事関係の用事があるのに、さらに遊びの予定を入れてしまったとか、いろいろ私の(とが)もあるのだけど、更新が遅れたもっと大きい原因は、予定しなかった仕事が次々に私のところに転がりこんできたことだ。一つひとつは小さくても、積み重なるとけっこう手間と時間を食うし、たいしたことはしていないようでけっこう疲れる。

 そんなことで音を上げていたとき、ふと、数年前にいまの仕事に就いたときのことを思い出した。

 人前で口に出しては言わなかったものの、そのころは「こんな仕事、すぐに辞めてやる!」と何度も思ったものだった。ともかく、仕事に慣れていなかったのでちょっとしたことでいやになっていた。また、当時は「早期退職制度」というのがよくニュースになっていたころで、私も「いやな仕事ならば早々に見切りをつけるべきだ」と思っていたということもあるだろう。いまでは「辞めてやる」などとは思わなくなった。ある程度は仕事に慣れてきたので、乗り切りかたもわかってきたし、もう若くない身で職を変えることの難しさに気づいたからだ。

 だが、同時に、すぐに「辞めてやる!」と思っていたころのほうが、よほど仕事にまじめに取り組んでいたことにも気づいた。いまは辞めようなんて思わないかわりに、仕事に熱意を持って取り組むことも少なくなってしまった。

 自分の馴れと弛みを棚に上げるつもりはない。それでも、もしかして、一般論として、「辞めてやる」とすぐ思えるぐらいの状態のほうが、思い切って仕事に取り組めるんじゃないだろうかと思ったりもする。

2005年7月11日

都議選始まる

 私が住んでいる東京では都議会議員選挙が公示されて……昼間に街に出るとともかく選挙カーがにぎやかである。候補者の名まえをスピーカーで大音量で流して、候補者にとって何か得することがあるんだろうか? 一つの選挙区に十何人も立候補しているなら、大音量で名まえを流して少しでも有権者に覚えてもらったほうが得だろう。けれども、今回の選挙では、一選挙区に覚えきれないほどの数の候補者は立っていない。うるさいからと反感を買うだけじゃないのだろうか。

 J. J. ルソー(つまり画家でないほうのルソー)は、イギリスの代議政治を、イギリス国民は選挙をするときだけ主人であとは政治家の奴隷だと批判した。日本の選挙では選挙のときでも政治家は有権者を「主人」とは思っていないのではないかと思う。「主人」に対してあんな大声で自分の名まえをわめきつづけたりはしないだろう。日本の選挙はそれよりバーゲンセールや安売り店の店頭宣伝に似ていると私は思う。商品のメリットを説明するより、商品名と値段と「安いよ!」をひたすら大声で繰り返す。それに似ている。選挙は何年かに一回の政治家のセールスなのだ。委託業者を選ぶためのコンペだと思えばいい。生活をよくするためにどうすればいいかという企画書を有権者のところに持って来させ、いちばんよい企画を持ってきた業者に仕事を任せる。任せた結果がよくなければ次はその業者や同じ系列の業者は選ばないようにすればいい。

 まあなんでもいいけど、せめて両側がビルで音がよく反響する場所でぐらい、音量抑えてくれないかなぁ。もし同じ程度に支持できる候補者が二人いたとすれば、そういう心遣いをしてくれる候補者に投票したいと思う。

2005年6月26日

夏至

 今年の夏至は21日だそうだ。夏至は、現在の暦では、「昼間の時間がいちばん長い日」でも「太陽がいちばん高いところまで昇る日」でもなく、太陽が春分点から90度の点を通過する日として定義される。正確に言うと、太陽が春分点から90度の点を通過する瞬間が「夏至」で、その「夏至」のある日が「夏至の日」なのだろう。「太陽が」というと天動説的な表現で、太陽中心の地動説で説明すると、春分の日から地球が太陽の周りを90度だけ回った日だ。

 地球が太陽の周りを回る速さ(角速度)は、夏のほうがわずかに遅く、冬のほうが速い。春分から夏至までは92日と18時間ほどかかっている。夏至から秋分までは93日と16時間とさらに時間がかかり、秋分から冬至までは90日と3時間ほどだ。

 冬至は冬らしくなりはじめた時期に来るので、冬を冬至から春分までとしても3か月はあることになる。だが、夏至は梅雨の時期に来る。蒸し暑い日もあるけれど、梅雨寒の日もある。雨がしとしとと降りつづけて夏らしい季節感はない。だから夏至には「もう夏も暦の上では半分か」という喪失感は梅雨のときにはあまり感じない。そのかわり、本州のまん中あたりで梅雨が明け、小学校の夏休みが始まるころには、夏至から秋分までの時間の三分の一は過ぎているのだ。しかも9月8日には日暮れが午後6時より早くなってしまう。

 春分から秋分を夏、秋分から春分を冬と機械的に分けると夏のほうが長い。季節が四つだと考えて月単位で分けるとどの季節も3か月ずつで平等に見える。けれど、季節を春‐梅雨‐夏‐秋‐冬と考えると、秋と冬が3か月ずつ、春と梅雨と夏が2か月ずつとなる。それが実感に近いのではないかと思う。北海道・北東北はもとより、本州のまん中あたりで考えても、夏はもともと短い季節だ。

 東京あたりでは、いまの季節は雲が薄くなると7時を過ぎてもまだ空が明るい。そのぼんやり明るい空の下で町に水銀灯が灯り始め、街角に人の姿がまばらになる。その青みがかったモノトーンの情景はこの季節独特で、意外とさびしいものだ。

2005年6月19日

夜明けの夢

 十分に長く眠れた朝は、夜明け近くに夢を見て、それを覚えていることがある。

 覚えていると言っても、ストーリーはたいてい忘れてしまう。覚えていようと思っていても、昼ごろにはもう思い出せなくなっている。夢に見ることというのは、ふだんから、「無意識」とは言わないまでも、意識の底のほうで、ぼんやりと、でもいつも変わらず感じていることなのだろう。だから、その日の生活が始まるとまた意識の底のほうに戻ってしまい、はっきりとは思い出せなくなる。精神分析ネタの本を読むとよく夢の分析の話が出ている。解釈のイメージの豊かさにも感心するが、それよりも、分析対象になるひとがよく夢の内容を覚えていると感心する。

 ただ、ストーリーは忘れても、出てきた人物は後まで覚えていることがある。とくに、ふだんはめったに思い出さないようなひとが出てきたときには、そのひとが出てきた場面は後までわりと鮮明に覚えている。いまはめったに会わなくなった昔の友だちが出てきたり、いまも会うひとだけれど昔の姿で出てきたりする。夢のなかの自分はそれをふしぎとも何とも思っていない。

 私はたぶんいまいろんな時間を同時に生きているのだろう。小学生だった頃から、高校生のころ、大学生になってはじめて東京に出てきたころ――それぞれのときに感じた時間の感覚は、いまも変わらず私のなかに流れつづけている。「いまの時間」に直面しなくてすむ夢のなかでは、そういういろんな時間が意識に浮かび上がってきて、それでそういう夢を見るのではないかと私はいま考えている。

2005年6月10日

雨の歌

 私の住んでいる東京方面では不安定な天気がつづいている。まずまず晴れていたので傘を持たずに出かけたら午後に雨が降り出したり、小雨はともかく大雨は降らないだろうと思って出かけたら急に土砂降りの雨が降り出したりという経験を何度もしている。北の海の高気圧からの湿った風とか、高気圧が東海上でブロックしているから低気圧が東に進めないとか、上空に寒気が流れこんでとかという説明をそのたびに聞く。こういうのはよくあることで「異常気象」ではないのだろうか?

 5月というのは、私がこれまで持っていたイメージほど晴れる月ではないのかも知れない。ただ4月の「菜種梅雨」のぐずついた天気と6月の梅雨の天気の合間なので、それほど日数はなくても晴れの日が印象的なのだろうか? あと、気温はまだ肌寒い日さえあるのに、太陽の高さはだいたい8月と同じで、その明るさが心に残るのかも知れない。

 米などの作物が稔るのは雨のおかげなのだから、雨を嫌ってはいけないという話もときどき聞く。たしかにそうなのだろう。しかし、書類を鞄に詰めて都会を移動しなければならないときには、やっぱり雨は鬱陶しい。服や靴が濡れるのが気もちわるいということもあるし、それ以上に、書類を濡らさないように傘や鞄を気をつけて持って歩くのにも気をつかう。身体的にいろいろとつかれるのと同時に気疲れする。

 雨が地面を叩いたり、窓辺に雨だれが滴ったりする音に、ずっと耳を傾けていられる余裕があれば、雨の日はべつにいやな日ではない。雨の日に昼間から蛍光灯の灯っている部屋というのも、じめじめはするけれども、落ちついて温かい感じがして好きだ。「雨の歌」に心を潤すことのできるような時間は持ちたいと思う。思ってはいるのだが。

2005年6月3日

情報を共有することが信頼を支える

 最近、何度か東京都内で電車遅れに遭遇した。ジェイアール線(東日本)に乗っていると、電車が遅れていることについての車内放送があった。そんなに大幅に遅れていたのではない。むしろそれぐらいの遅れは「よくある」と思える程度だった。その放送は、どうして遅れているかということを説明したあと、「お詫びします」ということばで終わった。遅れている以上は、とうぜん定時に戻すために努力するはずなのだが、それを言うとかえって乗客の不安をかき立てると判断したのだろうか。

 その少し前、西武池袋線で電車遅れに遭遇した。急いでいたので発車時間まぎわの電車に駆けこみ乗車した(もちろんいいことではない)。ところが電車が発車しない。遅れているのかなと思っていたら、「×番線に電車が到着ししだい発車します」というアナウンスがある。しかし、その電車がいつ到着するのかは、私の聞いていたかぎりでは一度も放送されなかった。5分ほど遅れて電車が出てから、停電事故などの影響で遅れていますという車内放送があった。

 電車遅れで苛立つ乗客のすべてが「電車が遅れた」ということで腹を立てるわけではないと思う。とくに、電車が頻繁に走っている線では、前の電車が遅れてくれたために間に合ったということもある。では、電車が遅れたこと自体に腹が立つ以外に何に苛立つかというと、なぜ、どのくらい遅れているかという説明がないことだ。とくに、どのくらい遅れているかを発車前に教えてもらえれば、携帯電話ででも約束の相手と連絡を取ってあらかじめ「電車が遅れたので遅れます」と言える。ジェイアール東日本の東京近郊線は、一時期、電車がよく遅れたり、初歩的なミスで電車が停まったりして叩かれたせいか、情報提供の情況はずいぶんよくなったのではないか。

 混乱した状況で、遅れについての情報を流すのは乗員にとっても駅員にとってもたいへんなことだろう。でも、乗客と情報を共有することが、鉄道への信頼を支える大きな柱になると思う。

2005年5月27日

本の記憶

 今回から北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』の評の連載を始める。最近、評とか感想とかのページ「へたのよこずき」に載せる評の長さが長くなる傾向にあり、前回の『明治デモクラシー』の評は3回連載になってしまった。しかし今回の『嗤う日本の「ナショナリズム」』の評はそれを上回って5回連載の予定である。まったく……単純計算で400字詰め原稿用紙500枚の本にその3分の1の分量も評を書いてどうするんだ? ただでさえ清瀬の書く文章は長すぎて読む気がしないとか言われているのに……。

 ところで、この本は、この3月の末、岐阜から養老の滝と関ヶ原を経て伊賀上野まで行ったときに持って行って読んだ。この旅自体は、去年、恭仁(くに)京跡に行ったのを承けて「恭仁京を訪れる」「伊賀上野と恭仁京再訪」、「聖武(しょうむ)朝を歩く旅」みたいなのを始めようと行ってみたものだった。この「聖武朝を歩く」の企画のことは、もう少しまとまった段階でまた書きたいと思う――というかこの旅以来停滞しているので……(「停滞した企画」もいくつ抱えてるんだ?! > 自分)

 いま、この『嗤う日本の「ナショナリズム」』をめくると、この旅のときの情景が浮かび上がってくる。とくに後半部分を読んだ伊賀上野のホテルの印象が深い。そのとき泊まった部屋はシングルルームにしては広く、そのかわりあまり明るくなかった。その薄暗い夜の部屋で、テーブルの手元灯の下にかじりつくような感じでこの本を読んでいた。ところで伊賀上野では決まった時間ごとにサイレンや音楽が大音量で街に流される。この本のナンシー関の話のあたりを読んでいると、窓の外で電子音の子守歌がいきなり始まった。しばらくは何が起こったかわからなかった。その少し先、大月隆寛の「ギョーカイ」批判のあたりを読むと、こんどは翌朝起きたとき(これもグリーグの『ペール・ギュント』の「朝」で起こされたのだ)のよく晴れた街の明るさを思い起こす。

 本には本に書いてあること以外の「記憶」もまた刻まれている。

2005年5月21日

鉄道と利用者の幸福な関係を考えよう

 この連休、3月31日を最後に廃止になった日立電鉄線の沿線に行ってきた。廃線後すぐにいちど訪れているが、そのときは平日だった。休日に訪ねてみると、日立電鉄線の北半分の交通が非常に不便になっている。日立市側の終着駅だった鮎川では、廃線前は夜の10時23分まで電車があったのに、廃線後の休日の最終バスは午後5時前だ。本数も激減している。平日はそうでもないのだが、休日は公共交通機関の利便がひどく低下した。この日立電鉄線廃線の理由の一つが、施設の老朽化などで安全運行の確保が難しくなったからというものだった。

 ジェイアール福知山線で起こった大惨事は、利益を上げるためにダイヤを過密にし、電車の運転速度を上げ、それに安全対策が追いつかずに起こったという一面があるらしい。他方の日立電鉄では安全を考えると鉄道経営を続けられなくなった。ジェイアール西日本だって単独で切り離せば経営を成り立たせられないような線区をたくさん抱えている。その区間の経営を成り立たせるために「ドル箱」路線で私鉄との競争に血眼になった――それで大惨事に対するこの企業の責任を帳消しにすることはもちろんできないが、そういう事情を考えなければ、それはそれで不公平だろうと思う。

 鉄道事業を収益の上がる事業として成り立たせるのは難しい。もともと維持費などにすさまじいおカネがかかるうえに、乗客の安全にも配慮しなければならない。高度な技術も必要だ。収益を上げなければどうにもならない民間会社にそういう事業を委ねきってしまうのがこの社会全体にとっていいことなのかどうか。もちろん鉄道をいまさらまた国有にしろというわけでもない。それより、利用者が「公共のもの」としての鉄道に、ただ電車に乗って遅れたら苛立つという以上のかかわりかたをしていく仕組みをなんとか作れないものだろうか?

2005年5月6日

職人気質と職人仕事

 前に使っていた腕時計が壊れたのは5年ほど前のことだったと思う。N響の公演でサヴァリッシュの指揮するリヒャルト・シュトラウスの曲に拍手を送っていたらとつぜん止まったのだ。電池が切れたのかと思って近所の時計屋さんに持ちこむと、電池はまだあると言い、時計の蓋を開けて掃除してもとのように動くようにしてくれた。そのとき、もう70歳は優に超えていたであろうその時計師は、自分はほとんどの故障は直すことができる、この技術は若い時計屋にはまねできないだろうと朗らかに話していた。ところがこの時計はそのあとすぐまた止まった。そこでその技術を頼りにして同じ時計屋さんに持ちこむと、「メーカーの修理に回しなさい」の一言で片づけられ、納得できないで残っていると「まだいたの?」みたいな冷たいことばをかけられた。それ以来、この時計屋には行っていない。

 で、こんどの時計も、いちど前に止まったことがある。このときは自転車で遠くまで遊びに行ったときで、時計が止まっていることに気づかず、のんびり走っていた。で、さすがに途中で体感速度と「距離÷時間」が一致しないことに気づき、携帯電話の時計で確認して予定より30分以上遅れていることに気づいたときはほんとうに慌てた。それから家まで全力疾走だ。あれはどこかで事故を起こしていてもふしぎではないむちゃな走りかたで、いま思い出しても冷や汗が出る。このとき近所の別の時計屋さんに行くと、パッキンがダメになって徐々に水が入りこんだのだろうという。パッキンを交換してもらった安心感で、こんどはちょっとぐらいだいじょうぶだろうと水につけたら、もろに止まってしまった。

 今度も同じ時計屋さんに持って行くかどうか、ちょっと迷っている。

2005年4月28日

腕時計が壊れて

 腕時計が動かなくなってしまった。生活防水ということだったので、洗い物をするときに安心して水とセッケン水に浸けてしまったら、水が入ったらしい。時計が止まっても、携帯電話は持っているし、家に帰ったらビデオに時計がついている。時間を知るのにはとくに困らないので、そのままにしている。

 で、それで私の生活がどう変化したかというと、とりあえずこれまでカリカリしながら遅刻していたのが、悠然と遅刻するようになった。

 ……ってダメじゃん……。

 小学生のころに『八十日間世界一周』を読んで以来、「時間ぎりぎりで動く」というのが私の生活指針になっている――というわけでもないのだけど、いつも予定がオーバーロード気味なので、けっきょく時間ぎりぎりで、何度も腕時計を確認しながら秒針の動きにせかされて動くことが多かった。腕時計が壊れて、何度も時間を確認しなくなっただけ、カリカリいらいらすることはなくなった。気もちにゆとりはできたけれど、遅刻することには違いがない。でも気がゆったりしたからたくさん遅刻するようになったかというと、そうでもない。そうやって気づいてみると、秒針を気にしなければならないような状況では、ほんとうは「何度も腕時計を確認する」というだけで、ばかにならない時間を使っているのだ。

 時間を読んで動くためには、止まることのない時間に流されながら、その時間の配分を瞬時に的確に行わなければいけない。けっこう高等技術なのかも知れないと思う。

 そして、その「高等技術」を、日々刻々使いこなしながら暮らさなければいけないというのはけっして健全じゃないなと、やっぱり思ったりするのだ。

2005年4月24日

花と若緑の季節はつづく

 東京では桜が散って葉桜に移りかけている。でも、今週前半の気温が低かったせいか、花もまだ残っている。昨年は花が咲いた直後に気温が低くなって、花が卒業式ごろから入学式ごろまで咲いていた。桜の咲きかたはその年の気温の移り変わりで年によって違う。40年近く生きてきて、ようやくそんなことに気づいた。

 まだ花の残る梢に若い葉が伸びる木々を遠くから見ると、花だけがいっぱいに咲いているときよりも明るく元気に見える。花が咲き誇っているころは、どんなに盛んに咲いていても、色合いは単調だ。いまは淡い桜色と若い緑色が混じって、色が躍っているように見える。

 近くの道を歩いていたら、桜が散ってしまわないうちにもうつつじが咲き始めていた。色とりどりの花芽がいっぱい空に向かってつき立っている。昼間に見るとどうということはないが、夜、水銀灯の明かりだけでその花芽を見ると何か雰囲気があやしい。

 どうしてこんなに花っていっぱい咲くんだろう? なんかすごく場違いな例で似た例を出すと、魚がいちどにたくさんたまごを産むのと同じで、それが花の生存戦略なんだろう。でも、花のばあい、人間が手を加えて、花がたくさん咲くような木を残してきたということがあるのかも知れない。

 春になるといっぱいの花がいっせいに開き、若緑の新しい葉が街を覆い始める。街の景観を一週間ほどで変えてしまうとはたいへんなエネルギーだと思う。しかも、その大エネルギーは、何を威圧するわけでも、何を壊すわけでもなく、ひたすらやわらかくてくすぐったいものなのだ。この語感こそが「萌え」の原イメージなのだ――という話は前に書いたことがある。

2005年4月15日

知らないうちに桜が満開になっていた

 新年度に入っていきなり忙しくなった。それは少し割り引かなければいけないので、年度末にだれて後回しにしていた仕事が、山積みというほどではないけれど丘積みくらいにはなってしまったのと、これからさらに忙しくなるのに備えて先の仕事を少しずつ処理しているからというのがあるのだけど、忙しいことには違いがない。一年間この調子がつづくのかと思うと、ちょっと憂鬱だ。

 そんなことをしているうちに、『カードキャプターさくら』ボックスが発売になったのはいいとして(買いました)、桜が咲いて、気がつかないうちに満開になってしまったらしい。たしかに桜が開いてきたな〜とは思っていたのだけれど、今日の夕方、桜並木の道を通ってみるともういっぱいに花が開いている。花の重みで枝がたわんでいるようにすら見える。まったく、こんなに急に満開にならなくてもいいようなものじゃないか。あれだけの花をいっせいに開かせるエネルギーってどこから来るのだろうと思う。前の年に光合成して溜めておいたのと根から吸った養分という説明では何かごまかされたような気がする。

 桜がつぼみから花開いて、あっという間に葉桜になってしまうという変化は、日本の年度初めの慌ただしさによく似合っている。窓から外を見ても、外を出歩いても、景色がどんどん変わっていくのだ。しかもその変化が何か愉しげで、こちらがその調子に乗せられてしまう。懸命についていこうとしなくても、何か知らないうちに自分から速度を上げてしまうのだ。

 それにしても……桜はこんなに速く花が咲いて散っていくのに、杉はなんでこんな長いあいだ花粉を飛ばしつづけるのかなぁ?

2005年4月7日

夢のなかの駅

 私が水郡線という鉄道があるのを知ったのはもう20年以上も前だ。関西から東京に出てきて、時刻表で東京周辺の鉄道路線図を眺めていて知ったのだと思う。覚えているのは、「いちど乗ってみたいな」と漠然と思っていたら、水郡線に乗る夢を見たことだ。

 夢のなかで、水郡線は急な谷に沿って走っていた。列車が駅に停まる。谷をはさんだ向かい側に学校が見える。駅から学校まではいちど谷に下りてからまた上らなければいけないらしい。谷の向こう側の学校まで谷の下から長い坂道がついている。小学校の子どもたちが、一人で、また何人かで連れ立って、楽しそうに走ったり、うつむき加減に歩いたりしながら上がって行く。その夢で覚えているのはその場面だけだ。それ以来、水郡線は大きな急な谷に沿って走っているのだというイメージができていた。

 この冬、はじめてその水郡線に乗った。ただし、郡山まで行くほうではなく、常陸太田に行く支線のほうだ。この線はあまり起伏のないところを走る。急な谷に沿って走るのではなく、平野の田んぼか畑のなかを走っていくのだ。

 なぜそんな沿線風景を夢に見たのかはわからない。子どものころ、長野県までキャンプに行き、そのとき中央線(中央西線)に乗った。客車の各駅停車ののんびりした旅だった。その客車から見た中央線沿線の風景が「遠いところの鉄道」のイメージとして残っていたのかも知れない。また、中学校から大学まで、通った学校はいちおう坂を上ったところにあった。それほどたいした坂ではないのだけれど、その経験で「学校は坂の上にあるもの」という思いこみができてしまっていたのかも知れない。

 ところで、水郡線に乗ったのは、日立電鉄線に乗りに行くためである。私がはじめて日立電鉄線の電車に乗ったのは昨年の11月で、それから5回、乗りに行った。鉄道ファンの友人には「廃止寸前の鉄道はふだんとは違う雰囲気になっているのに、よくそんなに通い詰めたものだ」というような感想をもらった。でも、私がこんなに頻繁に日立電鉄線沿線を訪れたのは、その「ふだんの」――つまり地元の人たちが乗る鉄道としての雰囲気が好きになってしまったからである。その日立電鉄線も昨夜ですべての運行を終わった。今回から、文集「ムササビは語る」のなかに「日立電鉄の風景」を開き、ここで日立電鉄線の思い出を少しずつ語って行こうと思う。

2005年4月1日

やっぱりお詫びしないと...

 今回の更新予定は当初は3月10日のはずだった。その期日が迫って、どうも無理そうだとわかって、とりあえず一週間延ばした。しかし、一週間経っても更新できず、今回は延期の告知も何もしないで、今日まで沈黙をつづけていた。しかもそのあいだはてなダイアリー「猫も歩けば」も更新しなかった。もし私の身に何かあったのではと心配してくださった方がいらしたら、ほんとうにごめんなさい。

 何もなかったというわけではなくて、「一時間で終わるだろう」と思って気軽に引き受けた仕事がけっきょく一日以上かかったとか、そんな仕事が複数あったとか、普通の春ならばだいじょうぶなのだけれど今年の花粉の勢いには負けたとか、3月のはじめから2度も日立電鉄に乗りに出かけて時間がなくなったとか、いろいろあることはある。

 だが、根本的な要因は、本も読めず、文章も書けなかったということにある。本を開いたり、文章を書くためにエディタを立ち上げたりしたとたんに、気が散ってしまうのだ。本を何十ページか読んで、それでふと気づいてみると、いま読んだところに何が書いてあったかぜんぜん覚えておらず、前日に読んだところからもういちど読み直すなどということも何度もあった。まあこれは今回の「シュレディンガーの猫」に書いたように、読もうとした本も難しすぎたのだが、それだけではないと思う。原因は、花粉とか、期日の迫っている仕事が気になってとか、いろいろあるのだけれど、ようするに一種のスランプなんだろう。自分の「好きでやっていること」は、こういう事態に直面すると限りなく怠惰になっていく。でも、そういうところで、やっぱりどの程度本気でここの文章を書くことに取り組んでいるかがわかるということになるのだろうな。

 ちなみに、アトリエそなちねの人たちが遊びに来たのでいっしょにお泊まりに行き、そのお泊まりの夜に本を読むと思ったより読めたので、それをきっかけにいくぶん復活しました。でもまだ調子はあまりよくないです。

 ともかく、そういうことで、更新が遅れたこと、しかも無断で更新を一週間以上遅らせたことについて、深くお詫びします。

2005年3月25日

近代科学と世界の不安

 ガリレオやニュートンはアリストテレス的な科学観に基礎を置く天体物理学をひっくり返した。ところが、ニュートン物理学にはアリストテレス的な物理学に及ばない点があるという話を読んだことがある(たしか雑誌『科学』の特集号でだったと思う)

 アリストテレスは、物体が落下するのは物体がそのもとあった場所に帰りたがるからだと説明する。土から生まれ出たものは、もともと土のあった場所に戻ろうとして下に落ちるというのだ。りんごは土から生まれたので、りんごの木から落ちて土のところに戻ろうとする。ニュートンはこの理論を否定し、物体が落ちるのは万有引力のせいだと説明した。りんごと地球は万有引力で引きあっており、だからりんごは地球に落ち、地球もりんごに向かって落ちる。だがいったい万有引力はなぜ働くのだろう? ニュートン物理学はそれを説明しない。この問題はアインシュタインの相対性理論を持ち出しても解決しない。「この宇宙はそういうふうにできているのだ」としか説明できないのだ。

 近代科学では説明できる範囲のことしか説明しない。つまりこの世のなかは科学的に見れば説明のついていないことだらけなのだ。しかも、いまは説明が成り立っていても、どうしても説明できない現象に何か一つでもぶつかるとその説明はひっくり返ってしまう。この世のすべてのことを説明しつくすようには私たちの科学はできていないし、科学的に見れば、いつまで経ってもひっくり返らない「絶対に正しいこと」もこの世には存在しない。

 そんな世界で、私たちはどうやって安心して暮らしていられるのだろうか?

 ところで、先々週のトップページを書いたときに引っぱり出して以来、こんどは『黒猫と月気球をめぐる冒険』(堀江由衣)を2週間かけっぱなしにしている。いや、いいアルバムなんですよ……。

2005年2月24日

ぐるぐる回る話のつづき

 「月気球」説には今回は触れないこととして、地動説の論証ならばいちおうはできる。まず、実際に、地球が太陽の周りを回っている結果、星座の見えかたはじつは季節によって微妙に違っている。ただ、その変化がごくわずかなので、ガリレオの時代にはそれが観測できなかっただけだ。また、天動説だと、惑星の動きを説明するのに、一部の惑星が「円軌道の上を回る点を中心にさらに円軌道を描いて回っている」などというややこしい説明をしなければならない。しかし、地動説を採用してケプラーの法則をあてはめると、三つの法則で惑星の動きがかんたんに説明できる。それも傍証になるだろう。

 もっともこれでも完全な論証にはならない。星座の見えかたがわずかに違うのは天のほうが季節によってわずかに揺れているからであって、地球が動いているからではないという反論が可能だ。地上でも夏には草木が茂り、冬には枯れ、夏には雷雨が来て冬には雪が降る。同じように天空上でも季節によって星の見えかたが少しぐらい変わってもおかしくはないじゃないか。また、ケプラーの法則にしたって、「地球以外の惑星はすべて太陽の周りを回っているけれども、太陽はやっぱり地球の周りを回っている」と説明することができる。月が地球の周りを回っているのだから、太陽だって地球の周りを回っていてもおかしくない。

 じつは天動説でも地動説でも天体の運動の説明はできるのだ。太陽の近くの星(恒星)との位置関係を基準に考えれば、太陽が中心だと考えるほうが観測結果を説明しやすい。また、地動説にしてケプラーの法則を適用したほうが惑星の動きを説明しやすい。それだけのことだ。地動説が正しいというのは、「説明の手間を最小限に抑えることのできる説を正しいと見なす」という約束ごとを前提にして成り立つ「正しさ」にすぎない。天動説論者が信じていたような宗教がかった「絶対不変の真実」というようなものとは違う。だから、天動説論者が地動説を否定したのと同じような感覚でいま天動説を否定するならば、それはやっぱり「正しい」態度とは言えないだろう。「正しさ」にもいろいろある。

2005年2月17日

それでも地球はぐるぐる回る

 久しぶりに『天文ガイド』(誠文堂新光社)を買った。それで、マックホルツ彗星(新彗星 C/2004Q2)という彗星がいま北の空で一晩じゅう沈まず見えているということをはじめて知った。でも4等星では東京では空が澄んでも見えないなぁ。

 それはともかく、2月号のえびなみつるさんの巻末コラムがおもしろい。「学力低下」論者は「近ごろの小学生は地動説や月の満ち欠けの原因も知らない」と言って嘆くが、コペルニクス以前の人間は千年以上も地動説を知らなかったわけで、その地動説を小学生が理解しているとしたらそのほうが驚きだという話だ。

 教育には「正しい知識の詰めこみ」がある程度は必要だ――という無粋な反論はこのさいやめておこう。それより、「天動説がまちがいで、地動説が正しい」ことをどう証明すればいいのだろう? ガリレオは潮の満ち引きを利用してその正しさを証明しようとして、じつは完全には成功していない。しかも、ガリレオは、もし地球が太陽のまわりを回ってぐるぐると位置を変えるのなら、夏と冬とで星座の見えかたがかわってしまうはずではないかという反論を論破することができなかった。だから「地動説はガリレオが証明した、ガリレオは偉い!」とガリレオに押しつけて論点をすり替えてしまうことはできない。

 また、月というのは高い空を飛んでいる大きな気球で、気球のなかの電球の光で輝くのだ、その気球にはデザインの違う30種類のものがあって、それが一日に一つずつ交替で飛んでいるので、地上から見ていると一つの月が満ち欠けを繰り返すように見えるのだ――と言われたとき、そのりくつをどう論破すればいいのだろう? ……などと考える私は堀江由衣の『黒猫と月気球をめぐる冒険』が大好きなのです。このアルバムは傑作だと思いますよ。いま繰り返して聴いています。その前は堀江由衣とUNSCANDALの「スクランブル」(アニメ『スクールランブル』のオープニング)を一日じゅうリピートして聴いていたけどね。仕事いっぱい抱えてめげそうになって、気分をハイに保ちたいときはやっぱりこの曲でしょう。

 ……論点がずれた。

2005年2月10日

カリオストロから遠く離れて

 贋札(にせさつ)作り防止には独特の困難がある。お(さつ)のばあい、たんに本物か偽物かが区別できるだけではダメで、それがだれにでも区別できるようにしておかなければならない。したがって、本物の札の特徴を広く知らせなければならない。しかも、本物の札の特徴はある程度は目立つものでなければいけない。それは贋札作りの犯人にどこをまねればいいかを教えることにもなる。

 贋金(にせがね)作り防止の基本は、贋金を作っても儲からないようにすることだ。金や銀などの貴金属が貨幣に使われたのはそのためだ。従来は、紙幣の印刷技術を高めておけば、民間ではその印刷技術をまねるだけでかなりの投資が必要になり、贋札作りは割の合わない犯罪だったのだろう。ところが、技術の普及で、高度な印刷技術は国だけが持っているというわけではなくなってしまった。

 一方でネット上の売り買いのように、どんな人だかわからない相手とのもの・カネのやりとりも増えている。どんな人だかわからない相手とのもの・カネのやりとりの安全を保証するのは、その取引が行われている市場の信頼性だろう。だれが来てものを売ったり買ったりしているかがわからない大きい市場よりも、参加者が限定されている会員制の市場や「相手の顔の見える市場」のほうが信頼される。信頼性をめぐって市場自体が競争する時代が来ているのだろう。

 そうはいっても、そういう市場に参加できる人はどうしても限られてくるし、参加するにはある程度の面倒な手続きは必要なわけで、匿名でだれでも参加できる市場というものの存在意義はなくなるわけではない。そういう「匿名でだれでも参加できる市場」の信頼性をどうやって守るかというのは――どうすればいいのでしょうね? ある程度のリスクは覚悟の上で……という一般論ならいくらでも言えるのだけど。

2005年1月27日

危険でロマンチックな夜

 ハーブ入りのろうそくを買ってきた。夜、空いたコップの底に入れて火をつけてみた。ハーブの香りを愉しむには部屋が広すぎるのか、すきま風のせいか、ハーブの香りは微かにする程度だったけれども、いろいろと発見・再発見があって楽しかった。

 このろうそくが意外に長もちする。2時間、3時間と経っても消えない。そのうちさすがに寝る時間になってしまった。それで、危ないことは承知だったが、倒れてもすぐにほかのものに燃え移らないようにして、ろうそくをつけたまま就寝した。

 炎の明かりは暗い。電灯を消したすぐ後には、炎の明かりが部屋を照らしているのがまったくわからないぐらいだった。でも、目が慣れてくると十分に明るく感じるようになる。炎の微妙な陰翳(いんえい)が天井や壁で揺れる。「火影(ほかげ)」ということばがぴったり来る。その火影は少しもじっとしていない。揺れ、形を変え、明るさを変えて、暗がりを照らしつづける。それは、何かが具体的に燃えているというよりは、世界のどこかから「炎」というのが送られてきて、その一端がここで踊っているように見えた。炎に神が宿るという考えかたは世界各地にあるらしい。この、生きているように踊り、はしゃぎ、ときには勢いを失う炎を見ていたら、炎が何か生命を持っているもののように見えるのがあたりまえのように思えてきた。

 安定した熱や光を取り出すために、そういう「燃え」から生命感を奪ったのが近代だ――ということになるのだろう。神の存在や生命感は不規則で次にどう動くかわからない「ゆらぎ」のなかにこそ感じられる。安定性や「予測が可能であること」があたりまえになった私たちには、神の存在も生命感も縁遠い感覚になった。そして、ものが燃えることに生命感・神秘感・神々しさを感じなくなった私たちは、化石燃料を無際限に使うようになり、地球の環境を変える(かも知れない)というところまで来ている。

2005年1月13日

明けましておめでとうございます

 寒中お見舞い申し上げます。「暖冬」とか言っていたけれど、なんか寒いですね。寒いなかに、たまに島のように「暖かい日」が混じりこんでいるのがここのところの気温変動のような気がします(東京地方では、です。すみません > 他の地域の方)。ただ、ここまでのところ、東日本のばあい、空がからっと晴れて寒いという典型的な冬型ではなく、「低気圧が南岸を通って、曇ったり雨や雪が降って寒い」という「春先の寒さ」的なパターンの寒さが主のようにも思います。

 ところで、唐突ながら、清瀬は昨年末にはてなダイアリーに参入しました。清瀬の日記ページ 猫も歩けば→ここです(なお、とりあえずコメントは載せられない仕様でスタートしております)

 最初から意図したわけではないけれど、この「さんごのくに」にはわりとまとまった文章を載せるようになってしまいました。その結果、このページに文章を載せる手間がけっこうかかるようになり、少し忙しくなると、このページやアトリエそねっとのページが更新できなくなってしまいました(最初は「シュレディンガーの猫」が日記のつもりで設定したページだったのだけど……いつのまにか論評ページに化けてしまいました(^^;)。そこで、気軽に「日ごろ感じていること・考えていること」とか「単発の思いつき」とか「今日のできごと」とかを書けて、メンテナンスが手軽にできて、しかも「何かおもしろそうなところ」ということではてなダイアリーを選ばせていただきました。すでにはてな(←このページは「人力検索はてな」のページ)に参加しておられる方も、そうでない方も、なにとぞよろしくお願いします。

2005年1月6日