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シネマファシスト 連載第4回4月号 『とらばいゆ』 アメーバーのような不定形がゆれ動いている。運動している。4月ならぬ、4人。夫と妻と妻の妹とそのカレ。2人の女は棋士と呼ばれたりもする。夫と妻は当然同居し、妹もまたそのカレと同居し、時には独居している彼女たちの母が5人目として登場する。その5人があっちへ行ったりこっちへ来たり、誰かと誰かがくっついたり離れたり、言葉・言語をエネルギーとして、夫と妹だったり、妻とカレだったり姉と母だったり、時には独居したり同居したり、棋士なので対局したりと、性による垣根は越えず、言語のみにより、1人から2人、3人、4人、将棋の師匠、妹の元カレ、姉の幼なじみも巻き込んで、時間と場所を限定しての増殖と縮小は続く。それはまるで言語を性に置き換えれば、神代辰己の映画のようである。 大谷健太郎という監督は、映画を熟知した監督であると思う。運動を明示できる。又、時の推移を映すのに、光によって表現しないで人と人との運動、人と人との距離、あるいは関係によって時間を表現する。それは人間の感情を、映画で映し出せるということでもあり、極めて彼は映画という表現方法を熟知した監督であると言える。 この映画は、今テアトル新宿にて運動中とか。 |
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『とらばいゆ』より![]() | ||
市井義久(映画宣伝プロデューサー) 1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。 キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。 1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。 2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。 2001年 3月24日『火垂』 6月16日『天国からきた男たち』 7月7日『姉のいた夏、いない夏』 11月3日『赤い橋の下のぬるい水』 ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。 |
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