●●作者近況●● 

その5 端午の節句

 5月5日は子供の日。春の遅い北国にとっては、すべての植物がいっせいに萌え出る季節である。雪が溶けてタラノメ、フキノトウ、アサズキ、タケノコとややクセのある、その分土地をしっかりと吸い込んだこれらの食物は、これからの長い1年間の活力を保証してくれる。そしてやがて田植えが始まる。
 3月3日の桃の節句から、端午の節句にかけては1年間のスタート台である。
 私は毎年、この季節は田舎で土地を味わう。今年はもう散ってしまったが、桜、スイセン、チューリップ、タンポポ、ナノハナが満開になるのもこの季節である。


シネマファシスト 連載第5回5月号

『青い春』

春に、今だ充分熟さない青い春に、桜の散るのも待たずに、散り続け、退場しつづける若者たちよ。君たちは青春と言うのだからまだ、若者ではないのか。理由も無く言い訳もせずあと60年以上を残して、自死、殺人、逮捕、拉致、あるいはやくざへと。この映画のように、枯れたチューリップも、ふたたび花開くやもしれないというのに、なぜ若者と呼ばれる、写真の中の少年たちは、写真のように自分を、客観視、客体化、照射することなく、学校を卒業ではなく、退場して行くのか。これが時代の精神であるとすれば悲しい。若者がこの世からいなくなる。それが時代のすう勢であればもっと悲しい。この世には痛みしかないのか。痛みだけを実感し、人は皆、時代から退く。痛みだけが支配する時代は、戦争の時代と呼ばれていた。人はその時代から1歩、2歩と、痛みの時代からより遠くへと歩みだした。しかし、この若者たちは痛みだけを実感し、多くは退場した。無念である。

この映画に描かれている要素の中で唯一私が体験したことのあるのが、(交通事故で)歯が折れたことであるが、そこから回復することなく、そこで切れざるを得なかった人生を思うと慄然とする。だから私は、今も生きているのに。

しかし、この『青い春』と呼ばれる映画に登場した若者たちは、痛覚を最後に、皆、退場した。なんという結末、ゆえに登場人物はほとんど男性、唯一の少女と唯一の中年女性もどれほど物語に貢献していたことか。異性がもっと登場すれば痛みがあったとしても肉体ではなくなる。精神のほうがより痛いではあろうが、異性と関係すれば男性の人生からの退場は無い。やくざでもなく戦士でもなく、若者と呼ばれる人々が、何人もこの映画で人生から退場してしまった。無念と思う。

この映画は春ではなく夏、シネマライズ渋谷にて公開と聞く。


『青い春』公式ホームページ:http://www.aoiharu.com/
小学館松本大洋の本:http://www.shogakukan.co.jp/taiyo/


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

2001年
3月24日『火垂』
6月16日『天国からきた男たち』
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』


ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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