イラク戦争について思うこと

清瀬 六朗



3.

 バグダードの大統領の宮殿だかその家族の家かに爆弾だか巡航ミサイルだかが命中して、ビルが崩れ、炎上する映像を観たとき、私は単純に

「こういう映像って見たことある」

と思った。

 どこで見たことがあると思ったのか。2001年9月11日のニューヨークの世界貿易センタービルだ(なお、九・一一テロでは国防総省も攻撃されたが、国防総省のことには触れないことにする)

 こんなことを言ったら怒る人もいるだろう。

 アメリカがやったか、テロリストがやったかという違いは、あとで議論することにしよう。そうしたところで、世界貿易センターは民間の商用ビルであったのに対して、イラクの大統領宮殿というのは民間施設ではない。あちこちにある大統領宮殿に大量破壊兵器を隠しているという疑いも指摘されてきていて、完全な非軍事施設とは言えなさそうである。また、世界貿易センタービルは大多数の人にとっては攻撃されるとはまず想像もできない場であった。1993年にテロリストに爆破されたことがあるとはいえ(ちなみに『イスラム過激原理主義』の著書もある藤原和彦氏は、この犯行は、アル・カーイダではなく、サッダーム・フセインの仕業ではないかと推定しておられる)、その日のその時間に空から旅客機の突入というかたちで攻撃されるとはまったく予想がつかなかっただろう。予想がつかなかったから、数千の勤勉な人たちが朝っぱらから出勤して犠牲になった。それに対して、イラクの大統領関連施設は、開戦した以上はいかにも攻撃されそうな場所ではあった。サッダーム・フセイン政権中枢部はもちろん、そこで働いている公務員の人たちも、周辺住民の人も、ある程度は「戦争になったらここは空爆の目標になる」という予想はついたはずだ。さらに、世界貿易センターでは、民間の大型旅客機を乗っ取って、乗客全員とともに突入するという言語道断な攻撃方法をテロリストはとった。バグダードの空爆は、とりあえずは戦争としては普通にとる手段の一つだ。そういう点で、テロリストの世界貿易センタービルへの自爆攻撃のほうが格段に悪質であった。

 私はそう考えているし、その点は十分に踏まえている。

 それでも、単純に、攻撃によってビルの破片が飛び散り、そこから炎が噴き出し、黒い煙が立ち上るという姿は同じだった。ただ、九月一一日のテロリストは巡航ミサイルも爆撃機も持っていなかった。そこでそのかわりに旅客機を使った。2003年3月のアメリカ合衆国軍は巡航ミサイルと爆撃機を持っていたのでそれを使った。そこに違いはあるが、やっていることは「目標となるビルを定めて、爆発物でそのビルを破壊し、炎上させる」という同じことだった。

 文章で書けば当然のことだ。戦争で相手に被害を与える方法がそんなに多種多様であるわけではない。九月一一日のテロリストと2003年3月の米軍とは空から特定の都市の特定の建築物を爆破するという同じ方法を使った。それだけのことである。

 しかし、その両方を、同じ受像器でテレビ画像として観ると、やはり、戦争としてやることはアメリカもアメリカの敵も同じだということが強烈に印象づけられる。少なくとも私は印象づけられた。私だけの印象かも知れないと思っていたら、アメリカの反戦デモの参加者がインタビューに答えて「私たちは九・一一で悲劇を経験したから、イラクの国民に同じ経験をさせたくない」と言っていた。あるいは、この人も、炎上するバグダードの建築物の映像から、やはり世界貿易センターの映像を思い出していたのかも知れないと私は思った。そうではないのかも知れないけれど。

 ただ、違いとして挙げられるのはやはり映像を通して入ってくる情報量だろう。2001年9月11日のニューヨークについてはいろいろなところから映像が入り、音声も入り、惨事のいろいろな局面を映像で見ることができ、関係者の話も早い段階から聞くことができた。今回のバグダードについては映像の入りかたも限られており、音声も遠くから聞いた爆発音だけで、何が起こっているかを映像から十分に特定することすら難しい。炎上しているのがバグダードの広い範囲なのか、それとも盛んに燃えているように見えてもじつはごく一部の施設だけなのかも判然としない。そこに今日の世界のニューヨークとバグダードの地位の差が歴然と表れている。

 その点を留保した上で、アメリカの戦争も、アメリカの敵の「戦争」も、絶対的に違ったものではない。それは相対的に比較しうるものである。まずそこから出発しよう。


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