イラク戦争について思うこと

清瀬 六朗



11.

 九・一一テロが発生したときでも、私はアメリカ合衆国がここまで国際政治への姿勢を変えるとは思わなかった。九・一一テロは確かに言語道断の大規模テロだった。だが、アメリカ合衆国のような軍事大国が、そうかんたんに「自分が傷つけられた」という意識を持つとは、私は予想しなかった。そして、その結果として、テロ集団に対する「先制攻撃」を正当化する「ブッシュ・ドクトリン」などを出してくるとはぜんぜん考えもしなかった。

 私が考えている以上に、アメリカは「傷つけられた」という感情を抱いていたらしい。被害者数が多かったことに加えて、アメリカ人が重視する人道主義の観点からしてもこのテロのやり方のひどさがすさまじい傷を残したようだ。

 ただ、その傷が、「バグダードの一般市民をあのときと同じような爆撃の恐怖にさらすのは許せない」というかたちで、今回のイラク戦争に反対する論理につながっている面があることは確認しておいていいと思う。もちろん、そのような主張を正面から掲げて抗議する人は、アメリカ人全体では少数派に属するのだろうけれども。

 ともかく、これ以後のアメリカ合衆国は、国際社会に対してもより強引に主張を押し通すことになった。決定的な物証を国際社会に対して示さず、「状況証拠」を示すことで、直ちにアメリカを中心にする軍事行動を正当化しようとする傾向を強めた。

 また、アメリカ人が「正義」か「悪」かという単純な二分法を好むのはいまに始まったことではないのだろうが、九・一一テロ後、アメリカ合衆国はその基準による問いかけに答えることを世界に向かって強いるようになった。自分の正義観に同調しない者、そしてその正義に従わない者はすべて敵であるという位置づけを公然と語るようになった。単純な表現で言えば、「確実な味方以外はすべて敵」というわけである。

 九・一一テロ後、ブッシュは、確実な物証を得ない段階で、ウサーマ・ビン‐ラーディンを中心とする「アル・カーイダ」が九・一一テロの実行集団だと断定した。そして、その状況証拠を数多く示した。けれども決定的な物証が示せたとは私は思わない。これは今回のイラク戦争でも同じである。イラクに対して精度の高い偵察飛行を行っているにもかかわらず、アメリカはイラクが大量破壊兵器を持っているという決定的物証を示していない。ただ、「大量破壊兵器の査察に十分に応じなかった」という理由で戦争を仕掛けたのである。

 そういう軍事行動のしかたが正当なのかどうかには疑問がある。私は、軍事行動を正当化するためには、もっと明瞭なかたちでの証拠の提示が必要だと思う。

 それとは別に、もう一つ、気にかかるのが、アメリカがどこまで情報を開示しているのかということだ。ほんとうにウサーマ・ビン‐ラーディンが九月一一日テロの首謀者でなかったり、イラクはほんとうは大量破壊兵器を持っていないのに、アメリカが自分の主張を押し通そうとしているのか? それとも、アメリカ軍の偵察能力では決定的物証が掴めないのか? そのどちらでもないとしたら、アメリカ合衆国は、決定的な証拠を握りながら、それを国際社会には公表していないことになる。もしそうだとしたら、アメリカの意図は何なのか? そういう疑問を、九月一一日以来、現在まで私は抱きつづけている。

 ところで、アル・カーイダはもともと国連の国際協調体制のなかに入っているような組織ではなかった。そのアル・カーイダを庇護しているとして非難され、攻撃の対象にされたアフガニスタンのタリバン政権は、国際的にはほとんど認められていない政権だった。アメリカは、タリバン政権を生み出し、その支持者の役割を担っていたパキスタンに集中的に圧力をかけた。インドとの紛争を抱えているパキスタンはけっきょくその圧力に屈するしかなかった。そのうえ、タリバンは、女性の行動を制限したり、女性に教育を受けさせなかったり、公開処刑を行ったりして、国際社会から非常に評判が悪かった。バーミヤンの大仏を破壊して「文化の破壊者」というイメージを国際的に定着させてしまった。イスラム法学者からも「タリバンのイスラム教は正統ではない」と判定され、イスラム諸国内でもタリバン政権は孤立していた。隣のイランは同じ原理主義政権ではあるが、イランが原理主義色を弱めつつあった上に、イランはシーア派原理主義、タリバンはスンニー派原理主義で、かえって関係は悪かった。イラン系のハザラ人がタリバン政権に弾圧されていたという事情があったからなおさらだった。

 タリバン政権がもともと孤立していたこともあって、アメリカ合衆国が中心となってタリバン政権への戦争が展開されたが、国際社会では積極的な反戦の動きは十分には盛り上がらなかった。

 このタリバン政権に対する戦争が決着した2002年の初めに、ブッシュは北朝鮮・イラク・イランを「悪の枢軸」と名指しし、この三国への圧力を強めた。

 この「邪悪」の三国を見ると、それぞれの国がアメリカに挑戦してきた政治体制を代表してはいる。北朝鮮はもはや世界に数少ない社会主義国である。もっとも、1980年代以後の北朝鮮は、党よりも軍のほうが優位に置かれたり、社会主義の枠に収まるかどうか疑問のある「主体思想」を唯一の指導思想にしたりして、社会主義かどうかよくわからない国家になっているが、社会主義国が変形してできた国には違いない。それにアメリカ軍と戦った歴史も持っている。イラクは、1950〜70年代に盛んにアメリカの覇権に挑戦したアラブ民族主義の勢力が政権を握っている少数の国の一つである。イランは、アメリカを「大悪魔」扱いしたイスラム原理主義政権の国である。それぞれアメリカを思想的に否定しようとしてきた国ではあるのだ。現在のブッシュ政権というのは、あんがい、思想的な面に敏感なところがあるのではないかと思う。

 このイラクへの圧力によって国連の査察が再開された。その後の展開はいちいち述べない。イラクが査察に十分な協力をしないかぎり「重大な結果を招く」というところまでは国連安保理で一致することができたが、サッダーム・フセインが小出しに協力の程度を上げていくという方法で対応してきたため、国連安保理の判断は割れた。そして、「査察は一定の成果を挙げている」として即時の武力攻撃に反対するフランス・ドイツなどを説得できないまま、「イラクにこれ以上 譲歩するべきでない」とするアメリカ・イギリスは一方的な開戦に踏み切ったのだ。

 この過程で、フランスやロシアや中国が無条件の平和主義から戦争に反対したのではないことには注意する必要がある。アメリカ合衆国がアフリカの非常任理事国に圧力をかける動きを見せると、フランスも同じ動きを見せて対抗した。フランスにはアフリカの広い地域に植民地帝国として君臨した歴史があり、その影響力をいまも利用しようとしている。また、フランスは、「現在の軍事力行使は認めない」と言っていたのであって、最終的に軍事力を行使する可能性を否定したわけではない。ロシアだって、自分の国のなかで、国際的非難を浴びながら、チェチェンのイスラム原理主義勢力に軍事的弾圧を加え、チェチェンの首都を徹底して破壊したわけだし、中国もチベットや東トルキスタン(新彊ウィグル自治区)の分離独立には強硬な姿勢で臨んでおり、台湾にも軍事的圧力をかけてきた。フランスもロシアも中国も軍事力による反対勢力の抑圧という選択肢そのものはけっして否定していない。ドイツはこの常任理事国三国に較べれば「平和主義」的傾向は強いけれども、それでもアフガニスタンでのタリバン戦争には派兵して協力している。これらの国は、軍事力行使による解決という手段を認めつつも、国連安保理での明確な決議を経ないままの軍事力行使は認めないという立場をとった。この立場はたしかに日本とは鮮やかな対照をなす。日本は、軍事力を国際紛争の解決には用いないと憲法で定めているにもかかわらず、いち早くアメリカとイギリスの軍事行動を支持したのだから。

 その点を認識した上で、私自身がどういう考えかたを支持すればいいかを考えると、やはり私はドイツ・フランス・ロシアなどがとっていた立場を支持したいと思う。それは、ほかにどうしようもなくなったら軍事力行使はやむを得ないという部分まで含めてである。だから「戦争には絶対反対」という立場ではない。

 この考え自体、現在の私の情勢判断に従えば、ということである。最初に書いたように、私としてはもっと判断の材料を集めて、そしてもっと考えてから、態度を決めたかった。でも、それは、戦争が始まってしまったからには、言っても無意味なことである。ここでいちおう自分の態度を決めて、この戦争の行方を見定め、そして次に同じような事態が起こったときにより的確に判断できるようにしたいといまは考えるのみである。

 まず、サッダーム・フセイン政権に査察に全面協力する誠意があったかというと、私はその誠意はあまり期待できなかったと思う。サッダーム・フセインは、これまで、「多国籍」連合軍に大敗しているにもかかわらず勝利を宣言したり、バグダードが空爆されても自分のほうが勝ったような態度をとったりして、それによって権力基盤を強化してきた。そういう詐術的なレトリックを駆使する政治指導者である。いまになって誠実に査察に協力するとは思えない。サッダーム・フセインにとっては、「誠実に査察に協力すること」ではなく、「誠実に査察に協力しているように見せること」が重要なのだ。

 ただ、だからといって直ちに軍事力で叩いていいということには、やはりならないと思う。

 手続き的に見ても、これまで成立している国連決議は「査察に全面協力しなければ重大な結果を招く」と言っているだけである。それが軍事力行使を示唆しているとしても、どういう態勢で軍事力を行使するかは決めていない。そこまで決めてから軍事行動を起こせば「国際協調」の立場に立っているとは言えるだろう。しかし、軍事行動を起こすことに根強い反対があるなかで軍事行動を起こすのは「国際協調」の立場を超えていると思う。

 湾岸戦争時の停戦決議は根拠になるだろうか。アメリカ合衆国には道義的にこの決議を根拠に戦争を起こす資格はないと私は考えている。先に書いたように、この停戦によって、アメリカ合衆国は、イラク国内の反サッダーム・フセイン政権の動きを封じてしまったのだ。これらの決議を根拠に戦争を起こすならばもっと早くにやっておくべきであった。もちろんこれらの決議は軍事力行使を認める新決議の有力な根拠にはなっただろう。けれども、これらの決議だけを根拠にいま開戦するとすれば、どうしてサッダーム・フセインのシーア派住民弾圧やクルド人弾圧を見過ごしたはるか後になって開戦するのかをきちんと説明しなければならない(小泉首相にも同じことに対する説明責任はあるだろう)。「イラクの人びとをサッダーム・フセインの圧政から解放する」という理由付けについても同じ説明を求められる。

 サッダーム・フセイン政権がテロリストを支援していたという理由づけは開戦理由になるだろうか。

 これについてももっと明瞭な証拠開示が必要だと思う。それも、サッダーム・フセインが国際的テロリスト組織を支援していた証拠と、その国際的テロリスト組織がイギリスなりアメリカなりの国民生活に重大な打撃を与える(または過去に与えた)と判断した証拠と、サッダーム・フセイン政権を撃滅する以外にそのテロリストの攻撃を阻止する方法がないと判断した証拠と、逆に、サッダーム・フセイン体制が倒れればそのテロリスト組織の行動を阻止することができるという証拠とである。

 サッダーム・フセインのバース党政権は、一貫してイスラム原理主義勢力と対決してきた。イスラム原理主義勢力は、脱宗教的傾向を持つアラブ民族主義には批判的で、アラブ各国で両勢力は衝突してきた過去がある。普通に考えれば、アラブ民族主義のサッダーム・フセイン政権とイスラム原理主義集団がそうかんたんに相手に気を許しあうはずはない。

 【補記】  こう書いていたら、サッダーム・フセインがテレビで「ジハード」を呼びかけたというニュースが放送された。湾岸戦争以来、確かにサッダーム・フセインは「イスラム」という立場を強調するようになっている。サッダーム・フセインは、あれ以来、イスラム原理主義の立場に近づいたと判断していいのだろうか? 私にはよくわからない。ただ、サッダーム・フセインやその政権の性格からして、イスラム原理主義組織といちおうの同盟関係になることはあったとしても、最後の成果は自分の側に確保しようとするだろう。イスラム原理主義勢力側もサッダーム・フセイン政権を全面的に信頼することはやはりないだろうと思うのだが。

 たしかに、テロリストのことであるから、追いつめられれば互いに手を携えるかも知れない。いや、テロリストでなくても、中米の共産主義勢力に手を焼いていたアメリカ合衆国共和党政権自身が、憎んでもあまりあるはずのイランと裏取引した過去もある。前回の世界貿易センター爆破テロがサッダーム・フセイン政権の差し金であるという説もあり、サッダーム・フセインがテロと無縁だとは言い切れなさそうな面を持っている。

 だが、それにしても、現在のアメリカの一方的な発表だけでは、やはり戦争を起こす理由には不十分だと思う。

 だいたい、アル・カーイダという組織の実態はどういうものなのだろうか。ウサーマ・ビン‐ラーディンが指導者ということになっているらしいが、その指示がどこまでの権威を持っているのだろうか。ウサーマ・ビン‐ラーディンを頂点とする軍隊的な規律が行き渡っているのか、それとも、各地で活動するテロリスト組織が寄り集まっただけにすぎないのか。たぶん実態はその両方の中間なのだろうと思う。

 アメリカ合衆国の持つ情報収集力からして、アメリカは発表されていない情報をかなり持っていて不思議でないと思う。もし持っているのならば、世界をテロの脅威から守るために、ぜひその多くを開示してほしいものだと思う。

 サッダーム・フセイン政権が大量破壊兵器を開発し、持っている可能性が大きいと言っても、その兵器をアメリカ合衆国にまで届けるためのミサイルは持っていなさそうである。通称「テポドン」(ご本人たちは別の名まえで呼んでいるのだろうけど)を持っている北朝鮮とは違う。

 そうだとすると、テロリストがアメリカやイギリスに生物・化学兵器を手で持ちこむ可能性はあり得るけれども、サッダーム・フセイン政権の大量破壊兵器の被害を受ける可能性は、イラク近隣諸国のほうがずっと大きかったことになる。イラク近隣諸国がイラクの脅威を訴えて軍事行動を求めたのならば、今回の軍事行動はあるいは正当なものと認められただろうと思う。

 また、イラクで、サッダーム・フセイン政権の弾圧を受けた人たちが強力に戦争によって自分たちを解放してほしいと求めたのでも、軍事行動を正当化できたかも知れない。

 しかし今回の主な動きは逆だったように見える。アメリカとイギリスが軍事行動へと動き出し、その動きが大詰めの段階に達してから、湾岸諸国がようやくサッダーム・フセインに亡命を求める意見を明らかにした。アメリカやイギリスは、イラクの反サッダーム・フセイン体制勢力を糾合しようと努めてはいる。しかし、内部対立が激しくて一つにまとまれないし、そのうえ、先に書いたように「途中ではしごをはずされた」という過去の経緯もあって、これらの反体制勢力が米英を十全に信頼しきっていない。イラク反体制勢力とアメリカ・イギリスががっちりと手を組み合っているとはとても言えない状況だ。

 こういうことを考えると、アメリカ・イギリスは外交面でベストを尽くしたとは言えない。国連のやり方がよかったとも言えなさそうだけれど、アメリカ・イギリスだって反サッダーム・フセイン外交のやり方は拙劣だった。それが行き詰まったからといって、いきなり軍事行動に移るというのは乱暴だろうと私は思う。


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