イラク戦争について思うこと

清瀬 六朗



5.

 ここまでの議論では、超大国の優位性について語ってきた。こんどは、その優位性も相対的なものであって、限界があることを論じてみたい。

 超大国としてのアメリカに優位性があると言っても、それはやはり相対的な優位に過ぎない。

 たしかにテロリスト組織に対しては絶対的と言ってもいいほどの優位をもっている。相手が国際的に組織されたテロリスト組織だったとしても、軍事力で対決すれば優位に立つことができる。また、軍事的・経済的な小国に対しても、やっぱりアメリカ合衆国の優位性はかなり大きなものだろう。

 けれども、中規模以上の国に対して、アメリカ合衆国はそれほど一方的な優位に立っているわけではない。軍事的には、アメリカは、中規模の国が相手でも、二つを同時に相手にして別々の戦線で戦うのはけっこうしんどいらしい。航空母艦の数が12隻という点から言っても、世界中のあちこちに同時に介入するのは、不可能ではないにしてもかなり困難だ。まして、フランスやドイツなどのある程度以上の大国ならば、それを敵にして戦うには、最終的には勝てるとしたところで、かなりの困難を覚悟しなければならない。

 さらに、アメリカ合衆国を支えているのは圧倒的な経済力である。この経済は外に貿易相手があって、その外の貿易相手国とのあいだにドルと品物が循環していなければ支えることができない。日本も中国もヨーロッパも貿易相手国としてのアメリカなしではやっていけないけれども、アメリカも日本や中国やヨーロッパが貿易相手国でなくなればけっこう困るのだ。

 だから、アメリカ合衆国が超大国だといっても、他の大国と決定的な敵対関係になることはできるだけ避けようとする。

 国家が相手のばあいには、アメリカ合衆国はそれほど優位な立場に立っているわけではない。とくに、相手が並みの大国であれば、アメリカはやっぱり相手を慎重に扱わざるを得ない。

 ところで、ここまで、私は国家の力を主として軍事力によって語ってきた。このことにも批判があるだろうと思う。国家の力は軍事力だけではない。経済力もあるし、学術的な水準とか人材を育成する力とか外交技術の持つ力とか軍事以外の分野での国際貢献度とかその国の理念が持つ影響力とかの「ソフトパワー」もある。そういう要素を私はぜんぶ抜かして議論しているじゃないかという批判である。

 そういう批判にも理があることは認めたい。ここでそのような批判にとりあえず答えを示しておきたい。

 まず、ここでは戦争について議論している。したがって、ここでは、戦争を最も大きく左右する「国力」としての軍事力をまず重視することになる。経済の話をしているのだったらもっと経済力や経済理論の話をしただろう。

 次に、私は国家の力の根源はやはり軍事力であると認識したほうがいいのではないかと思っている。

 軍事力以外の力は無意味だと言っているのではない。とくに、経済力は軍事力の量や質や持続力を支える力なので、軍事力を論じる際にも重要だ。また、外交によって強固な同盟関係を形づくることができれば、自国の軍事負担は少ないままで安全を確保することもできるので、外交技術も重要である。国際的に声望の高い国家は、やはり国際的に非難されている国よりも攻撃されにくいだろう。したがって、国際的な声望を高くするための宣伝力や宣伝技術も重要だ。

 経済力、外交技術、国際的な声望、宣伝力や人材の力などは、軍事力に関連づけなくても、国際関係のなかで独自の価値を持っているはずだ。たとえば、アメリカやロシアの宇宙技術は、軍事的意味もあるが、遠くの銀河の観測など、軍事とはあまり関係のなさそうな分野でも意味を持っている。それがアメリカやロシアの国際的な影響力を高めることにつながっているのも確かだ。

 ただ、人間が文化的な要素に気を配ることができるようになるのは、まずその身体が暴力にさらされない安全が確保され、次に食うものの心配がなくなってからだということには注意しなければならない。もちろん、その日の生存を保障されない人にも、その日の食い物にも困る人にも文化はある。しかし、そのような人たちの文化は、即時に国際的な力の根源になることはない。

 したがって、軍事力と経済力とその他の文化的な力を並列で並べるのはやはりまちがいだと思う。その国の力の及ばない場所から加えられるかも知れない暴力からその国の人たちの身体の安全を守るのが軍事力である。その軍事力がやはり国家の力のいちばんの基礎にあると考えるべきではないだろうか。そして、その次に基礎になっているのが、人びとに食うものの心配をさせないための経済力である。その他の「ソフトパワー」は、軍事力と経済力の基礎の上で十分な力を発揮できるものだと私は思う。

 ただし、この軍事力や経済力は、必ずしも自分の国の軍事力や経済力である必要はない。外交によって同盟関係を締結し、他の国の軍事力で自分の国の安全を保障するという方法もあるし、他の国の経済圏に入ってその経済圏のなかで生存をはかるという方法もある。ただ、他国の軍事力で安全保障を図ったり、他国の経済圏で自分の国の国民の経済生活を守ったりしたからといって、その国にとって軍事力や経済力が無意味になったことを意味しない。自分の国の軍事力で自分の国を守っている国が自国からの軍事力の調達に苦心しなければならないのと同様に、他の国の軍事力で自分の国を守ってもらっている国は、その他国の軍事力を確保しつづけるために何らかの努力をしなければならない。国内で徴兵のためのコストを負担するかわりに、外交面でのコストを負担しなければならなくなる。その違いがあるだけである。

 さらに、もう一つ、文化的な面での「ソフトパワー」という要素を考え、そして軍事力という要素を無視したとしても、アメリカ合衆国が超大国であることにはかわりがない。アメリカ合衆国はNASAもハーヴァード大学も持っている。アメリカ以外の大陸で発生した伝染病だってアメリカ合衆国の研究機関の協力なしに解明するのはかなり手間になる。ディズニーの本拠もアメリカだし、マイクロソフトもインテルもアメリカの企業だ。

 さらに、アメリカ合衆国の持つ政治的・経済的自由主義と、それに基づく議会制民主主義、自由市場経済という制度は、世界的な通用力をもっている。いかに「グローバル・スタンダードはじつはアメリカン・スタンダードに過ぎない」という批判を受けたとしても、議会制民主主義と自由市場経済に替わるモデルは現在の世界では通用力は持たない(かつてはソ連型社会主義というモデルがあったわけだが、それは失敗した)。せいぜいそれを変形して適用するだけであり、「アメリカン・スタンダードを押しつけるな」という議論は、せいぜいその変形を擁護するための主張として使われるだけだ。「東洋的美徳」を強調する東南アジアの指導者も議会制民主主義や自由市場経済を全面否定はしていない。イスラム圏の国家の多くも国家体制としては議会制民主主義を認めている。経済については、イスラム教が利子を禁じていてそれを厳格に守らなければならないため、私たちの国のような銀行を経営するのは困難だ。しかし、投資によって儲けることは別に禁止されていないから、投資というかたちでイスラム教に忠実な国が自由市場経済に入ってくることはできる。

 だから、現在の世界で、政治的・経済的自由主義、議会制民主主義、自由市場経済の「本国」としてのアメリカの影響力は絶大である。そしてそれがアメリカの戦争を「正義」の戦争にするために大いに役立つ。外国もアメリカが自由と民主主義の国だからとアメリカの戦争を支持してくれる可能性が大きい。少なくとも、苦し紛れにパレスチナ問題を持ち出すぐらいしか普遍的理念に訴えようのないサッダーム・フセインのイラクよりは信頼してもらえそうである。それに、何よりアメリカ国民に対して自由とか民主主義とかいう理念は強くアピールする。

 アメリカの優位の源泉は、アメリカ合衆国ドルが国際的「基軸通貨」となっていることにもある。

 世界の通貨は合衆国ドルを基準に価値を表示される。世界には、そのドルの価値に自分の国の通貨の価値を連動させている「ドル・ペッグ」制をとっている国もある。また世界の貿易もドルで価格を決めて行われることが多い。国際的に通用する債券などでもそうだ。

 これはもともとはアメリカが大量の金を保有していて、その金を基礎にした制度だった。つまり、ドルは金本位制の下での金の代替物として世界の「基軸通貨」の地位を獲得したのだった。だから、アメリカがベトナム戦争の時期にその戦費の調達のためなどにドルを発行しすぎて、その金の保有量を上回ってしまったときに、いちど、合衆国ドルの国際的地位は揺らいだ(これが「ドル・ショック」である)。ちなみに、このドルの地位が揺らいだときに、大量のドルを金と交換するように要求してアメリカに思いっきり嫌がらせをしたのがフランスである。

 けれども、けっきょくドルは、金の裏付けを失っても、やはり世界の「基軸通貨」でありつづけた。1980年代末から90年代はじめにソ連型社会主義圏が崩壊すると、全世界に自由市場経済が広がり、その中心としてのアメリカの立場はさらに強化された。1990年代にアメリカ企業を中心に「IT革命」が進むと、アメリカは情報通信技術産業での中心国家としても世界への影響力を強化した。

 アメリカは、軍事面でも、経済面でも、文化面でも、超大国なのである。その三つの面が「三位一体」となってアメリカの「超大国」の地位を確実なものにしているのだ。

 だから、現在の世界は、現実には、対等の諸国の国際関係によって成り立っているのではない。超大国アメリカを頂点とし、そのアメリカに全面的に反抗することのできない大国をその周辺に配した階統構造(いわゆる「ピラミッド型の構造」)によって成り立っている。それはアメリカを中心とする軍事同盟関係や経済関係によって支えられている。


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