イラク戦争について思うこと

清瀬 六朗



8.

 1990年代の国際社会の雰囲気に話を戻そう。

 第二次世界大戦末期に連合国が考えた大戦後の世界秩序構想によって、国連安保理常任理事国五か国体制はつくられた。それは、連合国の主要五か国が戦後世界を協調して主導していくという国際協調体制であった。その理念は、ともかくも当時の主要的であった「ファシズム」的な独裁体制の否定であり、民主主義体制の擁護であったはずだ。五か国が協調できないばあいのために、五か国それぞれに拒否権が与えられ、常任理事国五か国が一致できない問題では国連は動かないことが定められた。

 ところが、実際には1940年代末期から冷戦が始まり、アメリカ合衆国とソ連が対立する立場になってしまったために、その国際協調体制は実現しなかった。アメリカ合衆国はソ連やソ連の同盟国の体制をナチス・ドイツと同じような「全体主義」的な独裁だと非難した。ソ連は、逆に、資本主義国の体制を「独占資本」(う〜むなつかしいことばだ!)の言うなりの非民主的な体制だと非難して、自分たちの体制のほうがずっと民主的だと言い返した。そんな下で、国連が民主主義を目指す国際協調体制をとれるはずがなかった。米ソの意見が一致しなかったために、1980年代まで、国連安保理は動きを封じられたままだった。

 1990年代になって、ソ連がソ連型社会主義を放棄して民主化したために、「民主化」を警戒する中国さえ反対に回らなければ、大国間の協調が再び可能になったのだ。五大国の協調による世界秩序の維持という目標が達成可能になったように見えた。そして、その国際協調の理念は、国連創設時の理念にさかのぼれば、ファシズム的独裁や軍事独裁を否定し、民主主義を実現するという理念であるべきだった。

 それはアメリカ合衆国の理念ともいちおう一致していた。国連決議を実現するためにアメリカ合衆国が主導して国際的な連合軍を組織し、ばあいによっては軍事力を行使するというモデルができた。その目的は平和と民主主義の実現であり、非民主的な独裁者の打倒であった。ソ連型社会主義体制の崩壊を経験したために、自由と民主主義と平和と人権の尊重は一つのセットになっているという感覚がこの時期の国際社会には共有されていた。

 国連が常に一致できたとは限らない。たとえば、一連の南スラブ地域(「旧ユーゴスラヴィア」)の紛争では、ロシアがセルビアと親しい関係にあったために、国連の意見は一致することができなかった。それでも、国連の大多数の意見を体現するかたちでアメリカ合衆国が中心になって軍事力を行使することは行われた。南スラブ地域での紛争では、かつて「東側」の軍事力に対抗するために創設されたNATO(北大西洋条約機構)が活用された。

 国連は国連憲章をはじめとする各種の国際条約によって支えられている。一方で、アメリカ合衆国は、このNATOや日米安保条約体制など、軍事協定によって世界に軍事力を展開し、それがアメリカ合衆国の国際性を支えている。国連とは別に活動しているときも、アメリカ合衆国の国際的活動は国連とは異なる国際体制によって裏付けられているのである。そのことはいちおう確認しておいたほうがいいだろう。

 国際協調体制は自由とか民主主義とか平和とかの問題以外にも拡げられていった。たとえば環境問題である。冷戦終結後、「地球温暖化」のもたらす問題が盛んに議論されるようになり、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出制限が国際的に合意された。また、相次ぐ国際紛争に国際協調体制が関わりを持つようになって、戦争犯罪や独裁体制下での人権蹂躙(じゅうりん)も国際社会が主体的に裁くことが求められるようになってきた。「地球温暖化」問題の解決のために定められたのが京都議定書であり、戦争犯罪や人権弾圧の罪を国際的に裁くために設置が合意されたのが国際刑事裁判所である。

 さらに国際的な貿易ルールの統一も問題になった。これは、1990年代の冷戦終結によって一挙に動き出した問題ではない。それ以前から、諸資本主義国を中心に「関税と貿易に関する一般協定」(GATT(ガット))として運用されていたものが、1990年代に入って、もとの社会主義国も含めたかたちでWTOの設立に合意したのである。ただ、ここでも、やはり自由市場経済と自由貿易が望ましいというかたちでの国際協調体制が実現したのは確かである。そして、それは、やはり冷戦体制崩壊による自由と民主主義と資本主義の勝利という流れが強く影響を与えている。

 だが、このような国際協調体制を支えていくためには、それぞれの国家がその国際協調体制に対応していく必要がある。「国際協調体制に対応する」といえば何かうるわしいことのようでもあるが、実際には、国際協調のために国益を犠牲にしなければならなくなる。国際協調のために、それまでならば払わなくてよかったコストを負担しなければならなくなったり、それまでならどこからも文句を言われずに得られた利益を手にすることができなくなったりする。ばあいによってはその国の国民の生活や文化が変わってしまうこともあり得る。

 真に国際協調体制を支えるためには、国家は、その権利や権益の一部を放棄しなければならない。しかも、国家によって条件が異なる以上、その権利や権益を犠牲にする程度はどこの国も同じようにというわけにはいかない。さらに、やはり国家によって条件が異なるから、どの国がどれぐらい得をしてどれぐらい損をしたかが一概には計れない。

 国際協調を実現するためには、その国際協調体制に参加しているそれぞれの国家に自制が求められるのだ。しかも、ばあいによってはかなり大きな自制を求められることになる。

 しかし、国家とは自制しにくい存在である。

 人間どうしのつきあいならば、何人かで仲よくしていくために、自分の性格を変えるとか、自分の生来の主張を抑えるとかいうことはできるだろう。ところが国家はそうはいかない。

 ヨーロッパの絶対主義時代のように、国家が一人の君主(皇帝とか国王とか、ばあいによっては「大公」とか)のものという観念があった時代には、まだ国家間のつきあいを個人のつきあいになぞらえることはできたかも知れない。国家間のつきあいとは君主たちのつきあいとみなすことができたからだ。この絶対主義時代を代表する国王であるフランスのルイ一四世は「朕は国家なり(国王である私こそが国家そのものだ)」と言ったと伝えられる。そして、この絶対主義時代の外交は君主と君主の外交として展開された。この時代には、外交使節は君主の代表として外交を展開したのである。

 しかし民主主義の国家ではそうはいかない。

 現実がどうかということはともかくとして、モデルとして整理してみよう。

 民主主義国家は、国民が政府にその要求を実現することを求める。政府は国民の要求を実現しようとするかぎりでのみ国民を支配することが許される。民主主義国家は、政府が国民の要求に反することを実現しようとしたり、国民の要求を実現しようとしなかったりしたばあいには、選挙によって政府を交替させられるような制度をつくっている。

 民主主義国家の国内には複数の政党や政党集団(「ブロック」などと言われる)があって、自分たちが政権を握ったときに実現したい構想とか綱領とかを掲げている。選挙になれば、国民は、その複数の政党や政党集団のなかから、自分の実現してほしいことにいちばん近い構想を掲げている政党を選んで投票する。あるいは、その政党が支持する個人に投票する。それによって、国民のなかの多数が希望した要求が政府によって実現されることになる。

 民主主義の国家というのはそういう構造でできているものだ。

 この過程のなかで民主主義にとっていちばんたいせつな制度は何かといえば選挙である。選挙がなければ、いくら「政府は国民の要求を実現するかぎりで国民を支配することが許される」と言っても、許されないことをやった政府を交替させることができなくなってしまう。したがって、その選挙は、最低限、政府がやりたくないときにはやらないですむような選挙であってはならない。少なくとも定期的に選挙が行われるようにしておく必要がある。また、その選挙が、立候補できる人が政府の意向で制限されたり、投票するときにだれに投票したかが政府によって監視されていたりしてはいけない。定期的で自由な選挙というのが民主主義にとっては必須なのである。

 ところが、ここに問題がある。

 選挙では、複数の政党・政党集団が、それぞれが政権をとったときに実現する予定の構想を掲げて争う。本来は、その政党や政党集団の考えかたに沿ってその構想は決められるべきものだろう。

 しかし、実際に政権を担いうる政党や政党集団が選挙に参加するのは、政党や政党集団の考えを主張することが主目的ではない。選挙に勝って政権を握ることが目的である。そうなると、その政党・政党集団は、選挙に勝つために有利なことならば、なんでも「政権をとったら実現したいこと」のなかに含めて、それを公約として選挙戦に臨むことになる。

 それはその政党の従来の主張に沿った内容が多いだろうが、それは、突き放して言ってしまえば、そのほうが投票する人の信頼を得やすいからだ。それまであまり人気のない主張をしていた政党や政治家は、選挙になったらとつぜんそれまでの論調をひっくり返してしまうこともある。そういう人や政党は、不人気な主張をひっくり返すことで得られる支持と、主張をひっくり返したことで失う支持とを天秤にかけて、自分にとって有利なほうを選んだわけだ。もちろんその読みが当たるとは限らないが。

 この自由主義的民主主義の制度は、経済の自由市場経済と同じ発想に基づくものである。製品が市場に出たときに、人びとは、同じ品質ならば安いほうを買う。ある品物が高いのにはそれなりの正当な理由があるかも知れないが、買う人は基本的にはその理由は追及せず、安いほうを買う。自由市場経済では、高い品物があったとしたら、それが高い理由を買う人がいちいち調べて検証して納得しなければならないという発想をとらない。そんなことを買う人に強制したら、ものを買うたびにやたらと手間がかかって、市場がうまく機能しなくなる。それよりは、ものを買う人は「同じ品質のものならば安いものを買う」という想定で話を進めたほうがいい。そのことによって滅びていくものにはとてもたいせつなものもあるかも知れない。しかし、そういうのは少数であって、「同じ品質のものならば安いものを買う」という原則に反するものの大多数は「非効率」なものであって滅びていってかまわないと割り切る。それによって自由市場経済は回っている。

 選挙にも同じような性質があるのだ。選挙に立候補したのがどんな政治家なのか、選挙に出ているのがどんな政党なのかを詳細に調査する義務を国民に押しつけない。選挙のときに何を公約したかだけで判断させる。ほんとうはダーティーな体質の持ち主が「私はクリーンな政治を目指します」と言って選挙に出て、ともかくもクリーンな政治を実現したならば、それでよいことにする。少なくとも、そのダーティーな政治家を選んだ国民の責任は問わない(もちろん、最初からダーティーなことを知って投票したとか、最初からだれが見ても信用できなさそうだったとかいうばあいは別だろうが)。それが選挙である。

 では、どういう公約がいちばん国民の支持を集めるだろうか。

 この問題を詳しく考えるといろいろと難しい問題が出てくる。国民といったって、それはいろんな人の集合体だ。そしてその人たちはそれぞれ農協とか労働組合とか会社とか学校とかいういろんな団体に属している。その団体が、自分の団体に属している人たちを組織して票をとりまとめるということがありうる。宗教もそういう団体の一つとして働くことがある。その結果、けっきょくは、一人一人の国民の判断力にどれだけ訴えたかではなく、そういう団体をどれだけ組織できたかによって当落が決まるということが起こってくる。とくに、日本では、少なくとも1980年代まではこの組織選挙の傾向が強かった。この組織選挙体制から逸脱した人たちが1990年代には無視できない勢力になり、それが「無党派層」などとよばれている。しかし、現在でも、組織選挙の傾向は根強く残っている。

 だが、ここではそういう詳しい検討はしないことにして、もっと単純に考えてみよう。

 国民は、自分がより快適に過ごせるような政治を実現してくれる政府を選ぶ。つまり、自分がより快適に過ごせるような政治を実現すると主張している政党・政党集団や政治家に投票する。自分がしたくないことはなるだけしないですむような政治を、そして、自分がしたいことは思いっきりやれるような政治を実現してくれる政党や政治家を、政府の担当者として選ぶ。逆に、それまで政府を担当していた政党や政治家が、自分がしたいことをさせてくれなかったとか、自分がしたくないことを無理強いしたとか感じたら、その政党や政治家を政府からはずそうとする。

 すると、政党や政治家は、国民ができるだけ快適に過ごせそうな政策を実行することを公約に掲げるようになる。実現可能かどうかはとりあえず問題ではない。ただ、実現できそうもない目標を掲げれば信用してもらえないし、また、掲げた目標を実現できなかったら次の選挙で落とされるわけだから、「実現可能であるように装うこと」や「実現できなかったときに言いわけができるようにしておくこと」が重要になる。

 君主制の時代には、君主はほんとうに誠実である必要はなく、誠実であるように見えることが必要だといわれた。同じように、民主主義国家の選挙の公約は、ほんとうに実現可能である必要はなく、実現可能であるように見えることが必要なのだ。また、国民には、その実現可能性が嘘であったとしてもその嘘を見破る義務は求められていない。そのかわり、嘘をついたとわかったら、その政治家を次の選挙で選ばない自由を与えられている。そういう自由のなかで理想的な政治が実現されていくというのが自由主義的な民主主義の想定なのである。

 その結果として、国民の欲求を満足させないと公約した政党・政治家は政権の座を得られない。だから、政権の座に就くのは、国民の要求をよりたくさん満足させることができると公約した政党・政治家ということになる。そして、政権の座に就いた以上は、その公約を守らないと次の選挙では落とされてしまうから、その公約を守り、なるだけ国民の欲望を最大限に満足させようとする。したがって、民主主義国家の政府は、国民の欲望を最大限に満足させることをその使命とすることになってしまう。

 国民といっても、一人一人を見れば何を快適と考えるかはそれぞれ異なる。だから、国民の欲望を実現するといっても、国民のあいだで実現してほしいかほしくないかで感じかたの分かれるような問題は、十分に実現されないことが多い。そのことは国民も理解している。政治家も「この政策には反対する人が多くて、努力したけど残念ながら実現できませんでした」と言いわけすれば、次の選挙でも「じゃあ、難しいかも知れないけど、これからも努力してください」と支持してもらえるかも知れない。

 しかし、国民のなかで意見が分かれないことを実現しないと、政府を担っている政党・政治家は支持を失う。国内に反対勢力がないのに、なんで実現できないのか、ということになってしまう。その政策を実現することで損をする人がたとえ外国にいても、国内に損をする人がいなければ、国民はやっぱり政府を強く非難するだろう。外国人はとりあえずその政府を選んだ人のなかには入らないからだ。

 だから、民主主義国家は、その国民の利益を最大限にするように行動するという傾向を宿命的に持っている。ばあいによっては、その国民以外の利益を無視してでも、国民の利益をなるだけ大きくしようとする。その国民の利益を国家の下にまとめたものが国益である。民主主義国家は常にその国益を最大限にしようと動く傾向があるのだ。

 ところが、国際協調とは、それぞれの国が国益を犠牲にしてでも、国際社会にとって有益なものを実現しようというものである。それは民主主義国家が宿命的に持っている本質と決定的に矛盾する方向性なのだ。

 したがって「民主主義的な国際協調」というのは、最初から矛盾する要素を本質的に抱えこんでいる。非常に困難な目標なのだ。

 それが可能になるのは、ほかの国の人だって同じような考えかたで同じような感覚を持って生きているんだろうという想定が働くばあいだけである。つまり条件がだいたい同じ国がたくさんあって、国際社会を形づくっているばあいである。それだったら、同じような人たちのなかで、うちの国はたしかにこの面は恵まれているから、恵まれていない国の人に大きく譲ってもいいかな、ということが、わりと考えやすいかも知れない。

 具体的にいうと、「国際協調」が「ヨーロッパ諸国のあいだの国際協調」であったばあいには、まだそういう想定が曲がりなりにも可能だったのである。いまでもEUや共通通貨ユーロ共同体に見られるように、ある程度は可能だ。あと、ヨーロッパのばあい、1000年近く、文字どおり角をつき合わせあって生きてきたので、一般の人たちのレベルにも互いにどこかで妥協しなければたいへんなことになるということが了解できているという要素もある。

 国連の国際協調は、先に書いたように、そういう伝統的なヨーロッパの国際協調の伝統の上に、アメリカ・ソ連・中国を組みこんだかたちで構想されている。しかし、国際社会はいまではヨーロッパの枠を超えて広がっている。文化も違うし、気候も違う、自然条件も違う。貧富の格差も格段に大きい。宗教も異なっている。考えかたや感じかたが根底から異なっている集団が寄り合い所帯をつくっている。それが現在の国際社会だ。だから、国益を超えた国際社会の共同の利益といっても、たとえ「そういうものがあって、それはたいせつなことだ」と頭でわかるところまでは行っても、それを実際の生活感覚のなかにまで活かすところまでは行っていない。

 だいいち、最初のほうで書いたように、いまの国際社会は「どれも同じような国」の集合体ではない。アメリカを頂点とする階統制秩序であって、基本的に不平等がある構造になっているのだ。


前に戻る ○ つづき




はじめに 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13.