●●作者近況●● 

その6 水無月

 6月は水無月、衣更えの季節は過ぎたが、学校の制服、会社の制服は白さが目立つ季節である。セーラー服と言えば、30年程前、唐十郎の状況劇場では、李麗仙他3人娘が、セーラー服で女子高校生の役を舞台の上で演じていた。
 それを見て、少なくとも年令的には、3人共女子高校生には見えないと思っていたが、現在では、舞台ではなく、あらゆる場所で、女子高校生には見えない、役者のような、演技者のような、女子高校生がほとんどである。
 それは、私が高校生であった40年前と比較しての話だが、彼女らを先日行った女子校の学園祭や、電車の中や、コンビニで見かける時制服でなければ、当然女子高校生とは、わからない訳だが、期間限定、場所限定で、制服時にのみ、女子高生という役割を演じている。
それはネクタイ時にのみ、サラリーマンを演じていると思っている、我々と同じなのであろうか、ならば悲しい。

シネマファシスト 連載第6回6月号

キネカ大森で『冷戦』という映画が上映中である。しかしこの映画は5月25日(土)から始まり6月14日(金)まで、わずか3週間で終わってしまう。私たち3人が、2月28日の第一回のマスコミ試写から、3ヶ月かけて宣伝・パブリシティを行ってきた作品である。マスコミ試写を行いリアクションを取り、なんとか紹介記事を1つでも多く取ろうとした作品であるが・・・。ストーリーは簡単に言うとこうである。1人のプロフェッショナルのやくざが罪を犯し、服役し、贖罪の意識もあって足を洗って、かつての仲間が経営するカフェで働く。かつての恋人との間に出来た子供も現れ、新しい恋人も出来て本人はもう、二度とやくざに戻る意識は無い。しかし彼はあまりにもプロであり男気もあるため、対立する組の両方から復帰をせまられる。ラスト、子供が誘拐され、やむにやまれず、ふたたび闘争の現場へと向い、子供、新しい恋人、かつての恋人の腕の中で死す。高倉健、鶴田浩二、菅原文太そのいずれかが主役であったとしたなら、ふたたび、修羅の場へと向う所で「健さん待ってました」と昭和館あたりでは、喝采であったであろう。プログラムピクチャーとは、こういうものだったのだ。日本では死滅し、『冷戦』は香港映画であるが、香港では未だ生きている、スター中心のプログラムピクチャーとは、こういうものであったのだ。『冷戦』を見たマスコミ人の多くは古いと言った。しかし2時間のドラマに、起承転結を求めるとなると、やはりドラマは古くなる。そうでなければ、メチャクチャになるか、不明となるかのどちらかであろう。贖罪なり、子を救うためという意味が、今の時代に合わないと言うのであれば、映画とは基本的に意識を絵で見せるものである。それが古いと言われると映画の社会的成立基盤が徐々にあやうくなってきたのであろうか。

『冷戦』は7/25ビデオリリース。


「冷戦」公式ホームページ
http://www.groove.or.jp/movies/reisen/index.html



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

2001年
3月24日『火垂』
6月16日『天国からきた男たち』
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』


ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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