毎回友人たちに登場してもらい、エッセイを書いてもらうコーナーです。 今年のお題は「影響をうけたモノ」。
第6回の執筆者はテラケンさんです。

●●テラケン自己紹介●●

品行方正な公務員。
レーコさんとは、高校のクラスメートで、授業ノートを借りたり、レコード借りたり一方的にお世話になってました。卒業後、音信不通の時期もあったけど、昨年夏、メイルでもって再び急接近。現在に至ってます。

第6回 「こちらヒューストン」

人類が初めて月に降り立ったのは1969年7月。 もう30年以上も前のことだ。
「あー、こちらイーグル(アポロ11号月着陸船の名前)」
「えー、こちらヒューストン」
という有名なヤリトリ(勿論、英語)を、当時3歳の私が記憶している由もないが、 親父が「月球儀」を見せてくれたのは微かに覚えている。これまで実感は無かったのだけれど、 「僕が影響を受けたもの」の一つかもしれない。


実は最近、「月」に凝っている。 30年前にアポロ17号が採ってきた「月の砂」がどうしても欲しくてNASAに手紙を書き、 少量だが分けてもらった(約300mg)。 月の砂は、殆どが「龍角散」のような細粒なのだけれど、 中には直径0.1mmくらいのオレンジ色、黒色、緑色、無色など色とりどりの半透明の ガラスビーズが入っていて、なんとも神秘的だ(写真1)。顕微鏡で眺めていると時間が 経つのを忘れてしまう。。。


←写真1
月の砂よりピックアップしたガラスビーズ。(顕微鏡にデジカメ据え付けてとったので、ちょっとピンぼけです) 

<解説>空気がない月では、隕石や宇宙塵(大きさ1mm以下の微隕石)が減速することなく秒速数十kmの速度で月面に衝突する為、クレーターを作る。月の砂の多くは、この衝突によって月の母岩が砕け細粒になったものだと考えられている。今回の半透明のガラスビーズの分析からアポロ17号の採集地点では少なくとも、27億年前と37億年前の2回、大きな衝突が起こっていたことが明らかになった。

すっかり気を良くした僕は、月に関する大きな会議が開かれると聞いて、今年3月ヒューストン(テキサス州)に向かった。最先端の研究者がカーボーイハットをかぶりビールを片手に、 月や火星について討論している姿は何ともアメリカンな感じ。 この会議で発表することは若手研究者にとって登竜門らしく、 アットホームでありながらもエキサイティングな会議だった。

会議の空き時間に、会場近くにある、 「月の砂」をくれたNASA Johnson Space Centerを訪ねた。 例のテロの一件以来規制が厳しくなったらしく、 NASAの知人 に頼みこんだのだけれど、文字通り門前払い(写真2)。 仕方がないので、NASAの敷地内を1周する一般人向けの見学ツアーに参加することにした。 アメリカのやんちゃ坊主に混じって「汽車ぽっぽ」型のトロッコに乗るのには少々抵抗があったのだけれど、 宇宙飛行士の訓練をするための擬似スペースシャトルや国際宇宙ステーションの モジュール(写真3,4)、 X-38というスペースシャトルの小型版の開発現場などを見学し、すっかり童心に戻ってしまった。。。
写真2 NASA Johnson Space Centerの正門。


写真3 サターンロケットのモニュメント。

写真4 宇宙飛行士訓練用の擬似スペースシャトル。
(ガラス越しに撮影したので、人影が映っていますが、心霊写真ではありません)

NASAに隣接するSpace Centerという科学館も圧巻だった。子供向けの科学館でも本物志向。日本の科学館では決してお目にかかれない、アポロ17号の帰還カプセ ルや(写真5)、実際に月で採取された岩石(写真6)が、これでもかと言わんばか りにゴロゴロ展示されている。1970年の大阪万国博覧会では「月の石」を見るために何時間も並んだのだけれど、そこには僕しかいなかった。


写真5 アポロ17号の帰還カプセル。

写真6 月の石。手前がアポロ15号、奧の2つがアポロ16号が採取したもの。
初めて月球儀を見たのは3歳の頃。そんな記憶は30年近く完全に忘れ去られていたのに、月の石を目の前にしてフッと思い出した。何故、僕はここに辿り着いた のだろう、「三つ子の魂、百まで」ちゅうことか。。。そんなことを考えながら、気が付いたら半日も月の石を眺めていた。40万km離れているはずの月が、妙に近くに感じられた春の日だった。

「親父、こちらヒューストン」

(了)

(第7回の「読本十人十色」の執筆者は未定ですが、乞うご期待! レーコ)

★テラケンさんオススメのサイト★

NASA ジョンソンスペースセンター(ヒューストン)のHP
http://www.jsc.nasa.gov/
NASAのトップニュースを毎週日本語で紹介してくれるHP
http://www.planetary.or.jp/
月の石が欲しければ、ここへ
http://www-curator.jsc.nasa.gov/curator/curator.htm


★テラケンからトヨダさんへのメッセージ★
はじめまして。初対面の筈なのに「奧の奧の感覚」を読んで、何故か懐かしい気持 ちになりました。
トヨダさんほど感受性は強くありませんが、どんなに落ち込んでいても「行くと、 必ず体の奧から沸々とやる気が出てくる場所」っていうのがあります。トヨダさんの 言葉を借りると「スイッチがはいる」というのでしょうか。最近は、煮詰まった日々 を送っているので、また今度、行ってみよう〜っと。。。


(レーコより)
高校時代の友人、2人目の登場です!自己紹介で「(私から)レコードを借りたり・・・」とありますが、貸したレコードは当時私が夢中になっていたRCサクセションでした。そして、確かに授業ノートは貸したことありますが、これはテラケンが「アホ」だったのではなく、多分その時授業を聞いてなかったからです。居眠りもしてなかったっけー?実は学年きってのスーパー秀才だったテラケンから、宿題の答え合わせしてる時、隣から「ノートみして」(=見せて)とボソッと言われて「いやや〜、なんでこんな賢いコにノート見せなあかんねん。私が文法苦手なんがばれてしまう〜」といやいや見せたこと覚えてます。今となっては懐かしい(涙)。

どんな学校にも不思議とみんなから注目される生徒がいると思いますが、テラケンはそういった生徒のひとりでしたねー。どうやら本人はあまり自覚がないようなんですけど。「モテモテ」という訳ではなかったものの(テラケン、ごめんなさい!)、今、かつての同級生たち(女子)は「テラケン」という言葉に、みななぜか顔をほころばせ、懐かしそうな顔をして、高校生のテラケンが残した数々のエピソードを語りはじめるんですよ。「あの球技大会の時なあ」「ほらあの遠足の時!」とか。みんなよく覚えてるなっていうほど。
ガリ勉のイメージとはほど遠く、丸刈りでちょっとイカつい雰囲気を漂わせていた、怪男児のテラケン(前回のトヨダさんが愛する「南方熊楠」のイメージに近いかも)。受験シーズンがやってきて、誰かが「テラケン、理系の大学いってロケット作りたいんやって」て言ってたっけ。その頃からもう今の道に進もうとしてたんだねー。そして、決心させてくれた人が私が大の苦手としていた物理の先生だったとは。私、物理の授業、ほんまに拷問のようやったのに。同じ学校で同じ授業受けててもこんなに違うのね。エッセイ読んで、ほんと懐かしさがこみ上げました。
今回はエッセイ書いてくれて本当にありがとう!「月の砂」私も欲しくなりました。これからも時々メールで近況報告しましょー!

→「読本 十人十色」バックナンバー
1「筒井康隆礼賛」by よねお
2「デス・スターの溝」by KITT
3「恋い焦がれる」by マサコ
4「おれがすき。」by こばやし
5「奥の奥の感覚」by トヨダ
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