羊通信 2001.3.1〜4.26

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■ラカンの「分裂病」とは?・・・   2001/4/26


ますますポストモダン?つーことで、
『不過視なものの世界』をダシにしてポストモダン状況をチェックするとゆーポストモダンなまったり企画の第6回目。



●ラカンの「分裂病」とは?
○『不可視なものの世界』「精神分析の世界 斎藤環との対話」のP34より



   ラカン理論における分裂病理解は、
   とにかく象徴界が機能しない、もしくは成立しないというところまでで。
   それ以上の分裂病の多様性は一切語れないというのが前提なんです。(斎藤環)



へえ、だとすると、82年の時点でラカンの限界を指摘して注目を浴びた浅田さんのテキスト「ラカン」って
やっぱりスゴいですねえ。これに新入生へのマニフェストをくっつけて翌年発行されたのが『構造と力』ですが、
やっぱ未だに浅田さんは超えられていないのかなあ? 


「モデルとして理想化された分裂病者には、確かに象徴界がない」だって。きゃははは

これこそ「象徴界がない」ことを指示決定にしたナントカワールドで、
この「モデル」どーりの現実があると思い込むとすれば、それこそ分裂病だから。
いきなり他者に対して怒ったりビビったりするのは、
自分が勝手にデッチ上げた指示決定と現実の他者とのギャップが大きいことを示しているに過ぎないです。

その極端なよーな、だけどホントは一般的な例が誤配への不安だね。
そしてホントに問題なのは誤配そのものじゃなくて、そこで不安をひき起こすもの、
不安のモトになってるものでしょ。誤配なんてどこにだってあるもんね。


もちろん「Aは黒、Eは白、Iは赤」ってな具合に勝手に「母音に色を発見」するよーな狂った象徴界認識をしても、
それがランボオなら、これぞ芸術だとかシュールねとか評価されるワケです。けどね、フツーの人が言い出したら
ガイキチなんですね、コレ。その程度のコトでしょ。
そして、もーひとつの大きな問題はここで「ガイキチ」とみなす「フツーの人」の、その根拠は何か?とゆーコトです。
マルクスがずーっとターゲットにしてることですね。これこそ。まあ、マテリアルな関係性なんだけど。カントはちょっと
単純化し過ぎてるかな。

残念ながらとゆーか当然ながらとゆーか浅田さんが主張したよーなスキゾと現実の分裂病的認識は正反対のもの。
他者とゆーマテリアルな存在をちゃんと認識できないとゆー病識があれば現実には致命的です。そして、迷惑。
さらには自己の姿を他者だと思い込むナルッソぶりは幻覚や幻聴としてその辺にあふれてます。
自己の一部を他者だと思うワケさ。これは自己の身体とTPOに対する一次対応の衰弱なんですね。


ところで幻聴や幻覚はあっても幻触や幻味はほとんどないでしょ。
これはそれぞれの感覚と共同性(均質空間による認識≧思考の前提条件)との
対応関係に大きな違いがあるからです。指示決定は共同性の最たるもんだからね。

で、さ。ラカンて何かの役にたつの?
まあ、ラカンの最大の見所?ってパリ・フロイト派を解散したコトかもね。
それにフォーカスしてる東浩紀さんてゆー人ってスゴイ。
ちなみに彼の著作『存在論的、郵便的』こそラカンのパリ・フロイト派解散デリダの内破への誘いとゆー
2つの後継へのスタンスを取り上げた問題作です。これはDG的なエディプス・コンプレックスからの解放より面白いのは確か。
この意味で確かに浅田さんを超えてますね、この人は。ひゃっほー。(^^)v

東さんも東派?を解散したりすれば、立派な大人なんでしゅよ。(笑)
せいぜい世代内コンフリクトはまっとうに受けてみないとね。(^^)v



■小泉優勢?・・・   2001/4/22


ふーん、自民党総裁選挙は小泉さんが優勢なんだね。
地方の票数を140(本来は自治体数からして300くらいあるハズ)だかに減らして、
議員の票数(300ナントカ)で優勢な橋本を勝たせよーとしてた執行部や主流派のザマが見ものだけど、
さすがあ京都で共産党時代から駆け引きと粘りでショーブして来た野中さんは、ズルイ!
小泉優勢は「時代の流れだから」とかいってケロッとしとるやんけ。
野中さんに引っ張り出された上に、かつての独自の政策は禁じられた橋本さんて、単なるピエロかや?
単ピロ、っつーことかい。
ひでえなあ、ヒデエ。

橋本首相の時の「アメリカ国債を売ってしまいたい」とゆージョーダンで
ニューヨークの株価がドーンっと落ちたのは面白かったのにな、っと。

アメリカにでも中国にでもハッキリものは言ってもらいたいもんです。


で、小泉さん。
ついこの前に反乱し損ねた加藤さんや山崎さんらとともにYKKなのは有名。
確かに自民党内じゃ改革派でしょー。

小泉さんの主張でスゴかったのは郵政事業民営化と、
財政投融資の見直しと公開だね。

郵政省が郵貯の預金を大蔵省に貸出してるのが財政投融資。
現時点でも郵貯は250兆円くらいあるでしょ。
この数百兆円のお金が持ち主である国民への説明なしで大蔵省なんかへ貸出されて運用されてるワケね。
しかも政府外郭団体や何かの維持費だけで1年に100兆円くらいは無駄に消えてくでしょ。

これに文句を言ったのは小泉さんだけ。
菅直人さんがエイズ問題を究明しつつ、
郵政大臣だった小泉さんが財政投融資や郵政事業の問題をキビシク指摘してた頃の橋本内閣は
それなりに良かったんだけどねえ。
日米ガイドラインの事前検討時に首相にウソついた外務省北米局長はその日に更迭だしい、
預金保険機構の積立金額で首相にウソついた大蔵省の誰かさんもその後退官させられたでしょ。

テメーがいちばんだと思ってる官僚を処断するのってスッキリするじゃん。
そーゆーコトできる自民党の人ってほとんど皆無だからねえ。

まあ4人の中じゃや小泉さんの革命ぶりに期待するしかないけど。
YKKも少しはまともなコトしてちょ。

まあ、どーコロがったって自民党内閣だけどさ。

小泉じゃイヤだって騒いでる公明党って何なんだよ。
台湾の李トウキの入国だって反対するし。
何、アレ?
落ち目の宗教はコワいなあ。



■「自分たちのイメージ」とは?・・・   2001/4/20


コリずにとゆーことで、
『不過視なものの世界』のコメントを気まぐれにチェックするとゆー労働節約型な他力本願の第5回目。



●「自分たちのイメージ」とは?
○『不可視なものの世界』「精神分析の世界 斎藤環との対話」のP25より



   そのような言説が求められ、
   ひとびとがそれで自分たちのイメージを作っているのであれば、
   ここには何らかの必然性があるはずなんですよ。(東浩紀)



「そのような言説」とゆーのはタークルという人が書いた『接続された心』という本のコト。
内容はOSだかインターフェースだかをポストモダンの自我モデルにしたサイバースペースの精神分析だとか。
ふーん。それはそーゆー発想をする人のそーゆー内容の本なんでしょね。

そして、マックのよーな自我をもっていて「ウインドウを切り替るように人格を切り替ることができる」のが
「ポストモダンのわれわれ」だとかゆー主張、らしいんですが。

どーしてそーなっちゃうの?ってゆー東さんの疑問はきわめて正しく必要なコトです。
問題は東さんが指摘してるとおりで、そーゆー言説が求められてる理由ですね。


考えてみると「自分たちのイメージ」は「自分たち」で「作っている」んで、
その「必然性」は「自分たち」にあるワケです。
まず、フレームとしては、そーゆーことだし、そーゆーことでしかないでしょー。
要は、やっぱ、自己言及つーこと。


サイバースペースを含めた環境世界やTPOに対して、
鈍磨した感覚と低下した認識力でアプローチしても、
何の価値も意味も見い出すことができないのは不思議じゃなく当然。
せいぜい弱化した想像界認識でモニター画面への同着からウインドウのスタックみたいに
他者への関係性をでっち上げて、予期外の対応されるとキレてるガキのザマは、
正真正銘のお笑いでしょー。バブル以降のお笑いのベースにオタク・サブカル系のウケ笑いが見え隠れする無気味は、
まあ、ホントの笑いだもんね。もちろん二度目の。
なんつたって、ここ10年だか20年だかの前頭葉の未発達つー調査結果はコワイでしゅが。


サイバースペースを支えるマテリアルやテクノロジーは、それこそ単なるマテリアルなリソースに過ぎません。
光ファイバーだろーがWindowsだろーがMacだろーが、ね。


「ウインドウを切り替るように人格を切り替ることができる」よーにみえたり思えたりする、
とゆーよーに認識されるとゆーことは認識主体の側の問題であって、
ティラノザウルスがお散歩してた時代からミュール落下が観光になる現在まで、
環境世界のマテリアルには何の変化もないよ、ってなコトです。リソースのマテリアルな意味に変化はないから。
たとえば酸素呼吸が珪素呼吸に変わったワケでもないし、さ。

世界の見え方が違ったら、まず、自分の見方を考えてみるコト。
自分本位にしか発想できないとしても、この程度の前提は共有できないと、
コマッタチャンですよね。基本的な自己言及、対自的認識ですよん。

まあ、ナルッソって、それが全然できないから分裂ボーヤなんだけどさ。
ゲームやモニターやテキスト相手に一方的に認識するだけで、
そのアイテムの総称であるサブカルを結界にしてるだけのジャッジは誤配に耐えられないほど脆弱だしい。
自分の見方が変わっただけなのに世界が変わったなんて言ったら終わりなんだけどね。
実際終ってるヤツって多いし。

ランボーでもマルクスでもちゃんと読んでちょ。


もちろん、対他関係を共同性のレベルまで遠隔化しても同じこと。
物語の消失は世界への関係意識の変化であって、
別に世界が変わったワケじゃないです。
新たに世界がデータベースになったワケでもないし。
世界は最初からリソースでありデータなんだから。
「ティラノザウルスがお散歩してた時代からミュール落下が観光になる現在まで、
環境世界のマテリアルには何の変化もない」んだからさ。
そこに意味を見い出すのが価値で、価値を見い出すことが意味でしょ。

「京たこ」って美味い? とかさ。ワハハハ


で、どーして美味しいと感じるのか?
とゆーラジカルな疑問をもっていたのがマルクスでーす。
マルクスって、ポストモダーンなんだなあ....(^^;)

おわり



■TKの涙とホルマント構造・・・   2001/4/12


華原の朋ちゃんがTV出演。「オシャレ関係」だっけか。
小室氏と出会った時のエピソードがサイコーでしたね。

スタジオで朋ちゃんに歌ってもらった小室氏は、
その声を聴いて泣いてしまったとか。

朋ちゃんの声が誰の声に似てるかとゆーと、よーく聴くとユーミンに似てます。
少しノイジイな感じ。てゆーかカスレた感じがする声ですね。

これがホルマント構造の聴いてわかる特徴です。

究極のホルマント構造の発声とゆーと、たぶんモンゴルのホーミーでしょー。
自然音の典型である風の音に溶ける人声ですねホーミーって。
母なる大地や自然の声こそホルマント構造なワケです。

ホルマント構造の音は、高調波倍音が協和音成分だけではないために歪みが生じてます。
これがナチュラルな音の特徴。自然音をすべて含むとすれば不協和音を含むのは当然。
なんたって全自然音こそノイズなんだからさ。
機械的にノイズを排除して数理的な整数倍音だけを目指す西欧12音階のモダンとは全く逆の音です。


そんなワケで、
モダンな12音階を音楽だと思ってる鈍麻した感性とアタマの音楽のプロは、
必ずTKを批判し、朋ちゃんやKEIKOの歌を「音程がハズレてる」と非難してきたワケです。
音楽ディレクターとか有名な作曲家がそのザマだからね。

『宇多田ヒカルの作り方』ほどになると、宇多田ヒカルの声は高域が出ていないという嘘をついた上に、
デッチ上げのグラフまで掲載して読者をだまそうとしてます。何コレ? コイツは音楽家のくせに
歌手の声の特性を聴いても把握できないとゆー致命傷的感性の持ち主だなあ。おまけにほとんどの場合に
何の根拠にもならないプロとゆー自覚ゆえの自負がウソまでつかせてるワケ。ひでー、さいてー。
J-POP批評ってバカ多すぎみたい。CSとどっこいどっこいなんだもん。


で、朋ちゃんの声に涙するTKは、
12音階とゆーキレイごとのモダンを打ち破るために、
12音階のテクノロジーのなかで自己言及しました。12音階を内破したワケです。
これがアタマの悪い音楽のプロたちがTKを“音楽理論に沿ってない”“音をハズしてる”という理由です。
ホルマント構造の近似値であるコード音として4度を強調するsus4を多用したアマチュア時代から、
老若男女の別なく団塊オヤジ世代にまでウケてヒットした「DEPARTURES」のAメロまで。
椎名林檎も宇多田ヒカルも、TK的なアプローチが目立つのは日本では数少ないまっとーなサブカル書の
『楕円とガイコツ ― 「小室哲哉の自意識」×「坂本龍一の無意識」』
で指摘されてるとーりです。

スゴイのは中学生3名高校生1名の女の子バンドZONEの
メジャーデビュー曲「GOOD DAYS」のAメロが「DEPARTURES」とほぼ同じ感じで
4度音程のアプローチしてるトコ。


おまけ....
メタルサウンドの典型であるオーバードライブやディストーションのノイジイなサウンドの魅力も、
たぶんホルマント構造にあるでしょー。まあ「21世紀の精神異常者」とかそのまんまなんだけどさ。
キンクリ系は象が鳴いたり、いろいろと苦労してますが、ホルマント構造一発なトコがあります。わははは
リングモジュレーターは、まあ、電子的にインプットを加減積算してノイズ化しますが、
テルミンとかとあわせて演奏する人って今はいないのかねえ、と。
テクノもその程度のコトはやって欲しいですよん。



■エボラ&エイズ・・・   2001/4/12


そーいえば、何日か前の新聞に、
「エボラウイルスとエイズウイルスの合の子をつくった」とゆー記事がありました。



  エボラとエイズの合の子?



     何それ?



....とゆー感想以外はありません。つーか、あり得ません。

エボラみたいにカンタンに感染して、エイズみたいに深ーく人体システムを浸食するとか。

まあエイズウイルスそのものも遺伝子工学で生まれた合の子ちゃんなのは解析されてるし、
WHOはこの件でアメリカを皮肉ってますが。

それにしてもエボラとエイズの合の子だよお。
何考えてんだあ?
そーかあ、考えてねーか、そーだよなー。考えてねーよ、キット。
キットなあ....



■セロトニンとドーパミン・・・   2001/4/12


セロトニンもSSRIも今やポップなお脳の栄養ってな感じの今日この頃ですう。

「ヤシャ」でカッコヨサ爆発させてた伊藤英明さんがマジックマッシュルームで
ラリってラリルレロ騒ぎとか。イレギュラーな栄養つーか、まあ、なんだあ、ふーん、ってな感じ。


「心のアクセル」といわれるのがドーパミン
このドーパミン第四受容体の多型(特定のアミノ酸の繰り返し記述があること)が性格に影響を与えているのは
イスラエルのエブスタインやアメリカのベンジャミンの研究で明らか、ってことらしい。

で....


   ドーパミン第四受容体多型の分布

             7回配列   2回配列

     アメリカ人    48.3%    2.9%
     アジア人      1.9%   18.1%
     日本人       0.0%     -


「心のブレーキ」といわれるのがセロトニン
セロトニン・トランスポーター遺伝子はs遺伝子とl遺伝子があって、
s遺伝子はセロトニンをトランスポートする能力が低く、
この遺伝子を持っていると不安化傾向が強いとか。


             s遺伝子   l遺伝子

     アメリカ人    67.7%    32.3%
     日本人      100.0%     1.7%



■ポストモダンのダイレクトな説明は?・・・   2001/4/10


ニューアカのオンタイムで、比較的いい説明だと思わせてくれたのが、ケインズ。
オタク傾向が強いほどゲーデルだったりベイトソンだったりするのは当然でしょーが。
経済人向けやオヤジ向けを意識した説明とゆーワケでもなく、
ニューアカの巨匠?たちが時々言及してましたね。
外部への交通とゆーなら、こーゆーのでないとダメなのは説明するまでもないんだけどさ。

ケインズの株式投資論(美人コンテスト論)とゆーのがあってえ。
まあ、テキトーにそのつもりになって説明すると
こんなんですかいねえ。


●モダン

普通の経済(学)的な常識やあるいは経済理論だと
「業績が良い企業の株価が上がる」ワケです。
つまり、株価が上がる理由は業績の良さです。
もちろん、下がる理由は業績の悪さですね。
業績が良ければ上がり、業績が悪ければ下がる。
これが、モダンなジャッジの単純な世界です。

でも、これは論理や観念の中だけの、単一の目的や単純な考えの世界です。
一方的な、自分の判断だけの、空想の世界ですね。
そこには自分の認識しかありません。


●現実

現実は違います。
他人が存在し、複数の判断が重層して決定されるのが現実です。
他人は存在するだけではなく、こちらの判断そのものをチェックして、
他人自身の判断を変えていきます。

判断を判断しながら判断していくワケです。


●ポストモダン

ポストモダンのジャッジは、モダンとは全然違います。
「どの企業の株価が上がる(下がる)と思うか?」なんですよ。
すると実際に「業績が悪い」「企業」で「株価が上がる」のもあれば、
「業績が良い」「企業」で「株価が下がる」のもあります。

これは業績に関係なく、
「上がる」とか「下がる」とか各々がバラバラに考えていて、
それぞれがそれぞれの判断でそれぞれに投資行為をするために、
現実に上がったり下がったりするワケです。
直接の上げ下げは人々の投資行為そのものが原因であって、
業績じゃないんですね。

だからポイントは業績の「良い」「悪い」じゃなくて、
人々がどう思うか、なんです。
業績が下がっていても「そのうちに上がるのさ」と思って投資する人がいるし、
業績が良くても「いつ下がるかわからないよ」と思って投資をひかえる人がいます。
すると、現実には投資されたために上がるし、投資がひかえられたために下がります。


   自分が他者をチェックし、
   他者はその自分をチェックし、
   その他者を自分がチェックし....
   そのトートロジーが積分されていくのが現実。


ポストモダンとゆーのは現実を現実のまま認識しようとするコト。
それはバラバラの肯定であり、固定化した認識の否定です。


そのため、ニューアカやポストモダンへの批判は
「バラバラにしやがった」とか「個人のジャッジを主張するだけ」
といったものが大部分。
そして、それはある程度当たってるんですね。
ここから先が問題なんですよ。

オタク論議やサブカル論議のコンフリクトと説得力のなさは、
そーいった問題が隠蔽されてるからですね。
究極の自己言及である自己否定を回避した
脆弱で独り善がりな自己表出を繰り返してもダメ。
否定の否定といった否定神学を含めたオーソドキシーにしかキーはないんですよん。
ポストモダンの解決はモダンの中にしかありませーん。



■消息不明・・・   2001/4/8


3月の最後の日に、作業場の床に落ちてたメモをはじめ、
いろいろなものの処分をスタート。

最初に手に取って、その懐かしい字面から、思わず読んでみたのは、
ある国の都での連絡先を記した連絡メモ。

まあ雑誌を作ってて海外情報ページや旅行ページがあれば、
ニューヨークやロンドンやパリや、てなトコに情報源やライターを手配するのもお仕事。

時々とゆーか毎月のよーにThis is a pen式の英語で電話したりして、
落ち込んだりするんだよ。きゃはは
だって日本人スタッフがいないと話しが出来ないからさあ。

そんなスタッフたちの連絡先や、
なんだかワケのわからないニース辺りのダミー会社っぽいTelexのナンバーや、
おまけに仕事につきものの見積や領収書や、まあ請求書なんかもね。

捨てちゃいましたん、この作業場じゃ。
3月末日から廃棄スタートな感じい、で。

おおー、トレードのデータシートやチャートや
必殺ローソク足くんプリントが数百ページつーか、
いっぱい積んでありますねえ。
さあすがあ守秘義務ゆえにビルの点検業者が入室するのを2年間連続で断わってる
困ったチャンOfficeだけあるわ。ひひひ

しかし、こーゆー連絡先なんかポンポン捨てちゃうと、
二度と連絡取れなくなる人もザクザクいるでしょーねえ。

いいんだよお、それでえ。
もー長いコト消息無しだったりもするんだしい。
生きてりゃ、どっかで会うコトもあるさあ。
5〜6年前からカードや賀状もレスしてないし、
厚さ5cm以上ある数冊の皮のリフィルも、眺めもしないもんね。
大学の研究所や女優さんの自宅や、
作家の愛人宅の電話番号まで載ってる古書だな、こりゃ。(笑)
世界最大の人依存型データセンターみたいな神田の書店街とかにゃ負けるけど。

消息を文字どおり消し去って、アクセス先データをデリートして....
必要なのはメンドーな作業に耐えるコンジョーと栄養だけ、と。
そーいえば、去年だったか、いつだったか、親友の戸籍抹消の証言なんかしたっけ。

ふーん、
ガキのよーな分離不安をよーやく超越すれば、
あらゆる消去は、フントにカンタン、ね。

かわりに、
一期一会なんつーお言葉を噛み締めながらさらに精進するでもなし。

ばん麺のことでワクワクしてたりするのかも。ウフ



■ニューアカ&ポストモダンだあ・・・   2001/4/1


そーいえばどっかでココのことをニューアカの牙城と呼んでたっけ。
お坊っちゃま保守だったか、単なるガキどもだったか。
まあ不本意ながらナントカなタームを使ったりしちゃうんで、
スイマセンな気分は自分あてでもあるんだけどさあ。

ニューアカやポストモダンを実体験したメリットは
何といってもリアルに感得できたコトかもしれないね。
『構造と力』はカタカナが多いとゆーだけでも
専門用語とゆー指示決定にとらわれることなく理解へ誘ってくれたからね。

50円玉を見て「丸い」と思うことと、
その丸さの論理的な厳密さを追って円周率の理論値を「3.1415926」と求めることと、
「22/7」とか「333/106」だなと考えることと、
アイコンっぽく「π」で表現して納得することと。

どれがリアルで有効なのか....じゃなくても、
どれが無駄でバカバカしいか....なんて考えると。
言うまでもないでしょー、そんなこと。

そー、ちょっとしたヒントだね「言うまでもない」というこの文句そのものがさ。
「言われたこと」や「書かれたこと」なんて現実的じゃありゃしない。
少なくとも現実そのものじゃない。だって、そんなもの、せいぜい何かの表現(でしかない)なんだから。
その点、大塚さんや吉本さんの『だいたいで、いいじゃない』ってな主張は微笑ましく現実を突いてるもんな。
大人の考えだし、オヤジの感性だ。宮台さんのオタクぶりを指摘してるトコなんか当たり過ぎだしい。
ニューアカは、ヘーゲル左派にケリをつけるよーに、サブカル論議やぺちゃくちゃにケリをつけるべきだった。
でも、浅田さんは自分一人でケリをつけてスマしてるワケ。
まあ、何かに期待するとすれば、つまり、力を求めることができる先として、
マルクス・ニーチェ・フロイトを示してくれたのは、『構造と力』の親切な古書紹介だったけどさ。


指示決定を集めるコト(=オタク)を柄谷さんは「並べる情熱」とか指摘した。
浅田さんなら「パラノ」だね。
ニューアカ&ポストモダンの二人のスターの指摘にしちゃ文学的でつまらないんだけど、ちょっと新鮮だったか。
心的現象論や斎藤さん式問題提議をウケた後なら、
低次な時間性に確定された高次な空間性とか、日常化した反復常同行為とか、さ。
いろいろアプローチはあるでしょー。
山形さんだったら閉鎖的な自己肯定より「要するに役に立つコトならOK」てな感じかもしれない。

「3.1415926」なんつー感じで指示表出やその厳密性を求めるコトと、
凡庸に「丸いなあ」と思うことと、
どっちのジャッジで現実は動いているか、つーコトね。

みんなの「丸いなあ」という主観を積分して抽象すると「丸さ」の「真理」に近づけると考えたのがカントだ。

誰にでも確実に解るのは、
「3.1415926」とか「π」とかってゆーのは「丸さ」そのものにはあんまり関係ないコトと、
そして、現実とかリアルにはもっと関係ないコト、かな。

現実に関係あるのは、たいてい3つくらいだね。
働いて、食べて、寝ること。

違う?



■PC-VANが終ったんだよね・・・   2001/3/31


PC-VANが2月で終ったとか。インターネットのBIGLOBEに吸収されたつーことなんでしょか。
パソコン通信のPC-VANとNiftyServeは商業ベースでは最大のネットでしたね。
それぞれNECと富士通のプログラマのためのネットだったのを一般向けに商用開放したのが
スタートでしたが。

一般化当時はそれぞれ5000人〜1万人くらいで、
バリバリのアクティヴだらけの濃い世界でした。
ネット上の論争は何度か週刊誌や雑誌に取り上げられて、
「ふーん、そんな世界もあるんだあ」とか思われたワケです。
建築関係の人なんかは名詞にIDを入れてたりね。
知合いの空間プロデューサーが「コンピュータ通信ID」とゆーのを入れていて、
フーンとか思ったもんです。

ネットの上の伝説もいくつかあって、
その主であるかもしれないラオウやケンシロウみたいな人にも会ってみましたん。

リアルなデキゴトとしてはエヴァンゲリオンをヒットさせたとゆーのがありますね。
ネットで話題と人気が増幅された、アレです、アレ。

オタキングや東さんなどもネット上で論議してたり、当時はいろいろと新鮮でしたん。
そのNiftyServeの方はまだまだ存続するみたいですね。
山形さんはNiftyServeがキライらしいけど。ふははは

共産主義国だったブルガリアで党幹部の亡命を手伝わされてKGBに追われた人とか。
金大中さんから年賀状が来たり、自宅に招かれたりしてる人とか。
赤軍派だった人とか。いろいろいたなあ。黒幕で右翼の鞄持ちだった人とか。

プログラマや何かコンピュータ関係者といったニュアンスがあって、自由な雰囲気のPC-VAN。
早くから文系?の論客やアクティヴが集まって、「ヤツらのアクセスあとには草もはえない」と
言われたNiftyServeの面々。

WEBテクノロジーでビジュアルにアプローチするインターネットが早い段階から一般化ポップ化?
したのに比して、文字キャラクターだけだったNiftyServeやPC-VANの文学性?や、
文字だけだからこそ明らかになる個々の人間性とかデキゴトが面白かったです。

文字キャラクターばかりの世界は、まるでメールだけの集積みたいなもん。
チャットも1対1になったりメッセージを拒否したり、コマンドを駆使しての世界でしたね。

映画『アヴァロン』でも重要なファクターが端末の画面なんですが、
それがアイコンではなくキャラクターであることがどれだけリアルでどれだけ予見性があるか、
てなコトも面白いテーマですね。

ビジュアル・インターフェースは大して発展しないだろーしね。
ロシア・アヴァンギャルドや未来派やFRONTのデザインやビジュアルの特徴は、
インターフェースとしての大きな意味があるんですが、
そりゃ、アタマがまとまったら書きましょか、てな感じです。



■道場破りのショウドウつーかさ!?・・・   2001/3/31


『構造と力』のクラインの壷は間違ってるとゆー批判があるのは知ってたんだけど、
画像まで使ってその批判をやってるサイトを見ても何だかピンッ、とこない。
前にインターネットの特集記事とか書いてる時にも読んだことあるんだけど。


仕事や散歩の途中に本屋はよく寄るんで、
新刊のコーナーにあった24ドットのゴシックなコピーが目立つ本を開いてみると、
ハイテイツモなテキストがこの浅田批判の壷物語。
表紙のゴシックなコピーは「社会ケイザイの迷妄に喝!」でレトロにかっこいい。レトロって好きじゃないけどさ。

おまけにタイトルは『山形道場』。
「喝!」に「道場」だよ。
「喝!」に「道場」ってゆーとミヤモトムサシさんな感じでしょ。
まあ、ミヤモトケンジやミヤザワケンジでもいいけどね。こっちの方が手ゴワイしい。

さらに、命かけてそ−なハイテイでテンパッテル壷物語を読んで、?なんですね、やっぱ。
でも....コレってあのWEBの文章かなあ、とか思いながら読むと、なんか同意できるとこもあってハレホロな気分。
で、買ったんだよん。

コリャ、道場破りしたいなあ、とか思いつつ、いい道場だなあ、とゆー気持ちも自己増殖しちゃう。
なるほど、このニューアカ批判とかポストモダン批判とか、あとがき直前の
ハイデガーをファイトクラブに引きずり出して殴りたがってるよーな文章とか、いいんだよ、スゴク
でも否定するだけじゃ、ダメだあ。批判には全面肯定が前提としてないと、ね。

ボクはコピーや企画を書くくせに文章ヘタで、
アタマのニューロンネットのおかげで倒置法でしか表出できないとゆー病と年齢分だけ闘ってきてる。
そんな病人が他者をジャッジしちゃあかんとか思いながら、どこがいいんだろーと思うと、
いろんなテキストがいろんな細々としたコトについて書かれながら、
いつも道場のポリシーだかコンセプトだかにフィードバックしてる。
ウン、こーゆースタイルって倫理なしにはムズカシイはず。

まえがきで思いっきり投げつけて、壷物語でケリをつけて、最後にその理由を明かそうとしてるんだなあ。

ふーん、いい道場だわさ。
何発か殴ってみて、あと、いろいろ教えてくれるといいな、とか思っちゃうよなあ。
やっぱ道場の師範て、ガキとは違い過ぎるわん。

アンタ、ガキ?


ところで『構造と力』のクラインの壷ヘの批判はトーゼン批判させてもらいやしょー。
今日はリンクだけだけどさ。
カンタンにだけど、もう一度書いてみます。
あとでね。



■「ひきこもり」とは?・・・   2001/3/30


とゆーことで、『不過視なものの世界』のコメントをテキトーにチェックするとゆー安易な他力本願の第4回目。



●「ひきこもり」とは?
○『不可視なものの世界』「精神分析の世界 斎藤環との対話」のP21より



   想像的な外傷に対する妙な肯定性が強まっていく中で、
   疎外されるのが「ひきこもり」の人たちなんですよ。
   「ひきこもり」の人というのは基本的に、
   他人に語りうるような事実としての外傷をもっていまえせん。
   そうなると自分の特権性を主張するものが何もなくなってしまう。
   外傷をもてないがゆえにひきこもるといった、
   逆説的な疎外効果というのはすごく大きいと思います。(斎藤環)



これはもう「ひきこもり」の専門家?である斎藤さんならではの分析ですね!

「他人に語りうるような事実としての外傷」をもっていない「ひきこもり」の人「外傷がないゆえにひきこもるといった、逆説的な疎外効果」によってひきこもるという
悪循環にとらわれていることが指摘されてます。

この斎藤さんの指摘にうなずいたりホッとした人って多いんじゃないかなあ。


ニューアカをフラッグとするポストモダンの雰囲気はオタクも電波もガイキチも表層化させました。
9割が中流を自称する新中間層の商品アイテムとしてサブカルや裏ネタの商標が承認されたワケです。
商標つまりブランドをつければ何でも流通するのが資本主義なワケで、オタクや電波であることが
“ウリ(売り)”にもなるワケですね。少なくとも“ウケ(受け)”にはなりました。
それが業界裏ネタ以降のサブカル隆盛の実態だから。

そーやって親や家族や周囲から承認されることのなかった存在でも、その負わされたトラウマゆえに
「外傷のナルシシックな肯定」が可能になりました。よかったなあ、と。エヴァンゲリオンのシンジ君が
「ボクはシンジでーす」とゆーよーにナルシスに自己肯定する姿はどこでも見られます。
小説でも『永遠の仔』の大ヒットのようにトラウマは売れるし、友だちが口をきいてくれない程度のことが
トラウマの口実として問題視されたりするワケです。トラウマを保障する指示表出が社会にあふれてるワケね。
要はそういった指示表出をハンドリングすることができればOKなんですよ。その程度のこと、でしょ。


その自己都合で指示表出を振り回す安易な自己肯定の状況にイラ立っている浅田さんなどは
『永遠の仔』を“甘ったれ”と批判したりするんですね。浅田さんは指示表出の羅列では救済できないものや
解決できないことを知っているからです。もちろん、甘ったれなナルッソはスキゾとは全く正反対だしね。

そしてまた斎藤さんも指示表出の表層化以外の場で疎外されていく「ひきこもり」にフォーカスしているワケです。
やっぱ斎藤さんも浅田さんもスルドイですよん。



■ソビエト共産党党章・・・   2001/3/27


小さな赤い七宝焼きみたいなのに、金色のレリーフが載ってるソビエト共産党党章。
この小さなレーニンの顔を見ると思い出すのが、バブル最高のジョーダンだったク
ラブ「ワルシャワ」の壁にあったでかいレーニンのレリーフ。一緒に行った当時の
新人類御三家の一人は「これスターリンじゃん」とか言ってたっけなあ。

世界一の顔ぶれが集まったんで注目されたようなヨルダンのフセイン国王の葬儀で、
もっと注目しちゃったのは参列者に喪服が少なかったこと。黒いネクタイさえ記憶
にないようなニュースの画面がよみがえるワケさ。

どっかの誰かが言ってた「法事に赤いものは御法度だ」とかいうしきたり自慢以外
にアイデンティティを見出せないようなちっぽけな声は無視しても、ちょっと気に
なるのはこの赤い党章のイメージかな。何に見えるのかね、この赤い七宝焼き風の
アクセサリーをつけて法事に行ったら。

アナログ電話器のクズなんかかき集めて黒いバイザーや、拾ってきた金属片を削っ
てポップアートな人型のバッチなんか作ってるハイテックデザイナーのアレックス
さんからもらったアクセサリーのスコーピオン。ロンドンパンクス純正まるだしの。

赤いレーニンにきらきらのスコーピオンをつけて踊ったら腰痛になっちまったんで、
もう東京の不夜城もバイバイしよーとか思いながら、なんかラテン人の溜り場のク
ラブにぴったりだったのが赤い党章とメタルのスコーピオンの組み合せ。

そんなヘンなワンシーンをいくつか浮かべながら庭園美術館へトコトコと出かけて、
スタンドカラーの胸につけた赤い党章と全く同じプロパガンダ思想で構成されたポ
スターやパンフレットを見て満足しちゃう。日本軍参謀本部がつくったプロパガン
ダ誌「FRONT」と同じ様なデザインがずらっと並ぶ壁は、もうソビエト革命の
雰囲気がいっぱい。わかる人だけに異様なのはトロツキ−のものが一つもないこと
かなあ。「戦艦ポチョムキン」が流れてる部屋でぼっーとしてるおばさんなんかも
チラッと眺めながら、無事に「ロシア・アヴァンギャルド展」から帰還。まあ、未
帰還者になる勇気つーのは、もー、ないんだよお。ボクちゃん典型的な自称中間層
だから。うー、わかりやすくゆーと、プチブルね。もちろん階級的なトラウマもな
いしい。その分素直なワケでえ、「構造と力」が解ったりね。つもり、だけどさ。

ソビエト赤軍と党の関係者の法事にも似た格好で出席して、故人に報いたつもりな
のは、ボクにも優しさがあったのか、わかるワケないなあ、自分のコトなんかさあ。

さすが「ロシア・アヴァンギャルド展」の記念品コーナーでBATSUのロシア・
アヴァンギャルド・トレーナーは買えなかったね。5000円もするんだもーん。(^^;)

「ロシア・アヴァンギャルド展」は4月1日まで、東京都庭園美術館で。
羊くんが行った23日はロシアっぽい曇り空でドンヨでしたん。



■「象徴的同一化」とは? 不過視界の精神分析−3・・・   2001/3/24


本日は『不過視なものの世界』のコメントを取り上げて逐次チェックするとゆー安易な他力本願の第3回目。
うわーい、3回も続いたのか。なら4回目もダイジョーブでしょー、たぶん。(^^;) 



●「象徴的同一化」とは?
○『不可視なものの世界』「精神分析の世界 斎藤環との対話」のP18・19より



   ポップスターに向けられた同一化は
   「彼が好きだ」とか「彼のようになりたい」とかいう
   ポジティブな意識で動かされていて、
   これはラカンでは「想像的同一化」と言われる。

   国民国家に向けられる意識は、
   「この国はかくも汚い。であるがゆえに、これを愛す」
   というようなネガティブな弁証法があいだに介在した
   もっと複雑なもので、
   ラカンで言えば「象徴的同一化」です。(東浩紀)



ポジティブな意識の「想像的同一化」と
「ネガティブな弁証法」を介在させた「象徴的同一化」という
ラカンの2つの認識について強調する東さん。

こーゆーところが東さんのスルドイところですね。
前者はポップスターに向けられる心理として、
後者は国家に対する意識として、わかりやすく説明されてるところも魅力です。


カンタンにゆーと前者は肯定性、後者は否定性。
肯定性の認識である想像的同一化については、
全く別のスタンスから「楽しいこと」(という肯定性)を追究したオタキングの『ぼくらの洗脳社会』があります。
オタクのイデオロギーとして読むこともできるスグレた本ですが、同時にその限界もハッキリしてます。
それはこのWEBで繰り返し指摘している“否定性(への考察)の欠如”ですね。


東さんはむしろ否定性である象徴的同一化を重視しているよーでもあります。
こーゆーところが他の同世代人の主張とまったく違って際立っているのが東さんの特徴であり可能性でしょー。

「ポップスターの問題と天皇制の問題」を「同じ」にあつかうようなCSの「混乱」を批判するとともに、
そーいった(混乱した)言説が「人文科学の中で大きな力になっている」事実を直視しています。
この事実を直視できる素直さも東さんの可能性を保障するものですね。


ところで哲学の初歩としての弁証法は<正反合>という三文字?で説明できる基本的な論理ですが、
それは「ネガティブな弁証法」とはチト違います。弁証法にネガティブ(反)が包含されているのであって、
弁証法がネガティブなのではないからです。
それとも「ネガティブな弁証法」というのは“否定の弁証法”とか“否定の否定の弁証法”とか、
なんかフランクフルト学派的なニュアンスか何かで東さんはとらえてるんだろーか。などと思ったんだけど。どーでしょ?


羊的には「象徴的同一化」を成立せしめているのは“イナイイナイ(否定)をとおしての生=バア(肯定)”という志向性ですね。
それはエスから異化・離脱・主体化しようとする自我そのものです。
うーん、フロイトはエライなあ。
だから浅田さんはフロイトをプッシュするのかな?
やっぱり浅田さんはスゴイとゆー結論だったりするワケですか? > 羊5


ワハハハ



■音からわかるコト・・・   2001/3/20


●自然の音

 風の音や木々のざわめき、せせらぎの音、山鳴りから小鳥のさえずりに猛獣の咆哮まで、
さまざまな自然音があります。全宇宙的なピンクノイズや遠い嵐のようなホワイトノイズまで、
アナログとシンセサイザーのオシレーションで遊べるあらゆる音のベーシックな成分、
それが自然音の原音でしょー。

 あらゆる音はここから分節化され微分されたもの。フィルターとなるのは生命システムで
ありマシンでありサインウエーブに対するバリアブルフィルターとレゾナンスです。


●人の声

 でも、人間にとって大切な音は基本的に一つだけ。それが人間にとっての音の原音でも
あるんですね。それが声です。

 そしてツノダテストで確認されているよーに、無意識下での母体の声への認知とレスポンスから、
それが究極の声として脳神経系全般を支配していることがわかります。


●2つの音

 声が他の音と違うのは倍音構成のクラスターが複数あること。ホルマント構造といいますが、
倍音構成に複数のピークがあり、そのピークを中心にしたクラスターが複数あるワケです。
基音が最大音でピークとなりそれに整数倍音が乗ってる通常の楽器音などとの大きな違いですね。
ホルマント構造は基音が複数あるようなもので、これは言語でも母音の特徴となってます。
子音にはこのホルマント構造はありません。通常クラシックのオーケストラの演奏はどんなに
壮大に響いてもホルマント構造にはなりません。


●ホルマント構造の意味

 どんなに人混みの中でもこのホルマント構造にフォーカスする聴覚の知覚によって特定の
人間の声を聴き取ることができるんですね。特に自国語の母音には鋭敏になっています。
また聴き取りを意識していなくても母体の声には脳の認知システムは10000分の1秒という
スピードでレスポンスすることが確認されてます。脳梁では聴覚認知システムのシフトが起こり、
声や母体の声へのフォーカスが瞬時にはじまるワケです。しかも無意識にです。


●12音階の意味


 ホルマント構造の必要条件はピークやクラスターが2つ以上あることです。12音階の範囲内
でいえば等価に近い音が2つ同時に鳴っていればホルマント構造と近似といえます。1度と
4度の関係がそうです。

 4度音を不協和音とするクラシックには、そもそもホルマント構造はありません。逆にいえば
脱ホルマント構造という志向こそが西欧12音階音楽なのでしょー。
 これが12音階形成の歴史であり、モダン化です。
 問題は、なぜ4度音を排除するようになってきたかということです。


●音楽の意味

 クラシックや西欧音楽そして12音階をはじめとする大部分の音楽の効用といえば、大脳の
右半球を刺激することでしょー。言語認識が左半球によって行なわれ、これが過剰に続く
日常生活の中でバランスをとるとすれば、右半球を刺激する音楽を聴くのがいいんですね。
これは右半球が優れているとゆーことではなくて、左半球とバランスをとることが大切だと
ゆーことです。一般的に右半球がすぐれているというのは間違いです。


●TK音楽の意味

 人の声を原音として、あるいは心理的な原風景として数1000曲を作ってきた人間。小室
哲哉とはそういう人間であり音楽表現者です。

 小室の音楽をめぐる考察が世界トップレベルの音楽理論をも超えてラジカルな文化論として
読める本があります。それはエスノを敗北ととらえ結局はインド・ヨーロッパ語の範疇から一歩も
外へ出られない“悲しき熱帯”的な認識や“場”を勘案できないデリダ高級?言語を評価する
エンゲルスやレーニンなどと比較にならない深い思考と、ウエーバーの音楽社会学に指摘
される3度音の採用と4度音の排除というクラシックの支配権正統化手順まで見破っていくスル
ドイ認識論的切断を示してくれます。ホンモノのサブカル研究でもあるでしょー。


●インテグレートの意味

   言葉だけの民族はいるが、文字だけの民族はいない。
   口承伝承は今に続くが、文字による記録は断絶しがちだ。

 アーカイブがバグれば“ハイ、オシマイ!”程度の文化に未来の可能性はないでしょー。
遺伝子に獲得形質としてインテグレートされ続けてきた能力の基本こそ感覚なんですね。
 まあ、マルクスってそんなコトまで言及してたりするからスゴスギ凄過ぎスゴ過ぎるんだよーん。
こまったもんだあ。

 それから、湯川秀樹博士しか評価していないらしいツノダテストだけど、その認識の根本として
聴覚と脳のメカニズムに対するラジカルな考察と実験は貴重なもんだと思います。



■メールレスレスだったりする・・・   2001/3/16


今度はkyotoの吉田さんからのメールだったりするデス、ハイ。


   >羊さんは「サウンドスケープ」についてどう思いますか?。

   >それと、「ニューアカ」ってなんですか?。  


....てなワケで。
吉田さん、メールどーもです。
1ヶ月くらい経ってしまいましたが、吉田さんのメールでの質問は
ズーッと頭の中にあります。最近の羊通信のメインのテーマでもあるし。
問い合わせとかもこーゆー関係が多いです。
デジャブの話しを読んでもらったのがキッカケみたいですが、
そーするとますますウレシイですね。ボクも何かで読んだデジャブの話しが
心理や哲学や思想や、そして、
そこで呆気なく答えを出しちゃってる吉本隆明さんへの興味にもなりました。

特に音の関係は認識論とかも含めて面白いですね。
視覚情報偏重に見える今のサブカル論とかはズレちゃってるから。
視覚が無い生物は多いですが、聴覚の類がない生物は無いんですよね。
人間は触覚や聴覚の刺激で感覚知覚全般が鋭敏になるけど、
視覚を刺激しても視力が落ちるだけだったりするでしょー。(笑)
おまけに幻視と幻聴だったら幻聴の方が発現率が全然高いらしく、
幻聴の方が普遍的でダイレクトな人間の認識の問題みたいですね。

また幻視だと思い込んでるものも視覚像(情報)とイメージの混同なんだけど。
この辺はメルロー・ポンティなんかも駄目みたいだし。
ほとんどの哲学者や心理学者が視覚とイメージの問題にはケリをつけられないみたいです。
ラカンや浅田さんも誤解してるか間違ってるし。
吉本隆明さんや斎藤環さんはちゃんと峻別できてるんだけど。

そんなワケで音やニューアカについて、
まあ懲りずに読んでいってください。
ウーム、レスになってないよーな気もしますが。(^^;)



■用語?解説だったりする・・・   2001/3/16


ひゃっほー

「マテリアル」に続いて用語解説を、なんて考えて、
いざ書き出して、とたんに右脳的?アプローチに変えましたん。


テクノロジー

TPOに応じて行使されるマテリアルへのアプローチ、つーことかな。
審美判断が伴うとマナーになる。(-_-)zzz


カウンターインテリジェンス

スターバックコーヒーへ行ってドトールコーヒーとの違いをたずねたりすること。
日本茶との違いを聞くのはハズレ。中国茶は論外。
「ハンバーガー」を「牛のかまぼこ」と言ったりするのもGOOD。(笑)


大衆

バーゲン会場を移動するノマド。
時々アミューズメントパークの代わりにアウトレットへ行ったりもする。
でもイトーヨーカ堂で買ったりする。
ダイクマのラーメンが美味しいことを知っているのを秘密にしていたりもする。(^^;)


ポップ

大衆から生活を捨象した残余の文化の在り方。
必然的なムダも。(ただし商品化していること)



■右の肺が痛かったりする・・・   2001/3/15


ウイルス性の炎症だねえ、こりゃ、とか最高学府出身のエライ先生に言われた肺が痛いです。
だったらちゃんと検査してよお、とか思ったんだけどトボケテ帰ってきて以来。
右肺の下端に幅約1cmの影がすーっと流れてて、肺のシルエットも縮むよーに歪んでるんで、
あるクリニックじゃ、結核の跡があるねえ、なんて言ってたなあ。
まあハウスダストのアレルギーらしいけどね。
作業場を掃除すると炎症起こしたりするんで困ったもんだけど、
花粉症の季節つーのも困ったもんですよん。
グエエ



■掲示板レスレス・・・   2001/3/15


気功師のkrtさんへのレスで本当は掲示板上のものなんですが、
ココの説明にもなるんでコッチへ書きましたん。(^^)v
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ココ(TYO & SKY)って当初は広告や出版の関係者が何人か関わってました。
それぞれ忙がしいのと羊くんがちゃんと連絡取らなっかったりメンバーの消息不明で、
ほぼ羊通信のみですね、今は。PC通信やinternet元年前後から仕事でネット関係に
ついて書いてましたが、今の方がネットをうろつきません。掲示板へ書き込みすることも
あまりないです。サーフしないし。ビタミン剤買ったりするのに使うくらいかな、ネットは。

80年代90年代総括にはすごく興味があるんですが、オンタイムだった人間と
事後的に語られる場合のギャップはでかいですね。やはり歴史的なものはあまり信じられ
ないです。どーしても個別の解釈でしかない気がして。認識の共通基盤を持とうとしたら
唯物論になるのは経済学を選んだ関係で身に染みてます。
羊的には「気」もマテリアルですから。(笑)

松果体や視床下部が地磁気や電磁波に反応するとか、誕生日の日の午前中に脳がある種の
構造変換して年輪を重ねているという事実があって。周囲に影響を受けるなら必ず周囲へ
影響を与えてもいるハズだと思うんで、気や集合無意識的なものに興味がありますね。
道教とかもそーゆー思想なんでしょーけど。
西田哲学みたいに場所的限定やTPOというものは絶対的だと思ってます。

その道教から孔子まで踏まえて書かれたのが毛沢東の『実践論』や『矛盾論』で、その内容に
驚いて弁証法を再解釈したのが構造主義のアルチュセールです。でも、このコトは極一部の
人しか話題にしませんね。不思議発見並みの隠された事実つーか。
矛盾を現実に解決するためのダイナミズムにテキスト偏重の西欧思想家がどれだけショックを受けたのか。

アルチュセールの重層的決定というのは矛盾論の論理そのものじゃないかな。立体化した
弁証法なり構造化した弁証法ですね。オンタイムでニューアカの洗礼を受けた時に、こと
さら構造主義と弁証法の差を強調しようとするスタンスには思想的な弱さを感じました。
毛沢東のようにマルクスを道教的に解釈しちゃえばいいんですよ。日本だったら西田哲学は
それに相当するものだし。神仏の歴史とゆーよりも、神仏を育んだ認識の仕方に興味や
可能性を感じますよん。まあサイバースペースが結界だってゆーニューエイジのりは?だけど。(笑)



■羊通信ドーナツ版?・・・   2001/3/15


羊通信ドーナツ版ができましたん。

BBSですねえ。

なんつたってアバウトなクロマニオン人的O型なもんで
管理だの、
レスだの、
カキコだの、
どーだか、なんだけど、ヨロシクね、っとゆー感じです。

ウチへのおたずねでも、関係ありそーな情報でも、
ケーキやラーメン情報でも、なんでもOKです。
ドーナツみたいな魅力あるとGOODかな。

浅田さんの発信してればOK思想と、
東さんの受信してもらるかどーか、とゆー問題提起と。

まあ、表現とコミュニケーションの問題って、
一見すると形態が同じにみえるんで、わかりにくいんだよね。
ホントは全然違うんだけどさ。ゼエ〜ンゼンね。



■上がってるんだけど・・・   2001/3/14


ナスダックにNYに東証も崩壊した昨日。
今日もかな。

時価総額が経済的均衡より3割程度低くて余裕あり。
地価がバブル時の5分の1まで下がってきたとして、土地購入に向かわないマネーをはじめとした
マネーサプライから逆算しても金余り過ぎの日本。
どーしてリストラすんだか、何が不況の原因なんだか不明なのは政府の意味不明さと比例するだけの
共同幻想ちゃんですね。今さらマテリアルな力の行使である革命はなしとしても、なんだかなあ。
まあ、昨日も今日も所有銘柄は上がってるんで、96%の人にはバイバイってな気分でもあって、
リアルフィールドの経験値を陵ぐイデオロギーは未帰還者になってもいいから手に入れよ、
ってな誘惑が、ウフフです。
アーサー王と九人姉妹が守るSAフィールドで待ってるぜ、とかっこよく言ってみるのも魅力的。

ダイジョーブかな、羊くん。



■GOOD DAYS・・・   2001/3/13


SPEEDの「Body&Soul」を初めて聴いた時みたいにビビッと来たのがZONE。
そんで買いました。「BANDOL」という新しいコンセプトでSonyがプッシュするZONEのシングル。


   「GOOD DAYS」


....ですね。
まあ、BandのIdolでもなんでもいいんだけど、なんか気持ちのいいロックです。
単なるPOPなロック。クロっぽかったりソウルフルだったりバラードだったりユーロぽっかったり、
なんでもいいんだけど、そーゆー味つけもジャンル分けも、もーいいよ、てな感じで単純明快なロックです。
だからイントロからエレキギターがピキピキいったりして、もーロックじゃん、ただの。
いいなあ、てな感じでした。
Sonyにとってプリプリ以来のメジャーになるんだろーか。


   独りじゃない事が ボクの最後の武器さ


....と明るく唄っちゃう女の子の声に学園祭を思い出すのは当然として、
まあ、純粋に楽しい青春ノリのロックですね。
いいじゃん、いいじゃん。
Wordのたくやさんて誰だろー?



ところで思い出すのがSPEED。
ZONEの女の子ボーカル(なんつー表現だ、コリャ)を聴いて、「ああ、もったいないなあ」と思うのが
SPEEDの新垣仁絵ちゃん。
HITOEとしてたった1枚のシングルを出して消えちゃった彼女はドコでしょー。


ONE OFFとなったシングル曲は「INORI」。
曲はカッコイイよくて
ブードゥーなジャマイカンちゃんがクレオールを超えてブッダに東洋回帰しちゃいそーな
そんなHIPでSOULなやつです、ハイ。

メンバー最後のシングル発表の意気込みは
HITOE本人よりイジチさんをはじめとしたスタッフやその作りから伝わって来る感じ。

で、かつて新人歌手のコンテストなんかにトライしたコトもあるらしいHITOEだが、
確かにガキさいっぱいでいろいろ修正してこの程度ならホントに結構タイヘンだったんだね、
とゆーのは簡単なんだけど。この声ってどこかに魅力とゆーか味があるんですねえ。
ZONEの女の子ボーカルを聴いて思い起したのが、このHITOEの声の可能性です。
華原のともちゃんのよーな凄味はないけど、
逆に、このHITOEのガキ声を活かせるプロデュースがあれば、
それはちょっとしたもんですね、とゆーことかなあ。
背筋腹筋つけて声量増やせば、この声をこのまま引っ張ってもスゲーなと思うんだ。
やっぱプロデューサーだの制作サイドの責任て重いね、こーゆー場合。
ヒロやエリの平板な声より全然面白いんだよね。
HITOEの声の欠点はたどたどしさかな。声質は面白いんだけど分節化っつーか、男の子の発声みたいに
たどたどしいモゴモゴ感があります。タンキングが出来てないみたいな。

「INORI」はNTTのCFソングとして出されながらも、たぶん全然ヒットしなかったんでしょー。
だからって可能性のある声が活かされないのは、残念だねえ。
インターネットとかフルに使ってどーにかなんねーのかよー、と思ったりするんですね。



■想像的(イマジネール)なものとは? 不過視界の精神分析−2・・・   2001/3/12


今日は『不過視なものの世界』のコメントを取り上げて逐次チェックするとゆー安易な他力本願の第2回目でーす。(^^;)
ウーン、緊張とアヤウサを感じさせる斎藤さんのコメントって魅力的だなあ、と。
ラカン理論てマテリアルに解析するにはピッタリな感じがしますよん。



●想像的(イマジネール)なものとは?
○『不可視なものの世界』「精神分析の世界 斎藤環との対話」のP17・18より



   ラカン派精神分析では、
   「シェーマL」という有名な図式にも示されているように、
   主体は他者と直接出会うことはできず、
   両者のあいだを想像的(イマジネール)なものが遮蔽している
   という理解になります。(斎藤環)



この「想像的(イマジネール)」こそがすべてのポイントだね。
それを「幻想」といっちゃうのはカンタンだけど、その内容はカンタンじゃないよ。
なんでも幻想の岸田幻想論は問題外でしゅが。

「シェーマL」がひとつのモデルとしては有効でもさ、
ラカン理論が分裂病を語ることができないなら、ちゃんと再考しないとね。
現に分裂病はそこにあるし、うつ病なんて中流階級の自意識以上に普遍的だし、
JR中央線にゃ人がいっぱい飛び込んでメイワク千万、ソーシキ沢山てな感じでしょ、現実には。


「両者のあいだを想像的(イマジネール)なものが遮蔽している」というのは
逆に想像的なものをとおして両者は関係するということでしょー。
ベルリンの壁をとおして東と西が関係していたよーにね。
ここで問題なのは想像的なものを理解しコントロールできればいいんだよ、
ってなことだよね。

それが幻想論じゃん。

「シェーマL」の主体は直接に他者と出会うことができないという主張は、
物自体と直接出会うことができないことを問題にしたカントと同じだね。
それをちゃんと追究していくと新カント派のマッハみたいに
その感性論からクオリアやポインタという脳神経学の最新の成果までたどりつくでしょ。
マテリアルな分析がそこまで到達してるんだからさあ。
文系の論者やイデオローグ?はチンタラしてられないよ、とゆーこと。
吉本さん的にしろジジェク式にしろ
幻想論をマテリアルとテクノロジーの問題として語ることができないとね。



■「私が」「私は」でわかること・・・   2001/3/8



「私が」「が」は主格の助詞ですよね。
この場合「私」がどんな自意識を持っているかはわかりません。
母親との心理的な分離ができていない場合、自意識は全能観(感)を持ったままで、
即自的な認識のままです。たとえば母子分離していない赤ちゃんにとって自分の心身
は母親の存在も含めて全宇宙そのものです。「自分が」という意識は「宇宙が」に
もなり、「母が」ともなります。主語を任意に置き換えられるので「天皇」や「ライ
オン」にもなります。全能感のなかでは認識の分離・差異化ができていないのでの指
示表出と自己表出の区別がつきません。これがその共同体の共通コードを逸脱した場
合が分裂症ですね。指示表出と自己表出の区別ができていないので自分の思念が他人
の声のように聞こえてしまう場合もあります。これが幻聴です。


「私は」「は」は限定の助詞です。
つまり「私」を限定し特定する認識があるわけです。「私」を分離・差異化している
認識が別に存在してます。対自的認識ですね。ここでは指示決定(表出)と自己確定
(表出)の区別・峻別がちゃんとできています。この認識の差異化が進むことが複雑
な思考を可能にすることです。もちろん認識上の再統合よりも差異化そのものに固執
するのが神経症です。差異化した認識を再統合するのは構成同一性です。



香山リカちゃんが“ゲームの中では精神異常が発現しないのはナゼか?”と提議して
ますが。これはプレーヤー独りの世界だからです。ゲーム内に対戦相手がいてもそれ
はマテリアルな論理としてしか振る舞いをしません。プレーヤーにとってゲーム内で
指示表出と自己表出(の関係)がゆらぐことがないんですね。東さんが指摘している
「入れ子」構造がないからです。もしプログラム上設定されても形式論理の範疇でし
かなく、ゲームは即自的な認識と全能感だけでクリアできる世界に過ぎないからです。



この間TVで「多重人格の少女「ヒロ」」とかなんとかとゆードキュメントを見たんだけど、
ある人格になると鏡を理解できなくて、
鏡に映ってる自分の姿を見て「だ〜れえ」とか言ってるのが可笑しかったです。
ラカン(「羅漢」でも可)さんよお、鏡像界って何い?



■分裂・自閉の共通点・・・   2001/3/3



   分裂病の基本的な特徴としての「三人称」「他人称」によるコミュニケーション

   自閉症の多くに見られる「二人称」による自己表出やコミニュケーション



以上は前者が吉本隆明さんが少女ルネの発病から治療までの記録『分裂病の少女の手記』から、
後者は斎藤環さんが自閉症だったドナの『自閉症だったわたしへ』から、
それぞれ読み取った基本的なもんですねえ。
もちろんその理由づけや妥当性、正当性は違いまーす。
ラカンのよーに分裂病の説明が出来ないのなんか問題外だしい。(^^;)

ここで分裂病と自閉症の共通点を抽出すると一人称の不在とゆーことになります。
主体性の不在ですね。より正確には主体性が不在であるかのような表出つーことでしょーか。

斎藤さんによれば自閉症の場合の「一人称の不在」の理由は「主体化への恐れ」だということですが、
これはむしろ間違いで、自閉症児にあるのは主体を確立しようとする志向性の強度です。
「主体化への恐れ」のニュアンスはむしろ分裂病を説明するのに合理的で。
なぜなら分裂病は指示決定(表出)を主体的に自己確定できない病であり、
むしろ逆に指示決定でしかないものから自己(決定)が影響されてしまう病なんですね。

通常の認識では認識の過程や自己決定していく経緯を自己言及的に自己が確認しています。
対自的認識が常時自己決定の経過を認知しているワケです。
ところが自己決定の過程の自覚が無く、認識が常に−既に>されているような認識があります。
自己決定の介在の余地がないような認識つまり指示決定的な認識です。
指示決定の代表的なものは名詞ですが、これは主体の認識の意識的な介在なしで<常に−既に>決定されている認識です。
コンスタティヴな認識の典型でもあるでしょー。
ア・プリオリな認識ともいえるでしょー。
そして共同幻想を成立せしめる最大のファクターでもあるでしょ。



■東証サイテー?・・・   2001/3/2


419円の下落だっけか。
85年以来の水準とか。
ふーん、でも某カードとか某薬品とかドッーンと上がってるよん。
目標2000円のアナリシスもあるしい、と。
月曜日が楽しみだなあ。

そーいえば電気の三洋が下がってるけど、
そのうちまた上がるよたぶん。1年たらずで採算部門のシフトができた会社なんて、
日本にゃないからねえ。
まあ、かつて三井三菱の3倍もの資産を誇った日本産業グループは別だけどさ。
あ、日産ね、日産。
みずほグループは知らないけどー。



■「マテリアル」?・・・   2001/3/1


「マテリアル」「テクノロジー」「ニューアカ」「サウンドスケープ」ナントカンカントカン・・・・・
とゆー言葉の定義って? メールの中で多いのはこーゆータイプの質問みたいなもんですね。
ケッコウ気分にまかせて書いてるので、アセリマス。
どーだったかなあ、てな感じでえ。
でも、それに応えるために考え直してみたりしてヒジョーにいい刺激ですう。
時々ツジツマがあわなそーなトコがあったりしてビビリつつ新鮮だったりするんだね、コレが。
ひゃっほー


マテリアル....

1年以上も前から何名かの人にたずねられたり問われっちゃってるのが、この「マテリアル」。
唯物論と理解してる人や「鏡像」的に解釈してその可能性に期待してる人などいろいろいるよーです。
万事OK、全部OK、アタシャKOってな感じですが。(^o^)

直接には、他人の表現をカットアップして自作するサラ回しヒップホップの元祖で
ニューヨークのハードなファンクグループ「マテリアル」のクールな印象が原点。
ハービーハンコックとのコラボで注目された全世界のリスペクトの発信源がマテリアル。
まあ「発振源」の方が似合いそうなニュアンスでもあります。

全部他人の言葉で表現したかったベンヤミンの願望を
ハンバーガーみたいにストリートに展開したのがマテリアルだったワケですね。

短い歴史しか持たないアメリカでマカロニウエスタンの名曲「夕陽のガンマン」は今やクラシック?
それをヒップホップにしてブレイクダンスでクラブからコンサート会場までくるくる転げ回っていたのがマテリアル。
もちろん大ブレイクしたワケです。
¥398000のYAMAHAのコンボオルガンに世界のムーグやアープなんか
48台のキーボードを並べてたテクノオタクのハンコックと
壊れて回らないターンテーブルを手で回して遊んでたブラザーが
お互いをマテリアルなリソースとしてその音を楽しんだのがはじまり。

つーことで、唯物論な認識だけではなく
対象を材料や素材、リソースとして認識することもマテリアルですね。

まあ、たぶん正統派マルキストが自称する唯物論にはある程度含蓄があるしい、
科学を自称する分だけリアルじゃない宇野派マルキシズム系にはその分自由があるよ、ってな瘉し言葉もあるけどさ。

でも大切なのは自分の自由だけ、でしょ。
いいんだよん、それでえ。

「ロックイット」と「アヴァロン」聴くとハイな感じでお出かけ出来ます。(^^;)
まあ「ログオフ」でリアルワールドはスタートすんだけど、
ホントはそこもリアルフィールドなんだよね。
こりゃ当り前過ぎい。
これがマテリアルな認識だったりします。ハイ