■4才の認識・・・ 2002/3/16
デジャヴは、
現時点での認識が、
胎内でスタートする初源的な認識のレベルに、
何らかの理由で左右されるようになった場合に生じる認識現象です。
初源的な認識の特徴は行為と認識が未分化なこと。
そこでは現実と観念の、指示決定と自己確定の、
空間性と時間性の、ハッキリした区別がありません。
4才以降になると自分の出産時の記憶が消失しますが、
4才児以前では鮮明に覚えているケースがほとんどで、
これは4才時点で認識システムの構造変換があり、
4才以前の認知システムが下位レベルに抑圧されていくことを示してます。
この抑圧されている認識レベルまで下降?して認知すると、
デジャブのような認識あるいは泥酔時や過労時のような非日常的な認識に
陥ることがある、ということですね。
三つ子の魂百まで....なワケです。
この4才以下の認識レベルや認知システムまでフィードバックして、
認識システムを再構築すれば、
ほとんどの認識システム上のイレギュラーを修正修復できる可能性があるワケですね。
もっと日常的?には、
ある認識や感覚のより身体的なレベルのシステムを鍛練?再構成すると、
その認識力が高まる....というのもあります。
デジャブは、
身体的なクロナクシーに左右されてしまうようになった観念の現象です。
そこでは空間性と時間性の1次対応のコンフリクトが起こっています。
これに最も近いのは、
空間的認識が時間的了解を得られない状態の観念=感情があります。
感情は認識されたオブジェクトを固定できない状態の観念です。
それは認識の動因そのものとして作用していきます。
■2時間で10万人・・・ 2002/3/10
ユーゴ内戦の犠牲者が1年間で25万人。
ルワンダのツチ族虐殺が3ヶ月で80万人。
東京空襲が2時間で10万人....。
時々、用事があって、その時に通る国道20号の橋が八王子にあります。
石の橋にはハンマーで殴ったようなキズがいろいろな所についてます。
全部で50箇所くらい。
そのキズは焼夷弾の落ちた痕なんですね。
あまり大きくない橋にある50個のキズ。
狭い橋に隙きまなく落ちる焼夷弾を考えると
2時間で10万人が死んだ東京大空襲を少しだけ想像できるような気がします。
そして多摩川にかかるJR線の鉄橋からは、川の中ほどに壊れたコンクリートの台が
見えます。空襲に来るB29を迎え撃つための高射砲台です。
暖かくなってサイクリングの季節になると、モノレール下の橋から、MTBを駐めて、
川中にある高射砲台をながめます。たぶん誰も知らないだろうなと思いながら。
この高射砲台によって撃墜されたB29のパイロットが住民に捕らえられ、
リンチされた学校の校庭や、斬首されて埋められた寺院のわきを
MTBをこぎながら通ることもあります。
NHKや朝日新聞などが追いかけてもキャッチできない戦争のニュースが、
ほんとに風化しつつあるなか、何を考え、何をすべきなのか。
想像力をどう働かせ、何のためのどのように思考をめぐらすべきなのか。
■妄想まで30分・・・ 2002/3/9
まったく刺激の無い空間に入ると30分くらいで妄想を観るとゆー実験があります。
真っ暗な無音室になっていて、ベッドも椅子も水道栓もトイレもラバーで被われているので感触は単一。
この光も音もなく短調な触感だけの空間で人間はどーなるのか?
この実験が示しているのは感覚と認識の問題ですね。
入室して30分程度で幻想や幻聴を覚える人が多いよーですが、それは何を示しているのでしょーか?
具体的な刺激が無い、感覚の対象となるものが無い空間で、人間は意外にカンタンに幻聴や幻視を体験し、
いわゆるガイキチ状態を疑似体験できるワケです。まあ「疑似」じゃなくてホンモノなんだけどさ。
問題はその理由。
なぜ狂ったか? どーして狂っちゃうのか? とゆー素朴な疑問への解答はいまだに無いよーですが。
まずカンタンにわかることは、
誰でもカンタンに幻視や幻聴を体験できるとゆーことは、
誰でもカンタンに巫女になったり神秘体験ができるとゆーことと同意義だとゆーことです。
ここで宗教者が「信心が無いと神秘体験はできない」とかゆーよーなことを主張します。
逆にゆーとそーゆー事を主張することそのものが宗教の唯一の特徴かもしれません。それは弱者のバリヤーであり
アイデンティティそのものであるワケです。
ただし宗教の場合は他者を巻き込むので常に責任が問われ、
常に他者からの批判を受け止めなければならないとゆー本質的な倫理があるハズですが、
思想・信仰の自由や宗教の自由とゆー近代最大の欺瞞によってカロージテ存立してるのが宗教の本質的なザマなんで
反省や内省がないままなんですね彼等は。モダン最悪のザマってなワケです。
だから全然進歩?しないしね。それどころかマテリアルに環境を変化させていく資本主義のなかで
最後の形態をさらしつつあるワケだしさ。
■どこかで会ったなあ・・・ 2002/3/8
「ワールズエンド・スーパーノヴァ」
「二人のアカボシ」
「色彩のブルース」
そーいえば、どこかで会ったなあ、なんてゆー感じがするのが、この3曲。
懐かしいよーな、ひさしぶりみたいな、前から知ってたよーな、そんな感じですね。
こーゆーモノゴトの感じ方には2つのタイプがあります。
1. 過去に経験したモノゴトを思い出す。
2. 過去に経験したモノゴトのように感じる。
1は記憶です。
2はいわゆるデジャヴ=既視現象とゆーやつです。
1でポイントになるのは過去の体験とそれに対する評価ですね。
楽しい想い出だったり悲しい出来事だったり、自分の中にインテグレートされた
データとそれへの評価が現時点での思いを左右してます。
2は現時点での体験に対する現時点での評価の仕方がポイント。
デジャヴとゆーイメージとは裏腹にすべてが現時点でのリアルな認識の特性として表出するわけです。
センチだったり病的だったりトンでたりします。
で、3曲を聴いて感じたものは、1と2のどちらに当てはまるか....
てなコトを考えちゃいます。
まず、1は個人の自己決定によるものだと分ります。個人の過去の経験がベースだから。
そして個人個人それぞれ別々の経験があるワケです。だから1を共有できるのは同世代だったり
同じような環境にいたことが前提になります。同じような体験をしてる個人同士ならば
同じような思いや認識をするだろうというものですね。
逆に、2は個人的な経験に全く左右されない認識の仕方です。これは円いものは誰が見ても円い
というようなもので指示決定によるものです。
そして、1は流行するものでもあり、風化するものでもあります。
体験を共有できない場合は無効なものです。
一方、2は普遍的なものであり、不変的でもあります。体験の類に関係なく、
マテリアルやテクノロジカルなものに左右され、世界視線を可能にしている最重要ファクターです。
感性とか雰囲気という個人的で自由でアバウトに見えるものほど、現実には2のファクターに規制されています。
2のファクターや指示決定的表出を、まるで1の認識と誤認?させる認識の仕方や陥穽?があるんですね。
その最たるもんが芸術だったり宗教だったりします。
うんで、3曲は2のよーな認識の仕方に訴求してるし、また誘発もしてるんだけど。
具体的なことはまたねとゆーことで。
まあ、「色彩のブルース」のよーな至極個人的なドヨーンとしたダルな音が、
どーしてデジャブを誘発するかとゆーと、それはブルーノートやペンタトニックな音といった
マテリアルでテクノロジカルなとこに原因があります。オーソドックスな音の方がエスノもモダンも超えた
公約数が成立しやすくなるからね。
オワリ
■デフレ・マンセー・・・ 2002/3/1
デフレへの対応策がギャースカギャースカとギャオスの登場みたいに叫ばれてますが、
登場したのは小泉さんだったり、スジ違いにアタマも違ってる評論家だったりします。
デフレに関しちゃそのボディや根性までもデフレ気味なデブくんが、結構イイ事を言ってたりします。
もちろんそのスタンスは凡庸な物言い職業さんに多い売るための悲観論だったりして、
ガックリしますが。まあいいか。
実戦をともなう以上は悲観論がないとゆー天然ヤローのマルクスくんなんか読んじゃうと、
もー、人生つーのは、らりるれろな感じでナイスです。くふっ
で、デフレは不均衡累積過程の動因そのものだし、ある種ユートピア論においては理想でもあるんで、
まあ、いいんです、デフレ。ふれふれ〜
■首都移転って?・・・ 2002/2/28
石原都知事が首都機能移転を首相自ら凍結宣言すべきだと言ってるニュースを見たんだよん。
実をゆーと首都機能がどこへどう移転したっていいじゃんと最近は思ってます。
ただバカバカしいことがいくつかあるんで、それがチョット疑問なのよ。
ひとつ
首都機能移転とゆー名目だけど、
実をゆーとただの公共投資じゃねーか、と。
ふたつ
首都機能を移転して、
東京の何がどーゆー風に解決するのか、と。
みっつ
東京への一極集中が問題らしいけど、
一極集中のどこがどんな問題なのか、と。
こたえてみろよ、え?
で、こたえ、っと。
ひとつ
公共投資だあ? 今どきそんなムダが許されるかあ?
ふたつ
ムダなものをダメな所に移動して、
どーよ? 何さ?
みっつ
BICピーカンにPCが集まってて、ラジオ会館にオタクが集まってて、
何かモンクある?
それより東京って独立してほしいんだもんね。
東大先端技術研究所の野口教授の東京独立論とかケッコウ面白いしさ。
ま、国家さんには早く解消してほしいワケ。
EUもそのそー大にして必然たる実験だしさ。
国家とゆー最大の指示決定・象徴界支配(参考:象徴的同一化)をクリアできないヤツって、
結局何にもクリアできないけどね。
国家主義者なんていやしないよ。
ダメなやつがいるだけ。
■「父性」って?・・・ 2002/2/17
だから一般的にはカーツ大佐の在り方のコトさ!
てなワケだが、どーしてカーツ大佐は死ななきゃあかんのか?
そりゃー死ななきゃ解決しないからさ。
何が解決するんやて?
父性が、さ。
つーか、死ななきゃ解決しないのって「バカ」と同じじゃんと思っちゃうだよ、え、どう?
てゆーことで父性の解決とゆーものは永遠に回帰するのよ。
それが歴史だ。
逆に父性のないところに歴史はないかもね。
で、死ななきゃ解決しないほどガンコな父性って何?
てゆーとそのガンコさが父性の属性なんだよね。当たり前でしゅがん。
つまり父性とゆーのはガンコで変更が効かない認識のコトなの!
自己言及してもなかなか変更が不可能な認識つーと....。
それが自己の認識に占める自覚的な自己言及が困難な領域、自己の内部における他者性そして共同性のことなワケ。
前に書いたとーりでしょ。
それが象徴界を象徴界たらしめるガンコささ。
ま、認識の達人は想像界でリーチングするから父性なんてどーでもいいんだけどね。きゃはは
そーゆーワケで、
父性、指示決定、象徴界は同じものを示しているのっさ。
三木成夫や吉本隆明がスゴイのはそれらを外感覚に依拠するとゆーことを示したこと。外感覚の対象はマテリアル。
マテリアルがガンコなのは当たり前。マテリアルは普遍にして不変なの。
物自体ね。つまり現実界そのもののこと。
それでだ、外感覚の認識構造を解析すると悟性だろーが感性だろーが認識とゆー心的現象はあっ気なく構造化したモデルになっちゃう....
とゆーのが心的現象論のスゴイとこね。当たり前だけど。心的現象の資本論てなワケ。
レイヤー論なんてゆーサブカルっぽい方法論にレイドバック(笑)しちゃう斉藤環さんて、もー、な残念だワンっと。
いくら臨床重視でもなあ....。
めえめえ
■ヒッキーから一発・・・ 2002/2/11
郵便的不安にビビッてるのはガキだ!と書いたら、
ビビッてんだから、ショーがないじゃんYO
とか
コワくて出られないんだから、理解しろよ
とか
とゆーメールをもらったりします。アリガトウタン、ヒッキー、マンセー。
その正直さがやがてグレートになる可能性を示してもいるよね。
それが斉藤さんのゆー渋谷系との違いダワイ。
実をゆーとヒッキーとゆーのはスゴク健全なのであるよ。
自己の領域に厳密なワケで、そのキビシイ自己認識は宗教を超えてます。
まあ詳細は斉藤環さんの『若者のすべて』でも読んでね。全面的に同意はしないけど先見の明があるです。
『文脈病』でも『戦闘美少女の精神分析』でもそうだったけどさ。
そして逆に自己の領域をわきまえずに、キビシイ自己認識もない存在が渋谷系だ....とゆー斉藤さんの指摘もナイスですう。
つーことでヒジョーに面白い分析をやってます。
まあ、ラカニアンの最高峰かなっと。一芸に秀でているのはいろいろな面でも優れていますね。
ところでべらべらと口数が多い渋谷系は自分のコトになると沈黙するとゆー斉藤さんの指摘がステキ。
自己言及ができないワケね。反省できない修正できない一貫性がない....イキ過ぎればガイキチのまま....。
で、その究極の姿に宗教の最後の形態を見い出すのはカンタン。
すでに共同性のレベルでの説得力を失っている現在。
宗教でさえ共同性の信仰から一対一の瘉し系にまで退行してかろーじて残ってるだけ。
つまり共同幻想性から対幻想性へ移行してるつーこと。
しかもこの対幻想性は擬似的なものでしかないのが大問題。
ホントの対幻想はその幻想性が相互に時点ゼロになってなきゃいけないからさ。
瘉し系の幻想性は一方的な思い込みが無限大でしかもそれが相互に発現するとゆー純粋ガイキチ状態なので、
うんもー、の狂気の世界です。
イヤシ系。イヤシイノデス、ホントに。
イヤシ人とイヤサレ人の関係は一対一。
ま、擬似的な対幻想なんですが、ホントは全然対の関係じゃないところがオソロシイのです。スゲーぞホントに。
幻想論や心的現象論における対幻想とゆーのは、時点ゼロの地平なの。何が時点ゼロかってゆーと価値判断が、ね。
これは人間から動物まで同じで、相手に対する幻想性がゼロになるのがホントの対幻想=対の関係性なんですよん。
そこにあるのは単なるマテリアルな関係。ま、双数的とも表現できるかもね。
芸術表現が受容されるマキシムはこの<時点ゼロ=幻想性ゼロ>が大前提です。
おわあ、またスゲーこといっちゃったよ。けけけ
気が向いたら解説すっかと今日もジダラクモードん。
モンドだろ? っと。
■父性の不在だわなあ・・・ 2002/2/3
『地獄の黙示録』には一人だけ正気の人間が登場しまーす。
それは欧米的理性としての正気を完ぺきに体現した存在でえ、
この映画はそれを描くためだけに作られているんだよーん。
それがグレートなファザーコンプレックスを抱えたコッポラの、
たった一つの意図のハズなの。
もちろんそれは大成功。
でも、それを読みとった批評や感想に出会ったことが無い気が....。
ウン年前に初公開された時以来そーなんだよねえ。
虫の音に興味を感じない欧米人がコオロギの鳴き声に気がつかないよーに、
父性に意味を感じない人間はこの映画のたった一つの意図に気がつくことは無いでしょー。
その事実は逆に、ここ日本では父性の不在が常態であることを示しているに過ぎないワケね。
それはラカン論を振り回しながらも父性の説明ができていないことに無自覚だったりする光景に
そのままオーバーラップしちゃう。
それがアカデミズムからサブカル論議まで貫く公平でフラットなザマだしい。
材料がなんだろうが、その程度のコトがワカルのが当たり前でないと、
現代というものを批評すんのなんか無理やん。ただ語るのもボロボロだろー。
『カサブランカ』のラストシーンの意味について解した映画評もないしい、
この映画のラストシーンの意味を解する言説も登場しないのかあ? っと。
昔、初仕事で書いた『地獄の黙示録』のテキストが見つかんないのは作業場のコントンのせいでしゅが....
他誌に引用評価までされてたんだけどな。ポストモダンなジャッジを受けたのね。うふ
■『地獄の黙示録』はファザコンの最高峰!!!・・・ 2002/2/2
この映画には一人だけ正気の人間が登場する。
正気の人間が1人、正気になっていく人間が1人。
この2人の関係がこの映画のすべて。
それを父子相伝の神話構造とする物語はあまりにも多すぎるけど、
また、そのことに考えおよぶ言説が少な過ぎる現状こそが、
この映画を特権的に祭り上げ、そして揺るぎない名作ともしているワケ。
そして個人的な感想に過ぎないもろもろの言説の資本主義的な商品や
自己発現としての意味以外の価値を見出せない混沌こそがポストモダンなの。
エリオットの詩集になぐり書きされた一言が西欧最高の父性を示してる映画なんだけどさ。
コッポラのファザコンて凄いけど、おかげでその表出も軒並みスゴイわけでやんす。
さいこー。
■象徴界だあ?・・・ 2002/2/1
で、サブカル論議やポストモダンゴッコやニューアカっぽい言説の重要ポイントが、象徴界。
一定の論理モデルとして象徴界が形成される過程をカンタンに解説してみせて世間をアッと言わせたのが『構造と力』だったね。
ラカニアンも称賛するラカン本なワケで、まあ、そりゃ、スゴイです。特に、正直に何気でラカンの限界を示したトコなんてもーすごいよねん。
さらに、ラカンを超えるものを教えてくれるとこがサイコー!
で、羊的には、同時にそれを承けとめたヤツがいないらしいとこがサイコーのトラップとしてリアルにサイテーな現実を示してくれてます、、、、
ってな読みをします。とってもリアルに現実を反映した書なんですわん。『構造と力』って。
内容的には重大なコンフリクトがあるんだけど、それを指摘できた人はいないんでココではパス。
でも、象徴界が形成される重要なファクターとしての「父性」の説明不足が気になりまーす。
つーか、わかったフリをするところにアイデンティティを見出したがっているオタクや真性ガイキチには絶対にわからないよーなところに、
あまりにも明白な?があったりしまーす。たとえば「父性」の説明がないとこね。まあその説明ができないとこが浅田くんの限界なんだけどさ。
シロートは予備知識がないんですぐ気がつくでしょ。「父性」って何?ってさ。
わかってるつもりになってるヤツのタームの説明が根本から間違ってるのは日常だしね。疎外なんてコトバに酔っちゃうわりには
その定義もできないヤツほどのうのうと独り善がりな解説を披露したりしてるのはキモイでしゅが。それが露呈するのが
インターネットのメリットでもあるしね。そんなことは複雑な事態でもないよ。今までバレなかったバカさがWEBの自己申告で露呈するんだから、、、、
これは笑える人にはクリックするたんびに毎日が吉本コーギョーな日々でやんすよん。だしょ?
■デフレはいいものだよん・・・ 2002/1/26
ポストモダンだかどーだか関係ないけど、ダメなもんはダメっと。
で、ダメなのは柄谷行人よりディコンストラクション・オタクのよーな岩井克人くんと
経済の原理がわかってんのになあ、のクルーグマンさん。
インフレターゲットを設定しろとか、なんとか。この2人の主張が新聞に出ましたねん、先日。
そーかよ、そーですか。ふーん、残念。
資本主義の本源的蓄積とゆー空間的な静態認識を
不均衡累積過程とゆー風に運動そのものの動態的な認識として
カンタンに説明してくれちゃうビン底めがねの岩井大センセー。
経済は心理だ!っと一言でまとめちゃう哲人経済学者のクルーグマン氏。
山形さんが要するに、てな感じでまとめたクルーグマンもケッコウよかったんだけど。。。。
。。。。だけど、ねえ。
インフレターゲットを設定して調整インフレに導くとかさ、まあ、市場に対する調整政策をとるべきだ....
とゆーのは確かにそーゆーのが有効な面があって、そーゆー時は有効なんだがとゆー当り前な政策なんだけど、
すでにそーゆー局面じゃねーんだよってなコトをわかってないと、
デフレに打つ手はありませんとか平気で演説しそーなデブの福田くんの出番になっちゃったりするんだよん。
で、打つ手はありませんとか確信してるやつが、それでもガンバってやりましょーてな感じで力みながら登場するのが
ファシズムなんだけどね。ファシストや国家主義者やバカ漫画家が力むっつーのはアタマもなければ手腕もないからなんでさ。
ホンモノの武道家に力む人や筋肉ばっかりの人っていないのよん。そもそも筋肉が動く音を相手に聴かれたら負けだしね。
力むなよ、ばかども。なあ。
で、現況はどんな局面かと。そりゃ、ニュースを見てりゃワカル程度の局面なんでしゅが。
金利安、国債安、円安、何でも安でやんす。文句ある?
ニュースでトリプル安になちゃって大変でーすとか言ってたな。
で、それが?
もっともらしく「トリプル安」とか意味ありげに言ってるけどさ。
ここにもターム作って悦んでるヴアカがいるだけだろー。
商品コストが下がって、企業利益が下がって、給料が下がって、だからもっと安くないと買わないよ、ってのが
デフレスパイラルなんだけど。それがどーしたの?
ここでそれを経済全体の状態だとみなして「余剰経済」とかタームを作って悦んだり納得したりして、
洗脳されちゃってるドキュソに限ってマジなヤツが多いからこまるんだよ。
マジでバカって手に負えないからね。タームに依拠してる自分が正しいと思ってるからさ。
タームの総体こそ宗教的なるものなんだけど。
正しいのは現実だけなんだけどさ。そーゆー現実を見えないヤツこそがガイキチなんだけどね。
ヤツらに見えるのは妄想だろー。幻想や現実と一緒にしないでちょ。
で、余剰経済が問題だとゆー認識そのものに問題が2つある。
ほとんどのヤツは余剰の原因を説明できないこと。
原因が説明できないのに不安を煽るのは宗教やファシズムの常套手段だからね。
ちゃんと因果を考えろよ。ケケケ
余剰のミニマムには労働のアウラがあるんだよ。つまり剰余価値ね。労働価値でも可。
この根源的な意味を解さない限り経済とゆーマテリアルを媒介とした人間関係の総体を語ることは全然無理だーね。
語れないものを語ったりわかったフリをするのは良くてサギ並み、悪くてカルトかデムパ、ガイキチでやんすよ。
経済学者とか評論家とかご意見番にドキュソが多いのは「デフレはいい」とゆー意見がないことでも証明済み。
デフレは、いいもんなのさ。
繰り返す....
あれは、いいものだ。
ケケケ
■自転車ゼエイ・・・ 2002/1/23
駅前の自転車は鉄道利用者がほどんとだから鉄道各社から税金を取る....だっとお。
1台3000円だってえ!
ぎゃははははははははは
こいつ、ばかあ?
東京や大阪で採用された外形標準課税かなんかのマネしたつもりい?
スタンドプレイは止めろよ、みっともないよ、バカさらしてんじゃん。
鉄道はいろいろな区を通ってるだろー。
池袋だけじゃないんだよーん。
それにい、ワンルーム建設すると1部屋に50万円の課税?
ワンルーム暮らしの若いリーマンや学生は他へ行けってゆーことお?
ワンルームの人間は地域コミュニティの邪魔だと?
これが東京の区長の言うことか?
こいつ東京の人間のクセにカッペなの?
破格のヴアカだね、この案作った人たち。
とゆーことで東京にもバカなカッペがいることを確認。
カッペの吹き溜まりであるTOKYOってケッコウむずかしいそーなのん。
そんなカッペちゃんがコミュニケーションできるよーに生み出したのが共通語。
究極の指示表出だね。自己決定ばかりのローカルから遠隔化した共通コードなワケ。
自己確定ばっかの自己表出ではコミュニケーションできなことをフカ〜ク反省してできた賜物でござる。
それを知らないドキュソは東京で方言を使ってるわな。
いちばんヴァカやんけ。けけけ
■デイトレ25ん・・・ 2002/1/19
日本経済がっくんがっくん、コケ続けえ〜。
で、ここんとこ10日で25万円とかもうけた人、けっこういるね。
東証はポストモダンのリアルフイールドだからなあ。
1000株あたり10万円前後だったりしたら、大勝利のたぐいだわな。
うひょうひょ
退職金とかリストラ放免お小使いとかゼ〜ンブぶちこんで、
中央線とか樹海つあーとかGOするのも自己責任。
リアルフイールドはマテリアルだからね。
だわな
■ケージでも浅田はダサいか?・・・ 2002/1/11
あのバブルがイカったのはサティやケージが完璧に商品になったこと。
WAVEやHMVで商品のレクチャーをやってた人の意義は、ハイカルなスタンスをイメージさせるくせに
内容がないテキストを書いてるよーな批評家なんかより大切なもの、でしょー。
で、突然....
●ケージはオーディエンスをシカトしてた?
究極の表現といえばケージ。無調性にノイジイに、無音とゆー極めつけ。
ケージは何を考えていたのか? さまざまな表現をしつつも、実をゆーとオーディエンスの
存在にウエイトをおいてなかったんでは、とゆー感じがします。だって無音表現じゃーね。
それにノイジイだったり無音だったりするのは12音階で無調性にトライしながらも内破させる
ことが出来なかったとゆーことの証しでもあるしね。12音階を内破させつつオーディエンスに
亮受してもらわなけりゃ表現としての意味はないからさあ。
<意味>に<無意味>を突きつけるのは単なる反意語でしかないよん。すべての表現行為を
破壊するダダがテメーを破壊してあえなく終っちまったよーに、現実的にはオワリなんだよ。
そーゆーのは。こーゆーのはガキのイタズラなんずら。現実の構造は対立物の統合。理念として
等価な対立物は現実的には一方のマテリアルな存立構造に依拠してるだけ。無音を有音の表現と
等価だとみなすのは理念の中だけだね。現実には有音だけが音の表現だから。
理念だけでジャッジするのはガイキチだけ。
●ケージの問題意識は調性だと思われ?
ケージが問題にしてるのはトーナリティ(調性。複数の音程による全体イメージ)でしょー。
音程そのものじゃないよ。音程だと思ってるタリンちゃんも多いけどさ。その上で12音階音楽
(モダン)のドミンナントへの反発から騒音や沈黙を表出にするのは何の解決でもないしね。
表現者にとっての意味しかない私小説と同じでさ。独り善がりの表現は。もちろん「音程」を
超えてるわけじゃないし。とすればそこから解るケージは....。
ケージがドミナント進行への反発から単なる騒音や沈黙を選ぶなら、それはコワれてるか
アキらめたか、その程度のこと。浅田のケージ批評より面白いのが“ケージはコワれてる”
ニュアンスの誰かの批評くらい。『ハイ・イメージ論』の「像としての音階T・U」とか極少数の
テキストだけ。それに心的現象論の具体的な応用としてこのケージ論はオモロカッタよね。
ラカニアンや精神分析医は詐欺的な言説で統合失調症を分析できるフリするよりさあ、
まず必要なのは自己分析でしょー? ケージ批評なんて、その後だろ。
まあ批評そのものがムリだーね。
●そんでケージは何かを超えたのか?
12音階での表出の中で12音階(少なくともその文法)を超えられるかどうか。
12音階(モダン)をどういうふうに内破するのか。興味があるのはそこでっす。
12音階音楽のなかでドミナント進行という文法を破った小室の表出は、まさしく
シラケつつノルことができてるし。それを渋谷系ドキュンも聴くJPOPでやったの
だとすれば小室はスゴイなあ、と。
それだけのコトだけどさ。
自然音の音程(無段階、人声は4度音程)に敏感な感性の小室が、12音階という
制限の中で表出したら12音階の文法(4度音を排除した西欧近代音楽の。M・ウエバー
が音楽社会学で指摘してる件の)を破っていた。内破ね。それを音楽を「学」した
おエラいさんたち、つまり12音階に規制された感性と理性しかないプロから「コード
進行がおかしい」「転調がおかしい」と罵倒されて。モダンの文法に合致しない表現は
気狂いだと。じゃ小室のヒツトを支えた数百万人は気狂いなのか。それもよし、かな。
所詮プロは(浅田も)特定の指示表出が過ぎるか、そこにしか依拠できないなら、
それこそガイキチ。オタクか。逝ってよし。なんだけどね。
●ケージはただのドンヅマリとか?
一方、12音階・モダンに抵抗しようとして沈黙するのは勝手だけど芸がなさ過ぎ。
小室はモダンの文法を無視しつつ大ヒットを連発したし、坂本はその小室の才能に
驚愕したし。浅田はその辺をどう見んのかね。興味があるのはそこなんだけどさ。
沈黙を表出にぶつける程度の反応ならばどうでもいいでしょ。自閉症もヒッキーも、
どっこいどっこい、同レベル。ハイカルチャーという指示表出だけに依拠するガイキチ
でもよし。ただし消費者一般の選択眼を否定は出来ない、それを自覚しろつーこと。
ZONEはいよいよホンモノだし。
M・ウエバーが見い出した4度音の否定がモダンを確立したことへのケージの
理解や浅田の認識はどの程度のもんなんだろーかあ? まあやってること見聞すると
たいして興味なくなってきた今日この頃なんでしゅけどお。
12音のなかで4度音を否定すること。つまり人声のニュアンスを消去していくことと
それに対するカウンターがポイント。ケージがそのカウンターではないならばケージへ
の興味もないしなあ。星の数程の音楽家の一人でしかないじゃん。シラケつつノルことが
できていないケージだとすれば、どうでもいいんだけどさ。
でも基本的なスタンスがイケてるからさ。
ケージが無響室で聴いた人間そのものの音の話しで....「聞く耳さえあれば、
つねに聞くべき音が存在しているのである。」....と言ってるけど、ならばオーディエンスに
聴こえる表出をすべきじゃないかと。人間そのものの音の最たるものはもちろん声でしょ。
声の音程である4度(音)を否定して12音階音楽が確立していくのを見い出したウエバー。
人声だけではなく小鳥のさえずりも4度で採譜されてるんだよね、モダン以前は。
12音階内でしか表出できないマテリアルな環境で、12音階に規制された感性(とそれへの反発)
しかないケージがケージ的な展開をするのは当然なんですが、それが「音楽」や「音程」を
超えたことになるのかな?
スゴイのは小室や宇多田だろ。
●強度がないケージや浅田あ?
12音階のドミナント進行否定するためにいきなり騒音や沈黙にいっちゃうケージはドキュン。
脆弱にさえ見える。4度音が排除されていく過程(モダン化)で12音階での表出にかけ、
その緊張でもって聴衆を魅了するフルトヴェングラーや小鳥のさえずりを4度で採譜した
マーラーらの強度は浅田にもケージにもないのかな、結局。
何気で自然音程(無段階、人声は4度音)を表出するために12音階理論(「学」としての
西欧音楽、クラシック)を自然に超えてドミナント進行の無効を証明し、音楽(学)のおエラい
さんに「コード進行がおかしい」「転調がおかしい」と罵倒された小室。坂本の小室への評価を
浅田はどうみているのか。そこかな、ちょっと興味があるのは。
アドルノとかその程度で音楽をわかったつもりのアカデミンちゃんてやっぱヒサンなんだよなあ
ましてやマキハラでイっちゃてる浅田とくりゃ、もー、なんつーか....。J・アタリくらいは読んでんのかねえ。
まあ読むだけなら誰でもできるしなあ。タリンちゃんほど穴埋めのために必死こいて読むしなあ。
なあ。
■デイトレ・・・ 2002/1/9
デイトレーダーで今日だけでいろいろゲットした人も少なくないみたいね。
去年からチェックしてるターゲットがバクハツ気味だったりするなあ。
それもいくつも。
12日も銀英伝放送するけど、あのセリフから学べるコトだってたくさんあるわいね。
ポストモダンがリアルフィールドだってゆーことね。
■ユニクロがダメ?になった理由・・・ 2002/1/9
そりゃあ、縫製でしょー。
まあ、売上げ3兆円を目指すとかなんとかゆーデンパ?な話題も提供してくれた社長さんだったり企業だったりしますが。
夏以降くらいの生産品からだと思うんだけど縫代の返しの回数が激減?つー感じですね。
ダメじゃん、全然。そんなんじゃ。
何考えてんのコイツら。
デフレバクハツ毎日が過剰でオールDS化しちゃってる日本で丈夫でないモノなんて買わないわよワタシ、、、の世界が
ワカってない輩には敗北がプレゼントされます。はい。
ムッジーこと無印良品がノーブランドとゆーブランドを上手く設定して、
それなりのきめ細かいマーケを繰り返してきたワケですが、
プライスダウンも数回繰り返しアウトレットのコーナー作ってみたり、努力してます。
ユニクロのフリースが1900円くらいで注目され時の中国での人件費は日本の100分の1。
今は50分の1とか20分の1とかになってきましたが、この安さだけが武器なら失格だね。
当初その安さに寄りかかって、デザインの悪さを「個性のないデザインを目指す」と主張したのは
単にゴマかしでしょー。生産現場の質の悪さや指導管理するためのコストを惜しんでるのは結果に出てくるから。商品に。
とゆーワケで店の端っこに吊るされてた縫製が丈夫だった頃のユニクロのジャケットを買って、あとはパス。
もーユニクロを買うコトはないかも。つーか、買ったのも初めてなんだけど。
何回見てもデザイン気に入らないし、客もいないでしゅよ。
■オルガンとかあ・・・ 2002/1/5
オルガンは押えるだけで音が出るんで、どんなに運動神経が鈍くても、音感ゼロの音痴でも弾く?ことができる楽器。
そんなワケで電動オルガンにマイクとFuzzという究極の設定のマイキーボードで
ハードロックにチャレンジしてたのもセイシュンのヒトコマ。オルガンの内部にマイクを差し込み、
それをFuzzを通してアンプにつないでね。
まず初めて弾いたのがあの「Smoke On The Water」のリフ!!!
楽譜によれば右手の2音の複音だけで弾けるんで問題なさそうなんだけど…。
ところが、なんとあんなにゆっくりなのにテンポが合わない。おくれちゃうんですね、コレが。
1発目の音をおくれてハズすと、2発目の音をあわてて弾くのでまたズレちゃう。
1発目はおくれて、2発目は先走ってズレる。ヒドイ。ヒドスギル。
「自分」がこんなにヒドイとは…。コッケイでメチャクチャなザマは自分でも大笑いしちゃうほど。
落した涙は大笑いのせいだか才能の無さに悲しくなったせいだかぜんぜんわからないんですうがあ。
それは同時に激しくキビシイ涙と笑の自主トレの開始を意味していたワケですう。もう然と練習がはじまったのよ。
(結局リズムのトレーニングに関してはずっと後になってライブハウスでコンサートをやる直前まではしなかったんだけど。)
まあ練習といっても電動オルガンの前に鎮座して楽譜の音符を指で追いながら鍵盤とにらめっこするんですね。
ヘッドフォンでカセットテープの曲を聴きながら「これはソだな」とか「ソっていうのはGなんだな」とかさ。
何も知らなかったんで毎日が新鮮な感じ。
「Smoke On The Water」のリフに出てくるのはGmとFの2つのコードだけなんだなあ....
とかわかるとナゼかちょっと安心したりして、フムフムとか納得するんですねえ。人間ってそんなもん。
知るコトができると安心するワケね。「インテリは知識で武装する」とかなんとかいうフランスの思想家の言葉かなんか
思い出して満足してましたん。
そのうちGの音をルートにして適当に弾くとなんとなく雰囲気が出ることを体得して経験値をアップ。
もちろんその雰囲気がGを中心にどんな音を選んでいくかで変わるので、その音の選び方で調性が変わるんだろうと予測。
ハ長調とかニ短調とかいうやつですね。それでも共通するらしいほぼ5つの音を確認。
これは音感が悪いことの賜物で、テープを再生しながらどの音が鳴ってるんだろうとかどの音が合うんだろうと
鍵盤の上を半音階ずつ押していくとまずイチバン基本的な音が一つわかります。それがルート。
この音がルートなんだなと思いながら他の相性のいい音も探していきます。
最終的にわかったのがどんな音楽でもたいていは共通の5つの音があること。
ところで伴奏は両手が必要なんで、ピアノもオルガンも習ったことがなくて
音楽の成績がサイテーの自分には無理と最初から放棄。
でも右手だけでのアドリブだったら出来そうだったので最初からこれを狙いましたん。
どんな楽器もいじったことがないんだけどいきなりオルガンでインプロヴィゼイションを目指したワケです。
知らぬが仏。ホットケ。
ガキのころからボサノバやジャズを時々聴かされて、オルガンの音色が変わるとこやフルートの激しいプレイなんかを
カッコイイと思ってたんで違和感はないしい。ジミースミスやハービーマンとかね。
それでむしろ最初からアドリブを弾きたかったのかもしれません。周りに合わせる必要がないような気がしたし、
同じことの繰り返しがほとんどないので、スゲーとか思ってました。まあ、周りに合わせる必要がないのは
合わせる能力もなかったからなんで、もー、原生的疎外の自己確認ですね、とゆーのも芸のない言い分なので反省しつつ。。
■ひろゆきクール!・・・ 2002/1/1
電波系の人って、基本的に頭が悪いんですよ。
(『2ちゃんねる宣言』P125・西村博之の発言より)
ホントなんだよなあ....
頭悪いっつーか、悪過ぎ。羞恥心ゼロだもんね。
東京で大阪弁はなしてるヤツ並みだもんな。それ以上か?
それにしても2001年のサイコーの本つったらコレだなっと、思うです。『2ちゃんねる宣言』
ひろゆきとの対談でイラ立ってる宮台さんもステキい。(^^;)
メエメエ
■明けました!・・・ 2002/1/1
パンドラの....だろ?

