羊通信 2002.1.1〜6.27

Active-Line
− 文字化けしたら「表示」で「フォント」の表示サイズを変えると直るよ −

羊通信ドーナツ版

TYO & SKYDOMO羊通信羊通信パラパラ版ネタちょー(ネタ募集中)


■マトメなTKと宇多田・・・   2002/6/27


いつ書いたか忘れたけど、HTMLエディターが完全32ビット対応じゃないのでバクバクにハングアップする、んで、今頃の登場だあ、と。XPは安定してんのにさあ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


楽曲そのものにフォーカスしてみるとオーディエンスに対してTKは垂直宇多田は水平なアプローチをしているといえます。

TKの楽曲の最大の特徴は4度音程によるメロディーと歌。
これはホルマント構造とともにツノダテストで確認されている母声への絶対受容性がポイントです。
オーディエンスの一人一人の脳幹に1/10000秒というスピードでダイレクトに意識を介せずに届く声に近似しようとするアプローチで、
それを自然にやってしまうトコがTKのスゴイところ。たとえば古くから巫女などはそーゆー存在(テクニカルに行使できる)なんですね。

宇多田のブルーノートまたはペンタトニックのスケールをメインにしたメロディは他の楽曲との音程公約数が高いコトで、
音楽の経験値が高い人ほどスンナリと自己確定してしまうという特徴があります。また高調波倍音の多い声は
メロディーの基音の低さや声質の太さから意識されませんがホルマント構造度が強く、その点でも意識しないで届いてしまうという属性があります。


高々と世界視線たらんとする指示決定をかかげ、それを万人の母たる巫女のホルマント構造に載せてみせたTK。
誰もが耳にしたことがある聴感データベースにデフォルトでアクセスするメロディと一瞬の安堵を呼び起こすホルマントな声の宇多田。

同質の声を武器にしながら前衛を務めるTKと、
ポップな公約数にマイペースを維持する宇多田。

宇多田をTKの対極ととらえるような聴覚やアタマではどちらの本質もわかりません。宇多田とTKが同一の身体性をもっていること。
すべてはその感覚的な事実につきます。マテリアルなリソースを構成同一性的に感受できるかどうかを問われるのがTKと宇多田の関係です。
逆に、他者とのコミュニケーションや共同性を支える認識力、
つまり構成同一性=認識の統合力さえあれば誰もが亮受できるのがTKと宇多田の音楽です。
ここにヒットや流行というものの最大のポイントがあります。



■『2ちゃんねる宣言』だよん−3・・・   2002/6/9


番外コラムで兼用。2001年最高のご本をご紹介でやんす。ハイ3本目。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


■2ちゃんねるの実用性

 単に実用価値に限定しても2ちゃんねるほど便利なものはない。Windowsの設定について質問すれば
数分で的確なレスがつく。観葉植物の手入れについて迷っていると翌日にはアドバイスがある。全国
の地域情報系掲示版へのリンクをたどればたちまち故郷や知りたい地方の生の情報がリアルタイムで
手に入る。田中外務大臣更迭の裏舞台から賛否両論までが数分単位で書き込まれる。小泉改革に対す
る抵抗勢力議員のリストが作られる....。



■2ちゃんねるの想像力

 個人情報保護法をめぐる宮台真司とひろゆきの対談がオモシロイ。
 対談はすれ違ったまま終わるのだが、このすれ違いとかみ合わなさこそが2ちゃんねるやインター
ネットのリアリズムと一般社会のギャップだといえる。ひょうひょうとしたひろゆきと彼の理解を得
られずに苛立つ宮台のギャップが笑える。
 しかし、個人情報保護法が成立すればこうやって笑いたくても笑えない事態が生じること
もあるかもしれない。

 どーであれ、ひろゆきや2ちゃんねるの存在と責任がクローズアップされてくる可能性は高い。今
想像力を働かせることが2ちゃんねるやひろゆきに課せられることになるのはあたりまえだ。

 もちろん2ちゃんねるだからといってオヤジやババア的なしがらみを超えてるワケでもなく、青二
才的やガキより立派なワケでもない。むしろそういった世俗や党派性が凝縮されているところにパソ
コン通信やインターネット一般で見られるような属性が濃いカタチで表出されているし、現実にトラ
ブルも起こっている。

 ネタも含めて、たとえ運営が混乱するようなトラブルが生じたとしても、そのどれもがきたるべき
ものでしかないだろう....と思わせるところがあるのが2ちゃんねんるの最大の特徴なのかもしれな
い。問題はその過程や経過がオープンであるか、解決に妙味があるかということであって、ネットや
メディアそのものが優れているかどうかとかテクノロジカルな可能性そのものではない。そこに関わ
る人間の、露わになるからこそ自己言及し自己統御されるモノゴトの相補的なチェックの質そのもの
が問われてゆく、その道のりそのものだろう。
 ネットとゆー想像力そのものに大きく左右される世界で、だからこそその可能性がためされる、理
論的には無限大な、共同体とその共同性の壮大な実験であり現実そのものである2ちゃんねる。それ
が日本で生成したことの意味も含めて、今後もより深い孝察が出てくることに期待したいし、本書は
まぎれもなくその最初の一冊だろう。



■『2ちゃんねる宣言』だよん−2・・・   2002/6/8


番外コラムで兼用。2001年最高のご本をご紹介でやんす。ハイ2本目。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


■2ちゃんねるのテクノロジーと哲学?

 本書をもとにアバウトに2チャンネルの特徴をピックアップすると....


匿名性

 記名性だと責任が明確だという指摘があるが、そのことによって匿名性に対する否定や批判の根拠
にすることはできない。あらゆるプレッシャーに左右されること無くいかなる見解も意見もプレゼン
されるべきであって、それが民主主義の大前提だ。


テクノロジー

 マルチスレッド・フローティング方式。いまこの瞬間に話題になっているものが常にトップにでて
いるというコンビニのPOSシステムみたいなもの。旬のものが必ず人目のつくところにあり便利だ。
一覧を眺めるだけでリアルタイムにアクティブな話題がわかるし注目を集めているものが把握できる。


モナー

 「オマエモナー」と発言者とその意図(発言内容)を相対化する決まり文句とそのキャラクター。
この「モナー」こそが本物のネットワーカーの姿だと断じる著者の視点も確かだ。



■2ちゃんねる参加への目安

 株式投資のスレでは、失敗して青木ヶ原の樹海で樹にぶら下がっているAAキャラをよく見かける。
それを笑えるか/気分をコワすかどうかが2ちゃんねるへ参加できるかどうかのひとつの目安になる
だろう。

 つまり、アナタの2ちゃんねる適性をチェックできるワケ。どうよ?
オレはワラたYO。以上。....てな感じかといってみたりする....ワケだ。


  視聴者やスポンサーにおもねる「マッサージ屋」と化した既存メディアに対する
  強烈なアンチテーゼとして現れた、
  ほとんどメッセージのみで武装した「ひどく原始的なメディア」。
  あるいは、
  残された数少ない「本物のメディア」。


....という本書の2ちゃんねる評は、マクルーハン理論程度の知識などコケにしてしまう巨大掲示版
の現実とそのスピードや強度を示している。



■『2ちゃんねる宣言』だよん−1・・・   2002/6/7


とゆーことで安易な流用万歳、他力本願、アレはコレでコレはアレエっとゆーことで、
番外コラムで兼用ねっと。2001年最高のご本をご紹介でやんす。ハイ1本目。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 インターネットやコンピュータ関係の文化を語る上で2001年中に発行された本のベスト3に
入ると評しても過言ではないのがこの『2ちゃんねる宣言』。
 単にコンピュータやインターネットのビジネスライクな運用や効果をあげるための実用書と
しても本書の内容を吟味することは凡百の専門書より有意義だろう。



■1日で1600万ヒットする「便所の落書き」

 エラソーにしてるニュースキャスターから「便所の落書き」と言われる巨大掲示版。その一方で、
大衆の立場からモノゴトを考えるタイプの田中長野県知事をはじめとした人たち御用達になっている
個人のサイト。300万人のユーザーが連日連夜アクセスし秒単位で新しい情報が書き込まれる情報
のディラック。

 2002年5月、2ちゃんねるの歴史は3年を超えた。最近は1日で1600万ヒットあり、ユーザーのう
ち自らカキコする人が16〜18%という参加率の高さを誇っている。月間維持費700万円を必要
とし、それをこなしているという事実も口先だらけのベンチャーやITといったビジネスベースをは
るかに超えている。

 実際的には「日本のなかに「2ちゃんねる」という見えない国があるという感じ」とまで評される
その存在について、至急にしかも正確にその実態にアプローチし、それを周知せしめるのは緊急を要
するとまで言っていいほど。だけど、それができたマスメディアがないのも事実。
 この2チャンネルに対する評価には誤解と無知がつきまとっている。


  「もはや、「2ちゃんねる」がニュースソースなのではなく、
  「2ちゃんねる」そのものがニュースなのだ。」

....という認識が妥当でありながら、その2ちゃんねるに真正面からアプローチした記事がほぼ皆無
だったのではないか。興味本位に取り上げた例は数多い。しかし、匿名でいい加減なアブナイ掲示版
という前提が見え隠れするものがほとんどではないか。それを象徴するのが某キャスターによる「便
所の落書き」発言ではないか。

 そして「東芝クレーマー事件」「佐賀バスジャック事件」「日本生命事件」といったニュースや訴
訟の場となり、しかも、それをキッカケにユーザーが急拡大している巨大掲示版が2ちゃんねるだ。



■2ちゃんねるの説得力

 2ちゃんねるが急拡大した理由に匿名性がある。一方でインターネットの普及にともなって問題視
されてきたのがこの匿名性だ。ネット社会の悪の元凶や犯罪の温床として匿名性がヤリ玉にあげらる
ことも多い。しかし、匿名は悪いコトなのか?
 本書では「ある意見が存在したか/しなかったかが問題となるレベル」があると主張するあるライ
ターの言葉を引用して、匿名性への批判を「的外れ」だと否定している。有名性が何の解決にもなっ
ていない現実社会をみれば、匿名性による豊富な可能性の方が貴重だろう。
 また最近いろいろな面でディベート能力の必要性が指摘されたりするが、

 都合のよい解釈を集めて論理的な構成力で勝負をつけようとする、
 ディベート的なテクニックも通用しにくい。

....と2ちゃんねるがマテリアルなリソースのみが説得力を持ちうる世界であることを示している。




■マトメなメモ・・・   2002/5/26


■フロイトへ帰れって

 結論ゆーとラカン自身が主張してるよーにフロイトに帰る方がベター。
そしてフロイトが主張してるよーに実際はほとんど治療出来ない。
自己の回復力に頼るだけ。ホメオスタシスだね。

 自己の回復力を起動するのに威力を発揮するのは投薬とバイオフィードバックバイオフィードバックはウチ的には自己言及なんで、カンタンですね。
自分のザマを見るコトだから。価値判断としても身体感覚としても。


■言語だけじゃ心理はつかめないの

 3界論が治療に役に立つコトはないでしょー。
あれは論理モデルで遊ぶアカデミンな人たちのオモチャ。
言語とゆーか概念の獲得過程に心理を当てはめたもんだけど、
だいいち、そのことが、日本人からはズレちゃってる。
言語野をはじめ脳の構造からして違う欧米人の方法論に過ぎないから。

 言語野が違う欧米人には虫の鳴き声は雑音でしょ。
日本人(とポリネシア人などの一部だっけかな)にとっては虫の鳴き声は有意味。
季節を感じたりね。デフォルトの脳では日本人の脳があらゆる言語への適応性を持ってるのもこのため。
やがて分節化がハンパな日本語環境の中でその可能性は未発達のまま固化しちゃうけどさ。

 それから治療の現場で、
厳密には発達心理学やフロイトを援用しながら溯行した分析はするでしょーが、
催眠療法は無効なのが解ってきてるのでアメリカでも取り止めがトレンド。
日本ではもともとあまりやらないでしょ。
病気の治癒と症状の解決の目的はあくまで患者の現時点。



■お経でさえマテリアルだわ

 前にも書いたけど経文は音がポイントであって、文字の意味の価値はその次だか。
経文を唱えて作るパワーウオーターつーか真言水なんてその顕れつーかマテリアル化したもの。
水の分子のクラスターが細分化されてるワケで。これは書でも同じ。悟った人の墨汁の分子は細分化されてる。
ハイデガーを驚愕させた僧侶にして哲学者の久松真一が指摘してるね。現象学程度のもんは日本は超えてるから。
マテリアルそのものは現象学などという認識そのものさえ超えてるからね。


■現実=マテリアルだろ

 宇宙の真理っつーのはマテリアル。
 現実界ってのはマテリアルそのもののコト。
 ただしマテリアルそのもの自体としては認識出来ない。
 物自体に到達できないとゆーカントの問題提起もコレ。

 主体(人間)が外界(マテリアル)を認識するのは感覚を通して。
 この感覚にバイアスをかけてるのが感性とか知性とか観念。
 観念の不変性が高い認識が象徴界。
 知性をコアに柔軟な認識が想像界。


■父性の意味は不変性だよ

 象徴界認識の確立で父性が喧伝されるのけど、
その父性が何を示しているかは問題にされてないトコがラカニアンのダメさ。
つーかインテリゴッコ全般のダメさだね。

 父性が示してるのは象徴界の不変性。
あるいは象徴界を変更しうるのコト。
つまり指示決定の不変性であり非自己言及性。
逆に自己確定と柔軟性を示しているのが母性でしょ。


■マテリアルを加工するワケ

 このことをカントは物自体への到達不可能性として提起したでしょ。
認識は感性(感覚)と知性を媒介にしてしか物自体(マテリアル)を認識できないんでマッハが登場する。

 しかしマテリアルに働きかけてマテリアルを加工出来るから心配ないよ、とゆーのがマルクス。
だからさあ、いまごろNAMつーのがなんだか。ないよりましかも知れんけど。


■宗教の意味とかあ

 専門用語や知識と人間性や他者への配慮は全然関係ないんで、
まず自己言及を繰り返してみるコトですね。
反省のない人間が何をやってもダメだよ。

 そして自分にとって不可抗力のよーな外部からの力で
自分の象徴界認識、指示決定を揺さぶられないと。
自己言及しても動かせない指示決定や象徴認識を変成させるのが
宗教の修行だから。目的は不可抗力に対して抵抗性を高めるコトだけど。



■トレードにかこつけてえ・・・   2002/5/14


5月14日
つーことで日産の株価が1000円を突破か?

現実のポストモダンフイールドで勝負できないガキが論外なのはさておき、
ハイテク株がバブルの最中、光通信の株価が高いのはおかしいとゆー
当たり前のコメントをしていた浅田彰くんは、その当たり前のコメントゆえに
極めて正しく、ボクは感動したのでありましたん。

ケータイのただの違法安売り屋がハイテク企業の代表面さげてたバカぶりは、
銀行が演出したものだったけど、それにノッたのはまぎれもなく投資家であってさ。
その投資家のイジョーな判断をわざわざ指摘してくれた浅田くんの姿勢は
とーても尊いものなんですね。

たぶんそのコメントを浅田読者を自称してるよーな者ほど理解できないであろう
現実が、繰り返すけど、サブカル論議やタームを振り回すことでしか自己表現できない
デムパ&ガイキチのバッコスル現実なんだね。



とゆーことで、知合いには日産の株式取引で年収くらいゲットしてもらいましたあ。
さりげなく教えてあげて、みるみる株価が上昇すると、感謝もされるけど、こちらの
心境は複雑。これが上昇じゃなくて下降だったらどーゆー顔されるのか、と考える
ワケです。ガウッ

関ヶ原の合戦前に、自分に不利な情報を告知しつつ、それでもついて来る味方だけを
選んだ徳川の卓見は自分のものにしないとね、と思いつつ、そんなことができる現実は
あるんじゃろかと。それより正直に自分にとって利益になるかならないかをハッキリ
させる方が説得力もあるし現実的なのは確か。

でもね、利益とかカネじゃなくて、挨拶を多くした方が勝つとゆー共同体が、
あるんですね、現在日本に。カネじゃなくて挨拶だよ。利益じゃなくて人間関係だって。
すげーなーと思うんですが。まあ、どーゆー風にスゲーかなんて想像もしたくねーよ、
な感じなんです。自民党。栗本慎一郎の自民党研究って、けっこう面白いよん。
学術書だしなあ、あれ。けっ



デイトレーダーとかスイングトレーダーとか、名辞はどーでもいいんだけど、
だいたい月間300万円投資して50万か60万円の利益をあげるのが目標みたいで、
投資額を20%もふくらませたらイケてるわけですね。もちろんそれは
負けも含めた平均であってさ、勝ったときのトレードのみをチェックすると
160円が800円以上になったとか、400円が1000円以上になっとか、結構あるでしょ。
ちゃんと考察してれば、つーか、まっとうに考えるアタマがあれば、1年間に何回かは
そーゆーチャンスがあるのがフツーつーかトレーダーのトレーダーたるゆえんでしょね。
そーゆーのにソウグウしないのってそもそもトーレーダーでもなんでもないし、
もちろんそーゆー勝負さえしないのってポストモダンでもなんでもないしね。

午前中に1、2回ほど利益が数万円の取引をするだけでも月額にすれば上場企業の
部長以上の収入にはなるだろしね。TVでもやってたけどさ。
もちろん実際のところ利益を得られる人は全体の数%だけ。
その現実を直視するのが、まずスタートだね。
そして覚悟するのが参加資格のサイテー条件書籍や妄想や好き嫌いの品評会言説になんぞポストモダンはおろか、
現実のマテリアルな条件を見切るスルドサなんてないからさ。
ましてや宗教なんぞはね。

イギリス国家を屈服させ、ロシアのエリツィンを辞任させ、
突然ヘッジファンドから手をひき、転身したジョージ・ソロス。
ポーランド系ユダヤ人としてナチス支配下で生きながらえたバトルな人生は
言語同断もの。ユダヤ人の財産を没収する仕事につきながら自らの生をクリアした
アリーナな毎日がシノバレます。
そのポストモダニストさえ戸惑わせている東京の現実って、まあ、スゴイでしょそれが何が?っつー感じもするけど。きゃはは

だって、その程度の問題でしかないワケでもあるしいー。
東京の問題ってね。



■日本経済の変化率を観よ・・・   2002/5/1


▲ある時期の社会経済のバランスを考える

理念的には現在の日本の経済には以下の等号が成り立ちます。
とゆーか、成り立つのが、理念なんですが。(~o~)

とにかく、それぞれの項目は理念としては等価です。

このバランスのとれた等号関係の変化を考えると、
社会経済の構造の内的な変化がわかります。
やがてそれは構造そのものへの変化となります。
たとえばそれが恐慌だったり革命だったり戦争だったり、しますね。



理念的に等価なのは....

GDP = 株価時価総額 = マネーサプライ・通貨総量 = 担保総額




▲ある時期をデフォルトに設定する

そして、ある時期の社会経済状態をデフォルトに設定します。
それを均衡のとれたホメオスタシスな状態だと仮定します。
ポイントは、そこからの変化率です。現実にポストモダンフイールドで生きてる人には
あまりにもカンタンな概念設定かもしれませんが。(^^;)
経済成長が+か−かなんてホントはそんなに問題になりませーん。
問題になるのは変化率の方です。

この変化率を取り上げて小室直樹シェンシェイみたいに加速度原理がポイントだとかゆーのはいいですが、
その動因の分析は全くしてないので、そこ止まりなのね、小室シェンシェイ。やっぱTKの方が立派っつったって関係ないけどさ。けけけ
まあ動因は心的現象におけるクロナクシーだのなんだのですよん。極限では「せき立て」の心理であり、
金融工学でノーベル賞をとっているブラックショールズ式などの確率過程期待論、つまりあの「伊籐の定理」というものが原点です。きゃきゃきゃ



▲デフォルトからの変化を考える

で、問題は変化率です。
そのデフォルト期から一定の時間が経った時期のそれぞれの項目の変化の割合ですね。
社会全体が変化なく推移してるなら、各項目は同じようなバランスで相互に関係しながら
平穏な月日が過ぎているでしょう。

逆に、ある項目だけが急激に変化してたり、あるいは全然変化しなかったりすれば、
デフォルトの項目相互の均衡は失われ、全体のバランスは崩れてきているワケです。

このバランスが崩れてきたことをデフレだとかインフレだとかレッテルを貼って
騒いでるのが識者とか政治家とか、そういう人たちです。理由はカンタンで、
自分たちの出番を作るためなんですけどね、たいていは。(^^;)
批評を気取りながらその実はアクビのでる自己表現に過ぎないものなんて、
他人にとってはウザイだけだもんね。



■ZONEの示したもの(ホソク)・・・   2002/5/1


で、ZONEの意味ですね、意味。
価値でもいいか、価値。
それはSPEEDにトドメをさしたコトです。
繰り返しちゃうけどさあ。

トドメね、トドメ。

ローカル出身でエスノのニュアンスもあるSPEEDにトドメ。
つーことはローカルやエスノにトドメをさせるものとゆーことで、
それはローカルじゃないもの、エスノじゃないもの、でしょ。
つまりココやアソコといった具体的な場所に象徴される、
身体性のある表象じゃなくて、
ドコでもOK、世界でGOってな感じの世界視線なんだね。
わかったあ? つまり抽象度の高い、観念性の高い、それだけ普遍性のある表象とゆーことね。

まあ、どっちが良い悪いとかスグれてるスグれてないじゃなくて、
社会の構造変換により応じた表現ね、とゆーことでしょー。
社会の構造変換て、テクノロジーの変化だから。
大事なのはマテリアルとテクノロジーつーこと。



■デフレだYOったら・・・   2002/4/30


ああ、前回の続きのメモがあったあ・・・・・と。


   デフレとインフレはモノとカネの相対的な関係にすぎません。
   で、それ以外に意味はありません。



すべては相対的。

その程度の問題に過ぎないんですねえ。
カネに達者な人や、評論を気取るとゆーよーなお気軽な立場ではなく、
カネやモノの当事者、つまり経済に対して直接の当事者であるとゆー自覚のある人、

そーゆーリアリストはデフレやインフレで騒ぎません。
騒ぐのはいつも、見物人か自覚の無い連中だけです。
そして見物人に解決能力は無く、
自覚の無い連中に救済はない、、、、。
ただ、それだけのコトなんですねえ。
バカは死んでも直らない、つーか、バカのまま死ぬんですよ。
つーか、バカゆえに死ぬのかな。中央線や樹海でね。
ま、場所は自由選択の余地がありますがあ。


■放しガメ?・・・   2002/4/28


江戸の伝統的行事である“放し亀”を主催&参加。
蓮の花を食べるカメちゃんに感動。
未来永劫にわたる革命的運動の決意を新たにす。

おわり



■島唄じゃなくてポリス・・・   2002/4/23


『ワダツミの木』
を聴いて即効で感じたのはポリス。
まあ、あのレゲエのリズムね。

ただし、ポリスのリズムとしてだよ。


そこで解るのは自分の感覚形成の歴史だろーね。


『ワダツミの木』を聴いて島唄がどーのとか、
エスノがどーのとか、そーゆーことは感じない、
とゆーか興味が無いんだね、たぶん。


ああ、タイトなレゲエにあの発声か、てな風な第一印象かな。
そのとたんにピックアップされる類似項目はもちろん今までちょこちょことココで書いてきたよーなコトばかり。
それが統合感覚の形成史をマテリアルに補償するものであるのは当たり前、と。

感覚は全人類の全歴史のもっとも偉大なインテグレートつーか、
人類が自らの身体に本源的蓄積したものだから。
感覚の解析なくして精神の解明なんてできないんだけどさ。



■ZONEの示したもの・・・   2002/4/15


つーことで、
ZONEに関していちばん云いたかったコトは、
SPEEDにトドメをさしたね、
とゆーコトかな。

ま、トドメなんてゆーランボウな言い方はヤメといて。


SPEEDはZONEで終わった、、、、
てなことです、まったく。


つまり、ローカルな自己表出は
より普遍的な指示表出の
世界視線たらんとする表現のすべて(マテリアル&テクノロジー)により完了するんだとゆーことね。
で、ポイントは完了=終了てなこと。
もちろん、SPEEDについていえば、
新たなるシーズを垣間見せて終わっちゃったワケだしい。
それが新垣仁絵ちゃんだもーん、
とゆー認識が虚ろなうちは日本の音楽の可能性なんて、
想像できる範囲内だね。
表現者としての音楽家はともかく、
批評にいたっては全滅に近いしい。
とくにWEBでのコメントはね。



■八王子が真夏日か・・・   2002/4/12


大学が20だか30だかあって、
ハイテクベンチャーでシリコンバレーなんかとも関係ある八王子。
もち、あの、ユーミンの実家の荒井呉服屋でも有名?な。
で、あの司馬遼太郎が、日本で最も複雑な気質の人々を見い出した幕末の八王子。

浜町なんかと同じでお茶が美味しい八王子。
ラーメン通にも有名だし、例のおすし屋もある、八王子。
まあ若旦那が呆けた街じゃお茶やメシはウマイわいのお。

つーことで30.2℃とゆー真夏日を記録した八王子。

まあ、ちょこっと時間つぶせる喫茶店やウマイラーメン屋がたくさんあるのはいいけど。
クラブの類はゼンメツなエリアなんで、もー、やっぱ、地方都市ですね、とも。
商圏じゃ立川にメタメタにやられてるし。

で、司馬遼太郎さんっ。
価値観の変化のワケをマテリアルな環境の変化で説明する司馬歴史学はわかりやすくて面白いもの。
彼が観た複雑な八王子とか多摩の気質とはん....

進撃する官軍を迎え撃つために八王子から甲府に向かって出陣する新撰組。
途中いろいろなところで歓迎されてドンちゃん騒ぎの新撰組と近藤勇くん。
飲んでつかれて遅れて、気がつくと甲府城はすでに官軍のもの。
甲府の守備に遅れて失敗した新撰組と幕府の敗北は決定的に。
しかも官軍に処刑された近道勇の墓は幕府に認められずに多摩へ。

権力中央−幕府の直属の武装勢力でありながら、地方出身の存在に過ぎない新撰組。
地方−多摩の地侍として期待されながら、あえて新興勢力−官軍を勝たせた新撰組。

幕府に忠誠を誓いつつ、官軍を勝たせるためにワザと遅れてみせた新撰組。
遅れるコトを願って歓待し続ける街道沿いの村々と民衆。
歓待を受けてワザと遅れてみせる新撰組と、時代の変遷を実感しつつ新撰組を激励してみせる人々。
権力に忠誠を誓いつつ、権力に認知されない死。

小田原城と兄弟分の巨大な城である八王子城の落城以来、
地元勢力がまるごと忠誠を誓う相手を変えて行く歴史のなかで、
常に時代の変化に敏感であるとともに権力に報いようとする気質。


司馬遼太郎が日本でいちばん複雑な気質だと感じた街には、、、
などと書いていて、いつもながら、タイトルと関係のないこーゆー走り書きに
ぎゃあとかああとかふーとか思うのですよ。きゃあ

アメリカ軍の中古家具なんか売ってた店ってまだあんのかな。
などとも思うし。ふー



■「理由のない自尊心」・・・   2002/4/1


首相官邸まで行って
「小泉内閣を打倒する」
と宣言したのが、あの石原都知事。


その石原都知事が、
ウーンと丁寧に言葉を使い、
一生懸命にいろんな質問をしたりして、
若者への疑問や社会の問題を
神妙な顔でたずねたりするんだけど、その相手がタマキちゃんだったりします。
緒川たまきちゃんじゃあなくて、
斉藤環さんね。

また観ちゃったよ、MXTV。
石原知事がマジな顔して対談してるんで、
何々イイと思ったら、
グリーンイグアナみたいな顔して、
クールに応対してるのが
環先生だったりします。
まあ、電池で動いてるとゆー風説もある方ですからあ、
クールなのは当たり前ですが、
今回は笑ったりしてるんで、
ちょっとお、コケマシタ。(゚o゚)

で、内容だ、内容。話しの、無い様。じゃねーか、内容。
どーでもいいんだけど、ひとつ気になったのが、
若者の定義つーか、属性つーか。
まあ、分析ですね、若者への。

それが
「理由のない自尊心」
だって。
スゲーなあ。

そのワケは
「わかりませんが」
だってえ。
ホントにすげーよ。

まいったよ。
真理をツイてるもんで。
きゃきゃきゃ


うんで、
理由のないとゆーのは、
理由以前であることを示してるワケでしょ。
理由以前の思い、つーことだよ。
価値判断以前の心理ね。
それはすべての思いの原点、
あらゆる心的現象の始まるところ。
原初的な観念の世界。
エスから遠隔化する2つのベクトル、つーことった。
この認識が外部と接して初めて対他認識として表出するのが
<イナイイナイ・バア>なわけジャン、と。



■デフレだYO・・・   2002/3/31


さてえ、デフレで〜す。


デフレは悪いとゆー主張が多いよーですが、それはタリンちゃんが多いとゆーことの証明になってる程度の意味しかありません。
それって、サイテーってゆー感じい〜〜ですう。


数値のうえでデフレの兆候を確認できるとすれば、
それは1964年の東京オリンピックの頃からですね。
それ以来日本は38年間も基本的にデフレです。あるいはデフレ志向つーかね。


で、デフレの根本的な意味はモノが多すぎること。
インフレの根本的な意味はカネが多すぎること。

んで、逆にデフレはカネが少ない=足りないこと。
インフレはモノが少ない=足りないこと。
でも可、と。

まあ、どっちにしろ、デフレとインフレはモノとカネの相対的な関係にすぎません。
で、それ以外に意味はありません。

しかも、モノとカネの関係は相対的でしかありえず、絶対的な関係はゼッタイにありません。
モノとカネに関して絶対的なのは、
モノを存在させたキッカケと、
カネを存在させたワケです。

ちなみにモノとカネの関係をたとえると、ライオンと動物の関係です。

わはははははははははははははは


ワカッタ人はワラってちょ〜YO〜〜〜
....っと。



■桜・・・   2002/3/21


国立で約束したので、ひさしぶりに国立へ。
桜が満開。
でも桜のあの淡い色は無くて、ほぼ白一色。
花つぼみの日数をかせいでないので色がついてないんですね。
急に暖かくなっちゃったので、花に色素がたまる前に咲いちゃったんでしょう。
ホームのわきにおおいかぶさった桜があって、
その下へ行くと、
ピンクの桜餅の香りがします。
ごっくん....

でも、食べたのはキャラメルババナ・パイでしたあ。



■4才の認識・・・   2002/3/16


デジャヴは、
現時点での認識が、
胎内でスタートする初源的な認識のレベルに、
何らかの理由で左右されるようになった場合に生じる認識現象です。
初源的な認識の特徴は行為と認識が未分化なこと。
そこでは現実と観念の、指示決定と自己確定の、
空間性と時間性の、ハッキリした区別がありません。


4才以降になると自分の出産時の記憶が消失しますが、
4才児以前では鮮明に覚えているケースがほとんどで、
これは4才時点で認識システムの構造変換があり、
4才以前の認知システムが下位レベルに抑圧されていくことを示してます。

この抑圧されている認識レベルまで下降?して認知すると、
デジャブのような認識あるいは泥酔時や過労時のような非日常的な認識に
陥ることがある、ということですね。
三つ子の魂百まで....なワケです。


この4才以下の認識レベルや認知システムまでフィードバックして、
認識システムを再構築すれば、
ほとんどの認識システム上のイレギュラーを修正修復できる可能性があるワケですね。

もっと日常的?には、
ある認識や感覚のより身体的なレベルのシステムを鍛練?再構成すると、
その認識力が高まる....というのもあります。


デジャブは、
身体的なクロナクシーに左右されてしまうようになった観念の現象です。
そこでは空間性と時間性の1次対応のコンフリクトが起こっています。
これに最も近いのは、
空間的認識が時間的了解を得られない状態の観念=感情があります。
感情は認識されたオブジェクトを固定できない状態の観念です。
それは認識の動因そのものとして作用していきます。



■2時間で10万人・・・   2002/3/10


ユーゴ内戦の犠牲者が1年間で25万人。
ルワンダのツチ族虐殺が3ヶ月で80万人。
東京空襲が2時間で10万人....。

時々、用事があって、その時に通る国道20号の橋が八王子にあります。
石の橋にはハンマーで殴ったようなキズがいろいろな所についてます。
全部で50箇所くらい。
そのキズは焼夷弾の落ちた痕なんですね。
あまり大きくない橋にある50個のキズ。
狭い橋に隙きまなく落ちる焼夷弾を考えると
2時間で10万人が死んだ東京大空襲を少しだけ想像できるような気がします。

そして多摩川にかかるJR線の鉄橋からは、川の中ほどに壊れたコンクリートの台が
見えます。空襲に来るB29を迎え撃つための高射砲台です。
暖かくなってサイクリングの季節になると、モノレール下の橋から、MTBを駐めて、
川中にある高射砲台をながめます。たぶん誰も知らないだろうなと思いながら。
この高射砲台によって撃墜されたB29のパイロットが住民に捕らえられ、
リンチされた学校の校庭や、斬首されて埋められた寺院のわきを
MTBをこぎながら通ることもあります。
NHKや朝日新聞などが追いかけてもキャッチできない戦争のニュースが、
ほんとに風化しつつあるなか、何を考え、何をすべきなのか。
想像力をどう働かせ、何のためのどのように思考をめぐらすべきなのか。



■妄想まで30分・・・   2002/3/9


まったく刺激の無い空間に入ると30分くらいで妄想を観るとゆー実験があります。
真っ暗な無音室になっていて、ベッドも椅子も水道栓もトイレもラバーで被われているので感触は単一。
この光も音もなく短調な触感だけの空間で人間はどーなるのか?


この実験が示しているのは感覚と認識の問題ですね。
入室して30分程度で幻想や幻聴を覚える人が多いよーですが、それは何を示しているのでしょーか?


具体的な刺激が無い、感覚の対象となるものが無い空間で、人間は意外にカンタンに幻聴や幻視を体験し、
いわゆるガイキチ状態を疑似体験できるワケです。まあ「疑似」じゃなくてホンモノなんだけどさ。

問題はその理由。
なぜ狂ったか? どーして狂っちゃうのか? とゆー素朴な疑問への解答はいまだに無いよーですが。

まずカンタンにわかることは、
誰でもカンタンに幻視や幻聴を体験できるとゆーことは、
誰でもカンタンに巫女になったり神秘体験ができるとゆーことと同意義だとゆーことです。
ここで宗教者が「信心が無いと神秘体験はできない」とかゆーよーなことを主張します。

逆にゆーとそーゆー事を主張することそのものが宗教の唯一の特徴かもしれません。それは弱者のバリヤーであり
アイデンティティそのものであるワケです。
ただし宗教の場合は他者を巻き込むので常に責任が問われ、
常に他者からの批判を受け止めなければならないとゆー本質的な倫理があるハズですが、
思想・信仰の自由や宗教の自由とゆー近代最大の欺瞞によってカロージテ存立してるのが宗教の本質的なザマなんで
反省や内省がないままなんですね彼等は。モダン最悪のザマってなワケです。
だから全然進歩?しないしね。それどころかマテリアルに環境を変化させていく資本主義のなかで
最後の形態をさらしつつあるワケだしさ。



■どこかで会ったなあ・・・   2002/3/8


 「ワールズエンド・スーパーノヴァ」
 「二人のアカボシ」
 「色彩のブルース」


そーいえば、どこかで会ったなあ、なんてゆー感じがするのが、この3曲。
懐かしいよーな、ひさしぶりみたいな、前から知ってたよーな、そんな感じですね。




こーゆーモノゴトの感じ方には2つのタイプがあります。

 1. 過去に経験したモノゴトを思い出す。
 2. 過去に経験したモノゴトのように感じる。

1は記憶です。
2はいわゆるデジャヴ=既視現象とゆーやつです。



1でポイントになるのは過去の体験とそれに対する評価ですね。
楽しい想い出だったり悲しい出来事だったり、自分の中にインテグレートされた
データとそれへの評価が現時点での思いを左右してます。

2は現時点での体験に対する現時点での評価の仕方がポイント。
デジャヴとゆーイメージとは裏腹にすべてが現時点でのリアルな認識の特性として表出するわけです。
センチだったり病的だったりトンでたりします。


で、3曲を聴いて感じたものは、1と2のどちらに当てはまるか....
てなコトを考えちゃいます。

まず、1は個人の自己決定によるものだと分ります。個人の過去の経験がベースだから。
そして個人個人それぞれ別々の経験があるワケです。だから1を共有できるのは同世代だったり
同じような環境にいたことが前提になります。同じような体験をしてる個人同士ならば
同じような思いや認識をするだろうというものですね。
逆に、2は個人的な経験に全く左右されない認識の仕方です。これは円いものは誰が見ても円い
というようなもので指示決定によるものです。

そして、1は流行するものでもあり、風化するものでもあります。
体験を共有できない場合は無効なものです。
一方、2は普遍的なものであり、不変的でもあります。体験の類に関係なく、
マテリアルやテクノロジカルなものに左右され、世界視線を可能にしている最重要ファクターです。

感性とか雰囲気という個人的で自由でアバウトに見えるものほど、現実には2のファクターに規制されています。
2のファクターや指示決定的表出を、まるで1の認識と誤認?させる認識の仕方や陥穽?があるんですね。
その最たるもんが芸術だったり宗教だったりします。

うんで、3曲は2のよーな認識の仕方に訴求してるし、また誘発もしてるんだけど。
具体的なことはまたねとゆーことで。

まあ、「色彩のブルース」のよーな至極個人的なドヨーンとしたダルな音が、
どーしてデジャブを誘発するかとゆーと、それはブルーノートやペンタトニックな音といった
マテリアルでテクノロジカルなとこに原因があります。オーソドックスな音の方がエスノもモダンも超えた
公約数が成立しやすくなるからね。

オワリ



■デフレ・マンセー・・・   2002/3/1


デフレへの対応策がギャースカギャースカとギャオスの登場みたいに叫ばれてますが、

登場したのは小泉さんだったり、スジ違いにアタマも違ってる評論家だったりします。
デフレに関しちゃそのボディや根性までもデフレ気味なデブくんが、結構イイ事を言ってたりします。
もちろんそのスタンスは凡庸な物言い職業さんに多い売るための悲観論だったりして、
ガックリしますが。まあいいか。
実戦をともなう以上は悲観論がないとゆー天然ヤローのマルクスくんなんか読んじゃうと、
もー、人生つーのは、らりるれろな感じでナイスです。くふっ


で、デフレは不均衡累積過程の動因そのものだし、ある種ユートピア論においては理想でもあるんで、
まあ、いいんです、デフレ。ふれふれ〜




■首都移転って?・・・   2002/2/28


石原都知事が首都機能移転を首相自ら凍結宣言すべきだと言ってるニュースを見たんだよん。
実をゆーと首都機能がどこへどう移転したっていいじゃんと最近は思ってます。
ただバカバカしいことがいくつかあるんで、それがチョット疑問なのよ。


ひとつ

  首都機能移転とゆー名目だけど、
  実をゆーとただの公共投資じゃねーか、と。

ふたつ

  首都機能を移転して、
  東京の何がどーゆー風に解決するのか、と。

みっつ

  東京への一極集中が問題らしいけど、
  一極集中のどこがどんな問題なのか、と。


こたえてみろよ、え?





で、こたえ、っと。


ひとつ

  公共投資だあ? 今どきそんなムダが許されるかあ?

ふたつ

  ムダなものをダメな所に移動して、
  どーよ? 何さ?

みっつ

  BICピーカンにPCが集まってて、ラジオ会館にオタクが集まってて、
  何かモンクある?



それより東京って独立してほしいんだもんね。
東大先端技術研究所の野口教授の東京独立論とかケッコウ面白いしさ。
ま、国家さんには早く解消してほしいワケ。
EUもそのそー大にして必然たる実験だしさ。
国家とゆー最大の指示決定・象徴界支配(参考:象徴的同一化)をクリアできないヤツって、
結局何にもクリアできないけどね。
国家主義者なんていやしないよ。
ダメなやつがいるだけ。



■「父性」って?・・・   2002/2/17


だから一般的にはカーツ大佐の在り方のコトさ!
てなワケだが、どーしてカーツ大佐は死ななきゃあかんのか?
そりゃー死ななきゃ解決しないからさ。
何が解決するんやて?
父性が、さ。

つーか、死ななきゃ解決しないのって「バカ」と同じじゃんと思っちゃうだよ、え、どう?

てゆーことで父性の解決とゆーものは永遠に回帰するのよ。
それが歴史だ。
逆に父性のないところに歴史はないかもね。


で、死ななきゃ解決しないほどガンコな父性って何?
てゆーとそのガンコさが父性の属性なんだよね。当たり前でしゅがん。
つまり父性とゆーのはガンコで変更が効かない認識のコトなの!
自己言及してもなかなか変更が不可能な認識つーと....。

それが自己の認識に占める自覚的な自己言及が困難な領域、自己の内部における他者性そして共同性のことなワケ。
前に書いたとーりでしょ。
それが象徴界を象徴界たらしめるガンコささ。
ま、認識の達人想像界でリーチングするから父性なんてどーでもいいんだけどね。きゃはは



そーゆーワケで、
父性、指示決定、象徴界は同じものを示しているのっさ。
三木成夫や吉本隆明がスゴイのはそれらを外感覚に依拠するとゆーことを示したこと。外感覚の対象はマテリアル。
マテリアルがガンコなのは当たり前。マテリアルは普遍にして不変なの。
物自体ね。つまり現実界そのもののこと。

それでだ、外感覚の認識構造を解析すると悟性だろーが感性だろーが認識とゆー心的現象はあっ気なく構造化したモデルになっちゃう....
とゆーのが心的現象論のスゴイとこね。当たり前だけど。心的現象の資本論てなワケ。


レイヤー論なんてゆーサブカルっぽい方法論にレイドバック(笑)しちゃう斉藤環さんて、もー、な残念だワンっと。
いくら臨床重視でもなあ....。

めえめえ



■ヒッキーから一発・・・   2002/2/11


郵便的不安にビビッてるのはガキだ!と書いたら、

   ビビッてんだから、ショーがないじゃんYO
とか
   コワくて出られないんだから、理解しろよ
とか
とゆーメールをもらったりします。アリガトウタン、ヒッキー、マンセー。


その正直さがやがてグレートになる可能性を示してもいるよね。
それが斉藤さんのゆー渋谷系との違いダワイ。

実をゆーとヒッキーとゆーのはスゴク健全なのであるよ。
自己の領域に厳密なワケで、そのキビシイ自己認識は宗教を超えてます
まあ詳細は斉藤環さんの『若者のすべて』でも読んでね。全面的に同意はしないけど先見の明があるです。
『文脈病』でも『戦闘美少女の精神分析』でもそうだったけどさ。

そして逆に自己の領域をわきまえずに、キビシイ自己認識もない存在が渋谷系だ....とゆー斉藤さんの指摘もナイスですう。

つーことでヒジョーに面白い分析をやってます。
まあ、ラカニアンの最高峰かなっと。一芸に秀でているのはいろいろな面でも優れていますね。


ところでべらべらと口数が多い渋谷系は自分のコトになると沈黙するとゆー斉藤さんの指摘がステキ。
自己言及ができないワケね。反省できない修正できない一貫性がない....イキ過ぎればガイキチのまま....。
で、その究極の姿に宗教の最後の形態を見い出すのはカンタン。


すでに共同性のレベルでの説得力を失っている現在。
宗教でさえ共同性の信仰から一対一の瘉し系にまで退行してかろーじて残ってるだけ。
つまり共同幻想性から対幻想性へ移行してるつーこと。
しかもこの対幻想性は擬似的なものでしかないのが大問題。
ホントの対幻想はその幻想性が相互に時点ゼロになってなきゃいけないからさ。
瘉し系の幻想性は一方的な思い込みが無限大でしかもそれが相互に発現するとゆー純粋ガイキチ状態なので、
うんもー、の狂気の世界です。
イヤシ系。イヤシイノデス、ホントに。

イヤシ人とイヤサレ人の関係は一対一。
ま、擬似的な対幻想なんですが、ホントは全然対の関係じゃないところがオソロシイのです。スゲーぞホントに。

幻想論や心的現象論における対幻想とゆーのは、時点ゼロの地平なの。何が時点ゼロかってゆーと価値判断が、ね。
これは人間から動物まで同じで、相手に対する幻想性がゼロになるのがホントの対幻想=対の関係性なんですよん。
そこにあるのは単なるマテリアルな関係。ま、双数的とも表現できるかもね。
芸術表現が受容されるマキシムはこの<時点ゼロ=幻想性ゼロ>が大前提です。

おわあ、またスゲーこといっちゃったよ。けけけ
気が向いたら解説すっかと今日もジダラクモードん。
モンドだろ? っと。



■父性の不在だわなあ・・・   2002/2/3


『地獄の黙示録』には一人だけ正気の人間が登場しまーす。

それは欧米的理性としての正気を完ぺきに体現した存在でえ、
この映画はそれを描くためだけに作られているんだよーん。
それがグレートなファザーコンプレックスを抱えたコッポラの、
たった一つの意図のハズなの。

もちろんそれは大成功。
でも、それを読みとった批評や感想に出会ったことが無い気が....。
ウン年前に初公開された時以来そーなんだよねえ。


虫の音に興味を感じない欧米人がコオロギの鳴き声に気がつかないよーに、

父性に意味を感じない人間はこの映画のたった一つの意図に気がつくことは無いでしょー。
その事実は逆に、ここ日本では父性の不在が常態であることを示しているに過ぎないワケね。

それはラカン論を振り回しながらも父性の説明ができていないことに無自覚だったりする光景に
そのままオーバーラップしちゃう。
それがアカデミズムからサブカル論議まで貫く公平でフラットなザマだしい。
材料がなんだろうが、その程度のコトがワカルのが当たり前でないと、
現代というものを批評すんのなんか無理やん。ただ語るのもボロボロだろー。

『カサブランカ』のラストシーンの意味について解した映画評もないしい、
この映画のラストシーンの意味を解する言説も登場しないのかあ? っと。

昔、初仕事で書いた『地獄の黙示録』のテキストが見つかんないのは作業場のコントンのせいでしゅが....

他誌に引用評価までされてたんだけどな。ポストモダンなジャッジを受けたのね。うふ



■『地獄の黙示録』はファザコンの最高峰!!!・・・   2002/2/2


この映画には一人だけ正気の人間が登場する。

正気の人間が1人、正気になっていく人間が1人。
この2人の関係がこの映画のすべて。


それを父子相伝の神話構造とする物語はあまりにも多すぎるけど、
また、そのことに考えおよぶ言説が少な過ぎる現状こそが、
この映画を特権的に祭り上げ、そして揺るぎない名作ともしているワケ。
そして個人的な感想に過ぎないもろもろの言説の資本主義的な商品や
自己発現としての意味以外の価値を見出せない混沌こそがポストモダンなの。

エリオットの詩集になぐり書きされた一言が西欧最高の父性を示してる映画なんだけどさ。
コッポラのファザコンて凄いけど、おかげでその表出も軒並みスゴイわけでやんす。
さいこー。



■象徴界だあ?・・・   2002/2/1


で、サブカル論議やポストモダンゴッコやニューアカっぽい言説の重要ポイントが、象徴界。
一定の論理モデルとして象徴界が形成される過程をカンタンに解説してみせて世間をアッと言わせたのが『構造と力』だったね。
ラカニアンも称賛するラカン本なワケで、まあ、そりゃ、スゴイです。特に、正直に何気でラカンの限界を示したトコなんてもーすごいよねん。
さらに、ラカンを超えるものを教えてくれるとこがサイコー! 
で、羊的には、同時にそれを承けとめたヤツがいないらしいとこがサイコーのトラップとしてリアルにサイテーな現実を示してくれてます、、、、
ってな読みをします。とってもリアルに現実を反映した書なんですわん。『構造と力』って。

内容的には重大なコンフリクトがあるんだけど、それを指摘できた人はいないんでココではパス。
でも、象徴界が形成される重要なファクターとしての「父性」の説明不足が気になりまーす。

つーか、わかったフリをするところにアイデンティティを見出したがっているオタクや真性ガイキチには絶対にわからないよーなところに、
あまりにも明白な?があったりしまーす。たとえば「父性」の説明がないとこね。まあその説明ができないとこが浅田くんの限界なんだけどさ。
シロートは予備知識がないんですぐ気がつくでしょ。「父性」って何?ってさ。
わかってるつもりになってるヤツのタームの説明が根本から間違ってるのは日常だしね。疎外なんてコトバに酔っちゃうわりには
その定義もできないヤツほどのうのうと独り善がりな解説を披露したりしてるのはキモイでしゅが。それが露呈するのが
インターネットのメリットでもあるしね。そんなことは複雑な事態でもないよ。今までバレなかったバカさがWEBの自己申告で露呈するんだから、、、、
これは笑える人にはクリックするたんびに毎日が吉本コーギョーな日々でやんすよん。だしょ?




■デフレはいいものだよん・・・   2002/1/26


ポストモダンだかどーだか関係ないけど、ダメなもんはダメっと。
で、ダメなのは柄谷行人よりディコンストラクション・オタクのよーな岩井克人くんと
経済の原理がわかってんのになあ、のクルーグマンさん。

インフレターゲットを設定しろとか、なんとか。この2人の主張が新聞に出ましたねん、先日。
そーかよ、そーですか。ふーん、残念。

資本主義の本源的蓄積とゆー空間的な静態認識を
不均衡累積過程とゆー風に運動そのものの動態的な認識として
カンタンに説明してくれちゃうビン底めがねの岩井大センセー。
経済は心理だ!っと一言でまとめちゃう哲人経済学者のクルーグマン氏。
山形さんが要するに、てな感じでまとめたクルーグマンもケッコウよかったんだけど。。。。
。。。。だけど、ねえ。



インフレターゲットを設定して調整インフレに導くとかさ、まあ、市場に対する調整政策をとるべきだ....
とゆーのは確かにそーゆーのが有効な面があって、そーゆー時は有効なんだがとゆー当り前な政策なんだけど、
すでにそーゆー局面じゃねーんだよってなコトをわかってないと、
デフレに打つ手はありませんとか平気で演説しそーなデブの福田くんの出番になっちゃったりするんだよん。
で、打つ手はありませんとか確信してるやつが、それでもガンバってやりましょーてな感じで力みながら登場するのが
ファシズムなんだけどね。ファシストや国家主義者やバカ漫画家が力むっつーのはアタマもなければ手腕もないからなんでさ。
ホンモノの武道家に力む人や筋肉ばっかりの人っていないのよん。そもそも筋肉が動く音を相手に聴かれたら負けだしね。
力むなよ、ばかども。なあ。

で、現況はどんな局面かと。そりゃ、ニュースを見てりゃワカル程度の局面なんでしゅが。


金利安、国債安、円安、何でも安でやんす。文句ある?
ニュースでトリプル安になちゃって大変でーすとか言ってたな。
で、それが?
もっともらしく「トリプル安」とか意味ありげに言ってるけどさ。
ここにもターム作って悦んでるヴアカがいるだけだろー。
商品コストが下がって、企業利益が下がって、給料が下がって、だからもっと安くないと買わないよ、ってのが
デフレスパイラルなんだけど。それがどーしたの?
ここでそれを経済全体の状態だとみなして「余剰経済」とかタームを作って悦んだり納得したりして、
洗脳されちゃってるドキュソに限ってマジなヤツが多いからこまるんだよ。

マジでバカって手に負えないからね。タームに依拠してる自分が正しいと思ってるからさ。
タームの総体こそ宗教的なるものなんだけど。
正しいのは現実だけなんだけどさ。そーゆー現実を見えないヤツこそがガイキチなんだけどね。
ヤツらに見えるのは妄想だろー。幻想や現実と一緒にしないでちょ。





で、余剰経済が問題だとゆー認識そのものに問題が2つある。

ほとんどのヤツは余剰の原因を説明できないこと。
原因が説明できないのに不安を煽るのは宗教やファシズムの常套手段だからね。
ちゃんと因果を考えろよ。ケケケ
余剰のミニマムには労働のアウラがあるんだよ。つまり剰余価値ね。労働価値でも可。
この根源的な意味を解さない限り経済とゆーマテリアルを媒介とした人間関係の総体を語ることは全然無理だーね。
語れないものを語ったりわかったフリをするのは良くてサギ並み、悪くてカルトかデムパ、ガイキチでやんすよ。

経済学者とか評論家とかご意見番にドキュソが多いのは「デフレはいい」とゆー意見がないことでも証明済み。
デフレは、いいもんなのさ。
繰り返す....
あれは、いいものだ。

ケケケ



■自転車ゼエイ・・・   2002/1/23


駅前の自転車は鉄道利用者がほどんとだから鉄道各社から税金を取る....だっとお。
1台3000円だってえ!
ぎゃははははははははは
こいつ、ばかあ?

東京や大阪で採用された外形標準課税かなんかのマネしたつもりい?
スタンドプレイは止めろよ、みっともないよ、バカさらしてんじゃん。
鉄道はいろいろな区を通ってるだろー。
池袋だけじゃないんだよーん。

それにい、ワンルーム建設すると1部屋に50万円の課税?
ワンルーム暮らしの若いリーマンや学生は他へ行けってゆーことお?
ワンルームの人間は地域コミュニティの邪魔だと?
これが東京の区長の言うことか?
こいつ東京の人間のクセにカッペなの?
破格のヴアカだね、この案作った人たち。


とゆーことで東京にもバカなカッペがいることを確認。
カッペの吹き溜まりであるTOKYOってケッコウむずかしいそーなのん。

そんなカッペちゃんがコミュニケーションできるよーに生み出したのが共通語。
究極の指示表出だね。自己決定ばかりのローカルから遠隔化した共通コードなワケ。
自己確定ばっかの自己表出ではコミュニケーションできなことをフカ〜ク反省してできた賜物でござる。

それを知らないドキュソは東京で方言を使ってるわな。
いちばんヴァカやんけ。けけけ



■デイトレ25ん・・・   2002/1/19


日本経済がっくんがっくん、コケ続けえ〜。
で、ここんとこ10日で25万円とかもうけた人、けっこういるね。
東証はポストモダンのリアルフイールドだからなあ。
1000株あたり10万円前後だったりしたら、大勝利のたぐいだわな。
うひょうひょ

退職金とかリストラ放免お小使いとかゼ〜ンブぶちこんで、
中央線とか樹海つあーとかGOするのも自己責任。
リアルフイールドはマテリアルだからね。
だわな



■ケージでも浅田はダサいか?・・・   2002/1/11


あのバブルがイカったのはサティやケージが完璧に商品になったこと。
WAVEやHMVで商品のレクチャーをやってた人の意義は、ハイカルなスタンスをイメージさせるくせに
内容がないテキストを書いてるよーな批評家なんかより大切なもの、でしょー。
で、突然....



●ケージはオーディエンスをシカトしてた?

 究極の表現といえばケージ。無調性にノイジイに、無音とゆー極めつけ。
 ケージは何を考えていたのか? さまざまな表現をしつつも、実をゆーとオーディエンスの
存在にウエイトをおいてなかったんでは、とゆー感じがします。だって無音表現じゃーね。
それにノイジイだったり無音だったりするのは12音階で無調性にトライしながらも内破させる
ことが出来なかったとゆーことの証しでもあるしね。12音階を内破させつつオーディエンスに
亮受してもらわなけりゃ表現としての意味はないからさあ。

 <意味>に<無意味>を突きつけるのは単なる反意語でしかないよん。すべての表現行為を
破壊するダダがテメーを破壊してあえなく終っちまったよーに、現実的にはオワリなんだよ。
そーゆーのは。こーゆーのはガキのイタズラなんずら。現実の構造は対立物の統合。理念として
等価な対立物は現実的には一方のマテリアルな存立構造に依拠してるだけ。無音を有音の表現と
等価だとみなすのは理念の中だけだね。現実には有音だけが音の表現だから。

 理念だけでジャッジするのはガイキチだけ


●ケージの問題意識は調性だと思われ?

 ケージが問題にしてるのはトーナリティ(調性。複数の音程による全体イメージ)でしょー。
音程そのものじゃないよ。音程だと思ってるタリンちゃんも多いけどさ。その上で12音階音楽
(モダン)のドミンナントへの反発から騒音や沈黙を表出にするのは何の解決でもないしね。
表現者にとっての意味しかない私小説と同じでさ。独り善がりの表現は。もちろん「音程」を
超えてるわけじゃないし。とすればそこから解るケージは....。

 ケージがドミナント進行への反発から単なる騒音や沈黙を選ぶなら、それはコワれてるか
アキらめたか、その程度のこと。浅田のケージ批評より面白いのが“ケージはコワれてる”
ニュアンスの誰かの批評くらい。『ハイ・イメージ論』の「像としての音階T・U」とか極少数の

テキストだけ。それに心的現象論の具体的な応用としてこのケージ論はオモロカッタよね。
ラカニアンや精神分析医は詐欺的な言説で統合失調症を分析できるフリするよりさあ、
まず必要なのは自己分析でしょー? ケージ批評なんて、その後だろ。
 まあ批評そのものがムリだーね。



●そんでケージは何かを超えたのか?

 12音階での表出の中で12音階(少なくともその文法)を超えられるかどうか。
12音階(モダン)をどういうふうに内破するのか。興味があるのはそこでっす。
12音階音楽のなかでドミナント進行という文法を破った小室の表出は、まさしく
シラケつつノルことができてるし。それを渋谷系ドキュンも聴くJPOPでやったの
だとすれば小室はスゴイなあ、と。
 それだけのコトだけどさ。

 自然音の音程(無段階、人声は4度音程)に敏感な感性の小室が、12音階という
制限の中で表出したら12音階の文法(4度音を排除した西欧近代音楽の。M・ウエバー
が音楽社会学で指摘してる件の)を破っていた。内破ね。それを音楽を「学」した
おエラいさんたち、つまり12音階に規制された感性と理性しかないプロから「コード
進行がおかしい」「転調がおかしい」と罵倒されて。モダンの文法に合致しない表現は
気狂いだと。じゃ小室のヒツトを支えた数百万人は気狂いなのか。それもよし、かな。
所詮プロは(浅田も)特定の指示表出が過ぎるか、そこにしか依拠できないなら、
それこそガイキチ。オタクか。逝ってよし。なんだけどね。



●ケージはただのドンヅマリとか?

 一方、12音階・モダンに抵抗しようとして沈黙するのは勝手だけど芸がなさ過ぎ。
小室はモダンの文法を無視しつつ大ヒットを連発したし、坂本はその小室の才能に
驚愕したし。浅田はその辺をどう見んのかね。興味があるのはそこなんだけどさ。
沈黙を表出にぶつける程度の反応ならばどうでもいいでしょ。自閉症もヒッキーも、
どっこいどっこい、同レベル。ハイカルチャーという指示表出だけに依拠するガイキチ
でもよし。ただし消費者一般の選択眼を否定は出来ない、それを自覚しろつーこと。
 ZONEはいよいよホンモノだし。

 M・ウエバーが見い出した4度音の否定がモダンを確立したことへのケージの
理解や浅田の認識はどの程度のもんなんだろーかあ? まあやってること見聞すると
たいして興味なくなってきた今日この頃なんでしゅけどお。


 12音のなかで4度音を否定すること。つまり人声のニュアンスを消去していくことと
それに対するカウンターがポイント。ケージがそのカウンターではないならばケージへ
の興味もないしなあ。星の数程の音楽家の一人でしかないじゃん。シラケつつノルことが
できていないケージだとすれば、どうでもいいんだけどさ。

 でも基本的なスタンスがイケてるからさ。
 ケージが無響室で聴いた人間そのものの音の話しで....「聞く耳さえあれば、
つねに聞くべき音が存在しているのである。」....と言ってるけど、ならばオーディエンスに
聴こえる表出をすべきじゃないかと。人間そのものの音の最たるものはもちろん声でしょ。
声の音程である4度(音)を否定して12音階音楽が確立していくのを見い出したウエバー。
人声だけではなく小鳥のさえずりも4度で採譜されてるんだよね、モダン以前は。

 12音階内でしか表出できないマテリアルな環境で、12音階に規制された感性(とそれへの反発)
しかないケージがケージ的な展開をするのは当然なんですが、それが「音楽」や「音程」を
超えたことになるのかな?

 スゴイのは小室や宇多田だろ。


●強度がないケージや浅田あ?

 12音階のドミナント進行否定するためにいきなり騒音や沈黙にいっちゃうケージはドキュン
脆弱にさえ見える。4度音が排除されていく過程(モダン化)で12音階での表出にかけ、
その緊張でもって聴衆を魅了するフルトヴェングラーや小鳥のさえずりを4度で採譜した
マーラーらの強度は浅田にもケージにもないのかな、結局。
 何気で自然音程(無段階、人声は4度音)を表出するために12音階理論(「学」としての
西欧音楽、クラシック)を自然に超えてドミナント進行の無効を証明し、音楽(学)のおエラい
さんに「コード進行がおかしい」「転調がおかしい」と罵倒された小室。坂本の小室への評価を
浅田はどうみているのか。そこかな、ちょっと興味があるのは。


 アドルノとかその程度で音楽をわかったつもりのアカデミンちゃんてやっぱヒサンなんだよなあ
ましてやマキハラでイっちゃてる浅田とくりゃ、もー、なんつーか....。J・アタリくらいは読んでんのかねえ。
まあ読むだけなら誰でもできるしなあ。タリンちゃんほど穴埋めのために必死こいて読むしなあ。

なあ。



■デイトレ・・・   2002/1/9


デイトレーダーで今日だけでいろいろゲットした人も少なくないみたいね。
去年からチェックしてるターゲットがバクハツ気味だったりするなあ。
それもいくつも。
12日も銀英伝放送するけど、あのセリフから学べるコトだってたくさんあるわいね。

ポストモダンがリアルフィールドだってゆーことね。



■ユニクロがダメ?になった理由・・・   2002/1/9


そりゃあ、縫製でしょー。
まあ、売上げ3兆円を目指すとかなんとかゆーデンパ?な話題も提供してくれた社長さんだったり企業だったりしますが。
夏以降くらいの生産品からだと思うんだけど縫代の返しの回数が激減?つー感じですね。
ダメじゃん、全然。そんなんじゃ。
何考えてんのコイツら。
デフレバクハツ毎日が過剰でオールDS化しちゃってる日本で丈夫でないモノなんて買わないわよワタシ、、、の世界が
ワカってない輩には敗北がプレゼントされます。はい。


ムッジーこと無印良品がノーブランドとゆーブランドを上手く設定して、
それなりのきめ細かいマーケを繰り返してきたワケですが、
プライスダウンも数回繰り返しアウトレットのコーナー作ってみたり、努力してます。

ユニクロのフリースが1900円くらいで注目され時の中国での人件費は日本の100分の1。
今は50分の1とか20分の1とかになってきましたが、この安さだけが武器なら失格だね。
当初その安さに寄りかかって、デザインの悪さを「個性のないデザインを目指す」と主張したのは
単にゴマかしでしょー。生産現場の質の悪さや指導管理するためのコストを惜しんでるのは結果に出てくるから。商品に。

とゆーワケで店の端っこに吊るされてた縫製が丈夫だった頃のユニクロのジャケットを買って、あとはパス。
もーユニクロを買うコトはないかも。つーか、買ったのも初めてなんだけど。
何回見てもデザイン気に入らないし、客もいないでしゅよ。



■オルガンとかあ・・・   2002/1/5


オルガンは押えるだけで音が出るんで、どんなに運動神経が鈍くても、音感ゼロの音痴でも弾く?ことができる楽器。
そんなワケで電動オルガンにマイクとFuzzという究極の設定のマイキーボードで
ハードロックにチャレンジしてたのもセイシュンのヒトコマ。オルガンの内部にマイクを差し込み、
それをFuzzを通してアンプにつないでね。

まず初めて弾いたのがあの「Smoke On The Water」のリフ!!!


楽譜によれば右手の2音の複音だけで弾けるんで問題なさそうなんだけど…。
ところが、なんとあんなにゆっくりなのにテンポが合わない。おくれちゃうんですね、コレが。
1発目の音をおくれてハズすと、2発目の音をあわてて弾くのでまたズレちゃう。
1発目はおくれて、2発目は先走ってズレる。ヒドイ。ヒドスギル。
「自分」がこんなにヒドイとは…。コッケイでメチャクチャなザマは自分でも大笑いしちゃうほど。
落した涙は大笑いのせいだか才能の無さに悲しくなったせいだかぜんぜんわからないんですうがあ。
それは同時に激しくキビシイ涙と笑の自主トレの開始を意味していたワケですう。もう然と練習がはじまったのよ。
(結局リズムのトレーニングに関してはずっと後になってライブハウスでコンサートをやる直前まではしなかったんだけど。)

まあ練習といっても電動オルガンの前に鎮座して楽譜の音符を指で追いながら鍵盤とにらめっこするんですね。

ヘッドフォンでカセットテープの曲を聴きながら「これはソだな」とか「ソっていうのはGなんだな」とかさ。
何も知らなかったんで毎日が新鮮な感じ。
「Smoke On The Water」のリフに出てくるのはGmとFの2つのコードだけなんだなあ....
とかわかるとナゼかちょっと安心したりして、フムフムとか納得するんですねえ。人間ってそんなもん。
知るコトができると安心するワケね。「インテリは知識で武装する」とかなんとかいうフランスの思想家の言葉かなんか
思い出して満足してましたん。

そのうちGの音をルートにして適当に弾くとなんとなく雰囲気が出ることを体得して経験値をアップ。
もちろんその雰囲気がGを中心にどんな音を選んでいくかで変わるので、その音の選び方で調性が変わるんだろうと予測。
ハ長調とかニ短調とかいうやつですね。それでも共通するらしいほぼ5つの音を確認。
これは音感が悪いことの賜物で、テープを再生しながらどの音が鳴ってるんだろうとかどの音が合うんだろうと
鍵盤の上を半音階ずつ押していくとまずイチバン基本的な音が一つわかります。それがルート。
この音がルートなんだなと思いながら他の相性のいい音も探していきます。
最終的にわかったのがどんな音楽でもたいていは共通の5つの音があること。

ところで伴奏は両手が必要なんで、ピアノもオルガンも習ったことがなくて
音楽の成績がサイテーの自分には無理と最初から放棄。
でも右手だけでのアドリブだったら出来そうだったので最初からこれを狙いましたん。
どんな楽器もいじったことがないんだけどいきなりオルガンでインプロヴィゼイションを目指したワケです。
知らぬが仏。ホットケ。
ガキのころからボサノバやジャズを時々聴かされて、オルガンの音色が変わるとこやフルートの激しいプレイなんかを
カッコイイと思ってたんで違和感はないしい。ジミースミスやハービーマンとかね。
それでむしろ最初からアドリブを弾きたかったのかもしれません。周りに合わせる必要がないような気がしたし、
同じことの繰り返しがほとんどないので、スゲーとか思ってました。まあ、周りに合わせる必要がないのは
合わせる能力もなかったからなんで、もー、原生的疎外の自己確認ですね、とゆーのも芸のない言い分なので反省しつつ。。



■ひろゆきクール!・・・   2002/1/1





   電波系の人って、基本的に頭が悪いんですよ。

                              (『2ちゃんねる宣言』P125・西村博之の発言より)





ホントなんだよなあ....
頭悪いっつーか、悪過ぎ。羞恥心ゼロだもんね。
東京で大阪弁はなしてるヤツ並みだもんな。それ以上か?

それにしても2001年のサイコーの本つったらコレだなっと、思うです。『2ちゃんねる宣言』
ひろゆきとの対談でイラ立ってる宮台さんもステキい。(^^;)

メエメエ



■明けました!・・・   2002/1/1



パンドラの....だろ?