■象徴界を超えるのは?・・・ 2003/3/10
●象徴界を超える共同性
人が赤信号で止まる(進まない)のは象徴界の効果です。
では、「赤信号でも、みんなで進めばコワくない」のは何を意味してるのでしょーか?
それは「みんなで」とゆー認識が「象徴界」を超える可能性を示してるワケですよね?
つまり、共同性は象徴界認識と同等かそれ以上の影響(力)があるかも、とゆーコトでしょか?。
象徴界が意識や自覚によって生成する認識ではないとすれば、それに影響を与えるコトができる共同性は、
意識や自覚の無い認識そのものを変更することが可能な認識だとゆーコト、共同性の強度とゆーものはスゴイとゆーコト?
●象徴界を超える想像力
「赤信号」で「止まる」とゆーのは学習によって刷り込まれた認識であり、その結果として日常的に自動的に行使される
シンプルな象徴界認識です。「青信号」で「進む」のも同じです。ただし現実の「青信号」には危険があります。
「青信号」だから安全だとゆーのは絶対ではありません。実際には「青信号」でも状況を判断して「進む」かどうか決めます。
想像力を行使して現実をリアルに認識するワケですね。
「赤信号」の場合も同じです。たとえば赤信号であっても現実に危険性が無いことが認識できれば「進む」ことができます。
現実をリアルに認識できれば象徴界認識を無効にすることができるワケです。むしろ青信号であっても危険なコトがある現実と
ゆーものこそシビアに認識しなければいけないものです。
TPOをリアルに認識しようとする想像界認識は象徴界認識を超えて現実界を認識し見切るコトができます。
どんなに状況がメチャクチャだろーと、想像界認識は生きていくための最大の力になります。
●「メチャクチャ」の意味するもの
それから「状況がメチャクチャ」だとゆーのもホントは現実界と象徴界の不整合そのものを示してるだけなんですね。
「青信号」でも現実に危険な状況と直面してる時に「青信号」とゆーコンテクスト(または「コンテクスト・マーカー」あるいはリリーサー?)が示す
内容を修正できない、つまり学習し直して同定認知することができない、そーゆー硬直しててかつ脆弱な認識の方が問題でしょー。
強固な象徴界に捉われてる者には現実がリアルに認識できない....ただソレだけのこと。
象徴界認識の代表例である名詞は指示表出そのものです。
指示決定と自己確定の関係は象徴界と想像界の関係でもあるでしょー。
■想像界象徴界現実界そーかい・・・ 2003/3/3
100パーセントコントロール可能なのが想像界、
コントロールしてるつもりで実はされてるのが象徴界、
絶対的にコントロール不可能なのが現実界ですよ。
(『網状言論F改』/鼎談/斉藤環)
ジャブの応酬でそれぞれの立場をハッキリさせただけでも一読の価値ある『網状言論F改』。
特に斉藤環さんはいくつかの場面で大胆に原理を主張してラカンをはじめとした認識への理解を導いてくれてます。
その一つがこのラカンの三界論のカンタンな説明ですね。
『文脈病』なども参考にすれば「100パーセントコントロール可能」な「想像界」はベイトソンの「学習U」や「学習V」の世界?
いわゆる構成同一性や「同定認知」によって認識される世界でしょー。
「象徴界」が「コントロールしてるつもりで実はされてる」というのは、世界観の象徴界化も対象の象徴化も主体的に選択し獲得できるもの
ではないということ。刷り込みや条件反射などによる神経レスポンスと認識がそうです。より観念的には指示決定の不変性(たとえば名詞の
普遍性)という父性(性)は闘争(想像力を駆使した強度?)の対象となりますが、その闘争を可能にしているのはその父性(性)そのものです。
「現実界」は認識上は「絶対的にコントロール不可能」です。マテリアルそのものである現実は認識を左右することはあってもその逆はありません。
現実=マテリアルを左右できるのは力を媒介にした時だけです。これが浅田さんの『構造と力』の<力>ですね。
■正義のないトコで・・・ 2003/2/25
建て前を振りかざす大マスコミを笑うシニカルさの背後には、メディアが伝えない
はずの「建前ではないもの」への渇望が見え隠れしている(「正義の朝日」を毛嫌
いする2ちゃんねらーたちが、時にみせるナイーブなまでの正義漢ぶりを想起せよ)。
えー以上は2月17日朝日新聞文化欄掲載の『「プロジェクトX」を笑う感受性』(著者は北田暁大さんゆー筑波大学の社会学の講師さん)とゆー文章から。
内容は私たちはメディアによるシニシズムと政治的ロマン主義の共犯としての政治学を批判する言語を持っていない....との指摘。
たとえばウヨを批判したり説得させられる言説がないなんてゆーのもそーでしょーか。
全然別みたいですがリナックスを評価するワケなんかもそーじゃないでしょーかね。
リナックスの生成に正義を見い出すのは無理じゃないでしょ。
つーかそーゆーとこに正義を見い出したいワケで。
だって今や道徳から国家まで正義の範なんてないんだからさ。
人を殺しちゃいけない理由がわからなかったり、わからない理由で他国を攻撃したり、
経営上の合理的な理由なしでリストラされたり、1日で100人も自殺したり、
区内の配達に6時間必要なバイク便に3時間以内とゆー法規制したり....。
何も信じられない何も頼れないとゆーラジカルに契約以前の社会状態で、
個別的現存が察知するのはエスや自我からのダイレクトな希求だけ、かもね。
「理由のない自尊心」や享受者を考慮しない表現者だの、
コミュニケーションを拒否するオタクだの、と。
■GARNET CROW・・・ 2003/2/25
つーことで『SPARKLE』の第一印象は辻仁成の小説を想いだしたりしましたん。
GARNET CROWがどんなジャンル分けされてるか知らないんだけど、
いろんな要素があって驚いたりしますね。プログレからジャズまでだったりするしい。
で、明日はDVDも発売だしな、っと。
TVのプロモを数秒聴いて買うことにした『夢みたあとで』なんだけど、
詞でガッーとか感じたのがココです、ココ。
寂しい夜に思い出すのは
愛した人より愛された日々
ユーミンの歌詞だと世界が韻きあうとかナントカ分裂症そのまんまなトコに引っ掛けられて、
文学的に堪能しちゃいますが、AZUKI七ちゃんの詞はまるで初期辻ワールドな感じで。
まあある種リアルかなっと。どんなアートな表現も、ポイントはリアルに感じるかどーかで、
それが普遍性ではないトコがアートがアートであるゆえの屈折だろーけど。
中村由利ちゃんの女の子の強さイッパイみたいな声と、
フレーズがシロートっぽいキーボードに、オフなギターもいいですね。
こーゆートコ(まで)にきたんだなあ、とゆー感激があります。
プロの仕事が、ね。
GIZA studioのラインナップってけっこう注目したくなるもんね。
倉木麻衣のデビュー戦略も話題になったけど、やっぱ音楽そのものがフォーカスしたくなるし。
愛内里菜のデフォルトの声なんか、もー、なんつーか、ねえ。
■「文明とは伝達である」・・・ 2003/2/20
文明とは伝達である
とゆーことで何を思っていよーが考えていよーが、
それを他者に伝達できなければ意味はないとゆーラジカルな
問題をフォーカスしたのが村上春樹さんでしたん。
その新鮮さはいまだに有効でしょー。なんつたって郵便的だしい。
問題はどう解決するか、ですが。
無口なために医者へ行かされた<僕>が
やがて医者の指導?で喋れるよーになり、
友だちの<鼠>や<彼女>、そして<ジェイ>と過ごす
ひと時の描き方はさりげないよーにみえてカッコよく、
終始哲学的なトコなんかがイケてましたね。
ふつうにコミュニケーションできるよーになった<僕>は、
その先にある感動とゆーものを体現するよーになっていきます。
死んだ<鼠>のために初めての涙を流す初期三部作のエンディングは、
そのまま次の春樹ワールドへのイントロであり、
コミュニケーション以後の自立と起動への物語りの始まりです。
吉本ばななや村上春樹がイタリアやロシアや中国やアメリカで高い人気を得つつある理由は
マテリアルな条件が同質化しつつあるからですが、
結局マテリアルな環境=現実界が近似ならば
そこでの表現は芸術から日常まで同じよーなものであり、
それへのレスポンスも同じよーなものなんですね。
個性的とゆーヤツほど似てる....
と言い放った某革命家の言葉を思い出したりしましたん。
■デフレー3・・・ 2003/2/17
じゃーどーして
商品が過剰で貨幣が少ないとゆーデフレが共同体への<不信>なのか....。
今の日本は実をゆーと貨幣は既にいっぱい発行されていて、
現在の貨幣の総量ならばインフレになるハズです。
そのひとつの指針である株価総額のあるレベルを示すはずの日経平均値は、
正常であれば現在値の3〜6倍くらいの数値が予測されていました。
カンタンにいえば正常な経済状態での予測数値の3〜6分の1とゆー現況は、
貨幣への信用が3〜6分の1に衰退してるわけです。
別のいい方をすれば政府や大企業への不信が3〜6倍になったとゆーこと、
あるいは将来への不安や絶望が3〜6倍になったというワケですね。
自殺者が3万人を超すのに政府は何をやってるのか?とゆー岡田議員の国会での質問は
遅過ぎましたが当然です。トーゼン。
まあ、実際には貨幣を使うことへの<不信>なので、
使われない貨幣はどこかに貯金されています。
しかも日本の外貨準備高も50兆円を超え世界トップの状態です。
問題は貨幣が使われないコトですね。
繰り返しますがそれは貨幣を発行している共同体への<不信>があるからです。
いつクビになるか、いつ年金がダメになるか....といった政府から企業まで含むあらゆるレベルの
共同体への<不信>が貨幣を使わなくさせています。
たよれるのは貨幣だけなので、その貨幣を使わないで貯め込んでいるワケです。
貨幣を使う最大の基準が一般消費です。設備投資じゃなくてね。
一般人である消費者がどれだけ消費をするかが帰属する共同体への<信用>や<不信>の
バロメータになります。
で、一般消費が滞ったのが97年4月からです。
それは消費税が3%から5%に引き上げられた時で、
4月1日から施行された5%の消費税によって、
その月末には消費動向のマイナス化が明らかになりました。
これをいち早く問題視したのがロンドンのフィナンシャルタイムズ紙。
即刻消費税率を3%に戻さないと日本は不況になると指摘したわけです。
現在消費税減税は去年の中谷巌さんの主張を最後になくなっちゃいました。
同時に不況打開への可能性もなくなったのかもしれませーん。
■デフレー2・・・ 2003/2/16
つーことで<信用>がポイントなワケです。
貨幣は<信用>によって成立してるわけですね。
一方、商品の方はもっとカンタンで、
商品は<使用価値>によってその価値を判断されます。
そして、その商品を取り引きする市場は<交換価値>によって成立しています。
<交換価値>には2つのタイプがあります。
互に等価だと判断できるモノを交換する物々交換と、
どのようなモノとも交換できると信用される貨幣を媒介にした交換です。
貨幣は2重の信用によって成立しているワケです。
貨幣を発行している共同体への信用と、
貨幣がモノと交換できるという信用です。
共同体への信用がなければ、その共同体が発行する貨幣への信用がなくなり、
その貨幣ではモノと交換できなくなります。
貨幣を使わずにいれば、モノとの交換が滞って経済活動が低下し、
その共同体への依存度と信用もなくなります。
貨幣を使わない状況というのは、
共同体への信用と依存度の低下を示しています。
これが今問題になっているデフレのホントの意味ですね。
スバリ、共同体への信用と依存度の低下の表出したものがデフレです。
これは金融の問題でなく、共同体とその成員の信頼関係の問題です。
経済は<モノを媒介とした関係性>ですが、
デフレは共同体の観念的なファクターである<信用>が崩壊しつつあることを示してます。
デフレ現象はこの信用崩壊がマテリアルに表出したものです。
ポストモダンの大きな物語の消失を代表するのが、
この共同体の信用崩壊であり、その最もラジカルでポップな現象がデフレだといえるかもしれませーん。
いちばん大切な問題は、
何が信用を崩壊させたか?とゆーことでしょー。
ちなみに信用とゆーものはいちいち検証したり絶えずチェックしたりするものではありませーん。
とても常識的なモノゴトの上に成り立ってるだけです。
だから信用崩壊を招いた原因とゆーものは、
単なるバカゲタ非常識さだけなんだけどね....。
■デフレー1・・・ 2003/2/11
デフレとインフレは商品と貨幣の問題なんですが、
いちおう別個に説明すると....
デフレ = 商品が多過ぎるコト
で、
インフレ = 貨幣が多過ぎるコト
です。
プロ?や経済オタクがどんなノウガキを並べよーが、
デフレとインフレの根本的な関係は商品と貨幣の関係でーす。
問題は、それが現実にどーゆー風に現象するか、表出してくるのかとゆーことで、
そこには<モノを媒介にした関係性>である<経済>においての<信用>とゆーものが
フォーカスされてきます。
つまり、ある共同体エリアとそこで流通してる商品と貨幣の関係が示しているものは何であるか?
とゆーのがこのデフレとインフレの問題のいちばんラジカルなテーマでしょー。
<モノを媒介にした関係性>は直接的にマテリアルに規定されてます。
資源とテクノロジーですね。
そして<信用>は共同性≦共同幻想性に規制され影響されます。
個人が共同体(or他者)に対してどう感じているか、ですね。
国家だとか政府だとかそこで発行される貨幣だとかは
共同体への意識(帰属意識)の外化したもの(疎外態)に過ぎず、
マテリアルな根拠はありませーん。ただ一つの根拠は<信用>です。
金本位制の貨幣は金とゆーマテリアルに交換できますが、
一般的な政府の法律による強制通用力がある通貨としての貨幣を
貨幣として保障しているものは、ただ単に国家や政府への<信用>でしかありません。
逆にゆーと信用のない政府の貨幣は誰も使いません。
これが無政府状態とゆーもんですね。無政府状態の経済は物々交換がメインになります。
ソ連崩壊後のロシア経済の8割がそーゆー状態でしたね。
■インフレ・ターゲット論でバレる・・・ 2003/2/6
デフレだよっ、と。
不均衡累積過程
カッコイイーつーか、
"KARL MARX"が指摘した本源的蓄積つまり世界のデータベース化のある特定の時点での属性をこんなカンタンに言い表わした
アンタはステキだわっと。つーかステキだったのか。つまり過去形つーか過去完了形かも....とゆーのは岩井克人東大教授のことです!
技術進歩や規制緩和や貿易自由化によってモノが安くなることと、
価額全体が安くなるデフレとは、本質的に異なった現象であるのです。
(岩井克人/2月4日朝日新聞)
個別の具体的ないかなる理由によってモノが安くなろーが、
それがやがて総体としての価額全体の低下につながるのは
当然ではないんでしょーか?
個別にモノが安くなることと価額全体が安くなることの峻別の根拠は何でしょ?
ライオンや犬といった個別具体的な動物が集まって、全体として動物とゆー抽象概念を生成し、
そのライオンや犬といった個別具体的な動物と抽象概念としての動物の関係こそ
商品と貨幣の関係だとした資本論初版本だけの記述を見逃さなかった
ポストモダニストの岩井克人さんの面目はどこにあるんでしょー。
一切の組織や集団に所属しないとゆー宮本武蔵みたいな覚悟に裏打ちされた
孤高のインテリジェンスはどこへ行っちゃったんでしょー。
つーことで岩井克人さんは終わったのか、と。
まあ、いいんですけど。
えっと、ライオンと動物の関係は物自体と共同幻想の関係でもあるんで、
それはそれでここの得意分野でもあるんで、いんですけど、っと。
で、デフレとインフレは....。
インフレは財を家計から国家へ移すだけだとゆー野口教授のスバラシサん。
事実の的確な指摘と誰にも理解できる分かりやすさはバツグンですね。
ちなみに元財務官の榊原さんと野口教授が現在日本の構造は戦前からのものだと指摘したのは今から26年前の確か77年。
いつだったか浅田さんと共産党がこの野口教授の研究を評価してましたが、
ラジカルな構造改革はそーゆー認識がないと無理なんだもんね。
つまりターゲットが明白になってないとドンキホーテになっちまうワケでしょ。
さすが『1940年体制/さらば戦時経済』で旧版発行の95年以来ゆるぎないラジカルな分析を示してきた
野口教授であります。インフレ・ターゲット論の基本的なダメさを見破ってるワケです。
そもそもインフレとデフレの不均衡累積過程....と述べてもピッタシなのが
経済としてみた歴史でしょ。ものを媒介にした人間関係の自然史としてね。
つーことで「負債デフレ効果」を喧伝してインフレ・ターゲット論を展開する人は
たいていバブル経済への反省も分析もないんだね。
それじゃ「地価をバブル期の値段まで戻せば全部解決だあ」と叫んでる与党のバカな政調会長と同じじゃん。
まいったな!こりゃ、と。
地方の地価は60とか70分の1になって東京の地価も10数分の1になったよね。
それでも日本の地価は先進国の水準の3倍あるし、
そもそも東京の消費物価が12年間世界一高いとゆーデフレでもなんでもない事実はどー説明すんのかねえ。
ところで、
えーと東京多摩地区の立川の地価はここ3年間上がっています。ハイ。
理由を知ってる人は居るかなあ、と。
今日もビックカメラでソケットなんか買ったけどさ。
モノレール乗ると怪獣屋サンへ行けたりして便利だけど。
ま、ちゃんと使用価値のあるものは値も上がるんだね。
そーいえばインターネットの主流はインフレ・ターゲット論だとかゆーコメントを見て笑った。
如実にリアルですね、ハイ。
■アマガエルで天気予報・・・ 2003/2/5
アメダスに対抗したアマガエルダスだったかなんだか、
まーとにかく天気予報をしてくれるんで、キット便利だったりするんでしょー、と。
水そうの中にアマガエルと段々になった台が入ってるだけとゆーシステムが最高でーっす。
どーも雨が降りだしそーだとカエルは上の方の段へ登るんだとか。
メンテはカエルの面倒を見るだけとゆー究極のシンプルなシステムですね、コレ。
つーこでイエメンやマダガスカルの怪獣たちも台風や雨や気温の変化でアッチヘ行ったり、
こっちへ来たり、たらふく食べたり、絶食したりとしてますが、それに法則性があるのは
明らかで、ちょっと便利。大雨や台風は当たるんだもんね。
ブラピもそんな怪獣を飼ってるらしい、とのこと。
タンザニアの怪獣も可愛いかったりします。
ほとんどトリケラトプスだしなあ....。
で、節分だあ、立春だあとコイツらはヘンです、様子が。
正午過ぎたとたんにお日さまの光線の変化はドップラー効果として
ちゃーんと分かるのが生き物の正常な松果体だったりしますが。
人間だってその程度はフツーじゃなきゃね。
ジャングルの怪獣はもっと敏感。
人の顔も覚えてるしなあ。
スゴイんだよ、怪獣たちは。
■『戦闘美少女の精神分析』関連追加版リスト・・・ 2003/1/28
■ひきこもりとかあ−2・・・ 2002/12/5
■ひきこもりとかあ・・・ 2002/11/23
■エントロピー&自己生成システムと他者・・・ 2002/10/18
■ひきこもりが?・・・ 2002/9/15
■精密描写能力?・・・ 2002/8/11
■マトメなメモ・・・ 2002/5/26
■「理由のない自尊心」・・・ 2002/4/1
■治療法・・・ 2001/10/30
■バブバブ・リーチング・・・ 2001/9/15
■オタクな復習・・・ 2001/8/4
■セイジョー・イジョー・ブンレツ・ソーウツ・・・ 2001/5/31
■ニューアカ&ポストモダンだあ・・・ 2001/4/1
■分裂・自閉の共通点・・・ 2001/3/3
■「主体を確立しようとするコト」っと・・・ 2001/1/5
■人混みでオシャベリできるワケは?・・・ 2000/12/26
■面白いなあ・・・ 2000/12/20
■ひよわなテクノ・エイジとか・・・ 2000/11/2
『戦闘美少女の精神分析』現代をオタクから見る・・・番外コラム
■Respect斉藤&東・・・ 2003/1/26
あらためてえ、
リスペクトさいとーたまき。
つーことで、ドトールで買ったばかりの本を読んで、
アリャミャアとゆーかビックリ。
で、感謝モードを喚起しつつ、テメーのサガに呆れる羊くん、と。
うーんとね、正直な感想は、、、
正直言って春樹ワールド風に、まいったな、かな、っと。
何にマイッタカとゆーと、発売されたばかりの
『網状言論F改』に、なんです。
そこに掲載されてる斉藤環さんの言葉に、ですね。
そして、その場を生成させた東浩紀さんに、ね。
戦闘美少女がすぐれた書評にめぐまれて幸運だとゆー文章の中で
斉藤さんが羊通信のURLを紹介してくれちゃってます。
とゆーことで、ありがとうございます。
そんなワケで、
『戦闘美少女の精神分析』をメインにリスト<戦闘美少女だよん>を作ってみましたん。
東さんの『不過視なものの世界』についての<不過視界の精神分析>も一緒にどーぞ。
メチャクチャに関連するコメントは多いのでリストはまた後で作りますんで、とりあえず。
■「二人称」を使う強度・・・ 2001/1/4
■あらためて「二人称」と「三人称」・・・ 2001/1/3
■「一人称の不在」?・・・ 2000/12/31
■自閉症児ドナのこと、2・・・ 2000/10/21
■自閉症児ドナのこと、1・・・ 2000/10/20
■『文脈病』のハレホロヒレ・・・ 2000/10/12
■もっとラジカルな問題・・・ 2000/10/10
■戦闘美少女のラジカルな問題・・・ 2000/10/8
■戦闘美少女の斎藤vs東な問題・・・ 2000/10/6
■戦闘美少女の基本とゆーと・・・ 2000/10/3
■戦闘美少女の理由・・・ 2000/9/28
■戦闘美少女のアタリ・・・ 2000/8/27
■戦闘美少女批評でのハズレ・・・ 2000/8/25
■「吉幾三問題」と戦闘美少女の精神分析だあ・・・ 2000/8/15
■『戦闘美少女の精神分析』かあ・・・ 2000/8/10
■日没は5時ちょーど・・・ 2003/1/25
今日の日没は5時ちょーど。
ウレシイナっと。
季節どおりに芽吹いたり蠢いたり飛び出たり騒ぎ出したりする生命に感動するのはいつものこと。
アマガエルで天気予報するシステム?があったりして、もー、生き物万歳なんですが。
地震の前に脳波の乱れを感知して地震予報にしようとするあの角田理論なんてどーなったのかな、
とか思いながら待ち遠しいのは春つーか初夏のざわめきだったりします。
■8倍以上の差で日本敗北だあ・・・ 2003/1/23
つーことで、8倍以上の差でもって日本は韓国に敗北だす。
韓国のインターネット証券口座数は200万。
先進国?のハズの日本が50万。
韓国の人口は日本の半分以下だから、
口座数が4分の1とゆーのは単位人口当たりでは8分の1以下。
日本がインターネットのスタートが先だったのも、
日本が先進国であるのも、
韓国がソウルオリンピックまで事実上鎖国だったのも、
関係なーし。
97年のウオン暴落から99年の経済復活まで、
たった2年間で再起した韓国のスバラシサは、
やっぱ日本にはないんですね。
バブル崩壊して10年以上たったこの日本のザマは、
笑っても笑いきれませんがとりあえずワライましょー。
他にすることないしい。
ブロードバンドにネットゲームから証券口座まで、
いったい日本のドコが優れてるのか、
ぜんぜん解らないのは、歴史のナゾか....。
まあ、1939年のナチスのライヒスバンク法を真似した
日本銀行法がそのままなんだからしょーがないつーか。
現実にファシズム推進の中心的なシステムとなった
銀行がそのままだしね。
そもそも、そーゆー国家総動員法によるファシズム体制下の
メンタリティがそのままなんだから、どーしよーもないね。
一言でゆーと自己決定できないとゆーこと。
つまり観念的に上位?の共同体に依存してる意識のコトね。
単に自由な思考能力がないキチやバカつーことなんだけどさ。
■マネとら・・・ 2003/1/18
深夜の頃から時々見ていた「マネーの虎」でしゅが、
なんつたっていつも感じるのは、
あーやってしゃしゃり出てくる人ってトンデモくんやDQNが多いとゆー事実につきます。
タレントと国会議員はキチだとゆー香山リカちゃんの指摘に納得しちゃいますが。
あと斉藤環さんの渋谷系への分析ね。自己表現が巧みでベラベラと多弁だが自分に言及しないとゆーやつ。
■るなババ・・・ 2003/1/18
▲るなるな
つーことで、繰り返しますがあ、NHKの『奇跡の詩人・日木流奈』を観て、
アレっと思った人は多かったでしょー。
イカガワシイし、カルトくさいし、放映されることそのものがイヤになっちゃう....
よーな、そんな番組だったもんね。
しかも抗議が殺到した後日のNHKのいい訳がスゴイ。
疑問の多くは「流奈は自分の意志で表現してるのか?」
とゆーものでしょ。
ところが「文字ボード上の指さしはちゃんと言葉になっている」
とゆーのがNHK側の回答だったよね。
質疑に対してズレた回答をしてごまかすワケ。
まあ真正面から答えるとバレバレになっちゃう問題では
ズレた回答をして自己防衛するのはアチラにもコチラにもある
ズルいやり方ですが、なかには真性のビョーキの人もいるので、
いろいろですね。それを見抜くのがVKテストですが....。
で、この番組に対する批判が続出するのはカンタンに想像できましたが、
その内容は....
流奈ちゃんがカワイソーというものと
ママはウソツキーというもの
が過半数だろーと思う。
だって、疲れてヨダレをたらしてクビをうなだれてる流奈ちゃんの手を
ギュッとたぐり寄せて突き指するくらいの勢いで文字盤に押しつけてるんだから。
それでベラベラと腹話術をやってるとゆーワケでしょ。
でもね、流奈ちゃんはあんまりカワイソーじゃないし、
ママもウソつきでもないかもよ。
ま、番組を観た印象と、近代の人権思想や高度資本主義以降の個人主義とゆー観点の
マトリックスからは、そーゆー批判が生じるでしょー。
社会通念や世論なんてその時代の反映でしかないからね。
大雑把にいって人間は社会経済のレベルに見合った印象や価値観を持っているに
過ぎないから。
だから一般的なレベルを超えよーとすると、
出家だとかアナーキストだとかアウトローになって社会通念から脱却しなけりゃ
いけないワケ。
でも、それは、ホントはアタマの問題だ。
観念の自縛から逃れること。
自己の妄想に気がつくこと、なんだよね、必要なのは。
そして社会通念や周囲からの規制や同調圧力から逃れることができたとして、
認識はどこへ向かうのか?
▲ババばば
たとえばサイババも日木流奈もガセでいいんだよね。
実際ガセだしさ、サギだし、犯罪的ですらあるかも。
そして、サイババや日木流奈を評価するのも帰依するのも全面否定するのも、
そんなの、どーでもいいんだよ。その程度の徒どもが徒党を組んでるだけなんだからさ。
そこから何が見えてるかが問題。
妄信するデンパも否定する識者?も、
肯否のジャッジが同じ根拠に依拠してることが自覚できないと
意味はないんだよ。
サイババが空中からモノを生み出せるとゆー初歩的なマジックで
人を説得しようとするけど、サイババ批判派もモノを生み出すのは
マジックであって事実ではないとゆーことで否定する。
両者に共通なのはどちらもモノというマテリアルを判断の根拠にしてること。
大切な認識は対立物は等価だが現実には一方に根拠を置いているとゆーこと。
<生む出せる/生み出せない>というジャッジはともに<モノ>というマテリアルな
現実が根拠になっているワケだからさ。
シンプルに事実を見るのがすべての大前提でしょ。
いちばん見えにくいのは自分そのものだろーけど。
論理的にはゲーデルの定理だったり、精神分析医的には斉藤環さんの指摘する渋谷系だったりしますが。
まあ、その辺にゴロゴロいるしなあ....。
■銀行はつぶれるか?・・・ 2003/1/17
つーか、潰さないとネ。いい加減な銀行は。
3行の主導権争いでシステムの完全なリプレイスができてないみずほ銀行なんて、その代表でしょ。
世界都市TOKYOの行政府はこのみずほ銀行に対して4度目の制裁処置をとったとか!?
以前はほぼ全額を指定金融機関のみずほ銀行を中心とした都市銀行に預けていたが、
総額の約三割にあたる三千八百億円を外国銀行や信託銀行、地方銀行に振り分けた。
基金の預金先で都市銀行の割合は六月末現在の98.6%から56.8%に大幅減額した。
だってさ。都の巨大な預金を外資系や信託銀や地銀に移したようで。
みずほ銀行のダメージは結構大きいハズ。
あまりにも大きなデキゴト=事件なんでニュースにならないとこが、ま、日本のマスメディアのダメさ
を現してますが。
で、都庁には有能なテクノクラートがたくさん余っているそーで、国のキャリア官僚とタイマンはれる
この人たちに何かやってもらおーというコトでクーローズアップされてきた案がスゴイんだね、コレが。
ホントにスンゴイとゆー感じです。
それは、都が銀行をやるとゆーものです。
銀行の自由化でカンタンに銀行を開業できるようになるためにOKなんですね。
現在NPO向けの金融会社や特定向けの保険会社があるよーで、コレがいい実績をあげつつある中、
とうとう都庁が銀行を設立!となれば、そのインパクトとは大きいでしょー。もちろんインパクト以上
に中小企業や個人にとって低い利子で融資を受けられる銀行が登場するワケで、もー、サイコー、です。
なんつたって銀行は大企業に0.2%の利子で融資してますが、個人や中小企業へは12%だったりします。
こーゆーいい加減な銀行に制裁処置や行政指導なんかワザワザするまでもなく市場がジャッジするもんね。
太平洋戦争開戦直前に成立したファシズムの統制法のベースとなっていたみずほ銀行系もコレで終わり。
そして金融市場の最大の目玉にして大穴が日立だね。あの日立製作所で〜す。企業としてはみずほ系列の
日立ですがシステム構築でトップの実力はスゴイ。日本の金融システムの7割が日立とか。
そしてアメリカのゼネラルエレクトロニクス社の大規模なリストラと改革を研究してきた日立はその頭脳
も戦略も抜群。
で、日立はすでに銀行設立の準備を終了。定款は変更されて銀行業を記載。実務でもクレジット関係で
大きな実績があり、システム構築では銀行以上の企画力と実力....。
つーことで本当に日立はもう銀行なんだよん。あとはGOするだけ。
そしてトヨタだ。
ず〜っと以前から中部地方で銀行にお金を貸してるトヨタの存在はまるで銀行そのもの。
あとは一般向けに本業にしちゃえばイイだけ。途中から三井グループに参加したトヨタは三井系大企業への
遠慮もあるけど、今すぐにトヨタ銀行は起動できるとゆースグレもん。
東京都庁銀行
日立銀行
トヨタ銀行
アンタはどこの銀行がいいでしゅか?
■バイオフィードバック・・・ 2003/1/14
▲歌を歌う
少年が病院のベッドに横たわっている。
交通事故による重体で昏睡状態だ。
無意識にうめく少年の口元に耳を寄せると、かすかに歌を歌っている。
看護婦は大きな希望を確実なものにするために少年にささやいた。
「もっと歌って」
少年はわずかに口を動かし、とぎれとぎれになりながらもかすかに声を出し続けた。
▲無意識に喚起する
いくばくかの時間が経った。
いぜん容態は昏睡状態に近く、息のような声以外は反応がない。
だが少年は無意識に歌っている。
やがて長い時間が過ぎ、少年は目覚めた。
臨死の状態を超えて戻ってきたのだ。
その後少年は自分が歌を歌っていたことを教えられ、看護婦のオーダーが自分を救った
ことを知り、無意識に喚起する生命力とその源である心に興味をもった。
▲バイオフィードバック
少年は自分を救ってくれてた貴重な体験を忘れることはなかった。
少年はカリフォルニアの大学に進み、7つの心理学のコースをマスターし、
自ら体験したことへの探求を深めていった。
その結果得られた結論から「バイオフィードバック」という概念と治療方法を生みだし、
末期ガン患者を完治するなど実績を重ねた。
日本に活動の場所を移してからは、IQ80の子供を国立大学合格に導き、作家志望の
人間に文学賞を受賞させるなど一般的な能力向上を中心にカウンセリングと指導に
あたった。音楽や演奏能力を飛躍させた人もいる。
▲気づきの効用
彼はこのバイオフィードバックを日本語で「気づきの効用」と説明する。
汝自身を知れ、ということだ。
IBMがバイオフィードバック用のプログラムを開発し、誰もが簡単に利用できるよう
になった。
最初は手足の体温を上昇させるといった単純な訓練から入るという。
しかしこれは自己暗示や催眠術ではない。自分の行為の結果を自分でチェックしながら
自分の行為をとおして結果をコントロールしていくのだ。自分を対象化し自分に働き
かけていく、あるいは自分を媒介にして自分を知ることだろう。
いわば自分を媒介にして、自分の生み出すモノゴトをコントロールしていく自己コント
ロールであり、その基本となる自己言及なのだ。
暗示でもなければ他者や外部から与えられる影響やパワーや薬を頼りにするのでもない。
完全な自己生成と自己組織化の過程の客観的な把握とその再生の連続が心身ともにその
生命活動のすべてだ。外部から摂取する情報とエネルギーを前提にすべての生命は自己
コントロールを営んでいるし、それそのものが生命そのものだろう。
▲必要なトリガー
自己組織化や自己再生のキッカケとなるトリガーが必要な場合があったとしても、その
トリガーはすみやかに消滅しなければいけない。ナゼならトリガーや外部からのパワー
が依存の対象になったり支配の拠りどころになってはいけないからだ。トリガーは第3者
として排除されなければいけない。情報は忘却されるしエネルギーは消滅する。
■誰でもライターに....バレる 3・・・ 2003/1/7
■誰でもライターに....バレる 3
■誰でもライターに....耐える 2
■誰でもライターに....成れる 1
●気軽なカキコでバレる
現在ライターが表現しようとする時にともなうハードルが少なくなってきている。あるいはこれらのハードルを避けて表現
ができる。インターネットやデジタルなテクノロジーが大衆全体に自由な表現の場を与えてくれたからだ。そしてプロの技
巧もオープンなリソースになった。今は誰でも技術だけならカンタンに身につけることができるのだ。
結局、気軽にカキコできるところで身につかないのは、規制と抑圧をクリアできるような自己抑制と自省をともなった能力
だ。それはダイレクトに人間性の一部でもあり、キャラそのままでもある。気軽なカキコで気軽なキャラがバレバレになっ
てしまうのは当然。新たなリスクはそういうものだ。その覚悟がなければ表現者にはなれないというのが最低限のオキテや
ルールとなってきている。
●隠されてきたことがバレる
繰り返すがプロがその技術や方法を秘匿することによってのみプロという立場をキープしてきたような状況はすでにドコに
も無い。大塚英志さんが『物語の体操』(朝日新聞社)で指摘しているようにチョット訓練すれば誰でも書けるようになる
し、現実に誰でも3ヶ月で職業ライターになれる。またインターネットというテクノロジーは基本的な表現の技術さえ無く
ても自己表現できる世界を生んでくれた。誰でも自由に表現できるようになったワケで、これはいいコトだろ。
だがホントにいいコトはもっと別にある。それに気がつかないようならばプロの編集者でもないし、まっとうな批評眼の持
ち主でもない。一言でいえば、「ホントにいいコト」とは、いままで隠されてきたことが露呈しつつあるというコトだ。
プロが表現技術の隠蔽で自己の立場を維持してきたのはバレてしまい、技術さえ身につければ誰でもライターになれるコトが
多くの人に分かってきた。
そしてもっともっと大事なコトは、技術さえあればライターになれるために、それでバレたことや、あるいは技術が無くて
も表現できてしまうからこそバレてしまうことがあるということ。それはインターネットでお気軽にカキコできるからこそ、
その内面がカンタンにバレるようになってきたということだ。これは『暴走するインターネット』(鈴木謙介)で大きなテー
マになっているインターネットでのコミュニティのあらゆる問題の最も深くて大きいファクターだろう。
●自己チュー表現のワケは
仮想空間が私たちに非日常的な振る舞いを強いているのではなく、
別の動機付けが仮想空間という条件の下で発露したと考えるのが妥当だろう。
『暴走するインターネット』(鈴木謙介・イーストプレス)
大切な問題はただ一つしかない。「別の動機付け」とは何か?ということだ。
●享受者のいない表現はない
すべての表現が享受者との間だけに成り立つものであるというコミュニケーションの大前提は無視できない。享受者のいな
い表現などない。
インターネットで発信できた(した)コト=表現ではないし、ましてやコミュニケーションではありえない。
インターネットで発信できれば表現したことになるという思い込みは、もう一つの重要な思い込み=幻想にもとづいている。
それは表現できた(orる)から自己認知された(orる)のだという思い込みだ。
自由に発信できる世界が、思うとおりに自己認知できる(orされる)世界だというのは幻想に過ぎない。ココには現実と願
望の混同があり、環境としてのメディアの属性に左右されつつ、そこに生成してしまう認識力の幻想性(妄想性)が露出し
ている。心的現象としては胎児期・幼児期の認識レベルの問題に起因しているが、これがあらゆる認識の最重要ファクター
であり自己チューから分裂症、オタクからメインカルチャーまでを解析する究極のポイントだ。
極論すればインターネットでデンパやガイキチが増えたのではなく、デンパやガイキチの存在がインターネットで露出する
ようになったということであり、自由に表現できる空間だからこそ表現者の資質が露呈するようになったというコトだ。
問題はデンパやガイキチを見破る方法や、表現者の資質を分析する手段があるのかということだろう。たとえばFBIのプ
ロファイリングはそれまでの調査の集積によって高い精度の分析を可能にしているが、もっと科学的で論理学的な方法があ
るワケだ。たとえばVKテストがそうだ。
もちろんこの表現者の資質を分析する方法というのは批評そのものの大きな方法でもあるハズ。印象批評でただ感想を並べ
ているのでない限り、分析がいい加減な批評は不要だからだ。
■吉本隆明はポストモダンか?だってえ・・・ 2003/1/5
●吉本隆明さんがポストモダンだあ? どーでもいいけど
11月5日に新聞を読んでビビッタのである。
東工大で開かれた「吉本隆明をめぐるシンポジウム」のことが紹介されてて、
「吉本氏は真のポストモダニスト」だという大澤真幸さんの新説がフォーカス
されてるんだよん。ニューアカはモダンのシニカルな変形で、彼らに批判され
た吉本氏こそポストモダンだったんだって。
ニューアカがシニカルなモダンでしかないのはオウムを「バカ」の一言で否定
した(つもり)の浅田さんや自分の「病気」をその活動のモチベーションにし
てる柄谷さんのスタンスをみれば明らか。ビョーキはビョーキ、と。
「バカ」の一言でモノゴトは解決しないし、教官が詰めてるテストの採点室で
一人だけラジカセをギンギン鳴らしてよーな「病気」の自己チューはメイワク
なだけ。
●ポストモダンそのものがフェイクじゃん お馬のニンジン
吉本さんがポストモダンのフェイクとして扱われるのは、その扱われ方そのも
のがポストモダンのフェイクなんだけど。「堕ちよさらば、吉本隆明」だっけ
か、あーゆーのを典型にしても、そこにはモダンなルサンチマンやシニカルな
モダンが露呈してるだけでしょ。ま、「堕ちよ〜」は所詮どこまでいっても個
人的表現でしかない文芸としては好きだけどね。
ポストモダンの基本的なスタンスなんてA・ルフェーブルの主張やレーニンや
トロツキーの態度にだって現れてるしね。新しい見解だからOKとゆーのは発
想そのものがモダンだしい。反対派がスターリンに処分されるちゃう中央委員
会で会議サボってバルザックなんか読んでたトロツキーってカッコイイじゃー
ん。で、もちろん敗北。カッコよく負けるのや殿戦するってムズカシイからさ。
●解決はモダンの中にしかないよ しかもバラバラ
それよりむしろリゾームやノマドやスキゾなんつー言葉遊びをポストモダンだ
と早合点した自分たちこそシニカルなモダンだったなってゆー反省や自己言及
が大切。専門用語並べて自己表現するなんてコミュニケーションの面からは単
なるサイテーだから。あるいはキチね。相手のコトを考えろよ。享受者のコト
を、な。
ニューアカがポストモダンだったのはインテリジェンスが商品で『構造と力』
がファッションだったのを認めるところにしかないからさ。カタカナがいっぱ
い並んでるのって、漢字がゴチャゴチャしてるより簡単に読めそうだったてゆー
感覚は結構大事でしょ。
そもそも真偽を問うことそのものがモダンの極致。大澤さんてマジメ過ぎ。彼
こそシニカルなモダンなんだよね。もちろん吉本さんは究極のモダンでやんす。
だって解決はモダンの中にしかないからさ。解決を目指す人はみーんなモダニ
ストだもんね。文句ある?
●ポストモダンをモダンに語れよ いろいろあるもん
ところで、吉本氏は真のポストモダンだとゆー主張を「かなりおもしろい」と
評価する橋爪さん。「納得できる」と同意する竹田さん。
宮台さんを「そんなに日本的でいいのか?」とかなんとか批判した橋爪さんに
は、その宮台さんのポストモダンぶりがわかってないだろうし、簡明な哲学ガ
イドの竹田さんには同意する以上のことはできないでしょー。東さんとの対談
読んでもそーだろ。スタンスが凡庸、ボヨ〜ン。
日本語の入れ子構造にフォーカスした東さんや最近よく弁証法を主張する田中
康夫さんの方がポストモダンだよん。
●アフリカとゆー問題ってか 温故知新かあ
『アフリカ的段階について』を「天下の奇書」という大澤さん。アフリカの黒
人哲学者フランツ・ファノンが「奇書」を書けなかったのはヘーゲルに代表さ
れる西欧哲学の範囲内でしか思考できなかったからで、インド・ヨーロッパ語
以外の言語による哲学の可能性を予期していたニーチェやマルクスのささやか
な先見性こそ大事にしないとね。
にしても「「輸入学問」から脱皮しえていないと自認するアカデミズム」とい
う指摘はステキでしかも笑えた。
3度目以降は笑うだけと主張するマルクスって、モダンの極致としてサイコー
でしょ。あー2度目以降だっけか....。
●アンタッチャブルにタッチ ドーナツの穴か
このシンポジウムでも記事でも心的現象論にタッチできていないことこそがモ
ダンでしかもハンパな証拠。まー心的現象論を理解できた人って全然いないか
らしょーがないけどさ。
つーワケで、今後とも『アフリカ的段階』と『心的現象論』は現代思想のブラッ
クホールとして人に知られることなく、そして、だからこそドーナツの穴のよー
にあり続けるんでしょーねと。
ついでに記事によると....
『共同幻想論』では共同幻想と個人幻想の間に対幻想を設定した....だって。
ぎゃははははははははははは
時点ゼロでバランスしている対幻想の双数性こそが問題=遠隔対称性なんだけ
ど、共同と個の間つー定義はあまりにもお子様。
浅田さんも素直じゃないからな....部分的にはいい線いってたのにねえ。
『構造と力』で引用されている「根源的脱自態」とゆーM・ポンチの概念を深
化させればラジカルな展開ができたのになあ。それより18年も前に提出され
ていた「原生的疏外」とゆー『心的現象論序説』の重要なタームに圧倒された
んだろーな。ガキのよーな父子相伝の物語りでしかないんだけど。けけけ
●ドーナツにタッチすると キチは穴へ逃げるか
アフリカ的段階は宗教の初源でもあるけど、マテリアルな事実としてその成立
にTPOが勘案されているとこが重要なポイントだね。マテリアルな条件ね、
環境ね、環界ね。関係性の原点となるトコね。ヘーゲルにモルガンからアメリ
カンネイティブの神話まで解析した上での見解はユニークでラジカルだよ。
場所を捨象するデリダみたいな認識論は100%の観念=幻想の中にしか成立
しない代物。しかもその観念の主体だってあるTPO=場の中にしか存立でき
ないだろ。だろ。ソレを自覚できてないヤツこそがデムパやガイキチ、でしょ。
だからイカレタヤツらは「宇宙」や「来世」や「彼岸」を語るワケ。自己の観
念だけで処理できるコトをね。マテリアルに検証されちゃうと自分のアリバイ
がなくなっちゃうんで、非マテリアルな場や次元を主張するのよ。つまり第3
者にも認識できちゃうことからは逃げるのよ。現実から逃げてるってゆーこと。
だから現実に対して無効なんだね。デムパやガイキチは。そして宗教は。
自分のアイデンティティを第3者を排除することでしか求められない弱者の姿
こそキチなんだね。ただの脆弱な自己チューなわけ、でちゅー。基本的に第3
者を否定してるワケで、それだけでも危険なんだね。コイツらは。
■形式論理を見破るVKテスト....2・・・ 2003/1/1