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日本のアフガン難民問題最新情報(2002年3月1日〜)

このページでは、刻々と移り変わる在日アフガニスタン難民問題の最新情報をお届けします。
 <2002年2月28日以前の「最新情報」はここから>
  

 

2002年7月14日

十条に出頭を命じられたアフガン人難民7名、即時仮放免
〜当事者・弁護士・市民の力で過酷な収容処分を撤回させる〜

 2002年6月10日、東京高等裁判所は、牛久収容所に収容されていたアフガン人難民7名の収容を停止し、身柄を解放することを命じた3月1日の東京地方裁判所の決定を取り消しました。法務省・東京入国管理局は、高裁の決定後、退去強制手続に則ってこれら7名の再収容に乗り出しました。
 これら7名のうち6名は、いずれも10月3日に難民申請中にもかかわらず強制収容された人々で、うち4名は東京地裁の決定により、昨年11月にも一度解放されていますが、このときも同様に東京高裁が地裁決定を取り消し、再び収容されてしまったという経験をもっています。今回収容されれば、三たびの収容ということになります。
 アフガン難民の多くは、ターリバーン政権により収容や虐待などの経験を持っており、それが大きな心の傷として残っています。昨年、彼らを診察した精神科医は、彼らを「急性心的外傷後ストレス障害」(ATSD)と診断しました。地裁の決定は、こうした彼らの状況を重視したものでしたが、高等裁判所はこれらを一切省みず、法務省の主張を一方的に受け入れて地裁決定を取り消したのです。
 「再び収容されたら、どうなるかわからない」……当事者たちのこうした声にこたえ、再収容をなんとしても阻止するための努力が開始されました。国会議員へのロビーイング、入管当局との再三にわたる折衝……それでも、収容を阻止できるかどうかわからないまま、7月1日、出頭の日を迎えました。
 入管側(つまり法務省)の出した答えは、「即時仮放免」でした。朝、十条の東京入管に出頭した7名は、所定の手続と仮放免申請を終え、夕方、仮放免を受けて、収容されることなく東京入管を退出することが出来ました。
 昨年来のアフガン難民問題、そしてシェンヤン事件……日本の現在の難民認定制度が揺さぶられている中で、「収容」がふたたび社会的な問題になることを恐れた法務省側の判断があったものと思われます。しかし、高裁の決定取り消し直後には、法務省内には、彼らを再び長期収容するという方針があったと言われており、これをはねかえして即時仮放免を勝ち取ったのは、アフガン難民の当事者たちを始め、弁護士、市民の力です。

2002年7月1日 共同通信

アフガン難民また収容  異例の3回目に反発も

 日本で難民認定を申請しながら、不法入国容疑で強制収容され、東京地裁の決定で身柄拘束を解かれていたアフガニスタン人七人について、法務省東京入国管理局は一日午前、七人をいったん収容したものの、同日中に仮放免する方針を弁護団に伝えた。
 今回の収容は、東京高裁が六月の決定で収容を是認したのを受けた措置。ただ、形式的に収容したが(1)七人のうち四人は昨年も収容、解放、再収容を経験しており、今回が異例の三回目の収容となる(2)「収容中に自殺する可能性が大きい」との医師の診断書が出ている―などを配慮し、仮放免の方針を決めたものとみられる。
 七人とともに茨城県内の入管施設に一時収容されていた他のアフガン難民申請者十六人は既に仮放免されており、これで全員が仮放免される。
 七人は少数民族のハザラ人で、タリバン政権に迫害されたとして昨年、難民申請。収容の根拠となった退去強制令書の取り消しなどを求め裁判を起こした。
 地裁は三月に「七人は難民と認められ、収容されれば精神的、肉体的に回復困難な損害を受ける」と収容の執行停止を命令。だが高裁は「収容に耐えられない健康状態ではなく、停止の必要はない」と判断した。
 支援者らは「アフガン情勢はまだ不安定で難民が帰国すれば危険なのに、なぜ強制送還に向けた収容を強行するのか」などと反発していた。

アフガン人7人を仮放免  自殺の恐れなど配慮か

 日本で難民認定を申請しながら不法入国容疑で強制収容され、東京地裁の決定で解放されていたアフガニスタン人七人について、法務省東京入国管理局は一日、東京高裁の逆転決定に基づきいったん収容したものの、同日夕に仮放免した。
 七人とともに一時、茨城県牛久市の東日本入国管理センターに収容されていた他のアフガン難民申請者十六人も既に仮放免を認められており、これで全員が仮放免となった。今後は行政訴訟(本訴)で強制退去と難民不認定の取り消しを求めていく。
  東京入管は仮放免の理由を明らかにしていないが、(1)七人のうち四人は昨年も収容、解放、再収容を経験しており、今回の収容は異例の三回目(2)医師が「七人は収容中に自殺を図る可能性が高い」と診断した―などを配慮したとみられる。
 地裁は三月に「七人は難民と認められ、収容されれば精神的、肉体的に回復困難な損害を受ける」と収容の執行停止を命令。これに対し高裁は六月、「収容に耐えられない健康状態ではなく、停止の必要はない」と判断していた。

 

2002年7月22日

東京でも大阪と同じ日に開催決定!
「難民を受け入れよう たそがれパレード」西と東で同時開催!

 大阪で「難民を受け入れよう たそがれパレード」が開催されることは、本コーナーでもすでに告知していますが、東京でもパレードが開催されることになりました!7月27日(土)に大阪と東京で、難民の受入れを求めるパレードを同時に開催します。

【東京パレード趣旨】

 日本にも難民の人たちが来ていることをご存知でしょうか?
 実は、日本にもアフガニスタンなどの多くの国々から難民が来ています。しかし、これらの母国での迫害から逃れて来た人々は、難民として認められないばかりか、強制送還のため監獄のような場所に無期限に収容されるなど、不当かつ非人道的な扱いを受けて苦しんでいます。
 一方、最近政府内でも中国・瀋陽での北朝鮮難民の総領事館駆け込み事件をきっかけにして、難民認定制度の改正を目指した動きが生まれています。
 こうした見直しの動きを本当のものにし、命からがら避難してきた人々が正当な権利を得られる制度を実現させるためには、私たち市民が一人一人声を挙げることが大切です。
  国際社会の中で認められる、より人道的な視点にたった難民受入れが行なわれるよう、一緒に求めてきましょう。暑いさなか恐縮ですが、是非、思い思いのプラカード、垂れ幕、デコレーションを用意してご参加ください。

1)in 大阪
 ○日時:7月27日(土) 15:30 集合 16:00 パレード開始
 ○場所:大阪府西区 新町北公園(厚生年金会館南)
 ○主催:難民受入れのあり方を考えるネットワーク TEL: 06-6941-4999

2)in 東京
 ○日時: 7月27日(土) 14:30 集合 16:00 パレード開始 
  17:00 終了予定(雨天決行) *アフガン難民、クルド難民、弁護団の方々に、
  
お話してもらう予定です。 
 ○場所: 代々木公園ケヤキ並木 NHKホール側 集合場所は以下の地図をご覧下さい

 ○主催:難民受入れのあり方を考えるネットワーク
 ○協力:CHANCE!東京
 ○パレード問合せ先:志葉(しば)携帯 090−3477−2203、
  メール fwnx1218@mb.infoweb.ne.jp

2002年7月14日

「7・27難民を受け入れよう たそがれパレードin大阪」に参加してください!

先日の「世界難民の日」シンポジウムにご参加いただきありがとうございました。政府内でもすでに難民認定制度の検討が始まっていますが、7月6日付け朝日新聞朝刊・社説には、公明党が「難民認定のための第三者機関新設や、60日以内という難民申請機関の延長」などを骨子とした提言をまとめた、と報じられています。民主党でも難民認定制度の改正を目指してプロジェクトチームが検討を行っています。
 野党だけでなく、政府与党内でもこうした動きが生まれることは、1年前には想像もつかなかったことです。積年の課題であった難民法の改正がいよいよ議題に上りつつあります。こうした動きをさらに大きなものにしていくには、私たち市民が一人一人声を挙げることが大切です。
 6月22日のシンポの最後にお知らせしたように、7月27日4時「難民を受け入れようたそがれパレードin大阪」を企画しています。
 集合場所は、大阪市西区新町北公園です。道順は、同公園を南に下がって長堀通りを東に進み、心斎橋御堂筋に沿って南下するというコースです。たそがれとは名ばかりの暑いさなかのデモになりそうですが、思い思いのプラカード、垂れ幕、デコレーションを用意してご参集ください。

●日時:7月27日4時より(3時半集合)
●場所:新町北公園 厚生年金会館の南側です。
(大阪市西区新町1丁目14番15号)地下鉄四ツ橋線四ツ橋駅2番出口より徒歩5分
●主催・連絡先
:カトリック大阪シナピス難民委員会(大阪市中央区玉造2-24-22 電話番号06-6941-4999)、難民受け入れを考えるネットワーク(事務局:さつき法律事務所)

2002年6月30日

広島地方裁判所、アフガン難民アブドゥル・アジズさんに刑免除の画期的判決
〜入管はアブドゥル・アジズさんを難民と認め、すぐに身柄を解放せよ〜

 広島地方裁判所は2002年6月20日、「不法入国」の容疑で起訴されていた山口県在住のアフガン難民、アブドゥル・アジズ氏について、難民と認め、不法入国に関する刑を免除する画期的な判決を下しました。
 判決に認められるとおり、アジズ氏はアフガンのハザラ人勢力イスラーム統一党(Hezb-e Wahdat)の活動家であり、パシュトゥン人主体のイスラーム原理主義勢力ターリバーンによる逮捕・殺害の危険にさらされていました。彼は2002年1月に行われたアフガン復興会議に関して英文で声明文を作成しており、そのメッセージは本ホームページにも公開されています。
 ところが、広島県警は彼を不法入国容疑で2月に逮捕・起訴、さらに法務省は彼を難民不認定処分としました。彼は退去強制手続の対象となっています。
 この判決は、彼の不法入国容疑での刑事事件に関するもので、彼は不法入国の事実は認めたものの、彼を難民であると認め、難民条約の「難民は不法入国により刑罰を科せられない」という条項によりその刑罰を免除したものです。これは非常に画期的な判決です。
 ところが、裁判所が彼を「難民」と認めたにもかかわらず、法務省・入国管理局は依然として彼を退去強制手続の対象とし、28日には、彼を茨木収容所(西日本入国管理センター)へと移送してしまいました。
 裁判所が彼を難民と認めたのは、司法の重大な判断です。法務省は、「刑事事件の判決は退去強制処分と関係ない」等と詭弁を弄していますが、司法が自らの判断と異なった判断を示した以上、もういちど難民認定手続をやり直すべきです。また、アジズさんは即時仮放免されるべきです。

関連新聞記事はここから

2002年6月11日

アフガン難民7名に再収容の危機
東京高等裁判所、「アフガン人の収容は肉体的・精神的被害を生じさせていない」として東京地裁の収容停止決定を取り消し

 東京高等裁判所(民事第15部、赤塚信雄裁判長)は6月10日、東京地方裁判所民事第3部の画期的決定により強制収容所から身柄を解放されていたアフガン人難民7名(10月3日に拘束・収容された9名のうちの5名と、それ以前から収容されていた2名)の収容停止決定を取り消す決定を行いました。理由は、「収容は肉体的・精神的被害を生じさせていない」という理解しがたいものです。
 この結果、彼らの身柄解放を法的に保障する決定はなくなり、退去強制令書の収容部分だけが残ることになります。そのため、東京入国管理局が、彼らを再収容する可能性が出てきました。
 収容が継続していた今年の1月から3月にかけて、彼らは精神的に著しい打撃を受け、自殺未遂などが繰り返されました。その結果として、法務省も彼らを仮放免せざるを得なかったのです。難民制度の見直しが進められている中、この裁判所の決定はまさに反動としか言いようがありません。
 法務省に対し、声を大にして「彼らを再収容するな」「彼らに即時仮放免を与えよ」と主張していく必要があります。

(関連記事)2002年6月10日 朝日新聞
難民申請のアフガン人7人、再収容の可能性

 アフガニスタン国籍の男性らが難民認定申請中に収容され、退去強制手続きが始まっている問題で、東京高裁の赤塚信雄裁判長は10日、7人について、今年3月に東京地裁が認めた収容の執行停止を取り消し、7人の申し立てを却下する決定をした。
 地裁は「収容は司法審査を経ない行政処分による身柄拘束で、極めて例外的制度だ」として慎重な取り扱いを求め、7人の申し立てを認めた。しかし、高裁は「収容の執行を停止する緊急の必要はない」と判断した。
 男性らの弁護団によると、7人は地裁決定で拘束を解かれたが、近く再収容される可能性がある。同様の立場で東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容された16人は入管当局の仮放免によってセンターを出ている。(23:43) 2002年6月10日 毎日新聞

関連記事:毎日新聞6月10日
不法残留:アフガン人7人の収容執行停止を取り消す 東京高裁

 東京入国管理局に不法入国・残留の疑いで摘発されたアフガニスタン人7人について、東京高裁(赤塚信雄裁判長)は10日、退去強制令書に基づく収容処分の執行停止を命じた東京地裁決定を取り消した。これを受け法務省入国管理局は、再収容するかどうか検討している。
 東京地裁は3月、強制送還の執行停止を命じたうえで、収容についても「重大な人権侵害」として認めなかった。今回の高裁決定は「収容は著しい肉体的、精神的被害を生じさせていない」などの見解を示し、収容を妥当と認めた。 東京地裁の別の部は1月、7人と同時期に摘発された2人のアフガニスタン人について収容の執行停止を認めない決定を出しており、判断が分かれていた。

2002年6月30日

「世界難民の日」大阪シンポジウム、400人の参加で成功
〜難民制度の抜本的な改革を訴える〜

 6月22日、大阪で「世界難民の日」大阪シンポジウムが開催されました。会場のカトリック大阪教区聖マリア大聖堂は400人の参加者で盛況。会場には、東京からバスでかけつけた十数人を始め、アフガン難民たちも25人の大集合。この大聖堂、正面にはマリア像、左側には、江戸時代初頭のキリスト者に対する迫害により、当時スペイン領だったフィリピンのマニラに亡命した「日本最初の亡命者」高山右近像が描かれており、「難民問題」を考える会場としても非常に適切な場所です。
 シンポジウムは2部構成で、第1部で設けられたアフガン難民たちのスピーチのコーナーでは、3人のアフガン人たちがスピーチ。東京高等裁判所の決定で再収容の危険が迫るハザラ人青年は「もう一度収容所に入ったら、耐えられない」と再収容への不安を語りました。その後登壇した二人のハザラ人男性は、これまで100年間にアフガニスタンでハザラ人に対して加えられた厳しい迫害の歴史や、新政権の樹立によっても変わらない厳しい状況についてとうとうと、説得力を持って述べました。
 アフガン難民たちのメッセージを導入したナラカズヲさんの「難民の歌」「解放の歌」で第1部を締めくくった後、第2部では、アフガン難民問題について全国で取り組んできた弁護士たちと、難民問題の権威である駿河台大学の本間浩教授のシンポジウムへと移りました。本間教授は、難民受け入れの先進国であるドイツの難民制度と比較しながら、日本の難民制度の問題点を鋭く指摘、改革を求めました。
 シンポには、国会議員も参加。民主党の中村哲治衆議院議員、社会民主党の北川れん子参議院議員、日本共産党の井上哲士参議院議員がスピーチを行いました。
 シンポの最後に、「難民鎖国日本を変えよう!シンポジウム決議」として、制度改革への6点の提言を含んだ決議を採択、シンポジウムは無事終了しました。
 このシンポジウムは、当事者である難民、日本の市民、専門家である弁護士・法律家が手を携えて、日本の難民制度の改革に本格的に取り組む出発点になったと思います。

2002年6月23日 朝日新聞

難民認定の審査機関設置をシンポで決議採択 【大阪】

 難民認定制度の問題点について考えるシンポジウム「難民鎖国日本を変えよう」が22日、大阪市中央区で開かれた。アフガニスタン難民の支援に取り組む「カトリック大阪シナピス難民委員会」などの主催。民主、共産、社民各党の国会議員を含む約450人が参加した。不法滞在を取り締まる入国管理局が難民認定について判断する現状を改めて、独立した難民審査機関を設置することなど、入管法の改正を国に求める決議を採択した。
 国に難民認定を求めているアフガニスタンの少数民族ハザラ人の25人も参加した。不認定処分の取り消しを求めて大阪地裁で争っているグラム・フセインさんの代理人、秋田真志弁護士は、裁判での証言で、認定を求めるフセインさんに入管職員が「私なら国に帰って戦争する」と発言していたことが明らかにされたことを紹介。「世界の難民の実情を理解し人権意識を備えた専門官が認定の判断をすべきだ」と指摘した。

2002年6月23日 毎日新聞

難民政策考えるシンポジウム「難民鎖国日本を変えよう」 
大阪市で400人が参加

 日本の難民政策に詳しい弁護士や研究者、難民不認定となったアフガニスタン人らが集まり、出入国管理及び難民認定法の改正を求めるシンポジウム「難民鎖国日本を変えよう」が22日、大阪市中央区で開かれた。約400人の参加者は、入管から独立して難民認定をする第三者機関を創設すべきだ、などとするアピールを採択した。難民不認定となったアフガン人ら25人が参加し、現在の窮状などを訴えた。

2002年6月16日

長野県知事・田中康夫氏が6月22日の
「世界難民の日・大阪シンポジウム」にエール

 田中康夫氏(長野県知事)が、週刊SPA!に連載中の「愛の大目玉」にて、このたび6月22日に開催される「世界難民の日・大阪シンポジウム」にエールを送ってくれました。田中氏は今回の集会の賛同人に名前を連ねており、折しもシェンヤン事件が勃発したことから、このコラムになったもの。シェンヤン事件に触発されての、「主権が侵された」「外務省しっかりしろ」の大合唱に、田中氏らしい皮肉を効かせてのコメントです。
 このシンポジウムには、数多くの著名人が賛同人として名前を連ねています。これも日本の難民・亡命者政策を変えようという多くの人々の意思の表れです。6月22日には、ぜひとも大阪へ!

週刊SPA!5月28日号 田中康夫「愛の大目玉」
安全地帯からの亡命問題批判じゃダブルスタンダードに過ぎないよ

 嘗て奉天と呼ばれし瀋陽に位置する日本の総領事館に北朝鮮と思しき国籍を有する市民が複数名、駆け込むも中国の官憲が連れ去る事象が発生しました。怪しからん、強制送還されたなら処刑されてしまう、との大合唱です。人権派を任ずる「朝日」「毎日」的表現者のみならず、国威派を任じる「産経」「讀賣」的表現者に至るまで。
 言わずもがな、外務省改め害・無能省の失態です。総領事以下、現場職員を処分するのみでは事足りますまい。然れど、如何なる理由を以てか、プロフェッショナルを自任する表現者は絶えて報じぬ模擬想定が存在します。仮に、日本への亡命を彼らや彼女らが望んだ場合、国威派は因より人権派に至るも諸手を挙げて歓待するであろうか、との。縦しんば“超法規的特例”として認めようとも、その後に続く数千、数万の迷える子羊をも新しき日本の市民として受け入れるであろうか、との。昨年、日本政府が難民認定したアフガニスタン人は僅かに3名。比するに不認定は39名。その大半はハザラ人と呼ばれる少数民族。タリバン政権下で民主化運動に身を投じたモハマド・ジャワド氏も、その1人です。その事例を鋭くも報じた4月16日付「毎日」から引用します。
 タリバン政府の出頭を拒み、パキスタン経由で日本の空港へと辿り着いた彼は難民認定を申請するも入国管理施設に収容され、血圧200を超え20回近く倒れても8ヶ月間、入院措置すら取られず、精神障害に陥り、“強制送還”の日を待つ。
 ’81年に難民条約を締結しながらも頑なに拒み続ける法務省の「哲学」を、国威派は質そうともしません。日出ずる国への亡命なあんて、瀋陽に於ける今回の連行者らが望む筈もないと知った上で安全地帯から声高に、中国と外務省の「責任」を追及はするものの。
 とまれ、6月22日の午後、大阪の玉造カトリック教会で僕も賛同者の「扉よ開け! アフガン難民から難民認定法改正を問うシンポジウム」が開かれます。
 
詳細は下記の連絡先へ。

2002年6月16日

「難民・亡命者問題を考える院内集会」130名の参加で成功!
国会議員8名、秘書11名も参加

 牛久収容所に収容されていたアフガニスタン難民23名の解放を祝うとともに、シェンヤン事件なども受けてこれからの難民・亡命者政策のあり方を考える目的で、6月11日に開催された「難民・亡命者問題を考える院内集会」は、参加者130名を数え、150名収容の衆議院第2議員会館の会議室がいっぱいになるほどの盛況でした。
 当事者であるアフガン難民たちも、つぎつぎに発言。夜間中学で日本語を学んでいる難民たちから、日本語での挨拶があり、多くの参加者が拍手で迎えていました。
 国会議員は、民主党、公明党、社会民主党、日本共産党から合計8名が参加。また、これとは別に11名の議員秘書が参加、アフガン難民たちの声に真摯に耳を傾けていました。挨拶にたった国会議員たちは口々に難民制度の見直しが必要であることを力説。こうした議員の存在が、今後の日本の難民制度の改革にとって大きな力になることを予感させました。
 この集会は、折しも23名のアフガン難民全員を解放する原動力となった3月1日の東京地方裁判所のアフガン難民7名の身柄解放決定を、東京高等裁判所が覆した翌日に開かれました。7名には再収容の危機が迫っています。「7名の再収容を許さない」……私たちはこの集会で、改めてこのことを胸に誓いました。

2002年6月13日 毎日新聞
◆難民認定制度 見直しの声続出 東京で集会

 中国・瀋陽の日本総領事館内連行事件を機に、難民認定の見直しを求める声が高まる中、アフガニスタン人の難民申請問題を考える集会がこのほど、衆院第2議員会館(東京都千代田区)で開かれた。参加者からは「難民認定制度は抜本的に見直すべきだ」と法改正を求める意見が相次いだ。支援者でつくる「難民・亡命問題を考える緊急院内集会実行委員会」が主催。約100人が参加した。
 東京入国管理局に不法入国の疑いで摘発され、仮放免中のアリ・アハマドさん(23)は「いつ再収容 されるか分からず、心配だ。在留資格がもらえるように助けてください」と話した。

2002年6月13日 共同通信
申請者らが制度改正訴え/難民問題で緊急集会

 中国・瀋陽の亡命者連行事件で問われた日本の難民政策を考える緊急集会が十一日、東京都千代田区で開かれ、難民認定を申請中のアフガニスタン人らが現行制度の改正を訴えた。
 昨年、不法入国の疑いで強制収容され、東京地裁の決定で解放されたものの、十日の東京高裁の逆転決定で再収容の瀬戸際に立たされているアフガン人男性(19)は「母国が平和になったら帰国する。それまでの間だけ、日本で暮らせるようにしてほしい」と訴えた。
 難民支援団体や弁護士からは「難民申請者には就労が認められず、公的支援もほとんどない。自立して生活できるような仕組みが必要」「不認定に対する異議の審査機関を法務省から独立させるべきだ」といった意見が相次いだ。
 集会には民主、社民、公明各党の議員らも参加。「法務省は難民問題を検討する専門部会を設置したが、政府全体で取り組まなければならない」などの声が上がった。

集会の案内チラシはこちら

 

2002年5月7日

6月22日 大阪で難民法改正に向けたシンポジウム開催!
難民鎖国日本を変えよう!アフガン難民と支援ネットワークが訴える
〜拒絶・隔離の政策から国際協力・友好の政策へ〜

 昨年10月以降、日本に庇護を求めてきたアフガニスタン難民の問題が注目を集めるに従って、日本の難民鎖国政策と、それを可能にしている日本の入管・難民法体系の問題点が大きく焦点化されてきました。
 東日本では、強制収容されていたアフガン人難民申請者の身柄は何とか解放されましたが、彼らとてまだ安定した在留資格を得たわけではありません。西日本では、まだ多くのアフガン難民申請者が不認定にされた上、収容所に収容されたり、警察に拘留され続けるといった事態が生じています。理由を示さない難民不認定や期限の定めのない収容といった悲劇を招く原因となっているのが入管・難民法です。
 アフガン難民の問題に取り組む中から、多くの人が現行入管・難民法の問題点に注目し、抜本的改正にむけて動きだそうとしています。6月の大阪のシンポジウムは、その動きのおおきなきっかけになるものです。ぜひとも、ご参加をお願いします。

<本集会に関する問い合わせは>
 とりあえず、本ホームページ管理者 稲場までメールをお送り下さい。

「世界難民の日」大阪シンポジウム
難民鎖国日本を変えよう!アフガン難民と支援ネットワークが訴える
〜拒絶・隔離の政策から国際協力・友好の政策へ〜

日本では、タリバンの迫害から逃れてきたアフガニスタン難民が庇護を求めています。しかし日本政府は、庇護を与えるどころか、アフガニスタンについてのまったく無知な調査官による調査、実質的な理由開示のない不認定処分、およそ不当な不認定決定、そして収容によって彼らの希望を打ち砕いています。難民申請者という日本のもう1つの少数者、そして難民認定制度に対するわれわれの無関心の代償を今、アフガニスタン難民が払わされているこの現実に向き合い、彼らの現実から、その苦しみの根源である難民認定法の抜本改正の可能性について議論を深めたいと考えます。多くの方々のご参加を心からお願い申し上げます。

主な内容(予定)
基調報告:日本の難民認定改革に向けた提言
事例報告:各地でのアフガニスタン難民の現状
パネリストによる討論
アフガニスタン難民
本間浩(駿河台大学教授)
東京、大阪アフガン難民弁護団
支援者

日時
6月22日 午後1時〜5時

場所
玉造カトリック教会大聖堂
540-0004 大阪市中央区玉造2-24-22 (地図参照)
JR大阪環状線もしくは地下鉄『森ノ宮』駅で下車。地下鉄は 『7B』 または 『2』 出口


主催

 「世界難民の日」大阪シンポジウム実行委員会
連絡先:540-0004 大阪市中央区玉造2-24-22 カトリック大阪教区シナピス難民委員会 (担当 松浦)
電話06-6941-4999 
fax:06-6920-2203

e-mail:cicosaka@pure.ne.jp

 

2002年5月15日

ターリバーンと闘い続けたハザラ人に
広島拘置所で続く拘禁

 牛久収容所に収容されていたアフガン人たちは、4月27日までに全員仮放免をかちとり、取り組みの場は司法に移ってきていますが、西日本では、まだ数名のアフガン人たちが茨木収容所(法務省入国者収容所西日本入国管理センター)および地方入管、拘置所、警察署などに収容されています。
 広島拘置所に収容されているアブドゥル・アジズさんは、アフガニスタンの内戦期からターリバーン政権期にかけてハザラ人勢力であるイスラーム統一党に参加して闘い続けてきました。こうした事実があるにもかかわらず、彼は2002年3月、難民不認定となりました。しかし難民不認定処分が出る以前の段階で彼は入管法違反で警察に逮捕され、広島県の廿日市警察署に拘禁、その後広島拘置所に移されたのです。
 彼は収容により精神的・肉体的に著しく傷ついています。彼は直ちに釈放されるべきです。以下、アジズさんを広島で支援している「アブドゥル・アジズさんを支援する会」の声明およびサイトをご紹介します。

アフガン人難民申請者、アブドゥル・アジズさんについての声明

広島草の根メーリングリストのサイト

2002年4月30日

「ターリバーン政権は崩壊した」を理由に

ハザラ人を難民不認定にした大阪入管

 2002年4月10日と17日、法務省大阪入国管理局は4名のハザラ人難民申請者に対して難民不認定の決定を行いました。難民不認定処分に関しては、具体的な理由が示されることは珍しいのですが、大阪入管は今回、不認定処分の理由として、ある程度具体的な事実を示しました。
 不認定処分に際して具体的な理由を示したということは、それ自体としては前進であると言えないこともありません。しかし、問題はその理由です。大阪入管の示した理由は簡単に言って「ターリバーン政権が崩壊したので、迫害主体はいなくなった」というものです。
 たしかに、ターリバーンは政治勢力としては崩壊したといわれています。しかし、その実態は、一人一人がターリブ(神学生)として村落共同体に戻っていったというだけのもので、実際にはアフガン南部のパシュトゥン人支配地域において、諸軍閥・政治勢力に陰に陽に影響力を及ぼし続けていることは明らかです。ターリバーンの崩壊というのは、彼らが米国による軍事行動の正規の相手として機能することをやめたというだけの話であり、彼らパシュトゥン人のスンナ派原理主義者がハザラ人迫害をやめたということを意味するわけではありません。
 また、92年の親ソ政権の完全崩壊以来96年のターリバーン政権の首都掌握に至るまでのアフガン内戦期にハザラ人を迫害していた主要な勢力は、ターリバーンではなく、タジク人スンナ派原理主義勢力であるイスラーム協会(ジャミアティ=イスラーミー)、とくに、その軍事的中核を占めていた故マスード将軍を筆頭とするパンジシール渓谷出身者たちです。彼らは1993年3月、カーブル西部のハザラ人地域アフシャールで1000人以上のハザラ人を殺害(アフシャールの虐殺)し、その後も度重なる軍事作戦でカーブルのハザラ人地域を徹底破壊するなどの蛮行を繰り返してきました。
 現在この勢力は、ターリバーン崩壊後、カルザイ議長らを担ぎつつ内相・外相・国防相の枢要ポストを握り、暫定政権の中枢を占めています。これから春・夏になるにつれて、この勢力と他の勢力の政治的・軍事的衝突が予想されますが、そうした事態が起きたとき、彼らが再びハザラ人を大規模に迫害することがないとは限りません。ハザラ人たちは、それを一番懸念しています。
 このようにみれば、ターリバーン政権が崩壊したからという理由で、彼らハザラ人たちが人種的・宗教的な理由で迫害を受ける「十分に理由のあるおそれ」がなくなったなどというのは、アフガンの実情を知らない者が「難民を受け入れない」という結論を先に立てた上で行っている主張であるとしか言いようがありません。法務省は「難民鎖国」という前提からでなく、現地の具体的な事実から出発して難民調査を行い、難民認定についての判断をすべきです。

大阪の4名のハザラ人難民申請者の不認定処分に関する
カトリック難民移住移動者委員会のプレスリリース

「ターリバーン政権崩壊」と難民認定(論説)

 

2001年5月2日

5000名近くの署名集まる!ご協力ありがとうございました!
〜アフガニスタン難民弁護団の署名、5月2日で締め切り〜


 この2月から、アフガニスタン難民弁護団がアフガン難民救援のために集めていた署名が、5月2日で締め切りとなりました。
 アフガニスタン難民の身柄の解放、難民認定、難民制度の抜本的改革の3点を軸に展開したこの署名、合計で4802名分に達しました。大変ありがとうございました。
 この3ヶ月の間、アフガン難民問題には大きな変化がありました。牛久収容所に収容されていたアフガン人たちは、一時は30名近くにのぼりましたが、彼ら自身の体を張った抵抗と多くの人々の支援、注目により、4月末までに全員が仮放免されました。この署名の最初の項目であった「収容を解け」という要求は達成されたわけです。
 しかし、一方で「アフガンの戦争はもう終わった」「迫害者ターリバーンは去った」という安易な立場から、アフガン人の難民申請を不認定処分とするケースが多発するなど、問題の本質は変わったわけではありません。仮放免を受けたアフガン人たちも、安定した在留資格を得たというわけではなく、署名の第2の項目である「難民認定」はまだ実現していません。
 この署名は、アフガン難民の裁判の証拠として裁判所に提出されるほか、近日中に内閣総理大臣・外務大臣に提出される予定です。それを皮切りに、3つ目の要求である難民制度の改革に向けて動きを作って行ければと考えています。

 

2002年4月29日

全世界の皆様からのご協力のかいあって、4月26日、牛久収容所に収容されていたすべてのアフガン人難民が仮放免を受け、身柄が解放されました。どうもありがとうございました!

アムネスティ・インターナショナルが緊急行動を呼びかけ!!  

収容所に閉じこめられているアフガン難民の解放を求め
法務省にFAX・メールをおくろう!
 
緊急行動は4月23日までです。よろしくお願いします。
 
 3月1日、東京地方裁判所民事第三部は、民事第三部の審理の対象となっていた7名のアフガン人難民の収容を停止する決定を行い、7名は即時解放。3月7日には、体調が悪化していたアフガン人難民1名が収容所から「仮放免」を受けて解放されました。しかし、牛久収容所をはじめとする全国の入管収容施設には、少なくとも19名のアフガン人難民がいまだに閉じこめられています。
 収容所に残されたアフガン人難民の状況は、日に日に深刻さを増しています。毎日新聞3月14日朝刊は、収容所に残されたアフガン人たちのうち6名が自傷行為に及んだことを報道しました。
 この問題について、アムネスティ・インターナショナル国際事務局(在ロンドン)が3月12日、全世界に向けて緊急行動を呼びかけました。全世界から、森山法務大臣・川口外務大臣に対して、彼らを釈放せよとの呼びかけを行うものです。
 以下、アムネスティ・インターナショナル国際事務局からの呼びかけをお送りいたします。アムネスティの緊急行動に協力し、森山法務大臣・川口外務大臣に彼らの釈放を要求するメッセージをFAX・メールで送りましょう!
  
<FAX・メールの送り方>
 
(1)まず、「緊急行動の呼びかけ」(アムネスティ・
インターナショナル国際事務局)をお読み下さい。
(2)その上で、アムネスティ国際事務局の行動要請に
盛り込まれた点を含む文章を作成して下さい。
(当ホームページによるサンプル・レターもあります)
(3)その文章を、法務大臣・外務大臣宛にメールまたは
FAXでお送り下さい。また、当ホームページとしては、
これを小泉純一郎首相にも送ることをお勧めします。
 首相官邸には、官邸ホームページの以下のアドレスから、
意見を送ることができます。
 
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
 
アムネスティ・インターナショナル国際事務局からの呼びかけ
 
当ホームページによるサンプル・レター
 
アムネスティ日本支部によるメール・アクション(2001年11月)

2002年4月29日  


ついにアフガン難民全員が牛久収容所から解放される!

 すばらしいニュースです。
 2002年3月1日に東京地方裁判所民事第3部(藤山雅行裁判長)がアフガン難民7名を牛久収容所から解放する決定を行って以降、牛久収容所はアフガン難民たちに対してさみだれ式に仮放免を許可してきました。4月19日に3名が同時に解放され、牛久収容所に残っているのはあと3名という形でしたが、4月25日、残る3名についに仮放免の許可がおり、26日、3人とも身柄を解放されました。3月7日以降、新たに仮放免を受けた人は合計16人。2001年10月3日のアフガン人9名の収容に端を発した在日アフガン難民問題で、私たちはすべてのアフガン難民の収容を解くことを第一の目標としてきましたが、少なくとも牛久収容所に関しては、目標を達成したことになります。この勝利を、解放されたアフガン人たちとともに喜びたいと思います。
 今後の課題は、彼らの生活支援、そして、難民認定などによる安定した在留資格の確保です。4月11日、アフガン難民7名への収容や強制送還命令などの処分を問う行政訴訟の第2回口頭弁論が行われましたが、こうした裁判などが、大きな課題になってくると思われます。
 また、全国に目を転じれば、各地方の入国管理局に収容されたり、警察署で留置されているアフガン難民申請者たちが未だに残っています。「全国でアフガン難民の身柄を解放せよ」の声を、さらに強く上げていきたいと思います。

現在までに牛久収容所から仮放免された人数と収容期間は以下の通りです。
 

3月7日  1名 収容期間 249日
3月26日 2名 収容期間 199日/247日
3月29日 1名 収容期間 221日
4月4日 1名 収容期間 210日
4月8日 1名 収容期間 217日
4月10日 1名 収容期間 217日
4月15日 1名 収容期間 216日
4月17日  2名 収容期間 各196日
4月19日 3名 収容期間 255日、200日、195日
4月26日 3名 収容期間 200日、213日、不明

 
アフガン難民全員の身柄解放に関する新聞記事

 

2002年4月16日 
  

さみだれ式に進む仮放免 全員解放も間近に
〜「生活」と「在留権の確保」が今後の課題に〜
 
 2002年3月1日に、東京地裁民事第3部(藤山雅行裁判長)が7名のアフガン人難民申請者の身柄を解放する決定を下して以降、最大で20名以上のアフガン人難民申請者を閉じこめていた牛久収容所(法務省入国者収容所東日本入国管理センター)が、アフガン人たちの仮放免申請を受け入れ、彼らの身柄をどんどん解放し始めました。

 このさみだれ式の仮放免の結果、現在も牛久収容所に収容されているアフガン人難民申請者は5人前後にまで減りました。このまま仮放免が続いていけば、彼らも早晩、身柄が解放される見込みが出てきています。
 これは、きわめて重大な変化です。昨年(2001年)、牛久収容所から仮放免された人は合計わずか9名。今回の一連の仮放免で、昨年一年間の実績を一ヶ月半あまりで上回ってしまいました。
 法務省・収容所側が一連の仮放免に踏み切った背景には、いろいろな要素が考えられますが、第一義的には、アフガン人被収容者たちが、心身の状態を悪化させながらも、収容に身を賭して抵抗してきたことによってもぎとったものだということができます。また、アフガン人たちを物心両面で支え奮闘してきた弁護団、さらに彼らが解放されたときのために生活のための場所や資金を確保してきたキリスト教会やNPO法人難民支援協会、多くの支援者たちの継続的な活動によるところも大きいでしょう。
 また、アムネスティ・インターナショナルが3月12日、収容に的を絞って、先進国に対しては滅多に発令されない「緊急行動」を発令したことも、一定の影響を及ぼしているでしょう。これまでの実績からして、全世界から数万の請願書が法務省・外務省に殺到したと思われます。
 入管側の事情もあります。一つは、5月末から開始になるワールドカップで予想されるフーリガン対策。入管は、北海道などで行われる試合でフーリガンたちが騒動を起こし、入管が拘束した場合、彼らを牛久収容所に収容せざるを得ないとして、彼らを牛久まで運搬するために海上保安庁に巡視艇の出動を要請したほどです。フーリガン収容に専念したい、という入管側の意向はもちろんあるでしょう。
 ともあれ、私たちは、アフガン人難民申請者の全員解放、という要求が、「仮放免」という形で実現しつつあることを喜びたいと思います。
 仮放免が実現すると、課題は彼らの日本での生活基盤づくりと、難民認定などによる安定した在留権の確保、そのための裁判ということになります。実際、彼らが住む家、生活する資金などが問題となってきています。いろいろな団体が動いていますが、多くの人の協力が不可欠です。今後の支援の呼びかけについては、随時掲載していきたいと思います。

3月29日の仮放免に関する新聞記事

3月29日の仮放免に関するアフガン弁護団声明

 
2002年4月16日 
 

アフガン人3人、裁判長の前で肉声で語る
〜収容・退去強制の是非を問う裁判が本格化〜
 
 4月11日午前11時、東京地方裁判所第606号法廷に、3人のアフガン人難民申請者のダリー語のアピールが響きわたりました。法廷は、裁判所による執行停止や仮放免を受けたアフガン人たち14名を含め、数多くの支援者で満員。アフガン人たちの意見陳述は40分に及び、裁判長は神妙な面持ちで彼らの訴えに耳を傾けました。
 この裁判は、法務省のアフガン人難民申請者に対する難民不認定処分や退去強制令書の発付処分を取り消すことを求めるもので、提訴されたのは昨年ですが、今年になって本格化してきました。彼らの裁判を担当するのは、彼らの収容を停止し、身柄を解放した裁判長である藤山雅行氏。噂に違わず、一般の裁判官にありがちな尊大・傲慢な態度がみじんも感じられない、希有な人物です。陳述は長引けば、裁判官はふつう「早くしなさい」「時間がないので」などと言い出すものですが、藤山氏はじっくりと、彼らの陳述に耳を傾け続けました。
 同じ趣旨の裁判を行うアフガン難民は数十人にわたっており、裁判所は審理の期間を短縮するため、一人の原告にこれを代表させて集中的に審理を行う方式を採用しました。これにより、本来一審だけで2〜3年かかる裁判が、1年程度に短縮される可能性が出てきています。これは、彼らの利益にもかなうことです。今後、裁判の行方に注目していきたいと思います。
 
アフガン人難民裁判 意見陳述の内容(ここから)
 
 
2002年4月1日
 
2002年通常国会でも
難民問題についての質問が活発に
 
 2002年1月に招集された通常国会でも、日本のアフガニスタン難民問題や難民認定制度について、2001年の臨時国会に負けず劣らず活発な議論が闘わされています。
 2月27日の衆議院法務委員会で、植田至紀議員(社民党)は、主に牛久収容所(東日本入国管理センター)の処遇問題について質問。牛久収容所で、他人の名前が入った心電図が患者に交付された問題や、牛久収容所の「保護室」の実態などを暴きました。
 また、3月19日の参議院法務委員会では、まず公明党の浜四津敏子議員が難民制度の改革について質問。60日条項や、難民申請者に不認定の詳細な理由が開示されないことなどについて問題提起し、難民認定制度に関する第三者機関の設立なども提言しました。つぎに社民党の福島瑞穂議員がアフガニスタン難民申請者の処遇について質問、法務省は、アフガニスタン難民申請者を強制送還するという方針を変えていないこと、場合によってはパキスタンに送り返すことも考えていることなどを明らかにしました。ぜひ、詳しい内容を議事録でご覧下さい。
 
2002年2月27日 衆議院法務委員会 植田至紀議員の質問
 
2002年3月19日 参議院法務委員会 浜四津敏子議員の質問
 
2002年3月19日 参議院法務委員会 福島瑞穂議員の質問

 

 

  
2002年4月1日
 

アフガン人の難民認定はわずかに3件 不認定は39名

 2001年における日本の難民認定実績の国別データが明らかになりました。
 この「受理」というのは、平成13年までに受理されたケースも含みます。アフガニスタン難民申請者については、ターリバーン政権による民族虐殺政策や戦争の存在にもかかわらず、難民認定されたのはわずかに3名であり、ビルマ、イランに比べても格段に低い実績にとどまっています。ビルマやイランの現体制も、それぞれ大きな人権問題を抱えていますが、ターリバーン政権による弾圧・虐殺・迫害がこれらの体制をはるかに越えるものであることは明らかであり、この数値は極めて異常なものであるといえます。
 また、トルコについては、難民申請者のほとんどがトルコ南東部に居住するクルド人です。クルド人は、トルコで本来の民族的地位を与えられず、民族主義的な立場をとる者は軍事作戦の対象となり、駆逐されているのが現実です。「0」という数値は、日本の難民認定制度がトルコのクルド人に対しては全く機能していないことをあらわすものです。
 こうしたことからも、日本の難民認定制度が不備であることは明らかです。「難民鎖国」政策を解き、難民政策において少なくとも「普通の国」になるように制度を改革することが求められています。

国籍(地域)別 難民認定申請受理・処理状況(平成13年)

 
 
受理
認定
不認定
トルコ
190
0
165
アフガニスタン
96
3
39
パキスタン
78
0
31
ミャンマー
59
13
35
イラン
28
8
6
その他
104
2
40
555
26
316
 

2002年4月1日
 

牛久収容所、アフガン人被収容者1名を仮放免
 逆に疑心暗鬼と失望感を深める残った被収容者たち

 牛久収容所(法務省入国者収容所東日本入国管理センター)長は3月29日、7ヶ月以上にもわたって収容されていたアフガニスタン難民申請者1名を仮放免しました。3月1日に東京地方裁判所民事第三部が7名の被収容者を解放する決定を行って以降、牛久収容所が仮放免した人はこれで合計4名になりました。
 アフガニスタンの難民たちは、そもそもアフガニスタンのターリバーン政権により拘禁や暴行を受けてきた人々で、その精神的後遺症が日本での収容によって悪化し、精神的・身体的に変調を来して自殺未遂・自傷行為におよぶケースが増大していました。
 当然ですが、彼らは日本の複雑怪奇な行政手続きや裁判制度について詳しく知っているわけではありません。3月1日の東京地裁の身柄解放決定は、残された人々に疑心暗鬼と絶望を呼び起こしていました。牛久収容所が最近、アフガン人への仮放免を進めている背景には、長期化する収容によって被収容者が自傷行為などに及ぶことにより、責任問題が生じたりすることを避ける狙いがあるものと思われます。
 牛久収容所には、現在も十名以上のアフガン人たちが収容されています。彼らの多くは、成田空港で難民申請を行ったものの無視され、上陸防止施設から牛久収容所に強制収容された人々であり、現在、8ヶ月以上にも及ぶ収容をされている人々もいます。収容が今後も継続すれば、彼らの身体的・精神的な健康状態は最悪な状況をむかえます。牛久収容所はただちに彼らを仮放免すべきです。

3月29日の仮放免に関する新聞記事

3月29日の仮放免に関するアフガン弁護団声明

  
2002年3月20日
 
 

怪しい法務省入管局のリーク:2001年10月の強制送還を今になって取り上げ
 
「ブローカー」の存在で
難民性を否定することはできない
 
 2002年3月6日、在京各紙が「法務省・東京入国管理局がアフガン人と偽って難民申請したパキスタン人を収容」という報道を行いました。一番詳細に報道したのは朝日新聞で、問題のポイントは、(1)「パキスタン人」が「アフガン人」と偽って難民申請をした、(2)その背後には、ブローカーがおり、その身柄についての情報が特定されている、(3)このブローカーらが、不法就労目的のパキスタン人(やアフガン人)に、組織的に虚偽の難民申請をそそのかしている可能性がある、というものです。虚偽の難民申請のためのマニュアルも押収されたと述べられています。
 
 しかし、この記事、じっくり読むとおかしなところがあります。「パキスタン人」5名のうち2名は2001年10月に強制送還されているとのことで、2002年3月の記事としては時間がたちすぎています。のこり3名にしても2002年の2月の収容で、速報性を持った報道ではありません。
 
 また、パキスタンやアフガニスタンの場合、単に国籍を云々するだけでは、これらの人々の申請が本当に「虚偽」であったのかわかりません。パキスタン・アフガニスタンの国境周辺での人口移動は複雑であり、パキスタン国籍の人の中にも、ターリバーン政権やこれに近いパキスタンのイスラーム原理主義者との関係で十分に理由のある迫害の恐れを持つ人がいないとも限りません。メディア側も、もし「虚偽」と決めつける報道をするなら、単に「国籍」だけで終わらせず、彼らが「どんな」パキスタン人なのかきちんと確認すべきです。
 
 また、「ブローカー」の存在についてですが、日本の難民制度が国際基準に則って適正に行われておらず、また、アフガニスタンから日本への正規の入国が厳しく制限されている状況では、難民性の高い人であっても、自ら日本に難民申請を行うのは容易ではなく、難民申請を行うにおいてこうした第三者に依存せざるを得ない状況が存在しています。
 
 もちろん、「ブローカー」の中に悪質な者が存在することは事実です。しかし、日本の現状では、真に難民性を有する人も、日本に入国して難民申請する上で、「ブローカー」に依存せざるを得ない場合があります。悪質な業者にひっかかってお金を巻き上げられた上、入管には「ブローカーを使ったから虚偽申請だ」と一方的に決めつけられて収容され、強制送還されて本国で迫害を受けるのでは、たまったものではありません。
 
 2002年3月1日に東京地裁民事第三部(藤山雅行裁判長)が出した決定では、ブローカーについて「アフガニスタン人で我が国において難民申請をしたいと望む者の場合には、不法入国をせざるを得ない実情にあることが推認される」のであり、難民申請者が日本への入国の手段として、「組織的背景を有する『ブローカー』を利用して不法入国したとしても」、そのことだけで当該の難民申請者が「不法入国をして難民として在留資格を詐取して本邦で就労」しようとする組織的な活動の「一端を担っていると認めるのは早計」であると述べ、「ブローカーの存在」=「就労目的の不法入国」との決めつけを厳しく戒めています。
 
 今後、法務省は、今回報道された「パキスタン人」のケースだけでなく、現在問題となっているアフガン人の難民認定についても、こうした「ブローカーの存在」をたてにとって、裁判や世論工作に乗り出してくるものと思われます。私たちはともすると「ブローカー」という言葉のもつおどろおどろしさにひきずられて、「やっぱり外国人は恐い」などと引きこもってしまいがちです。先入観や雰囲気で判断するのでなく、アフガン人が日本に難民申請を求めるときに直面する問題についての具体的な事実を直視すべきです。また、メディアは、法務省の発表をただそのままたれ流すのでなく、事実をきちんと検証して報道することを心がけるべきです。
 
パキスタン人の「アフガン人を偽装しての難民申請」に関する記事
 

 
2002年3月20日
 

大阪・西日本でも
アフガニスタン難民申請者の拘束・収容相次ぐ
 
 東京では、東京地裁民事第三部による3月1日の収容停止決定以降、これまで収容されていた8名の身柄が解放され、現在、牛久収容所に収容されているのは十数名となっています。
 一方、大阪・西日本では、新たに数名のハザラ人のアフガニスタン難民申請者が難民不認定処分を受け、密入国・不法入国などの容疑で警察に逮捕されたり、入管施設に収容されたりしています。問題は全国に広がっています。
 日本政府に対して、難民申請者をただちに解放し、彼らがうけた・今後受ける可能性のある迫害について十分な情報に基づいて難民調査をやり直すことを求めていきましょう。
 
アブドル・アジズさん逮捕に関するカトリック大阪国際協力委員会の声明
 
アブドル・ハメドさんへの強制退去命令発付に関する
カトリック大阪国際協力委員会の声明
 
 
 
2002年3月13日
 
法務省側、東京地裁の身柄解放決定に抗告
〜高裁での審理に注目を〜
 
 2002年3月1日、東京地裁民事第三部(藤山雅行裁判長)は、民事第三部の審理の対象となっていた7名のアフガン人難民の退去強制令書による収容を停止する決定を行い、7名の身柄は即時解放されました。法務省側のこれへの対応が注目されていましたが、先日、法務省が3月8日の深夜になって、この決定を不服として東京高等裁判所に即時抗告を行ったことが判明しました。即時抗告の締切期限は1週間で、法務省の即時抗告は締切期限からわずか40分前に行われたことになります。
 
<前回の高裁決定に数多くの初歩的なミス>
 
 東京地裁民事第三部は、昨年11月6日にも収容令書の執行停止決定を行い、審理の対象になっていたアフガン難民5名の身柄を解放したことがあります。しかし、このときも法務省が東京高裁に即時抗告を行い、東京高裁(雛形要松裁判長)が12月19日に執行停止の取り消し決定を行って、5名は再び収容されてしまいました。
 東京高裁のこの決定は、5名のアフガン難民がATSD(急性心的外傷後トラウマ障害)であるとの専門医の診断を理由なく退け、「収容しても大丈夫」との法務省側の主張をこれまた理由なく認容するというものでしたが、この決定に数多くの誤りがあったことが明らかになりました(→朝日新聞2002年1月19日付記事)。たとえば、決定には次のような記述があります。
 
○「パキスタンの公用語であるダリ語」:ダリー語はペルシア語の古語であり、アフガニスタン北部でタジク人とハザラ人によって話されているアフガニスタンの公用語の一つです。パキスタンの公用語ではありません。
  
○「アラビア語(ペルシャ語)を理解することができる」:アラビア語とペルシア語は同じアラビア文字であらわされますが、アラビア語はセム・ハム語族、ペルシア語はインド・ヨーロッパ語族であり、全く別個の言語です。
  
 これらは、法務省側の提出書類をそのまま引き写したもので、法務省側の主張のずさんさと、誤りを問いたださないどころか、決定にそのまま引用してしまう東京高裁のでたらめさを二つながら明らかにしています。
 前回、新聞沙汰にもなった以上、今回も同じようなずさんなやり方で決定を行うことは許されません。東京高裁での審理を監視していきたいと思います。
 一方、アフガン難民たちが提起している退去強制令書の取消訴訟(彼らの強制送還命令(退去強制令書)の発付を違法として取り消しを求める訴訟)の第一回口頭弁論の日程なども決まり、司法の場での闘いが本格化しつつあります。こちらの方にも注目していきたいと思います。

2002年1月19日付朝日新聞記事
 

 
2002年3月11日 
 

世界教会協議会(WCC)・アジア・キリスト教協議会(CCA)
の調査団が在日アフガニスタン難民の実態調査のために来日、
法務省と交渉を実現
 
 アフガニスタン・ターリバーン前政権の迫害を逃れて来日し、日本で強制退去の命令を受けて無期限収容にさらされてきたアフガニスタン難民たちは、合計30人以上にのぼります。3月1日、東京地方裁判所民事第三部の画期的決定により、このうち7名が収容の執行停止処分を受けて身柄を解放され、また、体調を崩していた一名が3月7日に収容所から仮放免されましたが、いまだに十数名の人が収容されています。また、西日本で新たに難民申請を不認定とされた挙げ句に逮捕された人もおり、アフガニスタン難民の問題は深刻さを増しています。
 そんな中、キリスト教の世界教会協議会(WCC)の国際問題担当幹事クレメント=ジョン氏、アジア・キリスト教協議会(CCA)の総幹事アン=ジェウオン氏が来日し、在日アフガニスタン難民に対する収容と迫害の実態調査を行いました。調査団は、先日身柄を解放された難民数人から聞き取り調査を行うとともに、法務省入国管理局に対しても調査を行い、難民の収容などについて問いただしました。また、市民との交流の場として、3月11日午後4時より衆議院第一議員会館で市民集会「在日アフガニスタン難民はいまーWCC/CCA調査団を迎えて」を開催、WCC・CCAとして声明を発表しました。
 
<のらりくらりと逃げる法務省>
  
 集会では、法務省への調査でWCC・CCA調査団の通訳を務めた土井香苗弁護士から、法務省入国管理局が調査団の追及に対してどのように答弁したか細かく報告がありました。法務省は、いつものようにのらりくらりで形式的合法性に逃げる答弁をくり返し、調査団メンバーをあきれさせたようです。例えば……
   
○アフガン難民は収容所で期限を定めない収容に直面し、それが難民たちをますます精神的に追い込んでいます。これについて調査団が聞いたところ、法務省は……
「収容が終わるのは、彼らを国に『送還する日』と決まっている。だから、期限を定めない収容ではない」。
 
○出入国管理法には「特別放免」という制度があり、送還が不可能な場合は収容所から放免する、と書かれています(第52条6項)。アフガニスタンは現在、送還が不可能であり、これにあたるのではないかと調査団が聞いたところ、法務省は……
「特別放免は極めて特殊で例外的な制度なので、慎重に考えなければならない。原則として、彼らは送還可能になるまで収容するつもりである」。
 
○収容所には、刑事犯罪を犯した人もそうでない人も同じ部屋に入れられています。これについて「犯罪を犯していない人を犯罪者扱いしているのではないか」と調査団が聞いたところ、法務省は……
「彼らを刑事手続きに問うたわけではなく、犯罪者として扱っているつもりはない」。
 
 法務省の役人たちが自己完結した形式的合法性に逃げれば逃げるほど、外国からの調査団の目には、日本の入管制度が奇異に映ります。調査団の団員たちには、法務省の役人たちは、「NO(ニェット)」を連発する一昔前のソ連の官僚のように見えたことでしょう。
  
<多くの議員も参加した市民集会> 
  
 衆議院第一議員会館で開かれた市民集会には、社民党や民主党から、多くの国会議員さんや議員秘書さんが参加していました。一部のアフガン難民たちの解放により、問題は一見、鎮静化したかのように見えていますが、短期的な状況に惑わされることなく、問題の本質を見据えてことにあたっている議員さんたちもたくさんいるようです。
 集会の後段の議員さんたちのアピールでは、社民党が調査団を編成して牛久収容所(東日本入国管、理センター)を視察したこと、民主党が入管法と難民に関する議員プロジェクトチームを発足させ、千葉景子・参議院議員が座長に就任したことなどについての説明もありました。問題の根源は、法務省の「難民鎖国」政策を許すもととなっている「出入国管理および難民認定法」にあります。難民政策を国際水準まで引き上げるためには、立法府を舞台にした努力が必要です。国会議員と共同しての入管・難民制度の研究と政策立案が重要です。
 集会には、議員さんをあわせて約80人の市民が参加しました。WCC・CCA調査団の来日は、在日アフガン人難民問題が国際問題として注目を集めるきっかけになる可能性があります。アフガン人難民の身柄解放・難民認定に向けて、国際的な関心を集めていきたいと思います。
   
在日アフガニスタン難民の現状に関するWCC・CCA声明(日本語訳)
 
   

  
2002年3月11日
 
今度は東京地裁民事第二部が
クルド人難民への不認定処分を取り消す画期的決定
〜司法の果敢な挑戦により岐路に立つ入管・難民行政〜
 
 3月1日、東京地方裁判所の民事第三部(藤山雅行裁判長)が、アフガニスタン難民7名の退去強制令書による収容を違法として収容の執行停止を決定するという画期的な決定を行いましたが、今度は3月8日、東京地方裁判所のもう一つの行政部である民事第二部(市村陽典裁判長)が、トルコ国籍のクルド人男性に対する難民不認定処分を取り消す判決を出しました。
 東京地裁の判決は、この男性が以前からクルド人の民族運動に参加していることから、トルコ共和国政府による迫害を受ける恐れを十分に理由のあるものとして持つ難民に該当するとした上、法務大臣による難民不認定決定は誤りであるとしてこれを取り消したものです。難民認定手続の不備ではなく、「不認定」という結論自体が誤りであり、原告が難民であることを認定して不認定取り消しの判決を出したのは、これが二回目であり、この判決は極めて画期的なものです。 
 また、日本にはトルコでクルド人の民族運動に参加していたクルド人たちが多く難民申請を行っていますが、今まで行政手続きで難民認定を認められた人は1人もいません。日本の難民認定・不認定は、実際には法務省・外務省など関連省庁の幹部級が集まる委員会で全員一致で決められるといわれており、クルド人に対する徹底した難民不認定政策は、難民の人権よりも、親米政策をとり中近東における米国の拠点の一つともいわれるトルコ政府との政治的な関係を優先させる日本の歪んだ難民政策を率直に反映したものであると言われていました。この判決は、そうした日本政府の難民政策に対する、司法からの厳しい批判を内包するものでもあります。
 この判決は、東京地裁民事第三部だけでなく、民事第二部も、日本の劣悪な入管・難民行政に見て見ぬふりができなくなっているということを示したものです。司法の果敢な挑戦を受け、法務省にも自己の入管・難民行政の問題点を率直に見直すべきときが来ています。
 
クルド難民弁護団による声明
 
本判決関連記事
 
 


  
2002年3月5日
 
東京地裁民事第三部、またも画期的判断
 
退去強制令書による収容の執行を停止
アフガン人難民申請者7名、牛久収容所から
即時解放される
 
 2002年3月1日、アフガン人難民申請者7名の退去強制令書による収容の執行停止申立を審理していた東京地方裁判所民事第三部(藤山雅行裁判長)は、これら7名の収容の執行を停止する画期的な決定を行い、7名はその場で牛久収容所から解放されました。7名の中には、長期にわたる収容で体調を崩していた人々や、来日の段階で空港で拘束され、これまで収容所以外に「日本の土」を踏んだことのない人々も含まれています。
 東京地裁民事第三部による7名の解放の決定は、彼らを日本の入国管理体制による迫害から救出したという点に加え、その内容においても、高く評価されるべき点が数多く含まれています。
 とくに高く評価できる点は、現在のアフガン情勢に照らして、7名が難民としての要件を満たしていることを認めている点です。この決定では、アフガニスタンのハザラ人たちが、人種的・宗教的(シーア派イスラーム)な理由により、ターリバーン政権の存立していた時点では難民条約にいう難民に該当していたことを認めた上、現暫定政権においても民族間・軍閥間の争闘戦が続いていること、ハザラ人は現暫定政権を構成する主要民族であるタジク人からも迫害されてきたことに照らして、人種・宗教により迫害を受ける十分に理由のある恐れを払拭できない状況であることをはっきりと認めています。
 また、ブローカーの手を借りて入国したから「就労目的」だとする国側の主張に対しても、日本がアフガン人への門戸を閉ざしている現状において、第三者の手を借りて入国したことをもって「就労目的」と決めつけることはできない、との趣旨で、はっきりと国側の主張を否定しています。
 このように、民事第三部の決定は極めて画期的なものです。日本の司法にも正義が厳然と存在し続けていることを祝福したいと思います。
 また、この決定までには、アフガン弁護団や支援者たちによる、様々な努力の積み重ねがありました。この決定は、弁護団を初めとする、アフガン難民申請者たちを支援する多くの関係者の努力によって、みんなでかちとったものであるということができます。
 牛久収容所を始め、各収容施設には、まだ十数名のアフガン難民申請者たちが収容されています。また、この決定について、法務省が東京高裁に対して「即時抗告」を行う可能性もあります。気をゆるめることはできません。司法の場でのたたかいに、今後も注目していきたいと思います。
 
7名の身柄解放決定に関する新聞記事
 
 
 


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