● 2005年02月28日(月)
気持ちが荒れる時もあるだろう
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 | 2月も今日でおしまい。明日からは奈良の「お水取り」がある。毎年のようにこの季節には奈良に足を運んで、お水取りの儀式を見に行っていたが、今年は行けなさそうだ。
ナスカ・カーのナカヤさんの件。(詳しくはナスカ・カーBBS参照) ちょっと心配。東京のスタッフの父親も同じような症状で、昨年死線をさまよったこともある。高血圧なのに繊細な神経を持つ人は、壮年期に気をつけたいところだが、気をつけようもないか。
マゾくんに電話。5月のノイズ・メーデーに参加を誘われていたのだが、どういう形式で出演するかずっと考えていたが、どうしてもこれをしたいという相手がおらず、結局ソロで出演することにした。
携帯の着うたフルサイトのインディーズのところにアルケミーもどうか、というお誘いをいただく。なんとも言えない気分。来週にでも状況などを聞きに行こうと思う。いぬん堂なども登録しているサイトらしいが、レーベル経営サイドからすれば別の収入源になるわけで、検討に値するのだろう。ただ、ネット配信を含めて、いまいち本腰が入らない。 結局はこちらが古い人間ということか。
あるバンドのメンバーからメール。気持ちが行き違う。 こちらが真剣すぎるのか、相手が普通なのにこちらが過敏なのか、それとも相手の音楽に対する姿勢があいまいなのか、遊びっぽく見えてしまうのか、どうもしっくりこない。 これまたこっちが古い人間ということか、と、気持ちが荒れる。
ライブにさそってもらったら、可能な限り出演したいと思う。それが相手のこちらへの気持ちへの礼儀だと思うからだ。自分の都合で出演出来ない場合、その出演依頼を断って何を自分が優先しているのかを、いつも自問する。それが自分の都合とか、自分の生活のための仕事とか、自分のための何かを優先している時は、いつも恥ずかしいと思う。自分のことを優先して、自分が選んだ表現するという行為を後回しにしていることは、やはり表現に対して嘘をついていると思うからだ。 じゃあ、なんのためにお前は人前で歌を歌っているのだ?その責任はどこにあるのだ?と、思うのだ。
ただ、所詮はバンドとか、音楽活動とかは、遊びの延長であり、楽しいか楽しくないかの選択であり、家庭とか、彼氏とか、彼女とか、かっこいいとか、そういうことが、若い人たちには最優先なのかもしれない。 そうなら、それを否定することも肯定することも、自分には出来なくなってしまうのである。例えば私の生き方を、相手に強制することは出来ないからだ。 ただ、そういう選択は、私とか、アルケミーとかを、遠回しに否定していることであることは、間違いない。そうして、私はモチベーションを落とされ、やがてなにかをあきらめることになるのかもしれない。
歌うことは、自分の命を削ることだ。 故・林直人は、確かにそう私に言ったことを、覚えている。 それはもう古い考え方かもしれないが、そうでもいいじゃないか、とも思う。 そう思っている人間が、そういう思いをかかえたまま、死んでいけばいいだけのことだからだ。
私のインタビューが掲載された雑誌「WIRE」の見本誌が届いた。 アランさん、ありがとうね。 |  |  | | |