第14回

2月号


『バタフライ』

 年が明けてはや1ヶ月、映画館では1本の作品も見ていない。1月の土日は計8回、休日は2回。これでは映画館へ行く時間も無い。開催中の「辛・韓国映画祭2003」来日ゲストが計7人、それも3回に分かれての来日だった為、土日がほとんどつぶれてしまった。そんな中でわずか1本、試写室で見たのが、その映画祭の上映作品である『バタフライ』、世を席捲する、ハリウッドメジャー及び一部の現在の日本映画とのあまりの違いに、驚きが真っ先であった。まず物語を語らない。ストーリィを一言で要約することが不可能な映画である。それは、わざと破綻へと向っていると言うより、観客の想像力に大部分をゆだね、映画は材料としてさしあたって、スクリーンに映る1時間53分の映像を提供しているにすぎない。あとは観客の想像力、読解力、ストーリーテーリング、及び嗜好にゆだねられ、明らかにすべてが観客にゆだねられた映画である。


 舞台は韓国近未来、主な登場人物は記憶の忘却を願うヒロインとナビゲーターの少女とドライバー。記憶の集積であるべき映画の中で、なんと、記憶の忘却が液体と人間の感情と幻想を織り込みながらつづられてゆく。アメリカで言えば、アメリカンニューシネマ、日本では、松竹ヌーベル・ヴァーグからATG、映画が今だ100年の歴史を刻まず、時代が混沌とし、人々の感受性の振幅が広く、映画がそれまでの航跡から大きく舵を切った時代の映画である。ホン・サンスの『オー!スジョン』『江原道の力』とともに、韓国は、今まさにそういう時代なのであろう。タルコフスキー、あるいは今村昌平が活躍していた時代、そんな映画の時代を想起させる『バタフライ』である。

 尚「辛・韓国映画祭2003」はテアトル池袋にて2月14日まで。





●市井義久の近況● その14 2月

 1月12日午前1時深作欣二が前立腺がんのため72歳で亡くなった。そしてこのような時いつも1つの時代が終わったと言われる。いったいこの1つの時代とはいかなるものであろうか。深作欣二全61作、私はそのうちリアルタイムで35本を見ている。半分以上の作品を見ているのだから、明らかに1つの時代かはともかくとして私の時代を作ったとは言えるだろう。初めて見たのは1964年の『ジャコ萬と鉄』そして同じ年に『狼と豚と人間』たとえて言うと今村昌平のように人間の欲望が輝いて見えた。そして時を置いて1972年の『現代やくざ 人斬り与太』以降は2000年の『バトルロワイヤル』まで何本かを除いてほとんどを見た。監督が深作欣二という事も知らず、72年から連続して見るきっかけは主演が菅原文太だったからであろう。状況に対する異和感が、彼がかもし出す不協和音がその頃の私の心情にぴったりであった。大学生であったりスーパーの店員であったりしたが、なぜか環境になじめなかった。それで組に、しいては時代になじめない文太のたたずまいに共感した。その後は、元気が欲しくて映画館へ通った。『仁義なき戦い 広島死闘篇』千葉真一と北大路欣也、『仁義の墓場』の渡哲也、『資金源強奪』の北大路欣也、『新・仁義なき戦い 組長の首』『新・仁義なき戦い 組長最後の日』の菅原文太と、さすがこの頃には監督が深作欣二であると認識はしていたが、いずれも見たあと愛着がわいた。その状況で生きていく勇気が出た。

 そして78年以降は時代の要請が変わって作風も変わったと思う。私も公開される全作品を見なくなってしまった。1つの時代かはともかく、明らかに私とスクリーン上の深作欣二の映画とは、一方的な、相互交流?が、1972年から1977年の6年間は特に密接に続いたと思う。78年以降も密ではないが見続けて来た監督が、未公開の『バトルロワイヤルU』を残して逝ってしまった訳であるから、その新作は2度と見られないとすれば、1つの時代ではなく、私の時代でもなく、私のある時代が、私のその当時の心情とともに終わってしまったとしめくくれるであろう。

 1月20日今度は安原顕が亡くなった。昨年ホームページでガン死を告知し、冗談だろうと思ったが、毎年届く年賀状が今年は未着であったので、よもやと思った矢先の事であった。もう何年前になるか「マリ・クレール」編集部は旧中央公論社ビルの2(3)F、シネセゾンは道路をはさんで対向いのビルの3F、窓からのぞいてあっ居ると思うとプレスと写真を持って次はこれ、と掲載を依頼した。そのころの「マリ・クレール」編集部は美人ぞろいであった。安原さんも楽しそうであった。行くたびに酒を飲み、まるで我社のようであった。退社し映画ぎらいになってからは、あまり会うこともなくなったが、今の女性雑誌における映画の扱われ方を見ると、安原「マリクレ」を読み返したくなる。笠原和夫、深作欣二、安原顕、ああ。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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