第31回

9月号


●市井義久の近況● その31 9月

 8月25日(水)から29日(日)まで開催された第29回湯布院映画祭をレポートすると見得を切ったにもかかわらず、行ってみれば台風と温泉の湯布院であった。
 過去27年間も連続して参加しているのに、30日(月)は台風で、飛行機、JR、船、高速道路すべて止まり、開いているのは一般道路だけであった。したがって移動の手段は、タクシー、レンタカー、自家用車という非常事態である。又、映画を見た本数(8本)よりも温泉に入っていた回数(12回)のほうが多いという湯治場生活であった。
 旧作10本中4本、新作6本中4本(1本は8/20東京で見た)、シンポジウム8回中1回、パーティ5回中4回、かろうじて熱心であったのが、新作とパーティである。旧作は前に見ているというのも理由であるが、シンポジウムは1回ではまったく参加していないに等しい。それは今回がどうのではなく、3回目から29回目まで参加してみて、特に15回目以降、この15年間に渡って、主催者側の、シンポジウムの位置づけ、構成が、主旨、あり方が、まったく見えない感じないシンポジウムになっている。少なくとも3回目から15回、あるいは20回目くらいまでは、映画祭のすべての部門に参加していた。もちろん2本同時上映の時は別として、しかし20回目以降は、明らかにシンポジウムはおおむね不参加と決めている。それは20回目の時、主催者と参加者による、シンポジウムのあり方というシンポジウムを開催したが、それがまったく生かされていない。この映画、このゲストのシンポジウムであるから、テーマ、発言者、内容、長さ、形式、レジメについて各映画ごとのこうしたほうがよいというような考察はしないのだろうか。映画館1つない町で主催者がボランティアで手づくりで運営している映画祭、主催者にとってはそれが誇りであっても、主催者はシロウトでも、私たち参加者は客である。主催者とゲスト以外、映画を見に来た客であると思う。今回整理券を発行した意味も無い。
 また主催者の顔もだんだん見えなくなってきている。映画とゲストが、上映とシンポジウムとパーティが顔というなら、その基準、内容は、明確にし、参加者にアナウンスすべきである。ただし、これは今回の映画祭についてではなく、2回目から15回目までは全行事に参加し、15回から20回まではほぼ参加し、20回目以降だんだんと参加する行事が少なくなっていった理由でもある。今回全行事29回のうち13回しか参加せず台風と温泉に終始した理由でもある。
 やはり40人近くいる実行委員が、なぜ私は実行委員なのか、なぜ30回目を開催するのか、考えることからスタートである。特に全員ではなくても、30年前から私が知っている何人かは真剣に考えて欲しい。50じじいも、40おばさんも、20ねえちゃんも、等しく客であるから楽しませて欲しい。そうすれば私の3回目から15回目までのような全行事に参加する映画祭に少なくとも私はもどる。50のI、40のKとO、20のCがNさんには伝えましたが、この場を借りて全員に伝えたいと思います。仕事で1回だけサッポロ映画祭を企画運営したことがあります。大変なのはわかります。だからこそ、主催者の顔が見えることが大事です。

 29回目の報告をするはずが側道にそれました。30回目の報告は来年の9月に。



 シネマファシスト 第31回9月号

『樹の海』


 タイトル通り樹の海の映画である。人間の生命の大もとは海で誕生し、人の海で生き、樹の海で人は再生する。死に場所を求めて樹の海へ入り、人は人と触れ合うことで、人の死を目撃することで、樹の海の風景を見、あるいは死にぞこなうことで、死を決意させた人の海へと、人々はふたたびもどってゆく。主役は、人の海で死を決意した人々である。決意はしなくてもサラ金の取り立て屋のように、人の海で日々死んでゆく人たちである。人が樹の海で生き返るとは出色の着眼である。取立て屋とサラ金にはまった女、樹の海で死んだ女の事情を調査する探偵、公金横領男、サラ金苦の男、不倫精算女、すべて海で生まれ、人の世で死にかけて、樹の海で生き、死にをした人々である。樹のゆりかごとは、まずその着眼を評価したい。

 死にかけていた人々だけあって、単調な人生である。取り立て、逃亡、調査、横領、販売。単調に陽が射すのは2人、「遠い世界に」を唄った男と、ネクタイを差し出した男、この2人はローンがあろうと、単調な通勤であろうと、日々人の海で死んでゆく人でなければ、樹の海で再生する人でもない。なぜなら発見する能力があるからである。その構成が見事である。単調を1時間59分も見せた監督の力と役者の演技も評価したい。

 樹の海を社会と見立て成立させた映画である。もう1度評価したい。
 
公開は来春との事。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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