第36

2月号


 『復讐者に憐れみを』

 まず最初にことわっておくが、このような作品を、すべての映画評論家(ライター)が評価し、かつ作品が大ヒットしたら、その国はいい国、良い時代である。そうならない所に、日本がまだまだこれから歴史を刻み込んでゆく可能性がある。

 この映画は万人に向けてつくられてはいない。2月5日(土)に公開する映画の宣伝を、11月に引き受け、プリントも無い状態なのでビデオで見た。映画祭用のおそらくスクリーン撮り、英語字幕であった。あらためて映画は見る環境よりも、ソフト、中身こそが大事であると確信した。劣悪な環境、劣悪なビデオでも、おもしろい映画はおもしろい。あたりまえではあるが、この作品は何よりも、作家の描写の統一性が保たれている。

 シーン頭には必ず空ショット、ワンカット、ワンカットには、最大限の情報量をつめ込み、その事で映画がいびつに変型しても、それが映画だとばかりに入力してゆく。近景には埋められた死体、中景に溺死体、遠景は空と、画面全体が塗り込められている。(それをエンタメ化したのが翌2003年の『オールド・ボーイ』である。)

 全体のバランス、構成を考慮することなく、1つ1つのシーンの情報量のあまりの多さに、辟易して違和感を感じるどころか、古典的な映画文法の完成型(今日型)を見る思いである。加藤泰の『懲役十八年』『男の顔は履歴書』では、登場人物の意志は徹底され、描写も、どしゃ降り、血しぶき、暴風雨と極端であり、アングルも著しくバランスを欠くローアングルであった。

 パク・チャヌクの映画は作りものであり、02年の『復讐者に憐れみを』03年『オールド・ボーイ』、05年『親切なクムジャさん』それらは復讐三部作と言われ、復讐が素材である限り、極端が限界を越えてゆき、限界を越えることで、つくりものとしての、絵としての映画はつくりやすくなる。『復讐者〜』の死体との握手、水の中の血、聞えない(見えてはいるが)過失。『オールド・ボーイ』の抜かれた歯、切られた舌、15年間監禁した理由。この極端を他の素材でつくり込むことは不可能である。娘が20才になるまで父を監禁した、その理由を、復讐以外では見せることは、できない。

 『復讐者に憐れみを』は極めて映画らしい他の表現手段によって表わす事の不可能な、映画的醍醐味に満ちた映画である。暴力は暴力を生み、殺戮の連鎖は止まらず、たとえそれが復讐の名のもとでも、暴力は暴力を生むだけである。12/27 28の業務試写兼マスコミ試写、1/12 14 18 19のマスコミ試写、宣伝用ビデオ納品は1/25、そして2/5新宿武蔵野館での初日。やはり『復讐者に憐れみを』は、日本入国時より、すべては選ばれし者のためにのみ降臨した希有の映画である。


●市井義久の近況● その36 2005年2月

 12月24日のクリスマスイブに、宣伝していた『恋文日和』の最後のイベントがあるのでその立合いのために渋谷のアミューズCQNへ行った。午後5時、翌25日のクリスマスに『インストール』という映画の初日舞台挨拶を見るためにすでに6人くらいの男性が並んでいた。舞台挨拶の回は翌10時、整理券の配布は翌8時からと明記されていた。この人たちは12時間以上も並ぶのか。驚くべきである。この寒空にではない。12月24日という1年に1回しかない日の夜を、並ぶという行為で男1人あるいは男数人ですごすのである。
 それは価値観の違いである。しかし個人の価値観では押し切れない問題がそこにあるのではないか。
 私のクリスマスと言えば、18才までは家族と暮らしていたので、クリスマスになると父が山からモミの木ならぬスギの木を切って来て、囲炉裏の真中に立てるので、その飾り付けをして楽しんでいた。だからクリスマスと言えば、家族や友人や恋人とクリスマスにかこつけて楽しむというのが習慣である。人とはそういう生き者であると思ってきた。
 1年の中でのいくつかの記念日、お正月、成人の日、ひなまつり、子供の日、七五三、クリスマス、誕生日、結婚記念日、それらは、他の人と過ごす特別な時間の為にある。お正月などより、自分自身の基準によって、マイアニバーサリーを設定する場合もあるだろう。しかし男1人で、あるいは男数人で過ごす、公的な記念日とは、明らかにいびつである。人はそうしないために成長するのである。したがって戦争や災害はそういう時間を奪うがゆえに忌避すべきものである。所詮1人で生まれ1人で死んでゆく。そのために生の時間は、身に種々のものをまとって、なんとか人と人との間で生きろと、5年前に亡くなった父のモミの木ならぬ、スギの木は教えている。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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