第37

3月号


 『パッチギ!』

 かつて在日朝鮮人が受けていた差別が、1人の老人の口から語られている。東陽一監督の『橋のない川』は、住井すゑの原作を基に被差別部落出身者を描いていた。熊井啓監督『愛する』は、遠藤周作の原作を基に、ハンセン病と疑われた人の人生を描いていた。前者は現場の製作者として、後者は宣伝マンとして、2つの映画に関わった。この映画に描かれている1968年、私も主人公たちと同じように高校3年生であった。東京では朝鮮高校と国士舘高校他の闇雲な喧嘩がくり返されていた。そう思って朝鮮高校と府立東高校のけんかを見ていた。なんと不毛な、やくざの出入り程でもない。『パッチギ!』に対し、『橋のない川』や『愛する』程のリアリティも無い私は、在日朝鮮人の古老が、主人公の恋人の友人の葬儀で語りかけるまでは、画面から、いや私から潮が引いたように画面を見ていた。その後主人公が、賀茂川の橋の欄干にギターを打ちつけ、ギターケースとともに賀茂川にギターを投げ捨てるところでエンドマークに至ると思い、そこだけは凝視した。唄で結ばれた2人は、歌を捨てることで別れるしかない。主人公はふたたび唄を口にしないだろう。唄好きな私はそのシーンだけは凝視した。

 しかし、映画はここからも続いた。主人公は唄をラジオで唄い、恋人はその唄をラジオから聞き、恋人の兄(朝鮮高校生)と日本の高校生の喧嘩は、兄の恋人の出産で中断し、何年か後、主人公と恋人はドライブへ、恋人の兄の家族は動物園へと出かけて行った。すべては時に沈む。差別も闘争も戦闘も、それらは担い手を代え、愛のようによみがえるが、1968年の担い手たちはすべて時に沈んだ。しかし、ギターを橋の欄干に激しく打ちつけたのは一瞬の真実であり、私はそのシーンだけは引くことなく、くいいるようにスクリーンを見つめていた。現実においては、唄で結ばれた2人は唄を捨てることで別れるしかない。しかしこの青年はふたたび唄い出し、ふたたび関係は、スクリーンの中でよみがえった。

 シネカノン有楽町にて上映中。


●市井義久の近況● その37 2005年3月

 どうしても1月30日(日)までに仕上げなければならない仕事があったので、早朝4時に起床し、白金高輪5時34分、始発から3番目の電車で会社へ出勤した。昔から在宅勤務というのが出来ない人なので、今年一番という冷え込みの中、会社へ向った。会社の窓から昇る朝日を見つつ、9時にはもう終ってしまった。家へ帰って眠るか、映画でも見に行こうかという選択もあったが、当然会社には私1人なので、思い切って晴天の空を見ながらビールを飲み出した。早朝からビール、旅行の温泉宿ぐらいでしか経験できないことである。もちろん昼間でもビールを飲むがやはり昼食時か、会社でもビールを飲むが、仕事が一段落ついた夜10時頃からである。仕事について32年、初めて朝会社でビールを飲んだ。日曜なので出勤してくる者はいないが、たとえ来てもこの会社は11時からである。仕事が1つ終った。やれやれと思ってビールを飲み出した。
 12時15分からNHKの「のど自慢」、TV番組で最も好きな番組である。市井のどちらかと言えば、目立たない埋没している女の子が、歌い出すや否や全世界を手中にする。17才の制服の女の子が、民謡のこぶしで巫女になる。「のど自慢」あるいは歌がこの世に存在しなければ、私はこの人を認知することはなかったであろう。又、彼女も、世間から認知されることはかなったであろう。1人1人が、自分自身の寄って立つ場においては主役である。「のど自慢」はその主役であり得る地域を一挙に拡大する。ホールから地域へそして全国へ、それまでは誰でもなかった人が、「あ〜あ“のど自慢”であの歌を唄った人」となり、時にはその人に1億2千万人の人生が重なる。NHKの受信料は2ヶ月で2,690円、「のど自慢」1回、336円、安い。
 かつて親しかった女性が、「のど自慢」を見ながら涙を流している中年男性(私)を不思議な生き物を見るような目をして見ていた。映画も好みならTVも好みだが、「のど自慢」を好きという人は私の周囲では聞いたことが無い。しかし私は、世界と認識が一瞬のうちに一変するこのような番組は貴重であると思い、もう何十年も見続けている。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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