第41

7月号


 『誰がために』

 かつての『喪の仕事』のように、映画で死者を描くという試みに、果敢に挑戦した意欲作である。
 映画で死者を描く、それは思い出の品であったり、思い出の地、あるいは縁の地への歴訪だったり、回想であったりと、描写が過去に引きずられることが多い。この映画でもサモトラケのニケを水に沈めたり、死者が好きだった風をたずねたり、子供の頃の地浦賀(?)を訪れたり、死者が写した写真を挿入したり、回想シーンが流れたりと、死者を現実に生かす、いや現実に生きる人々を死者がつき動かすような描写は発見できてはいない。
 ファーストシーン。北千住の今は存在するが、明らかに何年後かには確実に消滅するであろう街並みが描かれる。なくなってしまえば、そこには新しい建物に取って代わられ、かつて誰が、何が存在していたのかは、徐々に徐々に人々の記憶からは、消えてゆく、そういうものとしての人間の営みである。民郎と亜弥子の生活も存在した。かつてお腹には子供までもいて、想像の範囲を含め確実に存在していた生活が、胎児とともに、失われ、その記憶は民郎からも観客からも徐々に徐々に失われてゆく。それに異議を唱え、人間には忘れてはならないことがあるとして、それを現実に生かすための死者の描写である。原爆、戦争、南京大虐殺、従軍慰安婦、アウシュビッツ、戦後60年、人間には忘れてはならないことが多くある。しかし死者を描けば描くほど現実は失われる。失われないためのマリとの生活への予兆あるいは、サマリア(?)から日本への回帰のような、ふたたびの回帰であったが、やはり民郎は死者に召還されたわけでも、生者として回帰した訳でも無く、ラスト民郎の視線を、1945年でもない1970年でもない、2005年の日本で受け止めるには、「カレーライス」や「白い一日」があたりまえのこととして存在する2005年の日本で、その視線を納得させるには、死者の描写によってではなく、亜弥子の死後の生者の描写によって加筆すべきである。
 秋 シアター・イメージフォーラムにて公開。


●市井義久の近況● その41 2005年7月

 陽の高いうちに夕食をとり、陽のあるうちに風呂にはいると幸福が体にしみ込んでくる。
 連日11時近くまで働いている。朝も11時からと遅いが、家に着くとだいたい明日になっている。そんな時、たまには季節も良い時期なので、9時頃に会社を出て、近くのオープンカフェで1時間くらいコロナビールを飲んでから帰る。又、7時くらいには会社を出て、近くのオープンカフェで、暮れる間際の残光を見ながら、ビールとぺペロンチーノの夕食をとる。ニンニクが風に飛ぶ。贅沢な気分だ、海も湖も見えないので、目を閉じると様々な言葉が飛び交うパリのようなざわめきも聞える。連日11時まで働いていても、膨大な借金があっても、来年4月以降の仕事はなくとも、家も、家族もなくとも、今日に限って、7時とか9時からたっぷりとある夜に、夜を見ながら外でビール。23才から32年間働きづめだった。ここ5年間は、連日12時間労働である。そんな折、何日かに一度、十番は大使館の多い街なので、姿、型の異なる人々を見ながら世界旅行の気分にひたる。フランス、オーストリア、オーストラリア、それぞれの大使館に勤める人たちのざわめきで、いつもの夜がふくらみ出す。大使館は近くにはないが、インド人そしてアラブ系の人々も多い。明らかに日本人とは異なる、そんな人々たちを夜の闇とともに眺めながら、明るいうちから夜にひたる。夜の風もここちよい。
 晴天、梅雨の真っ最中というのに、気温は朝の10時からどんどん上昇し、11時頃には30度くらいにもなった。湿度も相当高い。朝10時近くのオープンカフェでコロナビール。ハダに湿気がまとわりついているが、吹き飛ばす風がここちよい。
 昼なので夜とは異なり、すべての輪郭がはっきりと見える。11時、10時からさらに気温は上昇した。8月15日のように、徐々に人々の輪郭が昼に溶け出してゆく。いつもの夜のように、ひとりひとりが夏の日中に溶け出し、遠目には私と彼との区別もつかなくなり、同じような人と風景が連なる日本的な、うだる夏になってきた。
 6月の朝、肉体もビールで溶け一足はやい夏に浸る。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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