第47&48

1&2月号


シネマ ファシスト 第47回 2006年1月号
『男たちの大和YAMATO』


 生まれて初めて見た映画が戦争映画のせいか、東映が製作した3部作、『二百三高地』『大日本帝国』『日本海大海戦・海ゆかば』も強く印象に残っている。生まれて初めて見た映画であるから、叔父に連れられて、満員立見の映画館で叔父の肩車で見たらしいが、終始泣いていたそうである。ちなみにタイトルは『明治天皇と日露大戦争』らしい。

 『男たちの大和』も12月17日の初日以来、聞こうとしなくとも、長渕剛の主題歌が耳に入るので気になっていた。しかし笠原和夫亡き後の戦争映画は、情を描くしかないであろうと思っていた。そうこうしているうちに公開から1ヶ月以上経て、ようやく見ることができた。平日の昼間だというのに、席は半分は埋まり、見事に私と同世代の男女ばかりである。女性がいるのがすごい。

 やはりと思う。やくざ映画が、組長クラスを描くより、チンピラを描いた方がおもしろいように、戦争映画も下士官、少年兵を描く方がずっとおもしろい。しかし、やはりと思った。それは戦争映画では戦場を描くと、ほとんど個人は抹消され、アクション、リアクションを描くしかない。したがって戦争映画がおもしろいかどうかは、戦場以外での個を(戦場でもよいが)、どういう個を、どう描くかにかかっている。

 『男たちの大和』の個は、戦闘場面が長いせいもあり、対象を4人に拡大したこともあり、個が際立たない。養子に出された次男と産みの親との別れ、帰還した兵が、戦死した戦友の母を訪ねて、「なぜ生きた」となじられるシーンのなどの良さはあっても、個を確立させてから戦闘場面に突入しないと、同じ場面の繰り返しに見える。人間が国家によって虫ケラのように殺されるのが戦争であって、虫ケラが国家によって虫ケラのように殺されるという見せ方をしてはいけない。人間でることを際立たせるのが個の描写である。

 それにしても戦争とはくだらないものである。登場する人物の多くは、まともなことを言っている。それが他人を殺し、上官の命令には絶対服従し、死をも率先して選ぶ。その恐ろしさ、愚かしさを描くには、様々に確立した個を見せてからでないと、いかなる戦争であっても、それは愚かしいものである、という命題が際立たない。3000人もの人間を、片道燃料で、護衛する船も飛行機もなく送り出す愚かしさは戦争だからである。

 戦後61年、終戦時多少意識に目覚めていた人が71才、戦場を経験した人は76才、戦争映画の傑作は、今後徐々に不可能となってゆくばかりであろうか。父が出征していたので、父から人間を食う話や、上官を戦場で後ろから撃った話を多少聞いてはいたが、そのような情況は体験した人でないとわからない。しかし想像力と創意でもおもしろい映画は生まれると思う。


●市井義久の近況● その47 2006年1月

 私の思い過ごしであればよいのだが、ある日突然海へと向って突進する動物がいるように、人間も発生した海へと向っているのではないか。それが1人か2人ならよいのだが、全体がある日突然海へと向って行進しかねないような気がする。遊びのないネジが、突然はじけるように。
 私は朝も遅いので、夜も11時過ぎまで働いて、必ず毎日1本か2本のビールを飲んで赤ら顔で、終電の2つか3つ前の電車で帰る。車内で酔っ払っている人は皆無である。車内は朝これから出勤する人たちと同様に、パソコン、ケイタイ電話、新聞、雑誌、文庫である。見渡す限り酔っ払っているのは私1人。1日働いて帰りに1杯ひっかけて、今日に区切りをつけて帰る。そんな風習、余裕が失われたのではないか。
 お正月の2日には東京へ戻り、用事をこなしながら、東京の街を行き来した。季節感、行事感が失われてしまった。媒体の中に、商店のデコレーションの中にお正月はあっても、大多数の人は、季節や行事を自身で実感することはやめてしまったようである。私の出す年賀状の枚数に変化はないが、いただく年賀状も少なくなった。5日の日枝神社には着物の人もいなければ、人間も少ない。2日から7日までの街で着物を着ていた人は3人。私のように、その季節、季節の行事を、今の装飾として、あるいは今を区切るために、きちんとこなして生きてきた人もまだ大勢残っていると思うのに、お正月は実感の乏しいメディアの中の出来事になりつつある。
 これも同様に余裕がないからと言い切れはしないが、世の中60年の尺度で見ると随分変った。

 ある日突然海へ、それはわからない。しかし少しずつの変化が、徐々に大きな変化となるように、今その大きさが目に付くようになってきた。それがあたりまえと思う人もいれば、そう思わない人もいる。私はあたりまえとは思わないので、暮の23日から、他の人を巻き込んで行事を重ねた。23日クリスマス兼私の誕生会、26日会社の忘年会、29日私の誕生会、1月1日山本で初詣、5日日枝神社初詣、8日鶴ヶ岡八幡宮初詣、そして2月3日は豆まきの予定、14日はチョコレートをもらう予定、さすが3月3日にお雛様は飾れないので、せめて白酒を飲む。。


シネマ ファシスト 第48回 2006年2月号
『ストロベリーショートケイクス』


 『ストロベリーショートケイクス』という映画を見た。今年になって初めて見た映画である。今年と言っても、もう2月に入ってしまったが、今年初めて見たのがこの映画でほんとうによかった。極めて今風の映画である。映画は男不在の、あるいはマイナス因子しか形成しない男を描き、今の世相をよく映し出している。日々の時間を過ごす。落ち込んだり立ち直ったり、男は落ち込む因子にはなるが、安藤政信を除いて、立ち直りの契機とはならない。

 主人公は4人、フリーター、イラストレーター、OL、風俗嬢、職業からして、今様である。風俗嬢が積年愛し続ける、安藤政信を除けば、他の男たちはすべて“白馬の騎士”でもなければ“悪い男”でもない。不在ではなく希薄である。フリーターは、デリヘルの受付嬢からラーメン屋の店員へ、イラストレーターは依頼された神様のイラストを編集者が紛失しても再度描き、OLはくだらない男に何度引っかかっても、そのくだらなさを生きる。風俗嬢は、誰ともわからない男との間でできた子供の出産を決意する。そうして映画の2時間7分後、同じ職場だったフリーターと風俗嬢、同室だったイラストレーターとOLの4人が、紛失した神様の絵に導かれて、魚津の海岸で観覧車を背にして出会う。その結末が女たちの意思の結果ではあっても、男たちとの因果関係の中にはない。フリーターのダサいパジャマ、イラストレーターの見せパン、OLの花柄のブラジャー、風俗嬢の棺桶の寝床、それぞれのイメージを振られて、映画の、いや現実を限定的に生きている、今の女性を見せるが、男はラーメン屋を除けば、女たちとは対照的に、もはや労働しているという印象すらない。それが、映画ではなく、今の現実なのである。

 夏、渋谷にて公開。


●市井義久の近況● その48 2006年2月

年明け早々の1月9日「シナリオ作家 鈴木尚之さん お別れの会」に出席した。
親しかった訳ではないので、鈴木さんの詳細な人生は知りようもないが、帰りに全員に手渡された飛騨高山のとらやのお饅頭を食べて、おそらく幸福な人生であったであろうと推測した。甘いものは殆ど食べないので比較のしようもないが、そのお饅頭はほんとうにおいしかった。
鈴木尚之とは言わずと知れた加藤泰『沓掛時次郎・遊侠一匹』の、内田吐夢『飢餓海峡』の同じく『宮本武蔵・一乗寺の決斗』の、そして田坂具隆『湖の琴』の同じく『五番町夕霧楼』の脚本家である。親しくはなかったが、経営する桜上水の木々ではビールばかり飲んでいた。試写室で会った時も、又、ビールを飲みに行きますよとばかり言っていた。しかし実際お邪魔したのは数回である。
明らかにその5本の映画は、私を造ってくれた。だから鈴木尚之とは特別な存在であった。しかもその5本の映画で言葉を交わしたことのあるのは、加藤泰、鈴木尚之、三國連太郎の3人である。加藤泰も突然の死であった。加藤が亡くなりましたと奥様から電話をもらった。昨年の11月、鈴木さんの奥様から葉書をいただいたので、体調が悪いとは聞いていたが、やはり突然であった。
お別れの会の後、日本酒という気分でもないので、赤坂プリンスホテル最上階、トップオブアカサカで暮れる東京を見ながら、シャンパンを飲んだ。私を造ってくれた人がまた1人消えた。造られた私もそろそろかと思い私の残りの人生に乾杯した。そして会社へ戻り、そのお饅頭を食べた時、それまで思ってもみなかった鈴木尚之の幸福な人生を想像した。
お別れの会で始まった1年であったが、2月に入り、いきなり私の友人が、年齢差28才をものともせず結婚すると聞いた。これも他人事ながら私も幸福である。 


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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