第50

4月号


シネマ ファシスト 第50回 2006年4月号
『仁義なき戦い 広島死闘篇』


 仕事以外でビデオやDVDを見ることはない。 映画は時代の子だと思う。 例外は『仁義なき戦い 組長最後の日』、気持ちが弱くなった時、 九州の弱小暴力団が1人になってまで、 日本最大のやくざ組織の組長の命を狙い一発逆転を企てる映画で力をもらう。 その作品以外、映画をビデオで見ることはない。

 『仁義なき戦い 広島死闘篇』をビデオで見た。電気を消し、カーテンを閉め、トイレを済ませ、1970年代の作品を、あれから30年以上経ってから見る。 時代の衣を剥ぎ取られて恋愛映画の様相がくっきりと浮かび上がってきた。 何本かある『仁義なき戦い』シリーズの2本目、誰でもがその流れで見た時、 アクション映画と思うであろうし、70年代学園紛争の只中で、 一連のやくざ映画を、恋愛映画とジャンル分けすることは、不可能である。 まして千葉真一演ずる大友勝利は、日本やくざ映画史上突出したキャラクターである。 インキンを掻きながらの記者会見や、「おめこの汁でメシ食うとるんじゃないの」、 という台詞など、それまでの鶴田、高倉の静と比較し、まさに時代が動く時の、 寵児的キャラクターである。その映画が北大路欣也と梶芽衣子の愛の物語であった。 北大路は恩義ある組長と無期のやくざである存在に引き裂かれ、梶もまた、 親代わりであるその組長と幼い子のいる戦争未亡人という存在に引き裂かれ、 2人の仲が完遂することはない。北大路は自死を選ぶ。人殺しというやくざとしての仕事の後に必ず口笛で唄った 「若い血潮の予科連の〜」という唄を、自らの死へと向けた葬送の唄として口笛で吹いて、 拳銃を口にくわえる。北大路は予科連に憧れ、梶の夫は特攻で死んだ。 北大路と梶のシーンは6度、梶の店、梶の家、待合、路上、梶の家、組長の家。 従来のように菅原文太主演、金子信雄、成田三樹夫他、第一作の舞台、呉から数年後、 舞台を広島に移し、広島最大のやくざ組織山岡組と大友連合会の覇権争いが描かれる。 時代という衣を引き剥がして、ようやく、『仁義なき戦い 広島死闘篇』を恋愛映画として見た。 笠原和夫も、深作欣二も、もちろん今はいない。確認する術はない。 北大路演じた山中正治も、他の映画(『山口組外伝 九州進攻作戦』)で 菅原文太演じた夜桜銀次も、その墓は、今では(2006年ではなく)訪れる人は誰もいないという。 しかし映画は、繰り返し何度でも見ることが出来る。 時代の衣を着て、あるいは剥がされ、 その時代を発見するために、あるいは今を確認するために、あるいはその映画を見た時、見る今の自分を見つめるために。 映画は偉人の墓碑ではなくいつまでも存在し続ける多面体である。

●市井義久の近況● その50 2006年4月

 昔一緒に仕事をしたことのある人が56才で亡くなった。私とほぼ同じ年齢である。ずいぶんとつらい書き出しになってしまったが、50回、記念号である。
 「シネマ ファシスト」とは、私がかつて発行していた雑誌の名前、といっても3号雑誌どころか、1号で終わりになってしまった。特集は曽根中生『天使のはらわた 赤い教室』。ごちゃごちゃ言わんと、おもしろい映画は、おもしろいんじゃい、というぐらいの意味の「シネマ ファシスト」であった。
 56才か。かつて私が27才の時に出席した27才の友人の葬儀もつらかった。同じ27才の私達に向って友人の母は、「息子は何も悪いことはしていません。」と宣言したが、私達はその母の後ろに広がる夏の日本海を見ているしかなかった。56才、3月6日死亡。私の人生が3月6日で終わっていたとしたら、この「シネマ ファシスト」50回記念号は無い。それだけかと思うと「シネマ ファシスト」は“正月や冥土の旅の一里塚”と思う。56才で亡くなった人のお通夜に出た。この人も父なく母なく亭主なく子なく兄弟なく、喪主は叔母、私は妹がいるので、喪主は妹か。死ぬ人と生きている人は何で分けられるのか。息子は何も悪いことはしていないと母は言い、56才のお通夜に出席した親戚の人たちは皆涙ぐむ間もなく憮然としていた。帰りの町屋の駅前に、ラーメンと生ビールとコーヒーがほぼ同じ値段の店があった。「8時までぽっきり3000円、安いよ安いよ」というキャバクラの呼び込みも聞えた。死ねばどこへも行けない。死ねば喜びどころか、悲しみもない。その翌日何十年ぶりかで訪れた浅草の染太郎に「葡萄に種子があるように 私の胸に悲しみがある 青い葡萄が酒になるように 私の胸の悲しみよ 喜びになれ」という高見順の言葉がかけてあった。時間を積み重ねること、書き続けること、働き続けること、そうすれば私も酒になる。いや実際は肴か。しかし死ねばこの「シネマ ファシスト」も終る。その思いで書いた50回。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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