第57

11月号


シネマ ファシスト 第57回 2006年11月号
『グエムル 漢江の怪物』


 怪物に対して、国家でもなく自衛隊でもなく警察でもなく、個人が家族が立ち向かうというのは画期的ではないのか。圧倒的に優位に立つ敵に対して、弱小個人のゲリラ戦、それも全財産というには、あまりにも乏しい金で買った鉄砲とアーチェリーと火炎瓶と道路標識で戦うというのは、まさにゲリラ戦である。鉄砲でもダメ道路標識でもダメで(当然でしょう)、それではと、怪物に灯油を振り掛けて、エンビンでの発火も失敗するや、アーチェリーの矢を火矢にして怪物を退治する。拍手喝采である。チャチイ等身大の映画である。怪物もなら戦う側も小市民、日本ならば放射能汚染の結果とウルトラマンという発想だろうが、怪物も小型なら、ダメ男とダメ女、しかし一致協力してチャチくはあっても怪物に立ち向かう。等身大の怪物映画である。

 この監督の映画は穴に謎があることが多いが、今回の穴は、エサの隠し場所、エサの隠れ場所、このエサも最期まで家族と共に一致協力して戦う利発なエサである。国家はというと、自ら捏造したガセネタに振り回され本質を見失うばかりであり、一直線に怪物に迫るのは、中学生を誘拐された4人の家族のみである。人質も含めた家族の協力で怪物は死ぬ。しかし祖父が死に中学生が死に、父は新しく、怪物のエサになりかけて、中学生が命を懸けて守った男の子と、暮らし始める。しかし国家は、あれは間違いでしたという一行で終る。本質は個人にしか見えない。そういう映画である。

●市井義久の近況● その57 2006年11月 

 10月7、8、9日の3連休、秋雨前線通過、文句のつけようのない秋晴れであった。土曜日は初日や取材で仕事の入る日が、1年の半分もあるが、この日は仕事もなく、まさに3連休なのに、外出することもなく、パ・リーグのプレーオフ第1ステージを2時から5時までそれぞれビール5カンを飲みながら3日間テレビで観戦していた。今年、巨人戦を中心とするプロ野球の視聴率は最低である。9月10月になると、プロ野球の中継はほとんどなくなってしまった。それも当然である。巨人戦を中心とするから優勝争いに関係のない弱い巨人の試合を見せられる。松井はじめスターはすべて大リーグへ。勝負であることを忘れたかのような緩慢なプレー。これでは子供の頃からテレビで野球中継を見てきた私とて、プロ野球の低視聴率に結果貢献したとしても、非難はされないであろう。3日間出かける予定もなく仕事もなかったのでテレビを見た。第1戦松坂大輔と斉藤和己の投げ合い、闘志剥き出しの2人を見てその勢いのまま第3戦まで見てしまった。テレビの中継でありながら、2人のそしてライオンズとホークスという2つのチームの必死さが充分伝わってきた。スポーツは自分とのを含め戦いであることを、充分堪能した。これだったら見れる。スポーツが戦争とは異なり、ある一定のルールに従った全身の闘争であることを改めて認識した。なぜ野球の視聴率が落ちたか、要はつまらないからである。それはプレーオフがあるなし等システム上の問題ももちろんある。しかし要はパ・リーグのプレーオフファーストステージとは1位2位3位決定戦でしかない。パ・リーグ1位決定戦でもなければ、日本一を決める試合でもない。なのに、これだけの死力を尽しての戦いを見ることができる。今年の高校野球の人気も斉藤と田中という2人のスターの力も当然あるだろうが、要は彼ら高校生の必死のプレーが支えているのではないか。有名であれ無名であれ、誰かが必死になって戦っている、生きている姿に感動するのは、人々にとって共通のことである。それを7、8、9日と晴天を投げ打って、テレビにかじりついた私は、体得した。

 松坂大輔は10月7日の試合を最後に日本プロ野球界を去った。又10月11 、12日のパ・リーグプレーオフ第2ステージ、今度はパ・リーグ1位と2位を決める試合なのに11日の地上波の中継はなし。12日は仕事でテレビを見られず、その日10月7日と同様1対0で敗戦投手となりリーグ優勝を逃したソフトバンクの斉藤和己はマウンド上で泣き崩れていた。立ち上がることもできなかった。だから私は見入る。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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