第58

12月号


シネマ ファシスト 第58回 2006年12月号
『弓』


 気ままな映画だと思う。勝手な映画だと思う。自由な映画だと思う。発想のおもむくまま、他の事象は気にせず、それほど必要のない予算で、映画をつくっている。

 無声映画でもないのに台詞はほとんどない、物を言うのは視線と音楽と弓矢。ケイタイとウォークマンが出てくるのでようやく現代の話とわかるが、それ以外は時代すら不明である。他は想像力で見てゆくしかない。魚と水と隔絶された場所、これがキム・ギドクのキーワードか、『弓』も舞台は海上のつり船、そこで暮らす老人と少女と出入りする男たちの話である。

 ラスト結婚式からのシーン、イメージが飛翔する。婚礼、初夜と続くかと思いきや、いきなり弓が天に向って飛翔し、老人は入水、弓が少女の股間近くに突き刺さって、もだえ、そして処女の血が衣裳を染め、少女は少年と陸を目指す。老人とともに暮らした船は、ブランコとともに船の壁画とともに沈む。見る者が自らのイメージで補って、映画のイメージがさらに実際の映像以上に膨らんでゆく。キム・ギドクだけの映画である。 

●市井義久の近況● その58 2006年12月 

 生まれた新潟県岩船郡関川村には温泉が5つもある。鷹の巣、雲母、高瀬、湯沢、桂の関いずれも私の家から車で20分くらいの所である。しかし温泉というものに興味がなかったせいか、全く今まで縁がなかった。過去に宿泊したことは1回、温泉に入ったのも2回しかない。それが29年前から年1回の湯布院と、疲れたときの観音温泉、そして何よりも10年くらい前に500 円で入れる立ち寄り温泉桂の関温泉ゆ〜むが関川村にできて以来、俄然温泉が近くなった。なんのことはないそれまで温泉がどのようなものかわからなかっただけである。まず湯布院玉の湯、最初に行った時驚いたのが到る所に花が在ることである。箸置きまで花である。観音温泉は何よりも、ハダがツルツルすべすべになる。お金と休日が少ないので、限界はあるが、近くの十番温泉を始め、時間と金があると温泉に行く。それで、いよいよ、18年間住み、今でも実家のある関川村の鷹の巣温泉の喜久屋旅館へと向った。これでようやく関川村の温泉について人に聞かれた時スポークスマンになれる。つり橋を渡り通された部屋にはお風呂が3つもあった。1つ1つかわりばんこに、3時に着いて12時に眠るまで、外にある男性用の露天風呂も含めて8回。紅葉と雨が降り注ぐ露天、紅葉と雨に降られながら風呂に入ったのは生まれて初めてである。脱衣場にカサがある訳がようやくわかった。翌日朝露天に入ろうとしたら紅葉でお湯が見えない、紅葉風呂。食事が美味しいのは旅館ではあたりまえである。しかしここはお茶とコーヒーと水が美味しい。お茶の北限と言われる村上が近くにあるので村上茶ですかと聞いたら宇治茶との事。露天につかりながら荒川を見る。その上を国道113号、先週は、たかがソバを食べるためだけに2時間半もあの道を通って山形県村山市十四番店あらきそばへと向った。お店に入ってから出てくるまで1時間半。ビールと日本酒で宴会を開催していた訳ではない。単にヘギソバの大盛を食べただけである。帰りは渋滞で3時間半。行き2時間半、ソバ1時間半、帰り3時間半、ソバが旨いというよりこれは初めての体験であった。その113号のさらに上を1日5往復の米坂線が夜は銀河鉄道のような光彩を放って通る。翌日は、豪雨、突風、ヒョウ、全山の紅。見送りも豪勢である。1人3万円。こんな山奥のつり橋を渡らなければ行けない所でも、要はお客が納得すればよいのである。このお茶とコーヒーと水とアイスクリームとゼリー。朝食の3杯目まで温かいミソ汁。そして雨と紅葉の露天。堂々と値段と対価と思う。湯布院の玉の湯にしろ下田の観音温泉にしろ鷹の巣温泉の喜久屋旅館にしろ要は顧客満足度。他に比類なければ、それで満足。

 翌日村上市の吉源へ行く。ここも高校3年間門前が高校の通学路であった。鮭のフルコースにおなかいっぱい。若い板長の元気な料理である。鮭の大根煮がピカイチ。帰りの羽越線、新潟へと向う電車から2本の対の虹を見た。

 昔が京都、大阪、神戸の三都物語なら、瀬波、村上のあるいは関川、村上の北越後2本の虹ではどうか。村上のシャッター通りと、夜逃げも出る高瀬温泉を私が昔見た風景にするために地域が協力する。

 その翌日東京は、又真夏のように太陽がいっぱいであった。この落差。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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