第65

7月号


シネマ ファシスト 第65回 2007年7月号
『眉山』


 死者のみが描かれる。いや死のうとする人のみが描かれる。

 4月14日『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』5月12日『眉山』6月2日『そのときは彼によろしく』6月9日『恋する日曜日 私。恋した』6月16日『ラストラブ』と。見てはいないが5月12日『俺は、君のためにこそ死ににいく』もタイトルからして死にに行く者の映画であろう。映画の中ではこのように喪の準備が真っ盛りである。地球温暖化によって、人々の余命も幾何となってしまったのであろうか。生きることは死ぬことであるし、死ぬことは生きることであるから、生と死を明白に区切ることはできない。しかしこれではスクリーンの上では死者累々ではないか。その多くの死因は癌である。これらの映画は、自分自身及び周囲が死を意識し、さてどうするか、物理的な死までの残された時間を、どう生きるかの映画である。死を意識する人は、母、母、少女、女子高生、ミュージシャン、若者と、千差万別であるが、共通しているのは、自身と周囲がどう死を納得して生きるかである。父は7年前余命半年と言われ、その8ヵ月後に死んだ。私も間もなく還暦、死は身近である。

 『眉山』の母は経営していた店を閉め、ケアホームに入所し、1人娘に登記簿謄本他相続に必要な書類を揃え、死んだと伝えていた父に会えとメッセージを送り、母の死後の娘の伴侶までも手近で手当てして、死期を迎える。しかしこれはやはり映画ならでは、あるいは緋牡丹のお竜ならぬ河野龍子、宮本信子の劇中でのキャラクターが為せる業である。私ら凡人には、喪の準備と言っても通常の日々のように、やはり日がなのべたらな日常を送るだけである。宮本信子にしろ松嶋菜々子にしろ、30年ぶりの父親(夫)役の夏八木勲に対して、阿波踊りの会場で、視線だけで見切ったのは見事であり、これができる人だからこそ、単なる伝法ではなく、完璧な喪の準備を成し得たのである。死ぬことによって表現する生もある。しかし私とて死まであと少し、生きることによって表現する生のほうが見たい。



●市井義久の近況● その65 2007年7月 

 6月10日、日曜日午後4時30分から横浜黄金町シネマ・ジャック&ベティで『恋する日曜日 私。恋した』のトークショーが開催された。ゲストは廣木隆一監督、丹羽多聞アンドリウプロデューサー。

 「この映画はあまりにも唐突に終わるように思うのですが」という客からの質問に廣木さんは「映画も人生も唐突に終わるものです」と答えていた。突然終わる映画、代表は『関の弥太ッぺ』、やくざ映画なのに最後の出入りのシーンが無い。やくざが最後に三度笠をはね上げる前に終わる。『天使のはらわた 赤い教室』も男が水溜りに片足を入れて終わる。『沓掛時次郎 遊侠一匹』は刀を投げ捨てて終わる。『仁義なき戦い』は「山守さん弾はまだ残っとるがのう」で終わる。突然終わる映画は傑作が多い。

 人生の唐突さは全ての人が体験していることである。となると喪の準備などしゃらくせえ、人は忽然とかき消えるものである。私もあとせめて3年とは思ってはいるが、それは明日かもしれない。

 横浜黄金町界隈、初めて訪れた。昔はすごかったのだろう。何十年も前に初めて訪れたヨコスカドブ板通りや、横浜本牧も昔はすごかったのだろうと思ったが、日曜夕方6時人っ子一人いない様がかえって昔日のすごさを感じさせる。トルコ風呂から今まさに出てきた男、ファッションヘルスから今まさに勤務を終えて出てきた女の子。横浜日劇の消えかけた日劇の文字、長谷川伸生誕の地の石碑、『沓掛時次郎 遊侠一匹』の原作者である。昔は一体この辺の何がすごいかと言うと、それは欲望に駆り立てられた人々の有様である。「この辺での非合法な売春行為は禁じられています」という看板がまだ出ている地域である。

 2週間後、横浜日劇は完全に消滅していた。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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